暗闇より


















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カジノの街
Box.27 Legcuffs―足枷―
 とある女の子の昔話をしよう。

 彼女はマシロタウンという小さな町に住んでいた。
 とても優秀で、ポケモンバトルは大人顔負けの強さだった。
 類い希なる力を授かり、他の子供と遊ぶことはついぞなかった。

 ある日のことである。
 同じ町に住む変わった少年が、彼女の家にやってきた。

「お前、ポケモン勝負が凄い強いんだって聞いたぞ! 俺と勝負しようぜ!」

 彼女は相手にしなかった。

 嫌いだ、と言った。
 子供は嫌いだ、と言った。
 弱い奴は嫌いだ、と言った。
 ニンゲンは嫌いだ、と言った。
 お前のような奴は嫌いだ、と言った。

「なーなー! 頼むってさー! だいじょーぶだって俺たち強いし! 俺とコーラルがぜってぇ勝つからさ!」

 少女は敵意に目を細める。深く嘆息し、とうとう最後には、一度だけだと了承した。少年はにぱっと笑った。「おう! バトルしようぜ!」

 ある日のことである。

 ヒナタと名乗った少年と、彼女は同年代で初めて引き分けた。


【浮かび上がっては沈むのだと/語り部は繰り返す。】


 近くなってくる海面は陽光を透かして輝き、揺らめき、夢のような……いや、これは夢≠セと認知していた。
 少年はサニーゴを連れていた。サニーゴの名前はコーラルだと言った。テレビの戦隊もののヒロインの名前だと得意げに語った。

(確か宝石戦隊キラメイジャー=H くだらない。いかにもガキっぽい名付け方だと思ったのです)

 サニーゴは手入れの行き届いた美しい珊瑚を生やしていて、一目でトレーナーに愛され、信頼され、よく育てられているのだと分かった。

(だからどうした? サニーゴは可愛い。けれどコイツは可愛さの欠片もないクソガキなのです)

 少女は他地方にも足を運んだことがあった。バトルツリーに参加したこともあった。実力者の知人が数多くいた。
 少年はラチナ地方を出たことがなかった。他の子供と馬鹿馬鹿しい遊びばかりしていた。世界一のポケモントレーナーになるのだと夢を語った。

(だったらお前はこんな場所にいて、そんなモブ共とつるんでいて良いのですか? 意味なんてあるのですか? どいつもこいつもお前に縋って助けを求めて惨めったらしい人間ばかり。反吐が出るのです)

 目を閉じ、開く。飛ぶように時間は過ぎる。矢のように目まぐるしく景色は変わる。信頼するメタングが彼女をあちこちへ運んでくれる。だから安心して眠っていられる。
 目を閉じ、開く。癖のある赤毛が見えた。身長がぐんと伸びて、手のひらが大きくなって、力もずっと強くなって、1匹2匹と仲間を増やして、バッジの数はとっくに持ちポケモンの数を追い越していた。けれど表情だけは変わらず、お日様のような笑顔だった。美しいサニーゴは更に強さに磨きをかけて、新しく入ったモノズに世話を焼いていた。

(馬鹿な奴。本当に馬鹿な奴。コーラルの苦労が忍ばれるのです。馬鹿なアイツと旅立って、癖のあるメンバーをフォローして、アイツが突っ走れば必ず一番に止めに入った。怒ったり泣いたり笑ったり。でも、誰のサニーゴよりも、美しい珊瑚を生やしていた)

 ザワザワと白いもやが海面を覆っていく。澱のような白いもやが包み込むように体に這い上がってくる。

(サニーゴの白化現象は、強いストレスや環境変化を要因とする)

 目を閉じた。ヒナタに保険はかけた。蜘蛛の糸のような、細い細い。

(進行が重度であれば、手を打つのが遅ければ、きっと、取り返しのつかない事になる)
(「ツキネ。万が一の時は、回復を待たずにサイコメトリしろ」)

 美しかった珊瑚は見る影もなかった。真っ白に染まった姿に、連想した嫌な想像。
 そう、まるでこれは――

(死装束) 





「そっかそっか。やっぱりツキネちゃんも流石に疲れてるね」
『リーシャン、バシャーモ、捕虜と生命体のサイコメトリが続きました。続き、貴方様が裏に流されたプレートも。ゴルト様の来客時はなんとか起床しておられますが、それ以外は眠り続けています。本日の来客には、いつもよりも激しい念波の乱れが観測されました。何かされたのですか?』
「郵便物が届いたんだよ。待望のね」

 暗い窓から見えるスカイハイは、本日もお日柄良く輝いている。高層階の一室からでも、米粒のような少年がヒュンとスカイハイに格納されたのは確認できた。白髪の青年はベッドに腰を下ろした。寝そべっていたエンニュートが目を覚まし、愛おしげに豊満な肢体をすり寄せる。滑らかな体表を撫でると、恍惚に身を震わせた。反対に、布団に埋もれたアンノーンはすぴょすぴょと眠っている。青年の薄い唇が艶然と弧を描いた。

「白化したサニーゴはショートケーキみたいに綺麗だったよ。サイコメトリされる前に、また連絡が欲しいな」
『畏まりました。あの憐れな少年はいかがされますか。貴方が預けられたのでしょう?』
「憐れな少年? ……あぁアイドルさんか。お使いも終わったし、放っておいていいよ」

 以前、ノロシが言葉を濁したので、気にかかって一度見に行った。意外にも普通の子供で、拍子抜けしてしまった。預けた小箱は途中で開けるだろうか、開けないだろうか。そんな事はどうでも良かったが、お姫様の反応を見るに、開けなかったようだ。律儀な性格なのだろう。パンドラの箱は、開けてしまった方がきっと愉しくて面白いのに。
 (「ねぇノロシ。サザンドラの始末をつけるって息巻いてたのにどうしたの」「うるせぇなぁ――気が変わったんだよ!」「子供に負けたらしいね」「知ってんじゃねぇかぶっ殺すぞ!! あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛! あのガキ、ぜってぇ許さねぇ!」)くすくす、と青年は思い出し笑いをした。

(アイドルさんがどうしたって、ノロシの方針≠ヘ変わらないだろうな。彼は好ましいくらいに、しつこいから)

 少年のお使いが終わるまではシラユキに追っ払ってあるが、その内に借りを返しに戻ってくる。そうすれば跡形も無く、晴れ晴れとした顔で消し去って、また次の障害物へと走るのだろう。彼も自分と同じく、そのように生きるしかない$l種なのだから。
 エンニュートの頬から喉、胸元に指を滑らせた。匂い立つような色香が立ち上った。既に部屋中に、脳髄まで痺れるような甘い香りが充満している。薄れてしまえば、特定の相手にしか嗅ぎ取れない。開け放たれた窓からフェロモンが滴る。少しずつ、少しずつ。女王の足裏に陶然と頬を擦りつける下僕が、忘我の境地で熱狂する下僕の群れが、やってくる。
 ふと、あることを思いだした。以前読んだ本に載っていた言葉――『運命は、意志ある者を導き、意志なき者を引きずっていく』ツキネに囚われている彼は、どちらかというと引きずられる者に当たる。随分と疲弊した様子の子供を、マグマ団から引き取った事は、まだ記憶に新しい。
 (「僕はたくさん、悪い事をしました。……今更、何処へ行けばいいんでしょうか」)(「俺のところにおいでよ。君のお母さんは確か、トモシビの出身だろう?」)
 マグマ団がグラードンの復活と解放に失敗してしまった事は、非常に勉強になった。

 同じ轍は踏まない。

 この運命は、決して失敗させたりしない。阻む運命を持つ者がいるのなら排除するまでだ。要所の港は潰した。海水の流入も順調で、じきに大空洞内で行ける場所も増える。
 ――後は、ツキネを潰しておかなければ。

(コントロール不可とはいえ、彼女の予知夢≠ヘ厄介だ。何処まで先手を打たれるか分かったものじゃない)

 思考を巡らせる。慎重に慎重に、ツキネに関しては特に丁寧に事を進めてきた。『承知しました』と涼やかな女性の声がして、ポケナビが切れた。





「坊主がゲイシャに負ける方に1万!」「ぎゃはははは! そりゃ可哀想だ! おっとオレッちは3万で!」「ちょっとは粘れよゲイシャに5000!」「おいおい、一人くらいは大穴狙いも良いだろう? あ、ゲイシャに5万でお願いします」「みーんなゲイシャじゃ意味ねーだろー!」

 下卑た笑いとアルコール。酒臭い息に囲まれて、リクは目の前の小猿を睨んだ。

「くそ……っ!」
「うきゃきゃ!」

 エイパムが白いスカーフをこれ見よがしに弄ってみせる。真っ赤な顔で奥歯を噛みしめた。若干揺れている視界の中、自身の手持ちを確認する。お互いの場札が4枚。台札2枚。そして手札の山。台札は、右が黒のスペード4、左が赤のダイヤ12。だったら場札は――

「試合、開始!」

 ディーラーの宣言と共に、リクとエイパムの両手とついでに尻尾が動いた。リクが素早く5の場札をスペード4に重ねた。こちらにはまだ、6もある。シュパッと尻尾が風を切る。「な……っ!」重なりかけた5と6の間に、抜刀がごとき速さでクローバー4が滑り込んだ。歯噛みして退き、手札をめくった。黒のハート13。「うきゃきゃっ!」エイパムが台札に次々とカードを重ねる。遅れを取り戻さなくては――13を重ね、エイパムの隙を狙って数字の山に切り込んでいく。勝負は一瞬で決まる。負けるか!

 エイパムの手札が先になくなった。尻尾を叩いて喜び、リクはカジノテーブルに突っ伏した。

 観客がやいのやいのと好き勝手に感想を述べる。開始前はほとんどの人間が悪ノリして金額を宣言していたが、実際に賭けたものは一人もいなかった。みんなエイパムに賭けたので、賭けが成り立たなかったのだ。「そーら、一杯!」ドンと置かれたコップに、発泡する綺麗な液体が注がれた。リクはコップを掴み、ぐっと呷った。拍手があがる。
 ダン! と荒々しくコップをカジノテーブルに置いた。すかさずおかわりが注がれる。酔いに火照った真っ赤な顔でTシャツを脱いだ。既に上着に左右の靴下に靴はない。髪を縛っていた白いハンカチはエイパムの首元だ。裸足に半袖、肩で揺れる髪を振り乱し、半裸でTシャツを突きつけた。「もっかい!」「うきゃっ!」エイパムがニヤリと笑った。
 時刻は夜中の2時を回り、ゴートの夜はまだこれから。「もう今日は遅いし明日チップは稼ごう」とはソラの意見だ。リクはリーシャンの客室で横になったが、まったく眠れなかった。仕方なく散歩にでもと廊下に出ると、見計らっていたかのように現れたエイパムが降って湧いた。「どわっ!?」「ききっ!」リクとドアの隙間から侵入し、止める間もなく白いハンカチを盗み出し、ついでにリーシャンのほっぺにキスを落とし(疲れていたのか目覚めなかった)、うわなんだお前返せよ馬鹿と大声を出しかけたリクの口に木の実を叩き込んで沈黙させ、口元にしーっ! と指を当てた。なんだお前は、ともがもがする。エイパムは白いハンカチを手に廊下を走り出した。慌てて飛び出した時には後ろでオートロックが閉まったが、そんな事に構ってる暇などなく、拐かされるように先へ先へ、カジノフロアへ誘い込まれる。そうして小猿はこれ見よがしに白いハンカチとカードを掲げ、誘ったのである。

 返して欲しけりゃ、勝負しろ、と。

 ――観衆が盛り上がっている。
 驚くほどに連敗を喫するリクが、いったいどこまで脱げるかを予想する方に賭けはシフトしていた。最初は上着、次が靴下、靴、ズボンと賭けた。勝負が決まる。エイパムが何度目かの勝利に愉快そうに尻尾を叩き、リクがカジノテーブルに拳を叩きつけた。勝てない。勝てない。勝てない! 傷が開いた左手の包帯は、じわじわと赤い染みを広げている。ここまで負ければ、流石に酔いの回っているリクでも分かる。
 エイパムはここの常連なのだ。親しげに「ゲイシャ」と呼ばれ、ピーピーという口笛に余裕そうに尻尾を振っている。カジノ初心者の自分が勝てる相手ではない。

「もういちど!」
「うきゃ!」

 すっかり出来上がっているリクに勝つことは、エイパムにとって難しい事ではなかった。何度目かの勝利宣言に、何度目かの発砲する液体がコップに注がれて、震える手がカードを掴み損ねて落ちる。「意外にイケる口だなこの坊主」注いでいる奴が、空になった瓶を見て呟いた。「パンツまで賭けるかな?」「賭けるものがなくなったら、どうするつもりなんだろうな」それはそれで面白いと、下卑た笑いがドッと上がる。ディーラーはしれっとした顔で粛々と試合を進行するのみ。

「もっかい!」

 賭けるものを探して、リクの手がぺたりとトランクスに触れた。流石に止まった。

「うきゃ」

 顔を上げた。
 エイパムがスカーフにした白いハンカチの刺繍を指した。リーシャンの絵の刺繍だ。意図を理解しかねて、リクは眉間に皺を寄せた。エイパムが表情のない顔で、リクのトランクスと、リーシャンの刺繍を交互に指し、最後に白いハンカチをもう一度撫でた。観衆の男達が顔を見合わせ、ざわざわとし出す。「あぁ」とディーラーが言葉を発した。「シャン太様をご所望だそうです」
 リクが、零れんばかりに大きな目を開いた。バシッとゲイシャがカジノテーブルを強く叩く。

「きぃーッ!」

 食い入るようにハンカチを見つめる。酔いに火照った赤い頬、黙りこくった理性のタガ、回らない頭はくるくると空回りを続けている。ディーラーは事の趨勢を見守っている。禁止されている事へ突っ込んだりはせず、リクの判断を待っていた。観客もようよう状況をおぼろげに理解し始め、マジかよと声が漏れる。リーシャンはここ数日、ずっとカジノに出入りしていた。知っているものは知っていた。コップに注いでいた男が、残り少ない瓶を片手にごくりと唾を飲み込む。
 リクの右手が瓶を掴んだ。「……あン?」男の手から、いとも簡単にひったくる。逆さまの瓶を大きく振りかぶった。
 
「ふざっけんじゃねー!!!!!!」

 カジノテーブルで瓶が破裂し、破片が弾丸のように飛び散る。エイパムに観衆に襲いかかったが、一番被害が大きいのは明らかにリクである。突然の蛮行に観衆はわーわーと悲鳴をあげて逃げ出し、エイパムも慌ててそれに習おうとした。ガン! とカジノテーブルに割れた瓶が突き立つ。稲妻のような怒気を感じ、ぺたりとその場にへたり込んだ。
 そろりとエイパムが振り返った先には、血走った両眼があった。

「お前ぇ、ふざけてんのか。シャン太を賭けろって、ふざけてんのかよ」

 テーブル上には瓶の割れた破片が散らばっていた。にも関わらず、リクは拳をテーブルに叩きつけた。心底怒っているのだ。新たな血が噴き出る拳をテーブルに押しつけ、ぐいと身を乗り出すと腹の底から怒鳴った。

「シャン太賭けろって言ったのか? 本気で言ってんのか? は? ふざけんなよぶん殴るぞ! オレは、死んだって賭けねぇ! そんぐらいなら素っ裸になってやらぁ!」

 そうして呆気にとられるエイパムの目の前で、トランクスに手をかけた。遠巻きにしていた観衆がざわっと視線をリクに戻す。正確にはトランクスに。いざ引き下げようという瞬間、手が跳ね飛ばされた。手裏剣のように飛んできたアンノーンが、手を抑えている。「ざqwsxcでrfvbふbn」人間には理解不能な言語を発するアンノーンは、「X」の形をしている。

「ここはストリップ会場じゃありませんよ」

 アンノーンを放ったディーラーが言った。そういやあんた、リーシャン連れてきた奴だな、と今更にリクは気がついた。いつ寝ているんだろう? カジノテーブルを振り返ると、エイパムはもういなかった。放り出された服の山から、ディーラーを務めていた部下が白いハンカチをつまみ上げた。「貴方様の勝ち≠セそうです」なんだそりゃ。どっと疲れ、ぺたりとその場に座り込む。「いってぇ!」立ち上がった。胡乱な瞳が床を訝しげに睥睨する。瓶の破片がキラキラしていた。なんでこんなところに破片が。危ないじゃないか。ぶつくさ呟いて、破片を払いのけた。
 「部屋まで送りましょう」部下が申し出て、「いらねぇ」とふらつく足で歩き出した。
 
「独りで部屋まで帰れるのですか?」
「帰れらぁ!」

 数分後、廊下で行き倒れになったリクは、部下に部屋まで運ばれた。

( 2021/01/17(日) 10:26 )