暗闇より


















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アイドルの街
Box.20 仮面の下はSecret!
 ピンクのリボンでラッピングされた小箱を手に、リクは悩んでいた。洗濯に出す為、改めたパーカーのポケットに入っていたものだ。掌に乗るサイズで、振るとカタカタと軽い音がする。宝飾品が入っているのかもしれない。誰かに相談しようにも、ソラとは病室以来、一度も顔を合わせていなかった。
 ひとまず大事に保管しておこうとポケットに戻し、朝食代わりのパンを齧った。貰ったといえば、仮面Sからのミックスオレはリクの個室に戻されていた。ライカとの試合後、衣装のポケットに入ったままだったのを、気を利かせたスタッフが置いておいてくれたようだ。まだ手をつけていない。
 隣でポケモンフーズを齧るタマザラシはいつも通りだ。昨日は怯えた様子だったが、怪我も治って落ち着いたのならば良かった。建物の中には食堂もあったが、会いたくない人が多すぎて、身を隠すように屋上に陣取っていた。早朝の風は心地よく、過ごしやすい気温だ。景色はあまり良くない。ミナモシティとは違い、立ち並ぶビル群が空を隅っこへと追い立てていた。混じり合った朝のニュースやCM、天気予報がBGMとなっているこの街では、きっと今日もバトルアイドル大会の映像が流れることだろう。
 仮面Sはどうして棄権したのだろう。リクは食べ終わったパンの袋を縛った。アイドルキングは“Love”とか言っていたが、そんな馬鹿な話がある訳がない。初対面のはずだ。だが、ユキノの言葉もどこか引っかかる。「お知り合いなんでしょう」と、彼女は不思議そうだった。

「Lonely boyデスネ、youは」

 掴みかけた思考が途切れた。屋上への自動ドアが滑るように開く。入ってきた人物の身長ぴったりの高さで、悠々と近づいてきたアイドルキングにリクは頭を下げた。タマザラシはぴょこんと跳びはねた。
 
「おはようございます……使いますか?」
「たまー!」

 立派な食堂もあるのに、わざわざこちらに来るなんて――それはリクにも言える事だったが。鷹揚にアイドルキングは手を振った。

「いや、いや。Meはyouに会いに来たのですヨ」
「ぷらら!」
「まいまい」

 逞しい足元から、プラスルとマイナンがバスケットを手に飛び出した。「Youもdoですか?」と、バスケットから彩り豊かなサンドイッチとカットフルーツを手渡してくる。タマザラシにはポフィン。遠慮するより先にタマザラシがポフィンに飛びついたので、リクもありがたくいただいた。アイドルキングはすぐ傍に腰を落ち着け、持参した水筒から紅茶を注ぐ。
 
「3つのanswerは、見つかりましたか?」

 昨日の事で会いに来たのかと思ったが、違った。虚を突かれたが、リクは答えた。

「……一人で戦わないこと」
「That's right! 君はなかなか優秀ですネ」
「たま?」

 アイドルキングがタマザラシにウィンクした。――バトルはひとりぼっちでは出来ない。昨日、アイドルキングが言いたかったのは、そういうことなのだろう。それはきっと、ノロシに勝てた要因でもあるのだ。正解したことに内心ホッとした。

「残りの二つはどうです?」
「まだ……」
「ふむ。大会はまだtodayあります。分からなかったら、ソラboyにpowerを借りるのもOK」
「ソラは、どこにいるんでしょう」
「すぐ傍にいますYO」
「どこにもいないじゃないですか」

 不満そうにリクは唇を尖らせた。答えになっていない。アイドルキングは笑い皺の刻まれた目元を緩ませた。

「見ようとしないものは、決して見えない%嘯ヲのhintです」
「オレは別に、ソラを探していないわけじゃ」
「フフフ。Meはyouを見つけたいと思ってココにcomeしました。それと同じ事です」
「そうかなぁ」

 謎かけはもう良いよ、とリクはカットフルーツに手を伸ばした。食べやすく切られたオレンの実は柔らか――くない。ガリッとした固い食感に、咳き込んだ。吐き出したカットフルーツ? がコロコロと転がる。
 動揺して問いかけるような瞳を向けると、アイドルキングはしたり顔だった。プラスルとマイナンが、カットフルーツっぽいものをバスケットから取り出し舐め始める。タマザラシは興味津々だ。見た目と食感がまるで違う。目を白黒させるリクに、アイドルキングはカットフルーツを模した飴を取り上げた。

「見ようとしないものは、決して見えない=\―そのcandyみたいにネ」





 結局ソラは見つからなかった。観客席にいるかもしれないと思い、早めに会場に入った。すでに衣装に着替え、化粧は済ませてある。目立つけれどここまで来たら、男だとバレる方が化粧より嫌だ。客の視線をちらほらと感じる。開始まで大分時間があるというのに、まばらに人が集まりつつあった。視線から身を隠すように縮こまってソラを探すと、見覚えのある黒髪が振り返る。

「おはようございます、リクさん」
「お、おはよう」

 へらっとリクは笑った。着替えていて良かったという思いと、同時に着替えなきゃ良かったと複雑な気持ちだ。「随分早いね」リクが言うと、ユキノは「楽しみで早めに来てしまいました」とにっこりした。

「本日の第一試合は、わたくしと仮面Sさんのバトルですもの。ようやく片思いが実ります」
「かた……あの、もしかして片想いって、いうのは」

 昨日、ソラに言っていた台詞と全く同じ言葉だ。仮面Sにも使っているとのはどういうことか。ユキノはきょとんとした後、目を細めた。

「バトル以外に、何がありますの?」
「そうだね。そうか、なんだ……」

 勝手に勘違いしたとはいえ、紛らわしい。ホッと胸をなで下ろしたリクに、ユキノが近づいた。ギクッと後ずさりかけたが、その前にユキノの手が肩に乗る。

「他に何か、ございますの?」

 ふわっと鼻を掠める香りは、ユキノが使っているシャンプーの香りか? タマザラシの入ったボールがガタガタと暴れている。無意識にリクはボールを抑えた。パクパクと陸に上がった水ポケモンのようなリクの口から、ユキノの言葉が這い上る。「ねぇ、リクさん」ユキノが囁く。誘われるように開きかけた口が、突如首根っこを引っ張られてガチンと閉じた。「ぐっ!?」猫の子のようにくるりと誰かの背後に回される。三度目だ。強い既視感に、相手を見もせずリクは怒った。
 
「だから、首を掴むな!!」

 パッと手が離され、呼吸が楽になった。羽根モチーフの仮面が一瞬こちらを見たので、リクは驚いた。動かないその仮面は、そっぽを向くようにユキノの方へ視線を移した。一緒に細い三つ編みが翻る。ユキノの両の瞳が素早くその人物を映し取った。

「そんなに睨まないでくださいまし」

 リクとユキノの間に立っていたのは、仮面Sだった。「心配なさらなくても、わたくしの想い人はあなただけですわ」仮面Sが口だけ動かした。器用にも何かしら読み取ったらしいユキノはころころと笑い、優雅に背を向けた。ユキノがいなくなって、仮面Sが息をつく。
 リクは自身の首を摩った。朝も考えていた事だが、符合するいくつかのことが思い起こされ、半ば確信をもって問いかけた。

「お前、ソラ?」

 仮面Sの肩が大きく跳ねた。途端にそれは鮮明に、全てが記憶と合致するように思われた。「お前なんでそんなかっこ……」言いかけて、すぐにリクは気がついた。人のことは言えない。仮面Sは少しだけリクを見て、ぼそぼそと言った。

「人違いです……」

 蚊の鳴くような声だった。リクの頭の中に「無理がある」とツッコミの言葉が浮かんだ。口には出さなかったが、顔に出ていたのだろう。仮面の下の表情は分からないが、泣きそうな雰囲気がひしひしと伝わってきた。

「ひとちがいです!」

 もう一度否定すると、ワッと仮面Sは走り去った。





「リクちゃんはやーい!」

 既に観客席に座っていたリクの隣に、コダチが座った。コダチを挟んで、引っ張ってこられたらしいライカが座る。足下にはライチュウを連れていた。第一試合開始が近い。観客席もほぼ埋まっていた。開始を待つ人々の喧噪が混じり合い、大きなうねりが熱気を伴って会場内を覆っている。いるだけで高揚しそうだ。タマザラシは相変わらずのマイペースを発揮し、膝上で飴細工を舐めている。ライカはリク達を横目で見たが、顔を顰めただけで何も言わなかった。「もぉ〜ライカちゃんたら照れ屋さんなんだから〜!」コダチがライカのほっぺたを突っつくが、その手を強めに叩き落とされた。
 会場内が暗くなる。切り裂くようなスポットライトに当てられて、ユキノがステージに現れた。司会者の煽り口上にコダチが楽しそうに手を叩き、ライカが身を乗り出した。ライチュウは真剣な眼差しでステージを注視するが、タマザラシはどっちかというとコーラを飲む映画館の子供のようだ。他方、スポットライトが当たった。司会者が張り切って紹介する。

『見事な試合運びでここまできた! 今日一番の注目試合! 仮面Sの登場だァァァァァ!』

 チャイナ風ドレスに細い三つ編みのウェーブヘア、仮面Sがゆったりと歩みでる。リクはじっと目を凝らした。先ほどその正体を確信したが、遠目だと自信がなくなってくる。気のせいだったのではとすら思う。かの人の隣に立つキルリアがリクに気がついたが、仮面Sは決してこっちを見なかった。キルリアが肩を竦め、指を一本唇に当てた。明らかにこっちに向けられている視線に、リクは苦笑いして手を振った。ニコッと微笑んだキルリアが投げキッスをすると、観客が大いに湧き上がる。タマザラシも瞳を輝かせて飛び跳ねた。

『試合、開始ー!』

 流れ出したのはノリの良い女性シンガーの曲。間髪置かず、マニューラがステージを蹴って飛び出した。一足飛びに縮んだ距離に、キルリアの反応が遅れる。爪が掠り、ガリッと仮面の表面を削った。欠片が飛び、ひびが入る。裾が翻る。仮面Sが横に飛んだ。陰のようにマニューラが追いすがる。体勢を立て直す暇さえ無く、仮面Sが舌打ちした。

「フィー!」

 牽制するようにキルリアの周囲にマジカルリーフが出現した。切っ先はマニューラに向いていたが、あいては目もくれない。執拗に仮面を狙うマニューラから逃れつつ、仮面Sが叫んだ。
 
「ユキノを!」
「フィ!」

 進路変更。キルリアがマニューラを見据えたまま、マジカルリーフはその指令格へと飛来した。「まぁ」ユキノが感嘆する。舞うようにマジカルリーフを避けるが、その葉は決して地には落ちない。マニューラがバックステップで飛び退いた。仮面Sを狙っていた爪が、主を守るべくマジカルリーフを叩き落とした。数枚の葉がユキノの着物や髪を引き裂いた。頬から流れる血に触れ、ユキノが愉しそうに嗤った。

「怖い怖い……」

 仮面Sは肩で息をしている。試合開始から数秒もない猛攻。容赦なくトレーナーをお互いに狙っている。舞台外での優雅な姿からは想像もつかないほどに、壮絶な戦い方だ。リクは無意識に手に汗を握っていた。舞台から目が離せない。キルリアが非難気味にユキノを睨んだ。仮面Sを守るように一歩前へ。
 
「フィー!」

 先ほどの倍の数のマジカルリーフが出現する。スカートのようなキルリアの白い裾が浮かび上がる。彼女は怒っていた。「リア」仮面Sが名を呼んだ。漏れ出ていたエネルギーが少し収束した。
 
「か弱いご主人様ですわねェ」

 挑発にキルリアの赤い目がギラッと光った。観客からもヤジが飛ぶ。良いぞ、と更にあおり立てるような言葉や、ふざけるな、と憤慨する声。最終日だけあって観客のテンションも高い。リク自身、肌をなぶるような観客の熱気に当てられて、食い入るようにステージを見つめた。キルリアの髪飾りのような赤い角が薄く光る。煙る闇にヴェールのような赤が明滅していた。「リア!」仮面Sが、今度は強めに名を呼んだ。黒いサングラスのマニューラが口元を歪ませた。威張るように爪を光らせ、ちょいちょいと手招きする。バチッとキルリア周囲のエネルギーが密度を増した。三度、仮面Sは警告する。

「乗るな、リア!」
「フィフィッ!」

 キルリアの赤い瞳が燃え上がった。白い頬に朱が走る。沸騰するように、瞬間的にマジカルリーフが更に数を増して洪水のようにユキノ達へ急襲する。「危ない!」リクは腰を浮かせた。虹色の濁流がステージを飲み込む。刹那。ユキノを抱えたマニューラが飛んだ。
 マジカルリーフが追尾する。天井高く跳躍したマニューラが、ステージ上部の簀の子を切り裂いた。重量感のある金属製のスコールがマジカルリーフと衝突した。落下する複数の照明が混乱気味に乱反射する。無軌道な光はステージを明暗の波間に引きずり込んだ。マジカルリーフだけが輝く軌道を描いてマニューラを追いかける。
 リクは目がチカチカした。激流の天の川を見ている気分だ。これが計算された結果だとすれば、これ以上無く美しいステージといえる。暗闇の中、天井の延長コードに掴まったマニューラが氷柱針を放った。ユキノの姿はない。きらめく天の川が氷柱針と衝突する。
 リクの横、会場内通路にスタッフが機械と共に駆けつけた。予備照明がステージを照らし出す。眩しい。目を庇いながらも注視し続けるステージ上では、仮面Sもさすがに手を翳していた。黒い影が延長コードの蔓を離れ、キルリアへと肉薄する。振り下ろされた爪をキルリアの双眸は映せなかった。瞳を灼く突然の人工光が奪った視力が回復する頃には、強烈な一撃が肉を抉っていた。

「フィッ!?」

 お仕置きは効きましたか、と。崩れ落ちるキルリアを、熱の籠もった視線でユキノが嘲った。自身の勝利を確信している。引き上げられた口角が、黒々とした三日月を模っていた。重たい攻撃に揺らめく視界の中、キルリアがステージ上で羽虫のようにもがいている。「フィ……グッ……!」立てない。恍惚としたユキノの視線が弱々しいキルリアの頭部に落ちる。キルリアの赤い瞳に涙がにじみ、ぐるぐると回って――混乱していた。
 仮面Sが息を吐いた。ユキノがピクリと眉を潜める。急速に、心地よい優越感に、苛立ちの波が泡だった。相手の仮面から覗く双眸は、試合前と変わりなく冷静さを保っている。いっそう逆巻く感情が、怒りさえ滲ませてユキノを支配した。

「まだ、戦え――」
「私の負けです」

 遮って、仮面Sがリタイアを宣言した。

『ユ――ユキノちゃんの勝利ー!』

 司会者がマイクに齧りついた。観客にどよめきが広がっていく。キルリアが赤い光に飲み込まれ、ボールに戻った。お疲れ、と仮面Sがボール越しに労る。呆気ない終わりだった。まだ続くと思っていたリクも、拳を握ったままぽかんとしていた。

「残念だけど、妥当な判断やな」

 同じく呆気にとられていたが、先に我に返ったライカが深く息をついた。「もうちょっと見たかったなぁ」と、コダチがジュースを啜る。数秒遅れて、リクは首肯した。緊張の連続だった。誰もが気を緩めた瞬間、
 
「つじぎり」

 無機質な声が響いた。
 風切り音がいやに耳についた。振り返ったステージから、仮面Sの体が宙に飛んでいた。衝撃音。ステージから吹っ飛ばされたのだと、理解する前にリクは駆けだしていた。
 仮面Sは観客席に頭から突っ込んだように見えた。客席から悲鳴が上がる。先ほどとは別種のざわめきが、吹っ飛んだ少年を中心にして波紋のように広がっていく。床に落ちた仮面が割れていた。ウェーブの髪が、チャイナ風ドレスが、その中で、見慣れた少年の顔に止めどなく赤が滴っていた。ステージ上のユキノは、表情が抜け落ちたような顔をしていた。襲いかかったマニューラが赤い光に吸い込まれる。
 
「ソラ!」

 救護班が走ってくる。リクは名前を呼んだ。返事はなかった。焦燥感がせき立てる。手早くストレッチャーに乗せられたソラに縋りつくリクを、救護班が押しとどめようとした。離れない。真っ青な顔で狂ったようにリクは名前を呼んでいた。
 
「急げ! 意識が無いぞ!」
「ソラ! ソラ!」

 ――あの時。
 「危ない」と叫んだウミの顔が、やけに頭に浮かんで、離れなかった。

( 2021/01/02(土) 09:51 )