Box.18 巷で噂のあ・の・子!
街中にはバトルアイドル大会が放送されており、リクは落ち着かない気分になった。『生中継』のマークの入った画面から、司会者の声が聞こえてきた。『まさに圧倒的! ユキノちゃんの勝利だー!』勝敗を喫したようだ。次の試合はリクだ。街に下降し始めているサザンドラも分かっているようで、やや急ぎめに飛んでいた。風圧で顔が痛い。
上空に黒点が一つ。
真っ青な空に落ちた染みは急速に広がり、羽ばたきが近づいた。
「けひゃっ」
ぬるりと鼓膜を叩いたかと思うと、それは急速にサザンドラ達に襲いかかった。
「――ッ!?」
「けひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
嘲笑。刹那に切り裂いた一閃が、リクをサザンドラから叩き落とした。サザンドラの眼が急襲した敵・バルジーナと落下するリクの間で迷う。「たまー!」タマザラシがリクを追って飛び降りた。放たれた冷凍ビームが落下するリクの衣装と電線をつなぎ止めた。悲鳴と共にガクンと減速するリクを確認したサザンドラに、骨が飛来する。掠った。サザンドラは上空に逃れ、バルジーナが挑発気味に鳴いた。
「けっひゃひゃひゃぁ!」
「ゴォオ!」
サザンドラが咆哮し、視界にバルジーナを捉える。「喧嘩を売るなら買うぞ」と言わんばかりに、高度を上げるバルジーナをサザンドラも追いかける。
「たま! たまま!」
「うあっ!?」
一方こちらでは、遅れて降ってきたタマザラシがリクにしがみついた。重さに耐えかねた電線がブツン! と切れた。瞬間、濃縮されたノイズ音がして、無数の火花がはじけ飛んだ。リクだけでなく、通行人からも悲鳴が上がった。タマザラシがぎゅっと目をつぶって丸くなった。付近の画面やスピーカー、信号機の音や光が次々と暗転する。「女の子が!」叫び声。衣装に降り注いだ火花が猛々しく咲き誇る。熱い。思考が灼ききれる前に、リクはタマザラシを抱きしめた。
衝撃は来なかった。柔らかな金色の体毛に受け止められた。
「君、大丈夫?」
白髪の青年が覗き込んできた。目をパチクリさせ、リクは頷いた。「たま?」と腕の中のタマザラシがもぞもぞした。
「空から女の子が!」「消防車を!」「鎮火鎮火!」「急にどうなったんだ!?」「何々!?」「一体何がどうしたってんだ!」
ざわざわと人が集まってきた。飛んだ火花から出火した小さな炎がそこかしこで盛り、人々が右往左往しながら騒いでいる。キュウコンは赤い瞳を細め、そっとリクを下ろしてくれた。
「火傷してるね。衣装も」
青年は手早くリクの状態を確認し、自身の来ていたパーカーを脱いだ。リクの肩に着せると、そのフードを引き上げた。「あの!」ハッとしたリクが慌てて返そうとすると、青年は言った。
「ここでその格好は目立つんじゃないかな? アイドルさん」
「あ……」
アイドル衣装は少し焦げていた。「移動しようか。怪我の手当もしたいし」青年はキュウコンを戻し、リクの手を引いた。流されるままにリクは引っ張られる。寝不足気味の頭はうまく働かない。タマザラシはリクに強くしがみついている。よほど怖かったんだな、とリクはタマザラシを持ち直した。「こっちだよ」と青年は喧噪に背を向け、路地へ入った。足下がひやりとした。
「ウォン」
路地裏の影から、ヘルガーが歩み出た。近づいてきたヘルガーの頭を青年が撫でた。ヘルガーはリクにぺこりと頭を下げると、背後に回り込む。穏やかな赤い瞳でリクを見上げてくる。「ヘルは、君が心配みたいだよ」青年が微笑んだ。その瞳も透き通るような赤色で、全く違う赤のはずなのに、不意にリクはノロシの燃えるような髪の色を思い出した。青年の髪は白い。右側の顔は、長い白髪に隠れて見えない。
青年が先導し、ヘルガーはリク達を守るように最後尾についた。途中、リクはフッと肩越しに振り返った。曲がった路地裏の先は見えず、ヘルガーが不思議そうにリクを見返してくる。ヘルガーの濃く落ちた影は、暗い路地裏でも分かった。
路地を抜けた先の公園で、青年は木の陰にリクを座らせた。「顔と、腕に少し火傷してるから、これを塗りなよ」と、火傷薬をくれた。「ありがとうございます」戸惑いつつ、リクはありがたく薬を塗った。「あと、足も少し焼けてるね」青年の指摘にリクは右足を触った。分かりにくいがわずかに赤くなってる。タマザラシの火傷も確認し、リクは薬を塗ってやった。タマザラシはずっと黙っている。
青年がリクをじっと見つめた。
「あのサザンドラ、君のポケモン?」
「サザン――? あ!!!!」
リクは空を見上げた。旋回する影がひとつ見える。サザンドラの姿だ。先ほど襲ってきたポケモンの姿はない。木に隠れてリクが見えないのか、サザンドラはビルの向こう側に行ってしまった。
「やっぱり君のサザンドラか。凄いな、その歳で」
青年が感心したようにいうものだから、リクはぶんぶんと首を横に振った。
「オレのじゃないです。ちょっと事情があって預かってて」
「そうなの?」
青年がきょとんとする。改めてみると酷く美しい青年で、赤い瞳はビー玉のように透き通っている。「んー」と唇に指をあて、言葉を続けた。
「でもサザンドラを預けてもらうなんて、よっぽどトレーナーに信頼されてるんだね」
「ち、違います。えっと、その、トレーナーが、今少し……行方、不明で……」
白髪の青年が目を見開いた。しまった、とリクは思った。話しすぎた。青年は「大変そうだね」とリクに同情した。
「行方不明の人は、どんな人? 僕も探してみるよ」
青年は事情が分からないなりに、リクを元気づけた。「気を強く持って。きっと大丈夫だよ」リクはじわっと涙が滲んだ。青年の優しい言葉が胸に沁みる。「うん……ありがとうございます……でも、大丈夫です」首を振った。ヒナタが行方不明なのは表向きは秘密だし、この親切な青年を巻き込みたくなかった。「そう」と、青年は残念そうに眉を寄せた。
サザンドラの声がかすかに聞こえ、リクは再び空を仰いだ。サザンドラがまた姿を現している。「ヘル」と青年が言うと、ヘルガーが上空に向かって遠吠えした。
「ウォォーン!」
「!」
サザンドラが気づいた。影がこちらに向かってくる。
「お迎えも来たみたいだし、僕はもう行くね」
踵を返しかけた青年を、リクは「パーカー!」と呼び止めた。「君にあげるよ」と、青年は柔らかく返却を拒んだ。
「でも――」
「またね、アイドルさん」
それ以上は言い募れなかった。ヘルガーと一緒に路地裏へと姿が消える。青年と入れ替わりにサザンドラが舞い降りた。「わぁっ!」有無を言わさずリクの体をつかみ、木々を揺らして飛び立つ。タマザラシを落とさないようにしっかりと両腕に力を込めた。タマザラシが小刻みに震えていることに気がついた。
「タマザラシ?」
大丈夫だよ、とリクは囁いてタマザラシの背中を優しくなでた。手に触れた尻尾裏の手触りが違った。火傷だ。最初に確認したとき、気がつかなかった。
「ごめん。戻ったら薬を塗ろう。オニキスも大丈夫か? 怪我してないか?」
「ゴ」
サザンドラはぶすくれた顔で一声鳴いた。こちらは問題なさそうだ。リクは苦笑した。バトルアイドル会場に戻ると、スタッフが飛んできた。「遅れてごめんなさい、試合は!?」とリクが問うと、「相手が棄権しました! リクちゃん早く治療しないと!」「顔に! 顔に火傷が!」「もっと自分を大事に!」二匹は回復装置に預けられ、リクは医務室のベッドに担ぎ込まれた。
「大丈夫ですか」
医務室に入ってきたアイドルキングが言った。「Youが街中で落下したと」リクはベッドから起き上がって一部始終を話した。突然襲われて、親切な人が助けてくれた、と。
「何はともあれ、youが無事でホッとしました。助けてくれたguyにもmeから後でお礼を伝えなくては」
名前! リクは声を上げた。名前を訊くのを忘れていた。髪が白かった事や持っているポケモンの事しか分からない。とにかく覚えている特徴を伝えると、アイドルキングの顔色が一瞬変わった。
「何か、青年からもらったりしましたか?」
「どうかしたんですか?」
リクは問い返した。アイドルキングは言った。
「お礼ついでに、返却するものがあればと思いましてネ」
――大丈夫だから寝ていなさい。
アイドルキングの顔が、“嘘をついた親”とわずかに重なった。反射的に口が動いた。
「何も貰ってません」
「本当ですか?」
即答したリクに、アイドルキングの目が細くなった。疑っているのだとすぐに知れた。逡巡し、ポケットから火傷薬を取り出した。アイドルキングは「ふむ」と言って火傷薬を確認し、「他にはないですか?」と言った。
「それだけです」
パーカーは返さなくていいと青年は暗に断った。“返却するもの”ではない。手当のために脱がされたパーカーは、ベッドシーツの下だ。話題を無理やり転換するように、リクは別の問いを投げかけた。
「ところで、試合はどうなったんですか?」
「仮面Sなら、棄権しましたヨ」
アイドルキングは素直に話題転換に応じてくれた。火傷薬を自身のポケットに滑り込ませる。返ってきた答えは先ほどスタッフに聞いた内容と同じだ。そうじゃなく、理由が知りたい。リクはイライラしていたが、アイドルキングは明確な回答を与えてはくれなかった。
「Why? という顔ですネ。Meには棄権の理由が分かりますヨ」
「理由を聞いたんですか?」
「ノン。しかし十分推測できます」
アイドルキングは両手でハートマークを作った。
「すなわち――Loveです」
「はぁ?」リクは眉を寄せた。アイドルキングが意味深にウインクする。「そんな訳で、Todayバトルは終わりました。Meはちょっと用事が出来たので、bye!」投げキッスを残して、アイドルキングは颯爽と去っていった。
治療が終わったリクは医務室を後にした。昨日の今日でジャージはまだ洗濯中との事、焦げた衣装の代わりに可愛らしい病衣を貸してもらった。女子ものしかなかった。
本当は初日と同じく医務室で眠ることを勧められたが、断った。出場選手には会場のある建物内に個室が割り当てられていると聞いた。初日はほとんど眠れなかったし、本当に誰もいない部屋ならまだマシかもしれない。個室のある階層につくと、自販機の傍でウロウロぐるぐるしているコダチにリクは目を留めた。すでに彼女もステージ衣装から私服に着替えている。短パンにストライプの長袖は活動的でコダチらしかった。深く考えずコダチの肩を叩く。「どうしたの?」と問いかけると、コダチは天井を突き破らんばかりに跳ね上がった。
「ひゃああああああああああああああ!? だ、だれ!? ってリクちゃん?」
びっくりしたのはこっちだ。ぼんやりしていた頭が一瞬だけ覚醒する。同時に、「しまった」と本日二度目の後悔をした。コダチは自分を女の子だと思っている。後には引けず、「なんだか困ってるみたいだけど……」と言葉を続けた。きっとバレないと信じるしかない。
「う……うぅっ……!」
じわっとコダチの両目に涙が溢れる。ギョッとしたリクに、コダチが思いっきり飛びついた。
「りくちゃあああああああああああん! いっしょにいてえええええええええ!」
「ウワアアアアアアアくぁwせdrftgyふじこlp!」
「うわーん! 何言ってるかじぇんじぇんわかんないよー!」
「はなっはなしてえっ!」
「やだー! いかないでえええええええ!」
泣き叫ぶコダチは離れそうもない。泣きながら喋るもんだから、何が言いたいのか分からない。ヒュッと風切り音がして、コダチはリクから一瞬で離れた。獣のような素早さでその場から飛び退いたコダチに、リクはびっくりして動けない。コダチがいた場所には、氷柱針が刺さっていた。先ほどの動きが嘘のように、コダチはその場にぺたりと座り込みべそをかいた。
「こ、こわい〜! だれ!?」
「貴女、身体能力だけ≠ヘ本物ですわねぇ」
振り返ると、呆れた様子のユキノとマニューラがいた。ユキノも私服だが、私服? と首を傾げたくなるほど上品な着物姿だった。長い髪は飾り紐で結んで首の横に流している。見惚れているリクとは対照的に、コダチが噛みついた。
「技を人に向けたら駄目なんだよぉ!?」
ユキノはコダチを無視すると、リクに優雅にお辞儀をした。
「ご機嫌ようリクさん。こうしてお話するのは初めてですわね?」