暗闇より


















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アイドルの街
Box.16 Lonely Heartを撃ち抜いて
 ウミを連れてリクは洞窟を出ようとしたが、妙な気配に立ち止まった。人の気配だ。リク達もこっそり来ていたので住人であれば隠れなければいけないし、旅行者やトレーナーなら「危険だ」と注意しなくてはいけない。リクが先導し、人の気配のする方へ足を向けた。近づくと人の足音だけでなく、大きな音もし始めた。大きく光の漏れる方へ、岩陰に隠れて視線を向けた。
 そこは、人工的な光で照らされていた。リクは時々しかこの洞窟には来なかったが、それでもこんなものは前は無かったと言い切れた。岩肌は均され、地面には歩きやすいようにタイルが敷かれていた。壁はところどころ補強されていた。光はその壁に設置された明かりからだった。人の手がいつの間にここまで入ったのだろうと、リクは驚いた。何かを建造中のようだった。しかし、何を? 赤いフードに奇妙なマークの入った人間がポケモン達に指示を飛ばしている。洞窟内の海を埋め立てようとしている。その方法は荒っぽく、海中にいるポケモン達が逃げ惑っていた。投げ込まれる土砂にコイキングやメノクラゲが巻き込まれて、沈んでいった。それは、海辺に住む人間なら決してやらない方法だ。そばのウミが呟いた。

「あいつらのマーク、見たことある」
「知ってるのか?」
「お父さんがよく言ってた。マグマ団とかいう奴らだよ。全ての海を埋め立てて、陸だらけにしようとかいうとんでもない連中だ」
「この洞窟を埋め立てるのか?」
「いや……たぶん、そうじゃない」

 ウミは周囲に視線を巡らせると、「きっと、秘密のアジトにするつもりなんだ」と言った。

「戻ろう。お父さんに知らせないと」

 ウミはリクの服を引っ張ったが、リクはかぶりを振って動かなかった。土砂を投げ込んでいる団員を顎で指し、「今ぶっ倒してやろうぜ」と主張した。

「あいつらは今、二人だけ。オレとお前も二人だ」
「でも奴らは大人で、僕たちは子供だよ」
「カントーのヒーローだって子供だったんだぜ」

 リクはすっくと立ち上がり、腰のモンスターボールを手に取った。中のアチャモもやる気満々だ。見た限り、マグマ団が使っているポケモンは大して強くなさそうだ。自分とウミなら間違いなく勝てる自信があった。引っ張ってくるウミを無視して思いっきりモンスターボールを投げ込んだ。モンスターボールはマグマ団のドンメルにぶち当たった。跳ね返ったボールからアチャモが至近距離で飛び出す。

「な、なんだ!?」
「シャモ、けたぐりだ!」

 アチャモがドンメルの足を思いっきり攻撃した。ドンメルが悲鳴をあげ、前のめりに海へ転がり落ちた。動揺する団員に、飛び出したリクが体当たりを食らわせた。「ぐっ」とうめき声が聞こえ、一緒に倒れ込む。もう一人の団員が「マグマッグ、スモッグ!」と叫ぶ。やばい。リクは転がって身を起こした。「神秘の守り!」「リー!」灰色の煙が光の帯域に遮られ、スモッグは強めの風に姿を変えた。声の主を確認もせず、リクはマグマッグを指さした。

「砂かけ!」
「ちゃも!」

 毎日ミナモシティの海岸で鍛えているアチャモの脚。大量の砂を一心不乱にかけまくり、そのまま傍の団員を巻き込んだ。湿気の多い砂はもはや砂かけというより泥かけに近い。怒ったマグマッグが火の粉を飛ばすが、悠々と躱した。「シャン太、念力だ!」「リ!」立ち上がった団員ごと、不可視の力がマグマッグを海に叩き込んだ。ウミのフォローに、リクは振り返って親指を立てた。ウミが急に顔色を変え、叫んだ。「危ない!」

「――え?」

 ガツッと強い衝撃に、記憶はそこで途切れた。





「――その先は?」

 ソラは厳しい顔で続きを促した。

「アジトがバレたマグマ団は、逃げたよ。その後アクア団が来て、そのまま改装して自分たちのアジトにしたらしい。母さんに聞いた」
「頭を殴られて、それで、ウミはどうなったんだ」
「分から、ない」

 リクは顔を覆った。切れ切れの言葉が記憶の端から口に零れていく。

「目が、覚めたのは、病院のベッドの上だった。ジュンサーさんに全部話して謝って……いくら待っても、誰に訊いても、ウミとアチャモには、二度と会えなかった」

 目が覚めたリクの傍にいたのは、ウミのリーシャンだけだった。ウミは? アチャモは? リクが何を聞いても、「大丈夫だから寝ていなさい」としか両親は言わなかった。
 一度だけ、ウミの父親がやってきた。「シャン太を迎えに来た」と彼は言ったが、リーシャンはリクの傍を決して離れようとしなかった。無理矢理に引き剥がそうとすると大声で鳴き叫んだ。リクが「ウミは?」と尋ねると、ウミの父親は黙った。ウミは無事なのか。どこにいるのか。リーシャンをどうして迎えに来ないのか。リクの父親は「ウミ君は、怪我をして来れないだけだ」と言ったが、「そんなの嘘だ」とリクは悲鳴のように叫んだ。その瞬間、ウミの父親の体がぐわっと大きくなった。拳がリクの頬を撃った。
 
「お前がッ! 息子がああなったのはお前のせいだ!」

 リクの父親が興奮する彼を抑え、リクは母親に抱きしめられた。母親の腕の中から見えた、ウミの父親の目――彼は二度とリクの元を訪れなかった。
 リクはそれから、戦うことをぱったりとしなくなった。ポケットには返し損ねたハンカチが入っていた。だんだん、だんだんと、自分の引き起こしたことの恐ろしさを理解すると共に、それは重苦しくリクにのしかかった。街の端々でウミの影を見た。アチャモの鳴き声を聞いた。生ぬるい気配を感じるのに、振り返っても誰もいない。リーシャンは、呪いのようにリクの傍を離れなかった。

「どうして、洞窟に行ってしまったんだ。なんで、なんで……ウミの言うとおりにしてれば、良かったのに。オレが馬鹿なこと考えなければ、良かったのに」
「お前が悪い訳じゃない」
「……止めてくれ」
「お前はただ、さよならを言いたかっただけだ。洞窟に入ったことは悪いことかもしれない。子供だけで悪党に挑んだことも。でも、お前は決して、こんなことになるなんて、思ってた訳じゃないだろ」
「思うわけないだろ!」

 リクが叫び、驚いたタマザラシが目を覚ました。キルリアがタマザラシを撫でた。
 ソラはリクを赦そうとしていた。それはリクにとって喉から手が出るほど欲しい言葉だったが、受け入れられない言葉でもあった。赦されないことで苦しかったとしても、その想いを手放すことが恐ろしかった。

「どう考えてもマグマ団が悪いだろ。捕まったのか?」
「……ッ」
「捕まってない、のか?」

 「違う」とリクはぶんぶん頭を横に振った。情けない顔で、「解体した」と告げる。
 
「マグマ団も、アクア団も、ホウエンのチャンピオンが、新しいチャンピオンと一緒に倒して、二つとも自然保護団体になったんだって。新しいチャンピオンは、12歳なんだって聞いた。小さい頃、オレは「自分がヒーローになるんだ」なんて思ってた。笑えるだろ。馬鹿みたいだ。大したことないくせにのぼせ上がって、余計な事をした。なにがヒーローだ。なにがライバルだ。オレのせいでウミとアチャモはいなくなったんだ!」
「待ってくれ、理解が追いつかない。自然保護団体ってどういうことなんだ? ウミは、どうなったんだ?」
「知らない。分からない。警察は何も教えてくれない。みんなも何も教えてくれない。オレが子供だからか? 弱いから? 馬鹿だったから? 「心配は要らない」「君は知らない方が良い」そればっかりだ! どうせヒナタの事だって、みんな誤魔化すばっかりだ。嘘ばっかりだ。何も、何にも分からなかった……いくら調べても、何も……」

 声はだんだん、小さくなっていった。時が過ぎるほどに、街は日常へと還っていった。ウミも、アチャモも、帰ってこないのに。両親も友達も、その話題を決して口にしなかった。避けていた。最初からそんな人もポケモンも、存在しなかったとでもいうように。
 気にするな。もう忘れなさい。君が悪い訳じゃない。過去に囚われてはいけない。君は赦されるべきだ。きっとウミもこんなこと望んでいない。馬鹿なことを考えるな。

 君は、未来ある少年なのだから

「勝手なことばっかりだ」
「お前だって勝手だ」
「オレのどこが――」
「ウミとの約束を破った」

 鋭い言葉をソラは突きつけた。ソラは何も知らないが、一つ確実に分かることがあった。リクの話は1年と少し前の事。リクはミナモシティから、リーシャン一匹と一緒に来た。他のポケモンは持っていなかったし、他の街から来たわけでもなく、ソラの知る限り、バッジも持っていなかった。

「俺はウミが何を考えているかなんて分からないけど、リーグを目指すってウミと約束したんだろ。忘れた訳じゃないんだろう」
「ウミは、オレのせいでいなくなったんだぞ」
「ウミが言ったのか?」
「言えるわけないだろ! でも、そうじゃないか!」
「お前が勝手に思ってることだ。みんな勝手だって言うなら、お前だって勝手だ。勝手にウミの望みを決めて、勝手に約束を破った。死んでいるか生きているかなんて分からない。でも、お前がウミやアチャモを忘れないって言うなら、約束だって守るべきなんじゃないか?」
「分かってるよそんなこと!」

 喉が裂けんばかりにリクが吠えた。握りしめた手は白くなっていた。ソラの言葉は槍のようだ。心の弱い部分を、否定できない部分を容赦なく突き刺した。激情をぶつけるように、リクはわめき散らした。
 
「仕方ないだろ! オレにリーグなんてチャンピオンなんて、目指せるわけない! オレはヒーローなんかじゃなかった! ただの馬鹿だ! 怖くて、情けなくて、申し訳なくて、苦しくて、どうにもならなくて、旅どころか、バトルすら怖くなった……負けるのも、傷つけるのも、怖い。指示なんて出来ない……焦ってばかりで、リーシャンも、タマザラシも、結局は傷つけて……どうしたら良いんだよ……戦いたくなんてないよ……オレのせいで誰かが傷つくのも、いなくなるのも、もうたくさんだ」

 とうとうリクは泣き出した。「たまたま」と、タマザラシがキルリアの膝から飛び降り、ベッドへと飛び乗った。短い手足をパタパタと動かし、むいっと自身の顔を大きく引っ張った。元気づけてくれようとしているのはリクにも分かった。けれど、とてもそんな気分にはなれなかった。リクはタマザラシを片手で押しやった。
 
「リク、タマザラシは――」
「タマザラシを連れていってくれ」
「でも」
「一人になりたいんだ」
「……分かった。明日もあるから、少しは休んでおけよ」

 ソラが立ち上がると、扉の傍で音がした。ソラは扉を開けて廊下を確認したが、誰もいない。「気のせいか」と呟く。「じゃあまた」と肩越しにリクに告げると、キルリアとタマザラシを連れてソラは出て行った。





『さぁ二日目第一戦! 初日は圧勝! さすがの貫禄! 前回優勝の実力は伊達じゃないッ! 謎の仮面Sの登場だー!』

 舞台袖からふわりと、優雅な動作でチャイナ風ドレスの人物が歩み出る。歓声がいっそう大きくあがった。前席では早くも頑張って☆S!∞こっち向いて!∞素敵!%凾フ団扇が踊っている。キルリアが可愛らしくお辞儀をして、Sは手を振った。
 
『そしてこちらは一勝一敗! 軽やかな森の妖精! 今日翻るのはキャプチャーではなくミニスカート! コダチの登場だー!』

 バッと司会者が手を向けるが、出てこない。『……おや?』司会者は眉を寄せて、舞台袖を注視する。舞台袖のカーテンの影に、確かにコダチがいることいる。しかし怒られたガーディのような情けない顔で、ぷるぷると隠れていた。ルンパッパもトレーナーの不安が伝わっているのか、やたらめったら手のマラカスを振っている。司会者は『うーん、今大会は恥ずかしがり屋が多いみたいですねHAHAHA!』と誤魔化しつつ、素早くマイクのスイッチを切り替え囁いた。『スタッフ、コダチちゃんを舞台に出して!』またかよ、という顔で飛んできたスタッフがコダチとルンパッパの背中を押した。「どーしたのコダチちゃん。昨日はあんなに元気だったのに」「いやだってそのあうあうあう……」「るんぱー!?」
 嫌がるコダチと押してくるスタッフとひたすらマラカスを振るルンパッパ。Sは肩をすくめると、キルリアに目配せする。キルリアの体が仄かに光った。ぎゃーぎゃー団子になっていた3人の中から、コダチだけがふわりと浮かび上がった。

「はえ? えっ嘘嘘嘘! ルンパッパ助け――ああああああああああああああああ!?」

 ひゅーんっとコダチは舞台袖から引っ張り出された。「るんぱっ!?」びっくりしたルンパッパがマラカスを放り出してコダチを追いかける。コダチはSの目の前でぽてっと落とされた。「ひっ!」と短い悲鳴をあげた。怯えた目でSを見上げるコダチに、Sは高めの作り声で言った。
 
「良い試合しましょうね、コダチさん」

 仮面の奥の目は、笑っていなかった。

「ハイ!」

 ピシッとコダチは直角に立ち上がり、駆け足でSの反対側に立った。ルンパッパもリズムの合っていないステップで踊りながらついていく。

『では揃ったところで! 試合開始ー!』

 司会者が始まりを告げた瞬間、席を立った観客がいた。隣に座っていたユキノが問いかける。

「どちらへ?」
「どこだってええやろ。あんたに関係あらへん」
「自分の試合を思い出すんですの?」
「ハ?」

 ライカはキッとユキノを睨んだ。自分の試合――ライカと仮面Sの試合の事だと、ライカにはすぐ分かった。ライカの足下にいたライチュウも、パリパリと静電気を走らせ威嚇する。対するユキノはコロコロと笑い、控えるマニューラが護衛のように爪を見せつけた。
 
「あら怖い。いけませんわ、アイドルがそんな顔」
「あんたユキノとかいったな、うちの次の対戦相手の。喧嘩売っとるんか?」
 
 ライカが憎々しげに言った。ユキノは口元を片手で隠し、目を細めた。

「嫌ですわ。わたくし、事実を口にしただけですのよ」

 ライカの髪がぶわっと逆立った。ガツンと自身のパイプ椅子を蹴る。ライチュウが纏う静電気を強くした。マニューラはサングラスでわかりにくいが、全身から迸る雰囲気は刃物のようだ。ライカは怒鳴ろうと口を開きかけたが、舌打ちした。どうにも口で勝てる気がしなかった。怒りを落ち着かせようと、ステージに視線を向ける。一方的な展開だった。勝敗は目に見えている、面白くもない試合。
 だが今席を立てば、なんだか逃げ出したみたいで嫌だ。イライラしながら乱暴に椅子に座り直す。ユキノがライカに話しかけてくる。

「気がついてます?」

 無視するライカに構わず、ユキノはステージを見つめて話しかけ続ける。
 
「あの方、昨日と戦い方が違いますわよね」
「知らんわ」
「わたくし貴女の事、馬鹿とは思っていますけど、鈍いとは思っていませんのよ」

 この女ぶん殴ってやろうか、とライカは青筋を立てた。ステージ上の試合は、昨日のライカとリクの試合より、ややマシ、という感じだ。コダチは不調のようでタイミングが狂ってばかりだし、仮面Sは妙に丁寧に℃詩をしている。リクと自身の試合を思い出し、ライカは不機嫌を全面に押し出した。
 
「ネチネチネチネチと。嫌な試合しよるわ」

 指導バトルを連想させるような戦闘の運び方。ライカは初日に仮面Sと戦ったが、その時の感触からして、仮面Sはもっとスパッと試合を終わらせられる。仮面Sの試合運びがおかしいのは、ライカも気にならないといえば嘘になる。

「理由は、なんだと思います?」
「はぁ、理由ねぇ……恨みでもあるんやない?」
「そう、それですよ」

 ユキノはステージを見つめながら、食い気味に答えた。その目は輝いていて、まるで獲物を見つけたレパルダスのようだ。

「昨日コダチさんとSさんの間に何かあったんだと思いますのよ。それって何でしょう?」
「うちが知るわけないやろ」
「それは残念。コダチさんと仲良さそうでしたのに」
「あんたこそ、あのSをやたら気にしとるな」

 ――次の試合は、自分が相手だというのに。
 続く台詞は飲み込んだ。ユキノは「ええ、当然です」とサラリと述べる。

「わたくしは強く、優雅で、美しいトレーナーが好き。わたくし、仮面Sさんとバトルアイドル大会で優勝争いをしたことがあるんですが、その時からあの方は美しく、そして強かった」
「ほぉ。んであんたは負けたわけやな。はは、ざまみろ」

 ユキノが負けたと知って、ライカは少し気分が良かった。その事実だけで仮面Sを応援したくなるほどだ。どストレートに嘲笑したが、ユキノはけろりとしていた。

「うふふ。この大会で再会できたなんて、これって、運命だと思いません?」
「ああ〜はいはい。運命通り、もっかい負けるんちゃうか?」
「いいえ、それはまかり成りません」
「今度は自分が勝つって?」
「ええ。今度はわたくしがあの方を這いつくばらせる番です」
「ええ趣味しとるなァ」

 ライカは冷ややかだった。ユキノの言葉は冗談ではなく、本気の声音だった。その瞬間を想像でもしているのか、うっとりと目を細めている。
 
「わたくし、同年代に土をつけられたのはあの方が初めてでしたの。あの方の唇、声、目。全て、鮮明に覚えています。あの方は本当に美しく、聡明で、そして――なんて、憎らしい」
「あんたキモいわ」
「大丈夫ですわ。あなたにそういった感情を抱くことは、決してないでしょう」

 ユキノはライカを嘲った。ライカの片眉があがる。暗にユキノは、次の試合の勝利を確信していると告げたのだ。ライカは奥歯を噛みしめた。
 怒るな。次の試合で、目にもの見せてやれば良い。分からせてやれば良い。ライカは心の中で唱えた。相手のペースに乗せられてはいけない。
 
「勘違いされてますけど、わたくし、負けたのがあの方で良かったと思ってますの。優雅で、美しく、強い。もし仮に、全く違う……そう、あなたのような野蛮なトレーナーに負けたとあれば、我慢ならなかったでしょうね」
「ふざけ……ッ」

 耐えきれずライカは立ち上がり、手を振り上げた。が、その手がユキノを撃つことはなかった。足下のライチュウが動揺している。「らい!?」ライカの首元にマニューラの爪先が当たっていた。ひやりとしたものを背中に感じた。

「ふふ、ライカさんには少し難しい話だったかもしれませんわね?」

 そしてユキノは「あら、もう終わったみたいですわ」とステージに視線を戻した。『おーっとこれは! 謎の仮面Sの勝利だー!』司会者が叫び、ステージ上の画面いっぱいに謎の仮面S win VS コダチ lose≠ニ表示される。仮面Sがへたり込んでいるコダチに歩み寄り、何事か囁いている。コダチの顔色はかなり悪い。仮面で隠されたSの表情は窺い知れない。
 マニューラの爪が下ろされ、ライカは崩れ落ちるように膝をついた。激しく呼吸をするライカに目もくれず、ユキノは艶めかしささえ感じる目で仮面Sを見つめていた。その目つきはトロリとしていて、背筋が寒くなるほど美しかった。

「ね、ライカさん。もしフィールドに這いつくばらせ、心を踏みにじったら――あの方はどんな声で囀ってくださるのかしら。わたくし、とても興味がありますの」

( 2021/01/02(土) 09:41 )