暗闇より


















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アイドルの街
Box.15 気がついたら目で追ってるYOU☆
 ナギサタウンではポケモンも人間も、みんな家族のようだった。
 タマザラシはみんなが大切で、みんなもタマザラシが大切。お互いを大事にするのは当然のことだった。ナギサタウンは自由だった。タマザラシは気ままに海で泳ぎ、街を転がり回って生活していた。
 そんなある日、ナギサタウンを大きな地震が襲った。
 タマザラシはびっくりした。コロコロと身体が転げ回って水路に落ちて、真っ暗闇の先へ落ちてしまうところだった。なんとか助け出されたのだが、何匹かの友達は、その日から姿を見なくなった。大空洞の底に消えてしまったのだと知ったのは、しばらく経ってからだ。街を転がりながらも、どこか元気のないタマザラシをホトリが呼び止め、役目を与えてくれた。

「あの男の子は、この街に来たばかりでね。水路に落ちないように見ててくれないかな」
「たま!」

 見るからに貧弱な男の子だった。自分が守るのだとタマザラシは意気込んだ。「大空洞の底は、真っ暗でとても熱いらしいよ」と、トドゼルガが言っていた。あの男の子なんて、落ちたらあっという間に大空洞の底に消える。守らなくては。小さくて弱い生き物は、大きくはないけれど、強い自分が守るのだ。
 彼は少し変わっていた。弱くて今にも死んでしまいそうなのに、サザンドラの危機に驚くような勇気を見せた。かと思えば肩を落とし、暗い顔で思い詰める。不安定な少年は、水路でなくともいつか真っ暗闇へ落ちてしまいそうな危うさがあった。
 街を守ることはホトリの望み。ホトリの望みはタマザラシの望みでもある。しかし――

「少年を追いかけたいと?」
「たまー!」
「ふむ……よし、行ってこい!」
「たまたま!」

 それ以上にこの少年を守らなくてはいけない≠ニタマザラシは直感した。





「大丈夫か?」

 ベッド脇にはソラがいた。体は酷く重かったが、慌てて自身の服を確認した。吐瀉で汚れたためか、アイドル服ではなかった。洗濯されたジャージを着ていた事にホッとする。記憶を辿った。あの騒動の後、疲れて眠ってしまったらしい。

「大会は?」
「終わったよ。あぁ、初日が終わっただけだ。お前が寝てたのも、ほんの1、2時間だ」
「タマザラシは?」

 ソラが答えるまでもなく、隣に座るキルリアが応じた。膝上でタマザラシが丸くなり、寝息を立てている。

「回復装置に入る予定だったんだけどな。お前から離れようとしないもんだから……」
「離れないって……なんで?」
「心配だったんだよ」
「なんで?」
「なんでって……」

 ソラは「何を当然のことを」と言わんばかりに困惑していた。まるで、「ピカチュウは何故電気技を使えるの?」と訊かれたような顔だ。しかしリクには本当に分からなかったのだ。タマザラシとは出会ったばかりだし、ヒナタやサザンドラと違ってまだ弱い子供だ。おまけにタマザラシには、リクを守る義理も理由もない。ソラは気遣わしげに言った。

「お前、やっぱり疲れてるんだよ。もう少し寝た方が良い」
「オレの心配なんてしなくていいんだ」
「そんなんじゃない。ただ、疲れてるなら寝た方が絶対良いだろ」
「……夢見が悪いから、寝たくない」

 半分は本当だった。深く沈み込んでいくような夢を見た。「どんな夢を?」とソラが問うと、リクは途端に口を閉ざした。長く沈黙するリクに、ソラは辛抱強く言葉を待った。やがて観念したかのように、リクは答えた。

「友達の夢だ」
「喧嘩したのか?」
「違う……あいつは良い奴だったよ」
「あいつ?」
「……」

 リクは再び口を閉じた。唇は震えていた。開かれる直前のようでもあったし、同時にそれを恐れているようでもあった。ソラは急かさなかった。沈黙には沈黙が必要であることを、彼は知っていた。話しにくい事を話すのには、勇気と決断の時間が必要であることも。

「……オレは本当は、ミナモシティから離れられて、どこかホッとしたんだ。だからあいつらに襲われたり狙われたりしたこともきっと、罰が当たったからなんだ」
「だからって、お前がこんな目に遭って良いはずないだろ」
「そんなことない!」

 リクは即座に否定した。その言葉の強さは、あらゆる意見をはね除けるほどだった。「許さない事を許さない」とばかりにリクは続けた。

「お前、ソラ、マグマ団って知ってるか。オレはそいつらに喧嘩売って、友達は、ウミは、行方不明になったんだ。それでもそんなこと言えるのかよ」
「……ごめん。何も知らないのに、余計なこと言った」

 感情の濁流に呑まれそうだったリクは、一瞬、酷い罪悪感を覚えた。ソラは何も知らなくて当たり前だ。こんなの八つ当たりだ。
 だったら、ソラに知って欲しいとリクは思った。軽蔑して欲しい。許して欲しい。自分の罪に、判決を下して欲しい。相反する感情が心を苛み、リクは急くままに口を動かした。

「そう、か。そうだよな。ゴメン。だったら聞いてくれ。ちょっと長くなるけど、オレが馬鹿やった話だから、笑って馬鹿にしてくれ。一年と少し前、ホウエン地方で事件を起こしていた一団が二つあった。ひとつがアクア団。そしてもうひとつが、マグマ団だ」

 病室の扉の向こうで、物音がした気がした。





 ホウエン地方ミナモシティ。その街はコンテスト会場や大きなデパートが建ち、大いに活気ある港街だった。リクはそこで生まれ育ち、街を象徴するかのように明るい少年だった。父はポケモンの研究者であり、しょっちゅうフィールドワークで家を空けていた。元エリートトレーナーの母と大恋愛の末、ミナモシティに腰を落ち着けたのだと、よく惚気た。優秀な父親に、有能な母親。その血を引き継いだリクもまた、幼いながらに才気煥発な子供だった。

「シャモ、つつくだ!」
「ちゃもっ!」

 ミナモシティの子供には珍しく、リクの相棒はアチャモだった。「最初のポケモンは何が良い?」と訊かれ、子供らしい虚栄心で「他の子が持っていない、強いポケモン!」とリクは答えた。両親は顔を見合わせて、結局、アチャモをリクに与えた。「ほのおタイプじゃ負けちゃうよー!」リクは駄々をこねたが、「ポケモンに強いも弱いもないの」と母親に窘められた。何も知らないアチャモはただ、嬉しそうに駆け回っていた。
 ――人よりもよく考えること、学ぶこと、息を合わせること。
 リクは努力した。与えられたのがアチャモであれば、それで勝つしかない。勝ちたい。楽な勝負は一度たりとも無かった。負けるたびに、悔しさを飲み込んでアチャモと一緒に強くなった。図鑑をめくり、バトルの映像を研究し、人に教えを請うた。
 いつしか気がつくとリクとアチャモは、ミナモシティの子供達の中で一番強いコンビになっていた。

「ちゃもー!」
「よし、いいぞシャモ!」

 嬉しかった。ジョウトやカントーには、10歳で旅に出て、そしてチャンピオンにまで上り詰めた少年がいると聞く。彼らは天才だった。しかしそんな少年がいるのならば、間違いなく自分だってできると思った。
 彼らはその地方の少年達にとってヒーローであり、生ける伝説だったかもしれない。
 だったらホウエン地方で、最初の伝説になるのは自分だ。
 もはや敵なしだったリクとアチャモはある日、同年代の少年に負けた。衝撃的だった。年上のポケモントレーナーに負ける事なら時々あったが、すでに同年代には絶対に負けない自信があった。悔しさのあまり、毎日のように少年を探してバトルを挑んだ。

「もう一度バトルだ!」
「疲れたからもう終わり」
「お前ジジイかよ!」
「ポケモンの話だ。体の怪我が治っても、気力まで回復する訳じゃない。だからバトルはもう終わり」

 少年は淡々と告げ、相棒のリーシャンをボールに戻した。

「君のアチャモだって疲れてるはずだ」
「そんなこと――」

 ない、と言いかけ、リクはアチャモを見た。アチャモはすまなさそうにリクを見返してきて、本当に疲れているのだとリクは悟った。

「ごめん、シャモ」
「ちゃも……」
「オレを殴れ」
「ちゃも!」

 少年が「!?」という顔になったのと、アチャモの跳び蹴りがリクを撃ったのは同時だった。吹っ飛んだリクの体が海に落ちた。大きな水柱があがった。

「痛い!」
「当たり前じゃないか」
「約束なんだよ。オレが間違えたら、ちゃんと怒るって」

 ザブザブと海から這い上がり、リクは服の水を絞った。「ちゃもちゃもちゃも!」アチャモがリクに駆け寄った。心なしかすっきりした顔をしている。濡れたリクを温めようと、小さな炎を口から出した。相手の少年も、あきれ顔でハンカチを差し出してきた。

「顔拭きなよ」

 思いがけない言葉だった。リクは一瞬目を見開いたが、礼を言って受け取った。アチャモの火に当たりつつ、少年に尋ねた。

「お前さ、いつまでこっちにいられるわけ?」
「……お父さんの仕事が終わるまで」
「それっていつ?」

 少年は「知らないよ」と素っ気なく返した。本当に知らないのかもしれないが、どうでも良さそうな声音にリクはムッとした。

「じゃあ分かったら教えてくれよ」
「覚えてたらね」

 少年は目を逸らした。本当に言ってくれるのかよ、怪しいもんだとリクは思った。ふと、貸してもらったハンカチの刺繍に気がついた。少年のポケモンと名前が刺繍されていた。

「お前、ウミって名前なのか」
「返して。あげた訳じゃない」
「洗濯して返すよ」
「別にいい。どうせ安物だし」

 ウミはハンカチに手を伸ばしたが、リクはひょいと避けて自分のポケットに突っ込んだ。リーシャンもハンカチを取り戻そうとする。「リー! リリリリリ!」怒っているようだ。「戻れシャモ!」「ちゃも?」リクは急いでアチャモをボールに戻し、ダッシュで逃げ出した。

「明日返す!」
「今返してよ!」
「明日オレ達に勝ったらな!」
「なんで!?」
「リリリリリ!」

 ウミとリーシャンが追いかけてくる。いつもと逆で、なんとなく嬉しかった。
 ウミは、フッといなくなってしまいそうな雰囲気があった。街の誰とも遊ばなかった。大人とばかり話していて、よく本を読んでいた。そのときに浮かべている、作り笑いのようなあいまいな表情がリクは嫌いだった。
 ウミも相棒のリーシャンも、強かった。リクとアチャモは一度も勝てなかった。相性が悪いわけじゃない。数で負けている訳でもない。
 それでも、勝てない。
 必死で戦った。一度でも負ければ、この細い繋がりは切れてしまうと思った。あらゆる手段を使って引き分けに持ち込んだ。だんだんとウミは悔しそうな顔をするようになった。

「いい加減ハンカチ返してよ」
「今日は引き分けだったから駄目。また明日!」
「絶対今日こそは勝てると思ったのに……あと少しだったのに……」
「引き分けは引き分け!」

 ずっと一緒だと思った。

「お父さんの仕事が終わった」

 バトルは引き分けだった。「また明日な!」と言いかけたリクの言葉を遮って、絞り出すようにウミが言った。お互いに無言だった。リクは唇を噛んで、ポケットからハンカチを取り出した。綺麗に洗濯されたハンカチを、ウミは受け取らなかった。

「僕は次の誕生日で、10歳になる」

 ウミは多くを語らない。ただ、少なくともホウエン地方出身ではないだろうとリクは考えていた。ウミの服装やしゃべり方はなまりがあったし、リーシャンは別地方のポケモンだ。なにより言葉の端々から、ウミはホウエン地方があまり好きではないようにリクは感じていた。
 多くの子供は自分の生まれ故郷から旅立つ。きっとウミもそうだ。本当は帰るべき、旅立ちの地と決めている場所があるのだろう。

「オレも次の誕生日で10歳だ」
「……同い年だったんだね」
「もしオレの方が年上だったら、お前なんかコテンパンだ」
「そういうことにしといてあげる」
「なんだよそーいうことって!」
「はいはい」

 「お別れ前に、良いもの見せてやるよ」とリクは言った。ミナモシティの北側にある浅瀬を歩くと、入り口が海に半分浸かった洞窟がある。壁伝いに奥に入り、陸にウミを引き上げた。隠してあったランタンを点けると、柔らかい光があたりを照らした。「勝手に入って良いの?」とウミが訊く。「カタいこと言うなって」とリクは言った。ウミはリクと一緒に洞窟の奥へ進んだ。人気の無い洞窟内は静かで、まだ外は昼過ぎなのに暗かった。急にリクは立ち止まり、明かりを消した。「どうしたの」と不安そうなウミに、リクは背中を叩いて囁いた。「あれ」リクの指した先には、洞窟の裂け目から光が差し込んでいた。ウミは目の前の光景に息を呑んだ。
 青とも白ともつかない、深い青空が落ちてきたような光だった。光の裏側の岩肌は、影絵のように揺らめいていた。静かな海面を透かす光が、泳ぐ水ポケモン達を柔らかく照らしていた。透明度の高いミナモの海の中では、コイキングさえ青く光って見えた。

「……すごい」

 ウミは感嘆の声を漏らした。薄い闇の中で、リクは満足そうに笑った。

「こんな奥まで洞窟に入ったことないだろ」
「うん……初めて見た……」
「オレも、ここに他の奴を連れてきたのは初めてだよ」

 ウミはリクの言葉に瞠目し、「どうして?」と言った。

「初めての事って、忘れられないだろ」
「僕は忘れないよ」
「だったら見せたかいがあった」

 リクがニヤッとすると、ウミは静かに声を張った。

「リクを絶対、忘れない」

 リクはウミを見た。リクがウミの名前を呼んだ事は数え切れないほどあったが、ウミがリクの名前を呼んだのは、これが初めてだった。しかしすぐにウミは付け足した。「だってこんなにしつこく勝負を挑まれたのは、君が初めてだからな」リクがふてくされると、ウミはいたずらっぽく笑った。

「やっぱり、君はリーグを目指すのか?」
「お前はどうするんだ」
「君が目指すなら、僕もそうしようかな」
「だったらこれからもライバルだな」

 リクは宣言し、拳を持ち上げてみせた。ウミの拳がぶつかった。

「うん。僕たちは、ライバルだ」

 このときの事を思いだすと、リクはいつも、深海に引きずり込まれるような気持ちになる。

 何故ウミを追いかけてしまったのだろう。何故、洞窟へ誘ってしまったのだろう。なんで、なんで、なんで、どうして。
 深呼吸をする。ソラは神妙に耳を傾けていた。
 リクは話を続けた。

( 2021/01/02(土) 09:41 )