暗闇より


















小説トップ
海辺の街
Box.9 際どい岐路
 生まれつき、彼の種族は目が見えなかった。
 最終進化形態になれば視界を得るが、それは遠い遠い道のりだった。ほとんどの同胞は、そこに辿り着く前に死んでいく。
 彼の種族は噛みつくことで周囲を探っていた。手当たり次第にぶつかり、動くものに噛みつき、生傷をこしらえて必死に生きる。その扱い辛さ故、滅多にトレーナーも近づかない。戦って、戦って、戦って、生きのび、全てに打ち勝ったものが、ようやく外の世界を拝む。
 最終進化形態の彼らは、いっとう粗暴で危険な存在であった。彼らは敵を作る生き方しか知らない。当然、向けられる眼は敵意か恐怖の2択しかない。彼らは悟った。盲目の世界は危険に満ちていた。しかし焦がれていた外の世界の、なんと憎悪に満ちたことか。手段を選ばず辿り着いた景色は、なんのことはない。今までと陸続きの場所だった。
 世界に怯えていた盲目の彼は、朽ち果てる前の三つ首の言葉を黙って聞いた。「その先の生に、期待するな」三つ首は静かに息を引き取った。
 洞窟の外から人の気配がした。土を踏む音がゆっくりと彼の方へ近づいてきて、本能的に噛みつく。「いてっ!」と、幼い声がした。

「悪い、そこどいて……あぁ、くそ。駄目か……」

 血の味がした。抱きしめられるように彼は抑え込まれた。声の主は構わず奥の三つ首を探っているようだった。悔しそうに息を吐く声。

「なぁ」

 声がこちらを向いた。噛む力を強めたが、相手は振り払いもしない。

「お前、ここにいたいか?」

 聞いたこともない声音で、相手は問いかけてきた。盲目の身にとって、全ては濃霧の向こう側だ。問いに意味はあったのだろうか。
 “ここ”とは、世界を指すのだと彼は思った。牙を離し、首を横に振った。
 “ここ”と絶望は、同じ場所にあった。

「だったら俺が、お前をここから連れ出すよ」

 血に濡れた手が頭に乗せられた。声の主はヒナタと名乗り。臆病なモノズは、オニキスと名付けられた――

「グルオオオオオオオオォアオォオオオオオオオ!!!」

 ――炎を振り払う。意識が飛んでいた。まだ体は動く。己の限界がどこにあるのかは知れないが、アレを殺すまでは死ねない!
 リザードンとノロシから、サザンドラは決して眼を離さない。赤黒い双眸が憎悪と敵意に満ち満ちる。墜落する体を力づくで立て直した。ノロシがからかい交じりに口笛を吹いた。

「ひゅぅ! よく躾られてんじゃねぇの!」

 形勢不利で有りながらも、サザンドラはナギサタウンを守るように戦っていた。ノロシがサザンドラを煽った。

「せっかく飼い主不在なんだしよぉ! 暴れた方が楽なんじゃねーのぉ!?」
「グガァッ!」
「おっとぉ!」

 リザードンは悪の波動を危なげなく避けた。サザンドラはイラついていた。また空振り。数度に渡り、放った波動弾は全て外れてしまった。じりじりと此方と彼方の差が開くのが分かる。

「グルガアアアアアアアアアアア!」
「どうした! 元気がねーぞ! ひゃはは!」

 耳につく哄笑。うるさい。相手にはまだ余裕がある。このままでは負ける。そんな事は分かっている。
 “だから、ここからは命を賭ける”
 リザードンにギリギリまで接近した。ノロシさえ消せば――こいつだけは、この男だけは、ここで消さねば気がすまない!
 ぐんと速度をあげた“サザンドラがリザードンに肉薄”した。ノロシが鼻の先でせせら笑う。“リザードンの拳が帯電”する。サザンドラは“口腔にエネルギーを集束させた”まだ、口は開かない。“間際まで引き付けて”余波が口中を傷つける。血の匂い。構うか。見据えるのはリザードンとノロシ!

「終わりだぜ!」
「ッゥルルルウルルルルルルウ!」

 ノロシは勝利を確信し息巻いた。終わり、終わり――その通り!

 “そしてお前も、ここで終わりだ!”

 ――ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!

 けたたましいアラームの音が鳴り響く。
 断片的な“未来予知”のイメージが、リアルとなって現在を紡ぎだす。
 “はかいこうせん”“感電”“届かない”“墜落”“咆哮”“橙色の”“嘲笑”

 ――“残念。俺様の勝ちだ”

 それは、明暗を分ける“一秒”への介入。
 鳴り響くポケナビがリクの胸元で揺れる。クロバットがリクを放り投げ、リクは両手を精いっぱいに伸ばす。背中にくっついたタマザラシが笑った。真っ直ぐに落ちる、その先。

「あああああああああああぁぁぁぁぁああああああああああああああぁぁあ!!!!」
「なん……っごぼぁ!?」

 ――過たず、ノロシに全身で激突した。
 衝撃そのまま、ノロシとリクはリザードンから転落した。

「ゴォ!?」
「――!」

 突然の横やりにリザードンが動揺する。サザンドラの目が光った。口腔を開く。破壊光線はすでに限界まで集束しきっている。

「ゴルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 渾身の破壊光線がリザードンの顔面を撃ち抜いた。リザードンは一瞬滞空し、すぐに脱力して落下する。いっぽう、サザンドラもすでに限界を超えていた。破壊光線の反動で硬直し、体が落下を始める。
 サザンドラの体がガクンと減速した。落下自体は止まってはいないものの、それは随分とゆっくりとしたものに変った。

「ク、ク、ク……クェー!」

 ムクバードがサザンドラを掴んで飛んでいた。顔を真っ赤にし、全力で翼を動かしている。

「グ……」
「攻撃するなよー……俺だ。一回会ったよな?」

 ムクバードの背中からソラが顔を覗かせた。ソラはモンスターボールを構え、サザンドラを宥めた。

「ノロシはもう動けない。後は休め……あいつの為にも」

 サザンドラは視線を街に彷徨わせた。リクとノロシが落下した先、クロバットに回収されぶら下がるリクが見えた。地面に激突し、ぴくぴくしているノロシをでしでし叩くタマザラシも。
 サザンドラは目を閉じた。

「戻れ、オニキス」

 モンスターボールに収まった。ソラは息をつき、リクのもとへと飛ぶ。
 戦いはまだ終わっていない。眼下の街の火はいまだ赤く燃え広がっていた。ムクバードの上から目を凝らす。地上では、朱色の外套の少女がギャロップと共に暴れまわっていた。





 死に物狂いの封鎖作業が続いていた。
 すでに疲労は限界を超えていた。力あるトレーナーの大部分は日中の間、水ポケモンの保護に協力していた者ばかりだ。ここに立つ原動力は、気合いと怒り。そしてナギサに暮らす者としての誇りだった。
 ――ここで食い止めねば、数えきれない水ポケモンが大空洞の底へ消える。

「でもさ〜そうやってガンバリ過ぎるのって良くないと思うッスよ」
「ぶぶぶい!」

 イミビが欠伸をした。ブースターの火炎放射が、水路も、トレーナーも、ポケモンも、すべてを無差別に舐め尽した。炎に巻かれ水ポケモン達が身悶えする。火傷を負ったトレーナー達が悲鳴をあげて水路に飛び込んだ。

「あああああああああああああああああ!」「ぶっぴぃぃぃいいい!」「熱い熱い熱い熱い!」「しぇーん!」「あ゛あ゛あ゛あ゛!」「いやぁっ!」「ウルゥウ!」

 阿鼻叫喚。被害を免れたトレーナーやポケモンは、恐怖の眼差しでイミビを遠巻きにしている。火を消さねば。指示を――口を開こうとすれば、技を放とうとすれば、ブースターとギャロップが炎を吐き出した。

「びぃぃぃ! びいいいいいいいいいいい!」

 炎で前後不覚となったオクタンが転げまわる。半狂乱で泣き叫ぶトレーナーがオクタンを追いかけ、モンスターボールに避難させた。一連の様子を見ていたイミビはぽんと手を打った。

「これがホントのたこ焼きッスね!」
「な……ッ! ふっふざけないで!」
「ワニィ!」

 トレーナーが哭し、交代したワニノコがハイドロポンプを放った。イミビはきょとんとしている。ギャロップが鼻を鳴らし、たてがみがいっそう強く燃え上がる。イミビを燃やすことは決してない炎が連なり、「大」の字を模り放つ。

「キュイイイ!」

 大文字とハイドロポンプが激突した。フライパンに水を垂らしたような音。水蒸気さえ出ず、炎が水を呑み込む。ハイドロポンプが見る間に短くなっていく。トレーナーが目を見開いた。

「ワニノコ! もっと強く、水を!」
「ワ……ワゥ……!」

 応えたワニノコが気力を振り絞ってハイドロポンプを強めた。だが止まらない。むしろ、水を吸って成長しているようにさえ見えた。そんな事はあり得ない。水が炎に負けている現状そのものも!
 悪夢のような炎が視界を覆い尽くし、トレーナーが泣き喚いた。悔しい。悔しい! 何一つ届かない! 街を守ることさえも!
 炎が視界を塞いだ。何も見えない。何もかも。

「――ハイドロポンプ!」

 突如として後方から飛んできたハイドロポンプが、瞬く間に炎を押し返した。炎が霧散し、ギャロップが大きくその場を飛び退く。傍の水路が揺らめく。潜んでいたシャワーズが飛び出した。

「水の波動!」
「きゅいいいいいいいい!」

 螺旋を描く水がギャロップに襲いかかる。庇うようにブースターが飛び出した。全身の炎を膨ませ、水の波動へと頭から突っ込む。水が一気に気化、膨張した空気が衝撃波となって拡散した。高温の爆風が消えかけていた火を呼び戻す。乱入した誰かは舌打ちした。即座に次の一手が叫ばれる。

「吹雪!」
「キェエエエエエエエエエエエエエ!」

 凄まじい冷気が爆風とぶつかった。燃えかけていた何もかもを揺り戻す。相殺。一瞬の前哨戦だった。衝突が終わってみれば1戦目、勝利の女神は乱入者にほほ笑んだ。
 ブースターが氷像と化していた。イミビはブースターをボールに戻し、乱入者をねめつけた。

「あんた、ジムリーダーッスか?」
「そういうあんたは主犯かな?」

 拡声器から響いた声そのままに、蒼銀のショートカットが揺れる。その隣にハイドロポンプを放ったゴルダックが、そしてシャワーズが駆け戻った。
 乱入者――ナギサタウンジムリーダー・ホトリが、壮絶な殺気を滲ませて立っていた。

「うわっ」

 イミビが嫌そうに顔をしかめ、ホトリがニタリと笑う。

「喧嘩は買った。ぶっ殺す!」

■筆者メッセージ
1月3日 改稿
( 2021/01/02(土) 09:36 )