暗闇より


















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海辺の街
Box.6 その先の意味
 冷たい夜風が首筋を撫でる。心臓は締めつけるように鳴り続けていた。
 リクは眼を皿のようにしてナギサタウンを見渡した。見覚えのある大きな体は見当たらない。身を乗り出すリクをソラが注意する。

「探すのもいいけど、あんまり見てると落ちるぞ。しっかり掴まってろよー!」
「わ、悪い」

 リクは慌ててソラの服をつかんだが、眼はナギサタウンにくぎ付けのままだ。座りが悪くちょうどいい場所を探してもぞもぞ動いていると、ソラが懐かしそうに目を細めた。

「もしかして空飛ぶの初めてかー?」
「そうだな。……いや、一回だけある」

 この地方に来る前にポケモンの背中に乗った記憶はない。こちらに来てからの一度だけだ。もっともあの時は抱えられていたし、飛んだのは洞窟の中だ。

「乗せてくれた奴を探してるんだ」
「喧嘩別れか? それでトンネル? でもそいつって空飛べるんだろう。トンネルじゃなくて空を探したほうが早いんじゃないか?」

 ソラはムクバードを方向転換させ、ナギサタウン上空へと向けた。その腕に慌ててしがみついた。

「待てよ! トンネルだよ! あいつは絶対トンネルに行ったんだ!」
「わかった! わかったから落ち着け! ムック、やっぱりトンネルに行ってくれ!」
「クェ?」

 ムクバードが方向をトンネルへ向け直す。リクは胸を撫で下し、ソラは冷や汗を拭った。流石にソラも、慣れてるとはいえ空高くで暴れられるのは怖かったようだ。

「どんな奴だ?」
「首が3つある」
「首3つ!? って、なんだ探してるのはポケモンか。サザンドラかな?」
「サザン……えっ?」

 リクは首を捻った。ヒナタもホトリもオニキスと呼んでいたから、それが種族名だと思っていたが、よく考えればそんな名前のポケモンは聞いたことがなかった。リクがサザンドラを見たのはオニキスが初めてだった。“オニキス”というのがニックネームなのか種族名なのか迷っていると、ソラが肩越しに問いかけてきた。

「違うのか?」
「分からない。オレ、初めて見たポケモンだったから」
「お前のポケモンじゃないのか?」
「違うよ」

 即答する。ソラが不思議そうな顔をした。

「お前のポケモンじゃないのに、どうして探してるんだ?」

 リクは、答えられなかった。ソラの言う通りだ。サザンドラはリクのポケモンじゃない。ヒナタのポケモンだ。助けに行く道理はない。
 でもサザンドラがトンネルに戻ったのだとしたら、今度こそ死にかねない。止めなくては。でもどうやって?
 “部外者”の自分に、その権利はあるのか?

「クェー!」

 ムクバードが降下する。月明かりに照らされたトンネルが見えた。トンネル前には引きずったような跡がありありと残っていた。ムクバードを戻し、ソラが言った。

「お前の探してるやつ、通ったみたいだな」

 「どうする?」と視線が問いかけてくる。リクは答えられない。問いがぐるぐると頭の中を回っている。

「早めに追いかけないと、追いつけなくなるぞ」

 早く決めないと。分かっている。それでも、何も言えない。「仕方ないな」と言って、ソラがため息をついた。

「追いかけてるのはサザンドラでいいんだよな?」
「え……、た、たぶん?」

 リクは反射的に頷いたが、言葉の意図が読めず眉を寄せた。ソラはクロバットとキルリアを出した。

「お前……えっと、名前は?」
「何が?」
「まぁいいや。オレがサザンドラ探してくるから、キルリアと一緒に待っててくれ」
「は……な、なんで?」

 訳が分からなかった。リクにサザンドラを止める道理はないが、今日会ったばかりのソラにも、そこまでする理由はない筈だ。おろおろするリクに何を勘違いしたのか、ソラは見当違いの言葉でフォローしてきた。

「いや、トンネル怖いんだろ? 実際崩落があったばっかりで危ないしな。ソラお兄さんが代わりに連れてきてやるよ。心配すんな」

 ソラはリクの背中をぽんぽんと叩き、当然のようにトンネルに入っていく。リクはぽかんとしていた。何言ってんだお前。訊きたかった事はそんなことじゃない! 動けなくなっていた自分が急に恥ずかしくなって、リクは怒るように追いかけた。

「待てよ! 怖くない! つか、なんでお前がそこまですんだよ!」

 ソラはリクを一瞥したが、歩みを止めずにずんずん進んでいく。

「だって危ないだろ。こんなとこに入り込んだら」
「お前には関係ないだろ!」
「あるといえばあるし、ないといえばない。だから待ってろって」
「はあ!? 待て――うあっ!?」
「フィー!」

 転びそうになったリクを、キルリアが念力で支えた。ソラは停止したリクの肩をがしっと掴み、くるりと反転させる。小さな子どもを諭すように、生ぬるい笑顔を浮かべた。

「そーら帰った帰った。その恰好で来るお前も危ない。いいから待ってろって。な?」
「ざけんな!」
「無理すんなよ」
「してねぇ!」

 リクはソラの手を振り払った。ソラを睨みつけ、肩を怒らせながらトンネルの奥へと走る。ソラはキルリアと目を見合わせた。キルリアの頭部の一部が赤く光っている。少し笑い、リクの後を追いかけた。

「リア」
「フィー」

 追いついてきたキルリアの体が光りだす。フラッシュだ。進みやすくなったが、リクは何も言わなかった。クロバットはリクを追い越して飛び、周囲の様子を探った。

「キィー!」

 クロバットが先導し飛んでいく。ついてこい、と言うように、何度かこちらとあちらを行ったり来たりした。ソラがその先を指さした。

「いるってさ」
「……分かってる」

 迷いはあったが、リクは意を決してクロバットを追いかけた。そう時間は置かず、見覚えのある大きな体が見えてきた。

「オニキス!」

 巨体がむくりと起き上がった。闇の中で、3対の赤い眼が光っていた。

「オニキ――」

 サザンドラが尻尾を横に薙いだ。駆け寄りかけたリクの目の前で、尻尾が岩壁を強く撃つ。リクは小さく悲鳴を上げた。サザンドラの赤い瞳がこちらを貫いた。

「……来るなって?」

 返事はない。それが答えだった。追いかけてきたソラ達は、一触即発とも言える状況を静観している。キルリアのフラッシュがサザンドラを照らした。サザンドラは眩しさに顔をそむけ、横たえていた体を起こした。

「待てよ!」

 サザンドラは気だるげにリクを見た。迷いをそのままぶつけるように、リクは叫んだ。

「お前、死ぬ気かよ!? 戻ったって、ヒナタがどこにいるか分かんないだろ!」

 行かせてはいけない。残った奴はみんないなくなった。ヒナタも――“あいつ”も。きっとサザンドラも帰ってこない。
 暗闇は、このトンネルは、怖い。恐ろしい。もう沢山だ。あの場所に戻ろうなんて、正気とは思えない。

「お前が……今のお前が戻れたって!」

 戻らないことで、何かを後悔したとしても。
 死ぬよりはずっとマシだ。

「役に立てるわけじゃないだろ!?」
「オオオォオオォォォオオオオォォオオォオオ!」

 サザンドラが咆哮した。リクを睨み据える紅い瞳は、ぐらぐらと煮えたぎる怒りに満ち満ちていた。リクの眼前に迫る3つ首の口が、大きく開かれた。熱い息が顔にぶつかる。赤い口腔と尖った牙の歯列が目の前にあった。止めるべきか、ソラは動きかけた。だがサザンドラの牙はリクを引き裂いたりしなかった。目と鼻の先で止まっていた。リクは呼吸をしたが、穴のあいた風船に息を吹きいれてるような気分だった。腰が抜けて、ぺたりとその場にへたり込む。
 サザンドラが鼻を鳴らした。臆病者、と言われたような気がした。

「ヒナタさんは、その先にはいないよ」

 思いがけない第三者の言葉が投げられた。

「え?」
「ッ!?」

 リクとサザンドラ、両者の視線がソラに向けられた。しれっとした顔でソラは続ける。

「昨日、カザアナジムリーダーがヒナタさんと合流したって聞いたからな」

 言葉の真偽を図るように、サザンドラがじっとソラを見つめた。「嘘ならば殺す」と言わんばかりのプレッシャーだったが、ソラは笑顔で応対した。

「信じないならそれでもいいけど。この先に進んでのたれ死ぬのと、引き返して赤い外套集団をぶっ倒しながらヒナタさんと合流するのと、どっちがいいかな?」

 突き刺すようなサザンドラの視線。リクは戸惑った顔でソラを見つめたが、ソラはリクを見なかった。サザンドラとの睨みあいを続けている。

「それに」

 ソラはトレーナーカードを取り出した。

「オレはカザアナ出身でジムリーダーとも顔見知りだ。信憑性、あるだろ?」
「……グォ」

 サザンドラが鳴いた。尻尾がリクに近寄り、ボールの入ったポケットをぐいと押した。リクは若干おたおたしながたも、病衣からボールを取り出した。

「戻れ、オニキス!」

 サザンドラがボールに戻り、リクは安堵する。ソラは神妙な顔つきでリクに言った。

「後で色々訊きたいんだけど。いいか?」

 有無を言わせぬ雰囲気に、リクは頷いた。





「リマルカ、夜遅くにごめんねー」
『僕、そろそろ寝ないと怒られちゃうから手短にね』
「良い子はほんとは寝る時間だもんね」
『ホトリさんは悪い子だから夜更かしなんだね』
「あれー風評被害を感じるぞー?」

 ホトリはけらけらと笑った。時計は午後9時半を指しており、夜更かしというには早すぎる時間だ。ただ、話相手の少年はまだ子供。カザアナタウンのジムリーダーでさえなければ、とっくに眠っていてもおかしくない。
 夜更かしと言えば、リクもまた眠れない夜を過ごしているのかもしれないと、ホトリは思った。

「昨日保護したリク君なんだけど、すっかり怯えちゃってるよ。可哀そうに」
『ダメそう?』
「上手いことリク君を引っ張ってくれる子が必要かな。悪い子じゃないけど、ちょいと責任感がありすぎる。君にとっては、好都合かもしれないけどね〜」
『僕は一つの案として言っただけだよ』
「あたしだってリク君があんなこと言わなければ、安全安心にマシロに送ってあげたさ」

 「どうしたい?」と問いかけたホトリに、リクは「自分には力がないから」と答えた。思い出し、ホトリはくつくつと笑う。あの答えには恐れ入った。
 リク自身は気がついていないだろうが――あのような目にあってなお、自分の身を案じるでもなく、先への不安を語るでもなく、真っ先に「敵に立ち向かう力がない事」を彼は悔いた。
 普通なら状況を、敵を、自分の運の悪さを恨む。守ってくれなかった人々を恨む。力不足を悔いるのは、“そこに手が届く”と思える人間だけだ。
 そっとしておくことはできた。これ以上巻き込まない事も出来た。

「でも、きっと後悔するよ。……良い子だからね」
『利用されたって知ったら、もっと後悔しないかなぁ』
「んじゃ、追加事項にごまかし上手を入れといて」

 朱色の外套集団の一人、赤銅のノロシ。特に派手に暴れまわっており、以前から顔が割れている。ヒナタの脳味噌にはインプットされてなかったようだが、どうせ「赤い外套着た奴はとりあえず敵」くらいの認識だったのだろう。
 逆にノロシの方はヒナタにご執心だ。ヒナタのサザンドラがまだ生きていると知れば、必ず来る。

『オニキスもリク君もごまかせる人材か……一人そっちにいたから、頼んでおくよ。適任だ』
「優秀な子かい?」
『出来るなら彼にオニキスのトレーナー役を頼みたいくらいには』
「まぁ無理だろうね」

 ホトリは嘆息した。トレーナー不在のポケモンは力を十分に発揮できない。特にサザンドラは頭に血が上りやすく、手綱を握る人物が欲しい。気難しいサザンドラを理解し、心を通わせようとするトレーナーが必要だった。
 ヒナタ以外にその可能性を握る人物は2人いたが、どちらもジムリーダーで、今は手が離せない。そして今、白羽の矢が立っている人物は言わずもがな。

「オニキスはリク君を守らざるを得ない。リク君もオニキスを気にかけざるを得ない。どちらもヒナタ君との約束だからね。でもリク君が嫌だというのなら、この話はそれまでさ」
『……ヒナタさんが、いれば』
 
 リマルカの沈痛な声に、ホトリは表情を硬くした。ただ声だけは、励ますように明るかった。

「大丈夫だって〜、生死不明でなかなか帰ってこないなんていつものことじゃん。他のジムリーダーへは連絡した?」
『まだ一部だけだよ。特にゴートのお姫様は、今伝えたら街を崩壊させかねない』

 ホトリは、ヒナタと共通の友人でもあるジムリーダーの姿を思い浮かべた。文句をいいながらも、今頃あっちこっちと飛び回っていることだろう。

「あそこは特殊だしねぇ。サイカは?」
『レンジャーを借りたとき、洗いざらい吐かされたよ』
「あはははは! 愛されてるなぁ」

 どんよりとした声のリマルカにホトリは大笑いした。しかし、少しだけ不安そうな表情でリマルカに問いかける。

「ヒナタ君は、生きていると思う?」
『……死んでた時の事を想定して動く僕は、冷たいかな』 
「いいや、正しいよ」

 ジムリーダーは街を、地方を守る存在であり要だ。「世界と一人と、どちらを選ぶ?」問われれば世界を選ばなくてはならない。それもまた、必要な資質だ。全員が一人を選べば世界は崩壊してしまう。だからこそホトリは、リマルカを信頼していた。

「ラチナを守るのが、ヒナタ君の望みでもあるからね」
『リク君には悪いことをすることになるな』
「そんなことはないさ」

 椅子に背を預けた。あの少年は自分を過小評価している。大空洞から生きて帰ったのは、決してサザンドラやヒナタだけの力ではない。本人には部外者だと突き放したが――とんでもない。

「彼もまた、間違いなくこの地方に片足突っ込み始めてるんだもの」

( 2021/01/02(土) 09:31 )