Box.11 君の街へつながる海
イミビが逃げた後、ノロシもまた姿を消していた。多くのトレーナーやポケモンたちは病院に担ぎ込まれた。その中でもホトリは特に重症を負った……筈なのだが、翌朝にはベッドから無線とポケナビで指揮をとっていた。
「あーくそっ! むかつくむかつくむかつくッ!」
無線とポケナビを切ると、ベッドに倒れ込んだホトリは悪態をついた。街の被害状況は深刻だ。しばらくはナギサからもっとも近い街、ルーローシティの援助を必要とする。幸運にもルーローシティのジムリーダーは快諾し、「Be cool! Beach girl……困った時はお互いsummer!」とポケナビ越しに慰められた。
“Be cool”――落ち着け、と。だが自分は、あと一歩まで追い詰めたところを逃げられた。
あの場面で気を抜いたのがまずかった。いや、そもそもイミビと遭遇した時点で仕留められていれば、こんな結果にはならなかった。自身の力不足、読み不足、準備不足――後悔は尽きない。
だが、立ち止まる訳にもいかない。全ては終わってしまったのだから。
病室の扉がノックされる。「どーぞー」と投げやりな気分で返すと、ドアノブが控えめに回った。入ってきたのはリクとソラだった。ホトリはベッドから身を起こした。
「やー。昨日の今日で呼びつけて悪いね」
「や、あの、寝ててください。そのままで大丈夫です!」
「あたしにも体裁があるのよ。病衣で何言ってんだって感じだけどね〜」
ホトリは軽く笑って立ち上がった。
「ソラ君から、話はある程度聞いたかな」
リクはどんよりとした表情で頷いた。リクはノロシと戦ったあの日、運命を選択した。すなわち、ノロシに喧嘩を売り、ラチナの騒動に首を突っ込むという選択だ。
リマルカが調べ上げたノロシの経歴と傾向――決して自身の敗北を許さない性格。手段を選ばず、勝利するまで勝負を挑み続ける。ゴートシティ出身のトレーナーだ。ここ数年、調べられた限りでノロシが敗れた相手はヒナタだけ。
本来であれば、リクの実力はノロシの足元にも及ばない。昨夜、サザンドラを助けることができたのは運の要素が大きいとホトリは思っている。
「ルーローシティとゴートシティのジムリーダーに、それぞれ話は通してある。ソラ君、頼んだよ」
「はい」
ソラが神妙な顔つきで頷いた。
リクは、ノロシをおびき寄せ、朱色の外套集団を引きずり出すための餌だ。
ゴートシティの“彼女”なら仕留められる。ルーローシティのジムリーダーも実力者だが、リクと街を守りきり、その上で確実に敵を捕らえるとなると難しい。
ゴートシティの眠り姫。カントー地方のナツメと同じく、超能力を持つ強力なエスパーポケモン使いだ。その能力を遺憾なく発揮し、カジノの街であるゴートシティを治めている。ゴートシティには四天王であるゴルトもいる。迎え討つには最適の場所だ。
「……ゴートシティに行くんですよね」
「ごめんね」
「ホトリさんのせいじゃないです……色々連絡してくれて、ありがとうございます」
ペコリとリクは頭を下げた。表向き、“保護の為”でリクにはソラから話を通してもらっている。餌云々の話はリクは知らない。もし知ったら恨まれるかもしれないな、とホトリは内心苦笑した。
リクをけしかけて、サザンドラを助けさせたこと。餌にしようとしていること。守れなかったこと。
過信もあった。敵さえ引っ張り出せれば、捕らえられるという。ホトリは失敗した。でも全て事情を知っていた上で戦って、失敗した。リクは何も知らないまま巻き込まれている。その方が周りにとって都合がいいから。
何も知らない彼はこれからの出来事に、耐えられるのだろうか?
「大丈夫ですか?」
ハッと顔を上げると、リクが心配そうにこちらを見ていた。
「君はこの地方に来た事、後悔してる? 帰りたい?」
「……分からない」
リクが目を伏せた。
「でも、まだ帰れないから」
選択肢はないのだ。リクがリーシャンもサザンドラも見捨てられないのならば。
ホトリは病室の窓を開けた。爽やかな潮風が吹きこんでくる。窓からはナギサタウンの港が見えた。その先に広がる海は、太陽を反射して輝いている。リクの瞳に海が映っている。
「海は好き?」
リクは泣きそうな顔で目を細めた。
「君の街もあたしの街も、見え方は違うけど同じ海だ」
生まれたこの街を去り、地方を旅した時の事をホトリは思い出した。自身の愛する街、海、人々、ポケモン。焼きつけた海を忘れなかった。
「君の生まれた街はどこか遠い場所にあるんじゃない。ラチナの海とつながった場所にあるんだ。全部全部終わったら、またここにおいで」
リクの瞳の中で、ナギサの海がキラキラと輝いていた。リクが震える息を吐いた。静かに頷き、耐えるように口を引き結んだ。
◆
ゴートシティに向かうためには、ルーローシティを通過する必要がある。ルーローシティでいったん保護され、ゴートシティから来る迎えを待つと、ソラは話した。リクの背中にはホトリからの餞別として、新しいリュックサックが収まっている。中にはサザンドラのモンスターボールや傷薬、そしてヒナタのポケナビが入っている。
ソラのムクバードに乗って、休み休みではあるが急ぎ気味で、二人はルーローシティに向かっていた。
「ミナモシティってどんなところなんだ?」
「綺麗な街だよ。コンテスト会場もあるし、デパートもあるし……」
リクは故郷を思い出す。ナギサタウンとはだいぶ違った印象の街だ。ミナモシティでは、街中に水路が走っていたりはしない。アルトマーレの方がナギサタウンの雰囲気に近いだろう。コンテスト、という言葉にソラは興味をそそられたようだった。
「コンテスト見たことあるのか?」
「近所だしな、あるよ。お前は?」
「ない」
「一度も?」
「一度も」
「ラチナって、コンテストやってないのか?」
「あぁ」とソラが言った。「テレビでも?」リクが目を丸くして問いかける。ソラはしばらく考え込んでいたが、こっくりと頷いた。
「たぶんな。名前くらいしか聞いたことがない……なんか、ポケモンの可愛さ? とかを競うんだよな?」
「そうだよ。5つの部門があるんだ」
リクはコンテストの概要を説明した。ソラは物珍しそうに聞いていた。
「コンテストとはちょっと違うけどさ、ルーローでも似たようなことやってるぜ」
「似たような?」
「つまり、ポケモンの魅力を引き出して、魅せバトルしたりするのがコンテストって事だろ? コンテストはないけど、ルーローにはバトルアイドルってのがあるんだ」
初めて聞く単語に、リクは目をぱちくりさせた。バトルアイドル。戦うアイドル?
「アイドルとポケモンがタッグを組んで、歌って踊りながらバトルするんだ。ペアのトレーナーかポケモンが倒れたら負けだ」
「へぇ……いや待て。もう一回説明してくれ」
「アイドルとポケモンがタッグを組んで、歌って踊りながらバトルするんだ」
「その後」
「その後? ペアのトレーナーかポケモンが倒れたら負けだ」
リクが目を瞬かせる。
「えっと、トレーナーが、倒れるって?」
「気絶するまで戦う奴はいないけど、たいていはギブアップ宣言して退場だな」
「気絶?」
理解が追いついていないような顔で疑問符を飛ばしまくるリクに、ソラは合点して言葉を足した。
「バトルアイドルでは、トレーナーへの攻撃も有りだ」
リクが目を点にした。
「バトルアイドルを始めたのが今のジムリーダーで、“Pokemon&Trainerは同じFieldにあるべき”ってのが信条なんだよ」
“Strong.Smart.Beautiful! Pokemon&Trainerかくありてこそ、トップアイドル!”
ソラの話によると、ジムリーダーもまたアイドルとして活躍しているらしい。自他共に認める“アイドルキング”の異名を持っている。街の内外を問わず人気が高く、特にルーローシティではもはや宗教の域に達する熱狂ぶりらしい。
「濃い人ではあるけど、まぁ、その……悪い人じゃないから心配すんな」
「じゃあなんで今ちょっと言い淀んだんだよ」
「気のせい気のせい。ほら、あれがルーローシティだ」
「クェー!!」
ムクバードが高く鳴いた。見えてきたルーローシティはビルが立ち並ぶ大きな街だ。しかし無機質な感じはしない。祭りの喧騒を遠巻きに見ているような、そんな気分になる。
「ルーローはアイドルと機械の街だ。こんな時だけど、見てるだけでも楽しい筈だぜ」
降り立ったルーローシティは、ライブの最中にいるような活気があった。大きな画面が街のあちこちにあり、放送機器からは楽しそうな女性の声や効果音が響いている。画面には可愛い女の子やポケモンが映っていた。踊ったり歌ったりしている様子から、あれが噂のバトルアイドルか、とリクは興味しんしんだった。
「ルーローのジムリーダーも映ってるのか?」
「いや、あの人は特別枠だから。決まった時間にだけ流すんだよ」
「そうなのか?」
「アイドルキングがテレビに映る時間帯、ルーロー住民の8割が釘付けになるから街の機能が停止する」
「なんて?」
「だから異常なんだよ。“もはや宗教”って言ったのは、そういうこと」
ソラを疑う訳ではないが、リクには信じられそうになかった。本当にそんなことがありうるのだろうか? アイドルキングと呼ばれるその人に、これから自分は会う訳だが……怖いような、早く会いたいような、複雑な気持ちになった。住民の8割が熱狂的になるくらいなのだから、ものすごく綺麗な女性なのだろうか。クルミちゃんみたいに可愛かったり? 思わず、リクは自分の姿を確認した。上下ともジャージ。足は紐靴。髪を触ると、寝癖がついていた。
リクとソラが降り立った場所は、街の広場だった。ナギサタウンでは動きやすさ重視の服装の人が多かったが、ルーローにはお洒落な格好の人が多い。画面に映る女の子もとてもお洒落だ。リクは急に自分がものすごくみすぼらしく思えて、居心地の悪さを感じた。服は仕方がないとしても、寝癖だけでも何とかしたい。リクは手ぐしで押さえつけようとしたが、どう頑張ってもぴょんぴょんと跳ねて納まらなかった。
「リク、連絡したからもう少ししたら迎えが――って、なにやってんだ」
「その……寝癖が」
「そうか? 俺はそんな気にならないと思うけど……」
「変じゃないか?」
リクはもぞもぞとしながら眉を八の字にした。ソラが答えるよりも先に、荒っぽいのに妙に品のある声が横やりを入れた。
「変だぜェ? 上下ジャージじゃ、勝負服とは言えねェな」
二人が振り返ると、派手な男が立っていた。背が高く、服の上からでも分かるほどにがっちりした筋肉質な体つきだ。高そうなジャケットを着ている。サングラスで顔は隠れているが、自信に溢れたふてぶてしい顔つきが想像できた。
「お前がリクで、そっちのがソラだな?」
「あなたは?」
ソラが穏やかに尋ねた。リクを庇うように前に出る。言動にこそ出てはいないが、ソラが相手を警戒していることがリクには分かった。
「俺はアイドルキングからの迎え……って言っても、信じてもらえないだろうからな」
「まい!」
「ぷらー!」
男の足元から二匹の鳴き声が上がった。赤いリボンのプラスルと青いリボンのマイナンだ。プラスルはリクに、マイナンはソラに飛びついた。思わず、二人は二匹を受け止めた。
「プララとマイナじゃないか!」
「知ってるのか?」
「アイドルキングのポケモンだよ。これが証明、ということですね?」
「賢いじゃねぇの」
ソラの警戒が解ける。男は満足そうに笑った。
「俺はアイドルキングのマブダチかつディレクターのゴル……ごほん、ボルトだ。謁見の準備はいいか?」
ボルトはニヤリと笑う。ソラは肩をすくめ、リクは緊張した面持ちで喉を鳴らした。