最終話 暗闇より、君に繋がる約束
ナギサタウンの港に少年が立っていた。
短い黒髪に半袖短パン、右腕に白いハンカチを巻いている。腰にはポケモントレーナーの証であるモンスターボール、背中にはリュックサックを背負っていた。片手に持ったタオルで汗を拭いつつ、おいしい水を飲んでいた。
「船は満室だよ」
「うわっ!?」
突然背後から声をかけられ、少年はペットボトルを放り出した。振り向くと蒼銀の髪の女性が「ごめんごめん」と言ってペットボトルを拾った。知り合いだと認めると、少年はパタパタと手を振った。
「の、乗らないからいいよ! ここには、父さんを迎えにいくついでに寄っただけだから!」
「リク君のお父さん?」
蒼銀の髪の女性――ホトリが興味深げに聞き返した。手渡されたおいしい水を、少年――リクが受け取る。
「シャモの事を話したら、一度確認しに来たいって。ポケモン研究者だから」
「ナルホド。滅多にない事態になったもんねぇ」
リクの腰にはモンスターボールが三つあった。トドグラー、エテボース、バシャーモだ。バシャーモのモンスターボールには要観察≠ニ印字されている。ボン、とトドグラーが勝手に飛び出した。「ウォン!」ホトリに体当たりをする。頭をぐりぐりしてくるトドグラーの頭をホトリが撫でた。
ラチナ全てを巻き込んだ騒動が終わってから一ヶ月が経った。
それぞれの街は少しずつ元の生活を取り戻しつつある。
ユキノはバッジ集めの旅に戻り、リマルカはまだジムリーダーとしての残務をこなしている。回復したツキネがキプカを千里眼で探し出し、リアンが力尽くで引きずり戻したので、リマルカもしばらくしたら本当の意味で荷を下ろせる。
カイトの火傷は跡が残ったが、将来的に動きに支障がないレベルに戻せる見込みだそうだ。森のポケモン達が毎日木の実やら秘伝の薬やら届けに押しかけている。コダチはそんなカイトの下で飛び回っているらしい。
ソラについてだが、意外にもカイトの口添えがあり罪には問われなかった。だが本人の希望でジム挑戦は一年自粛し、街の復旧を手伝っている。
ノロシはリーグが片付いた直後に逃走した。そのうち挑戦しに来たら捕まえたらいいだろ、とヒナタが言っていた。
イミビには「ありがとう」との伝言をお願いした。面会は出来なかったので、返事はない。
そしてウミとバシャーモだが――
「あれからウミ君には会った?」
「まだ1、2回しか……。なんか忙しいらしくて」
「しばらくして落ち着いたら、月2回くらいは会えるようになるよ」
「本当?」
「話をあれこれ聞いて、あたしも気になっててさぁ。詳しいとこは知らないんだけど、リク君の昔からの友達なんだよね?」
「うん」
ウミの判決は終身刑だった。約束の火≠ナ甦ったことが減刑の大きな理由だ。
一度死に、再度復活した場合――同じ人間として扱えるのか。それに加え、トモシビから猛反発があった。火を継承したバシャーモと火によって甦ったウミ。約束の火が消えた今、彼らが街の象徴であり拠所となっていた。
地方がごたごたになっている中で更に混乱の火種を抱くのは不味い。それにトモシビジムリーダーは約束の火′p承者と決まっている問題もあった。
火で甦った奇跡の体現者であるウミが本来は相応しいが、就任すればトモシビ以外からの反発は避けられない。
そこで白羽の矢が立ったのがリクだ。
約束の火を最後に受け継いだバシャーモを制御できるトレーナーとなれば、ウミ以外にはリクだけだ。
「バシャーモのこととか聞きたいだろうし、会えないのは痛いね。バシャーモの調子はどう?」
リクは目を逸らした。
バシャーモを制御し、トモシビジムリーダーに就任すること。色々考えたがリクは受け入れた。実力不足も過ぎるのでしばらくは仮就任という形で、サイカを本拠地としてスパルタ特訓を受けている。マシロには騒動が一段落した直後に戻り、祖母と両親への報告も済んでいる。信じて送り出した息子が1ヶ月もしないうちに命掛けの事件に巻き込まれ、不在のジムにジムリーダーとして就任するとなれば文句の100や200は出そうだが、ヒナタやリアン、ゴルトの口八丁にリク本人の希望もあり、無理矢理承諾をもぎ取った。バシャーモの古いモンスターボールもその時に送ってもらったのだ。
今はたまに顔を覗かせるヒナタにバトルでぼこぼこにされ、ゴートではツキネの監視下でバシャーモの炎の制御特訓をし、またサイカに戻ってバトルと座学の日々を送っている。周囲がトップクラスのトレーナーばかりなので、同じ場所で足踏みしているような気分だが。
バシャーモの制御は上手くいかない。それだけでも頭が痛いが、リクメンバーのブレーンとも言えるエテボースが非協力的でずっと不機嫌だった。
原因は分かっている――チリーンである。
彼女はウミと一緒にいることを望んだ。つまりバシャーモと交換である。ウミに会えなければ彼女にも会えないので、たびたびリクはせっつかれたり八つ当たりを受けていた。
トドグラーは指示の半分は無視するし、バシャーモはすぐ興奮して暴れるし、エテボースは不機嫌だし、ジムリーダーどころか、現況はエリートトレーナーにもほど遠い。ホトリはだいたいの事を察したらしく苦笑した。
「ま、そうそうたる講師陣に直接指導受けてるんだ。バシャーモも必ず制御できるようになるよ」
「制御はしてみせるけど……いつになるかなぁ」
はぁぁ、とため息をついた。ホトリがからからと笑う。
心地の良い風が吹いた。これからもっと暑くなることだろう。
夏が始まる。今年は去年の分も取り戻すように、忙しい1年になる。
「10年はかからないさ」
「10年もかける気はないよ」
終身刑も、真面目に過ごせば10年で仮釈放がもらえるようになる。毎月の報告義務といくつかの制限はあるが、普通の生活が送れる。ポケモントレーナーとしてラチナリーグへの挑戦だって出来る。
ハンカチを返すのは、まだまだ先になりそうだ。
「あいつが出る頃には、ラチナ最強のジムリーダーはオレだ」
「おや強気な発言。あたしの水タイプに勝てると思うの?」
「それはその内……」
リクの顔がしわしわになった。ホトリが軽く背中を叩く。
「こら、急に弱気にならないの。まー制御できるようになったら、本格的にジムリーダーに就任する前にホウエンにも一回戻っときなよ。就任前の方が身軽だし」
「どっちみち、会いたい奴がいるから一度は帰るよ」
「会いたい奴?」
「ホウエンリーグのチャンピオンだ」
ホムラだったウミとバシャーモに、ジュカインで打ち勝ったというトレーナーだ。同い年だと聞いている。
彼に会って、戦って、訊きたいことがある。
バシャーモを連れたマグマ団の少年を覚えているか≠ニ。
「故郷のリーグに挑戦してけじめをつけたい……てこと?」
「そんなところかな」
ウミが元マグマ団だったことはごく一部の人間しか知らない。リクはホトリに、それ以上は言わなかった。
話している二人に退屈したトドグラーが、地元のタマザラシ達を遊んでいる。姿の変わった友達ともすぐに打ち解け、トドグラーが鼻先で回したり背中に乗せたりしていた。むん、とトドグラーが胸を張ると、周囲のタマザラシ達がパチパチと前足で拍手をした。
「タマ、そろそろ戻れよ! 行くぞ」
「ウォン!」
トドグラー、エテボースはそれぞれリクのポケモンとして正式に譲渡された。進化したトドグラーを最初に見た時、ホトリは「頑張ったね」とポンポン頭を撫でた。群れのリーダー・トドゼルガもトドグラーと鼻の頭をくっつけあっていた。彼らの儀式だろうと思う。
ホトリが言った。
「ここからリク君は何処へ?」
「ミズゾコシティへ」
「……海底洞窟、かな?」
「ツキネに「ちょうどいい腕試しになるのです。行け」って命令されたんだ……」
ナギサとミズゾコシティの間には踏破に丸一日はかかる長い海底洞窟がある。かつてヒナタやツキネ、カイトといった世代が実力試しに挑んだ場所だ。「あたしもやったなあ。懐かしい」とホトリが目を細めた。
……実はポピュラーな場所なんだろうか?
「まともな神経なら挑戦しないって散々言われたけど、タマちゃんなら大丈夫でしょ」
「ウォン!」
トドグラーが任せろとファイティングポーズをとった。リクは猛烈に不安になってきた。
「装備は分かってる? 必要ならあたしのお古で良ければ貸すよ」
「え、いいのか?」
「他ならぬリク君の為だからね。可愛いタマちゃんの為でもあるけどねー」
「ウォオ!」
ジムに向かって踵を返したホトリについていく。うごうごと地上では重たい動きのトドグラーは、ドポンと水路に飛び込んだ。追いかけてタマザラシ達が一匹二匹と落ちていき、ぷかぷかと浮かんで流されたり頑張って泳いだり。モンスターボールの中ではエテボースが健やかな午睡に励み、バシャーモはぷかぷかしているタマザラシを追って視線を動かしている。
ふとホトリが、肩越しに振り返って訊いた。彼女が振り返った先、黒髪の少年はまっすぐに背中を伸ばして不思議そうに見返した。
「ねぇリク君。君はこの地方に来たこと、後悔してる?」
「してない」
黒髪の少年は、目を逸らさずに答えた。
「――これからも、しない」
なかったことになんて出来ないくらいたくさんの事があって、悲しいことも、嬉しいことも、忘れたいことも、覚えていたいこともあった。でも、たとえ始まりの瞬間に戻れても、必ず彼らの手をとる。
果たされなかった約束を、返せなかったハンカチを返すために。
「ホトリこそオレが帰らなかった事、後悔すんなよ。もう凄い強くなって、オレがチャンピオンになる予定だから」
「おっ、なかなか強気ないい発言。なんなら海底洞窟前に一戦するかい?」
「それはまた今度で……」
「急に弱気になるなっ!」
「ウォン!」