Box.81 災厄の終わり
マグマの柱は一瞬の事だった。それらは天高く上がると、波が退くように落下していったんは大人しくなった。湖面はほとんど黒ずみ、元の美しい湖は見る影もない。
ヒナタの全身からドッと汗が噴き出した。全身無事だ。偶然ではあったが、チリーンの守る≠ェ命を救った。バルジーナの姿はマグマが落下していくと同時に消えた。どうなったかは想像に難くない。
リーグの最上階の柱の間から覗いている少年達も呆気にとられている。そちらへ戻ると、正気づいたように飛びついた。
「シャン太ヒナタオニキス!」
「だぁーいじょうぶだってば」
へらへらと応えると、リクが「笑ってる場合かよ!」と怒った。白髪の少年――ウミがへなへなと膝から崩れ落ちる。朱色の外套を着ているが、彼に戦闘の意志はなさそうだ。エイパムも遠目にチリーンの無事を確認し、安心して倒れた。
「リク、ゲイシャを戻してやれよ。そこの――えーっと、ウミだったか? もバシャーモをボールに戻して」
リクとウミは顔を見合わせた。お互いに「ボール持ってる?」と問いかけ、2人とも首を横に振った。ヒナタがぽりぽりと頭を掻いた。
「……事情はよく分からんが、戻せないのね」
エイパムだけボールに戻し、ヒナタはサニーゴに雨乞い≠指示した。多量の水蒸気があがった直後だ。すぐに雲がむくむくと集まり始める。
ヒナタは全員を集め、ポケナビを片手に言った。
「今からリアンに連絡とるから、お前らは先に帰ってろ」
「嫌だ」
「リク、ちょっとくらいは迷えよな。第一お前のポケモンは全員戦闘不能だぞ」
リクは「嫌だ」ともう一度首を横に振った。
「オレはお前も連れて帰るって約束した。全部終わるまでここにいる」
ヒナタが深いため息をついた。お前は? とウミの方を見る。
「僕も残ります」
「お前は帰れよ」
自分のことを棚に上げたリクが即答した。
「1人より2人。シャン太、ヒナタさん達を守ってくれてありがとう」
「リ」
控えめにウミがお礼を述べると、チリーンがそっと微笑んだ。おずおずとウミに近づき、頬を擦り寄せる。くすぐったそうにウミが目を細め、チリーンを撫でた。
リクはそれに目を細め、ポケナビで連絡を取ろうとしているヒナタに半眼を向けた。
「オレは帰らないからな」
「……繋がんねー」
「ん?」
「電波の調子が悪い」
ヒナタがポケナビをぶんぶんと頭上に振る。ガガッと音がして、「リ――ガ――ッ」とかすかに声が聞こえた。
「っかしーな。リク、ちょっと俺の代わりにポケナビに出てくれ」
ヒナタが肩車しやすいように屈んだ。リクは呆れ顔をしつつも跨がってポケナビを受け取った。
「位置の問題でもないだろ」
「さっきは微妙に通じた」
肩車されたリクがポケナビをもう一度鳴らした。想いが通じたのか本気で位置の問題だったのか、リアンの声が切れ切れに聞こえた。
「リ――んかい?」
「はい、聞こえますか?」
「あぁ、やっと――た。急――ポケモ―ガガッ―たからどうに――たん――うなと思ってたよ。――ピッ――た厄介なこと――きてガッ――だね?」
リクはなんとかリアンにテセウスの封印が解けた事を伝え、どうにか捕獲する算段をつけている話をした。半分も伝わったか疑問だが、リアンはふんふんと相づちを打った。
「ヒナ――にな――ガガッてもらわ――と色々困る――ピッ――封印が解け――響で空間――んでる――テレポートが使――ガッ―よ」
「つまり?」
「迎えが――せない。――飛ぶポケモガガッ―るレンジャー――緒にそち―ガッ―は向か――ど、時間がかブツン」
切れた。
外からは轟音が絶え間なく聞こえ、多量の水蒸気が今も上がっている。股の間からヒナタが訊いた。
「リアンはなんて?」
「なんか……空間が歪んでるとかどうとかで、テレポートで来れないらしい」
「マジ?」
「マジ」
ヒナタがリクを下ろして唸った。ヒナタの指示を仰ぐように、少年2人とチリーンが見つめる。
「……よし、分かった」
◆
ヒナタの指示で気絶したバシャーモをチャンピオンの間の真ん中に引きずった。首なし死体とファイアローの死体も一緒に集めた。
次にリクとウミでノロシを引きずってくるように話し、ヒナタがノクタスを預けた。ヒナタ本人はサザンドラ・サニーゴと一緒に、テセウス攻略に出た。溶岩が吹き出すばかりでまだ本体が上がってこない。溶岩の動きを観察して本体を探してみるとのことだった。
ノロシは大広間に転がっていた。気絶……はしておらず、近づくとガンをつけられた。しかし両手両足を縛られ、ヤドリギのタネで体力を削られているので目の奥が死んでいる。浜辺に打ち上げられた瀕死のメノクラゲみたいだなとリクは思った。足を持つか頭を持つか。リクとウミが話し合っているとノロシが言った。
「アカの野郎はどうした」
「……死にました」
ウミが静かに答えた。ノロシは瞠目し、「そーかい」と言った。
「それで、お前は次にあのクソチャンピオンを選んだわけだ」
ケケケ、と馬鹿にするようにノロシが嗤った。リクがムッとする。
「そのクソチャンピオンに――」
「僕はチャンピオンを選んだ訳じゃありません」
ウミがリクを制した。
「僕が選んだのは、友達と生きることです。僕自身の意志で決めたことです」
ウミの言葉にはこれまでにない力があった。昏い瞳と同じように言葉にあった陰りがない。自分に納得した人間の力強さがあった。
リクよりもノロシの方がホムラ≠ニの付き合いが長かった分、ウミの変わりようにかなり驚いたようだった。気分を害したようで、盛大に舌打ちする。
ウミはノロシのモンスターボールと荷物を探った。元気の欠片が1つ転がり出てきた。ノロシをチャンピオンの間に引きずった後、一階の破壊されたフレンドリィショップから無事なアイテムを探してきてくれとも言われている。ウミはノロシが最後に手をかけていたモンスターボールを見た。
「……ヒナタさんと戦ったんじゃないんですか?」
「戦ってねぇよ」
リクが眉を寄せた。
「どういう意味だよ」
「あのクソ野郎、忙しいとか抜かしてまともに戦わなかった」
ノロシが奥歯を噛みしめた。ノロシの顔が腫れているところを見るに、バトルの隙をついてぶん殴ったのだろう。ウミとリクの顔もだいぶ腫れているので、この場の全員が酷い顔だった。
「じゃあ今度は忙しくない時にバトルすればいいだろ」
「ハァ?」
「オレからもヒナタに言ってやるから、刑務所でバトルしろよ」
そこまでリクは詳しくないが、死刑にならない限りは出来るのではないだろうかと考えた。仮に死刑になったとしても、じゃあ明日死刑にしますとはならない……と思う。時間の余裕はどこかにあるはずだ。
敵だったが、戦わせてやりたい。奥歯を噛みしめた顔が、ソラの病室で見たユキノの顔そっくりだった。ノロシは胡乱な目を向けた。
「なんでテメェにお願いしてもらわなきゃなんねーんだよクソガキ」
「だってお前刑務所入るんだろ。どうやってヒナタに言うんだよ」
「ケッ。そんなヘマするかよ」
「自分の状況考えろよ……」
芋虫のような状態でさえ減らず口を叩くノロシは、ますますユキノに似ている。ユキノが仮に似たような状況に陥ることがあっても、同じ態度をとるに違いない。
ウミはじっとノロシの3つ目のモンスターボールを見ていた。
「ノロシ。テセウスを捕まえる為に、貴方も協力してください」
「なんで俺が……」
「この場でヒナタさんの次にバトル慣れしていて、体力気力共に満タンのポケモンを持っているのは貴方だけです」
ウミはノロシの鼻先にモンスターボールを突きつけた。中のポケモンとノロシの目が合う。ポケモンは相変わらずとぼけた顔でノロシを見返してきた。ゴートの旧市街地で、ノロシが初めて手に入れたポケモンだ。その時も間の抜けた顔をしていたが、進化しても間の抜けた野郎だとノロシは思っている。それにウミは期待をかけているらしい。
「ここでテセウスを捕まえられなければ、貴方も含めて僕たち全員死にます。再戦するんですよね?」
「俺様にあのクソチャンピオンと協力しろってか」
「利用されっぱなしは性に合わないんじゃないですか」
ノロシは黙ったが、数秒の後、喉奥で唸ると苦々しい顔で答えた。
「今回限りだ。二度はねぇ」
◆
焼け焦げたフレンドリィショップから発掘したもの――元気の欠片が1つ、回復の薬が1つ。
人体へポケモンの回復道具が有用であるかどうかは、ウミとリク、二人とも身をもって知っている。ノロシはキレそうだったが。
――ポケモンリーグ、湖上空。
湖は黒く染まり、粘度の高い液体が渦を巻いていた。凄まじい勢いで降る雨にも弱まる気配がない。黒の切れ目からマグマが時折姿を現し、その内臓が赫奕とした赤光を放った。
中心に炎のような瞳のポケモンが這いずっていた。岩石と鋼の装甲を纏ったポケモンは、頻繁に嘔吐いた。そのたびにマグマが口から溢れ、沸騰するマグマが体から飛び散った。
「ォ、オ、オオオオォ゛オオオ゛オオ゛オ゛オオ゛オオォオ!」
ポケモンが身を震わせ、マグマが渦を巻く。赤い瞳から零れるマグマが血涙のように見えた。彼の顔を打つ雨もすぐに蒸発してしまう。
ポケモンリーグに激しい雨が降る。サザンドラにはヒナタとサニーゴが掴まっていた。ヒナタの顔を汗とも雨ともつかぬ液体絶え間なく流れ落ちる。すぅっと片手をあげると、サザンドラの目が光った。
「流星群=I」
「オォン!」
サザンドラから上空へ、稲妻のような光が昇った。雄叫びが空を震わす神呼びの儀式だ。
テセウス――他地方ではヒードランと呼ばれるポケモンへ、雲と雨を切り裂き隕石が落下する。地形を変えかねない必殺技だったが、マグマの噴出を多少抑えられたかな、という程度の効果にヒナタが渋い顔をした。
見るからに炎タイプのヒードランへの有効打は水だ。サニーゴのハイドロポンプを1発当てたが、連発できるような技でもない。最大威力で確実に当てる必要がある。しかし、それでも威力が足りない。
「ヒナタァ!」
がなり声にヒナタは渋い顔を更に渋くした。さっきの今で聞き覚えのある男の声だ。ジェドは何してたんだと文句をつけたくなったが、ヒナタは怒鳴り返した。
「忙しいって言ってんだろ見て分かんねーのか!」
「ひゃはッ! テセウス程度に手こずってんじゃねぇか!」
「うるせー!」
キレそうだ。
ヤドリギのタネからどう復活したのか不明だが、ノロシは朱色の外套を脱ぎ捨てていた。リザードンに乗って同じように湖上空を飛び回っている。叩き落とすにしてもここでは危ない――ヒナタは頭を抱えたが、ノロシの一言で危険の二文字が吹き飛んだ。
「ひゃはっ! 勝たねぇとラチナの奴ら全員死ぬぜェ!? てめえらもレンジャーも――ゴートのクソ女もだ!」
――禁句だった。
コーラル、と色のない声でヒナタが指し示した。
最大威力まで集束しきっていたハイドロポンプが無言で照準を変更する。猛烈な殺気を孕んだ瞳にリザードンとノロシが映った。
濃い霧。水蒸気で煙る視界。激しい雷雨。
そんなこと、この男にとって大した障害ではない。
刹那の隙で十分だ。
「ハイドロポンプッ!」
激流が撃ち込まれた。速度・威力共に申し分ないハイドロポンプは、ノロシがかつて見た中でも常軌を逸した威力を予感させた。
それでも足りない化け物が眼下にいる。リザードンが3匹目のポケモンを構えた。
「待ってたぜぇッ! ミラーコート!」
「ソーナンスッ!」
光り輝く鏡をとぼけた顔のソーナンスが構えた。ハイドロポンプがぶつかった。衝突の凄まじい圧力にリザードンがよろめき、ミラーコートが軋んだ。
「ッ気合い入れやがれェ!」
「ナン――ソォオオオオオオオオオナンス!」
ソーナンスの額に血管が浮かぶ。ピシィッとひびが入ったミラーコートがグッと角度を変え、ハイドロポンプを打ち返した。正面ではなく眼下――ヒードランへと。
ミラーコートの効果で威力倍増したハイドロポンプが直撃する。ヒードランが絶叫し、マグマが波紋のように大きく震えた。
「……効いた?」
正気を取り戻したヒナタが瞬きした。見事に受けきったソーナンスは汗びっしょりだった。ノロシも珍しくホッと息をつき、呆けた顔のヒナタに罵声を浴びせた。
「てめぇのハイドロポンプが雑魚過ぎて効いてねぇじゃねぇか! やる気あんのかテメェ!」
「うっせぇな!? わーったよ次はもっと威力あげるさ! お前も倒れんじゃねーぞ!」
「はーん!? 誰に言ってんだクソチャンピオン!」
ぎゃいぎゃいとノロシとヒナタが上空で大声でがなり合う。
それをリーグの最上階から少年達は眺めていた。あの様子なら上手くやってくれる。
ノロシの持っていた元気の欠片とフレンドリィショップの残骸から発掘した分。二つの内、片方はリザードンへ。もう片方はバシャーモへ。話し合って決めたことだ。目を覚ましたバシャーモはウミを見て、ぽろぽろと泣き出した。
ウミが言った。
(「怒ってごめん。ずっと僕に付き合ってくれて、ずっと傍にいてくれて、ありがとう」)
ますます泣き出したバシャーモにウミが眉を下げた。リクがバシャーモの背中をトンと叩いた。
(「オレ達で終わらせるぞ、シャモ。今度こそ、みんなで帰るんだ」)
戸惑った様子のバシャーモにニッと笑いかけると、彼は泣きながら上下に首を振った。
そしてヒールボールは今、リクの手にある。
本当は、テセウスがある程度弱ったらヒナタに渡す手筈になっていた。しかし三人で話し合ったとき、リクが手を上げたのだ。
ノロシとヒナタがテセウスの相手をして、隙が出来た時に誰かがボールを至近で当てた方が捕獲率が高い、というのが理由だ。ノロシは最初反対した。というか、馬鹿にして相手にしなかった。
(「当てる前に死ぬだろ。それに、逃げ出されたら冗談じゃねぇよ」)
(「逃げないし死なないし絶対に当てる」)
(「ほーぉ。お前がねぇ……」)
(「ここで逃げるくらいなら、ナギサからとっくに帰ってる」)
じろじろと見ていたノロシが片目を眇めた。
(「失敗したら、俺は真っ先にお前をマグマに沈めるぜ。構わねぇな?」)
(「そっちこそしっかりやれよ。またリザードンから落とすぞ」)
(「上等だコラ」)
リクは朱色の外套のフードを下げた。ノロシが預けていったのだ。チャンピオンと同じ条件でテセウスの相手してやるよ、と宣言していたが、そこにはリクへの期待も含まれているように思った。
そろそろだろう。隣のバシャーモが呼吸を整えている。
リクは髪を縛っていたハンカチを解いた。ウミはチリーン、ノクタスと一緒にリーグの最上階で待つ。いざという時にみんなを守れるよう、トドグラーとエイパムのボールを預けてある。
「大事なハンカチなんだろ。燃えるといけないから、お前に返すよ」
ハンカチを見つめ、ウミが思い詰めた顔で言った。
「……やっぱり僕が」
「駄目だ。約束の火がどんな風に影響するか分からない」
それに、ウミの命が再び危険に曝されればバシャーモにもどんな影響が出るか。最悪、理性を失う可能性もある。テセウスの特性はまだ不明だが、仮にもらい火≠セとすれば、バシャーモが暴れれば大変なことになる。
ウミはハンカチを受け取り、リクの右腕をとった。驚いたリクの右腕にハンカチを縛る。
「もう少し預けるよ」
「これさ、……たぶんお前の母さんが縫ってくれたハンカチだろ」
「君だから預けるんだ」
リクの右手を両手で包み込み、ウミは額を当てた。祈るように。
かつて昏い瞳をしていた少年が顔をあげる。強い光を込めた目がリクを射貫いた。
「必ず返しに戻れ。約束だ」
リクが強く握り返した。同じように、まっすぐな光の宿る瞳で。
「――あぁ。約束だ」
◆
2発目のミラーコート倍増ハイドロポンプが撃ち込まれた。横殴りの豪雨にも関わらず、ノロシとヒナタのやり取りがハッキリと聞こえた。濃い水蒸気を切り裂く雨。叫喚するテセウスの声が響くたび、真っ赤に滾る溶岩がどす黒い湖面から跳ねる。視界不良、広範囲の無差別攻撃、空中戦に求められる即席コンビネーション。サザンドラと張り合う速度で奔るリザードンは、雨の中では辛いだろう。
悪口雑言だらけのやり取りをこなしながら、どちらも隙を窺っている。当然のように躱し、当然のように連携をとる。ヒナタと関わっていると麻痺してくるが、ノロシも一流のポケモントレーナーだった。
――あのレベルに達するには、どれだけの時間がこの先必要だろう。
果てしない道のりの先を考えて、止めた。
後悔のない生なんて生きられる訳がない。だから今、この瞬間だけでも後悔のないよう、出来ることをやろう。
テセウスに近づけるか。そう訊ねるとバシャーモはじっとリクを見つめた。そんなことを聞くなと、真っ赤に泣きはらした目が微笑む。
「任せたぜ、シャモ」
「シャモッ!」
リクは豪雨に声を張り上げた。
「ヒナター!」
豪雨の向こうから声が聞こえた。「なんだー!」
「オレがヒールボールを当てる! いけると思ったら合図してくれ!」
「シクったらぶっ殺すぞー!」と返ってきた。ヒナタではなくノロシの声である。ヒナタの声は返ってこなかった。迷っているのだ。
のっそりノクタスが近づいてきた。彼はリクとバシャーモをとっくりと見つめた。ドギマギするリクに腕を突きつける。ヒールボールを渡せ、ということだろうか。
「必ず捕まえる」
ジャッとノクタスの腕から無数のトゲが突き出た。
ぎゃっとリクはのけぞったが、負けてなるものかと睨む。
「オレだって――ラチナのトレーナーだ。信じてくれ」
「……」
ノクタスが腕を下げた。両手を構えて気合いを集中する。ぎょっとするリクを抱えてバシャーモが飛び退いた。臨戦態勢のバシャーモに、不穏な気配を感じたウミとチリーンが立ち上がる。
ノクタスの手に気合い玉≠ェ集束する。そして、彼はくるりと向きを変えると、雨の中に撃ち出した。空へと上がった気合い玉は誰も攻撃することなく、空中でパァンと弾けた。
数秒後、ヒナタの声が返ってきた。
「リク! 迷って悪かった。――任せるぞ!」
ノクタスを見やると、行ってこい、と手を振った。のし、のし、とウミとリーシャン達の方へ戻る。リクは口角を上げ、バシャーモにしがみついた。
「行くぞ!」
バシャーモがリクを抱えて飛んだ。ラチナリーグを守る柱の上に降り立つ。黒のマグマが溢れ、出入口の陸は沈んでしまっている。
3本目のハイドロポンプが見えた。反射する激流は、1発目よりもずっと綺麗な動線を描いた。テセウスに衝突して弾ける。溶岩が渦巻く湖だったものが蠢いた。ず、ず、ず、と粘性の振動音を鈍く奏で、黒の割れ目から赤黒い内臓が覗く。
大きなものが来る、とリクは予感した。バルジーナが飲み込まれた時の事を咄嗟に連想する。
バシャーモが低く構えた。ヒールボールを握りしめる。
雨が降る。テセウスの声に耳を澄ませる。地割れのような悲しい声を見失わないように、リクもバシャーモも気持ちを集中する。
4本目のハイドロポンプが放たれた。
「行けッ!」
バシャーモが柱を蹴った。マグマの上を駆け抜ける。足が炎を纏って駆ける。沈んでしまう前に霧を切って前へ、一直線にテセウスへ走った。反射したハイドロポンプが先行してテセウスにぶつかって弾け、かのポケモンが呼号する。轟け、轟け、応えろと、マグマの重たい不協和音が耳をつんざく。
マグマに埋まる湖面が引き潮のように低くなった。飛び込んだバシャーモと呼吸を合わせ、リクはヒールボールを投げた。
「いっけええええええええええええぇぇええ!」
テセウスが、その面を上げた。
爆発寸前のマグマの上で、溶岩が零れる瞳から一筋だけ透明な涙を零した。
大きな体にヒールボールがぶつかり、吸い込まれる。ヒールボールが静かに落下した。
「っシャモ!」
「シャモーッ!」
沈んでしまう前にバシャーモがヒールボールを拾い上げた。ズン、と足が湖面に沈む。シャモシャモシャモ! と泡を食った顔でバシャーモは必死にマグマに埋まる湖面を駆け抜けた。なんとか陸まで逃げ切ったバシャーモと一緒に振り返った。
爆発寸前だったマグマが次々と水底に沈んでいく。
大空洞でヒナタが話した神話。
人を燃やし、ポケモンを燃やし、テセウス自身すら燃えた。
困り果てたそのポケモンと人々のもとに、ホウオウが現れ告げた。
『地下に潜ればいい。地下深くで、お前の溶岩は冷えて固まる。――後に、それはラチナの大地となる』
災厄が終わる。
一つも揺れなかったヒールボールが、手の中に収まっていた。