暗闇より


















小説トップ
ラチナリーグ
Box.77 赤銅のノロシ
「お前がリマルカの爺ちゃんをやったのか?」
「聞くまでもないことだろうがよ。四天王っつっても、所詮は耄碌したジジイ。他の奴残した方が良かったんじゃねぇの?」

 にやにやと、朱色の外套の男――ノロシが顎を撫でた。人を見下す目つきに、耳障りな声は変わらない。目を眇め、へっと下卑た笑いを浮かべて彼は続けた。

「で? 俺様に負けたお前が、また負けに来たって?」
「負けた?」
「はン?」

 ヒナタが神妙に首を傾げた。余裕綽々で得意げだったノロシの額に、ピキッと青筋が立つ。
 リクは嫌な予感がした。
 ヒナタの声音は本当に不思議そうだ。まるで身に覚えのないこと――お前本当にチビだな、とか言われたような顔だ。余談だがヒナタの身長は180越えと高い。
 人は馬鹿にされたとしても、それが髪の毛一筋程度も真実に掠らない罵倒文句であれば、怒りよりも困惑が先立つものである。ヒナタは少し記憶を探っていたようだが、いかにも思い出せなかったので思考放棄しましたという様子で言った。

「よく分かんねーけど。それよりお前、バシャーモとウミって子知ってるだろ。あとアカツキ。あの上でいいんだよな?」
「よく分かんねぇけど、だとぉ?」

 ビシッとノロシの青筋が増えた。
 まずい、とリクは冷や汗を流した。断言できるが、ヒナタは一切煽っているつもりがない。しかし完全に煽っている。
 ヒナタは恐らく、本当にノロシに負けたとは思っていないのだ。リクはこそっと訊ねた。

「……あの、ヒナタ。オレと別れた後、ノロシとの勝負ってどうなったの?」
「あ? 勝負? ノロシ?」
「こいつだよ! ノロシって覚えてるだろ!?」

 ぽくぽくぽく、とヒナタが3秒ほど首を捻る。ノロシの方はイライラと青筋を立てながらもヒナタの言葉を待っている。律儀だ。律儀な男だ。彼の視線には、まさか本当に覚えていないのでは? という焦りを感じる。リクと目が合った。片目を眇め、ぼそっと「あン時のガキか」とノロシが吐き捨てる。ヒナタは思い出すのに時間がかかったが、ノロシはすぐにリクが分かったようだ。リクも同じだ。この場でもっともノロシの怒りと心境を理解している人間は、リクであろう。
 やがてヒナタがぽんと手を打った。

「お前そーか! あん時のリザードンの奴か!」
「今!?」

 ブチン! とノロシの血管が切れた。シュッと腰のモンスターボールを放り上げ、橙の翼が姿を現す――リザ―ドンが呼応し、怒れる眼光のノロシがその背に飛び乗った。キレている。瞳孔が開き、ギリギリと噛みしめた歯が血が出るほど擦れ合う。大広間を揺るがすほどの怒声が轟いた。

「テメェ――ヒナタァアアアアアアアアア! 今度こそぶっ殺す!!」

 全身に声が叩きつけられているようだ。怒りが大気を震わせ、リザードンが大きく羽ばたいた。風にリクが顔を腕で庇うと、ヒナタが背中を強く押した。

「先に上行ってろ」

 2,3歩前へ、上の階段へと向かう方へ押されたリクの背後で、ボン、とボールの開く音がした。肩越しに振り返ったリクの目に、六枚羽根を広げたサザンドラの影が映る。火炎放射が上空から落下し、サザンドラが全身を震わせた。竜の波動が火炎放射と激突し、炎と波動が四方八方に飛び散る。

「ヒナタ!」
「後で行く!」

 舞い上がる六枚羽根の背中にヒナタが飛び乗った。戦闘開始の砲撃に広間が震え、燭台がカタカタと揺れる。初めての光景のはずなのに、妙な既視感がリクを襲った。
 水への落下。ヒナタとサザンドラとリクと。ノロシの急襲。残されるヒナタと――先へ進むリク。
 ノロシとリザ―ドンを、ヒナタとサザンドラが迎え撃つ。リザ―ドンが火炎放射を撃った。火炎の動線がまっすぐにヒナタ達を狙って――いや、これは違う。ノロシはキレているが、分かっている。
 彼はヒナタではなく、リクを狙っていた。

「腰抜けェ!! 見逃すと思うなよ!!」

 ヒナタとサザンドラが避けることなど承知の上。火炎放射がその先にいたリクへと落下する。目の前が赤く染まる。足が床に接着されたようで、リクは目を見開いた。オニキス! とヒナタが叫び、唸る翼の音が聞こえる。アイドルキングの警告が鮮やかに甦った。

(「彼一人なら勝てた相手です。しかし、君という足手まといがいれば、破れることもあるでしょう」)

 また自分は、後悔を繰り返すのだろうか?

「リー!」

 チリーンの守る≠ェ発動した。火炎放射が目の前で四散し、強い風だけがリクの横をすり抜ける。火炎の向こう側に黒い影。回り込んだサザンドラとヒナタが魂を震わせるような哮りをあげた。

「竜の波動=I」
「ルォ――オオオオオオオオオオオオオオオオオアアア!!」

 竜の波動がリザードンの胴体を直撃した。よろめき墜落するリザードンをノロシが叱咤し、がむしゃらに翼を動かす。素早い追撃がリザードンを襲い、その体を掠めていく。ノロシの罵倒が聞こえた。

「リ!」

 チリーンがにっこりとした。そして階段へ、一人と一匹は駆けだした。
 同じじゃない。自分のそばにはリーシャンだったチリーンが。サザンドラのそばにはヒナタがいる。
 鉄の鎖を乗り越え、階段へと足を踏み出した。白亜の階段を彩る赤い絨毯が蠢き、ハッと気がつく。これは赤い絨毯などはない!
 鳥の叫喚がリクとチリーンの体を打った。無数の羽音がさざめき、赤い鳥の群れが一匹二匹と舞い上がる。ゴートのスカイハイを襲った炎の鳥達。ヤヤコマの、ヒノヤコマの軍勢がリクを取り囲んだ。

「な――ッ!」
「リー!」

 チリーンのサイコキネシスが道を開く。弾かれたヤヤコマ達が一瞬退くが、後から後からやってきた者達が場所を埋める。整列。ここから先は通さない、と彼らは語る。

「ど――ッけぇええええええええええええええ!」

 リクは腕で頭を庇い、正面から突っ込んだ。階段を駆け上がる彼の声にチリーンが応えた。強い光を纏い、リクと一緒に前へ。彼らの足を、腹を、顔面を、頬を、眼球を、抉らんとばかりに迫る赤の群れ。直前で逸らしながらも真新しい傷跡が次々と刻まれる。
 ボン! ボボン! とリクの腰のモンスターボールが勝手に開いた。二匹のポケモンが――トドグラーとエイパムが、鳥の群れに負けないくらいの、リクとチリーンに負けないくらいの雄叫びを上げた。
 荒れ狂う冷凍ビームとスピードスターが立ちはだかる赤のとばりを引き裂いた。駆け上がる。それでも道に、次々と無数のヤヤコマとヒノヤコマが立ちはだかることは変わりない。彼らは一枚のカーテンのように翻り、終わりのない織物のように乱れない。飛び出したエイパムが身軽に先を走ろうとしたが、突然進路を変えて駆け下りてきた。リクとチリーンも足を止めて振り返る。トドグラーが階段を上がろうと、ヤヤコマに襲われながら奮闘している。体の形状として、彼女は階段を上がるのに向いていないのだ。

「タマ!」

 リクがモンスターボールを構えた。赤い光線がトドグラーを戻そうと伸びるが、鳥の群れが阻む。そこへ、背後からリクの横をすり抜けたスピードスターが道を開いた。エイパムだ。ボールにトドグラーが戻った刹那、その空間にヤヤコマが殺到し、赤の光線の戻る先へと、こちらを貫くように飛んでくる。
 カッと背後で強い光が発せられ、リクとチリーンから濃い影が一瞬だけ落ちた。もう一度スピードスターが飛ぶ。先ほどよりも力強い輝きの星々がリクとチリーンを守るように駆け抜け、赤のカーテンを引き裂き四散させる。

「ゲイシャ――」

 リクの腕とチリーンを、大きな2本≠フ尻尾が掴んだ。赤の群れ。赤の嵐。紫の毛並みの小猿――いや、一回りも大きくなったエテボースが息つく間もない速度で先頭を切って駆け上がる。抜け目ない黒の瞳が赤の間隙を見抜き、よく聞こえる耳が鳥の動きを予測する。引きずられるように引っ張られていた足が、確信を持って階段を踏みしめだす。チリーンのサイコキネシスが道を開くエテボースを守って赤を退ける。
 最上段が見えた。終わりだ。そこにポケモンの姿が見える。
 大きな影姿、荘厳さを感じる毛並みが近づくにつれて分かってくる。炎を纏っている。赤を纏っている。
 ――血濡れのウインディが最上段からこちらを見下ろす。
 獣の毛並みがぶわっと広がり、一際大きく膨れ上がった。
 何か、来る。

 ウインディが――トモシビの護り神が、吠えた。

 心の臓まで止まりそうな震えが突き抜ける。
 大広間が壊れそうなほどの、逆らえない大音声が全身を叩く。
 絶対的なレベル差のほえる≠ェ、本能レベルで退くことを強制する。
 ぎゅっとリクはエテボースの手を強く掴んだ。チリーンも同じだ。エテボースの手を小さな手で掴み返した。ボールに戻されたトドグラーも同じ気持ちだろう。自分たちは進まなくてはならない。
 退きそうな意志を叱咤して、リクは足を踏み出した。上へ。逃げそうな足を前へ。

 刹那、大きな揺れに世界が軋んだ。

 赤のとばりが落下する。今までになく大きな揺れに、リクはガクンと膝を打った。軋みをあげた天井から砕片が落ちてくる。ばらばらと力尽きて、鳥達が墜落していく。吠える≠フ効果に怯え、大広間の方へ飛び去っていくヤヤコマや、ヒノヤコマもいる。
 吠える≠ヘ、対象を選べる技だ。鳥達は味方ではなかったのだろうか。戸惑いを隠せない顔でリク達は、飛び去り、落下し、消え去った赤の残骸の散らばる白亜の階段を、それでも上った。

「お前……?」

 ウインディの待つ最上段まで来た。
 ウインディの口元は真っ赤に染まっており、足下にかけて血に濡れて光っている。彼女の足下には新しい血だまりが出来はじめてた。それは彼女自身の胴体の、深く貫かれた傷口から滴っていた。獣の息が細く吐き出される。血だけではない、煤けた炎の残渣の匂い。燃え尽くして、灰だけが残された香り。
 瞳の奥に、背をピンと伸ばした老女が見えた。連綿と続く人々とポケモンの姿が見えた。
 その手に抱くは約束の火。プロメウから託され、守られてきた火そのものがウインディに重なる。
 嗄れた声が告げる。男とも女とも、幼児とも老人とも人ともポケモンともつかぬ声。
 幾千の、幾万の夜を過ぎ、護り神に封じられた言葉が響く。

『約束は、果たされた』

 ウインディが、力尽きるように崩れ落ちた。

( 2022/07/10(日) 19:49 )