暗闇より


















小説トップ
前哨戦
Box.1 災厄の兆し
 100p×100p×100p。
 縦×横×高さ。
 23時48分10秒。

 ――暗闇の中、目を覚ました。

「……あ?」

 ラチナ地方大空洞、地下トンネルは毛細血管のごとく。走る輸送車の積み荷の中、箱の中から少年は絶叫した。

「うわあああああああああああ騙されたあああああああああああ!」

 箱がガタガタと暴れる。運転手は鼻歌交じりにラジオを聞いている。声に唯一耳を傾けていたのは、リボンのように箱に結えつけられたリーシャンだけだった。

「リーン……」
「その鳴き声はシャン太! シャン太じゃないか! 助けて! シャン太!」

 リーシャンはちらりと箱の伝票を見やった。

『速達クール便
 届け先:ラチナ地方マシロタウン お祖母ちゃん
 送り主:ホウエン地方ミナモシティ 母
 品物名:息子
 こわれもの/下積み厳禁
 シャン太へ “勝手に開けないこと!”』

 リーシャンの中でのヒエラルキーは、少年より母親の方が高い。昨日の記憶を振り返る。11歳の誕生日を迎えた少年――リクの誕生パーティ。リク、母親、リーシャンでケーキを囲んでお祝いした。喜んでケーキを口にした数時間後、リクは手際よく梱包され発送された。

「此処どこ? ミナモシティから遠いのか? シャン太?」
「……」
「なんで無言なの!?」

 残念ながら地方自体が異なるという現実を、リーシャンには伝える術がなかった。簡単には帰ってこれないように。知り合いと会うことのないように。10歳からずっと旅を拒否してきたリクへの母親の配慮、らしい。やり方は強引かつ非常識そのものだが。
 巻き込まれた者のとれる行動はひとつだけだ。

「疲れた」
「リ?」
「……そうかこれはわるい夢か。おやすみシャン太」
「リリーン」

 実の息子は状況への対応力も高かった。箱は動かなくなった。リーシャンが耳を澄ますと、中からは静かな寝息がした。それでいい。次に目覚めるのは、きっと箱の開く時。状況に立ち向かうべき時だ。
 それが、どんな形の始まりであっても。
 眠ろう。動かなくなった箱の上で、リーシャンも揺れに身を任せ、目を閉じた。





 同時刻、23時48分10秒。地下トンネルに潜る別の人物がいた。
 暗闇に火が灯る。松明の灯が岩壁を這い、周囲を仄かに照らし出した。黒を洗い落としたように白い髪が、薄ら赤く浮かび上がる。

「ヘル」

 澄んだ声が名を呼んだ。先の暗闇から一匹のポケモンが戻ってきた。

「ウォン」

 宵闇のように黒い毛がざわざわと蠢いた。象牙色の角は鋭く、松明の火を受けぼんやりと浮かび上がる。紅い瞳を主へと向ける――ダークポケモン、ヘルガー。

「グルゥ゛」
「もう少し先、か」

 ヘルガーが先行し、白髪もそれに続いた。着信音がポケットから響き渡り、赤い外套からポケナビを取り出した。ポケナビからは硬めの少年の声がした。

『アカ様』

 アカと呼ばれた白髪は軽い調子で問いかけた。

「こんばんは。お使いは終わった? ホムラ」
『いえ、すみません。ですが、』
「どうしたの?」

 通話相手――ホムラはいささか強い口調で答える。

『チャンピオン……ヒナタが勘づいたと。ノロシが独断で排除に向かいました』

 アカは目を見開き、ゆっくりと左半分の顔でほほ笑んだ。右半分の顔は焼け爛れて動かない。右の口角が引き攣れた笑みを浮かべていた。

「ヒナタ君はもうトンネルの中?」
『カザアナジムリーダーと協力して我々を探し回っています。ノロシの性格上、大空洞内での衝突は避けられません』
「あはは。張り切ってるね」

 ヘルガーがピタリと歩みを止めた。アカはヘルガーの視線の先へ目を向ける。
 ラチナには幾百もの自然の地下トンネルと多数の水脈が存在している。目の前には探していた水脈の一つがあった。探し当てたヘルガーの頭を撫でる。

「ヘル、良い子だね〜」
「ウォン」

 気持ち良さそうにヘルガーは鳴いた。アカは一点を指し、後方へ下がった。水脈の流れを変えるその一点を見つめ、ヘルガーは頷く。アカは土壁に背を預けた。

「会える前に俺の仕事は終わり。残念だ」
『流石ですね』
「俺のヘルは優秀だからさ」

 ヘルガーの尻尾が得意気に持ち上がる。高密度のエネルギーが口腔に集約する。

「ォオォオオオオオオオオオ――――オオオン!!!!」

 破壊光線が放たれ、耳を劈く崩落が始まった。アカは遠足前の子供のように、崩れゆく様子を楽しそうに眺めた。

「ノロシは好きにさせときなよ。彼の分を代わりにお願いできるかな?」
『それは、構いませんが……よろしいのですか』
「そうそう死なない人だからいいよ」
『……もうひとつ報告があります。輸送車が一台、通過中です』
「ん、そうなの? 運が悪いね」

 先ほどとは打って変わり、アカは心底どうでも良さそうに言い放った。電話向こうのホムラが焦ったように言い募る。

『崩落に巻き込まれそうになった際には』
「放っておいて良いよ。あ、まさか炎ポケモンが載ってる? だったらすぐ助けないと」

 眉を寄せ問いかける。少し間があった。

『……ポケモンはリーシャン一匹だけ、です。それと人が』
「なぁんだ、びっくりした。じゃあいいよ」
『ですが――』

 なおも続けようとするホムラの言葉を、アカは咎めるように遮った。

「聞こえなかった? 炎ポケモンがいるなら助けて≠チて」

 電話口から、ホムラの息を呑む気配がした。アカはため息をつく。
 少し目を放すとこれだ。優しさは彼の長所だが、時に邪魔くさいとも感じる。諭すように言い含めた。

「助けるのは炎ポケモンだけだよ。どうでもいいものは、放っておきなよ」

 ホムラは優しくて、弱い。アカは彼を深く理解していた。拠り所を求めて彷徨うホムラは、最後には必ず自分に従う。予想したとおり、重苦しく、細く息を吐くように、了承の返事があった。
 通話が切れる。アカはポケナビを仕舞った。

「ヒナタ君のお迎えがノロシで良かったよ」
「ウォ?」

 首を傾けたヘルガーに、アカは苦笑した。

「ホムラが行ってたら、きっと負けてたかもね」

 ラチナの現チャンピオン、ヒナタ。自分とは違った意味で、周囲の人間へ多大なる影響を与える人間だ。彼には確固たる意志がある。

「迷いのある人間は、選ぶことの出来る人間に勝ち得ない」

 脳裏に浮かぶチャンピオンの姿は、情けもなく、容赦もなく、真っ直ぐな意志を持ってして。真正面から此方を叩き潰しにかかってくる。敵ながら、好ましささえ感じる精神だ。

「だから彼は、ラチナの現チャンピオン足り得るのさ」
「ウォン」





 24時05分08秒。
 箱は揺れに揺れているが、リーシャンもリクも、よく眠っていた。
 どこか遠くで何かが崩れるような音が響いてくる。ラジオも放送休止時間に入り、あくびをしていた運転手が呟いた。「地震?」ラチナではそう珍しい事ではない。自然のトンネルが縦横無尽に張り巡らされている為、脆い場所がいくつかある。自身の走る道を含め、主要ルートはとっくの昔に補強されているから心配はいらない。半分睡魔に襲われつつも、運転手はトラックを走らせ続けた。
 少し離れた地下水脈付近に、人影が二つあった。一つはすらりとした紅い体、ふさふさの毛を髪のように流したポケモン、バシャーモだ。腕の炎を松明代わりに、主たるトレーナーの行く手を照らし出す。
 人間の方は朱い外套に身を包んでいる。右手には切ったばかりのポケナビが握られていた。アカとは対照的な黒髪の少年――ホムラ。その顔にあまり表情はない。瞳が昏く、影を帯びた顔つきである。引き結ばれていた口が開いた。

「シャモ、フレアドライブ」
「シャモッ!」

 バシャーモの全身から炎が噴き出した。炎は渦を巻くように体に巻きつき、バシャーモの目がギラリと光る。地下水脈の流れを変える一点へ、バシャーモは弾丸のように飛び出した。

「シャアアアアアアアアアッ!!」

 ラチナが再び悲鳴を上げた。壁を伝い、跳ね返るようにバシャーモが戻ってくる。バシャーモと共に、ホムラは逃げるように崩落に背を向けた。
 すぐに次へ向かわなくては。それがアカの命令であり、自身が従うべき信念だ。

 そして見捨てられた者たちは、いまだ状況を把握していなかった。

「んがグッ!?」

 一際大きな揺れが襲った。

「いてぇ……分かったよ夢じゃないことは分かったよ……」

 リクは涙目でぶつぶつと呟いた。先ほどと状況はあまり変わっていない。まだ目的地に到着していないようだ。「どうせならギリギリまで夢の中にいたかった」リクは不満を垂れた。
 だが状況がそれを許さない事を、すぐに察する事となる。箱の外でリーシャンがただならぬ鳴き方をしていた。

「リー! リーリリリリリ!」

 再び衝撃が箱を襲い、リクは舌を噛みかけた。ぐるりと天地が逆転し、次いで浮遊感、箱が止まった。リーシャンの念力だ。箱に不可視の力がかかり、ガムテープが引き裂かれる気配がした。箱が開く。決して明るくはないが、真っ暗ではない世界が視界に広がった。

「ぷは!」

 リクは箱から飛び出した。結んだ黒髪がぴょんと跳ねる。視界に広がるのは、予想はしていたがトラックの荷台の中だ。倒れた積み荷がそこらじゅうに転がっていた。リクとリーシャンは空中に浮遊しているが、積み荷は右へ左へと、時には上へと跳ねまわる。不安になってリーシャンに視線を向ける。勢いよく、念力がトラックの扉を開いた。
 トラックの外には瓦礫が雨のように降り注いでいた。吸い込まれるように積み荷が次々と転がり落ちていく。

「な、中にいた方が……」
「リー!」

 安全なんじゃないか、と続けようとしたリクの言葉に、リーシャンが首を横に振る。外から怒鳴るような青年の声がした。

「トラックを捨てろ!」

 トラックが軋み、悲鳴が聞こえた。別の声がした。「助けてくれ」混乱するトラックが滑るように方向を変えた。抉るような走行音が急に途絶える。慌てたリーシャンが、念力でリクとトラックから飛び出した。飛び出した直後、斜め後ろに落ちていくトラックにリクは顔を青くした。トラックは渓谷に落ちていった。渓谷の斜面を登ろうと、リーシャンが必死に念力で引っ張っていた。

「リー!!!!」
「た――助けて!」

 リクは引き攣れた喉を動かし叫んだ。最初に聞こえた青年の声が返ってきた。

「まだ誰かいるのか!?」
「ここに――いる――! げほっ!」

 喉が裂けんばかりに助けを呼ぶと、落ちてきた砂粒が喉に入ってむせた。顔にぴしぴし当たる砂礫がうっとおしい。リーシャンとともになんとか上まで登りかけた瞬間、ふっと背筋が寒くなるような感覚がした。

「シャン太!」

 リクはリーシャンを突き飛ばした。リーシャンがすっ飛んで行く。直後に大きな瓦礫が降ってきて、渓谷へとリクを突き落した。
 誰かを庇って谷へまっさかさまなんて、映画みたいだ。それも、最初に消えるエキストラ。痛みで麻痺したリクの脳裏に走馬灯が浮かんだ。
 飛び込んでくる青年の声は……ついさっき聞いたばかりだ。

「おい!」

 すべてが谷底へと落ち、水柱が上がった。追うようにもう一つ。濁流が全てを押し流していくその上で、リーシャンが必死に鳴いていた。

「リーリリリリ!」
「待ちたまえYou! 君まで流れてDoするんだね!」

 追って飛び込もうとしたリーシャンを、トラックの運転手が呼び止めた。彼もまた、先ほどトラックを投げ出して助けられたばかりだ。谷底の凄まじい流れが、もうリーシャンには追いつけない事実を教えていた。リーシャンが力なく俯いた。

「リー……」
「リーシャン、Youの気持ちはVery understand。しかし、今は一刻も早く、このことを誰かに伝えなくてはなるまい」

 項垂れたリーシャンを、妙に発音のアクセントが特徴的な運転手が抱き上げる。先ほど運転手を助けてくれた人物も、リクを追って谷底へ飛び込んでしまった。運転手がリーシャンを抱えたまま歩きだそうとすると、行く手から強いライトの光が射しこまれた。

「あ、ごめん。眩しかったね」

 光が地面へ移動した。運転手は思わずかざした片手を下げた。声の主は10にも満たない少年だった。内はね気味の黒髪が一本だけ寝癖のようにはねている。

「Youは、確か……」
「お察しのとおり、カザアナタウンのジムリーダー。君たちを迎えに来た……んだけど」

 一人足りないことに気がついたらしく、少年はため息をついた。

「トラブルがあったみたいだね」
「リーシャンのトレーナーが一人と、チャンピオンが……」
「悪いけど後で。早く避難しよう」

 少年は踵を返し、運転手は慌てて追いかけた。運転手の腕の中で、リーシャンは後ろを何度も振り返った。

「リー……」
「そんなに心配することないよ」
「リ?」

 少年が横目でリーシャンを見て、ほほ笑んだ。

「君のご主人様は大丈夫さ。毎度厄介事に首突っ込む割に、妙に強運な人がくっついてんだから」

( 2021/01/02(土) 09:21 )