暗闇より


















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森林の街
Box.72 被害状況報告書
 いなくなってしまった。ウミもアカも。手元に残っているのは傷ついたリーシャン――チリーンだけ。
 進化した。ウミを守るために。手を伸ばされたけど、追いかけられなかった。
 リクはチリーンを抱きかかえたまま、残されたガーディへと近づいた。消し炭のように染まった部屋で静かに座っている彼は、透徹した瞳でリクを見上げる。小さな体に掴みかかった。

「ウミは――ッ!」

 ガーディは一鳴きして、小さな炎を吐き出した。黒い炎がめらめらとリクの瞳に映って揺らめく。熱さに身を退く前に、空気に溶けるように炎が霧散し、くたりとガーディは倒れた。揺さぶってみるが、気絶している。エイパムが尻尾で叩いても、ずもずもと近づいてきたトドグラーが頭をぐりぐりしても、キレそうなサザンドラが波動を集束させても(これは直前でリクが抑えた)、ガーディは死力を尽くした後のように疲弊しており、目覚めなかった。チリーンもまた呼吸が浅い。早く回復しなくては。

「行こう」

 チリーンを大事に抱え、留置所を出た。出入口で待っていたモクローがのっしとリクの頭上に戻る。医務室は一階だが、この状況でまともに機能しているだろうか。不安が過ぎるが迷っている暇はない。レンジャーでもなんでも捕まえて、治療しなくては。
 アカとウミは、何処へテレポートしたのだろう。行き先を知っていそうな人物なんて――

「シャモは?」

 脱走したバシャーモはカイトが追いかけていたはずだ。何か分かるかもしれない!
 身軽なエイパムがかけだしたリクに並走する。サザンドラは道が分かっているのか廊下を巨体で器用に飛び、そのまま飛び去っていってしまった。トドグラーも全力で進むがすぐに後方に見えなくなりそうだったので、ボールに戻した。突き当たりを曲がるとカイトを見つけた。

「カイト! ウミがいなくなってシャン太が瀕死に――」

 カイトの呼吸が荒く、掴んだ腕は火傷しそうな熱を持っていた。
 いつもレンジャー服だったから、一瞬リクはカイトが着替えたのかと思った。それは勘違いだった。半身が赤く爛れており、キュワワーが巻きついている。甘い匂いはアロマセラピーであろう。
 ――火傷。

「シャモと戦ったのか?」

 肩で息をしているカイトが、なおも鋭い眼差しを返した。

「お前、ここに来るまでにルカリオに会ったか」

 リクは首を横に振った。カイトが舌打ちする。視線が行き先を求めて彷徨った。

「何処へ……」
「痛くないのかよ」

 リクが息を呑んで尋ねた。カイトは目を眇め、何を言ってるんだこいつは、という目を返した。

「痛いに決まっているだろう」
「あ、ま、そりゃ、そうだよな」
「そのチリーンは瀕死だな。手を出せ」

 カイトがしゃがみ、無事な足のポケットから元気の欠片を取り出した。腰の無線は熱で熱でひしゃげている。もう使い物にはならなさそうだ。言われるがままに差し出した手に、ぽんと元気の欠片が渡される。チリーンの口に押し込むと、瞬間で効果が現れる訳がないと分かっていてもホッと息をついた。

「もう一度手を出せ」
「え? あぁ、いいけど」

 リクの手をしっかり掴み、カイトが立ち上がった。思いがけない体重がかかりリクはよろけかけたが、なんとか踏みとどまる。普段キビキビしているカイトには珍しく、2秒ほど立ち止まった後、リクを押しのけた。靴音高く――というより、気持ち弱めな音を響かせるカイトの後を追いかける。エイパムがリクの背中に飛び乗り、肩からチリーンを覗き込んだ。元気の欠片で顔色がよくなってきている事を確認し、ふっと息をつく。
 リクはカイトの真横に追いつくと、弱っていても人並みより早い歩きに並走した。走らないのはその体力がないからか。傷に響くからか。どっちだろう。

「火傷治しは」
「必要ない」
「ないって事はないだろ」
「単独行動は危険だ。外の避難民と合流しろ」
「あんたの単独行動の方が危ないって。何処行くんだよ! ウミもシャモもいなくなっちゃったし……」
「一般トレーナーは事件に関与するな」
「あぁそう!」

 リクはカイトの向かう方向へ駆けだした。分岐で立ち止まると、背中から飛び降りたエイパムが迷わずもう一方へ走り出す。少し先で、リクをちょいちょいと尻尾で手招きした。

「そっちだな」
「……なんのつもりだ」
「ゲイシャならあんたの目的地が分かる」

 オレより賢いからな、という言葉は言わないでおく。

「あんたが止めてもオレは行くし首突っ込む。こいつらと一緒に」

 腰のモンスターボールを叩いた。カイトはそれを見て、アロマセラピーをかけるキュワワーに触れる。
 一人で出来ることは限られている。ポケモンも人間も。

「手を出せ」

 リクが差し出した手をカイトが掴み、しれっとした顔で言った。

「引張れ。止まるなよ」





 イミビのいる留置所は静かなものだった。出入口の部屋のレンジャーがカイトの様子に卒倒しかけ、あれこれ薬箱をひっくり返すのを無視してイミビの部屋へと入る。リクの頭上にいたモクローはカイトに別の用事を言いつけられて飛んでいった。
 リクが手を引いたとはいえ、全力疾走したはずのカイトが重い扉をなんなく開く。リクはぜぇぜぇと後ろで呼吸を整えてた。音にベッドでゴロゴロしていたイミビが振り返り、目を丸くした。カイトの明らかな火傷痕にけらけらと笑う。

「凄い面構えしてるッスねあんた。いやー良かったじゃないッスか。男前ッスよ!」
「アカツキが貴様の仲間を連れて逃げた。行き先を吐け」
「知ってても教えるわけないじゃないっスかバーカ」

 けろりとイミビが肩を竦めた。カイトの火傷の痕を見つめ、「うーん。ウェルダン」と呟く。
 カイトの後ろの方にいたリクが息せき切って前に出た。

「教えてくれよ! 時間がないんだ!」

 鉄格子に張りつくリクに対し、イミビはベッドから降りて近づいた。じーっとリクの顔を半眼で見つめ、記憶を探るように問いかける。

「お前、どっかでボクと会ったコトないッスか?」
「ない。それより行き先」
「いーや、そんな訳ないっス。どこ出身ス?」
「ミナモだよ。ホウエン地方の」
「コンテスト会場がある街ッスよね確か。それにしては垢抜けない――」
「そんなことはどうでもいい」

 頭上からカイトの苛立った声が降った。底冷えするような冷たさのある瞳と声は、弱っていてもなお威圧感がある。にも関わらず、イミビは飄々としたものだった。

「イミビ。脱走した貴様のポケモンは全て確保した。ギャロップ、バクーダ、ブースター、そしてバチュル。同じ手は二度と使えない。アカツキは貴様を置いていった。吐いた方が身のためだぞ」
「はぁーぁ。完全に悪役の台詞ッスね。吐いた方が身のためだぞ≠チて」

 イミビは呆れた様子だった。状況的には詰んでいる、とリクなら思う。それにも関わらず彼女の余裕は揺るぎない。その余裕の理由は何だろう。仲間が助けにくるという確信? もう一度逃げられるという過信? それとも、命を賭けても惜しくないと思えるほどアカツキに心酔しているのだろうか?

「その分じゃ、あんたの弟くんがエラいこと上手くバチュルを連れてってくれたらしいっスね。その火傷は誰につけられたんスか? ポニ子? ブイ助? もしかしてシャモちゃんとか?」
「無駄話をしている時間はない」
「別にボクはあんたや弟くんと違って人生謳歌したッスからねぇ。減刑とかキョーミないし」

 言葉に違和感があった。けらけらと笑っているイミビの顔は如何にも余裕そうだが、これまで見てきた余裕満々の人々と決定的な違いを感じる。地に足がついていないような、ふわふわしたものがある。
 嘘と本音が入り交じっている。そんな気がする。相手によってくるくると変わる言葉。

「……バチュルは、誰かにもらったポケモンなのか?」
「は?」
「誰かにもらったポケモンは勝手に名前を変えられない。友達にもらったのか?」
「お前には関係ないッスね」

 ここだ。
 ここに、とっかかりがあるとリクは確信した。
 イミビは一瞬、驚いた。夢見心地の場所から急に、現実へ引き戻されたような顔をした。

「オレが一緒にいるシャン太も、タマも、ゲイシャも。今どっか行っちゃったけど、オニキスも。元々オレのポケモンじゃない。あんたシャモを知ってるんだろ。オレのポケモンだった。代わりにシャン太――チリーンがあいつのポケモンだ」
「と、すると。お前ホムラの友達ッスか」
「うん」
「あの根暗にトモダチが……」
「あんたのバチュルも友達から貰ったポケモンだろ」

 イミビは虚を突かれたようだった。誤魔化しの言葉を吐きかけたが、リクが確信を持った目で見つめると、そのまま言葉をため息に変えた。

「なんで分かったんスか」
「他のポケモンは進化してるのにバチュルだけ進化してない。……バトルに出さなかったんだ」
「そッスね。ボクは炎ポケモンの方が好きッスから」
「違う。バチュルを傷つけたくなかったからだ」

 イミビが真顔でリクを見つめた。リクはチリーンを抱え直した。
 チリーンは懐き進化だったが、たとえそうでなくとも進化しなかっただろうとリクは思う。ミナモシティでの事件の後、街を出るまで一度も戦わなかった。傷つけたくなかったのだ。
 あの時リクは、もう返す相手には会えないのだと思った。
 答えは返らなかったが、沈黙はそのまま肯定と考えて良さそうだ。イミビの顔が、そう言っていた。

「……あんた、ホムラに会ってどうするッス?」
「バトルする」
「めちゃんこ強いっスよシャモちゃん。あんたバッジいくつ持ってるんス」
「うっ。……持ってない」

 イミビが、良く聞こえなかったという顔をしたので、リクはもう一度告げた。すると今度はぽんと手を叩く。

「あ。……バトルアイドル大会で最低最悪の試合をした、クソ雑魚底辺トレーナーのリクッスね!」

 大笑いするイミビにリクが悔しそうに唸る。ノーバッジなのは本当のことだからだ。笑い転げそうなイミビだったが、冷たい視線で沈黙を守っていたカイトと視線があうと、ぴたりと笑いを止めた。艶やかな唇で弧を描き、ちょいちょいとリクに鉄格子まで近づくようジェスチャーする。カイトがそっとリクに言った。「油断するな」リクが顔を近づけると、イミビも鉄格子に寄った。

「勝てると思ってるんスか。シャモちゃんは手加減出来るほど賢くないっスよ」
「勝つ!」

 イミビが面白そうに目を細めた。

「ホムラは、もう後戻り出来ない。アカ様も邪魔する奴は消し炭にするッス。死にたいんスかぁ?」
「やってみなきゃ分かんないだろ」
「ヤケ?」
「いいや。本気だ」

 けらけらとまたイミビが笑った。おかしそうな軽やかな笑い声は、弾むようで、相手が犯罪者である事を忘れてしまいそうだった。イミビはカイトを見上げ、べーっと舌を出す。耳を貸せ、近づけろ、とリクへ告げ、鉄格子へ横顔を張りつけたリクの耳に、イミビが唇を寄せた。

「――ラチナリーグ、チャンピオンの間。そこにいるはずッス」

 リクが目を見開いた。

「勝てるといいっスね、リク」

 チュッとリクの頬にイミビはキスをすると、顔を離した。やや赤くなった顔で頬を押さえるリクを見て、ニヤッと片手をあげる。

「早く行った方がいいっスよ」
「あ……ありがとう!」

 ガバッとリクは立ち上がり、カイトの腕を引いて駆けだした。事の趨勢を見守っていたエイパムも続いて駆け出す。

「分かったか!」
「ラチナリーグだ!」

 出入口部屋に駆け込み、無線を持っている女性レンジャーの肩を掴んだ。「無線を貸せ!」とカイトは引ったくると、すでにスイッチの入っていた無線へ怒鳴る。

「こちらカイト。今すぐテレポート屋をユニオン一階玄関前まで連れてこい。急ぎだ!」
『はぁいはい。その声はカイトだな。分かったからお前はそこから動くなよ。すぐ迎えが行く』

 無線から返ってきたのは軽い調子の男の声だった。リクは初めて聞く声だったが、カイトは知っている相手だったようだ。彼には珍しく、少し驚いた様子だった。
 バァン! と廊下へと繋がる方の扉が勢いよく開き、赤毛の男とサザンドラが飛び込んだ。男は凄い早さでカイトへ近づくと、開口一番こう言った。

「うーわ。お前やべーぞカイト! 早くユキシロんとこ行こうぜほら早く!」
「何故ここにお前が……やめろ引っ張るな火傷側を引っ張るな!!」
「リアンに呼ばれたんだよ! ひとまず乗れ乗れ! オニキス! 戻るぞ!」

 慌ただしさにぽかんとしたリクだったが、そのまま立ち去りそうな気配にモッズコートの端を掴んだ。パチクリとした瞳が振り返り、リクを映した。
 生きている。あのカザアナでの生死の境を歩いた時と、なんら変わらない姿で。赤毛の男――ヒナタがリクと、その背中に飛び乗ったエイパムへ問いかけた。

「お前らも来るか?」
「もちろん!」

( 2022/05/22(日) 20:30 )