暗闇より


















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森林の街
Box.70 緊急警報発令
 室内バトルフィールドに狂騒が巻き起こった。ソラを捕縛しようと動くレンジャー、応援に走ろうと動くレンジャーはまだマシで、固まったように指示を待っているものが大半だった。もともと、サイカに残されているレンジャーは若手ばかりだ。ベテランは遠方や破壊されたカザアナに出向している。ユニオンそのものが内部から襲撃されるなど10年に一度あるかないか。無理もない事態だった。
 くぐもった破壊の音色と振動が伝わるたびに本能が現実感に蓋をする。非常用電源が点灯し、数秒と経たずしてカイトの声が状況を槍のように貫いた。

『こちらカイト。ユニオン内のレンジャーは速やかに住民を保護し、安全な場所へ。最優先事項だ。留置所のシマキ、バクシュウは戦闘準備。ツユにシグレは即刻二人の応援に向かえ。コヤマ・シズリ・ツチフリは逃走したポケモンの確保。私もすぐに向かう』
「ひ……避難民の方はこちらへ! 誘導します!」

 カイトの言葉に、一人、また一人と理性を取り戻す。リマルカがレンジャーの無線を借り受け、カイトの指示を仰いだ。

「僕も協力します」
『感謝する。逃走ポケモンの確保へ向かってくれ』
「了解しました」

 リマルカはソラを横目にした。バチュル捕獲を急がなくては。ここで逃がしてしまえば事実確認すら困難になる。ゲンガーに目配せし、落ちたタマゴを破壊すると呆気ないほど簡単に潰れた。
 一方、ソラを捕縛し、フィールドに押しつけていたレンジャーが無線をとった。ソラは抵抗する気がないようで、ピクリともしない。

「こちらシグレ。カイトリーダーの弟さんを確保しています。脱走の原因であるバチュルの手引きをした疑いがあります。どうぞ」
『こちらカイト。オボロ、シグレの代打に出ろ。シグレ、現在地は?』
「ユニオンの室内バトルフィールドです」
「こ――ッこちらコダチ! リーダーお願い聞いて! ソラくんは、そんなことしないよ!」

 避難民の誘導から外れ、コダチが無線に縋りつく。あれこれと訴える言葉を撥ねつけるようにカイトが問い返した。

『……シグレ、確信があってのことだな?』
「そうでなきゃ、リーダーの弟さんを捕縛したりしませんよ」
「でもそれだってもしかしてソラくん、ワザとじゃなくって――」
『私はレンジャーだ』

 カイトのきっぱりとした声が無線から響く。人の歩き去って行くフィールドに、残されたものたちの耳に。リマルカが少し立ち止まったが、首を横に振って走り出した。ユキノがリクの肩を叩いた。「なにぼさっとしてんだ」リクは痺れたように動けなかった。

『一般トレーナー及び住民を守る事が仕事だ。私的な理由で扱いを変えることはない』

 リクは、ソラが朱色の外套集団の仲間だなんて欠片も思っていない。だが、様子がおかしかったことは確かで、真っ正面から「ソラはそんなことをしない」とレンジャーに飛びかかれるだけの確証がリクにはなかった。ソラが抵抗のひとつでもしていたらまだ信じられたのに、地面に押さえつけられた顔は見えず、死んだように動かない。
 無線音声にはガガッという擦る音、破壊音、戦闘の音が聞こえる。かすかに、バシャーモの声が遠くから聞こえた。
 留置所にはウミがいる。
 脱走したバシャーモは真っ先に向かうだろう。ではリーシャンは? 同じ考えに至ったエイパムが跳ねるように起き上がった。
 選ばなくてはいけない。
 残るか、急ぐか。
 エイパムの尻尾を弱々しい、白い手が掴んだ。

「フィ……グッ」

 キルリアが縋りつくようにして身を起こそうとしていた。瞳の赤は深く、頭部の角は対照的に深く暗く、暗がりの坂道を転がり落ちていくような濃密な黒が輝いていた。
 お前のせいだと叫ぶ声を思い出すような――ウミの父親が、振り上げた拳と言葉を思い出す。それと同じものがソラを突き刺している。感情ポケモン≠スるキルリアがそれを受信して苦しんでいた。
 キルリアの擦れた声に、死んだように動かなかったソラの顔が持ち上がる。目が、モンスターボールを探して彷徨った。モンスターボールは彼の手を離れ、少し離れたフィールドに転がっている。
 モンスターボールの中にいれば、気持ちを読み取る力が抑えられる。ソラの腕が動いたが、レンジャーが強く締め上げている。痛みを感じているはずだが、「リアを、戻さないと」とギシギシと腕を動かそうとした。

「ボールに戻すくらい、許して差し上げたらいかがです?」

 ユキノがため息をつき、キルリアのモンスターボールを拾い上げた。抑えているレンジャーが、厳しい顔で首を横に振る。手早くソラの両腕を捕縛しモンスターボールのロックを確認して――二つのモンスターボールは、すでにロックされていた――取り上げる。

「君が戻してやれ。この状況でボールに触れることは許可できない」

 ユキノがキルリアへモンスターボールを向けた。
 
「待ってくれ」

 リクが呼び止めた。

「オレが戻す」

 リクは、選ばなくてはいけないのだと感じた。
 キルリアを戻してレンジャーに預けて、そうしてエイパムと一緒にウミのいる留置所へ急がなくてはいけない。時間がない。バシャーモがもしも、ウミと一緒に逃げたら今度こそ手が届かない場所に行ってしまう。リーシャンだってそうだ。まだ何も大切な事を話せていないのに、遠くに行ってしまう。
 キルリアはボールを向けられると、弱々しく首を横に振った。

「――」

 リクはキルリアをボールに戻した。エイパムがもの言いたげな目でリクを見上げたが、「行こう」と一言だけ告げ、レンジャーへとボールを渡す。ありがとう、とレンジャーが応えた。
 手にボールを載せた瞬間、リクはボールの開閉スイッチを押した。
 キルリアがボールから飛び出した。スカートのような体型が伸びやかなシルエットへ変貌し、赤い角が消え失せる。真っ白で柔らかな光が弾けると、サーナイトが立っていた。
 ソラを捕縛する紐が、抑え込むレンジャーごと弾け飛んだ。守るような淡い光がソラを包んでいる。リクの手渡したボールが、バキン! と壊れた。唖然として、レンジャーがサーナイトを見つめた。ソラの翠の双眼に微笑むサーナイトが映る。
 大きくなった両腕が、ぎゅっとソラを抱きしめた。

「リア」

 ソラがぎゅうっとサーナイト抱き返した。弾かれたレンジャーが体勢を整え構える。

「抵抗するなら相応の対処をとらなきゃいけない……ん……だが」

 有言実行の必要はなかった。
 サーナイトはソラを抱きしめたまま、崩れ落ちるように気を失っていた。
 自分よりも大きくなってしまった体をソラが抱きとめる。顔をあげて彼は言った。

「……抵抗はしません。俺は、自分の責任くらい、自分でとれます」

 ソラの目がリクを映す。ナギサの街からずっと一緒にいた少年が、憎まれ口を叩いた。
 同い年の少年へ向けるような声音で。

「お前ももう、自分で選べるだろ。俺は守ってなんてやらないからな」

 翠の瞳はカイトそっくりだ。でも目元は似ていない。顔つきもこれから変わっていく――違う人間らしく。
 リクの肩にエイパムが飛び乗った。

「当たり前だろ」

 リクは背を向けて走り出した。





 リク達のいた室内バトルフフィールドと人間の留置所は一階にある。拘留中のポケモンは、モンスターボールのロックをかけて上階の犯罪ポケモン留置所に一時保管される。モンスターボールは小さく、留置しやすく大型ポケモンでも管理が楽な反面、窃盗のリスクがある。
 非常用電源により復旧したシステムが作動する。2階以上の通路のシャッターが次々と閉まり、避難する人々が外階段を急ぐ。
 混乱を倍加させるように留置されていた他のポケモンも逃げ出していた。それらを捕縛し、気絶させ、モンスターボールに戻そうと四苦八苦するレンジャーを嘲笑うようにギャロップが火炎放射を放つ。真っ白な炎が一息で通路を埋め尽くし、悲鳴さえも飲み込む。レンジャーはもとより、同様に逃げ出してきたはずの他のポケモンも全て焼き尽さんばかりだ。
 ギャロップには一片の疲れさえ見えない。薄く嗤いを浮かべて駆け抜ける。その背中に、しがみつくようにバシャーモが乗っている。肩にはバチュルが、両手にはブースターとバクーダのモンスターボールが抱えられていた。
 
「シャモッ!」

 先のシャッターが降りている。バシャーモが鳴くと、任せろとギャロップが嘶いた。急遽方向転換し、横っ飛びに窓を突き破る。辛うじて追いすがっていたレンジャーのキャプチャ・ディスクがシャッターにぶつかった。
 ユニオンの壁を直下に駆ける。避難誘導をしていたレンジャー達が即座に捕縄を構え、パートナーのポケモンが躍りかかる。ギャロップが壁を蹴って加速すると、レアコイルの10万ボルトが背後で弾けた。濃い陰影を見送って更に奔る前方に襲い来るコジョフーが八卦を繰り出す。落下するギャロップは避けられない。代わりに蹄が壁を蹴って加速する。コジョフーの突き出した手が砕け、続く巨体に押しつぶされた。騒音のような声とポケモンの鳴き声がバシャーモの耳元で唸り過ぎていく。バチュルが糸を飛ばし、バシャーモがギャロップの頭部を引いて重心を後方へと傾ける。地面がぐんぐんと距離を詰めてくる。
 着地。ギャロップが歯を食いしばり、反動が全身を突き抜ける。毛の一筋まで逆立つような稲妻が体から逃げていく時間さえ惜しく、ぐぅっとギャロップが立ち上がった。背中にしがみついたバシャーモが軽く跳ねる。噛みしめたギャロップの口端から血が流れた。暴れ馬のように炎は勢いを収めず、再び駆け出す。先ほどまでいた場所に葉っぱカッターが、ハイドロポンプが、エレキボールが衝突して金切り声をあげる。
 窓を突き破って廊下に飛び込むと、ガクンと体が沈み込み、バランスを崩した体から転がるようにバシャーモが落ちた。ガクガクとギャロップの全身が小刻みに震え、喘鳴を繰り返す口から血が垂れる。

「シャモシャモシャモッ!」
「――いたぞ! 捕えろッ!」

 バシャーモがモンスターボールを構えた瞬間、複数のレンジャーとポケモンが駆けつけた。ギャロップが炎を吐き出す――ふっと背中の炎が弱まり、火炎放射が密度を増して襲いかかる。悲鳴を無視して立ち上がりまだ走る。慌ててバシャーモも並走した。バチュルが示す先へ。

「ばちゅちゅっ!」

 追いかけるポケモンやレンジャーの足音も声もツルのムチもバブル光線も捨て身タックルも金属音もタネマシンガンも届かないくらい前だけ見て走る。ギャロップが先を、少し遅れてバシャーモが。蹄が角を曲がった刹那、トッと地面を蹴る音がした。
 バシャーモの目の前に、先行していたギャロップが体勢を崩すのが映った。ルカリオの前足が向こう側から現れる。ルカリオは着地するなり波動弾を放った。躱して迫る。足には炎を纏い、バシャーモのブレイズキックがルカリオを撃つ。とっさに防御の姿勢をとったルカリオだったが、直撃の腕が灼け吹っ飛ぶ。
 直後、飛んできた捕縄が意志を持つ蛇のようにバシャーモを拘束した。技の直後の一瞬の隙だった。モンスターボールが二つとも廊下に落ち、バチュルが目を白黒させる。
 藍色の髪を揺らし、捕縄の端を持ったカイトが立っていた。

( 2022/04/24(日) 09:29 )