暗闇より


















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森林の街
Box.69 シンクロ特性ポケモンの不確定性研究レポート
「おい、何したんだよ」
「声をかけただけですわ」

 ユキノはけろりと答えたが、これはどう考えてもおかしいだろうとリクは呆れた。解放されている室内バトルフィールドには観客が数十、とはいわないが、十数人はいる。弁当や丼ものを片手に、早く始めろだのやいのやいのと歓談している。昼休憩にやってきたレンジャー達はみんなスタイラーや無線を腰につけたままだし服も汚れている。レンジャーが6割、避難民3割、ポケモンが1割、暇なのかテレポ屋まで混ざっている。その中から見知った顔が飛び出してきた。

「ねえねえねえ! リクちゃん! バトルするんだよねやっぱりゲイシャちゃんで戦うの!?」
「コダチお前どっから聞きつけた」
「ユキノちゃんだよぉ! お昼ご飯食べてたら食堂に来て、これからソラくんとリクちゃんがバトルするから是非ご観戦くださいって教えてくれた」
「どっか行ってると思ったら何してんだよ!」

 リクは勢いよくユキノを睨みつけた。ゲイシャは訓練と調整の繰り返しでへとへとだったので、バトル了承後に2時間のインターバルを置き、先ほどまで回復装置にかかっていた。今も周囲の喧噪に耳を閉じ、モンスターボールで目を閉じている。リクはリクで昼の時間とかち合ったが空腹を感じるどころではなく、リマルカとキルリア対策について最終確認を行っていた。
 で、ユキノはというと「俺には関係ないし飯食ってくるわ」といって出て行ったのだ。胸ぐらを掴まん限りのリクに「人徳ですわね」とユキノが頷く。実態は人徳もクソもない。漏れ聞こえる声には「カイトリーダーの弟さん」「連続事件の重要人物」「エリートトレーナーVSバッジなしの執念の再戦」「ユキノちゃんの初恋の相手と横恋慕男」「コダチちゃんのズッ友」などなど、脱力しそうなでたらめが複数含まれている。出所は考えるまでもない。ユキノはリクの額を指で押した。

「戦うのはポケモンの仕事、状況を整えるのはトレーナーの仕事。お前さぁ、キルリアについて散々そこの元ジムリーダー大先生から講義を受けたはずだろ? 実践できなきゃ無意味の無能ちゃんなんだよ」

 キルリアは周囲の感情に敏感なポケモンだ。例えば観客が熱狂していればそれに気持ちが引きずられ技が乱れるし、トレーナーの心が不安定ならばいうまでもない。ユキノがバトルアイドル大会でリクにちょっかいを出したり、ライカやコダチを煽るような言動を繰り返した理由はそれだ。もっともこれはユキノの口から聞いたわけではなく、リマルカの推測だが(半分は素でやっていたに違いないとリクは反論し、リマルカは苦笑いしていた)。

「だからって」
「ソラさんが不調なのは見るからに明らかですけど、お猿さんも万全ではないんですのよ。状況を整えて差し上げた私に感謝して欲しいくらいですわね」

 リクが苦虫を噛みつぶしたような顔で黙り、ソラへ目を向けた。乱れていた髪は結い直したらしいが、能面のように表情がない。いつもの上着がなく、下に着ていた白い襟なしのシャツだけだ。本人が何を考えているのか、何があったのかを一言も語らないのなら、できることは望み通りにバトルすることだけだ。
 リクは黒雲のような胸騒ぎを覚えていた。準備不足や力不足に起因する感情ではなく、あそこにいるソラは、今まで見てきた彼とは違う、という予感によるものだ。これまで見てきたのと同じように手堅いバトルをするのだろうか。それとも感情をぶつけるようなバトルをするのだろうか。ソラについてリクが知っていることは少ない。勝ったとしても負けたとしても、忘れられないバトルになる。
 ソラはこちらを見ない。レンジャーが一人足早に近づき、ユキノとリクは思わず聞き耳を立てた。包みのようなものを渡している。ユキノが目を細めて呟いた。
 
「あれってあいつの上着じゃね?」

 先ほどから、しきりに何かを探していたリマルカの目がソラの上着へぴたりと止まる。異様な目つきでソラに近づき、有無を言わさぬ口調で手を差し出した。

「ソラ、その包み貸して」

 ソラが包みを抱きしめ、顔を背けた。リマルカは強い口調で再度請求する。

「ソレは君が持っていてはいけないものだ。渡して欲しい」
「俺があとで、埋葬する」
「そうじゃない、勘違いしてる。それはまだ――」

 電灯が消えた。
 突然の暗闇にリマルカは強くソラに突き飛ばされ、ゴーストポケモン達が支えたと同時に電灯が点いた。停電に避難民から不安が漏れる。レンジャーが2人ほど確認の為に走った。観衆がひしめく。「電力不足?」「風車が止まったとか」「まさか」「電気ポケモンの悪戯じゃね」「コイルとかエレブーとか。お前のとこの奴だろ」「ちげぇよ餌やってるし」「ただの接触不良じゃないのかしら。電灯また替えなきゃ」

 ソラとリマルカのやり取りを見ていたレンジャーが、ふと思い出したように問いかけた。
 
「そういやソラくん、バチュルが逃げてたけど大丈夫?」

 ソラは覚えていなかったが、上着を届けたレンジャーは廊下でぶつかった相手だった。留置所に書類を届けに行く途中でソラに会い、ついでに忘れ物の上着を預けられたのだ。ソラが訝しげに首を傾げる。

「俺のポケモンじゃありません」
「そう? ここら辺でバチュルは見ないから、てっきり君のポケモンかと……どっかでくっつけてきた?」

 ソラの目が記憶を辿るように動く。自身の唇に触れた刹那、振り払うように軽く首を横に振った。
 そんなはずはない。きっと違う。
 拭いきれない疑念を押し込めようとして、けらけらと包みの奥からの嘲笑が耳元で反響する。
 本当に?
 君が、連れてきちゃったんじゃないの?

「黙れ!」

 突き刺すような声が喉を貫いた。自身の抱いているものが、掌から内部へ侵食するように蠢く。その時初めてソラは、抱えているものへ肺が潰れそうなほど恐怖を覚えた。抱える腕が根の生えたように剥がれない。極端な不安感と愛しさが胸を突き上げる気持ち悪さが理性の輪郭を崩していく。
 腰のモンスターボールが暴れた。全てロックはかけたままだったが、度重なる内部からの圧力にとうとう屈しひびが入った。キルリアのモンスターボールだ。こんなことは初めてだった。
 リクが名前を呼んだ。

「ソラ」

 緩く正面の対戦相手を見る。
 時計を顎で示し、リクが言った。

「時間だ」

 ソラの手が自然とひびの入ったモンスターボールを掴んだ。震える片手は抱えた包みから離れそうもない。リマルカはその手を見つめ、険しい顔でソラのそばを離れた。黙れ、との言葉に戸惑っているレンジャーの背中を押す。「すみません、あなたも戻ってください。大丈夫ですから」観客達の中に戻すとき、ついでにコダチへ声をかけた。

「コダチちゃん審判できる?」
「え? できるけど、リマちゃんがやるんじゃないの? いいの?」
「僕はリクのセコンドだし平等性がないからね」
「……だったら俺がやりましょうか。コダチ、友達の試合なんだろ?」

 背中を押されていたレンジャーがくるっと体を反転させて言った。コダチがパッと顔を明るくしたので、リマルカも頷いてお願いする。審判役に決まったレンジャーがフィールドに向かい、リマルカは場を離れた。ポケナビを操作する。
 ちなみにリクの頭上にずっと掴まっていたモクローだが、いい加減リクの首が重みで死にそうだったので、ゴーストポケモン達の説得により頭部から離れている。室内の天井に止まっていた。リクのそばにいたユキノは「健闘を祈りますわ」と離れた。
 リクがモンスターボールを高く放った。エイパムがくるりとフィールドに降り立ち、ボールがリクの手に戻る。ソラがひびの入ったボールを放る。現れたキルリアと、エイパムの視線が絡んだ。エイパムはソラを見て――彼が平時とまるっきり違うことをみとめた上で、尻尾を前に回してお辞儀をした。キルリアが応えてお辞儀をする。キルリアは振り返ると、ソラとも視線を合わせて微笑む。ソラは眉を下げ戸惑ったが、包みを強く抱きしめて表情を引き締めた。
 試合開始の合図に背を向け、観客の影でリマルカがポケナビを鳴らす。木漏れ日のような穏やかな声音が返ってきた。

『やぁリマルカ君。困りごとかな』
「お疲れ様です、リアンさん。少しお知恵と力を借りたいのですが――」
『うーん。今すぐ、の案件ならちょっと厳しい』

 ポケナビ向こうから、困ったような言葉が返ってくる。事件の以前からリアンとはやりとりのあるリマルカにとって、このような返事をもらうのは初めての事だった。
 
「……何かありましたか」
『ウミ君から、アカ――アカツキくんは寝てるって話を聞いてたんだどね』

 遠雷のようなポケモンの鳴き声がかすかに聞こえる。草木の激しく揺れる音が、声は穏やかだが移動中である事を伝えてくる。

『起きたかもしれない。この様子だと』

 電灯がまた、一瞬暗くなった。





 キルリアとエイパム、初手はほぼ同時だった。スピードスターとマジカルリーフがフィールド中央で激突する。輝く星々と葉っぱが弾け、一瞬暗くなった室内で光り輝く。電灯が戻った。た、た、たんっとエイパムが軽やかな速度で距離を詰め、ソラが声を張り上げる。

「サイコキネシスで抑えろ」
「フィ――フィグッ!」

 指示への反応が二秒遅い。エイパムのダブルアタックがキルリアの細い体を撃つと、ゆうに宙を飛んだ。追い打ちをかける二撃目への反応も悪かった。空中からフィールドへとキルリアが叩き落とされ、エイパムが宙返りして降り立つ。
 エスパータイプのキルリアは、打撃メインのポケモンと比較して物理攻撃に弱い。その事はキルリアも分かっているので指示をしなくとも℃ゥ己判断で回避行動をとったり、攻撃する場面も多々ある。
 だが今の攻撃には、そのどちらもしなかった。まるでソラの指示を待っていたかのようだ。ふらつきつつも立ち上がり、キルリアは肩越しにソラへ視線を寄せた。相対するエイパムとリクもまた、ソラの言葉を待つように攻撃の手を止めている。
 ソラの喉がひりつく。キルリアがラルトスだった頃、あの時はまだバトルに慣れておらず、ソラが全て指示していた。

「リア、サイコキネシス」

 キルリアがにこりと笑い、緑の髪がスカートのように持ち上がった。エイパムがリクを振り返り、互いに頷きあう。

「ゲイシャ! シャドークローで迎え撃て!」
「きぃっ!」

 エイパムの影が揺らぐ。観客に混じって観戦しているゲンガーが、隣のヨマワルの背中を興奮気味に叩いた。影からそれそのものを掬いあげるように尻尾を滑らせると、不定形の黒い爪がまとわる。不可視の圧力、サイコキネシスの壁が迫るとエイパムがシャドークローを一閃させた。それだけで、影の爪は黒い煙となって霧散してしまったが、サイコキネシスの力場は真っ二つに弾け飛んだ。

「いいぞゲイシャ!」
「きっ」

 当然だとエイパムの尻尾がフィールドを打った。昨日今日に習得した技を本番一発で決めてみせた。だからといって連発が難しい事はリクもエイパムも分かっている。慣れない技は消耗が激しい。
 ソラはシャドークローに目を見開いていた。片腕に抱えた包みが落ちかけているのを見て、リクはニッと笑った。

「見たかよソラ! ゴートのオレ達と思うなよ!」
「――そうだな。リア、マジカルリーフ!」

 ソラが手を持ち上げ、全体を払うように手を動かした。マジカルリーフが出現する――それは、一カ所ではなく大きな波のように整然と並んだ。ソラの手が高く上がり、片腕に抱える包みを小脇に持ち替えた。キルリアの赤い瞳が強く輝き、ソラに応えようとマジカルリーフが数を増す。

「放て!」
「スピードスターだ!」

 一斉掃射のマジカルリーフに、ゲイシャが尻尾を振るう。スピードスターを放ち駆ける。燦然とした光が弾けて消えていく。小猿の体を掠めるマジカルリーフの兵士達の砲撃をくぐり抜け、尻尾がフィールドを擦った。黒い影の爪が不安定に発生する。それでも肉薄するエイパムの背中を、追い風のようにリクの言葉が押した。

「いっけぇえ! ゲイシャッ!」

 ソラの目が鷹のようにその変化を見据える。片腕を振り上げると小脇の包みがガシャンと落ちた。構わずに、喉が裂けそうなほどに叫んだ。

「マジカルリーフを集中しろ!」
「フィッ!」

 光の軌跡を描き残党のマジカルリーフがエイパムへ疾駆する。エイパムが飛んだ。追尾するマジリーフを避けることはできない。彼はキルリアに飛びかかった。操作していたキルリアを押し倒し、尻尾が雨のようなマジカルリーフをなぎ払う。未完成のシャドークローの影とマジカルリーフが衝突する。キルリアがエイパムの下でもがいた。観客からもどよめきが上がる。二匹の身長は同じ。体重はキルリアが上だが腕力に差があった。ソラはひびの入ったモンスターボールを強く握った。

「サイコキネシスで押し返せ!」
「離すなゲイシャ! くっつけ!」

 力場が膨れ上がり、キルリアの体からの不可視の圧力が高まる。エイパムの尻尾がキルリアの腕を掴んだ。大きな赤い瞳は驚いたが、構わずサイコキネシスで小猿を吹っ飛ばす。「フィ――!」エイパムの尻尾は、攻撃を受けてなおキルリアの腕を掴んだままだった。引っ張られてキルリアも同じ方向へ吹っ飛んでいった。リクがガッツポーズをしソラが息を呑む。こんなやり方は見たことがない。もみくちゃになりながら、二匹がフィールドを擦った。キルリアが目を回している。エイパムが先に立ち上がり、リクが拳を突き出した。

「決めろ! シャドークロー!」
「ッリア!」

 キルリアの赤い瞳が焦点を結ぶ。エイパムの尻尾が影を纏って肉薄する。キルリアが腕を持ち上げるが、気力も時間も足りない。赤い角が明るく光ったが、彼女ではなく受信したトレーナーの心の影響だった。差し迫る小猿の両眼とキルリアの目が一瞬合った。エイパムの瞳が、トレーナーとそっくりにニッと笑った。キルリアが悔しそうに、困ったような顔で笑い返した刹那、シャドークローが――
 バチンと、電灯が落ちた。
 すぐに復旧しない。薄暗がりに落ちたバトルフィールドに、どうしたと観衆がざわめく。最期の攻撃の音だけが聞こえた。バトルの決着がはっきりと見えない。熱中していたリクとソラも流石に顔をあげた。
 その場にいたレンジャー達の無線からいっせいに緊急呼び出し音が響く。レンジャー達が次々と慌てて無線をとった。こちら××、どうぞ、誰かが言った。緊急呼び出し音を鳴らしたレンジャーからの応答を、不気味なほどの沈黙が待つ。
 無線から細長く、悲鳴のような声が伸びた。

『――ザッ――こ、こちら犯罪ポケモン留置所! ポケモンが脱走した応援求む! バシャーモとギャロップと――ば、バチュルが! ロックを壊し――ザザッ――! エレキネッ――ザッ――!』

 ソラの藍色の瞳が、夢から覚めた人間が居場所を確かめるように、暗がりの中のリクを、エイパムを、キルリアを見た。審判役のレンジャーは青ざめた顔で無線を下ろすと、鬼気迫る顔でソラを指さし、叫んだ。

「あ――あの子がバチュルを連れていた! 確保しろ! 早く!」

( 2022/04/10(日) 12:34 )