Box.66 レンジャー募集:年齢・出身地不問
「調子はどう?」
大丈夫だとリクは答えた。窓には黒く染まりきった宵闇が張りついており、空気の冷えた廊下は暗い。足下の接触灯が光っては消える。時折どこかの部屋から細い光が漏れていたが、聞こえる声は見知らぬ誰かのものだ。
コヤマの歩幅はかなり大きいが、リクに合わせてゆっくりと歩いている。トドグラーのことを相談すると、回復装置にかけておくと快く請け負ってくれた。良い人なのだろう。顔は怖いが、カイトよりも雰囲気が柔らかい。
「カイト……さんって、どんな人ですか」
「ソラ君はなんて?」
「何も」
「一言も?」
「はい」
コヤマが振り向いた。巌のような顔が戸惑っていて、リクは慌ててつけ加えた。
「オレも一度も聞かなかったし、喋るタイミングがなかったのかも。カイトと兄弟なんて、初めて知ったし。あ、いや、カイトさんと」
「実は俺も、初めて知ったよ」
廊下を歩く人間は、リクとコヤマの他には誰もいない。迫ってくる暗闇を和らげるのは足下の光だけだ。コヤマは歩調を更に緩め、過去を振り返った。
「俺はカイトリーダーより10歳ほど年上でね。彼がレンジャーに入った頃のことをよく覚えている」
当時から人一倍規律に厳しく、甘えをよしとしない性格だった。階級も年齢も立場も関係なく意見を主張するので、周囲との衝突が絶えなかった。反感を抱いている人間が多いが、はっきりとした性格に惹かれるものも多い。
コヤマもその一人だ。
「君、ルカリオの進化の条件って知ってる?」
「懐き進化。あと、波動で人の場所と気持ちが分かるって聞いた」
「そう。よく勉強しているね。リオルは悪い人間には絶対に近づかない。ポケモンの方が俺達より人を見る目があるってね」
カイトは自分のことを話さない人間だった。故郷について語ったことがないことに気がつくのに、コヤマは数年かかった。
「リク君は家族と仲はいいかい?」
「うん」
「そりゃいい。でも大人になると、理由なしで顔を合せることが難しくなる。出来るだけ親孝行しておくんだよ。そういえば他の地方から来たんだっけ。こっちにはどうして? 親戚でも?」
「マシロにばーちゃんが……やべ。一回も連絡してない」
「心配してるだろうなぁ。色々終わったら電話の一本でも入れるといい。それにマシロならここからすぐだ」
――ここにいる間では、ないのだな、と不意に思った。
帰るわけにはいかないが、彼らもリクを帰すわけにはいかない。
「家族には会いたいときに会えるとは限らない。だから会えるときに出来るだけ、ね。それが兄弟ならなおさらだ」
「コヤマさんは家族と仲いいの?」
「良かったよ」
災害で死んだけど。
続いた言葉に、リクは足を止めた。
「何年も前の話だ」
どっと音が、廊下の冷たさが、途切れた時間を埋め尽くすように戻ってきた。コヤマも足を止めていた。誰かの声は曲がり角に隠れ、行く手は黒く塗りつぶされている。
「君は友達とバトルしたいって言ったらしいな」
「……ソラと」
「なんだ、ソラ君ともバトルするのか。君とソラ君だとどっちの方が強いんだ? なかなかライバルは強そうだぞ」
「明後日勝つ」
「古い友達はその後か?」
リクが答えられずにいると、コヤマは暗い廊下を歩き出した。思い出したかのように、接触灯が光っては消える。
カイトに話したのは昼過ぎのことだ。いつ聞いたんですか、と尋ねたかったが、コヤマが迎えに来たときの事を思い出した。本人はたまたま通りかかったような口振りだったが、本当にそうなのだろうか。
彼が案内したのは、リアンと初めて顔を合せた部屋だった。整頓された道具類にファイルの詰まった本棚が壁際に並んでいる。最初は気がつかなかったが、ソファも置かれていた。正面の大きな窓には夜が張りついており、蛍光灯の下、カイトが書類に囲まれている。
「遅かったな」
「いやぁ、もっと早く連れてこれたんですが、良いバトルをしていたので最後まで見てしまって。ユキノ君が相手でしたよ」
「勝敗は?」
カイトが熱のない声で問いかける。石がつまったように胸が重くなり、引き分けです、とリクは答えた。興味を失ったように視線がパソコンへと戻る。
「話にならんな。ホムラはもっと強い」
「ソラは?」
カイトが顔をあげた。
「何が言いたい?」
「ソラはユキノに勝った。オレは明後日、ソラと戦って勝つ」
「順当に考えれば敗北は必定だが」
「――勝つ!」
槍のようなカイトの視線が貫いた。張り裂けそうなほどに心臓が打っている。呼吸音が聞こえるほどに一息を吸い込み、リクは燃えるような瞳で見返した。カイトの双眸がフッと揺らぎ、リクではない誰かに向けるように言葉を吐いた。
「自信過剰もほどほどにしておけ。コヤマ、奥の部屋に連れていってやれ」
カイトは軽く受け流し、顎で示した。コヤマは部屋の端っこのソファを見やった。くしゃくしゃの毛布が一枚掛かっており、アイマスクがへたれて乗っかっている。
「この部屋にも簡易ベッド持ち込みませんか? ソファで寝てるんですよね?」
「問題ない。あの男は木の上で寝ていた」
「ヒナタさんと張り合ってどうするんですか」
コヤマは呆れたが、それ以上は言わずにリクを奥へと連れて行った。
部屋に入ると、腰のモンスターボールからサザンドラが飛び出した。食事の時にボールを叩いても出てこなかったのに。ゆっくりと六枚羽根を畳み、勝手知ったる様子で小型冷蔵庫を開けた。止めようとすると、隣室のカイトが投げやりに言った。
「好きにさせてやれ。そいつの分も入っている」
「この部屋ってもしかして、カイト……さんの部屋ですか」
整理整頓の行き届いた部屋は、言われてみれば確かに本人のイメージ通りだ。カイトの代わりにコヤマが答えた。
「そうだよ、目の届く場所にってことでね。だから俺としては早いところ、バトルに拘らず、古いお友達と話してくれると嬉しい。この災害のような事件が終わることを心から願っているよ」
◆
リクは日も昇りきらないうちに目を覚ました。モクローは椅子に止っており、動き出したリクを視線だけで追っている。サザンドラはいない。トドグラーは回復装置で、エイパムは昨晩戻らなかった。リーシャンも同様だ。隣室から声が漏れ聞こえ、扉の隙間から覗いた。
書類の山は片付いていた。カイトはアイマスクを額へずらし、長い髪を解いたままポケナビで話している。相手の声は聞こえないが、口振りからしてレンジャーへの指示を出しているのだろう。
「目が覚めたか」
ぎくりと身を退いた。カイトが扉を開け放ち、こちらの顔をじろじろと観察する。
「十分な休息が得られていないようだ。もう一度寝ろ」
「オニキスはどこですか」
「外だ」
カイトが窓を開けた。東の空が白み始めており、吸い込まれるように夜が消えていく。サザンドラの姿を探した。北の森だ、と続く言葉に頭を傾けると、固形物の夜を思わせる森の姿があった。うずくまる夜の上を飛ぶ、大きな影。あれがサザンドラだ。
「奴は気難しい」
リクは振り仰いだ。自分に話しかけられたのだと気がつくのに、少し時間がかかった。
「サザンドラは個体数が少ない。その理由が分かるか?」
首を横に振ると、カイトは淡々と言葉を続けた。
「進化過程では目が見えないからだ。モノズ・ジヘッドは噛むことでしか周囲を探ることが出来ず、必然的に世界は狭まり、生存のリスクが跳ね上がる。強くなければ生き残れない――数が少ない理由はそれだ。あの馬鹿以外にサザンドラを使っているトレーナーは片手で足りる程度だ」
「ばっ……馬鹿ってことないだろ」
「馬鹿だろう。つまるところ、サザンドラを使うのはたいてい命知らずのトレーナーだということだ。お前もその類のはずだが」
朝焼けが照らした隙のないカイトの面貌に、濃く陰影が落ちる。下がった視線が、ひたりとこちらを見据えていた。
「勝つ、と言ったか」
「言った」
「理由は」
リクを通して、誰かを見ているような目だった。試されているような……赤いくせ毛の人物が脳裏に過ぎる。そのイメージを脳内で打ち消した。返した言葉がヒナタに重なっていたとしても、進む道は違うはずだ。
無敵のヒーローはどこにもいない。答えは自分で出さなくてはならない。
「あいつらに……オレは守られなきゃいけないくらい、もう弱くないって言ってやるんだ」
「それが何の関係がある。理由はあっただろうが、最終的にホムラは自分の意志で道を違えた。今も戻るつもりはない。お前が奴より強かろうと弱かろうと、アカを裏切る理由にはなり得ないだろう」
「なるね。オレがあいつの隣に立てる」
ポケモンバトルはひとりぼっちではできない。
隣に立つ誰かが必要で、それはポケモンかもしれないし、人間かもしれない。暗闇のさなかでサザンドラが、ステージ上でタマザラシが、スカイハイでエイパムが、カザアナの――生死の境でヒナタがリクの手を引き、――そしてリーシャンが、波間から呼び戻した夜のように。ふらつきながら、迷いながら、いつだって誰かに助けられて、ここまできた。
カイトが眉根を寄せた。
「……やはり分からんな。一人だろうが多数だろうが、自分のことくらい自分で決めるべきだろう」
強いのだろう。カイトも、ヒナタも、ツキネも。リクは朝焼けへと顔を向けた。サザンドラが黒い森の上を飛ぶ。朝焼けの眩しさに目を細めた。
「別に分かんなくてもいいよ。ただし納得できないからって、ソラみたいに外すのはやめろよ」
「一般トレーナーは事件に関わるべきではない」
「一般じゃなくても外すだろあんた……ソラを外したのは、弟だからか?」
「積極的な関与を許されているのはジムリーダー以上だ。それ以上でも以下でもない」
痛いところをついたつもりだったが、カイトはあっさりと言った。予想を裏切る反応に、変な顔で問いかける。
「弟なんだよな」
「実弟だ」
「喧嘩してんのか?」
「会話したのは数日前が初めてだ」
リクはますます変な顔をした。カイトを上から下まで見る。20過ぎくらいに見える。ソラは自分と同い年だ。たぶん、10歳以上離れている。コヤマはカイトが故郷の話をしたことがないと言っていたことを思いだした。
「……家出?」
「定義としてはそうなるが、10歳を過ぎれば成人だ。文句を言われる筋合いはない」
「弟と話したの初めてって相当だぞ。10年も帰ってないのかよ」
リクも両親と喧嘩して飛び出すことはあるし、親に反抗している友人が泊まりに来たこともあるが、10年以上帰らないなどというのは想像も出来ない。意地を張るにもほどがある。子供っぽいことすんなよ、と非難混じりの視線に、カイトは険のある顔をした。
「父の名前は知らないし、とっくに死んでいる。あの女は奔放で滅多に帰らない。必要性を感じなかった」
リクは呆気にとられた。言葉を探すが、くるくると、黒雲のようなイメージだけがあって、それに触れていいのかも分からない。カイトは両親をどう思っているのだろう。嫌っていそうだ。ではソラは?
――ソラお兄さんと呼ぶように!
出会ったときの言葉が、空々しい響きで脳裏を過ぎった。
「ソラは――ソラは、良い奴だよ」
口をついた言葉が、どうしたかったのかは分からない。カイトは窓を閉めた。その腰にはモンスターボールが収まり、ルカリオが眠っている。コダチの監視は終わったようだ。リクは大会での騒動を思い出した。カイトへの連絡を約束させたのはソラだ。カイトが実兄であり、サイカジムリーダー兼レンジャーであることを知っていたからそうしたのだ。カイトをどう思っているのだろうか。少なくとも、カイトよりもソラが向ける関心の方が強そうだ。
風が吹く。
隣室の窓が開いていた。サザンドラがリクを起こすことなく、帰ってこられるように開けておいたのだと気がついた。
ルカリオはカイトのそばにあまりいなかったが、キルリアはずっとソラのそばにいた。どちらも波動を読み取る力があり、人の気持ちを察知できる。
――それが何の関係がある。
カイトは強いのだろう。それを必要としないほどに。
何か言いたい。
なんでもいい。
「オニキスのことは気にしてただろ」
ノック音が響いた。
カイトが答えると、廊下へ続く扉が開いた。エイパム、リマルカ、ゴーストポケモン達がぞろぞろと顔を覗かせる。リマルカはあくびをかみ殺しながら目を擦り、エイパムは目を爛々とさせている。昨夜、ポーズを決めていたゲンガーも一仕事終えた顔だ。
リマルカが眠たげな口調で言った。
「ふぁ……おはよう……ございます。カイトさん、リク。技が出来たからフィールド……あれ。なにか、もしかして邪魔しました、か?」
目を覚まし、恐る恐るとリマルカが尋ねる。
カイトがきっぱりと答えた。
「いや。問題ない」