暗闇より


















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森林の街
Box.64 通達:朱色の外套集団に関する私事厳禁
 書くべき報告書はたくさんあるが、代筆は許されない。コダチは新米かつ見習いとはいえれっきとしたレンジャーである以上、ここで逃げたところで、先々で書類仕事はどうしたって発生してくるからだ。
 ただ本人はひんひん泣きながらミミズののたくったような字を書き連ね、一文を捻り出すのにゆうに1時間はかけていた。何をそんなに悩むことがあるのか、と横目にソラは仕事を手伝っていた。誰もいない第2資料室は古い紙の匂いがする。
 ソラがここにいる理由は簡単だ。彼自身が志願した。
 カイトは一般人に情報を提供することをよしとしない。だが、いかにカイトの口が固かろうと、人の口に戸は立てられない。
 カザアナの崩落事件のさなかにいたことを主張して入り込んだ。カザアナの住民からは会うたび不満をぶつけられる。

(「新聞を見たぞ。なぁ、どうなってるんだ」)
(「なんだ、外にいたのになんにも分からないのか。役立たずめ」)
(「お前には期待してるんだよ。ジムリーダーの身内なんだろう、なんとかしてくれよ」)

 核心はなにも分からない。

(「ナギサ、カザアナでの協力は感謝する。だが関わることは、知ることは許可できない」)

 カイトと会話したのは、事情聴取の時だけだった。
 コダチはメインのおかずがほとんど消え去ったお弁当を悲しそうに食べていた。ルカリオはコダチの隣で時計を確認している。食事休憩が終わったらすぐにでも書類仕事に戻すつもりだ。長くかかった書類仕事も、ようやくカタがつきそうだった。うう、とうめき声をあげていたコダチに紅茶を淹れてやりながら、「火山風ハンバーグ弁当売り切れてたの?」と尋ねると首を振った。

「あったけど、あったけど、ううう……タマちゃんとモクちゃんがぁ……」

 がばっと、思い出したと言わんばかりに顔があがった。

「そういえば聞いて聞いて! リクちゃん起きたよ!」
「そうか」
「リマちゃんと一緒でね〜食堂で会ったよ! ソラ君に言おうと思ってたのに忘れてた! あとねぇユキノちゃんにも言おうと思ってるんだけどどこにいるか知ってる?」
「放っておいてもそのうち会うと思うよ。それよりコダチちゃんはご飯食べて仕事しないと」
「うっ」

 コダチはしょぼしょぼとフォークを弁当に戻した。ほとんど食べ終わっている。ルカリオが圧をかけている。

「……テレポ屋さんまだいるかなぁ」
「コダチちゃん」
「ううう」

 テレポート屋とは、各地を放浪する便利屋のことだ。一回500円で望みの場所にテレポートで送ってくれる。
 リーグにテレポートすることも出来る。ごくまれに挑戦者がいるときはポケモンリーグのポケモンセンターに留まり、「ルーローのデパートで技マシンなどのご購入は」とか「ゴートのカジノで貴重なアイテムをとりに」とか「実家のお母さんにリーグ挑戦の報告を」とかあれこれ利用の勧誘をしてくる。だいたい、リーグまで挑戦しに来るトレーナーなら金だけはあるのだ。
 今回は、ルーローに置いてきたはずのユキノが利用したのでサイカにいる。
 何をしに来たのか。本人は「サイカに挑戦しに来ただけですわぁ」と空々しく語った。ついでに像も返品しにきた(煙に巻いて再び押しつけ返したが)。
 頭の痛いことばかりだ。
 最後のおかずを食べ終わり、コダチは紅茶を飲み干した。ちらっとルカリオをうかがう。ピクリともしない。よろよろと机に座り、ミミズののたくったような字が並んだ書類に難しい顔をした。ボールペンをとる。パソコンが苦手なので、手書きだ。コダチに触らせると人差し指でかち……かち……とキーボードを叩くので書かせた方が100倍速い。
 ソラは嘆息した。

「まさか、この状況放っておいてどこか遠い街にテレポートで逃げようだなんて思ってないよね?」
「まままままままさかぁ!」
「だよね」

 にっこりと微笑んだ。ま、コダチも半分は現実逃避の発言だったのだろう、とソラは思った。デスクワークよりも外を飛び回るのが彼女の天分だ。

「テレポート屋さんならまだいるってさ。今は各地の救援任務でテレポート要員が出払っている。しばらく滞在してほしいと協力依頼があったそうだよ」
「そっかぁ……そだよね……」

 事態の深刻さを改めて理解し、コダチは顔を引き締めて書類に取り組み始めた。それを見届け、キルリアを出して扉に手をかけた。

「どこ行くの?」
「リクに会いに。リマルカと一緒だって言ってたよね」

 コダチの視線が、隣のキルリアに移った。少し疲労の見える表情を浮かべていたが、無言でソラに付き従っている。出て行こうとするとデスクからコダチが言った。

「無理しないでね!」
「何が?」

 肩越しに振り向いたが、コダチは眉を下げて「なんでもない」と答えた。キルリアのツノが仄かに光る。
 濁ったような光りかただった。





 尋ねた部屋にはリマルカしかいなかった。
 
「どうしたの?」
「いえ。リクが起きたと聞いたのですが」
「さっきまでいたんだけどね。君が来たって伝えておくよ」
「どこに行ったか知りませんか?」

 リマルカは少し考え、探るような視線を向けた。

「君はリクをどう思う」
「どうとは?」
「君にリクのことを頼んだのは僕だ。君がいなかったら危ない場面もかなりあったよね」

 例えばノロシとイミビがナギサを襲ったこと。
 例えばルーローでユキノが絡んできたこと。
 例えばゴートで老婦人と賭けをしたこと。

「僕も彼はもう帰った方がいいと思ったよ。望まない役割を押しつけてしまったからね。でも今は、彼はこの地方にいた方がいいと思う」
「本気で言ってるんですか?」

 眉を寄せた。リマルカの言っていることがあまりよく、理解できない。リクに謝りたいとリマルカは言っていた。だからリマルカは、リクを元の地方に帰すか、安全な場所――マシロに行かせるべきだという意見だと思っていた。
 こうもはっきり口にする以上は、本心の言葉だろう。
 ただ――

「君はどう思う。僕は彼が必要だと思うし、これからやることに力になりたい」

 ソラの目が薄く細められた。

「以前お伝えしたとおり、リクは帰るべきです」

 きっぱりと答えた。
 リマルカは賢い。
 だが勝手すぎる。彼は正しいことが分かっていない。

「貴方はリクを殺す気ですか? あいつがこれまで何をしてきたのか、ちゃんと知らないからそんなこと言えるんですよ。リクが死にかけた回数、理解してるんですか?」

 リマルカが怯んだ。目を背け、「それは僕も、分かってる」と言った。

「だから君にもリクを助けてほしい。これまでと同じように」
「馬鹿なこと言わないでください」

 剣呑にリマルカを見据え、強い口調で言い切った。

「第一、お前はジムリーダーを辞めるんだろう? ――リマルカ」

 この状況で、辞めると。
 それもまた正しくない。自分なら辞めない。

「だったら俺はお前の命令に従う理由なんてないな」
「僕は命令なんてしてない」

 ソラが目を見開き、おかしそうに笑った。鋭利な刃物のような笑い方だった。
 キルリアが痛みが走ったように頭を抑えた。ソラの袖に白い手が触れかけ、そっと離れる。ゴーストポケモン達はわくわくした瞳で事態を静観し、心配そうにリマルカを見やったり、ソラへ敵意を向けている。キルリアは首を振ると、衝突に備えて構えた。
 ポケモン達の膠着の糸を探りながら、ソラは穏やかに微笑んだ。

「じゃあこれもお願いかな。だったら聞けないよ」

 リマルカがこちらを睨んでいる。冷静そうに見えるが、まだ子供だなと思った。
 分かっていない。

「いいかいリマルカ。捕虜がリクの元友達だからなんとかしてやりたいのかもしれないけど、あいつとリクは関わらない方がいいんだよ。その理由が分かるか?」
「その、子供に言い聞かせるみたいな言葉遣いやめてよ。僕は子供じゃない」
「そうか、大人か。だったら大人なんだから、俺の言いたいことだって、理解できるだろ。――どうしようもないんだよ、これは。これまでの無茶とは訳が違う。いまさら昔の友情を引っ張り出してどうしようっていうんだ?」

 こちらの予想に反してリマルカの瞳は、急に冷静さを取り戻したかのように静かになった。

「君は本当にリクが心配で、そう言っているの?」

 そうだとも。
 ソラはそう信じている。
 なのに酷く、その一言に心が波立った。苛立たしさを抑えて息を吐く。隣のキルリアを見ると、光が濁っていた。
 よくない。あまり、良くない。
 キルリアとはホムラの一件以来、微妙な関係が続いている。大人しく指示に従ってはくれるものの、どこかいつもと違う。そちらはいい。キルリアは自分のポケモンであり、離反などありえない。
 だが目の前の違和感は、どこかで認識がすれ違っているような相手はそうはいかない。

「君が思っているほどリクは弱くないよ」
「あいつのこれまでの戦績を見た上でそれが言えるのなら、俺はお前の判断力さえも不安を覚えるよ」

 憐れなものを見るような目をしたが彼は譲らなかった。空疎な期待に肩を竦める。

「それに俺も一度戦ったけど、あっさり勝った」
「ゴルトさんに賭けの話をしたのはなんで?」
「取引したのか? なんでそうも危ない橋を渡るんだ」

 自身の力を過信するのもいい加減にしてほしい、とげんなりした。

「正しくない行為かもね」
「だったらなんで止めなかったんだ?」
「必要だと思ったからだよ。リクは君ともう一度戦うつもりだ」
「なんのために?」

 勝敗は分かりきっている。戦う理由もない。
 リクは一度負けた。実力差は簡単に覆るものではないし、帰るべきとの見解は誰が聞いても頷く。
 だが、目の前のリマルカは違うらしい。

「必要だからさ。君にも、リクにも。リクに帰れって言う前に、もう一度戦いなよ」
「分かったよ。だったら明日の朝にでも――」

 袖をキルリアに引かれた。振り返ると彼女は、自分を出して欲しい、と主張した。珍しいことだ。
 キルリアはお世辞にも本調子とは言えない。負けるとは到底思っていないが、わずかな不安があった。

「出してあげなよ。リアちゃんとの関係も、バトルすれば変わるかもしれないよ」
「別に何もない。リアは少し疲れてるだけだ」

 間違っているのに迷いのないリマルカの口振りが嫌だった。迷ったが、口を開いた。

「……いいだろう。ただし、バトルは明後日の朝だ。リクにもそう伝えてくれ」
「こっちも準備があるからいいけど、明後日にした理由は?」
「誰かさんがジムリーダーを辞めたお陰で、俺も忙しいんだよ」
「そう。大変だね」

 キルリアの調子を戻さなくてはならない。
 早急に。

( 2022/01/30(日) 10:22 )