Box.63 関係者各位 侵入者対応不備に関する釈明文
「あっいっつっは! なんなんだよ!」
カイトが去った後、リクは怒り散らかしていた。傲岸不遜、にべもない言動。撫でるような遠回りで曖昧なリアンの物言いよりもずっと好感は持てるが、それだけにそれがこちらに立ちはだかると、苛立ちが膨れ上がる。
「カイトさんは、ツキネさんの遊び相手だよ」
リクが地団駄を踏むのを止め、苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
「あいつの〜?」
「ツキネさんの、ね」
「遊び相手〜?」
「そう」
フン! と鼻息をつき、頭を手で抑える。
ツキネ。苛烈で厄介で暴力的で――腐った磯の匂い中、流れた涙を思いだし、リクはつり上がった目元を緩めた。
そのツキネが遊び相手に指名する人物がただ者であるわけがない。あのゴルトと仲が悪くも腐れ縁を続ける程度の人物、という意味と同じく。コダチから漏洩した情報から苦労性という人物像を勝手に作っていたが、カイトはヒナタの友人でもある。
ゴルトのルーローシティでの発言を思いだし、リクはぷっと吹き出した。
「なんでいま笑ったの?」
「いや、ゴルトが、カイトのおむつ替えてやったこともあるって」
「あのね、リク。僕はジムリーダーを辞めるし君と同年代だけど、カイトさんは現ジムリーダーで、レンジャーユニオンの統括者だ。ゴルトさんだって四天王なんだし、呼び捨てはやめなよ」
リマルカが咎めると、リクはポッポが豆鉄砲を喰らったような顔をした。リマルカからの苦言に、ぶすっとする。
「オレだって尊敬できると思ったら使うし、別に怒られたわけじゃないんだから、いいだろ」
「僕は尊敬できるから敬語を使ってるんじゃないよ」
「じゃあなんで」
「敵じゃないって示すため。公私を分けるため、かな」
「敵じゃないってならゴルトとかカイトとかはどうなんだよ。別にオレに敬語使うわけじゃないし。味方ってわけでもないけど」
「彼らは君を敵に回しても怖くないからね。でも君は、むやみやたらに敵を増やすべきじゃない。使っておくに越したことはないよ」
「……いやだ」
むっつりとリクはかぶりを振った。仕方ないな、と呆れるリマルカに半眼を向ける。
「逆に聞くけどさぁ、リマルカは敬語使って味方が増えたのかよ?」
「え?」
「お前はオレより強いよ。……たぶんだけど。でもリマルカさんとか呼びたくないし、使って欲しいか?」
「それは――リク、論点が違う。僕はそういうことが言いたいんじゃない」
「公私だとか敵だとか、ああもう、よくわかんないよ。ウミもお前も、よくわかんないことでなんか、うじゃうじゃ考えて」
「よくわかんなくないよ」
キッと、今度はリマルカが苛立ちを露わにする番だった。負の感情にゴーストポケモン達が目を輝かせる。しかし彼は、リクよりもいくらか賢かった。というより、賢すぎた。
怒りを即座に鎮火させると、リマルカは悲しそうに言った。
「……分からなくても良いから、そういう考えもあって、君とは立場や考えもまるっきり違う人やポケモンもいるんだってこと、忘れないで」
リマルカが顔を背ける。ゴーストポケモン達の無数の瞳がリクを射貫いた。いじめた、いじめた? ゆるさない――!
「やめて」
リマルカが制すと、彼らはいっせいにリクから目を逸らし、誤魔化すように口笛を吹いた。
視線を合わせず、リマルカが壁を見つめたまま問いかけた。
「君はカイトさんの言葉の意味、分かった?」
「意味?」
「あの人は、君だけでは力不足だって言った。つまりそれは、ウミ君を助けるためには、君以外に必要な人がいるってことだ」
「……そうだ」
だからいまここで、リマルカに謝ったほうが良いだろうとリクは思った。だがそれは嫌だった。そんな気持ちで謝ろうとすること自体、自分に対して嫌悪感がわく。リマルカは、それを求めているのだろうか? そうだとしたら――リクの胸に、ざわざわとした黒い物が注がれていく。
リマルカは首を横に振った。
「……ごめん。僕は今、ずるい言い方をしたよ。最初に君が僕に、協力してくれって言ったとき、本当は、凄く嬉しかったんだ」
黒いものがすっと流れて消えていく。ホッとしたと同時に、意地を張った自分が少し恥ずかしかった。
「……ごめんな」
「やっぱり君は、そのままがいいよ。変なこと考えるのは向いてない」
「へ……なんだよ」
「素直が一番ってこと。さっきの話だけど、正確には君以外に必要な人≠ナはなく、ポケモン≠ェいるってことだ。ウミ君と縁の深いポケモンが誰か、君は知っているだろう」
リーシャンとバシャーモが即座に浮かんだ。コク、とリクが頷く。
「彼らに関して、僕はあまり君の力になれないと思う」
「いいよ。オレが頼んだのはゴルトのことだけだし」
「でも、それ以外に出来る事があれば言って欲しい」
リクは不思議そうな目でリマルカを見つめた。さっきまで明らかに怒っていて、リクにも、悪かったのは自分の方だったと分かっていた。
「僕は君の友達なんだから」
リマルカが続けた言葉に、ぴんとくる。いまだにヒールボールを鼻先で回しているトドグラーを横目に、呆れたようにリクは言った。
「あのさぁ、友達だから全部協力したいとかするべきとか、そういうのいらないから」
「それはどういう意味?」
リマルカが突き放されたような、傷ついた顔をした。慌てて手を横に振る。
「違う。お前、ホントはまだ怒ってんだよ。友達だからってなしにするのはナシだ。嫌だって思ったら協力しなくていいし、文句だって言っていいし、でも喧嘩してても助けてって思ったら、助けてって言えよ」
リマルカは恐らく、自分が同年代で初めての友達なのだろうと、リクは思う。だから慣れていなくて、極端なことを言ったのだ。リマルカは目をぱちぱちさせて、安心しきったように緊張を解いた。柔らかく困ったように笑ったリマルカに、1年と少し前のウミの顔が重なった。
もしかしたら彼にとっても、自分は初めての友達だったのかもしれない。
「ありがとう。僕も君に力を借りたいときは呼ぶことにするよ」
「だから、違う」
遠慮がちの言葉の裏は、「君に迷惑をかけない範囲で」だ。損得も気遣いも裏もなく、リクは言いたいことを言った。
「助けられるかは関係ない。困ったら助けてって言えよ。オレはお前の、友達なんだ」
◆
留置場への廊下を今度は一人と二匹で歩いていた。リマルカは「入り口までついていこうか」と心配したが断った。彼我の実力差をすぐには埋められないが、出来るだけ肩を並べられるようにはしたい。リクなりのプライドもあった。
つまるところ、「子供じゃあるまいし、一人で出来るよ」である。
モクローは飛んで案内するほど親切ではなかったが、記憶を頼りに留置所へ向かうと、かぎ爪を食い込ませる時があった。かぎ爪が痛いときは道が間違っている――と、最初は考えたのだが、もしかしてそれは逆なのではないかとリクは疑った。モクローはカイトの子飼いのポケモンである。
「だったら右だ」
曲がり角で逆らうと、いっそうかぎ爪が食い込み、確信を深めるのであった。
そうしてたどり着いたのは、留置所へ続く寒々しい廊下である。ようやくたどり着いた! 達成感とともに、モクローが攻撃してくるのではないかとリクは身構えた。
「ウォ?」
リクの行動にトドグラーが首を傾げた。どうしたの? と問いかける瞳と同様に、モクローは素知らぬ顔で頭上にとまったままだ。何も危害を加えてこない。目的の場所に案内し終わった、とでも言いたげな落ち着きさえ感じる。
なにやら、掌の上で転がされたような気分である。
頭が痛くなっただけだ。ぶつぶつ文句を言いながら、リクは留置所の扉に手をかけた。扉の前で待っていたはずのエイパムはいなくなっていた。扉を開けると、見覚えのあるカード類が宙を舞った。
「へっへっへぇ! まっけ! まけー!」
酒に焼けた声の男が、カードを放り出していた。
狭っ苦しい部屋だった。小部屋の壁にはよく分からない機械や道具が物々しくひっかけられ、真ん中の小さなテーブル(元々はそのテーブル上にあったのだろうと想像にかたくない量の紙の書類やファイルが、乱雑に壁際の棚の上に、ぐらつくバランスを保って置かれていた)上には、カードや小銭が積まれている。ゴートで散々見た光景である。
「何やってんだよ、ゲイシャ」
「ウォォン!」
「きっ」
案の定、男と相対する真向かいでは、エイパムが優雅に手持ちのカードを広げていた。カードを放り出した男は、そこでようやくリクに気がついたという顔で、ひっくり返っていた床から体を起こした。立ち上がるとかなり身長が高い。180pくらいありそうだ。
「あー君ィ、ここは関係者以外立ち入り禁止だよ」
先ほどの醜態は彼の中でなかったことになっているようだ。リクの後ろからついてきたトドグラーを見て、「ポケモンも残念ながら、立ち入り禁止だよ」とつけ加える。トドグラーはもらったヒールボールのコツを掴んだらしく、頭に上手にのせながら左右に揺れている。歩いている間もずっと練習していた。
「じゃあそこのエイパムは?」
「彼は私のポケモンだ」
呼吸をするように嘘をつかれた。信頼できる人物ではないとこのわずかな会話の応酬だけで判断がつく人間も珍しい。
「オレのポケモンですけど」
「君ィ、嘘はいかんよ」
「嘘じゃない! なぁゲイシャ」
「きー?」
エイパムはあらぬ方向を向いている。裏切り者! 叫びたくなった衝動を抑え、リクは「別にいいけど」と呟いた。
「ここにリーシャンがいるはずです。どこにいますか」
「君のポケモンかな?」
リクは答えに窮した。彼女はウミのポケモンであり、自分のポケモンではない。この先どうしたいのかさえも、まだ確認できていない。男の向こう側からエイパムの視線を感じた。
「オレの、大事なポケモンです」
「ふわっとしてるね〜浮気男の常套句みたいな言い逃れは駄目だよぉ? チッチッチ!」
ひくひくと怒りが爆発しそうな一方で、こいつは駄目だという想いが刻一刻と深まってくる。
「そもそもねぇ、リーシャンのことをどこで知ったのかは知らないけど、彼女は別のトレーナーのポケモンでしょ。さっきから嘘ばっかりだなぁ」
「〜〜〜〜!」
「キーッキッキッキ!」
顔中に怒りの青筋が立ち始めているリクの肩へと、軽やかにエイパムが飛び乗った。小猿の視線がモクローにぶつかるが、その場を明け渡すつもりはなさそうだ。両肩に後ろからぶら下がり、リクの体を男から奥へと向ける。小部屋の奥には扉がもう一つあった。入り口よりずっと重厚で、冷たそうだ。リクは男を無視し、扉へと突進した。
「あっこら!」
上から覆い被さるように、男の大きな手が行く手を阻む。上体を下げ、スライディングで床を滑りぬけた。男の手を逃れる。背後でたたらを踏んだ男が壁に激突し、書類の山が崩れる猛烈な音がした。
飛びついた扉は押してもびくともしない。鍵が3つかかっていた。エイパムがするっと背中から尻尾を伸ばし、そこに引っかけている鍵を差し出す。
「サンキュ!」
「きっ!」
手癖の悪さはピカイチだ。一つ、二つ。焦る手では上手く解錠できないが、すぐにエイパムが手伝った。三つ目の解錠に手をかけた瞬間、男がリクの肩を掴んだ。
「離せよ!」
「お前なぁふざけるなよ! 駄目だっつってんだろガキ! 遊びじゃねーんだよ!」
凄まじい力で扉から引き剥がされる。「ゲイシャ!」リクの背中から逃げだしたエイパムが三つ目の解錠を引き継いだ。
「アリアドス!」
男の叫びに、天井から刺すように白い糸が降ってきた。がしゃん、と三つ目の解錠が終わった直後、粘着質な糸がエイパムの背中に襲いかかり、一瞬で扉に小さな体を縫い止めた。扉は開いた。それを示すように、エイパムは素早く視線をこちらへ寄越した。
肩を服ごと引きずられながら、リクはモクローごと男へ頭突きをしたが、軽く避けられる。引きずられるリクにトドグラーが激しく抗議行動を始める。
「ウォォン!」
「アリアドース!」
アリアドスの糸とトドグラーの冷凍ビームが同時に放たれた。衝突音と光が弾け、氷塊が落下する。男が戸惑ったのが分かった。リクは力を振り絞り、男をあらぬ方向へと引っ張った。バランスを崩させようとしたのだ。
不幸な事故が起きた。
机の角で強打した。何を、とは言うまい。絶叫に近い悲鳴があがる。リクは男の手を振り払い、糸と冷凍ビームの応酬を続ける二匹を放置して、奥の扉に体当たりをした。鈍い音がして開いた扉の隙間に滑り込む。モクローは静観していた。
扉のすぐ下は階段になっており、重く冷たい空気がリクを迎えた。転がるように駆け降りた階段下には、無機質な扉の並んだ廊下があった。重い緊張が横たわる場所で、リーシャンはすぐに見つかった。
彼女はとある扉の前で毛布に包まっていた。
「シャン太!」
リーシャンは驚いたように跳ね起き、こちらを小さな瞳で見つめた。
直後、警戒音を発するように彼女は叫んだ。
「リー!!!!!!!!!」
びくっとリクの肩が跳ね、足が止まる。
「……シャン太?」
痺れたように思考が止まった。自分でも変だと思うような、引き攣れた笑みが自然と顔に浮かんできた。優しく、うかがうような声音が戸惑いの言葉を吐きだす。
自分の声じゃないみたいだ、と浮遊したもうひとつの思考が呟いた。
「どうし、た?」
リーシャンは毛布の上から動かず、こちらを睨んでいた。
はっきりとした、敵意だった。
◆
リクの記憶の中でのリーシャンは、いつも穏やかに微笑んでいる。
ウミにいきなり勝負を挑んだときでさえ、こちらに敵意を向けたりはしなかった。ウミの父親が無理矢理リーシャンを連れていこうとしたときも敵意を向けたのではなく、泣き叫んだだけだ。
ウミとアチャモがいなくなって、リクとリーシャンだけになったときも、リーシャンは悲しむだけでリクを責めたり、怒ったりはしなかった。時々、リクはリーシャンが本当は自分のことを憎んでいて、しかし優しいからそれを表に出さないだけではないかと疑った。今でも実は、ごくたまに、その考えが浮かぶことがある。
目の前のリーシャンは明らかに敵意を向けていた。小さな瞳は懸命にこちらを睨んでいる。しかし――憎悪、というには、いささか違和感があった。
リクは途方に暮れそうになりながらも、なんとか持ち直した。リーシャンに一歩近づくと、恐れるように彼女も身を退いた。直後、ふるふると頭を振って、睨み直す。リクはその場にしゃがみ込み、彼女に声をかけた。
「……ウミと会ったか?」
リーシャンは無言だった。
彼女の毛布のそばに扉がある。No.の刻まれた鉄の扉は、たぶん、開かない。だからリーシャンは、こんな寒そうな廊下で毛布に包まっていたのだと推測する。
「今は会えない。シャン太も、分かってるはずだ」
くるりとリーシャンが背を向けた。拒絶にリクは唇を噛んだ。
彼女はウミと再会したはずだ。しかしウミが受け入れることはない。
バシャーモはもしかしたら、ともにいられるかもしれない。地獄の道行きは、ここまで来たら彼も同じだ。
だがリーシャンは?
「今は駄目なんだよ。オレと一緒に行こう」
「リー!」
リーシャンが鋭く鳴き、強く拒絶した。その姿に過去が重なる。
リクは、自分がウミの父親と立場を変えて同じことを言ったのではないかと思った。
(「シャン太を迎えに来た」)
リクは立ち上がった。リーシャンに近づくと、彼女は身構えた。耳が動いている。技を放つつもりなのかもしれない。それでも良かった。リーシャンは敵意を向けてはいたが、怯えていた。
行きたい場所があっても、いたい場所があっても、そこにいられるわけではない。
「許してくれ」
リクは頭を下げた。こんなことを言う権利があるのか、と自身の中の声が叫んでいる。それ以外に方法を知らなかったし、分からない。リーシャンは謝ってほしいわけではないだろう。謝ってどうなる問題でもない。
だがそれ以外の方法を知らないのなら、それを選ぶしかない。
「お願いだ。今は一緒に来て欲しい。シャン太がウミのそばにいたい気持ちは分かる。でも今は駄目なんだ。オレやお前だけでも駄目なんだ。時間が欲しい。必ず、ウミを助けてみせるから」
どの口が、と自身の声が罵倒する。緊張と動機の激しさに吐きそうだった。
(「お前がッ! 息子がああなったのはお前のせいだ!」)
――その通りだ。
許して、ほしい。
「オレを信じてくれ」
長い沈黙があった。背後から騒々しい悪態と足音が近づいてくる。……時間切れだ。
バシャーモはウミと一緒にいることを選んだ。
ウミは敵に回ることを選んだ。
変らないものはない。不意に、ミナトシティの浜辺でコイキング焼きをみんなで分け合って食べたことを、リクは思い出した。数ヶ月後、夜の浜辺で、海に向かってひとりで歩いて行ったことを思い出した。リーシャンが必死呼ぶ声を思い出した。
顔をあげた。リーシャンの悲しそうな目が迷うように揺れていた。彼女の道はまだ、自分と重なっているだろうか? 分からない。重なっていないのであれば、追いかけようとした彼らの道はここで途絶えてしまう。
乱暴な手がリクの腕を掴んだ。半泣きで支離滅裂な悪態をつきまくる男に引きずられ、「また来る」とリクは叫んだ。
返事はなかった。