Box.59 レンジャーユニオン施設案内図
カイトが業務的に場所の説明をして次々と移動していき、リアンが補足として無意味な情報を足していく。例えば食堂だったら「食堂だ。食事はここでとるように。朝は6〜8時。昼は11〜13時、夜は18〜20時。それ以外の時間に利用するときは、右端のカウンターのみ開いている」「お弁当も売ってるよ。火山風ハンバーグ弁当がオススメ」といった風に。
食堂でトドグラーが元気な鳴き声をあげると、遅めの朝食をとっていたレンジャー数名が近づいてきた。「トレーナーが元気になったの。良かったねぇ」「君がこの子のトレーナーか」「うちのコダチが世話になったそうで」これまでとは違い、敵意や嫉妬といった陰鬱な態度はひとつも含まれていなかった。しかしどことなく、妙な緊張の漂う言葉だらけだ。
「腹は減っているか」
いま気がついた、という顔でカイトが訊いた。「リーダー、そりゃ空きますよ当然」「ごめんね、この人食欲中枢麻痺してんのよ」レンジャー達が言った。ウォ! とトドグラーが訴えるような動きをする。食べ物を求める動きに、エイパムがぺしっと尻尾で叩いた。苦笑いがあがる。「トドグラーちゃんは朝ご飯食べに来たよね?」「そっちのエイパムはきのみくらい持っていきなよ」リクはというと、とんと空腹を感じていなかった。
「食べる気がしないので、いいです」
「そうか」
トドグラーが、食べないの? という顔で見上げた。「あとで食べるよ」
「案内が終わるころに連れてきてあげよう。その頃にはお腹も空いてるさ」
リアンの提案に頷いた。施設内の案内に戻る。
友達はみんな無事だ、との言葉に偽りはなかった。コダチは山積みの仕事に走り回っており、ソラは避難した家族のもとに、ホムラとバシャーモは別々の場所に拘留中だそうだ。予想外だったのは、リクが眠っている間にリーシャンがホムラとの面会をすませたことだった。先に確認して欲しかったと怒りと動揺を滲ませたリクに、リアンは謝罪した。「リーシャンは今どこに?」リアンの目が猫のようにしなった。
「君は今でも彼を殺したいと思っているかい」
リクは立ち止まった。
ゴルトから聞いたのだと思った。人気のない廊下だ。他に聞いているのはカイトしかいない。リアンの物騒な切り出しに反応することなく、彼もまた立ち止まった。
「あいつはこの先、どうなりますか」
殺したいとリクが今でも思っているとは、相手も考えていないのだろう。その通りだった。ゴルトが第三者に吹聴している事実に腹は立ったが、大人なんてそんなものだ、とリクは思った。第一怒ったところで「誰にも話さないとは約束していない」と言われればそれまでだ。
険悪な表情で、しかし声を荒げずに問い返したリクに、リアンは驚いたようだった。
「君がしなくても、近い未来そうなるだろう。君がなにもしなければ=v
含みのある言葉はホトリを思い出させる。こちらに何かのアクションを求めている。
それを言い出す瞬間を待っている。
「状況の被害者だと思うか?」
カイトの、結い上げられた藍色の髪が翻る。怒っているときのソラに似た顔だな、とリクは思った。だが性質は正反対で、その声音は磨き抜かれた剣のように曇りない。
「あらゆる人間が状況の被害者だ。君も、彼も、そして傷ついた人やポケモンの全てが。そして加害者でもある」
状況に流されるな、とカイトは続けた。彼の言葉は平等で、公正で、酷薄なまでに鋭い。「忘れるな、君には選択権がある」何も求めない目が、十も年の離れた少年に同じ目線で回答を求めた。
「どの道を選んでも覚悟は必要だ。曖昧な情だけで選ぶな」
カチンときた。
「曖昧な情なんかじゃない!」
リクはカイトに噛みついた。この地方に来たばかりの頃と今は違う。バシャーモと再会したとき、ウミのことと向き合うと決めた。その結果がどうなってもだ。ただその方向を、別の人間の思惑に左右されるのだけは気に入らない。「あんたも、はっきり言えよ」リアンを睨む。
「オレは知りたいだけだ。あいつがどうしてここにいるのか。だから説得していうこと聞かせろっていうならごめんだ。オレはあいつを敵だと思ってるし、あいつもオレの敵だって名乗った。朱色の外套の奴らがやったことだって許せやしない。あんたらの都合のいいようになんて絶対動いてやるもんか!」
「おや」
穏やかな焦げ茶色の瞳が緩く開かれ、好奇の色が覗いた。気が合わないと思っていた相手に、初めて共通点を見つけた、とでも言いたげな表情だ。その表情はすぐに穏やかなものに戻り、存在したという事実そのものが嘘のようだった。
「君は彼を敵だと思っている」
「そうだよ」
「彼は、君の敵だと名乗った=v
しまった、と口を抑える。迂闊だった。リアンの雰囲気は人好きのするものだが、お人好しのものではないのだと悟る。(「うーんと、自分が一番得意な方法で、相手の一番嫌がることをするのがコツだって前に言ってた」)あの助言をしたのは誰だったか。言ったのはコダチだ。リーダー――カイトに負けた人間の相談に乗っているときに言っていたそうだ。普通、ジムリーダーより弱いトレーナーが、敗北したトレーナーに助言を求められるだろうか? トレーナーというのはプライドが高い人間が多い。助言を素直に求めるとしたら、自分より強いと思う相手に求める。
(……ジムリーダーだったミクリがチャンピオンの座に……)(「……お連れしましょう」)思考の流れを繰り返す。(「諦めずに、止まらずに、考え続けること。Youが考えなくてはならないことです」)しかし先走ってはいけない。足下を掬われる。(「何も貰ってません」)(「何故お前が、コーラルを持っているのです?」)目の前の男の正体がおぼろげに見えてきた。
あの<Sルトがただの$l間に情報を渡すか?
「君は優しい子だね」
「どこが」
「君だって本当はわかっているだろう。流されて利用されて迷い迷ってここまで流れついてしまったのは、君だけではない。でも、彼の行き着いてしまいそうな暗闇の先まで追いかけるには、君には知るべきことがまだある」
カツン、とリアンが来た道へとつま先を戻した。「カイト。リク君には先に寄るところがあるみたいだ」
「それは本人が決めるべきことです」
カイトは人気のない廊下の先を見た。白い床の伸びた先は行き止まりとなっており、右側の一番奥に扉がある。
「あれが留置所。被疑者を一時的に拘留しておく場所だ」
リアンが補足する。
「ホムラ君がいる場所だよ。シャン太ちゃんは面会した日からずっとあそこにいる」
リーシャンが傷つくかもしれない、とリクが危惧した事態が起こってしまったのだろう。敵だと自ら名乗った彼が、リーシャンに着いてきてくれと、それこそリーシャンが望んだとしても、言える訳がない。地獄の道行きが確定している。
「そうそう。君はゴルトの奴と取引をしたらしいね」
流れつく先を知りたければ、辿ってきた道筋を知る必要がある。「あまり、悪い大人と危険な取引をするものじゃないよ」リアンが忠告した。(その悪い大人と情報のやりとりをしたのはどこの誰だよ)リマルカにサニーゴの気持ちを読み取ってもらうことはできず、最初から最後まで会えずじまいだった。サニーゴと直接会話はしたが……ゴルトは情報を渡してくれるだろうか? 新たな取引を持ちかけられるかもしれない。
「リマルカ君はまだここにいるよ。連れていってあげようか」
リアンの提案を無視して、カイトへ尋ねる。「リマルカの場所まで連れて行ってもらえますか」「構わない」カイトが元来た廊下を歩き出した。
「きっ」
エイパムが留置所の扉を心配そうに振り返った。
「ついてやってくれ。お前にも、あとでちゃんと話すから」
小猿が廊下の奥へ走って行き、扉の横にちょこんと座った。自然な動きだったので、リクが眠っている間、半分はそうしていたのだろう。いま、自分にもエイパムにも出来る事はない。それがよくわかっているのだ。
「嫌われちゃったかな」
「別に。悪い大人との取引はあいつだけで十分だ」
「ナルホド」
「それにオレは、隠しごとする大人は嫌いだ」
リアンが目をパチクリさせる。それから笑って「だったらカイトとは仲良くなれそうだね」と言った。カイトは何も言わなかった。
「私は君を少し見くびっていたようだ。その慧眼に敬意を表すことにするよ」
ゆったりとリアンがカイトの後をついていく。ひょろ長く育った木のような体躯はカイトより少し高い。木漏れ日のような柔和な雰囲気はゴルトと正反対で、気を抜くとするりと気を楽にしてしまいそうになる。カイトの後ろを歩くリクに並び、無意味な情報を補足するときの声で言った。
「私は四天王のリアン。サイカの元ジムリーダーで、ゴルトとは長い腐れ縁だ」
◆
施設内の客室はだいたい南向きだ。日の出ている間はいつも明るいという長所があるが、その部屋には分厚い遮光カーテンがかかっており、照明も落としてあった。テーブル上のランタンだけ灯っている。土の匂い。石の匂い。陰鬱な空気。そういったものは再現出来なくとも、カザアナに似せてあるのだということはすぐにわかる。部屋の中には少年しかいなかったが、そこかしこからゴーストポケモン達の密やかな気配が感じられた。
案内が終わると、二人は別の仕事があると言って別れた。リクの頭上にはモクローがとまっている。「道に迷ったらモクローに聞け。私を呼ぶ時もだ」「食堂に行く時もね」相変わらずモクローは尻を前方に向けている。
少年が席を勧めた。影から生えたゲンガーが椅子を引っ張り、ヨマワルがお茶を淹れる。
「君には会いたいと思ってた。そっちから来てくれて嬉しい」
もう知っていると思うけど、と前置きし、少年はリマルカと名乗った。リクも似たようなことを言うと、リマルカが笑った。
「まず僕は、君に謝らないといけないことがある」
「謝らないといけないこと、ですか」
「敬語はいらない。僕はもうジムリーダーじゃない。君と同じ、ただのトレーナーだ。座って。話したいことも、訊きたいことも、謝りたいことも、たくさんある」
席に着く。背後の扉がひとりでに閉まった。
「僕は君をノロシを引っ張り出す餌にしようとした。謝ったからってどうなる問題でもないけど、巻き込んで、ごめん」
初めて聞いたが、怒りはわかなかった。それはもうリクの中で済んだことだった。
もう気にしてないよ、むしろ巻き込んでくれてありがとう、なんてことしてくれたんだよ、ふざけるなよ。
「悪いと思うんだったら――」
浮かんだ言葉のどれもが薄っぺらくて、表面上の体裁を繕うだけのものに思えた。不意に、リマルカにしかできない、頼めないことが浮かんだ。
「ゴルトから欲しい情報があるんだ。それを引き出す協力をして欲しい」
リマルカが目を丸くした。驚いた顔に、リクは笑った。
霊感のある天才少年。聞いたイメージからは、歳不相応に落ち着いているか、ゴーストポケモン達と一緒に悪戯して回るタイプか。普通とはかけ離れた、特別な人間だという印象があった。それが大きく変わったわけではないが、その表情を見て、彼を特別な子供≠ゥらリマルカ≠ニいう人物へ変えていくことができる予感がした。ポカンとして、リマルカが言った。
「すごいこと頼むね、君」
「これでチャラってことで」
ニヤッと笑う。
あの男のニヤニヤ笑いに対抗出来る大人になるまで、あとどれくらいかかるだろう。ホトリのような一癖が、ビュティ・ニコニスのような洞察が、ツキネのように苛烈な意志が、ヒナタのような豪胆さが、いつになったら手に入るのか。何もかもが足りていない。(生き残る為に必要な要素。――戦うために、必要なもの)
不足を補うために、誰かの手が必要だ。
「うん、任せて。出来る限りの……いいや。必ず引き出す」
作戦会議をしよう、とリマルカが瞳を輝かせる。少年達の悪巧みは、小さな頭を付き合わせて行われた。関係のあることをたくさん話して、関係のないことまで二人はたくさん話した。リマルカは旅に出たことがなかった。他の街に行くこともあったそうだが、それは全て仕事だったり、他の街のジムリーダーに誘われたりしたものだ。
死んだ母親のこと。去った父親のこと。ぬいぐるみになってしまったジュペッタのこと。ソラのこと。住民のこと。
リクも話した。故郷のこと。ウミのこと。リーシャンのこと。アチャモのこと。この地方に来てからのこと。ヒナタとの、サニーゴとのこと。
話すほどに不思議と波長が合い、深く互いの事情に降りていく。リクもリマルカも、事情があって旅に出なかった。リクは少し先に、旅とも言えないかもしれない旅に出た。このラチナ地方に。リマルカはこれから旅に出る。一人のトレーナーとして、あちこちを見て回って、ジム挑戦をしてみたいのだと言った。
街はもうない。ジムリーダーとしての業務が残っているので、すぐに辞めることはできないが、近いうちにはジムリーダー認定証を返納する予定らしい。話しながらゴルトをやり込める策を作り上げていく。作戦が現実味を帯びてきた。
「ゴルトさんのことだから、条件を更にかけてくる可能性がある。リアンさんとゴルトさんは仲が悪い。それを利用すれば、上手く情報を引き出せるかもしれない」