Box.58 被疑者Uの身上調査及び供述調書
時は少し遡る。
もっともっと遡る。
――それは昔の話だ。リーシャンがまだシャン太という名前を持つより、前。
トモシビタウンで彼女は生まれた。古い歴史を守る街。穏やかな鈴の音が響く街。
トモシビタウンの人々は炎ポケモンを珍重する。強くなるためには、戦う必要がある。それで傷つくのはいつも、炎タイプ以外のポケモンだった。リーシャンは争いは苦手だったけれど、傷つく友達を見ているだけはもっと嫌だった。
その日も、同じだと思っていた。
「やめなよ」
黒髪の子供が言った。バトルを仕掛けてきた子供達が、行こうぜ、と白けた様子で散っていく。黒髪の子供が、傷ついたこちらに手を伸ばす。弱った仲間を背に庇い、反射的に構える。黒髪の子供は手を止め、申し訳なさそうに去っていった。
「……リ?」
その子供が、リーシャンは気にかかるようになった。
こっそりと遠目に窺う。彼は本を読んでいるか、母親らしい女性と散歩をしているか。ほとんどが、そのどちらかだった。たまに他の子供達を眺めていたが、輪に加わることはなかった。
「やめなよ」
また、子供が言った。
前と同じように助けてくれた子供は、そっとチーゴとオレンの実を置いた。長くポケットに入れていたらしく、少し変色している。それに気がつくと彼はポケットをひっくり返し、比較的色の綺麗なきのみと交換した。地面に落ちてしまったきのみをポケットに仕舞い直し、これ、火傷に効くから、と言った。
そんな事が何度かあって、リーシャンの方も怪我をしたり、友達が傷を負うと、彼を探すようになった。
――それがトモシビタウンでの、もっとも古い記憶。
「お前さぁ、なんでシャン太って名前なんだ?」
海辺の街で出会った子供が後に訊いた。「それを言うなら君だって同じだろう」と、あの時の子供が返す。
「悪いって事ないけど、メスに太ってつける奴珍しいだろ。オレのシャモは、いずれ超強いバシャーモになるからいいんだよ。な、シャモ!」
「ちゃもちゃも!」
あの時の子供――ウミが、衝撃を受けた顔でリーシャンを見た。得意そうに語る言葉が、耳を右から左に通過していく。
「か……」
子供と、リーシャンと、アチャモ。全員が視線を向けた。「か?」「リ?」「ちゃもー!」
「格好良かった、から。オスだと思ってた」
――ウミとリーシャンが出会ったとき、庇われていたポケモンだけではなくリーシャンも傷ついていた。それでも彼女は友達を守ろうとしていた。それがとても格好良くて、優しくて、眩しかった。だからオスだと思った。
素直に吐露したウミに、相手の子供は笑い出した。
「おまっ……どういう判断基準だよ!」
ウミは珍しく顔を赤らめ、怒ったような顔で黙った。子供が「悪い悪い」と半笑いで謝る。
「お前の言うとおりだよ。格好良いぜ、シャン太」
「……なんだよ」
「強くて優しくて格好良くて、可愛いんだから最高のパートナーだな!」
「ちゃもちゃもちゃも!」
アチャモが自分も自分もと主張し、子供がサッと抱き上げた。天高く掲げて宣言する。
「まぁ〜オレとシャモなんて最強のコンビだけどな!」
はいはい、と呆れるウミがリーシャンの頭を撫でた。
「名前、変えた方がいい?」
控えめに尋ねる。リーシャンは首を横に振った。今の名前が好きだった。
その後、少しだけウミはリーシャンを、女の子として扱うようになった。もうリーシャンは、ウミにとっての男友達でなくても良かった。
彼の願いは、叶ったのだから。
◆
リーシャンは目を覚ました。長くて、懐かしい夢を見ていた気がする。リーシャンを最初に出迎えたのは、穏やかな雰囲気の人物だった。
「私はリアン。気分はどうかな」
緑色の制服が似合わない男だった。リアンは仲間がみんな生きて無事である事を説明し、ここはサイカタウンだと話した。怒濤の数日間が嘘のように、安穏とした時間の流れている街だった。
リクを含め、みんなまだ眠っていた。自分が気絶している間に、本当に色々あったのだろう。タマザラシは進化していたし、サニーゴはいなくなっていた。酷いことを言ってしまったエイパムも、モンスターボールの中で眠っていた。ポケモンは皆、回復装置の中だ。
リクの眠っている部屋から出て、リアンに隣室へと連れていかれる。部屋の主は不在だった。「少し君と話がしたいんだけど、いいかな」リーシャンは頷いた。
「君はホムラ君をどう思っている?」
「リ?」
「ああごめん。敵とか味方とか関係なく、どうかな、と思って」
ホムラ。ウミのことを知っているかもしれない、元マグマ団の少年。殺してやる、とリクが宣言した相手。朱色の外套集団の仲間。どう思うかと言われても、リーシャンにはよく分からない。ポケモンも、人間も、この地方に起きた事件でたくさん傷ついた。そこに混乱するような情報が追加される。
「瀕死の君を助けたのは彼だ。覚えているかな」
そんなこと、初めて知った。
困惑するリーシャンに、「やっぱり知らなかったようだね」とリアンは続けた。
「何故助けたか。その理由が分かるかな」
「リ……?」
「私はシンプルな理由だと思うよ。ホムラは、君が大切だから助けたんだ」
ますます困惑するリーシャンを、リアンは見つめた。
「彼は君を大切に思っている。それこそ、もっと昔から」
最後の言葉にある人物が浮かび、心臓が跳ねた。
少年は元マグマ団≠ナ、リーシャンを大切に思って≠「る。
「君に会わせたい人がいる。きっと君も会いたかった相手だ。本当はここのジムリーダーに許可をとる必要があるんだけど……たぶん難しい。でも君が望むなら、私は連れていくことが出来る」
「リ……リリ、リリリ!」
リーシャンはコクコクと何度も頷いた。リアンは着いてきて欲しいと言って部屋を出た。
その場所は、階段を降りた地下にあった。降りてすぐの部屋にはレンジャーが待機しており、リアンが挨拶すると奥への扉を解錠してくれた。
踏み入る。物々しい廊下には鈍色の扉が並んでいる。
「ここは悪いことをしてしまった人を一時的に留め置く場所だ。彼はこの扉の向こうにいる。……水入らずで話させてあげたいところだけど、規則でね。私も一緒に入らせてもらう。いいかな」
「リ」
番号の振られた扉が、重い音を立てて開く。部屋の中にも扉があった。鉄格子の冷たい境の向こうにホムラはいた。開く音に顔をあげ、彼が目を見張った。朱色の外套ではなく、オレンジ色のつなぎだ。背後の扉が完全に閉まる。
「君とは一度、ここに入ったときに会ったけど、覚えてくれている……かな?」
ホムラは顔を背けた。
「うーん……そうか。でも、私のことは忘れても、彼女を忘れたことは一度もないだろう?」
リーシャンはホムラを見つめた。その視線を感じていないはずはない。だが、ホムラは振り向かずに言った。
「忘れました」
「リ……」
「私はホムラです。リーシャンと会ったのはただの偶然ですし、助けたのは藍色の髪の少年です。私ではない」
返答は淡々としていて、揺らぎがない。なさ過ぎたくらいだ。うーん、とリアンは頭を掻く。
「……10歳はポケモントレーナーとして認められる年齢だ。君は法律上成人として扱われ、同列に裁かれる」
朱色の外套集団のやったことは許されることではない。死者も多く、目撃者も複数いる。極刑は免れない。
しかしやり方次第では情状酌量の余地はある。刑を軽くすることも可能だ、とリアンは話した。――例えば、残りの外套集団の逮捕に手を貸す、とか。
リアンは話さなかったが、シラユキの四天王は敵を一人捕らえることに成功したが、一人取り逃した。捕縛した片割れは、こことは別の部屋に入れられている。我儘すぎて困ると対応しているレンジャーが愚痴っていた。アカもまだ行方知れずだ。
「私は出来れば、君を助けたいと思っている。君は加害者だが、被害者でもある。状況の被害者だ」
「私に話せることは、全て話しました」
「まだ話していない事がある。君自身の事だ」
「……話すことなんてない」
リーシャンは鉄格子にくっついて、こちらを振り返らないホムラを――ウミを呼んだ。
リーシャンは、彼が自分を置いて行こうとしているのだと思った。洞窟の時と同じだ。巻き込めない事情がある。
しかも今度は、絶対に戻らないつもりなのだ。
「リー!」
ホムラが唇を噛む。リアンが思案し、天井を仰いだ。
「ちょっと失礼」
リアンはポケットからカードキーを出した。訝しげなリーシャンの目の前で、ピッと扉の錠に当てる。ドアノブを回した。はいはいちょっとごめんなさいよ、という風情で中に入ってきたリアンに、ホムラがぎょっとする。
「あ、え、なにやって」
「うん、ごめんね。真剣に話してるところ。……ここだったかな」
ガタガタと椅子を引っ張り、天井へと手を伸ばした。ポカンと見上げる一人と一匹の前で、リアンは椅子から飛び降りた。その手には小さな監視カメラがあった。
「この部屋、防音なんだよね」
カメラをポケットにしまい、鉄格子の中から出た。
「外には出してあげられないけど、二人っきりにしてあげることは出来る。5分くらい。あんまり長いと私も誤魔化せないし」
「え?」
リアンは鈍色の扉に手をかけた。
「――ま、待って!」
あまりの行動に、ホムラが動揺気味に呼び止めた。
「うん?」
リアンが小首を傾げる。リーシャンも一連の動作が理解出来ず硬直していた。ホムラが咎めるように叫んだ。
「僕は犯罪者です!」
「うーん、正確には被疑者って言うんだけど……」
「こんなことしていいんですか!? 監視カメラをなんで外したんですか!?」
「この部屋に監視カメラは1つだけだ。調べてもらってもいいけど、私としては時間は有効に使って欲しいな」
「そうじゃありません!」
「君は逃げるのかい?」
ホムラは息を呑んだ。
「逃げないだろう。君は、そういう子だ」
リアンが微笑み、部屋を出て行った。一人と一匹になると、沈黙が場に落ちる。互いに何を話していいのか困っていた。途方に暮れるホムラにリーシャンが近づくと、サッと顔を伏せた。
「リ……」
「私、は」
(「逃げないだろう。君は、そういう子だ」)
ホムラのか細い声が迷うように震え、口を閉じた。リーシャンは癒やしの鈴の音を鳴らした。治療を受けたのか、元々怪我などしていなかったのかは分からないが、ホムラに外傷はない。しかし、伏せられた表情は分からなくても、彼は酷く傷つき、疲れているように見えた。
待っていた。
彼もまた、自分を置いて行ったわけではない。それで十分だ。
「僕は、」
ホムラと名乗っていた少年が顔をあげた。恐れるように、縋るように、瞳が揺れる。心細そうなウミという子供の顔が、こちらに向けられた。
「君を、迎えにいけなかった」
ごめんなさい、とウミは言った。
許しを請うというより、決して許されないと分かっていながら、それでもその言葉以外知らないのだというような声音で、彼は繰り返した。剥き出しの懺悔がこぼれ落ちるたびに、彼自身を深く傷つけているようだった。
――こんなことになってしまって、ごめんなさい。迎えに行けなくてごめんなさい。
――お願いだから、僕のことなんて忘れて欲しい。
――もういいから。
『――ガガッ――もう、待たなくて――いいん――シャ――太――』
……5分という時間は、長いようで短い。
きっかり5分、リアンは扉の外で待っていた。時計を見て耳のインカムに触れた。デボンコーポレーションが作成した最新の通信機器。ポケモンや他のレンジャーとの無線の他に、機能を切り替えれば簡易的な盗聴も出来る。
5分で有用な情報を話すとも思えなかったが、人間性の裏をとることは出来た。聞こえてくる声に頭を掻く。どうやって入ったものかと思いながら、リアンは扉に背中を預けた。