暗闇より - 91〜100
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      僕らの始まり
 数日前のことだ。
 11歳の誕生日ケーキは何が良いかと母親が訊いた。少し考え、チョコのケーキと答えた。嬉しそうに顔をほころばせた母親が、世界で一番美味しいケーキを作ってあげると張り切っていた。

「あれ……とーさんは?」

 リビングのテーブルにはご馳走が並んでいるが、父親の姿はない。キッチンから母親が言った。「お仕事だって。遅くなるらしいから、先にお祝いしちゃお!」珍しいな、とリクは思った。相当仕事が忙しいに違いない。いつ帰ってくるか――むしろ、今日中に帰ってくるかも怪しい。素直に席に着くと、母親がケーキを切り分けてくれた。

「ねぇ、リク」
「……?」
「この街のこと、好き?」

 母親は正面に座り、両手で頬杖をついてリクを見つめた。チョコレートケーキの一切れが、リクの前に置かれている。

「……分からない」

 好きだった、と思う。嫌いではない。
 けれど時々、誰もいない場所へ、ずっと遠くへ行きたくなる。

「――そ。ならケーキ食べちゃいなさい。美味しいわよ〜私の特製ケーキ! 世界一! ひゅーひゅー!」
「自分で褒めるのかよ」
「リー」

 リーシャンが笑った。確かに言うだけあってとても美味しい。軽い口当たりのチョコレートクリームを口に運ぶと、夢見心地に誘うような甘さが広がった。知っている味だ、と思った。でもどこで? ――あれは旅行客と戦った時の事。火の粉から逃げ惑うキレイハナに勝利を確認した刹那、ガクンとアチャモが崩れ落ちた。駆け寄ると眠っているだけだった。ようやく気づいた技の名前は――

「ねむ、り、ご……な……?」

 ガクンとリクは崩れ落ちた。ごめんね、と囁く言葉。リーシャンが心配する鳴き声。全てが遠く、薄闇の向こう側へ沈んでいく。
 暗闇の奥。手放された意識の外側から小刻みな振動音が近づく。誰かのポケナビが、夜の底で時刻を告げる。

『23時48分10秒』

 ――暗闇の中、目を覚ました。
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■筆者メッセージ
800文字小噺は100本で終わりです。
( 2021/09/18(土) 23:31 )