第36話 洞窟の幽霊
211番道路。エイヘイ地方が成している円環の北北東。
この辺りは深く霧が立ち込めており、また鬱蒼と繁る木々が光を遮り常に薄暗い不気味な場所であるらしい。
……結局あの後アイクは撤退したようだ、ルークさんの話では「アイクとは一進一退の攻防を繰り広げたが……応援を危惧したのかもしれないな、突然引き上げてったぜ」らしい。
アイク、まさに嵐のような男だった。レイが危惧していたのも納得出来る。
……それにしても、一体ルークさんに通報したのは一体誰だったんだ。数時間前に通報が来たと言っていたけど……確かにそんな早くに通報していないと間に合わなずオレ達は死んでいただろう。でも、数時間前ならまだ事件が起こる前だ、そんな予知めいたことをどんな人間が……。
「……なあノドカ」
顔を上げて隣を見る。……誰もいない。
「あ、あれ?! ノドカ! ソウスケもいない! コアルヒー! ヒヒダルマー! おーい! どこだー!」
……駄目だ。オレの叫びは虚しく霧に掻き消されてしまい、二人の幼馴染みには到底届きそうにない。白く染まった視界、鬱蒼と繁る深い木々の中、オレは寂しくなって思わず呟く。
「……はぐれてしまった」
オレの頭をゴーゴートがつるでポン、と優しく撫でてくれた。その優しさが……今はとてつもなく、情けない気分にさせてくる。
「……とりあえず、歩くか。このまま立ち止まっても始まらない。まず目印になるものを探して、それからヒノヤコマに二人を見つけてもらおう」
……やってしまった、考え込むあまり回りが見えなくなってしまっていた。
なんとしても二人と二匹を見つけないとだ、きっとオレを心配してくれめいるはずだろう。ひこうタイプのポケモンが居てくれて本当に良かった、この時程ありがたく感じたことは……まあ、たまにあるな。
「おーい! ジュンヤ! ゴーゴート! どこー!?」
「居るなら返事をしてくれ! ジュンヤ! ゴーゴート!」
気付いたらはぐれてしまった幼なじみのジュンヤと、その相棒。私たちは今懸命に捜索を続けているけど、さっぱり見つからない……。ヒヒダルマは木の上から、コアルヒーは空を探してくれているのに見つからないということはきっとだいぶ前にはぐれちゃったみたい……。
……って、そうだ!
「ソウスケ、電話しよう電話!」
「……それがあったね、普段携帯電話を使わないから忘れていた。まさに灯台もと暗しだよ」
私はポケットから、ソウスケは鞄の中から携帯電話を取り出した。ソウスケは溜まっていた迷惑メールに怒って、処理で忙しそうなので私が電話をすることにする。
「……なかなか出ない。おかしいなあ」
さみしがりやのジュンヤだったら、二回目のコールで出てもおかしくないのに。……ってそれは言い過ぎか。
何回呼んでも出てくれない、聞こえるのは相手が圏外にいるか〜とか、そんなのばっかり!
「……って、ええ? 圏外!?」
「なんだって! それは本当かい!?」
……迷子の迷子のジュンヤさん、あなたの居場所はどこですか。なんて替え歌をつくりたくなってしまうけど、今はそんな遊びをしてる場合じゃない。
「……ほんとにジュンヤとゴーゴート、どこに行っちゃったの〜?!」
心配のあまり情けない声を漏らして、しかし一番つらいのはジュンヤ達だ、と自分を奮い立たせる。
がんばって二人を見つけよう! 私とソウスケは頷き合って、コアルヒーはヒヒダルマと頷き合って、みんなで手当たり次第の捜索を再開した。
固く不安定な足元に細心の注意を払いながら歩き続ける。視界はライチュウの尾が放つ光のみに頼らざるを得ない為心許ないが、それでも進むしかない。
「少し、肌寒いな……」
何か目印になるものがないか、オレが歩いていたら見付けたのがこの洞窟だ。
ぽっかり暗い大口を空けて鎮座していたこの洞窟は空からでも発見は容易いだろう、その入り口で待っていたのだが……。
何か音がする、よーく耳を凝らしてみると……まるで、声を抑えてよよとすすり泣くような嗚咽。まさか誰かが中にいるのか……? そして出られなくなって泣いているのかもしれない。
ノドカとソウスケと合流出来るようにヒノヤコマだけはモンスターボールから外に出して、何かあってからでは遅い、とオレ達はこの洞窟に入ることに決めたのだ。
「おーい、誰か居ませんかー! 居るなら返事をしてくださーい!」
先程聞こえたものがただの風なら良いのだが、きっとあれは泣き声だろう。
腹の底から声を張り上げて叫ぶが、返ってくるのは反響する自分の声。
……と思っていたら、耳元で突然か細く弱々しい声が。
「……!! だ、誰でしょう……?!」
正直一瞬心臓が止まりかけた、すっごく怖い。声が情けなく裏返りながらも恐る恐る振り返ると……。
「う、うわぁぁぁあああっ!!?」
な、ななななんだ今の!? いい今かか顔みたいなものものが暗闇に浮かび上がってたたたぁぁぁ……!!
とにかく逃げろ! 早く逃げろ! 今すぐ逃げろ!
足先から帽子の先まで全身から溢れ出る「逃げろ」という指令に従い、オレとライチュウは全速力で洞窟の奥まで駆け抜けた。
ぜぇ……はぁ……! ぜぇ……はぁ……!息を切らせ走りながら思っていた。
奥に行っちゃったら、洞窟から出る時もう一度幽霊見ちゃうじゃん……!
「ま、まずい……! もう幽霊は……見たくない……。オレ達は、どうすれば……」
何も出来ずに固まっていると、首もとに突然冷たい衝撃が。
「ひっ……! ……なな、なんだ水滴かー!」
焦ったー! 本当に焦った、もしオバケが出てきたらどうしようかと……!
安心を胸に振り返ると……!
紫紺の肌に真っ赤な目、鋭利な歯!?
「また出たああぁぁぁっ!!」
どう見ても生きている人間のそれじゃない!! ……って待て。紫の肌に赤い目、ギザギザの歯って。
恥ずかしながら二度も叫んでしまったが、冷静に考えれば分かるじゃないか。
振り返ると、ずんぐりむっくりな体型、猫の耳みたいに頭に生えた二本の三角のトゲ。
「お前……!」
そいつはオレ達を驚かしたいのか長い舌を出して叫びながらオレ達に顔を近付けて来た、が……。
「正体が分かってるんだ、オレは驚かないぜ、ゲンガー」
……きっと洞窟の中が肌寒かったのも、単純な温度だけじゃなくてゲンガーがいたからなんだな。
軽く小突いてやると、ゲンガーはあまりに驚いたのか一気に走り出して、岩影に隠れて丸くなってしまった。
い、いやいや……。流石に反応が過剰過ぎないか……?
「お、おーい。ごめんよ、オレが悪かったよ、出てきてくれ」
オレが声を掛けて、ライチュウが呼び掛けると震えていたゲンガーがようやくこちらを向いてくれた。
「なあ、ゲンガー。……!」
ゲンガーの目は蒼白く光っていた。これは……この技は……!
気付いた時には、オレの目蓋が鉛のように重くなっていた。体に力が入らず、膝から鈍く崩れ落ち、……目の前が真っ暗になってしまった。
……意識がじょじょに覚醒していく、一度うっすらと目を開けてみたが、まばゆさに耐えきれず再び眠りに身を委ねようとする。
「……なんだよ、いきなり」
……どうやらオレに安眠は許されないらしい。何者かがオレを揺さぶり目覚めさせようとしている。
重たい目蓋を嫌々ながらも持ち上げると、深紅の瞳が瞬いた。鋭利な歯、闇のようの暗い肌。寸胴の体型、ゲンガー。
オレが半身を起こすと、ゲンガーはオレの手を引っ張りながらどこかを指差していた。
滑り台、ブランコ、回転遊具、木馬、他にも様々な遊具が立ち並んでいる。オレが今どこに居るか、見回してみるとどこまでも広がる草原に不思議な紫色の空。
「もしかして、オレに遊んでほしいのか?」
ゲンガーは元気よく頷いた、何か忘れている気がするけど……嬉しそうな彼の望みに応えてまずは滑り台に乗った。
二人で一緒に滑ると嬉しそうに笑ってくれた、それがオレにも喜ばしくて今度は別の遊具で遊んでみる。
……どれ程時間が立ったか分からない、二人でずっと遊び続けていたが……。
「……やっぱり、足りない」
見上げると、空には相変わらず太陽も月もなく、不思議な紫色のみが広がっている。
何かが違う、在るべきものが無くて遊んでいる最中もずっと心にぽっかり穴が空いていた。
だけど、思い出せない。色々な遊具があって、一緒に遊んで、楽しくないはずがない。なのに……。
不思議そうに首を傾げるゲンガーに頷き返して、しかし骨が喉に引っ掛かったような違和感にどうしても耐え切れなくなって思わず頭を抱えてしまう。
心配そうなゲンガーの声、それとは別にブジューという耳に馴染む声が聞こえてくる。
「この声……」
ゲンガーは焦ったような顔になる、しかし今のオレにそんなものは目に入らない。声に意識が傾けられると、それに想いが没頭していき、オレの心に開いた穴はたちまち埋め立てられていった。
「……そうだ、お前が居てくれたよな、ライチュウ」
気付けばオレの隣にはライチュウが具現していた。どうして思い出せなかったのか……腰には気が付けばそれまで存在しなかったモンスターボールが装着されている。
……この世界は夢の中だ。ゲンガーの"さいみんじゅつ"によってオレ達は眠らされてしまい、きっとライチュウはゲンガーの"ゆめくい"によって夢から消えてしまっていたものなのだろう。
「思い出したぜ、オレ達はあの洞窟から出てノドカとソウスケ達に会わないといけないんだ。ゲンガー、オレはこれ以上お前とは遊べない、現実に帰してくれ」
だが、快く頷いてはくれない。駄々をこねるこどものように嫌がりながら転がって、しかしそれでも拒否するとダメだと悟ったのかライチュウに向かって漆黒の球体を飛ばしてきた。
「シャドーボールか、どうやらそう簡単には帰してくれないらしいな」
念の為に試してみるが、カチカチ音が鳴るばかりで腰のモンスターボールは起動してくれない。夢の中では制約があるのかもしれない、あるいは眠る前に唯一ボールから出ていたからか、ともかく戦えるのはライチュウのみのようだ。
「行くぜライチュウ、必ずオレ達はみんなのところに帰るんだ! かみなりパンチ!」
漆黒の弾を構える、雷を纏った拳を握って迫る。
紙一重、身を翻してシャドーボールを避けるとそのまま勢いに乗せて頭を殴りつけた。だが、やはり一撃で倒せる程甘くはない、すぐさま反撃を受けてしまう、のだが……。
「し、しまった! ライチュウ!?」
ゲンガーが吐いたのはシャドーボールではなく冷気を伴う息吹、こごえるかぜ。全身に吹き付ける冷気にライチュウが動きを鈍らせたところですかさず叩き込まれる黒球、それに吹き飛ばされたライチュウだがかろうじて受け身を取って構える。
「大丈夫か、ライチュウ」
オレの声にライチュウは力強く声を張って返すが……先程のこごえるかぜで機動力が落ちている。接近戦を持ち込むのは容易ではないだろう。
「くさむすびだライチュウ!」
ゲンガーの足下の草が揺らめき脚を絡め取ろうとしたが、吐き出される冷気で凍結して防がれた。……くそっ、苦し紛れのオレ達の技もゲンガーには容易くあしらわれてしまう。
相手は自分が優位に立っているのを確信したのだろう、一気に攻勢を仕掛けてシャドーボールの弾幕を扇状に張ってきた。
「避け……!」
……いや、ダメだ。素早さの落ちた今では間に合わない!
「かみなりパンチで迎え撃て!」
漆黒の弾を殴り付ける、そのまま弾き飛ばしたが……。
「しまった!?」
頭上にゲンガーがシャドーボールを構えながら迫っている、気付いた時にはもう遅い。
「ライチュウ!?」
やはりこごえるかぜの影響は大きい。直撃を免れずに派手に投げ出されて、ジュンヤが身を呈して受け止めるが勢いを抑えきれない、ライチュウの下敷きになる形でようやく止められた。
「……ライチュウ、無事か?」
重くのし掛かって動かない彼に声を掛けると、気が付いたように跳ね起きてオレに謝って来たのでオレなら大丈夫だ、と頭を撫でて再びゲンガーに向かい合う。
相手は容赦してくれないらしい、既にシャドーボールの発射準備を整えてしまっている。
「……こうなったら、やるしかない」
かみなりパンチもくさむすびも対応されてしまう、残りの技はねこだましとかわらわりで効果がない。
……ならば残っているのは、まったく使い方の分からないボルテッカーのみだ。
「ライチュウ、オレにいい考えがある」
これならば何より意表が突ける、オレの作戦を耳打ちしてからライチュウをむんずと抱き上げオレ達も構えた。と同時に相手のシャドーボールもとうとう放たれてしまう。
だからオレ達も迎え撃つ!
「せい……やぁーっ!!」
ハンマー投げの要領で遠心力をつけて、精一杯の勢いをつけてゲンガー向かって抱えていたライチュウを投擲する。そしてライチュウはオレの手を離れた瞬間に放電をした。
「行けぇライチュウ! ボルテッカーだ!」
ボルテッカー、とは言っても投げた勢いに乗せただけの擬似的なものだ、実戦向きではないがそれでもこの窮地を脱するには十分なものだろう。
全身に稲妻のごとく迸る電気を纏わせたライチュウは、迅雷の如く突き進み、漆黒の弾など易々と打ち砕いてそのままゲンガーの腹部を穿った。
「……やったぜ!」
ゲンガーが盛大に吹き飛ばされて、そして公園の遊具が消滅。続けて不思議な紫の空が崩壊して最後に地面が薄れていく。
「ごめんなゲンガー。けど、夢は覚めるものなんだ……」
ゲンガーは最後に地面を握り締め、悲しそうに顔を上げてから、倒れた。
地面が消えて、オレとライチュウは暗闇の中へと落ちていく。
そして目の前が再び真っ暗になり……いつしか意識は無意識へと変わっていった。
……何かに揺さぶられて静かに意識が目覚めていく。ゆっくり目を開けてみると明りはほとんどなく、隣で稲妻模様が、ライチュウの尻尾の先が発光しているだけだった。
「……いたたた、ありがとな。おーい、お前も起きてくれ」
どうやらオレを起こしてくれたのはライチュウのようだ、半身を起こすと隣で彼が微笑み、……目の前では闇のように暗い寸胴が倒れていた。
ゲンガー、彼をゆさゆさ揺すってみるとやがて目が覚めたらしい。真っ赤な目を見開いて、オレ達を見て、飛び退った。
「……安心してくれ、オレ達は怒ってないよ」
ライチュウも隣でうんうん頷く、しかしそれでも安心出来ないようだ、岩影に隠れておずおずとこちらを見てくる。
……まあ確かに、一歩間違えたらオレ達はゲンガーが満足するまで長い眠りについていたかもしれない。そう考えるとぞっとしないけど………でもだからって、彼を怒る気にはどうしてもなれなかった。
「お前、寂しかったんだろ。そうだよな、こんな暗い洞窟で一匹過ごすのは楽しくないよな」
野生のポケモンも居たには居たが、ゲンガーはおくびょうで見た目が怖くて感情表現が下手なようだから、友達だって居なかったのだろう。
……まあ性格に関してはオレの推測だが、恐らく洞窟の外で聴いた泣き声はゲンガーのものだったのだろう。根拠としてはかなり弱いものだが、ゲンガーに遭遇した後はあの泣き声は聞こえないのだから。一応質問してみたが、泣いていたのは自分だ、とゲンガーも認めてくれた。
「オレ達を驚かせたのも、眠らせたのも、ただ遊びたかっただけなんだろ? そんなやつを怒ったりなんて出来ないよ」
……ゲンガーはようやく岩影から足を踏み出し、ゆっくりと出て来て頷いた。そして申し訳なさそうに目蓋を引き結んで恐る恐る頭を下げてくる。
「大丈夫さ、オレ達なら気にしてないよ。それよりどうだゲンガー、オレ達と一緒に旅しないか。きっと友達だっていっぱい出来るし外は明るくて楽しいぜ!」
彼にも自責の念があるのだろう、困ったように頭を掻いて暫く地面に目線を踊らせながら峻巡していたが……やはり迷いがあるのだろう、首を傾げてきた。
「ああ、オレ達はお前とも一緒に旅がしたいんだ。駄目なわけないだろ、行こうぜ、外の世界へ!」
とうとうゲンガーは頷いた。それに安心をして彼の頭にコツンとモンスターボールを当てると、赤い閃光が迸ってゲンガーを飲み込んでいく。
紅白球は地面に落ちると少しの間躊躇うように揺れていたが、それも収まり静止する。
「……よし、ゲンガーゲットだ。これからよろしくな、ゲンガー」
ボールを拾い上げると中でゲンガーが勢い良く頷いた。だからオレも頷き返してそれを腰に装着する。
……さあ! 後は洞窟を出るだけだ! けど……、どうやって帰ればいいんだ……?
結局ゲンガーに案内を頼んでオレ達は洞窟を出たが、外ではノドカとソウスケ、コアルヒーとヒヒダルマとヒノヤコマが待機していた。
せっかくなのでみんなにゲンガーを紹介するとノドカとコアルヒーが悲鳴を上げ、その声に驚いたゲンガーが再び洞窟へ戻ってしまったのはここだけの話だ。