第31話 追憶の洞
シトリンシティを後にして、209番道路。ここにはある有名な洞窟がある。
その名は「追憶の洞」。このエイヘイ地方でも名を馳せている理由は、何よりも棲息する野性ポケモンにある。そう、ここに棲んでいるポケモン達は簡単に言うと「強い」のだ。何も知らない初心者が無謀にもこの「追憶の洞」に挑んで痛い目にあったという話が後を立たず、やがて四つ程度はジムバッジを手に入れられる程の実力者で無ければ立ち入ることすら許されない、と暗黙の了解が生まれてしまう程だ。
先程も重傷を負って、這いつくばりながら抜け出してきたトレーナーを見た。それはまさにこの洞窟に挑んだ者の末路と言っても過言では無かった。
「……行こう、ライチュウ、みんな」
岩盤が剥き出しの切り立った崖、そこにぽっかりと空いた暗黒の穴から流れ込んで来るのは拒絶。訪れる者をひたすらに拒むかのような閉塞感と総毛立つ緊張感、それがこの洞からは感じられた。
だが恐れているわけにはいかない、オレは強くならなければいけないのだ。
追憶の洞は棲息するポケモンの強さ故に初見殺しの洞窟とも呼ばれるが、反面強さを得る為の探求者が多く集っているとも言われている。事実ここで修行を重ね、公式戦でも名を馳せるようになった人物が何人も居る。その中でも先代チャンピオン「ヴィクトル」、現チャンピオン「スタン」などは群を抜いた強さを誇り、洞窟の最奥まで辿り着くことの出来た数少ない人物だ。
流石に何年もここに留まるわけにはいかない、しかし強さを求めるオレ達の気持ちは本物だ。
「目指すは最奥だ、ソウスケとノドカも異論は無いよな?」
「当然じゃないか、僕もレアコイルも早く挑みたくてうずうずしているよ」
「うぅ〜……! そりゃあもちろん行くには行くよ? けど……」
快い返事のソウスケとは違い、ノドカはなにやら言い淀んでいる。急かすことなく次の言葉を待っていると、やがて弱々しい声色が続けられた。
「や っぱり不安だよ〜……。ほんとに今の私たちの強さで行けるのかなあ……?」
「……それは分からない。だからもし不安があるなら、ノドカは外で待っててくれ」
「う、ううん! 行くよ! 私だって二人と一緒に強くなりたいもん!」
「……そうか、お前も来てくれるんなら試心強いな。じゃあ行こう、ノドカ」
まるで永遠に暗闇が続くかのごとく黒々と開いた大穴は、強さを求める者だけを大口を開けて待ち望んでいる。弱者を拒む狭き門……だけど、オレ達は必ずこの門を通り抜いてみせる。
「絶対この洞穴を踏破して、また一緒に旅を続けるんだ。今度こそ行くぞ! 強くなって、みんなで無事に戻ってこよう!」
一歩を踏み出すオレの隣を進むソウスケ、やや遅れながらもノドカがついてくる。
オレ達だって所持バッジは四つだ、ここに入る資格はある。しかも三人のバッジの数を合わせれば十二個だ、つまり三人の力を合わせれば踏破することだって夢じゃない。
背中に息を吹き掛けられるような気味の悪い緊張感を受け止めながら、それでも怯まず「追憶の洞」へと足を踏み入れた。
暗闇を照らす光の中、空を切り裂く巨大な飛膜が翻り、真空の刃が正確にオレの足首目掛けて飛来する。
「ライチュウ、電撃で打ち落とせ!」
相手は吸血蝙蝠のゴルバット。一度噛み付いてしまえばその巨大な体一杯を満たすまで対象の血を吸う為に、「死ぬ程吸い付くしてしまう」とポケモン図鑑にも記されている。
ノドカのモココが尻尾を発光させてくれているおかげで、周囲数メートル辺りまでは明るく照らされ見渡せる。そしてざっと数えるとゴルバットは六匹程度。
その巨大な四本の牙に突き刺されるだけでもただでは済まない、互いが互いを守る為、オレ達三人は背中合わせで戦っていた。
「ライチュウ、かみなりパンチ!」
負傷した目の前のゴルバットに雷を纏った拳を叩き込むが……。
「しまった……!」
確かに技は直撃した、にも関わらず倒し切れずに今にも歯牙にかけられようとしていた。
「モココ、かみなり!」
「10まんボルトだレアコイル!」
ライチュウとゴルバット、二匹の間に割って入ったのが直線の稲妻だ。ゴルバットが文字どおり飛び退いたと同時に周囲を巻き込む放電が敵も味方も関係なく迸った。
……それからしばらく攻防が続き、ようやく追い払えたところで一息を吐く。
「いきなり大変な目に遭ったな……」
「そうだね、次はどんなポケモン達が迫り来るのかと考えると……楽しみでたまらないよ」
「あはは、相変わらずねソウスケは……」
岩盤に閉ざされ生まれた暗闇の中、半球形の光に包まれた三人は時折休憩を挟みながらも歩き続けていた。
疲労を感じて帽子のつばを下げるジュンヤとは対照的にソウスケは楽しげに足音を踏み鳴らし、ノドカは呆れて苦笑をこぼす。
……確かに相変わらずで呆れたくなる、と同時に彼には心底感心する。ソウスケはこんな一寸先すら分からない闇の中を、胸を張って臆すことなく歩き続けている。それにノドカだってそうだ、ノドカからは良くも悪くもあまり危機感を得られないが、それが時には緩衝材となり緊迫した空気を和らげてくれる。
いくらポケモン達がいるとはいえ、こんな常闇の中をオレは一人で歩けていたか分からない。改めて二人が一緒に来てくれることに有り難みを感じ、だからこそ必ず踏破しなければならない、と自身を励まし奮い立たせる。
「頑張ろう、みんなで力を合わせればきっといけるよな」
そう、オレとライチュウだけでは先程三匹を追い払うことすら叶わなかった。ライチュウはゴルバットに対して相性が有利、にも関わらず。以前のジム戦でも片鱗を見せていたことだが、ライチュウの火力不足が露呈してしまっていた。
今回は三人で力を合わせて乗り切れるかもしれない。そもそもライチュウは素早さが高い代わりに火力や耐久力は控えめなのだ。だがそれでもこの問題は、今後のポケモンバトルにおいてそれは大きな枷となってしまう可能性が大きい。
そんな欠点を補うには、どうすればいい。……同じ問題を抱えるノドカだったら、技を鍛えていた。だったらオレ達も、ノドカを見習うべきかもしれない。
「……ねえジュンヤ、聞こえてるの?」
「え……? あ、ああ、ごめん。どうしたんだ」
今オレの頭の中を占めていた少女が隣から呼び掛けてきていた、その口振りからは何度目かになることが察せられる。頭を下げて尋ねると、彼女は懐中電灯を片手に持ちながら岩壁の一部を指差した。
「ほら、これってなんだか絵みたいに見えない?」
岩壁には何かに削られていた跡が残っていて、その周辺を見てみるとまるで拙いこどもの落書きのような線が浮かび上がってきた。
丸の下で線が枝分かれしている、これは恐らく人間だ。そしてその周りには四足の体型、カイゼル髭のような形の線が引かれているものがいくつも描かれている。
「これは人間と、……なんだかメェークルに似ているな」
「やはり君もそう思うか、僕も同意見だよ」
そういえばメェークルは人間と暮らし始めた最初のポケモンと言われている。ということはこれはその初期の頃の壁画、なのか……?
「これは興味深いものだよ、更に詳しく……!?」
ソウスケが言葉を続けようとしていたところに突然背後から獰猛な叫びが洞窟内部で反響し、彼らは揃えて肩を跳ねさせる。だがそれも恐怖ではなく不意を突かれて驚かされただけだ、すかさず振り返ってモンスターボールを構えた三人は相棒を球から解き放った。
「相手はハガネールか……。いいじゃないか、敵が強い程僕らも燃える! 行くんだダルマッカ!」
「こういうやつはお前に任せる、頼むぜシャワーズ!」
「えっと……じゃあ私もみずタイプで! コアルヒー、お願い!」
それから何度も何度も突然の野生ポケモンからの襲撃を受け、それでもその度に撃退を繰り返し消耗をしながらも、オレ達は深いこの洞窟を進み続けていた。
既に手持ちの何匹かは戦闘不能になってしまっており、今は「いいキズぐすり」を吹き掛けモンスターボールの中で休んでもらっている。
「ハァ……、ハァ……」
もちろんオレ達だって疲れている、息はとっくに切れているし棒になった脚がそのうちパキッと折れてしまいそうで誰も言葉を発していない。だがポケモン達が頑張ってくれているのにオレ達が根を上げるわけにはいかない、そんな暗黙の了解だけを胸にして進んでいるのだ。
……そして、オレが話さないのにはもう一つ理由がある。あれからもずっと壁画を辿っていくと、どうやらこの地方が歩んできた歴史を表しているかのように徐々に登場人物や取り巻く時物が増えていった。
……だが、繁栄を反映していた壁画の中の風景にもやがて陰りが見えてきた。
武器を携えて向かい合う人間とポケモン。激突するいくつもの勢力。倒れていく生命達、それでもなお戦いは終わらない。
まるでそれは、戦争のようだった。以前ブラドスシティの図書館で「 エイヘイの歴史 〜古代の戦争編〜」という史書を読んだことがあった。この洞窟の壁画はその内容と一致している。……もし、あの本の内容がこれと同じなのだとしたらやがて最終兵器というものが出てくるだろう。
その可能性を振り払う為にオレは、一人頭の中で史書との類似性をこじつけで否定することに没頭していたのだ。
「……あのポケモンは」
が、長い間続いていた沈黙を突然ソウスケが打ち破った。彼も疲労が溜まっているはずだろうに、そんな様子も感じさせない程に元気に跳ねてポケモン図鑑を構えた。
『オノンド。あごオノポケモン。
キバは二度と生え変わらないので、戦い終わると川原の岩を使って丹念に磨きあげる』
対象の名はオノンド。鋭く磨かれた石器のような牙が口端から飛び出してあり、牙の先や手、爪、尾の先、腹部の斑紋などは暗みを帯びた赤に染まっている。また頭は兜のように硬く突起があり、首元は硬質の襟に守られた小型の竜だ。
「僕とダルマッカが旅に出たら、いずれ仲間にしたいと思っていたポケモンのうちの一匹……オノンド! ようやっと会えたよ、これこそ運命の出会いというのだろう!」
ソウスケも疲労でおかしくなっているのだろうか、芝居がかったような口調と声色でオノンドに見栄を切って構えている。
「相手は強敵だ、君も戦いたいだろう。行くんだワシボン!」
勢い良く紅白球を放り投げたソウスケだが、疲労が祟ったのかバランスを崩して転びそうになっていた。だが閃光の中現れた小柄な猛禽はそんな主人のことなど我関せずとオノンドに向かって一目散に走り出す。
「ワシボン、まずは相手の出方を伺うんだ!」
相手は高い攻撃力を誇る、下手に仕掛けては危険だ。だがそれでもワシボンは止まらない。
大岩すら砕く程の凄まじい威力を持つオノンドの牙と強靭な研ぎ澄まされた爪を携えた脚とが激突して、辺りに火花が飛び散る。だが一度の衝突では飽き足りないのか更に何度も何度も牙と脚とをぶつけ合い、やがてどちらともなく飛び退いた。
「相変わらず言うことを聞かないねワシボンは。それなら無理強いはしない、君の無謀なところは僕も好きだよ。だからまずは思うままに戦うといい」
ソウスケも決してワシボンに指示を聞かせることを諦めた訳ではない。だが無理に言ってもワシボンのような意地っ張りな性格が相手だと、余計反発を生んでしまう可能性が大きいだろう。それに言った通りワシボンの無謀な性格はむしろ彼好みだ、だからこそその無謀さがどこまで通用するのか見てみたいという思いもあった。
オノンドとワシボン、二匹の武器は一つでは無い。今度は爪と翼がつばぜり合い、かと思えば互いに頭をぶつけ合わせ、次には脚とクチバシが鎬を削る。一進一退、押しも押されぬ攻防を繰り返し、しかしとうとう勝負が動き始めた。
どこからともなく現れたゴルバットにワシボンが背中を狙われ、それに気を取られた瞬間に腹部を顎斧で切り裂かれたのだ。
「一騎打ちに手を出す無粋者め、僕らが許さないぞ! レアコイル! 10まんボルト! 」
ソウスケが間もなく指示を出し、効果抜群の強力な一撃で相手を臥した。ワシボンが背中を攻撃されることは避けられたが、それでも先程負った傷は大きいらく、敵が目の前にいるというのにうずくまってしまう。そんな無防備な相手をオノンドが見逃す筈が無い、爪を構え、ワシボンの目の前に立った。
「どうしたワシボン、君はその程度なのかい?」
彼がその声に応えることはなく、問答無用で振り下ろされた顎斧に切り裂かれる。
「まずいぞソウスケ、このままだとワシボンが……!」
「多少の外傷なら問題ないさ。むしろここで僕とレアコイルが助太刀してしまえば、一生消えない傷を負うことになる」
「そんなこと言ったって……!」
オノンドは倒れたワシボンを見下ろしている、恐らく動く気配が無いかを慎重に見定めているのだろう。
「ワシボンは最強を志して僕と共に歩む道を選んだんだ、本当に強いポケモンだったら多少の劣勢程度に屈しない。そうだろうワシボン、今度は僕に君の力を証明して見せてくれ」
助ける気配を微塵も見せずにソウスケが発したのは、まるで挑発しているかのような響きを含んだ、信頼しているからこその煽り文句。
伏せられていたワシボンの目蓋が強く見開き、漆黒の瞳に暗闇を裂く光が差した。
「そうだ、ワシボン。迎え撃て! フリーフォール!」
顎斧が風を切る、しかしワシボンは避けることなく反転して硬く鋭い爪で刃を鷲掴みにすると、天井目掛けて放り投げた。すかさず起き上がって追い掛けると、今度は顔面を掴み落下速度に乗せて思い切り地面に叩き付けた。続けて爪で相手の腹部を切り裂き、しかし倒しきれなかったのかオノンドはよろめきながら膝を立て立ち上がろうとしている。
だが、ワシボンは動かない。相手が戦闘不能になっていないにも関わらず攻撃の手を止め、ソウスケに鋭い視線を投げ掛けた。
「……そうか、礼を言うよ。ありがとうワシボン」
その意図を察したのかソウスケは頭を下げ、腰に右手を伸ばして紅白ツートンの球を高く掲げた。
「行くんだ、モンスターボール!」
たどたどしいながらもようやくオノンドは両足を伸ばして立つことが出来た、そこにボールが命中して竜の影を閃光に包み込む。
ボールが閉じて落下して、ころ、ころ、と数度の不安定な揺れを見せる。が、それも間もなく収まり静止した。ソウスケが球に駆け寄り、拾い上げる。
「うん、オノンドを捕まえたぞ! 君のおかげだ、加減してわざととどめを刺さなかったのだろう? 嬉しいよワシボン!」
共に喜びを分かち合おうと近寄ったが、ワシボンも照れ隠しか自らモンスターボールの開閉スイッチを押して中に戻ってしまった。
「……つれないな。けど君と少し心が通じた気がして嬉しかったよ」
そこまで言って、ソウスケはふらふら揺れて膝から崩れ落ちた。
もう全身が酷く重く感じられて、動くのが相当辛くなってきた。体力が無くすっかりへばってしまったノドカはメェークルの背中に乗ってくたばっている。しかし疲労しているのは彼女だけではない。オレも一番体力のあるソウスケも流石に耐えきれなくなり、レアコイルの磁石を、メェークルの角を杖の代わりにして体に負担を強いながら歩き続けていた。
そしてしばらくすると開けた場所に出た。見回しても先に続く道が無いことから、ここが最深部であると確信する。と同時に、オレとソウスケは同時に崩れ落ちる。
「ぜぇ、ぜぇ……。も、もう駄目だ……!」
「……ハァーッ、ハァーッ……。……動け、ない……」
「二人とも……おつかれさま……」
ソウスケが隣でうつ伏せになった隣で、オレは顔を上げる。
「……!」
……すると部屋の奥の壁に、大きな壁画が見えた。それはブラドスシティの史書に酷似している。 中心に大木が描かれており、その先端から迸る何か……恐らく燃え盛る炎、が発せられている。
やはり、そうだったのか。これまで見てきた壁画は全て歴史の中に生きてきた人々を表しており、そして戦争は恐らく過去にあった出来事なのだ……!
壁画と史書が一致したのはこの壁画を主軸に執筆したからで、全て古代の人々の妄想でという可能性も考えられる。だが不思議なことに……。これが確かな事実であるのだと、そう思える謎の確信がオレの脳内を満たし尽くしていた。
「世界を焼き尽くすと言われる伝説の兵器『終焉の枝』……実に素晴らしい。そこの小僧、お前もそうは思わないか?」
目が覚めるようなそれは、唐突な呼び掛け。獣の唸りのように低いその声が耳に届いた瞬間、全身が総毛立ち冷たい汗が噴き出していた。そして体に圧し掛かってくる空気が、何倍にも重く感じられてくる。
壁画の真下に、その人物は居た。おおよその背丈は平均的成人男性のそれを頭一つは越えるであろう巨駆だが、黒の目立たない背広のお陰もあってかそこまで目立つ印象は与えられない。
……だが、オレは知っている! オレだけではない、メェークルもだ!
彼が誰だかは分からない……。だが……オレの第六感が、力の限り叫んでいた。根拠も無いのに、確信していた。早く逃げなければならない! 立ち向かってはいけない! ……と。
「お前は、一体……!」
「運命は既に動き始めている。あの日手に入れ損ねた無限の力……今度こそ、我が手中に収めてくれよう」
絞り出すのが精一杯だったが、それすら最後まで紡ぐことは叶わない。歯切れの悪い言葉に男は嘲笑し、壁画を見上げて高らかに笑うと突然の砂塵に身を包まれた。そして砂が晴れた時には男の姿は忽然と掻き消えていた。
瞬間全身を奇妙な解放感が包み込み、今更になって様々な疑問が脳の中を迸っていた。
「なんだったんだ、あの男は……! 運命ってなんだよ、無限の力って……!」
わけが分からない! あの男は何者なんだ!? 何が目的なんだ、何を言っていたんだ!?
ノドカとソウスケに、メェークルに呼び掛けられるまで、オレは果ての無い無意味で無駄な自問自答を繰り返し続けていた。
……行きは怖いが帰りは楽だ。事前に買っていた『あなぬけのヒモ』で目的を達成して容易く帰還を果たしたオレ達は、もう体が動かない、と言わんばかりに洞窟の入り口に並んで転がり、泥のように深く重たい眠りに身を預けていた。