ポケットモンスターインフィニティ

















小説トップ
第四章 迫る決戦の時
第30.5話 届かぬ刃
 白に紅い斑点の入ったワンピースに身を包んだ女性が、俺を優しく抱き締める。

『強く、生きるのよ……! あなたと、……ナックラーは……!』

 言いながら、彼女は自分の着けていたクローバーを模したネックレスを外して、俺の首に下げる。

『 そして、私達の、あの人の出来なかったことを……。お願い、あなたが……!』

 直後に女性の身体が仰け反ると、ゆっくり俺の身体を滑り落ちていく。
 俺はその時恐らく、無様に泣き叫んでいたのだろう。立ち向かうことも逃げることもせず、ただ目の前の出来事を否定するかのように。
 そして周りで起きる惨劇のことなど露知らず、何度も何度も繰り返し女性を呼び続けている内に、……俺の意識は、混濁の淵へと沈んでいった。
 


 薄明かりの中の覚醒。今まで背を預けていたコンクリートから離れて半身を起こし、執拗なまでに用心深く周囲を確認。しかし視界に映るのは崩れ落ちた瓦礫や剥き出しの鉄筋、誰が描いたか興味も湧かない程下らない稚拙な落書き。
 一つ言えるのは、今は確実に安全だということ。敵意を帯びた気配も無垢な視線も何も感じられない、漂うのは退廃的な土埃の匂いと僅かな肌寒さのみ。
 手の平を広げ、確かに握り締められる。革の手袋が擦れる感触がある。眠りに就く前と明度以外は何ら変わりない環境であることを再確認すると、彼はうんざりしたように深く息を吐いた。そして臙脂を基調とした上着の袖に腕を通して、ぽつりと呟く。

「……また、あの夢か」

 彼の名はツルギ。"また"、その言葉の通り、今回が初めてではない。もう鬱陶しく感ぜられる程、眠りに落ちた意識の中で同じ光景が何度も何度も繰り返されている。そしてまた今日も彼はその夢を見ていた。覚えている限りでは最も古い時期の記憶、十三年前確かに自分の身に起こった出来事を。

「問題無い、戻れビブラーバ」

 ツルギの声に反応を示す砂色の身体の生物が彼の隣に居た、不思議そうに彼の顔を覗き込んでいる。
 頭部の半分程を占める翠に透き通った複眼、二対の菱形の翅。分節された細長い胴体と華奢な脚。
 ビブラーバ、しんどうポケモンとも呼ばれるそれはもう随分長い付き合いになる。物心ついた時には傍にいて、俺の力として戦い続けて来た存在だ。
 俺が仮眠を取る時は見張りとして常に侍らせているが、もう完全に目が覚めた、これ以上外に出している理由は無い。赤光が閃きビブラーバの影を飲み込むと、そのままモンスターボールの中へと吸い込まれていった。
 そして腰に紅白球を戻し、彼はおもむろに立ち上がって今居る郊外の廃墟から街を遠望する。
 夜が明け始めたばかりの為だろうか、街はまだ寝息を立てて静まっている。

「さあ、鬼が出るか、仏が出るか」

 あくまで噂程度の話でしかないが、今あの街はオルビス団によって支配されているらしい。
 人間共がどうなろうが俺には関係の無いことだ、助ける理由も意味も無い。だが、俺にはこの身がどうなろうと果たさねばならぬ約束がある。

「分かっているさ、母上。約束する」

 インナーのポケットから取り出したのは、クローバーを模した、エメラルドの嵌められたネックレス。宝石に映った自分の顔を見つめ肩を張り詰めると、彼は顔を上げてエイヘイ地方に聳える連山から顔を出し始めた太陽に掌をかざした。

「俺は強くなる。誰よりも強くなって、必ずあなたの願いを叶える。オルビス団は……俺が、潰す!」

 太陽を力強く握り潰す、俺の覚悟は揺らぎ無い。
 正義を掲げて悪に立ち向かう愚か者も、絆を謳い抵抗する弱者も、皆無機質で圧倒的な力の前にひれ伏した。信頼なんて脆いものだ、友情だの愛だのと余計なことを考えているから容易く引き裂かれてしまう。それは奴らが、エドガー達の行った裏切りが何よりの証明だ。
 俺にはそんなもの必要無い、全てを投げ捨ててでも進み続ける。これまでも、これからも。俺の使命を果たす、その瞬間まで。



  見上げるビルの反射に眉間を皺寄せる。僅かな人々が、互いに牽制し合うかのように不信を露に辺りに注意を払っていた。まるで何かに怯えているかのようだ、もし噂が確かなら、その対象は恐らくオルビス団だろう。

「そこのお前。この街は発展の程度に比べ随分と静かだな」

 道行く一人を適当に捕まえる。

「ここで今何が起きている、知っているのなら答えろ」

 相変わらずの高圧的な態度、だが相手の男性は狩られる小動物のような瞳でツルギを一瞥すると「ひぇっ」と短い悲鳴を漏らして逃げ出した。
 ……やはり、そう上手くはいかないか。鉄の意思も鋼の強さも感じられないこの街の住民共では、反逆の翼を翻すことは叶わない。ならば自ら突き止めるのみだ、この街に巣食う腫瘍の根元を。

「出て来いリングマ、ピクシー、テッカニン」

 ベルトに提げた紅白ツートンの球体を軽く弾いて地面に落とす。球は一瞬赤い閃光を迸らせると腰に戻り、光の収縮からは巨大な二足歩行の熊と長い耳に桃色の体の不思議な生き物、視認することすら至難の速さを誇る蝉が具現していた。

「ピクシー、お前は人の足音が場所を突き止めろ。リングマは嗅覚でその補助だ。テッカニン、お前は空から偵察しろ」

 二匹は戦闘要員ではない、役割は主に探索にある。ピクシーはその非常に優れた聴覚で、リングマは嗅覚で。そしてテッカニンはその速度と小柄さ、飛行な点を利用した諜報員。
 自分の身を守れる最低限の力は付いている、以前は戦闘に駆り出すこともあったが、この三匹以上の戦力が増えた今となっては戦闘に於いては必要の無い存在だ。しかしその能力は戦闘以外の面では利用価値がある、と逃がさず残している。
 俺は肩を下ろして日陰に移り、腕を組む。左手には紅白球を、モンスターボールを握りながら。

 ……暫く待っていると、案の定街の四方から特徴的な服装の人間が規則正しく整列しながら集まってきた。
 胸元に紅い輪の描かれた詰め襟の黒制服、黒のハンチング。それが奴らの証明だ、十三年前の故意の爆発事故、その際にも秘密裏に活動していた集団。オルビス団、その名を誇示するかのように胸元には象徴の輪が描かれている、奴ら共通の格好。

「貴様が我々を嗅ぎ回っている者だな」

 左手に握っていた球を自由落下に任せて地面に落とす。中から閃光が迸り、具現したのは蜉蝣に似た生物、ビブラーバ。

「ばくおんぱ」

 質問に答えることも無く放たれたツルギのその一言で、ビブラーバは四つの翅を高く広げる。そしてその全てを高速で振動させ始めると、瞬間、辺りが爆ぜたかのような轟音、そして一帯を巻き込む程の破壊を伴う衝撃に呑み込まれる。
 当然完全に不意を突かれた相手は対処が出来ず吹き飛ばされ、皆一様に意識が喪失されていた。
 そこに都合良く偵察に出掛けていた三匹が帰還した。テッカニンを除いた二匹をモンスターボールに戻し、倒れている団員の中の一人、自分と体格の近い者見立ててを乱暴に掴み上げると、路地裏へと連れていって服を乱暴に剥ぎ取った。
 そして自分は……非常に不快極まりないことだが、剥ぎ取った制服に着替えて奴らに扮装する。

「さあ、俺を奴らの下へ案内しろ」

 一時の感情に流されて機を逃すわけにはいかない、今を逃せば追跡の手は激しくなって身動きが取りづらくなってしまう。眉間に深い皺を刻み込みながら、ツルギはテッカニンの先導の元で歩き出していた。



 オルビス団服を着た人々はこの街で最も高いビル、ピカチュウの看板が掲げられた大手テレビ局"テレビエイヘイ"本社の中へと吸い込まれていった。俺も後を追い、疑われた時や道を阻まれた場合には乱暴な手を用いながらも正体を隠してとうとう最上階へと昇り詰めた。
 社長室、そう書かれたプレートの下にはカードキーで管理された扉。それに張り付いて、室内の音声へと耳をそばだてると二人の男の声が聞こえてくる。
 片方は物腰柔らかな成人男性の声、もう片方は弱々しく震える老人の声だ。
 成人男性の声には聞き覚えがある、俺が探し続け以前漸く見つけ出した時のものと同じだ。誰よりも憎い彼こそが、母上の仇。
 十三年前の研究施設群封滅作戦、及び関係者の抹消が行われた際一人の男と共に前線で働いた並外れた才を持つ少年、エドガー・ジェラルディーン。
 エドガー、この男があの日俺の眼前で母上を奪った。誰よりも優しく、エドガーを含め研究施設で共に励む仲間達のことをいつも思いやっていた、俺の母上を。

『もし貴方が我らオルビス団の提示した要求を飲めないのであれば、強行手段もやむを得ません』
『……しっ、しかし! いくらなんでもそんな絵空事の未来を引き合いに出されても……!?』
『ええ、現実味のない話でしょう。ですが、我らの計画が成就した暁には……』

 中では問答が繰り広げられている。聞くところによるとやつらがエイヘイ地方でも珍しく発展しているこの都市を占拠した理由はこの建物、"テレビエイヘイ"の本社にあるらしく、街の人々からポケモンを奪ったのはあくまでついでに過ぎないようだ。
 何をしでかすつもりかは知らんが、奴らのことだ、ろくでもない企みだろう。

『では、私はこれで。物分かりが良くて助かりました』
『ぐぅ……っ、汚いぞ悪の組織め……!』
『ええ、ではもしこの話を漏らされては困りますので、来る日までは今の話は忘れていただきます。……オーベム』

 老人のうめき声、直後に扉の隙間から極彩色の光が漏れ出した。直後に足音が近付いてきて、俺は扉の真横に張り付き、隣にテッカニンを控えさせていた。
 とうとう扉が両方へスライドし始めた。テッカニンの体が通る程の隙間が出来た、と同時に予め出していた指示の通りに動き出す。
 俺が合図を送る、と同時にテッカニンが姿を消した。狙いは単純だ、扉から出てくる瞬間、その喉笛を切り裂くこと。……だが。

「……やはり君だったか。そろそろ来る頃だと思っていたよ、ツルギ」

 音も無く脈絡も無く、気付けばテッカニンが眼前の床に叩き付けられていた。
 隣からは諦めたような雰囲気を帯びて、腰まで届く紫の長髪、同じく紫のコートの青年が開いた扉から歩き出てきた。
 テッカニンは放置して飛び退り、不愉快なオルビス団服も脱ぎ捨て彼と真正面から向かい合う。

「……出て来い、ビブラーバ」

 彼の、エドガーの背後には鋼鉄の塊が佇んでいた。 巨大な鎚の四つ脚、銀色のXが顔に貼り付けられた、全身鋼鉄のポケモン。冷厳を身に纏い、睨眼のみで相手を射竦め戦意喪失させてしまう程の威圧感を放っているのはメタグロス。
 メタグロスの瞳に蒼白の光の残滓が確認出来た。あの残滓は恐らくサイコキネシス、念動力を操り敵に触れずに攻撃した為にテッカニンが倒された時も一切音を発しなかったのだろう。

「落ち着くんだツルギ、私はここで君と争うつもりはない。落ち着いて話をしてもらえるとは思っていないが、君には渡したいものがあるんだ」
「貴様と話すことなど……何も無い! りゅうのはどう!」

 有無を言わせず攻勢に出る。ビブラーバの顎に群青のエネルギーが集約し、飽和に達するまでに高揚した瞬間弾き出された。
 それはさながら天上に閃き軌跡を流星が如く。龍を具現した群青の塊は、光の尾を棚引かせ標的目掛けて降り注いだ。しかし、エドガーは動かない。

「……君をそこまで変えてしまったのは私だ」

 対象に衝突した光竜は辺りを呑み込みながら爆発を起こす。余波で天井が削れ、視界一面もうもうと白煙が漂い始めた。
 当たったか、外れたか。相手の状態を確認しなければならない。腕を軽く薙いで隣に合図を送り、菱形の翅が巻き起こす振動によって煙が徐々に払われていく。

「私は"あの方"を心酔するあまり取り返しの付かないことをしてしまった、許されないのは当然だ。それでも、君には面と向かって謝罪がしたかった。済まなかった、全ては止められなかった私の責任だ……」

 薄れ行く煙の中に浮かび上がる影は、それでも敵意を持たずに語りかけて来た。

「ふざけるなよ……!」

 それはツルギにとって、到底耐えられるものではなかった。堪らなく憤り、堪らなく不愉快で、そして、……堪らなく惨めだった。
 自分は奴を殺す気だった。だが相手は応戦するどころか容易くあしらい、その上哀れみまで向けられてしまうのは彼にとっては最大の侮辱に等しい。

「謝罪も償いも求めていない! 俺の望みはただ一つ、貴様等を葬り去ることだけだ!」
「ああそうだ、『十三年前の爆発事故』から唯一生還を果たした君にはその権利がある。だが……私は"あの方"と共に堕ち続けると決めたのだ、もし君が彼を阻むというのなら、私は君の権利すら踏みにじって彼とともに歩き続ける」

 もっとも君に我々を阻む程の力があるとは思えないがね、と付け加えられる。
 それでもまだ、敵意の片鱗は垣間見えない。いいだろう、ならば……その余裕に甘えてやるまでだ!

「りゅうのはどう! 連発しろ!」

 先程よりも激しく瞬く光の龍が、壁をえぐり取り床を剥がしながら幾条もの筋を描いて襲いかかる。しかし、その全ては悉く敵の眼前で静止してしまった。

「サイコキネシス」

 エドガーの背後に控える鋼鉄の塊、メタグロスの眼が蒼白を宿す。その力の前には光龍の軍勢すらも為す術がなく、気付けば身を翻してこちらに迫って来ていた。

「……っ、舐めた真似を。テッカニン!」

 これまで俺の背後で倒れ続けていたテッカニンが、俺の呼び掛けで目を覚ました。そして電光石火、瞬時に俺とビブラーバ、そして跳ね返された"りゅうのはどう"との間に割って入って、俺達の身代わりとなってもらった。
 爆発とともに再びテッカニンが吹き飛ばされる。だが俺は半身を切ってそれをかわし、テッカニンが壁に叩き付けられるのを気にも留めずにすかさず次の攻撃を放つ。

「ばくおんぱだ!」

 エネルギーの塊が跳ね返されるというのなら、それが出来ない音波で攻撃すればいい。目論見は正解だった、背後で控えることに終始していたメタグロスがエドガーを庇うように腕を突き出し、この問答の中初めて自ら動き出したのだ。
 尤もはがねタイプを持つメタグロスに庇われてはもうお手上げだ。周囲を超振動で崩壊させる轟音も敵の体に傷一つつけられてはいない。
 そしてようやく相手がわずかばかりの敵意を表した。これ以上の狼藉は許さない、と言わんばかりにメタグロスの眼が妖しく蒼白に輝き、俺達の全身を見えない力で拘束してきたのだ。

「……っ!」
「確かに君のポケモンはとてもよく育てられている、しかし……ただ力だけを求めてきた君では我々を脅かす力足り得ない。覚えておくんだ、いくら鋭く研ぎ澄まされた剣といえど、その刀身を鞘から解き放たない限り刃を突き立てることすら叶わないとな」
「貴……様……っ!」

 指先を動かすことすら叶わない拘束、体勢を変えられず必死に顔を歪める滑稽な俺の隣をエドガーとメタグロスは悠々と素通りしていく。
 奴らが隣まで来た瞬間、足を一歩踏み出すことには成功した。だが所詮それまでだ。それ以上の抵抗は意味も為さず、ただ憎き相手が通り過ぎるのを見送ることだけしか出来なかった。
 ……やがてエドガー達が消え失せ、ようやく俺の体に自由が戻る。激しい脱力感と疲労感とに見舞われながら振り返ると……そこには一冊のハードカバーの本が落ちていた。

■筆者メッセージ
今回は外伝的な、ジュンヤが一切出てこない話でしたね。そして次話は緒事情あって更新が遅くなると思います。
せろん ( 2015/07/31(金) 08:28 )