第29話 足りない強さ
シトリンシティは多様な文化の息づく街だ。観光していても、確かに目を見張るような奇抜な装飾や特徴的なお面、見慣れた服装まで様々だ。
「すみません、これは一体なんですか」
薄気味の悪い色使いの、ハート型の仮面が提げられている店。ジュンヤが棚に並んでいた青いオカリナを手に取り、筋肉質で細身の、身軽そうな服装の女性店主に尋ねる。
「そのオカリナは、ある王国に伝わる秘宝のレプリカだ。 聖地への入り口である扉を開く鍵の一つと言われている」
「そうなんですか、凄いですね! あの、その話もっと詳しく聞かせてもらえませんか?」
「ああ、いいだろう」
店主が腕を組んで微笑む。魔王を打倒するために、勇者が時を越えて壮大な冒険に挑むというその話は王道ながらもとても童心をくすぐられ、旅をしている最中だというのに旅に出たくなる程だった。
「わ、なにこれ!? すごくリアルで気持ち悪いよ〜っ」
また青い帽子を被った、かわいらしい雪だるまの描かれた別の店では尻尾の生えた虫の模造品に、ノドカが悲鳴を上げる。
「ふむ、随分な事を言ってくれるね。それはマガタマと呼ばれるもののだ、本物には悪魔の力が込められていると言われており……」
「は、はあ……」
「君には分からないのかね、この素晴らしさが」
「ご、ごめんなさい……」
すごく真ん中に髪を集めてまるでM字みたいになっている、店主らしき男性が熱弁するがノドカにはさっぱり分からない。
なんとかかんとか、言っていることがよく分からなすぎて頭の回転が追い付かなくなった。きっと私が再起動するのは、この話が終わってからなのでしょう……。
……そんなこんなでオレ達は粗方街の観光を終え、ポケモンセンターに戻ってきていた。
「はい皆さん、ポケモン達はすっかり元気になりましたよ!」
受付の女性から預けていたモンスターボールをようやく受け取れる、それほど時間は経っていないというのに、観光でもして気を紛らわさなければ落ち着けない程にえらく長く感じられたのは、あんな事件があった後だからだろう。
「メェークル、出て来てくれ」
ボールから出て来た相棒は、無邪気に尻尾を振っている。もうすっかり元気になったのだろう、安心して優しく彼の角を握った。
メェークルがざらざらした舌で手を舐めてきた、手袋越しでもくすぐったくって思わず笑いそうになり、手を引っ込めて焦げ茶色の産毛が生えた頭に手を置き撫でる。
「お疲れ様、今日はありがとな」
と言葉を送って角を握るとジュンヤは鞄を背負って、ポケモンセンターの入り口のガラス戸を振り返った。
「少し散歩してくるよ」
「うん、いってらっしゃ〜い」
ノドカの明るくやや間延びした声を背中に受けて、彼はメェークルとともにポケモンセンターを出た。
真昼の空に爛然と燃えていた太陽はとうに入り果て、辺りを静寂の闇が包み込んでいる。ならばと夜空を見上げてみても、見渡す景色は想像と違って。生憎ながら、灰色の雲が紺碧の空を覆い隠してしまっている。
「……なあ、メェークル。オレ達はあの頃と比べて、前に進めたかな……?」
曇り空の地下。隣で蹄を鳴らす相棒に、無意識に不安を込めたか細い眼差しを落とすと、メェークルは対照的に元気いっぱい頷いた。
「ああ、そうだよな。オレ達は旅立つ前よりは確実に強くなっている」
頭の中に、これまで集めた三つのジムバッジを浮かべながらジュンヤも頷き返す。
そう、確かにオレ達は強くなっている。以前に比べて前に進めている。それは誰にも否定出来ないだろう、だが……。
「まだ、足りないんだ」
オレ達には強さがまだ足りない。今回のオルビス団襲撃の際もノドカとソウスケの力が無ければ団員一人を倒すことすら叶わなかった。本当は、二人を巻き込みたくない。だけど今の弱いオレじゃあ二人に頼らなければ守ることすら出来ない。
「オレは強くなりたい、誰よりも強い力、大切なものを守る為の力が欲しいんだ」
その為に、オレはもっと速く疾走らなければならない。どうすれば新たな速度の地平へ辿り着けるかなんて分からない、どんな修練を積めば、オレは、ツルギみたいに……。
「……って、何考えてるんだよ、オレは……。ツルギのやり方は認められない、仲間を捨てるなんて、いくら強くなる為だとしてもあっちゃいけないことなんだ……! 絶対に!」
突然の叫びにメェークルが驚き、肩を跳ねさせた為に少し気まずくなりながら頭を下げる。
そうだ、友情も信頼も愛も絆も無い、空っぽの強さなんて意味が無い。それじゃ本末転倒だ、仲間がいてこその守る強さなんだ。
「はぁ……。駄目だな、オレは。やるべきことは分かってるじゃないか、なのにどうしてうじうじしてるんだ」
「うん、ホントにダメだよね! 相変わらず煮え切らないね、そんなだから強くなれないんじゃないかな?」
ノドカ達には弱い自分を見せるわけにはいかない、そうしていつも強がって肩を張っているが、一人になるとこうして弱音を吐いて悩んでしまう。
自省していると、静寂には不釣り合いな嫌に明るい声がオレに同意を示した。最近聞き馴染んでいる、男にしては高い、中性的な声。レイ、オレの親友の声だ。
「レイ、お前どうしてここに!」
「ふふ、来ちゃった」
「来ちゃったって……!」
……まあ、独り言を聞かれたからって怒ることはできない。油断しきっていた自分が悪いのだから。けど、先程の発言に関しては別だ。
「それより、オレが強くなれないってどういうことだよ……!」
「やだなぁ、言葉のままじゃん。そもそも自覚はあるんでしょ? なら怒ることじゃないよね」
「っ……、それは……。分かった、じゃあ教えてくれ。オレはどうすればいい、どうすれば強くなれるんだ……!」
「え、知らないよそんなこと」
「な、なんだよそれっ!?」
てっきり強くなるにはどうすればいいとか教えてくれるものかと思ったら……まさか、本当にただ「来ちゃった」だけなのか?
「でも、これだけは言えるよ! キミは強くならなければならないってね!」
「……分かってるさ、そんなこと。オレは真剣に悩んでるんだぞ、茶化しに来たなら」
「分かってないね、守ることは攻めることよりも難しいんだ。"強さ"はジュンヤくんみたいな受け身の対応者を求めていない、キミには圧倒的に足りてないよ。どんな苦境に直面しても立ち上がる不屈さも、弱さを自覚した上で補おうとする素直さも、自身を根拠もなく強いと自負する傲慢な自信、絶望的なまでの力量差にだって食らい付いて勝利をもぎ取ろうとする覚悟と気概も、なにもかも」
「それはっ……!」
……何も言い返せなかった。オレにはオレを表す何らかの記号が必ずあるはずだ、そう思って探してみても、長所が何も見つからない。浮かんで来るのは自分でも嫌になってくる欠点ばかり。
「おまけに今日もやっちゃってたけど、自分を大切にしない無謀な戦法もダメでしょ。キミに良い所があるとすれば……。いや、それより。今日戦ったオルビス団員がいたよね、彼らはアイクくんの部下なんだ。今日彼らを撃退してしまったばかりに、近いうちに必ずアイクくんはキミ達の前に姿を現す。その時ボクは自分の力でみんなのことを守ってあげられない。出来る限りはするつもりだけど、キミにはその時に備えて少しでも強くなってもらわないと」
言いながらレイは腰に手を伸ばし、指で紅い小さな球を弾いて掴み取った。
「何をするつもりだよ」
「ふふ、やだな、バトルに決まってるじゃないか。ボクは仕事の関係で明日には"あの人"の所に戻らないといけない、だから明日までボクとゾロアが徹底的に付き合ってあげるよ」
嫌な予感がした。レイがいたずらっぽく無邪気な笑いを浮かべるが……、経験上、それは彼がろくでもないことを考えた時特有の表情だからだ。
「な、なあ、もしかして明日まで付き合うって……」
「もちろん、完全徹夜でバトルだね!真のポケモントレーナーなら、一週間不眠不休バトルだって不可能じゃないもん!」
「なんだよそれ、聞いてないぞ!」
「さあいくよ! ジュンヤくん、メェークル、今夜は寝かさないよ!」
恐る恐る尋ねると、彼は元気いっぱい無邪気に答える。もうすっかりやる気になっているようだ、ゾロアをボールから出して意気込んでいる。
「なあ、メェークル……」
相棒に視線を送ると、どれだけ情熱に満ち満ちているのか分からないが、夜だというのに首元に茂る葉がエネルギーを蓄えて光輝いていた。
「う〜っ……! 分かった、いいぜ、受けて立つ! お前の言う通りだ、オレ達は強くならなきゃいけないんだ! 絶対一回はゾロアを倒してやる!」
「さすがジュンヤくん、その意気だよ! それじゃあ公園に行こうか!」
……暗闇に包まれる公園の一角が照明によって照らされる。すっかり寝静まった街の中、二人と二匹だけは一睡もすることなく己の相棒の技と技とをぶつけ合わせていた。
「それじゃあ、もういくね」
シトリンシティと道路との境目で、四人が立っていた。
その一人、レイが目の下に隈をつくって少し疲れたような様子を浮かべながら笑っている。それもそうだ、一睡もしていないのだから疲労も溜まっているだろう。もちろんそれは、ジュンヤも同じなのだが。
「ちょっとの間だけど、みんなと一緒に旅が出来て楽しかったよ。ありがとね、みんな」
レイは結局詳しくは明かしてくれなかったが、どうやらレイの仕事というのはよほど大切なものらしい。彼がなかば使命であるかのように、仕事に行かなければ、と嫌そうにぼやいていたのを今朝聞いてしまった。
「もう行っちゃうんだ、レイ君……。私こそありがとね、私もすっごく楽しかった!」
「そうだね、珍しいポケモンや隠れ特性のポケモンまで見られるとは思わなかったよ、これからもお互い夢の為に精進しよう」
「もちろん、夢は違うけどこれからもがんばろうね! ソウスケくん!」
「ああ」
ノドカとソウスケは突然告げられるレイとの別れに多少驚きつつも、彼と固い握手を交わす。だが誰より親友であるはずのジュンヤが何も言わない、不思議に思って後ろで立っている彼を振り返ると。
「……レイ」
彼は俯いていたが、おもむろに顔を上げるとその名を呼んだ。
「少しの間だけど、ありがとな。お前と再会出来て、本当に嬉しかったよ」
「ボクもだよ、ジュンヤくんが生きてけれてたから、少しだけ救われたよ……」
レイは寂しそうな笑顔を浮かべていたが、首を振るって顔を明るいものへとつくりかえる。
「なんてしんみりすることもないね、みんなは旅してるんだからきっとまたいつか会えるもんね! じゃあボクはもう行くよ! みんな、サヨナラだ!」
と彼は捲し立てるように早口で言うと背を向け、まるで何かから逃げるかのようにゾロアと一緒に道路を駆け出していった。
「本当に、ありがとな……。レイ……」
そうだ、旅をしていたらいつか会える。レイも言っていたように、オレはその時までに、もっと強くなっていなくてはいけない。稽古に付き合ってくれたレイに恥ずかしくないように、今度こそ彼のゾロアを倒せるように。そして……オルビス団幹部、アイク。その男から、ノドカとソウスケを、ポケモン達を守れるように。
彼らの背中がどんどん小さくなっていき、それでも目を逸らすことなく見送り続けるうちに意識は深い眠りの中へ誘われていった。