第23話 記憶と変化
どうやらサイホーンを捕まえた後、悲しみに沈んでいたオレに声を掛けてきたのはジムリーダー、スレートさんらしい。彼はオレとサイホーンとの一部始終を見ていたらしく、化石を壊されたことを『運が悪かったな!』と豪快に笑い飛ばした。
そしてそれから鉱山を出ると、あらまビックリ既に太陽は鉱山の影に姿を隠し始めていた。さすがに夕方からジム戦を始めるわけにはいかない、と明日勝負することを約束して、オレ達はポケモンセンターへと帰って来た。
ポケモン達を回復させて、レイとソウスケはラウンジで他のポケモントレーナーとの談笑に興じており、オレとノドカは用事があって宿泊部屋で過ごしている。
「本当にありがとな、ノドカ」
「ううん、私こそありがとう。せっかくあなたが発掘したのに、ごめんね」
「気にするなよ、謝らなきゃいけないのはオレの方だ。オレのせいでノドカまで危ない目にあったんだ、そのお詫びだよ」
平たく丸い橙色、拳大の石をノドカに手渡した。それは光条が散るかのように縁に突起を生やしており、さながら太陽のごとき形状。
たいようのいし、ノドカのポケモンであるチュリネの進化に必要な石。鉱山でサイホーンから助けてくれたことへのお礼がしたい、と掘り当てたそれを彼女に渡したのだ。
お互い謝罪合戦を続けていてもキリがない、なお謝ろうとする彼女の口を無理矢理塞いで「早く進化させようぜ」と促すとようやく了承してくれた。ノドカはチュリネをボールから出して、その小さな額にたいようのいしを押し当てる。
「おおっ……!」
みるみるチュリネが姿を変えていく。体系が人型へと近付いていき、以前は見られなかった腕や脚も生えてきて、光が晴れた。
「ドレディア。はなかざりポケモン。
頭の花飾りから発する香りを嗅ぐとリラックスできるが手入れがとても難しい」
興味津々に図鑑とチュリネの進化形、ドレディアを交互に見比べ感嘆の声を漏らす。だがそのうち我慢出来なくなったのかいきなり図鑑を閉じてポケットに入れ、「かわいい!」と叫びながら手を体の前で組んでいるドレディアへと抱き付いた。
ドレディアも照れたように頬を染めながら、ノドカに抱擁で応える。それでますます彼女のボルテージが上がったのは言うまでも無い。
「……どうした、イーブイ」
隣でボールから出していたイーブイが、ぶんぶん激しく尻尾を荒ぶらせていた。声を掛けると、実に楽しそうに飛び跳ねる。
「……お前も進化したいのか?」
二つ返事だった、イーブイは首がもげるんじゃないかと不安になるほどの勢いで首を縦に振っている。
「そうか……。いいかイーブイ、お前には無限の可能性があるんだ」
言いながらポケモン図鑑を開いて、機能でイーブイの進化形態を絞りこむ。
「今確認されているのはでんきタイプのサンダース、ほのおタイプのブースター、みずタイプのシャワーズ、……」
と、それから彼の進化形八匹を解説しながら見せつけて、どのポケモンに進化したいかを尋ねると。イーブイはしばらく図鑑の八匹を見つめていたが、やがて吟味するかのようにオレのことを見上げてきた。そして再びポケモン図鑑に視線を戻す。
「……な、なに?」
オレの質問には答えず、いや答えられても何言ってるのか分からないけどさ……。ともかくオレとポケモン図鑑を何度も何度も交互に見比べて、それからようやく一匹を前脚で指した。
それは、シャワーズだ。水中に適応する為に進化した姿で、体色は青く染まり、首回りにはエラ、尻尾にはヒレなどが突然変異で生えている。
「シャワーズか。……けど、どうして?」
イーブイは図鑑のシャワーズをポンポンと叩いてから、今度はオレの服を叩いてきた。……ごめんイーブイ、さっぱり分からないよ。
それでもなんとか理解してあげたい、ポケモン図鑑とオレを見比べたりいろいろしてくれているイーブイに頭を悩ませていると、隣でノドカが「あっ!」と両手を叩き合わせた。
「まさかノドカ、分かったのか」
「ふっふっふ、分かっちゃった〜!」
「そ、その心は……?」
ノドカは人指し指を立てながら、得意な顔で言い放った。
「そう、それはズバリ!『色が同じ!』でしょう! だってイーブイ、ジュンヤのこと大好きだもんね!」
「……色?」
……まあ確かにオレの服は青、シャワーズも基本水色とはいえ一部が青と言えなくはない。けどまさかそんな理由はないだろう、とイーブイを見下ろすと……。まるでその通り、とでも言いたげに瞳を輝かせて頷いていた。
「って、本当にそうなのか!?」
いや、その反応は正解だと言っているようなものだ、わざわざ聞くまでもない。
「ノドカ……よく分かったな、すごいよ!」
「え!? は、半分冗談、だったんだけど……」
「冗談かよ!?」
……いや、まあノドカのおかげで理由が分かったんだ、「ま、まあありがとな、ノドカ」と一応お礼は言っておいた。
そしてイーブイに最後の念押しをして、それでも頷いたのでリュックから気泡の閉じ込められた、青く澄んだ石を取り出した。"みずのいし"、イーブイがシャワーズへと進化する為に必要な石。
「じゃあ、ほらイーブイ、これに前脚を当ててくれ」
図鑑をしまい、その石を彼の目の前に差し出すと、彼は迷うことなくみずのいしに触れて蒼白の光に全身を包まれた。
光は徐々に形を変えていき、見る間に図鑑のシャワーズと同じ姿へと進化を果たした。
「よし、やったなイーブイ……いや、シャワーズ!」
進化して新たな姿を得たシャワーズを抱き上げると、身体が湿っていて服が濡れてしまった。だがそんなことは関係無い、さらに強く抱き締めて、……その後寒くなったのはここだけの話だ。
ごちん、と思わず目を背けたくなる痛そうな音が夜闇に覆われた寝室で突然鳴った。
「い、いたた……」
その音の主はノドカ。寝相でベッドから落ちて頭を打ってしまったらしく、涙目で頭をさすりながら立ち上がる。
暗中で目を凝らして部屋を見渡してみると、当然なのだがもうコアルヒーもジュンヤ達もみんなが寝静まって……いや違う、一人だけは起き上がっていた。闇の中に射し込む冷ややかな月の光に白銀の髪を照らされながら、ジュンヤの枕元に立っている。
彼は顔を伏せて、ぶつぶつと何かをジュンヤに語りかけていた。
「……ねえ、レイ君。なに、やってるの?」
「っ……! ……ノドカ、ちゃん」
どれだけ意識はジュンヤに向いていたのだろうか、私の呼び掛けでようやく気付いたレイ君は唖然と目を見開いて私の名前を口にした。
だがそこにいたのは彼だけではない。彼の隣には一匹のポケモンが浮遊して、片腕をジュンヤに向けて伸ばしかけていた。
そのポケモンは小柄な体には不釣り合いな大きな頭、繋がった緑の目。まるで昔ジュンヤに見せられたオカルト番組の宇宙人みたいな見た目をしているその子に、ポケモン図鑑をかざしてみる。
「オーベム。ブレインポケモン。
指先を点滅させて会話するらしいが、そのパターンはまだ解読できていない」
だが記述はそれだけではない、他にはこんな一文もあった。『サイコパワーで相手の脳みそを操り、記憶する映像を違うものに書き換えてしまう』 と。
「……ねえレイ君、あなたはオーベムの力でジュンヤの記憶を書き換えようとなんて、してない、よね……?」
彼はジュンヤの親友だ、決してそんなことをしようとしていなかったと信じたい。おそるおそる尋ねて、彼が否定してくれることを祈った。いつものように冗談めかした笑みを浮かべながら、「やだな、そんなはず無いじゃないか」と言ってくれるはずだ、と。……だが、その望みが叶うことはなかった。
「……うん、そうだよ」
「じ、じゃあ!」
「ここで下手に誤魔化してもしかたないからね、はっきり言うよ。ボクはジュンヤくんの記憶を改竄しようとした」
その告白に頭の中が真っ白になった。どうすればいいのか分からず混乱してしまった私になお真剣な眼差しを崩さず、レイ君は「それで、ノドカちゃんはどうするつもりかな?」と質問を投げかけてきた。
「……じゃあ、理由を教えてほしいな。レイ君はジュンヤの親友なんだから、なにか理由があるのよね?」
「ジュンヤくんを起こさなくていいのかい?」
「……うん。今は混乱しちゃってて、なにをするのが一番いいのか分からない。だからまずは理由を聞いて、それから考えようって思ったの」
「……そっか、分かったよ」
レイ君は寂しげに微笑みながらオーベムをハイパーボールに戻し、少し悩むような素振りを見せたがやがて理由を言葉にした。
「ジュンヤくんを守るため……って言ったら、信じてくれるかな」
……守る為? それが記憶を書き換えることとどう関係があるのだろう。首を傾げていると、察してくれたレイ君が語り始める。
「ジュンヤくんは、少し変わったね。昔の彼は、エドガーくんみたいな圧倒的力の差を持つ相手に立ち向かえる人間じゃあなかったのに」
「……うん。ジュンヤはこれまで、ずっとがんばってきたから」
今でもはっきりと思い出せる、まだあの日の事件が起きる前……、両親を失う前のジュンヤのことを。昔のジュンヤだって確かに優しくて人並みの正義感はあった、でもとてもじゃないけど今みたいに勇敢だって胸を張って言える性格ではなかった。
だけどジュンヤは変わった、強くなるためにメェークルと一緒にがんばり続けてきて、今も必死に努力している。
「そうだね、ボクにもそれはバトルを通して伝わってきたよ。だけどそれが致命的なんだ、このまま自分の首を絞め続ければいずれ取り返しが付かなくなってしまう」
「……だから、記憶を書き換えようとしたの? 」
「そう、彼が危険に足を踏み入れないように都合の悪い部分を変えれば」
「ううん、……きっとそれでも、ジュンヤは戦うよ。だってジュンヤは、誰よりもポケモンのことが大好きなんだから……」
それはたとえ不都合な記憶を奪ったとしても変わらないだろう。育て屋の息子として多くのポケモンと触れ合い、様々な面を見てきた彼はそれでもポケモンを愛している。
「だからポケモンに酷いことをするオルビス団とも結局戦ってしまう、か。……アハハ、その通りだね、ボクの理解が足りなかったみたいだ。
じゃあ、もう寝ようか。このことは明日ボクからジュンヤくんに言っておくよ」
レイ君は恥ずかしそうに頭を掻いてからいつもの明るい声色に戻して言った。そして有言実行と言わんばかりに早速ベッドに潜りこむ。
そして私にも今更になって眠気が息を吹き返してきた、明日も早いのだから彼の言う通り、眠りにつくことにした。……ぐぅ。
……本当に衝撃だった、まさかオレを守る為とはいえオレからオルビス団に関わる記憶を全て消そうとしていたなんて。……記憶改竄なんてことが、そう簡単に許されるはずがない。
だがレイは、オレのことを守ろうとしていたのだ。その極端なやり方には賛同出来ないが、……それを自ら明かしたのは、彼にも思うところがあったのだろうか。そんな方法に出なければならない何かが、彼にはあったのだろうか。
彼が何を背負っているかは分からない、だけど親友であるレイのことを……オレはどうしても責めきれなかった。だからオレはレイを許すことに決めてその話はそこで終わりにして、四人と相棒達でポケモンセンターを後にした。
「よし、じゃあ行こうぜ!」
朝になった、つまりはこれでようやくポケモンジムに挑戦出来るということだ。エイヘイ地方の中心に聳える連山を越えて輝く太陽は爛々と燃えており、バトルへの意気を高めてくれる。
隣でメェークルも頷き、ノドカ達もその後に続く。
ジム戦はもう目の前だ、オレは大きく深呼吸して赤い帽子をかぶり直した。