第13話 森中捜索大作戦
深緑の草むらを踏み分け、湿った地面を歩き続ける。今は一日の中で最も日差しが強くなる時間帯だが、林冠に覆い隠され灼熱の太陽光線も彼らには届かず、そのおかげで涼しく快適に道中を過ごせている。
……ここはラリマの森。ラリマタウンと204番道路、そして次の街とを繋ぐ森だ。むしタイプのポケモンを中心に多様な種類が生息し、時折珍しい「ピカチュウ」も見ることが出来る。
彼らの、ジュンヤの狙いはそのピカチュウだ。
「オレの父さんのライチュウは、すごく強くてさ」
ジュンヤが語り出すのは、幼き日の父の記憶。
「父さんは、向かう所敵無しだった……。だから、オレも捕まえたいなって思ったんだ」
父への憧れ。それが、彼のピカチュウを求める理由だ。
「お父さんのこと、大好きだったんだね」
「ああ。特にボルテッカーって技は威力が絶大で……」
そこまで言って、彼は思い出したように口を噤んだ。
「あ、もちろんライチュウ以外もすごく強かったんだぜ。特に父さんの相棒は強靭・無敵・最強だった」
慌てて繕う彼に、ノドカは思わず笑みを零してしまう。
「あはは、本当にお父さんのことが好きだね」
「はは、まあな……。さ、気を取り直してピカチュウを探そう」
会話もそろそろ終わらせて、真面目にピカチュウ捜索を再開することにした。帽子を被り直して正面に向き直る。
……よし。ピカチュウは珍しいポケモンだ、見つけるのは大変だろうけど諦めないぞ!
捜索を続けていると、突然「ひゃあっ」と間の抜けた悲鳴が上がり、続けてどしんとこれまた気の抜けるような音で尻餅が突かれた。
……あれから少しして、あまりに見つからない為ジュンヤとソウスケ、私とで三人に別れて森中捜索大作戦を決行! したまでは良かったんだけど……。
「……えーっと」
驚きのあまり、足を滑らせてしまった……。土の付いた尻を払って立ち上がり、再び草むらを隔てた先へと目を向ければ。
……やっぱり居るよ、見間違いじゃない。
丸い小さな耳、二足でその巨体を支えられる程の強靭な脚。大きな背中は茶色い毛皮に覆われている。
熊のような、というかそのまんま熊なポケモン。と、とりあえず図鑑、だよね。
「リングマ。とうみんポケモン。
大きな体の持ち主だが木登りが上手で木の上でエサを食べたり寝たりする」
幸いにもこちらに背中を向けていて、まだ私の存在には気付かれていない。今のうちに逃げ……ようとしていたのだが。
「今、誰か……」
か細く弱々しい声が聞こえた気がして思わず脚を止めてしまった。
声がしたのはリングマの近くから。……草むらに隠れて慎重に様子を窺うと、リングマの目の前で小さなポケモンが震えていた。頭に葉を生やした球根がスカートを穿いている、そんな姿のポケモン。
あっちは……。
「チュリネ。ねっこポケモン。
抜け落ちてもすぐに生えてくる頭の葉っぱはとても苦いが、かじればすぐ元気になれる」
なんだか穏やかじゃない空気で、チュリネはすごく怯えた様子。もしかしたら、襲われてるんじゃ……!
「……コアルヒー」
もし何か起きた時には、迷わず飛び出す。相棒もそれを了解しているらしく、コクリと頷いた。
そして少しの間リングマを見張っていると、ついにその剛爪が振り上げられた!
「コアルヒー、れいとうビーム!」
放たれた冷気の光線がリングマの腕を凍結させる。その隙を突いて草陰から飛び出して、チュリネを抱えて少し距離を取ってからリングマと向かい合った。
「もうだいじょうぶだからね、安心して」
胸に顔を埋めて震えるチュリネの頭を優しく撫でさすり、リングマと向かい合う。
「ごめんね、いきなり攻撃して。だけど、自分より弱いからって小さなポケモンをいじめちゃダメだよ」
事情はよく分からないけど、出来ることなら争わずに事を解決したい。優しく諭すように言ってはみたのだが……。
「お、怒って……ますか?」
リングマは鋭く光る歯を剥き出しに、敵意を露わに叫んだ。いきなり攻撃したんだから怒るのも当然だけど……、今、私にできることは……!
「ほ、ほんとうにごめんなさい! それじゃあ!」
逃げることだけ! 出来ることなら戦いたくないし、正直今の私たちには勝てる気がしないよ!
ノドカとコアルヒーは一度大きく頭を下げて、直後に踵を返し一気に駆け出した。
「……って、速いよリングマ!」
が、リングマは前脚も下ろして四足となり、地を蹴って猛然とこちらへ迫って来る。そして一度走りながら振り返り、二度目に振り返った時にはもう目の前まで距離が詰められていた。
「ひっ……!」
出たのは短く漏れる吐息だけだった。 再びリングマは二足で立ち上がり、凶悪に輝く尖爪が高く頭上でかざされた。
もうだめ……!
無意識に瞼が固く結ばれて、気付けば足は地面から離れていた。
木漏れ日が降り注ぐ中、弾むように軽快な音で蹄が踏み鳴らされる。彼も静止を呼びかけながら慌ててそれを追いかけるが、相手は脚運びを緩めない。
「気持ちは分かるけどさ、ちょっと待ってくれメェークル、一人で先には行くなって」
瑞々しく葉が茂る森中を歩くというのは、彼もくさタイプとして感じるものがあるようだ。平素と比べ楽しげに跳ねながら気付けば先へと進んでいる。
ジュンヤは肩をすくめながら、目の前で踊るメェークルに駆け寄った。
「……それにしても、本当にピカチュウは見つからないな」
噂通りの見つけ難さ、いや、噂以上か。三人で手分けして捜索してしばらく経過したが、つい先程ようやく目撃情報を手に入れられたばかりだ。
それもよくこの森に来るという虫取り少年の「一週間程前、どっかで見たよ」と随分適当な証言ときた。
……流石に脚が弱音を漏らしてきたし、腹では虫が鳴き始めている。オレでも疲れてきたんだから、ノドカはもうへばっているかもしれない。
「悪いヒノヤコマ、ノドカを探してきてくれないか」
そろそろ休憩を取った方がいいだろう。ヒノヤコマをモンスターボールから出して、まずは色々と心配な彼女の捜索を頼むことにした。
「い、痛ぁい……」
どしん、と緊迫した空気には不釣り合いな気の抜ける音でノドカは倒れ込んだ。その勢いで抱えていたチュリネは放り出されてしまったが、運良く草むらに落ちた為怪我は無いだろう。
そして慌てて顔を上げて振り返れば、
「え」
目と鼻の先を鋭い爪が通り過ぎた。も、もし転けなかったら、今頃私は……。う、ううん、それより!
「あ、い、今よコアルヒー! ぼうふう!」
まだ起き上がってはいないがなにより今は指示を出すのが優先だ。隣で同じく転けて倒れていたコアルヒーも急いで起き上がって強く羽ばたく。
辺りの木々が突然の暴風にざわめき始める。リングマも必死に堪えてはいたが耐えきれず、やがて吹き飛ばされて背中から大樹に激突した。
「やった……!?」
リングマは木にもたれかかって倒れている。今のうちに逃げよう!
全速力で駆け出して、……すぐに後ろからどすどす重たい足音が、高速で近付いてきてます。
「……そんな」
そして最悪なことに、走ることに必死で気付かなかったが目の前は段差で行き止まりとなっていた。
振り返れば、今まさに獲物を捉えた野獣が地を蹴り飛びかかる場面。
「逃げて、コアルヒー」
もはや、自分は何もかもが手遅れだ。諦観が全身を包み込み、まだ可能性のある足元の相棒にそう告げる。
「ジュンヤ、……ごめんね」
最後に出たのはその言葉。一人の少年を頭に浮かべながら、静かに瞳を覆い隠した。
「メェークル! まもる!!」
ノドカとリングマの間に一匹が割り込み、光の盾を展開する。
リングマは結晶化した光子の集積に顔面から突撃して弾き飛ばされた。
「ノドカ!! 無事か?!」
まるで、暗く閉じられた洞穴にようやく光が差し込んだようだった。その声と共に目の前に滑り込んできた背中が、全身から全てを拭い去ってくれた。
「……ジュンヤ。ジュンヤぁ……!!」
「ノドカ、フラベベを借りるぞ!」
脱力して座り込む彼女からモンスターボールを奪って放り投げる。
「フラベベ、頭の花粉を振り撒くんだ!」
メェークルの前に突然放り出されたフラベベは、まだ事態を飲み込めていないながらも言われた通りに頭を振った。
辺りに花粉が舞い散って、構えていたリングマは途端に欠伸を一つ、背中を丸めてくつろぎ始めた。
「いいかリングマ、弱い者いじめは駄目だぞ」
そう注意すると、リングマは毒気の抜かれた顔で頷いた。
「……間一髪だったな。大丈夫か、ノドカ」
もうリングマは戦意を失い骨抜きされている、放っておいても危険は無いだろう。
振り返ってへたり込んでいる彼女に跪き、顔を覗き込んだ。
彼女は何も言わない。何も言わずに抱きついてきた。
「もう大丈夫だ、怖かったなノドカ」
こちらもそれ以上は言葉を発さずに、彼女が落ち着くまで優しく頭を撫でることにした。
「……そういえば、どうしてリングマは急に攻撃を止めたの?」
彼女はようやく平静を取り戻して、それからソウスケを探す為に二人で歩き始めた。
先ほどリングマに追いかけられていた経緯を話して、ずっと疑問に感じていたことを彼に告げる。
「ああ、それはな。フラベベの頭の花粉には気持ちをリラックスさせる効果があって、敵に襲われると花粉を振りかけて戦意を失わせ難を逃れるらしいんだ」
以前父さんから聞いたことがある。まさかそれがこんな所で役に立つとは思わなかったが、間に合って本当に良かった。
「やっぱりすごいね、ジュンヤは……。私も、強くならないと」
「ノドカ……」
……昔は、ノドカは余りバトルが好きではなかった。それが今ではこうして強くなろうとしている。ノドカがバトルを始めたのは、いつからだったかな……。
「……ん?」
彼女が突然振り返りしゃがんだ。
「どうしたんだ」
こちらもつられて座り込むと、小さなくさポケモンの頭が揺れた。
「あなた、さっきのチュリネよね。どうしたの?」
「なるほど、この子がノドカが助けたっていう」
チュリネは少しおどおどした様子ながらも必死で鳴いてノドカにすがりついている。
「えっと……、ほんとにどうしたの?」
そんな分かりやすいチュリネのアピールの意味にノドカはまだ理解を見せない。
やれやれ、まだ気付かないなんて。ノドカは世話が焼けるな。
「きっとノドカに付いて来たいんだよ。な、チュリネ」
オレの言葉にチュリネは頭がもげるんじゃないかと不安になるほど勢い良く頷いてみせた。
ほら、とノドカの肩を押す。
「私なんかでいいの……?」
「なに言ってんだ、自分の身も顧みず助けてくれた相手なのに嫌がる理由が無いだろ」
「だけど……」
「いいから、気持ちを受け止めてやれよ」
渋る彼女の背中を押して立ち上がる。チュリネは訴えかけるようにノドカを見つめ続けた。
「……あなたの気持ち、すごく嬉しいよ。ほんとうに、私でいいのよね」
そんな念押しへの返事は即答だった。
「分かった。じゃあ、行って、モンスターボール」
ノドカがコツンと優しくチュリネの頭にモンスターボールを当てると、それから溢れ出した光はチュリネを包んで飲み込んでいく。
球の揺れは、あまりに抵抗が無いからだろうか、たった一度で収まった。
「……うん、チュリネをゲットしたよ」
彼女は優しくボールを見つめている。ジュンヤはノドカの肩を軽く叩いて振り返り、ヒノヤコマに連れられこちらへ走ってくるソウスケを見た。
臙脂のトレーナーを羽織った少年、ツルギが先程まで揺れていたモンスターボールを拾い上げた。
「随分抵抗無く捕まえられたな。まあいい、おかげで楽に済ませられた」
彼が捕まえたのはリングマ。先程ジュンヤ達の手で闘志を削がれ寝ていたところを、彼らに狙われたのだ。
「戻れローブシン」
巨大なコンクリート柱を軽々扱う太い腕の持ち主は、モンスターボールへ戻っていく。
ローブシンはかくとうタイプ、ノーマルタイプのリングマには相性で有利を取っている。その上リングマは先程ジュンヤ達によって戦意を喪失させられていた、当然戦いは一方的だった。
「行くぞ」
それでもツルギは僅かな罪悪感も覚えること無く、興味を無くしたかのようにリングマのボールを雑にベルトに装着してナックラーを率いて歩き出した。