第04話 決意の夜空
敗北。これまで味わったことの無い無念と怒り。負けた屈辱、ポチエナを守れなかった悔しさ。
ツルギという一人のトレーナーを前に、オレはまた、守れなかった。
「……今のままじゃ、駄目だ」
ネフラシティ。ツルギと戦い、敗北したその日の夜中。ベッドに潜り、しばらく目を瞑って意識を闇に沈めようとしていたが。
この日起こったばかりの衝撃的な出来事が未だに頭の中で渦を巻き、心の海を酷く吹き荒らしていた。
暖かい布団に身を包んでいても、こんなに心が乱れてしまっていては、眠りに落ちられる筈が無い。
彼が半身を起こしてベッドから降りると、丸まってベッドの大半を占領していたメェークルも一緒に起き上がってきた。
「お前も一緒に行くか」
ノドカとソウスケ、コアルヒーとダルマッカを起こしてしまったら申し訳ない。声量を落として尋ねると、メェークルは静かに頷いた。
足音を精一杯殺し、ドアノブを回す際も細心の注意を払う。そして誰も起こすこと無く、二人は無事に部屋を出た。
吸い込んだ息はすぅーっと澄み渡り、まるでミントのように鼻腔をくすぐってきた。
真昼の喧騒と活気、暖かな陽光はすっかり身を潜め、見上げた夜空では、月影が金色に満ちている。
「……涼しいな」
冷ややかに光る真夜中の静寂、響くのは自分達の足音だけだ。そんな静けさは、高ぶる感情に平穏な凪を呼び込んでくる。外の空気を吸ったおかげもあって、今は気持ちも幾分落ち着いてきた。
ネフラシティは安定と平穏の街。寝静まった街中を相棒とともにゆっくり歩いていると、この街のそんなキャッチフレーズが自然と思い起こされた。
「なあ、メェークル。覚えてるよな、あの日のことを」
メェークルは、神妙に頷いた。
十年前の、あの日。昔、まだオレ達が幼かったあの頃に、色々なものを一度に失った、忘れられない日だ。
「もう、大切なものを失いたくない」
十年前。オレは目の前で両親を殺されたというのに、逃げることだけしか出来なかった。
恐怖、憤怒、悔恨、自責、屈辱、虚無感、……絶望。あらゆる負の感情に取り憑かれ、希望を失い、世界はモノクロームに染められた。
……もう、あんな思いはしたくない。目の前で大切なものが奪われるのをただ見ているだけだなんて、二度と経験したくない。
だから、オレ達は目指した。みんなを守れるだけの強さを。そして旅立つ日までずっと、鍛え続けてきた。全てを守る最強の称号、ポケモンマスターの名を手に入れる為に。
「みんな、オレが守る。……そう、誓ったのに……」
なのにオレは、目の前のポケモン一匹すら守れなかった。一匹のポケモンに、深い心の傷を負わせてしまった。
これからあのポチエナが、どうなるかは分からない。だけど、これだけは確かだ。
「あいつは……。ツルギだけは、許せない。オレは、あいつにだけは負けられない」
メェークルの角を握る拳は、自身も気付かぬ間に力がこもっている。そしてそれは、メェークルも同じだ。
自分の為に、ポケモンを道具のように扱う人間。そんな非道な人間も居ることを頭では分かっていたが、いざ目の当たりにすると怒りを抑えられなかった。
絶対に受け入れられない相手へふつふつと湧き上がってくる、静かな憤り。
「……メェークル。もっと、強くなろう」
同じ轍をまた踏まない為には、あの日より強くなるしかない。
強くならなければ。今のままでは、いずれ大切なものを、みんなを、自分を……。全てを失ってしまう。……何故だか、そんな気がして止まない。
「一緒に強くなるんだ。オレも、お前もな」
大切なものを守る為に。ツルギとの約束、ポケモンリーグ優勝を果たして、オレの描く理想の強さを証明する為に。
天に向かって伸ばした掌を、固く引き結ぶ。再び見上げた夜空では、煌天の満月はすっかり雲の中へと隠れてしまっていた。
夜が更け、朝になる。しかし未だに、照り輝く日の光は顔を出してはくれないようだ。
「……曇っちゃってるね」
寝間着のままベランダに出たノドカとコアルヒーが、残念そうに肩を落としている。
ジュンヤも隣に行って見上げるが、確かに空は分厚く暗い雲に覆われている。
「一応、安い雨合羽を買っていこうか。多分フレンドリィショップに売ってるだろ」
言いながら彼はベッドを陣取っていたメェークルをモンスターボールに戻して、着替えを済ませる。最後に手袋を装備して、準備完了だ。
「じゃあ、先行ってるぜ。ノドカも早く来いよ」
ノドカ達の返事を背に、彼は部屋を出た。ロビーではソウスケが待っている。
……こうしていると、旅に出たのだな、ということを確かに実感する。
そして廊下で自分のポケモン達を嬉しそうに語っている人々を見て、思った。
オレはこの平穏を、みんなを守って行きたい。そのために、この旅できっと……、いや、絶対に。オレは誰よりも強くなってみせる。
オレの旅の最終目標、ポケモンマスター。夢で終わらせるつもりは無いし、諦めるつもりも無い。
もっと、ずっと、高く高く。例えどんなに厚い壁に行く手を阻まれたとしても、オレは必ず突き抜けて、仲間と一緒に最強になるんだ。
固く結んだ彼の拳は、わずかな震えを見せていた。