ポケットモンスターインフィニティ



















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第一章 始まる少年達の旅
第03話 ライバル登場 VSツルギ
 途中休憩やポケモンゲットを挟みながら進むこと数時間。201番道路を抜け、三人は新たな街へと辿り着いた。
 安定と平穏の街、ネフラシティ。時代に合わせて姿を変えながらも、街の本質、自然との調和、というコンセプトを崩さずにエイヘイ地方でも有数の都市へと発展を重ねてきた。
 そんな街に着いてまず行うことは、もちろん決まっている。ポケモントレーナーの義務と言うべきことだ。
 目的地は基本、旅人が街に訪れた際向かいやすいように入り口近くに建てられている。
 事実街に来たばかりのジュンヤ達も、その位置と特徴的な屋根のおかげで早速発見出来た。
 モンスターボールの形を模した大きな看板、橙色の屋根。ポケモンの治療から旅人の宿泊まで、あらゆる面でポケモントレーナーのサポートをする施設、ポケモンセンターだ。
 ガラスの扉が、訪れたジュンヤ達に反応してスライドした。



 モニターにポケモン図鑑をタッチして、受付の女性、ジョーイさんから黒い長方形のケースを受け取る。これで身分証明も済み、ポケモンリーグ挑戦への登録が完了した。

「ありがとうございます」

 頭を下げて、ラウンジのソファーに腰掛ける。
 ポケモン図鑑はポケットに戻して、先ほど受け取った黒いケースを開いた。中には何も入っていない。
 この黒いケースは、バッジケースだ。ポケモンジムと呼ばれる、ポケモントレーナーに立ちはだかる幾つもの障壁となる施設。その主であるジムリーダーに認められることで手に入るジムバッジ。
 ポケモンリーグという大舞台への参加資格となるそれは各地を回って八つ以上集める必要があり、その際紛失の可能性を可能な限り低くする為挑戦するトレーナー達に支給されているのが、このバッジケースだ。
 今は出していても仕方がない。中がどうなっているかの確認も終わり、リュックに戻した。
 さて、これからどうするか。目的は、考える間も無く決まることになる。

「おい、今公園で凄い強いトレーナーがバトルしてるらしいぞ!」
「マジかよ、行こうぜ!」

 少年達の会話は、ジュンヤ達の耳にも届いていた。

「ふぅ、歩くの疲れた〜。……ジュンヤ、どうしたの?」

 無言で立ち上がる彼を、ノドカが見上げた。

「さ、オレ達も行かないとな。この街の公園に」



 芝生が一面を覆う、緑の広がる公園。そこで少年達が向かい合い、それを大勢の観衆が取り囲んでいた。

「ナックラー、がんせきふうじだ」

 相対する敵を一撃の下に臥したのは、大きな力強い顎を備えた頭部と、それに不釣り合いな小柄の体躯。橙色で四つ脚、昆虫の甲殻を思わせる背中のポケモンだ。

「あのポケモンは……」

 人ごみを掻き分けて、未だ抜けられぬままジュンヤが腕だけを突き出して、対象へとポケモン図鑑をかざした。

「ナックラー。ありじごくポケモン。
 大きなアゴは大岩を噛み砕く。頭が大きいのでひっくり返るとなかなか起き上がることが出来ない」

 説明を聞き終えてポケットに戻し、ジュンヤはようやく最前線に出ることが出来た。

「凄いぞあの少年、これだけ連戦して未だ無傷だ!」
「旅に出たばかりとは思えない!」

 歓声の中、顔色一つ変えずに立ち尽くす勝者を見る。

「あっ、あいつ!?」

 その姿、ジュンヤには見覚えがあった。
 耳を隠す程度には長い外跳ねの黒髪、白磁の肌に筋の通った鼻、鋭く厳しい印象を与える切れ長の目。
 黒いインナーの上に臙脂を基調としたトレーナーを羽織っており、黒のカーゴ・パンツ。両手に黒革の手袋、また、同色のブーツを履いている。

「お前、あの時の!」

 それはジュンヤがポケモンを貰いに行く際「邪魔だ」の一言と共に研究所を去った、先にポケモン図鑑をもらったという感じの悪い少年だ。

「誰だ、お前」

 当然と言えば当然だが、相手はその時のことを覚えていないようだ。一応伝えてはみたものの、「知るか」と一瞬で切り捨てられた。

「……オレはラルドタウンのジュンヤ。なあ、オレと二対二でバトルしないか?」
 次に挑戦するのは誰か。互いに互いの顔色を窺っていた観客達が湧き上がった。
「レベルの低い連中ばかりで飽き飽きしてたんだ、少しは楽しませてくれるんだろうな」
「ああ、もちろん」

 どうやら、溜め息混じりとは言え勝負を受けてくれるらしい。
「俺はツルギだ。いいだろう、相手になってやる」

 ナックラーを一度戻して、新たなモンスターボールを取り出した。

「ああ、負けないぜツルギ!」

 ジュンヤもそれに応じるように腰に手を伸ばす。
「……やっと出て来れた。ジュンヤ、頑張って!」
「ああ、ありがとう。見てろよ、絶対勝つからな」

 ジュンヤに遅れて、二人の幼馴染みもようやく人海の中から抜け出せたらしい。後ろから声援を送ってくれている。
 その中で他の人々は、どちらが勝つか、どうせ一方的だろう、もしかしたら、と様々な期待を胸に騒いでいる。

「よし、頼むぞヤヤコマ!」

 絶対勝つ、そう言った手前負けるわけにはいかない。腹をくくってジュンヤが繰り出したのは、先ほど捕まえたばかりのヤヤコマだ。

「まずはお前だ、ポチエナ」

 対する彼が出したのは、大きな牙にグレーの体毛、四足歩行のポチエナだ。臨戦態勢なのだろう、尻尾の毛を逆立てている。
 互いに隙を見つけようと少しの間睨み合うが、先に動いたのはツルギだ。

「ポチエナ、すなかけだ!」

 ポチエナがヤヤコマに背を向け、思い切り地面を蹴り飛ばして砂を巻き上げる。

「ヤヤコマ、高く飛んでつつくだ!」

 すなかけはじめんタイプの技だが、飛んでいるヤヤコマにも当たる程に跳ね上げられてしまっては避けざるを得ない。
 しかしこのひこう技を使う時にだけ見せる素早さを生かして、敵の背中目掛けて急降下する。

「なるほど、その速さ……。まもる!」
「離れろヤヤコマ!」

 ツルギが何かに気付いたように呟いたが、すぐに指示を飛ばした。
 対してジュンヤも指示をして、ヤヤコマはまもるにぶつからずに済んだ。
 そしてまもるが消えると同時に、ポチエナが毒々しい紫色の光を放った。ポチエナは苦しそうに歯を噛み締めている。

「なんだ……?!」

 今のポチエナの様子は、状態異常のもうどくになった時と酷似している。しかし、今のヤヤコマは相手にどくを浴びせるような手段を持ち合わせていない。ということは……。

「そのポチエナ、持ち物はどくどくだまだな」

 どくどくだま。この道具を持っているポケモンは、自らをもうどく状態へと変えてしまう。
 先程のまもるも、単なるその場凌ぎではなくどくどくだまの効果発動までの時間稼ぎが意図だろう。

「そして特性は、多分はやあしだ」

 ポチエナの特性は二つあり、一つはにげあし、もう一つははやあしだ。はやあしは、状態異常の時に素早さが上がる効果がある。ツルギはその特性を能動的に発動する為にどくどくだまを持たせたはずだ。

「よく分かったな、褒めてやる」

 やはりジュンヤの推察は正しかったらしい。しかし彼は分かったからどうした、と言わんばかりに余裕を浮かべている。
 ……だが、その余裕も一理ある。特性が分かったとしても、対策が出来なければ意味が無いのだから。

「ヤヤコマ、もう一度つつくだ!」

 敵が向かってくる。当然ポチエナは上昇した素早さを活かして回避しようとしたが……。

「ポチエナ、避けるなよ」

 ……しかしツルギはそれを制する。何故だ、と疑問を抱いている間にもつつくがポチエナの背中を穿つ。

「逃がすなよ、からげんきだ」

 しまった……! 素早さを上げたのだから、それを活かした戦いをすると思い込んでしまっていた……! 先ほど避けなかったのは、恐らく攻撃を確実に当てる為。そして推測の通り、ヤヤコマが離れようと羽ばたいた瞬間を狙ってきた。
 ポチエナが振り向き、ヤヤコマに噛み付いて勢い良く地面に叩きつける。そして全身を駆け巡る毒に、顔を歪ませた。

「ヤヤコマ!?」

 からげんきは自分が状態以上の時に威力が倍増する技だ。幸いポチエナはノーマルタイプで無い為それ以上のブーストはかからないが、かなりダメージが大きいのには変わりない。
 ヤヤコマは地面をバウンドしたが、すぐさま体勢を立て直して飛翔した。
 やはり大ダメージだったらしく、ヤヤコマはもしもに備えて持たせていたオレンのみをもう食べ始めた。
 予想外に大きな痛手ではあったが、ともかくこれで体力を回復した、もう少しは戦えそうだ。

「姑息な手を……」

 ツルギは、面倒そうに呟いた。
 ……ここでどう出るか、だ。再びからげんきを受けてしまっては、高確率で倒れる。もし倒れはしなくとも、瀕死寸前まで体力を削られるだろう。
 そしてひこうタイプ以外の技で攻めたならば、ポチエナの方がヤヤコマよりも速い。
 ……よし、ならばこの技だ。オレンのみを持たせていたことが、本当に幸いだった。後はヤヤコマに懸かっている、オレに出来るのは仲間を信じることだけだ。

「ヤヤコマ、突っ込め!」
「迎え撃て!」

 翼を広げて突撃するヤヤコマに、ポチエナも身を低くして構える。二匹の間の距離は急速に縮まって行くが、お互いにまだ技を出さない。

「……からげんき!」

 彼は怪訝を浮かべながらも、指示を飛ばす。
 真っすぐ向かってくるヤヤコマに対して、横にステップを踏んで体側に噛み付いてきた。

「頼むヤヤコマ、耐えてくれ……!」

 かなりのダメージなのだろう。ヤヤコマは噛み付かれながら、苦しげにもがいている。

「そうだ……!」

 しかし、それでいいのだ。それこそが狙いなのだから。

「ヤヤコマ、じたばただ!」

 ヤヤコマは更に激しく暴れ回り、ついに牙から抜け出すことに成功する。
 だがそれだけでは終わらない。なおも暴れて翼をでたらめに振り回し、ポチエナに次々と容赦ない打撃を浴びせていく。

「……っ、まもる!」

 急いで指示を飛ばすが、もう遅い。ポチエナは痛みを威力に変えて繰り出した怒涛の連撃に耐えられず、脚先から崩れ落ちて行った。

「やった、ジュンヤすごい!」
「流石だよ、ジュンヤ」

 ツルギが先手を取られた。番狂わせなその事実が、ノドカやソウスケを始めとする観客達を沸き上がらせる。

「所詮はこの程度か……」

 しかしそんな周囲を全く気にも留めずに、まるで実力を見限るかのように呟きながら、ツルギはポチエナをモンスターボールに戻した。

「そんな言い方はあんまりだろ、少しはポチエナを労ってやれよ」

 ジュンヤがポケモンのことを考えないその振る舞いに口を出すが、彼は関心も示さずに新しくボールを構えた。

「出て来いナックラー」

 このバトルは二対二、つまりこのポケモンこそ彼の最後の一匹というわけだ。
 先ほども無傷で勝ち続けていたというポケモンだ、一瞬の油断も許されない強敵であることは想像に難くない。

「先手必勝だ、じたばた!」

 もうヤヤコマの体力は残りわずかだ、長期戦など出来る筈が無い。一気に決着を付けようと急接近する。

「迎え撃て!」

 対してナックラーは顎を突き出して応戦する。ヤヤコマはそれに対して翼を振り下ろして迎撃したが……。

「……フェイントだ」

 ナックラーは、一瞬で身を引いてその攻撃を避け、隙だらけの敵に思い切り噛み付いた。そして抵抗が全く無かった為に、すぐにジュンヤの前へと放り投げた。

「ヤヤコマ!?」

 ヤヤコマは動かない。いや、動けない。それ程までにダメージが大きく、つまり瀕死になったのだ。

「……ありがとう、よく頑張ったな。ゆっくり休めよ」

 ジュンヤはヤヤコマを優しく抱き上げ、頭を軽く撫でる。そして労いの言葉を掛けてから、モンスターボールに戻した。
 一方ツルギは、そんな彼らを何も言わずにただ冷めた目で見下ろしていた。

「……さあ、これでオレも二匹目だ。行くぞ、メェークル!」

 負けられない。こんな思いやりの無いポケモントレーナーに、負けるわけにはいかない。メェークルも同じ気持ちのようだ、興奮気味に蹄を鳴らしている。

「ナックラーはかなり攻撃力が高いけど、代わりに動きは鈍い。まずはいわなだれだ!」

 遠距離から様子を見る、そしてそれから攻めるか守るかを決めるという算段だ。

「すなじごくだ」

 ナックラーが吠える。すると彼の周囲を取り囲むように砂塵が巻き上がり、その勢いに乗せて降り注ぐ岩を次々と弾き飛ばしてきた。

「……その攻撃、もらった! メェークル、岩に飛び移って接近しろ!」

 しかしメェークルも負けてはいない。返された岩に飛び乗って、その岩が落ちる前に更に別の岩へと飛び移っていく。
 そしてとうとう、すなじごくの頂点へと辿り着いた。

「行け、リーフブレード!」

 砂塵の渦へ深緑の粒子を纏った刃を突き立て、落下しながら発生源へと切り裂いていく。

「ナックラー、下がれ!」

 このままでは食らってしまう。そう判断したツルギは攻撃を止め、回避の指示を出した。

「まだだ、突っ込め!」

 だが、そう簡単には逃がさない。飛び退るナックラーに、光の刃を振り下ろした。

「むしくい!」

 ナックラーも迎え撃ち、大顎を思い切り開く。そしてメェークルの刃は、その顎に挟み止められてしまった。

「くっ……、蔓を」
「放り投げろ」

 拮抗、いや、ナックラーが優勢だ。この状況を覆すために蔓を使おうとしたが、その前に放り投げられてしまった。

「すなじごく」

 更に追い打ちと言わんばかりに、メェークルの描く放物線上に合わせて発動したすなじごくがメェークルを襲う。

「まもる!」
「がんせきふうじ!」

 自分の周囲を覆うように光の盾を展開することでその攻撃を凌ぐことが出来たが、今度は着地に合わせて空から大岩が降り注ぐ。

「……もう一度まもるだ!」

 まもるは連続で使えば使うほどに成功率が下がっていく技。一瞬使うのが躊躇われたが、どちらにしろ使わなければ食らってしまう、技の発動指示を出した。
 しかし同時に、岩石がメェークルへと襲いかかった。

「メェークル、どうだ……?」
「まもるが成功している可能性もある、攻撃の手を休めるな。むしくいだ!」

 ツルギは油断をしない、攻撃を緩めることも無い。未だ岩石に埋もれ姿の確認も出来ない標的へ大顎を振り上げる。

「……決めろ、リーフブレード!」

 その瞬間、岩石に何条もの切れ目が走った。直後粉々に砕け散った岩の中から、メェークルが躍り出る。

「よし、行けぇ!」

 深緑の粒子を纏った光刃が、一筋の軌跡を閃かせる、筈だった……。

「メェークル、まさか……!」

 だが、メェークルの動きはまるでキャタピーの吐く糸に絡め取られたかのように重い。……がんせきふうじは追加効果として、当たった相手の素早さを必ず下げるというものを持っている。
 メェークルの動きが鈍ったのは、確実にそのせいだ。さっきのまもるは、失敗してしまっていたんだ……!
 だけど、どうする!? ナックラーはもう大顎を開けている、一方メェークルは今ようやく角を振りかざしたばかりだ!

「駄目だ、間に合わない……!」

 ジュンヤが呟いたのと同時に、その顎がメェークルを捉えた。
 効果は抜群だ。地面に放り投げられたメェークルは、横倒れになったまま動かない。

「……め、メェークル! メェークル!?」

 思わず叫んだ。叫ばずにはいられなかった。

「お願いだメェークル、立ってくれ!」

 だが、その声に応えられる者はどこにもいない。
 叫んだ、力の限り叫び続けた。
 自分の弱さが招いた結末……。目の前で広がる光景、自分が諦めなければこんなことにはならなかったのではないか。
 信じられないのではない、信じたくなかったのだ。この叫びは現実の否定。しかしそんなものは、この場においては意味を持たない愚かな徒労だ。

「……メェークル、戦闘不能!」

 誰かが叫んだ。……聞き馴染んだ声だ。振り返ると、ソウスケが一歩前に出て、右手を振り上げている。
 ……審判を下したのは、彼のようだ。

「ジュンヤ、メェークルにはもう戦う元気は残っていない。君自身も分かっているだろう」

 ……何も言えなかった。

「……ごめん、メェークル。戻って、休んでくれ」

 彼は半ば反射的にメェークルに謝罪をして、モンスターボールに戻した。

「戻れ、ナックラー」

 ツルギも同様にナックラーを戻して、ジュンヤ達に背を向けた。
 そしてうなだれるジュンヤを背に、両手をポケットに突っ込んで歩き出した。



 夕暮れは、黄昏時とも言う。なんでも暗くなるにつれ相手の顔が分かりづらくなり、彼は誰だ、つまり、誰そ彼から来ているらしい。また逢魔が時と呼ぶこともあり、魔物に遭遇する、あるいは大きな災禍を蒙ると信ぜられたことから、このように呼ばれるようだ。
 ……次第に闇も深くなるこの時間に、ジュンヤは少し外に出てみることにした。理由は無い。ただ今ポケモン達をポケモンセンターに預けていて暇だから、なんとなく夕日が見たくなっただけだ。
 ポケモンセンターの扉がジュンヤの存在に反応を示して、自動で両側へとスライドした。
 建物内の快適な空調とは一転して、少し昼の暑さを残した黄昏の風が優しく肌に纏わり付いた。
 それにいっそ身を委ねてしまいたい衝動を抑えて、空を見上げる。
 数羽の黒い影達が、茜色の空の彼方へと溶けて消えていった。真昼は爛然と天球の頂点で燃えていた太陽も、今では山の端へと没そうとしている。
 ……夕方だな、と当たり前のことを改めて実感する。だからなんだ、と言われたらそれまでなのだがとにかくそう感じたのだ。
 そして夕方を感じて、もう用は無くなった。さっさとポケモンセンターに戻ってしまおうと視線を下ろしたら、ついさっき見たばかりのグレーのポケモンが駆け抜けていった。

「あれは、ポチエナ……」

 何故ポチエナが? 抱いた疑問を突き詰める為に彼が走ってきた方向に目を向けると、臙脂のトレーナーを羽織った少年が壁のような無表情で手にした上下二色の紅白球、モンスターボールを腰に戻していた。
 ツルギ。思わず垂れた汗から目を背けながら、先ほど戦ったその少年に呼び掛けて、尋ねる。

「今走っていったのはポチエナ、だよな。どうしたんだ?」
「別に。弱いから逃がしただけだ」

 彼はまるでそれが当然のことであるかのように、顔色一つ変えずに言い放った。

「弱いから逃がした……!?」

 ジュンヤは、思わずその言葉を反復していた。

「ふざけるなよ……。お前は逃がされるポケモンの気持ちを考えたことがあるのか……!」

 まだ両親が生きていた頃。両親が営んでいたポケモンの育て屋を手伝っていた時に、やむを得ない事情でポケモンを逃がすトレーナーは何人も見てきた。しかし、彼は違う。

「知らん、そんなことどうでもいい」

 彼には断腸の思いなど、微塵も感じられない。冷徹に言い放つ彼の声色が、それが紛れもない本心だということを物語っていた。

「それこそふざけるな! ポチエナはあんなに頑張ってたんだ! なのにお前は……!」
「だが、ポチエナは負けた。結果を残せなかったんだ、捨てられて当然だろう」

 最も、ハナから期待はしてなかったがな、と続けられる。
 もう抑えは効かないし、利かせるつもりも無かった。

「お前……!」

 何かがプツンと切れる音がした。全身を激しく駆け巡る血液に、体の底から沸騰するように湧き上がる熱に任せて、腕を振り上げる。

「いい加減にしろ、ポケモンはお前の道具じゃない!」

 そして激情のままに振り下ろされたその拳は、パン、と破裂音にも似た音とともに二人の間で静止した。

「……で、そこからどうするつもりだ」

 ジュンヤの拳は、ツルギが伸ばした掌にすっかり丸め込まれてしまっている。

「……弱いポケモンなんていない」

 必死に声を抑えるが、それでも怒りで震えているのが自分でもよく分かった。

「居たとしても、オレは絶対にそんな理由で見捨てたりはしない。信じればきっと、ポケモンは応えてくれるんだ」

 目の前の少年、ツルギの鋭く黒く光る瞳をしっかりと捉えて、言った。

「下らない」

 彼はそう吐き捨てた。彼の瞳の温度が急速に下がっていったのがよく分かった。

「そうやって、ぬるいことを言う奴程早く消えていった」

 そしてジュンヤの拳を払いのけて、続けられる。

「強くなければ生き残れない。お前が思っている程、現実は優しくないんだよ」

 もう何も言うことは無い。そう言わんばかりに彼は背を向け、歩き出した。

「……分かったよ。だったら、証明してみせるさ」

 その背中に、自分の覚悟を投げかける。

「オレはお前みたいにポケモンのせいにして言い訳はしない。オレは仲間と一緒にお前に勝って、ポケモンリーグに優勝する」

 それは自分に言い聞かせるものでもあった。

「お前は間違ってる、ポケモンを信じる心があればいくらでも強くなれるって教えてやる!」

 流石に大きく出過ぎた、そう自省しない気持ちが無かったわけでもなかった。だが、元から目指す先は最強ただ一つ。ならばこれくらいがちょうどいい、と自分の言い放った言葉を確かに飲み込んだ。
 ツルギは足を止め、肩越しにこちらを振り返る。

「その言葉、後悔しても知らないぞ」
「そんなことはしないさ、余計な心配はいらないぜ」

 そして再び二人の双眸がぶつかり合い、しかしツルギはすぐに正面に向き直り歩き出した。
 ……そう言えば、メェークルとヤヤコマの回復はもう終わっているだろう。
 ジュンヤはノドカとソウスケの待つポケモンセンターに戻ることにした。
 最後にふと見上げた茜の空では、まだ一番星は見えなかった。

せろん ( 2015/02/04(水) 18:01 )