ポケットモンスターインフィニティ - 第一章 始まる少年達の旅
第01話 始まりの日
 眩しい朝日が、カーテンの隙間から漏れている。少年は目を擦って、大きな溜め息を一つ、起き上がった。
 背中がびっしょりと湿っている。頬には、何かが這って、乾いた後があった。いや、それがなにかは分かっている。涙だ。

「……最悪な朝だ」

 忌まわしい、現実の悪夢。かつて自分の身に襲いかかった、両親を失うという忘れられない悲劇。ずっと記憶の奥底に封じ続けてきた過去の凄惨を、よりによってこの日に思い起こしてしまうとは。

「せっかく、今日からオレもポケモントレーナーになれるっていうのに」

 ずっと夢見た最高の朝に、最悪の夢を見てしまうなんて。嫌な気分を紛らわせる為に、彼はカーテンをはねのけて、窓を開いた。

「……うん、やっぱり最高の朝だ」

 澄んだ清涼な空気が、湿った身体にすーっと染み渡る。眩しく照り輝く太陽の下。まるで少年の門出を祝うかのように、マメパト達が合唱しながら飛んでいった。

「よし、シャワー浴びよう」

 窓とカーテンを閉め、時間を確認する。約束の時間は十時、現在時刻は七時。荷物整理は既に済ませてある。着替えや朝食などの準備を済ませても、まだまだ時間は有り余る。
 この嫌な気持ちと冷たい汗を落とす為、シャワーで禊をすることにした。



 最後に、いつもの青いジャケットを着る。既に下はベージュの長ズボンも、靴下もはいている。両手に茶革の指貫手袋を嵌めて、外ハネでボサボサの栗色髪を赤い帽子で押さえつけた。

「じゃあ行ってくるよ、爺ちゃん」

 階段を下りて、待っていた祖父へ声を掛ける。

「行ってらっしゃい。ジュンヤ、無理はしちゃいかんぞ。体調に気を付けて、ちゃんと歯は磨いて……」
「あーはいはい分かってる、もう何回も聞いたよ」

 祖父の注意も、旅の準備を始めてから耳にたこが出来る程聞いてきた、もう暗誦だって出来る。
 軽く聞き流して、靴を履いた。

「ジュンヤ……。絶対、無事に帰ってくるんじゃぞ」

 玄関のノブに手を掛けたところで、祖父が言った。

「……心配しすぎだろ。ま、いいや。分かった、男と男の約束だ、爺ちゃん」

 握り拳を突き出して、互いのそれを突き合わせる。それから行ってきます、とだけ残して、彼は玄関を越えた。

「行くぞ、メェークル」

 庭で気持ちよさそうに光合成をしていたそのポケモンに、声を掛ける。
 ジョンヤの幼馴染みで、昔両親から譲り受けたくさタイプのポケモン、メェークルだ。
 首から背中にかけては葉っぱが茂っており、体毛は焦げ茶色、顔や脚の一部だけは短く白い毛が生えている。
 橙色の蹄で、頭にはカイゼル髭のような形の黒い角を携えている。
 小さな山羊型のこのポケモン、ライドポケモンと喚ばれるメェークルは、乗り物代わりにすることもあるらしい。自分もたまに背中に乗せてもらうことがあるが、確かに乗り心地はなかなかのものだ。
 だが、今日はそんなことはしない。
 上半分が紅、下半分が白のカプセル。モンスターボールが色の境界から二つに割れ、中から迸る赤い光にメェークルは吸い込まれていった。
 ジュンヤはそれを見届けると、ボールをベルトにセットして歩き出す。
 ここはラルドタウン。新たな始まりと希望の街。あまり規模は大きく無いが、美しい街並みやポケモン博士の研究所があることから、このエイヘイ地方でも人気の高い街だ。
 太陽が、街路樹が立ち並ぶ石造りの白い道を照らしている。すれ違う子供達は皆、とても楽しそうな笑顔で走っていく。それを微笑ましく眺めていたが、通り過ぎてしまった為視線を正面に戻した。
 青空キャンパスを飛んでいく飛行機雲を眺めながら、石畳をマイペースで暫く進む。すると、見えてきた、研究所だ。木色の壁に、ネイビーの屋根。他の家屋の中に一回り大きく混じっているそれは、なんとも存在感を放っていた。
 この約束の日、約束の場所。中へとお邪魔する為扉を開け……。

「邪魔だ」

 ようとしたら、一人でに、いや、内側から開かれた。中から現れた目つきが鋭い黒髪の少年の一瞥に思わず道を譲ると、彼はそのまま歩き去ってしまった。
 感じ悪いやつだな、と思いつつも、気を取り直して研究所に入る。

「来たか、ジュンヤ君」

 しゃがれた声が響く。
 壁にはどこかの風景を描いた絵画や、様々な資料が収められた本棚。そして奥には一際目を引く大きなモニター、その手前には赤い機械が三つ載せられている長机が立っていた。
 中で待ち構えていたのは、老人だ。白髭を蓄え、白衣を羽織っている。やや頬骨が目立ち一見厳しそうな印象だが、その瞳に湛えられた穏やかな光が彼の温厚な性格を現していた。

「……博士、オレが一番乗りですか?」
「ああ。先ほどの少年を除けば、だがね」

 老人、ローベルト。この地方でポケモンのエネルギーについてを中心に研究している、いわゆるポケモン博士だ。
 彼に歩み寄り、話を聞く。どうやら先ほどの彼も自分達と同じ用事で別の街から来て、出て行ったらしい。
 自分達の用事、それはあるものをこのポケモン博士から貰うことだ。眼前の機械に目を向ける。

「ポケモン図鑑……」

 赤い、厚みを持った長方形の機械。それを貰うことがジュンヤ達の、そして先ほどの彼の目的だ。
 この機械が無ければポケモンの覚えている技の確認が出来ず、ジュンヤ達の目標、ポケモンリーグ参加の資格も得られない。その為彼らは仲間と共に腕を磨きながら、このポケモン図鑑を受け取る時が来るのを待ち続けていたのだ。

「さて、そろそろ……」

 奥のモニターの上に掛けられた時計の針を見る。時間は約束の十時まで後十分ちょっと、といったところだろう。だから、もう彼が来る頃だ。

「ローベルト博士、失礼します」

 研究所の入り口が開き、ジュンヤがやっぱりな、と呟いた。
 現れたのは、ジュンヤと同じ程度の背丈の少年だ。
 緑のブレザーを着て、ブラウンのスラックスを穿いている。茶髪の彼からはいつも、同年代の少年よりもやや大人びた印象を受ける。

「来てたんだね、ジュンヤ。今日は早いじゃないか」
「まあ、今日くらいはな。ソウスケこそ、相変わらず十分前行動だ」

 ソウスケ、それがブレザーの彼の名前だ。元来の性癖として真面目で、常に十分前行動を心掛けており滅多なことでは遅刻などしない。常には時間ギリギリに現れるジュンヤとは大違いだ。
 それ故にソウスケも、ジュンヤが自分より早く研究所に来ていたことに多少驚いている。

「じゃあ、後は……」
「ああ、彼女だけだね」

 後一人、待ち人が居る。ジュンヤと同じ程度、いや、それ以上に時間に弱い少女だ。
 たわいの無い談笑で時間を潰すことにして、十分程度が経った頃。

「す、すみませんローベルト博士! あの、まだ図鑑もらえますよね!?」

 少女が慌ただしく飛び込んで来た。
 少し毛先の跳ねた寝癖のようなセミロングの黒髪。橙色のパーカーを羽織り、薄水色のハーフパンツ。

「落ち着けノドカ。まだ遅刻してないし、そもそも人数分用意してるんだから大丈夫だよ」

 まあギリギリだったけど、と付け加える。
 彼女の名前はノドカ。ジュンヤが彼女に声を掛けると、彼女は「良かったあ……」と安堵し、深く息を吐いた。

「……とにかく、これで揃ったね」

 ジュンヤ、ソウスケ、ノドカ。彼らは幼少から同じ時を過ごし、共に育ってきた幼馴染み。この三人が、今日ポケモン図鑑を貰ってこのラルドタウンから旅立つ少年達だ。

「じゃあ、博士!」
「そう慌てるな、分かっておるよ」

 ローベルトは逸る三人を抑え、机の上に並んだ赤い機械、出会ったポケモンのことが記録されるハイテク機器、ポケモン図鑑を一人一人に手渡していく。
 早速三人は、図鑑を覆う赤い蓋を開いて、自分のポケモンを確認した。

「メェークル。ライドポケモン」
「おおっ、本当に声出た!?」

 ポケモン図鑑から発せられた抑揚の無い男性的な人工音声が、相棒の説明を読み上げ始める。

「人と暮らすようになった最初のポケモンと言われる。穏やかな性格のポケモン」

 それがジュンヤの相棒、メェークルの説明らしい。長年共に過ごしてきたが、その説明をこうしてポケモン図鑑で聞くのは初めてだ。
 次に説明の下に表示された技を適当に見ていく。

「うーん、大体知ってるし、……見終わってしまった」
「見て見てジュンヤ、すごいよ!」

 図鑑を早くも読了して暇をしていたジュンヤに、ノドカがとても嬉しそうに声を掛ける。
 そして何度も何度も、彼女の相棒の説明を聞かせてきた。

「コアルヒー。みずどりポケモン。
 飛ぶよりも泳ぐのが得意で水中に潜っては大好きな水ゴケをうれしそうに食べる」

 二人の足元でとぼけた顔をしている、幅広い嘴の小さな鳥。その説明を聞かせてきて、彼女は「ね!? ね!?」と輝く瞳を向けてくる。

「ちゃんと説明してくれるなんて、かわいいよね!」
「ああ、かわ……え? いや、別に……」

 何がどうかわいいんだ……。相変わらずよく分からないかわいいの基準に困ってしまい、思わずもう一人の幼馴染みの元へと逃げ出した。

「えー、かわいいよ。なんでジュンヤには分からないのかなあ」

 背中でノドカが不平を漏らしているが、面倒なので無視することにした。

「そっちはどうだ、ソウスケ」
「ああ、長く一緒に居るから知っていることが殆どだったけれど、知らないこともあったから嬉しいよ」

 と彼も足元の相棒、達磨に手足が生えたような姿、に図鑑をかざして、認識させる。

「ダルマッカ。だるまポケモン。
 寝るときは手足をひっこめ体内で燃えている600度の炎も小さくなり落ち着くよ」
「その他にも、昔の人はダルマッカのフンを懐に入れて体を温めていた、との記述もあったよ」
「うぇ、ウンコ!?」
「確かにダルマッカのフンは温かいけれど……まさかそれを温石に使うとはね」

 温石ってなんだろう。首を傾げていると、「今で言う懐炉さ」と補足をしてくれた。
 ……とにかく。これでようやくポケモントレーナーとして新たに一歩を踏み出せる。
 ありがとう、と声を掛けてメェークルをモンスターボールに戻した。ノドカとソウスケもそれに続く。

「それじゃあ、ありがとうございました、博士! オレ達そろそろ出発しますね!」
「しっかりとポケモン達を捕まえるので、安心して下さい!」
「えっと……、と、とりあえず、頑張ります!」

 ジュンヤ、ソウスケ、ノドカ。三人で一斉に頭を下げる。

「ああ、良き旅路を」

 ローベルトが穏やかに微笑みながら軽く手を振り、彼の送別を背に、ジュンヤ達は研究所を後にした。

せろん ( 2015/02/01(日) 18:50 )