ポケットモンスターインフィニティ



















小説トップ
第十五章 闇を裂く星辰
第137話 双星廻りし果てに
 長き旅路の終点に織り成される因縁の決戦もとうとう幕引きの刻が差し迫り、徐に瞬いて息を吐いた少年が利剣の眼差しで広がる景色を睥睨する。
 シャンデラを模した眩い暖色の照明は手探りの闇を越えて現れた来訪者を眩く迎え、此処に至るまで熾烈を極めた死闘の末に中心に在るバトルフィールドは深く抉れ、穿たれ、焼け爛れて──凄惨な様相を呈しており。
 右側には無機質な漆黒の壁に蒼き紋様が脈打つように明滅を繰り返す。左側に視線を傾ければ水族館のように分厚い硝子に覆われた先に、千をも越える夥しい数のモンスターボールが円筒の機械に嵌め込まれていた。

「ツルギ、フライゴン……お願い、します!」

 鈴が転がるような澄んだ声が静寂を破り、朔月を思わせる黒曜石の瞳が凛と見据える。
 濡れた烏羽の如き漆塗りの長髪、純白のワンピースを纏い小柄で儚げな雰囲気漂わせる少女──サヤは両手を組んで祈るように固く瞼を引き結びながら、自分を救ってくれた友への声援を絞り出した。

「ああ、もうすぐだフライゴン。雪辱を果たす機が巡ってきた」

 そして臨むのは惑わぬ深蒼を湛えた利剣の如き鋭い眼差し、通った鼻筋に白磁の肌。目元まで伸びた外跳ねの黒髪で臙脂のチェスターコートを羽織っていて。
 翳りなど知らざる惑わぬ意志を双眸に宿し、モンスターボールを握り締めながら呟いた少年の名はツルギ。
 かつて一人の男によって総てを奪われ暗夜を彷徨い、それでも闇に瞬く辰極のように揺らがなき心で輝き続けてとうとう彼の地にまで辿り着けた。

「あの日から幾星霜が流れた。故郷を焼かれ、惨敗を喫して、それでも決して足を止めなかった……此の終局まで至る君達の執念には心から敬意を表するよ」

 切長の柔和な目許にくすんだ紫水晶の瞳。腰まで届く長く細やかな菫色の長髪がふわりと舞って、黒いハイネックに菖蒲のトレンチコートを羽織った青年が微笑む。
 過去にツルギの父が主任を務めていた生体エネルギー研究開発計画『Project:Orbis』に携わっていた科学者であり、ツルギから、サヤから同胞と故郷を奪い──数え挙げればキリがない程に多くの人々を絶望へと導いた虐殺者にして略奪者。
 相棒であるメタグロスを従えて圧倒的な力によって蹂躙を繰り返してきた無欠の強者。オルビス団最高幹部に君臨せし、追い求めた宿敵エドガーだ。

「貴様ら巨悪を砕く為だ。言っただろう、奪われたものを取り戻すと」
「健気だね、宿因に囚われて人生さえ捧げるとは。だが失われた命は返らない、何を掴もうというのかな?」
「すぐに分かるさ、答えはバトルの先に導かれる」
「フ、それでこそポケモントレーナーだよ」

 ──暗澹たる行路を手探りで進み、凍えるような寒さに震え、幾千の夜を越えただろう。
 いつか結ばれた約束は闇夜に彷徨う迷い舟を導いてくれた。これまで膝を折ることなく歩んでいられたのは、遠く遥かに煌めく星を観たからだ。
 ようやくこの旅路で培ってきた苦難が実を結ぶ。握り締めたモンスターボールの内では共に旅をしてきた相棒が瞳に決意を灯しており、視線を交わして軽く頷き合うと対峙する青年達を睨み付ける。

「さあ試させてもらおう、我が至高の相棒を前にどれ程の時を抗っていられるか!」

 足元に冷厳と佇むのはあらゆる干渉を寄せ付けない鋼鉄の肉体、鉄鎚の如き四脚。交差する白銀の金属を顔に飾った藍色の巨兵が真紅の眼を瞬かせて。
 “てつあしポケモン”メタグロスが金属音にも似た重低音の咆哮を轟かせれば体の芯まで振動が響き、懸け隔たる強者の威容に天地さえも震撼する。

「懐かしいな……かつて、貴様とメタグロスに何もかもを奪われた」

 舞い踊る黒煙の先に焼け爛れた塊が悲鳴と共に転がって、逃げ惑う人々が刹那に火に包まれて崩れ落ち、眼前で多くの命が灼き尽くされた。
 頭の中では今も悲鳴が、嘆きが、絶望が、声なき声が繰り返されて──瞼を塞げば過ぎ去りし惨劇はつい先刻のようにありありと蘇る。
 彼岸に佇むはかつて虐殺を働いた張本人、脳裏には十三年前の悲劇が呼び起こされるが……瞬きと共に縋り付いてくる影を振り払うと、伸ばした掌の先に握られているカプセルの内で相棒が確かに頷いた。

「だが──俺の未来はこの手にある、誰にも譲るつもりはない!」

 自らの武を誇示して傷を厭わず邁進する雄牛がより剛猛なる力の前に倒れ臥し、王を選定せし黄金の霊剣がただひとつの弱点を突かれ崩れ落ちた。
 愉悦を求め果てしない闘争に身を投じた老翁は目まぐるしい拳闘の末に相討ち、邪悪を屠る破壊の遺伝子の赴くままに牙を揚げた滄龍は沈められて。
 たったひとつの約束の為に力を求めていた妖狐さえ、めくるめく思念の雨に貫かれてしまい──それでもこの掌には信じる相棒が、最後の希望が残されている。

「とくと見るがいい、これが研ぎ澄まされた俺の剣だ! 悉くの闇をここで払う、総てを懸けて貴様を討つ──現れろフライゴン!」

 あの日願いを託されて、ただ一人虐殺から生き残った者としての責務を遂げる。因果を越えて暗夜を切り裂き、明日を取り戻したその先に必ず約束を掴み取る。
 想いを、決意を、覚悟を込めて投擲されたモンスターボールは鮮明な軌跡を描いてフィールドへと飛び込んで、中心を走る紅白の境界から二つに割れると眩い輝きが溢れていく。
 赤く煌めく閃光が駆け抜ければ、宙を裂いた穂の先にはツルギが誰よりも信を置く相棒の影が象られていき。
 雄々しき羽ばたきによって響く美しい旋律に呼応するが如く砂塵が嵐となって舞い上がり、纏わりつく粒子を振り払えば翠緑の砂竜が顕現した。

「ついに、フライゴンが、登場です……! あなた達ならぜったい、ぜーったいに勝てますっ!!」

 透き通る歌声のような羽音を奏でる菱形の翼、しなやかに伸びる腕の先には容易く鉄をも引き裂く鋭利な剛爪。
 覚悟の宿る勇ましき咆哮を響かせながら荒廃した焦土に臨むのは、共に遠き標を望み続けたせいれいポケモン。常に砂嵐の内に在ると伝えられるツルギの最強の相棒フライゴンだ。
 目を蓋う赤いレンズの奥では鋭利な眼差しが閃いて、肩越しに振り返り主人と視線を交わすと対岸に立つ最高幹部達と視線が交錯する。

「これで後は……ツルギ、君とフライゴンだけだ」

 ──今でも記憶の片隅を掠めるのは、遠きいつかの追憶だ。
 ポケモンと共に笑いながら年甲斐もなく無邪気に夢を語り合っていた研究員達、そこにエドガーも混じり心の底から感じる幸せを抱いて笑っていた。
 きっとツルギも、そんな遠き微睡みのような刹那を覚えていて。だから瞳の奥に宿る希望が未だにその灯を失うことなく燈っているのだろう。

「あの日滅ぼせなかった残骸をこの手で葬ることで、ようやく過去との訣別を果たせる」

 ……対峙する少年の母ミツバが遺した忘れ形見、その片割れであるフーディンさえ下した。後は彼女が切なる祈りを託した少年の翳す刃をこの手で打ち砕き、新たな世界への扉を開く。

「馬鹿なことを。光あるところに影はある、貴様の犯した罪は決して離してくれないさ」

 過去を断ち未練を捨て去ろうとするエドガーへ吐き捨てたその言葉は、半ば己を諌める為の戒めでもある。
 此処まで多くのものを傷付け踏み躙ってきた。自分が生き抜く為なら、強さを得る為なら手段を選ばずに、枚挙に暇ない“誰か”を犠牲にしてまで手を伸ばしてきた。
 かつて踏み台にした者達の悲しみを、弱いと捨てたポケモン達の嘆きを、脳裏に焼き付いた数多の犠牲を引き摺って……今、此の場所に立っているから。

「俺は生き続ける。総ての影を背負い必ず約束の場所へ辿り着く!」

 彼女が、彼女達が終ぞ為せなかった願い。それはみんなが笑って日々を紡げる未来を創ることだ。
 ──地を這うだけだった惨めな幼な子はもう居ない。進化の極致へと至った今、何処までも翔ける翼を手に入れた。
 あの日から惑わず掲げた誓いの鋒を振り翳して必ず奴を討ち倒す。遥かな彼方に佇む仇敵へと届かせて、積年の本懐を遂げてみせる。

「……君が束ねた悉くの光を葬ってあげるよ。さあ、切なる願いの途絶える刻だ!」
「試してみろエドガー、俺の魂を撃ち墜とせるか──!」

 二人が叫ぶと呼吸さえ忘れてしまう程の静寂が張り詰めて、交錯する視線が散らす火花とは裏腹に歌声に似た美しい羽音の独奏だけが響き渡っていく。
 両者睨み合う時が止まったかのように凍り付いた世界の中で……しかし、このままでは埒が明かない。どちらともなく漲る緊張を破ってとうとう最後の戦いの幕が上がった。

「良いだろう、我らの全霊を懸けて打ち砕く! さあ再び満天を蓋えメタグロス、サイコショック!」

 エドガーが指を鳴らして指示を送れば鋼鉄の巨兵の瞳が瞬き宙に紫光が煌めいて、百をも越える夥しい数の思念の砲弾が綺羅星の如く虚空へ顕れた。

「星屑など気に留めるな、突き抜けろフライゴン! ドラゴンクロー!」

 対するツルギは膨大な“サイコショック”に臆せず躊躇いなく指示を叫んで、溢れ出した眩い深蒼の粒子が両腕の先に収束すると尖鋭なる竜爪を象っていき。
 高く天へと舞い躍ったフライゴンが咆哮を響かせればめくるめく紫閃が翠竜を貫かんと降り注ぐが、超高速で飛翔する一筋の軌跡を捉えるには至らない。
 間髪入れずに迫り来る念弾の悉くを寸前で躱し、引き裂き、なお加速して遂にメタグロスの眼前へと辿り着いた。

「捉えた──!」

 視界を遮る念弾の間隙をすり抜けて、八方から迫る幾重もの紫条に貫かれる寸前に振り翳した龍爪がクリアボディを掬い上げるように斬り裂いた。
 それでも鋼鉄の巨兵は揺らがない。翠竜の蛮勇へ紅眸が冷徹に瞳を据えて、しかし背後に踊る星々が制御を失い自らの形を保てず霧散していく。

「やるじゃないか、あの数を捌き先制してみせるとは」
「ハ、これ見よがしに披露したことが仇となったな」

 満身創痍のフーディンとの交戦において、彼は他のどの技も選ばず敢えて“サイコショック”により決着を付けた。
 その理由は明瞭だ。過去から縋り付く影に訣別する為に、どう足掻いても届かぬ差を思い知らせる為だったのだろう。
 しかしその非合理的な判断がツルギとフライゴンの可能性を繋いだ。既に認識していることで、圧倒的な物量による制圧のほんの僅かな間隙を縫えたのだ。

「だが所詮竜の爪痕など擦り傷が精々さ、我がメタグロスの力をとくと思い知るが良い!」

 そう、はがねタイプを備えるメタグロスに対して“ドラゴンクロー”は効果がいまひとつだ。彼の巨兵相手では必死に攻め込んでようやく与えられた一太刀も、降り注ぐサイコショックの脅威を凌ぐ程の影響しか与えられない。
 顔面を抉らんと振り抜かれた爪閃など意にも介さず巨兵が鉄鎚の剛腕を構えれば、その拳に大気を凍て付かせ六花が舞い散る程の冷気が収束していく。

「君達の掲げる熱など零へと還してあげよう、れいとうパンチ!」
「……っ、受け止めろフライゴン、だいもんじ!」

 じめんとドラゴン、二つのタイプを併せ持つ翠竜にとってこおりタイプの技は致命的な弱点だ。
 咄嗟に羽ばたきで飛び退ったフライゴンは目と鼻の先まで迫った氷拳を臆することなく睨め付けて、体内で生成した焔を解き放ち真正面から迎え撃つ。
 相争う氷炎が譲ることなく鬩ぎ合えば互いを喰らわんとより熱く、より冷たくと迸り、空気中の水分は忙しなく凝結と蒸発を繰り返して水蒸気が二匹を包み込んでいった。

「……ああ、そろそろ十分だね」
「やはり通らないか、離脱しろフライゴン!」
「生憎潮時は過ぎているよ、ツルギ。ラスターカノンだメタグロス!」

 そして余り有る威力に炎熱と凍気がどちらともなくついに爆ぜ、吹き荒ぶ衝撃波によって舞い躍る白煙と砂塵に視界が閉ざされていく中で二匹が同時に動き始めた。
 爆煙に紛れ急上昇して離脱せんとする翠竜の背を紅き瞳が捉えて、その砲口にめくるめく夥しい白銀の粒子が甲高い金属音を響かせれば銀河の如く逆巻いていき。

「フライゴン、危ないです……!?」

 そして決河の勢いで溢れた耀きは光線となって空を塗り潰し、洪濤たる白銀の波動が忽ち翠竜の背に迫る。
 すかさず翻り辛うじて逃れるが、追い縋る奔流を躱し切れない。とうとう羽ばたきごと呑み込まれて、か細く収束すれば制御を失い頭から落下してしまっていた。

「どうだい、幾分か堪えただろう?」
「だいじょうぶ、ですか……!?」

 だが──その程度で斃れるほど柔なフライゴンではない。此処まで数多の花弁を踏み散らしてきたのだ、命の限りを尽くして遠き頂に咲き誇ってみせよう。
 心に灯る揺らがなき闘志が鼓動を昂らせ、利剣の双眸が閉ざされた宙を望むと菱形の両翼が雄々しくも美しき威容を纏い羽ばたいた。

「狼狽えるな、こんなさざ波など手傷にならん! ドラゴンダイブ!」

 高く飛翔せし翠竜は総身から穢れなき深蒼の龍気を噴き上げてその体に纏い、夜を貫く流星の如く鮮烈なる閃火を以て宙を駆る。
 それはフライゴンの誇るドラゴンタイプ屈指の威を顕す技だ。煌めく尾を棚引かせながら舞い踊り、咆哮を響かせながら照耀を以って降り注いだ。

「フ、痛みに食い縛りながらよく言うよ。如何なる刃も届きはしないさ、コメットパンチ!」

 対するエドガーは悠然と構え、巨兵が鉄鎚の剛腕を振り翳す。その拳には先刻洪濤の如く宙を塗り潰した白銀さえも凌駕する灼爍たるエネルギーが収束し、空間が耐えられずに鳴動していく。
 言わずとも理解できる、メタグロスの持ち得る最強の技が発動したのだと。悉くを葬り去る破滅の輝きは銀河の如く逆巻けば、凄烈なる渦輪を収束させた彗星の拳がとうとう解き放たれて。

「フライゴン、負けないで……!」

 蒼き剣と銀の槍、二つの刃が正面から衝突すれば二色入り混じり流れる余波によって周囲が滅茶苦茶に焼き尽くされていく。
 膨張せしめくるめく星彩は宙をも焦がし地を溶かす。だが拮抗する鬩ぎ合いも次第にその趨勢が傾き始めて──それでも押し潰されまいと翠竜が怒号を響かせた直後に、溢れ出す二つのW煌は限界へと達し炸裂した。

「……っ、やはり威力では劣るか……!」
「大したものだよ、随分メタグロスに食い下がる! だが──所詮君達ではそこまでだ!」

 迸る爆轟が空を灼き、けれど厳然と構える巨兵は微塵も動じることなく紅き双眸で爆煙に視点を定めて身構える。
 かたやフライゴンの行方は舞い踊る黒煙に眩まされてその足跡を辿れない、今のメタグロスは標的を見失っているだろう。
 普段砂嵐を纏い暮らしているフライゴンという種にとって、多少視界を遮られた程度では活動に支障はない。此処が好機とツルギが嗤いその背後でサヤも小さく頷いた。

「そこだフライゴン、再びだいもんじ!」
「君も理解しているだろう、そんな熱量では氷塊を溶かすに至らない! れいとうパンチ!」
 
 猛き炎は五条に枝分かれした熱線となって宙を灼き、そのまま煙幕の内に佇む鋼鉄の巨兵に向けて緋き矛先を振り翳して。
 だが最高幹部もツルギ達が仕掛けてくることなど想定済みだ。待ち構えていたように指示を飛ばせば冷気を纏いし拳が地を砕く勢いで地面を殴り付け、天を衝く荘厳なる霜壁が障害となって立ち塞がる。
 炎熱でさえ氷塊を溶かすには相当の熱量を要する。めくるめく業火に晒されてなおも溶け落ちることなく防壁は聳えて──しかし、これでほんの僅かに猶予が生まれた。

「今度こそ逃がさん! フライゴン、だいちのちから!」
「煙幕と相手の防御を利用した二重の撹乱、素晴らしいよ。けれど生憎、我らもそこまで織り込み済みでね」

 翠竜が両掌を戦場に押し当てて龍の波動を流し込めば忽ちフィールド全土へ達する程の亀裂が四方八方へ駆け抜けて、地の底から業火よりもなお紅く燃え悉くを焼き尽くす凄然なる赫灼の耀きが噴き上げた。

「よかった、届きました……!」
「……流石の耐久だな、躱せフライゴン!」
「え……?」

 安堵に肩で息を吐いたサヤの瞳は、しかしすぐに焦燥に彩られる。すかさず宙を仰げばメタグロスはなおも迸る炎熱に飲まれているにも関わらず、眩く紫燿を纏いし満天の星々が瞬いている。
 そして真紅の双眸が灼爍の揺らめく彼方に翠竜の姿を認識した刹那、無数の紫球が廻り始めた。
 咄嗟に飛翔するが初動が遅れた、当然躱し切れやしない。標的を見据えた念弾は雨の如くに降り注ぎ、離脱せんと翔け抜けるその影を貫いていく。

「サイコショック。君が好機を逃すわけがない、その判断を利用させてもらったよ」

 そう、奴は此方の選び取る技を読んでいながら敢えて弱点の技を受けたのだ。それは自身の相棒への信頼の表れにして、対峙する巨兵がそれ程までに脅威なのだという証左でもある。

「だが……得たものはあった」

 そう、攻守共に桁外れの規格を備え完璧に思えるメタグロスにも、ようやく多少の欠点が浮かんできた。
 攻撃の際には必ず僅かな隙が生じ、瞬発力では此方が上回る。当然総合的なステータスでは明確に劣っている、容易くは攻め込めないが……それでも不落の城塞を崩す蟻の一穴にはなるだろう。

「こんなもので俺の光を掻き消せると思うな、ドラゴンクロー!」
「残念ながら侮ってなどいないさ。メタグロス、再びサイコショックをお願いするよ!」

 撃ち墜とされた翠竜は歯を食い縛って熱く灼け付く痛みを殺し、体勢を立て直して雄々しく羽ばたくと再び夥しい思念がスコールのように注ぐ眼下、地表寸前の低空を超高速で飛行する。

「……飛翔しろフライゴン、目障りな驟雨を掻き消せ!」
「え、ツルギ……?」

 そのまま進めば砲弾に捉えられるより早く鉄躯を貫ける筈だが、何故か翠竜は旋回して自ら狙いを定める弾雨の脅威に晒されていく。
 サヤが首を傾げる間にも視界に映る紫塊を引き裂き、躱し、辛うじて寸前で凌ぎ続けるが──全天を覆う百を越える思念塊が同時に襲い掛かるのだ、その悉くをやり過ごせる筈がない。
 ならばと超低空飛行で数多の紫球を地面へ着弾するように誘導し、なお追い縋るものは握り潰して……それでも、攻めあぐねているのか縦横無尽に飛び回り次々と寸前で躱していた。

「さっきはまっすぐに、飛び込んだのに……」
「下手に攻め込みカウンターをもらえば容易く制される、だろうツルギ?」
「……やはり、捌くにも限度があるか」

 ぽつりとツルギが呟けば死角から迫る念弾を「旋回して薙ぎ払え!」首筋を掠らせながらも寸前で身を翻して、龍爪を以て斬り捨てる。

「ならば反撃の隙を与えなければいい、ドラゴンダイブ!」

 そして眩い蒼輝を纏えば、再び竜が辰鎧を纏い高く舞う。
 幾多の煌めきよりなお爛然と耀いて空を貫く軌跡はあらゆる紫雨を置き去りにする超高速で宙を駆け抜けて──近寄らせまいと遮るように躍る念弾を突き破り、鋼鉄の巨兵の額を鋭く貫いた。

「臆さず飛び込むその度胸、感嘆に値するよ。れいとうパンチだメタグロス!」

 すかさず絶凍の拳を振り抜けば樹氷の如く隆起する霜槍がフライゴンの眼下まで迫り──しかし、いくら効果が今ひとつだろうと衝撃までは殺し切れなかったらしい。
 メタグロスがノックバックで後退っていたことによりほんの僅かに達するのが遅れた。翠竜が上体を逸らせば胸元を氷柱の鋒が掠め、足下から迫る銀塊に貫かれるより速く遥かな宙へと飛翔して。

「速度で撹乱しようという魂胆だろうが、生憎天は君だけの領域では無いのだよ! 逃しはしないさ、コメットパンチ!」

 だがそう容易く遁走を許す凡百の相手では無い。翳した両拳の先には刃向かう愚者を砕き滅する莫大な白銀の照耀が宿り、怒濤の奔流が燦然と逆巻いていく。
 そして後脚を折り畳んで両腕を突き出したメタグロスがサイコパワーにより宙へと浮かび、高く飛翔した翠竜を追うように弾丸の如く空を穿った。

「ようやく重い腰を上げたな、少しは余裕が剥がれたか!」
「速い……ツルギ、フライゴン、気をつけて……!」

 此処まで不動を貫いていたメタグロスがとうとう守り続けた鎮座を破った。これまで叶わなかった巨兵の激動にツルギが不敵な笑みを浮かべて嗤い、サヤが固唾を呑んで呟いた。
 軌跡を棚引かせながら天を駆る鉄塊の剛拳は宙を舞う翠竜に離されることなく追跡し、次第にその距離が縮まっていく。
 急上昇や急降下、旋回と急角度の方向転換を繰り返して背後に迫る大敵を振り解かんと空を奔るフライゴンだが、すかさずメタグロスも追蹤し──すぐ背後まで銀滅の彗星が迫って。

「ならば正面から受け止めろフライゴン、ドラゴンダイブ!」

 このままチェイスを繰り広げたところで轢かれてしまうのも時間の問題だ、ならばせめてダメージは最小に抑えなければならない。
 満腔から噴き上げる龍影を鎧と纏い更に加速したフライゴンは眩く煌めく軌跡を棚引かせて、振り返ると正面から“コメットパンチ”を迎撃した。
 衝突した双星が暫時の鍔迫り合いを繰り広げられるがやはり歴然たる力の差を埋められない。その拮抗も長くは保たず、やがて銀彩がめくるめく蒼燿を喰らい始めて彗星の閃爍に飲み込まれてしまう。

「さあ、これでよく理解しただろう? 埋められない彼我の差が」
「……ふざけたことを。フライゴンこそ我が魂、俺が屈しない限り斃れることはない!」

 ──互いが操るポケモンのスペック差などとうに知れている、ただの事実など舞台から降りる理由になりやしない。
 脳裏に浮かぶのは、この旅の中で目にした男の姿だ。奴は己の壁にぶつかる度にそれを乗り越えて、弱者の分際で限界を越えた性能を引き出してツルギの誇る“力”に食い下がってきた。
 あの臆病者でさえ成せるのであれば自分に境界を打ち破れぬ筈がない。視線を投げ掛けると相棒は肩越しに頷いて、双眸に点る揺らがなき火が爛々と灯り。

「攻め込むぞフライゴン、だいもんじ!」
「相も変わらず懲りないね。いや、諦めが悪いと評した方が良いかな?」
「ふざけろ、小手調べで膝を折る弱者がここまで辿り着けると思うか!」
「随分威勢良く吠えるじゃないか。ならば完膚無きまでに叩き潰してあげよう、れいとうパンチ!」

 再び燃え盛る業火は大気を焼き焦がし、堅牢なる氷牙が相性の差など意にも介さず迎え撃つ。
 列を成して連なる氷塊が熱線を遮ると途絶えた炎は早々に降り止み、立ち塞がる霜壁が自ら瓦解すれば息を吐く間も与えられずに戦況は動き続けて。

「君は二の舞を演じる道化ではない。糸口を掴んでいるのだろうが……容易く寄せ付けやしないさ、サイコショック!」
「良いだろう、その余裕の面が剥がれ落ちるのを楽しみにしておけ。フライゴン、ドラゴンクロー!」

 超低空飛行で地表すれすれを駆け抜ければ追い縋る念弾が曲がり切れずに焦土に着弾し、幾重もの爆風が舞い躍り。
 標的の足跡を失った星群が宙に当て所なく漂い、息詰まる静寂を経て徐に景色が晴れて行けば──果たしてそこに広がっていた景色に、サヤが不思議そうに小首を傾げた。

「フライゴンが、居ないです……?」
「消えた……彼は何処に、いや、そうか」

 僅かに燻る爆煙の内を用心深く見渡すが、既に“せいれい”は影さえ残さず消失してしまった。否──此の開けたフィールドに於いて隠れられる場所などただひとつしかない。
 ほとんど同時にエドガーとメタグロスが答えを察し、咄嗟に四脚を折り畳んだ巨兵だが時既に遅く。

「確かに天でさえ支配権は貴様が握っている。だがその巨躯では地の底にまで及ぶまい、だいちのちから!」

 フィールドに奔る亀裂が戦場全土へ達すると鮮烈な真紅が立ち昇り、膨大な赫焔が洪濤の如くに迸った。
 それは立ち塞がる総てを焼き滅ぼす猛き劫火、鋼の躯を呑み込んだ灼爍はなお煌々と滾り漲る。
 溢れ出す地熱に身を灼かれれば流石のメタグロスもとうとう壁のような表情を僅かに揺らし──これまで不動で聳え立っていた仇敵に、ようやく微かな翳りが浮かんで。

「面白い即興劇を披露してくれるね、地虫の如く這うだけだった君によく似合う」
「ハ、安い世辞だが受け取ってやろう」

 いつまでも隠れ潜んでいては確実に捉えられてしまうだろう。すかさず焦土を突き破れば「だが一方的に攻められるとは思わないことだ、れいとうパンチ!」飛翔した瞬間、的確に氷柱が天を衝き。
 しかしその鉾先に貫かれるより疾くフライゴンが高く空へと駆け抜けて、眼下に冴え渡る凍土を睥睨して翠竜が安堵の吐息を零した。

「流石のメタグロスといえど、二度も“だいちのちから”を浴びれば流石に堪えたか」
「ああ、お陰でやっと勘を取り戻してきたよ。もうしばらく勝負にならない相手ばかりだったからね」
「……だろうな、鬱陶しい」 

 再び効果抜群の烈洸を浴びながら最高幹部は不敵な笑みを絶やすことなく、苛立ち混じりに睨み付ければ天を翔る相棒が体勢を崩した。
 鬱陶しい、そう呟きながらフライゴンを仰げばその片翼に淡白く霜が張り付いていて。
 先刻の“れいとうパンチ”による氷柱が掠めたのだろう──僅かに翼膜に触れただけでもこの影響ならば、もし直撃してしまえば耐えられるかは危うい。

「だいじょうぶ、ですか……!?」
「騒ぐな、擦り傷だ。この程度で膝を折るようでは面白くない──良いだろう、徹底的に貴様らを打ち崩す!」
「剛情だね、そうじゃなければつまらない。来るが良いさ、持ち得る総てを懸けて挑みたまえ!」

 ツルギの眼前に舞い降りた翠竜が龍気を溢れさせれば、纏わりつく霜焼けが灼き払われ対峙する巨兵を睨み付けて。
 鳴り響く唄に呼応して砂嵐が舞い躍り、暫時降り注ぐ緊張の中で──すぐに静謐が破られて、再び双辰が廻り始める。

「踏み込めないなら背を押してあげよう。メタグロス、サイコショック!」
「情けなど要らん、研磨されし刃を受けるがいい!」

 エドガーが高らかに宣言すると宙に百をも越える数の念弾が舞い踊り、猛然と迫るフライゴンへ向けて降り注いでいく。
 しかし繰り返し放たれた技に容易く被弾する翠竜ではない。四方八方より迫る紫雨の間隙をすり抜けながら超高速で飛び回り、悉くを寸前で躱して冷厳に佇むメタグロスへと襲い掛かって。

「接近しろフライゴン! 奴を焼き尽くす、だいもんじ!」
「そう易々とは届かないさ、ラスターカノン!」

 そしてすぐそばまで接近した翠竜が五芒の矛先を噴き出すが、咄嗟に巨兵が星群を棄て去りその砲口に白銀の粒子が収束していく。
 背後では自ら瓦解したエネルギー塊が花火のように炸裂しており、眩い紫閃が舞い散る中に双眸が瞬き砲口に収束した夥しい白銀が解き放たれた。

「流石の威力だな、ならば……フライゴン!」

 怒濤の極太光線はほのおとはがねという相性不利を意にも介さず空を貫く紅き五条の熱線を喰らい、猛き穂先を以て迸る銀彩は次第に緋槍を塗り潰してしまう。
 このままではダメージは必至だが……まだ、間に合う。ツルギが相棒の名を叫んだ刹那に焔は掻き消され、押し寄せる閃爍が竜の影を喰らい尽くした。

「フライゴン……!?」
「鬱陶しい、悲観して狼狽えるな!」

 鬩ぎ合いに敗れて刹那に呑まれてしまったと思い悲痛な声で叫ぶ少女だが、少年が叱咤すればやがて降り止み鎮まりゆく奔流の底から蒼きW煌が溢れていく。

「サヤ、お前は俺を信じて黙っていろ。ドラゴンダイブだフライゴン!」
「寸前で防いでみせたか、やはり君達は侮れない。ならばれいとうパンチ、精々逃げ惑いたまえ!」

 そう、エドガーの言う通り被弾する寸前に龍気を纏い“ラスターカノン”から身を守ったのだ。
 すかさず高く空へと退避すれば霜牙が忽ち眼下から隆起して、氷樹群が天井に届かんとする程の高さで林立していく。
 これでは縦横無尽に飛び回れない。真の狙いを悟ったツルギが舌を鳴らして、腹を括ると焦土を見遣った。

「これで得意の機動性は削がれたも同然だ。サイコショック、彼らを袋小路へ誘ってあげよう!」
「……っ、地中へ潜れ、厄介な氷柱を砕く! だいちのちから!」
「ああ、君はそう選択せざるを得ない。たとえそれが墓穴だと理解していてもね」

 既に先刻披露した策を再演するなど半ば自滅行為だが、それでも他に選択の余地などありやしない。
 降り注ぐ弾雨の間隙を縫い双爪を翳して穿孔を掻い掘り、地の底に逃れれば念弾は地を貫くにまで至らず追跡を諦めて軽く漂い炸裂。
 だが当然逃げられはしない。青年が微笑みながらアイコンタクトを送れば、徐に頷いた巨兵は既に剛拳を振り翳していた。

「二番煎じなど面白くない、アドリブでも演じてもらおうか。コメットパンチだメタグロス!」
「やはりな、鬱陶しい……!」
「フライゴン、だいじょうぶ、ですか……!?」

 そして赫灼の焜燿が満ち満ちた龍脈になど臆さず地面を殴り付ければ、フィールド全土が捲り上げられる程の激甚たるエネルギーが地に溢れて。
 戦場を深く陥没させなお余り有る膨張せし銀河が凄絶なるW煌となって迸り、逆巻く怒濤の耀きに呑まれたフライゴンは耐えられずに吹き飛ばされてしまった。

「君達は今までよく励んだよ、心の羅針を頼りに独り彷徨い続けて。だが……我らとて航路は譲れない!」

 同じ暗夜の闇に囚われて……降り止まない雨に打たれた少年は、それでも歩みを止めずに遠く彼方に霞む導を観た。
 けれど自ら愛しい世界を滅ぼした青年は俯いて追憶の残照を振り返り、いつまでもその場に留まって嵐の底に佇んでいる。
 互いに夜を越えんと願いながらその足跡は交わらず──掲げられた鉄鎚には冴え渡る音を鳴らしながら不香の花が咲き誇り、美しく煌めく冷気が闘争の坩堝に舞い躍った。

「六花に抱かれて眠りたまえ! 引導を渡してあげようメタグロス、れいとうパンチ!」
「……っ、ドラゴンクローで受け止めろぉっ!」

 すぐさま体勢を立て直したものの既に眼前へ巨兵の剛腕が迫っていて……咄嗟に双爪を構えるが、急拵えの付け焼き刃では守り抜けない。
 豪悍なる蒼き龍爪が容易く砕かれ両腕ごと打擲されれば、忽ち創傷部から凍り付いていき。剛拳の衝撃を緩和することさえも叶わず、真っ直ぐな軌跡を描いて吹き飛ばされてしまった──。

「フライゴン……ウソ、ですっ!?」
「フ、効果は抜群だ。ドラゴンとじめん、二つのタイプを併せ持つ君の相棒にとって致命傷に等しいだろう」
「そんな、そんな……!?」

 受け身すら取れずにツルギの傍まで転がったフライゴンは腕から胸部、満腔へと凍結が駆け抜けていき──尖爪を構え双眸に討つべき仇を捉えたまま、時の止まった氷像のように完全に凍り付いてしまった。
 蒼く澄み渡る琥珀に閉ざされたフライゴンの姿にサヤが悲鳴を響かせるが、声が返ってくる筈もない。冷たい静謐が深々と降り注いで、絶叫は誰に届くこともなく溶けていく……。

「フライゴン……お願い、します……! 立って……立って、くださいっ!」

 ひとつひとつの技が強烈なメタグロスの攻撃を幾度と浴びて、既に消耗してしまっていた。そんな状態でたとえ無傷からでも致命打になりかねない程に相性の最悪な絶凍の壊拳に撲ち殴られたのだ。
 たとえどれだけツルギとフライゴンが研ぎ澄まされていたとしても、これまで不可能を可能へ変えて来たとしても……“信じてる”などという言葉では覆せない絶望的な状況に陥って。
 半ば縋るように少女は無造作に転がる翠竜の名を叫び続けて──その目前では、少年はただ真っ直ぐに倒れ伏す己の相棒に視線を注いでいる。

「……鬱陶しい」

 思わず呆れ混じりの嘆息が零れてしまう。命の瀬戸際、或いは既に敗北が決しているかも知れない窮地に脳裏を過ったのは……苛立たしいが、圧倒的な差を前に蛮勇を掲げて楯突いてきた男の姿だった。

「こんな状況で思い起こすのが、あの臆病者の醜態とはな」

 初めて邂逅した時からそうだった。届きもしない刃を懸命に揮い、身の程を弁えず己の持たざる“強さ”に焦がれて……いつしか、チャンピオンに並び立つと謳われるポケモントレーナーさえ越えていく程にまで研鑽されていた。
 当然彼の地力では最高幹部やチャンピオン、その好敵手であり後を託されたルークには劣る。
 それでも限界を越え天運さえ味方に付けて、逆境を覆してこれたのは──共に険しい戦いを乗り越えたポケモン達を、“絆”を信じていたからだ。

「どうしたフライゴン、俺の心はまだ折れてはいない! 琥珀に閉ざされて遥かな未来まで眠るつもりか……違うだろう!?」

 ……“信頼の力”などという胡乱なものがもし存在するとすれば、それは逆境を覆す優れた利器ではない。けれど瀬戸際に命運を分かつ“何か”になるのもまた事実だ。
 辿り着くべき場所は違えど、いつか離れていく繋がりだとしても。互いに利用価値でしか捉えておらず、だからこそ同じ標を求めて旅路を歩んだツルギとポケモン達の間にも確かな絆が紡がれてきた。
 “力”という寄る辺に集い、共に茨の道を辿ってきたポケモン達を──嵐が吹き荒ぶ暗澹の底へ投げ出され、なお折れずに微かな導を追い求めた己の魂とも言える相棒を信じている。
 故に絶体絶命の窮地に陥っても、少年は諦めなど抱かずに相棒の再起を待っていられる。それは理屈を並べ立てる推測ではない、巡り降り積もる星霜が導く確信なのだ。

「ツルギ、フライゴン……」

 もう指先ひとつ動かせず、双眸を覆う赤いレンズは激闘で負った傷によりひび割れて、僅かな隙間から入り込んでくる冷気に目を開けることさえ叶わない。
 死者を弔う棺に閉じ込められたかのような閉塞感、芯まで冷えていく体からはあらゆる感覚が失われていく。
 視覚を閉ざされ、五感が凍り付き、意識が闇に蝕まれて塗り潰されていく絶望的な感覚に包まれて──思い起こすのは、初めて幼い赤子へと導かれた日のことだ。

『これからよろしく頼むよ、ナックラー。僕は仕事であまりいっしょに居られない、だから君も……この子の家族になってあげて欲しい』

 科学の粋が集いし摩天楼が高く聳える不夜の都市、その北端に設けられた研究施設群。そこで生まれ育った自分は──かつて己の父であるフライゴンと共に旅をしていた青年に誘われ、初々しく鼓動を鳴らす新たな生命と巡り逢った。

『ツルギだ、良い名前だろう? 思うままに未来を切り拓いて欲しい──そんな願いを込めたんだ』

 その赤子と過ごす時間は幸せだった。彼の母親と共に寝る間も惜しんで世話をして、二人きりの時には試行錯誤しながら不安に浮かべた涙を笑顔へ導いて、家族みんなで紡いだ日々は色褪せることなく煌めいている──。

『僕らにもしもがあれば……その時は、君にツルギのことを頼みたい』

 もしかしたら彼には予感があったのかもしれない。いや──或いは“ツルギ”という名を与えた際には、既に心の何処かで薄々予期していたのだろう。
 やがてある男の瞳に偶に掠める暗い影が同胞を裏切るかもしれない。もしその憂慮が現実になれば……世界が闇に閉ざされてしまうから。

「俺達は共にいつかの明日を願い続けていた、求めた光をまだ掴み取ってはいない! だから……目を覚ませフライゴン!」

 ──遠くから、主人の呼ぶ声が聞こえる。
 かつて彼の父親が語っていた……誰もが笑って暮らせる、争いの無い世界。人もポケモンも、誰も傷付かなくていい──そんな絵空事のような平和な明日を、心に描いて来た。
 まだ、自分達は何も成し遂げてはいない。因縁を越えて、運命を切り開き……その先に至るべき場所でようやく時が動き始める。
 だから、そうだ、こんなところで終われない。固く心に誓った想いを掲げれば……彼方に微かな導が煌めいていて。

「……遅い、待ち侘びたぞ」
「君達は……それでも立ち上がるんだね。そんな傷だらけになりながら」

 そして翠竜を蓋う堅牢にして壮麗たる凍獄に僅かな亀裂が走り、徐々に罅が全体へと広がっていけば氷柩の隙間より蒼き閃光が溢れ出し て──膨大なR耀を噴き上げながら、破片が辺りへと飛び散った。
 苛立たしげに眉間に皺寄せて悪態を吐き、しかし振り返った相棒と視線を交錯させると確かに微笑みながら頷き合って。

「やった! フライゴンは、まだ……戦えますっ!!」
「それで良い、よく俺の声に応えた!」

 “彼ら”がゴーゴート達と幾度もの逆境を越えてきたというのなら──もし今最高幹部と刃を交え、底知れぬ影に溺れることなく願いに手を伸ばしているのなら、自分も此処で止まるわけにはいかない。
 奴が奇跡とさえ思える偶然の積み重ねで求めた運命に辿り着いたのであれば、此方は誰が立ち塞がろうと必然の勝利を奪い取ってみせる。

「ドラゴンクローに凍気が減衰され仕留め損なってしまったか。とはいえ……それでも、まさか耐え抜いてみせるとはね」
「言ったろ、俺の心が屈しない限りフライゴンも斃れはしないと」

 氷獄を破り解き放たれたフライゴンが雄々しく天を衝く咆哮を轟かせれば、その羽ばたきで砂嵐が巻き起こり透き通る歌声が響き渡っていく。
 対峙する巨兵の据える紅き双眸にはほんの僅かな熱が灯されて、剛腕を翳しながら此れまでの冷徹だった貌に不敵な笑みが湛えられていた。

「俺はこの旅で培った総てを懸けて貴様とメタグロスを討ち倒し──約束の場所へと辿り着く!」
「ならば見せてみるがいいさ、時を経て研ぎ澄まされしその剣を! 我が相棒で正面から押し潰してあげよう!」

 覚悟を映した双眸が鋭く瞬き、対峙する因縁の仇敵を睨み付けて腹の底から声を絞り出したツルギは確かな笑みを浮かべて。
 彼岸に立つ青年が擦硝子の瞳で真っ直ぐに突き付けられる誓いを受け止めれば、抑えられない悦びに声高く叫び──静寂に包まれていた戦場に再び光が迸る。

「彼らの覚悟ごと押し流すんだメタグロス、ラスターカノン!」
「斬り裂けフライゴン、ドラゴンクロー!」

 威勢良く開かれた砲口から迸る白銀の洪濤に臆することなく翠竜が両腕を構え、北辰の蒼輝を湛えた龍爪が真正面から受け止めた。
 鬩ぎ合う二つの激甚なる耀きは終ぞ優劣を決することなく炸裂して、めくるめく二色が撒き散らされし宙をフライゴンが軽やかに駆け抜ける。

「何度だろうと撃ち墜とそう、サイコショック!」
「いい加減にくどいぞ、悉くの雨を灼き尽くせ! ドラゴンダイブ!」

 眼窩の奥に紅き虹彩が灯れば、四つの脳をフル稼働させて放たれた百をも越える夥しい数の念弾が驟雨の如く降り注いでいく。
 だがあらゆる弾頭は龍気を纏い飛翔する鮮烈なる軌跡に追い付けず、躱され、辛うじて捉えたところで覆いし鎧を貫くにまで至らない。

「ならばれいとうパンチ、彼らの軌跡を閉ざすんだ!」

 一筋の流星が尾を棚引かせながら天を縫い、咄嗟に指示を切り替えて凍気を纏いし拳で地面を殴り付ければ、空に咲く紫彩の花火を背に奔るフライゴンを遮るように次々と壮麗なる氷柱が衝き上げていく。

「無駄だ、どれ程堅牢な障壁だろうとフライゴンを阻めやしない!」

 降り注ぐ紫雨を灼き滅ぼし、幾重に連なる氷壁などものともせずに打ち破って。振り下ろした剛腕が迎え撃てば、数秒程の鍔迫り合いで勝敗が付いて逆巻く蒼輝の奔流が焦土ごとメタグロスを呑み込んだ。
 だが……フライゴンが誇る大技“ドラゴンダイブ”でさえ、タイプ相性もあり然程の手傷にはならず。炸裂した刹那に再び凍拳が襲い掛かり、鋼鉄の巨躯を蹴り付け離脱すると共に「だいもんじ!」吐き出した劫火は防壁に遮られて届かない。
 玲瓏の盾が瓦解すればその奥では真紅の双眸が瞬いて、主人の眼前へ降り立った翠竜が満身創痍になりながらそれでも臆することなく瞳を据える。

「実に見違えたよ、弱く惨めに地を這うだけの少年達が……空をも掴みこんなに眩く輝いてみせるのだから」

 最高幹部の誇りし巨兵は二度も効果抜群の赫灼に躯を焼かれ、半減とは言え迸る龍気を幾度と浴びて、それでもなお頽れることなく厳然と構え四脚が確かに地を踏み締める。
 ──しかし、流石のメタグロスにもようやく疲労が浮かんできたらしい。呼吸は荒くなり肩で息をしていて、心底からの感嘆に吐息を零すと主人が紡ぐ言葉へ徐に頷いた。

「だが……最早限界も近いだろう。君達の紡いだ物語はもうすぐ灰燼へと還る」
「言った筈だ、勝って貴様らが奪ってきたものを取り戻すとな。終わるのは貴様の馬鹿げた忠義だ」
「随分な自信だよ。これまでメタグロスに傷を負わせることさえ叶わなかった君が──本当に我らに敵うとでも?」
「だからこそさ。貴様が俺をここまで強く鍛えた」

 懐かしむように目を細めた少年が、瞼の裏に繰り返された敗北の屈辱を浮かべていく。
 牙を剥くことすら能わずにみすみす去り行くその背を見送った。全霊を懸けてなおただの“サイコキネシス”に平伏した。サヤと二人で挑み突き立てた鋒でさえ擦り傷にもならなかった。
 かつての自分は同胞に叛き大勢の犠牲を生んだ仇敵への復讐に囚われて──届く筈が無いのだと自覚しながら、身を灼く憎悪に任せて歯向かっていた。

「貴様の言う通りだったよ、かつての俺は弱かった。だが……今は違う、研磨されし俺の“力”に何を見る?」
「……どうだろうな。いずれにせよ君達が翳した想いの刃は砕け散る、どれ程素晴らしい業物だろうとね」

 感情に流されるな、普段自分でその心を掲げながら仇讐を前に失ってしまい、サヤに諌められてようやく冷静さを取り戻せた。感傷に惑わされず、己が為すべき使命を果たす──もう、同じ轍を踏みはしない。
 地を掴み構える鋼鉄の巨兵は眼に明確な敵愾心を宿し、彼岸に佇むポケモントレーナーへと瞳を据えた。
 かつて取るに足らなかった一振りの剣は──鞘から抜き放たれた今、運命を縛る鎖さえ断ち切らん程に靭く鋭く研ぎ澄まされている。
 惑わぬ辰極のように耀く蒼き刃は、きっと深く底知れない闇さえ斬り裂き希望を齎す。それでも……主人が願うのであれば、その鋒を砕き折るのに容赦も躊躇も抱かない。

「接近するんだメタグロス、れいとうパンチ!」
「良いだろう、迎え撃てフライゴン! ドラゴンクロー!」

 後脚を折り畳んで弾丸の如く放たれた鉄塊の翳した氷拳が振り下ろされて、両腕から迸る蒼輝が束ねられ顕現した龍爪が掬い上げるように薙ぎ払われる。
 互いの右拳がぶつかり合えば地を踏み締めた翠竜が辛うじて剛腕に潰されることなく押し留めて、ならばと放たれた左フックを左爪で受け止めた。
 どちらともなく腕を引けば剣戟の如く幾度と爪拳を打ち付け合って、両者譲ることなく目まぐるしい剣戟が重ねられていく。
 此処までずっとその背を追い掛けて──世界の命運が決まるこの日に至って、ようやく同じ場所に立つことが出来た。
 二匹の織り成す殺陣は終ぞ白黒が付くことなく、どちらともなく飛び退れば間髪入れずに指示が飛ぶ。

「息吐く暇など与えん、だいもんじ!」
「その言葉そのまま返してあげるよ、ラスターカノン!」

 翠竜の口元に龍気の混ざった紅き炎が迸り、威勢良く開かれた顎に逆巻く白銀の粒子が収束する。満ち満ちた波動は夥しい破滅の螺旋となって降り注ぎ、た走る五条の熱線が真正面から衝突。
 辺りが焼け爛れていく凄烈なる光炎の鬩ぎ合いは徐に膠着が崩れながらも辛うじてフライゴンは持ち堪え、やがて剛猛なるエネルギーの相剋が限界を迎えればどちらともなく派手に爆ぜた。

「随分足掻いてみせる、れいとうパンチで封じ込めるんだ!」
「……っ、飛べフライゴン! ドラゴンダイブ!」
「逃がしはしないよ、君という残骸は必ず葬り去る。メタグロス、コメットパンチ!」
「鬱陶しい、いつまでも全域を統べられると思うなよ!」

 爆煙を突き破り眼前へと現れた鋼鉄の巨兵の右腕には六花を散らす程の凍気が溢れていて、再びその技を喰らってしまえば流石に耐えられない。
 すかさず迫る寒冷を置き去りに急上昇して壮烈なR燿を放つと、あらゆる闇を灼き祓う極辰を流星となり宙を奔る。
 だがそう易々とは逃げられない。高く飛翔する翠竜を追い浮上せし鋼塊はその鉄鎚に悉くを滅ぼす銀河を束ね、絢爛棚引かせし灼爍たる彗星となって虚空を貫いた。

「でも、これじゃ……また、追いつかれて、しまいますっ!」
「先刻の攻防を忘れたかいツルギ? 君達ではメタグロスの裁きから逃れられない!」
「どうやら貴様の刃は鈍っているらしいな! 誰が尻尾を巻いて逃げると言った、俺とフライゴンは闘いの中で進化している!」

 そう、ツルギの言葉は虚勢や意地などではない。決して敗けられない背水の覚悟と信じ合える惑わぬ絆が、限界を越えた未知なる領域へと相棒を導いているのだ。
 背後に迫る銀影が少しずつ距離を詰め始めて、しかし少年の叫びに呼応するように“ドラゴンダイブ”は更に激しく耀いてスピードを増していく。
 やがてメタグロスの飛行速度さえも越えて、更に疾く──すかさず主人とアイコンタクトを取ったフライゴンが宙に鮮やかなインサイドループを描いた。

「君なら何か仕掛けてくるとは思っていたが……」
「やった、これでメタグロスが……前に、行きましたっ!」
「今の貴様と同じシチュエーションだな、エドガー。これで立場は逆転した、今更逃げられると思うなよ!」

 目先で軌道を変えて鮮やかな一回転を披露した竜に合わせてすかさず追走を試みたメタグロスだが、空中制動能力ではどうしても劣り諦めざるを得ない。
 ついにフライゴンに背後を取られ、この局面に至って速度で後塵を拝したことでとうとう状況が急転したのだ。

「すごい、ですっ……! フライゴン、やっちゃえ!」

 前へ躍り出てしまったメタグロスをフライゴンが追い駆けて。天翔る竜を振り切ることは叶わないが、振り返って迎え撃つには遅過ぎる。
 縦横無尽に空を裂く二つの軌跡はやがて次第にその距離を縮めていき──とうとうそのめくるめく尾を掴まえた蒼き閃影が、背後から鋼塊を貫いた。

「ようやく巡った好機を逃すな、最大火力で灼き尽くす! 放てフライゴン──だいちのちから!!」

 溢れ迸る煥炳たる照燿に呑まれながら制御を失ったメタグロスの巨体が墜落し、咄嗟に体勢を立て直して着地した時には既に足元に亀裂が駆け抜けていて。
 回避も防御も間に合わない、この大技は相当な深傷を負ってしまうだろう。それでも──決して斃れはしない、ならばこちらも腹を括るべきハイライトだ。

「良かろうツルギ、此方も持ち得る限りの敬意を以て応えようじゃないか!」

 そして黄土の宝石が砕け散れば地を奔る龍脈より噴き上げた膨大な赫爍は戦場全土をも覆い、とめどない灼熱が視界一切を紅く染め尽くしていく。
 “じめんのジュエル”により威力が強化されたそれはあらゆる命を、遍く地平をも焼き亡ぼしてしまうのではないかと錯覚してしまう程に熾烈な界滅の劫火。
 はがねタイプを備えるメタグロスには効果が抜群だ。流石の巨兵と言えど死闘により消耗し、此処に至ってその技を浴びるのは相当堪えたらしい。
 金属音にも似た重低音の怒号が轟いて──しかし、迸る焜燿の底で巨躯の影が徐に揺れる。

「耐えろフライゴン、ここを越えれば……求めた光に手が届く!」
「君達の叛逆は此処で終わりさ。此処までよく持ち堪えたよ、素直に称賛を送ろうじゃないか。だが──そろそろ終止符を打とうメタグロス、コメットパンチ!」

 さながら無辺の闇に逆巻く銀河を貫くクェーサーの如く。高く掲げられた鉄鎚の先で煌めく宝石が砕け散れば、集いし膨大なる白銀は世界を塗り潰す程に目眩く閃爍を溢れさせていく。
 赫灼を裂き、流れる洪濤が貫き、双掌で地を掴み全霊を振り絞って命の限りを懸ける翠竜目掛けて奔出せし大彗星の齎す厄災は、燎原ごと何もかもを呑み込んで──。
 凄まじい勢いで吹き飛ばされたフライゴンが背後の壁面に激突してなおその威力は有り余り、一面を覆う程に深く陥没した中心から剥がれ落ちた竜が無抵抗のまま倒れ地に臥した。

「……そんな、フライゴン……!? ……ツルギ……!」
「ああ、フライゴンに残された刻はもう僅かだ」

 体中の骨が粉々に砕けてしまったのではないかと錯覚してしまう程の凄まじい激衝。“はがねのジュエル”から迸るエネルギーにより強化されたコメットパンチに直撃して、これまでの消耗を考えれば耐えられる筈がない。
 それでも……まだ、その心まで頽れてはいない。倒れ伏したフライゴンは今にも沈み落ちてしまいそうな意識を必死に繋ぎ止めるように、割れそうな程に歯を食い縛り……朦朧とした眼差しで、なおも追い続けた仇を見据えながら。

「だが、俺達はまだ斃れん」

 指先が微かに砂を引っ掻き、静寂に雄々しき絶叫が響き渡っていく。鼓膜を震わせ躯の芯まで届くその咆哮は決して折れない不毀なる心の現れ、過去を越え閉ざされた未来を開くのだという揺らがなき覚悟。
 割れたレンズの内で瞬く利剣の双眸で確かに仇敵を睨み付けると、ついにフライゴンの左掌が焦土を握り締めた。
 脳裏にはツルギと積み重ねた時が蘇り、仲間と過ごした日々は今にも凍り付いてしまいそうな鼓動に灯を点して──雄叫びと共に両腕で自重を支え片膝を立てれば、双脚で地を踏み締めてとうとう再び起き上がった。

「……それが、君達の覚悟ということか」
「フライゴン……信じて、ましたっ!」

 美しい旋律が響き始めて、呼応するように砂嵐が巻き起こっていく。ツルギに、サヤに、希望を託してくれたポケモン達に見守られながら、ついに菱形の翼が羽ばたいて翠竜は高く天へと舞い昇る。
 体力はとうに限界へ達している、次に技を放てば精魂は枯れ尽きてしまうだろう。それでもあの日の影を脳裏に浮かべて……彼岸に立つ鋼鉄の巨兵は、息を荒げながら此方と視線を交わらせた。

「確かにお前の言う通り──俺の旅路は、苦しみに満ちていたよ」
「懐かしいね……あの頃の君は、愚かで可哀想な少年だった」

 ゴルドナシティ。オルビス団総帥が進軍したその際に対峙した最高幹部が瞳に憐憫を湛えながらそう告げた。
 長く険しい茨の道を歩み続けた少年の体に刻まれた傷痕に、心の底に澱む昏い影に、寄る辺も知らず彷徨う荒涼とした眼が余りにも居た堪れずに。

「だが俺は、自分を不幸だとは思わない。この手の中には眩し過ぎる光がある」
「そうだろうね──今の君は、見違えたように鋭く研磨されている。この私が全霊を賭してなお折れない強さなのだから」
「……ようやく見えてきたよ、俺が俺である意味が」

 けれど今は違う、胸を張ってあの頃の己に誇れる。
 これまで多くのものを擲ってでも歩んできた。数え切れない程誰かを傷付けて数多の嘆きを、悲しみを、憎悪を向けられてきた。
 それでも決して脚を休めずに道を踏み締めて辿ってきたのは、過酷で険しい旅路だったが……進み続けた意義は気が付けば掌に握り締めていて。

「ここで斃れるつもりはない、俺はこの手で明日を拓く! 舞えフライゴン、次で決めるぞ!」

 かつてサヤを助けたこと、鬱陶しく楯突いてきた奴らのこと、オルビス団への叛逆、数え切れない程繰り返したポケモンバトル──掴み取ったレゾンデートルを噛み締めながら標した足跡を思い起こして、吐息を零すとその双眸が見開かれた。

「この一撃で決着を付ける、十三年前から続く因縁に! 受けるがいいエドガー、これが俺の──俺達の希望だ!」
「此処で終わらせよう、君達の敗北という幕引きを以て! 受けて立とうツルギ、過去も未来も……悉くの光を打ち砕き闇へ葬る!」

 残された命の限りを振り絞り、怒号を轟かせたフライゴンから溢れ出した逆巻く蒼輝が収束して鎧の如く総身に纏う。
 メタグロスが翳した鉄鎚には夥しい白銀の粒子が逆巻く銀河の如く迸り、地の果てまで滅ぼしてしまう極大なるW煌が収束していく。
 高鳴っていく二匹の力に大気が鳴動し、世界さえも震撼させて、今にも吹き飛ばされてしまいそうな光の嵐を広範に標して──そして、ついに双星が奔った。

「絡み付く影を灼き祓う──フライゴン、ドラゴンダイブ!!」
「星亡き宙に還るがいい、メタグロス……コメットパンチ!!」

 龍気を纏いしフライゴンは高く空へと飛翔して、後脚で焦土を踏み締めたメタグロスは魂を込めて剛腕を突き出した。
 総てを懸けて解き放たれた二つの大技がフィールドの中心でぶつかれば刹那凄まじい衝撃波が拡がって、吹き飛ばされそうになった幼い少女は慌ててツルギに縋り付く。
 そして満身創痍の中に照り輝く最期の眩耀は煥然と燃えて、互いを喰らい貪らんと凄絶なる蒼銀の奔波を撒き散らしながら譲ることなく鬩ぎ合い。

「エドガー、俺は貴様を赦すつもりはない。だが……ひとつだけ、感謝しているよ」
「……この局面で、何を口走るかと思えば」

 蒼くめくるめく流星の鋒と白銀に光り渡る彗星の穂先は互いに譲ることなく、膨張せし凄まじいエネルギーが衝突した余波で忽ち戦場が焼き爛れていく。
 漆黒に蒼き静脈が波打つ壁面にも次第にヒビが駆け抜けて、この閉ざされた室内では収まり切らない程に眩く輝き続ける炳乎の渦中に──ふと、ツルギが仇敵に向けて険しい面持ちのままに語り掛けた。

「俺にとって、ポケモンバトルはただの手段に過ぎなかった」

 脳裏に過ぎるのは、この旅路の道中で交わしてきた様々なバトルだ。圧倒的な差による蹂躙、捕まえたばかりのポケモンの可能性を計る資金石、己よりも遥かに磨き上げられたトレーナーから勝利を奪い取る熾烈な攻防。
 数え挙げればキリがない程に多くの闘いを潜り抜けてきたが……本来であれば人とポケモンが心を通わせ合う筈の真剣勝負も、彼にとっては経験値を稼ぎ遥かな高みへ到る術でしかなかった。

「今もその心は変わっちゃいない。これからも俺は、誰の為でも無い──己の為に刃を揮うだろう。だが……」

 瞼の裏には今もこの旅で触れて来た多くの人とポケモン達の姿が灼き付いている。傷付いてうちひしがれた者、憎悪に道を踏み外した者、それでも前を進もうとする者……数え切れない人々が、オルビス団により人生を狂わされていて。
 だから心を殺して剣と為し、独りで戦い続けていた。己だけが傷付けば良いと他者との繋がりを拒んで心を寄せ付けないように振る舞い、一振りの剣として降り止まぬ闇を斬り裂かんと駆けていた。

「貴様のおかげで俺はサヤと、心から信じられるポケモン達に巡り逢えた」

 賞賛、羨望、嫉妬、屈辱──下した相手から向けられるあらゆる感情に蓋をして、他者へ興味も関心も持たず、ただひたすらに己の“力”を研ぎ澄ませる。
 そうして誰にも背負いし重責を譲らず走っていた筈が……大敗を経て揺れる水面にある少年が小石を投じて、サヤとの邂逅により段々と大きな波へ移ろい始めた。

「この旅で出会った奴らが、いつしか失ってしまった心を取り戻してくれた。俺とナックラーは──ようやく、この極点まで辿り着けた」

 彼らがひとつの願いを寄る辺に想いを集わせていたように、自分達もいつの間にか同じ憧憬を心に描いていたのだろう。
 気が付けば柵に囚われてしまい、いくら断とうとしても切り離せぬ繋がりに星の廻りが嘲笑って。ただ一人生き残った者として担っていたその重荷を、気が付けばポケモン達も勝手に背負っていた。

「だから……俺は貴様を越えていく、過去を断ち切り未来を紡ぎ出す! 運命に囚われるのはここで終わりだ──闇を果てまで照らし尽くせ!!」
「まさか……ツルギ、君は……!?」

 誓った約束は今もこの心に灯っている、自分に希望を繋いで散っていった仲間達の想いを背負っているのだ。これまでの旅で培ってきた総てを懸けて必ず勝利を奪い取る。
 ツルギが不毀なる決意を叫び、フライゴンが雄々しく咆哮を轟かせれば──深蒼の光がより眩くその輝きを増して、譲ることなく鬩ぎ合っていた双星の拮抗がついに崩れた。

「ツルギ、フライゴン……がんばれーっ!!」

 濡羽色の長髪の少女が声援を送り見守る焦土に、蒼き辰極は余りにも熾烈に煌めいていて。
 白銀の焜燿はそれでもなお踏み留まってみせるが、境界を越えて二色の混ざり合う渾沌を迸る龍気が徐々に塗り潰していき──ついに、永きに渡る因縁が終幕を迎えた。

「さようなら……今まで、ありがとう」

 不動で聳えし忠義の矛先も、心に澱む昏き闇も、かつて悉くを葬り去った罪咎も……溢れ出す蒼き奔流は何もかもを灼き尽くしていき、誰かがぽつりと呟いた。
 そしてとうとうロッシュ限界に達したメタグロスは微笑を湛えながら眩い星芒に押し流されて、舞い踊る爆風の中にいつか聴き馴染んだ懐かしい歌声が響き渡っていく。
 敗北を悟った青年が瞼を伏せる間際に望んだのは──闇を裂く希望に彩られた、透き通る辰極の耀きだった。

■筆者メッセージ
サヤ「ついに…エドガーさんに、勝ちましたっ!!」
ツルギ「鬱陶しい。言った筈だ、奴は通過点に過ぎないと」
サヤ「そう、ですね…まだ、倒さなきゃいけない人は、残ってます。でも…」
ツルギ「…ああ、今だけは余韻に浸ればいい。やるべきことがあるからな」
サヤ「もうすぐ…みんなに、会える。すごく、うれしいです…!」
ツルギ「あくまで可能性に過ぎないがな。ぬか喜びして絶望するなよ」
サヤ「だいじょうぶ…分かる、です。みんなが、あそこにいるのが…!」
ツルギ「なら良い、喚かれたら耳障りだからな」
サヤ「…ここまで、タイヘン、でしたね。でも、信じて、ました」
ツルギ「後ろで騒いでいた奴がよく言う」
サヤ「それは…!やっぱり、ちょっとだけ、心配で…でも、うれしかったです。わたしと会えて、感謝してるって…言ってくれて」
ツルギ「…稀にだがな。やはりお前と話すのは面倒だ」
サヤ「ううっ!やっぱり…キビしい、ですっ!」
せろん ( 2023/05/19(金) 19:17 )