ポケットモンスターインフィニティ



















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第十五章 闇を裂く星辰
第136話 幾千の夜を越えて
 ──世界の行く末が決する運命の日に繰り広げられる死闘は熾烈を極め、互いに譲ることなく攻防を織り成す二人のポケモントレーナーが敵愾心を露わにして睨み合う。
 外に跳ねた黒髪に惑いなく瞬く蒼き双眸、臙脂のチェスターコートを羽織った少年。利剣の如き鋭い眼差しで焦土と化したバトルフィールドを望む彼の名はツルギ。
 多くの犠牲を踏み越えて、強くなる為ならば手段を選ばず、いつかに誓った約束を標に何度でも壁を乗り越えた。不可能と思える逆境でさえ潜り抜けて……そして、今此処に在る。

「待たせたな、ようやくお前の時が巡って来た」

 左手に握り締めたモンスターボールの中で待つのはこれまで温存され、バトルの趨勢を見守っていた強大なるポケモンだ。
 激しく闘志を昂らせ、戦場を睥睨する朱殷の眼を彩るのは本能から湧き上がる破壊の衝動。かつて刻まれた傷痕は未だに疼き燻っていて──徐に瞬いた少年が、微笑を零して頷いてみせる。

「まさか此処まで切り込まれてしまうとはね。そろそろ君に頼らなければならないらしい」

 向かい合う彼岸に佇み相対するのは艶やかな紫の長髪を靡かせて、真っ直ぐに決意の鋒を翳す少年を菫色の瞳で見遣るオルビス団最高幹部エドガー。
 新たに黒地に金の紋様が描かれたハイパーボールを掴み取れば、眼前に構えたカプセルの内に眠るポケモンは此処まで出番を待ち侘びていて。
 菖蒲のトレンチコートをはためかせると、これから始まる闘争とはおよそ似つかぬたおやかな微笑みを浮かべて副将と瞳を交わし合った。

「がんばって、ください……ツルギなら、あなた達なら、ぜったい勝てますっ!」

 ツルギの背後で両手を重ねて祈りと共に声援を送るのは濡羽烏の長髪、信頼に黒曜石の瞳を輝かせる白いワンピース姿の少女サヤだ。
 少年に残されたポケモンは三匹、かたやエドガーの手持ちはあと二匹だが……既にフーディンは満身創痍だ、これまで圧倒的な実力を前に敗北を重ねたことを思えば未だに優勢とは言えないだろう。
 それでも彼女は信じている。勇壮なるその雄姿をずっと傍で見てきたから──彼らなら必ず未来へ辿り着けるのだと。

「最後の砦はすぐそこだ! 現れろギャラドス、その暴威を揮い歯向かう者を打ち砕け!」

 勢い良くモンスターボールを投擲すれば赤き軌跡が空を裂き、色の境界から二つに割れると眩い閃光が溢れ出していく。
 纏わりつく真紅の粒子を払うは天を衝く三叉の蒼角、長い髭を蓄えていて湖の如き青を湛えた堅牢なる鱗に覆われし巨躯の滄龍。
 争乱に呼応するように何処より訪れ、灼熱の炎を以て総てを破壊し尽くす。伝承に謳われ人々に恐れられるきょうあくポケモンのギャラドスが、溟き水底から天さえ震わせる程の威圧を纏いし獰猛なる咆哮を轟かせた。

「……ああ、ここであの夜の雪辱を果たすぞ」

 十三年前エドガーによってルリシティの研究施設が悉く滅ぼされた嵐の夜に、悪虐を砕かんとしたギャラドスは彼の操る鋼鉄の巨兵によって湖の底深くに沈められてしまった。
 意識が途切れゆく間際に視界に映された青年の悲痛な表情は、その眼前で冷たい吐息を零す相棒の昏き瞳は今でも瞼の裏に灼き付いている。
 だから此処で立ち塞がる宿敵を薙ぎ倒し、新たな世界を創らんと翳された鉾先を砕かなければならない──失われた光が取り戻せなくなるその前に。

「此方とて容易く押し流されはしないさ、如何なる嵐も堰き止めてみせよう! 出でよミロカロス!」

 対してエドガーがハイパーボールを投擲すれば、金色の紋様が刻まれた黒白の球から眩い赤気が迸り巨影が象られていく。
 歌うように美しく澄んだ声を響かせながら長蛇の体躯がしなやかに伸び、虹色の鱗を煌めかせる麗魚は紅い眼を瞬かせると尾びれを扇子のように繊麗に広げてみせた。
 人々が争いを始めると澄んだ湖の底より浮上して、怒りや憎しみに荒んだ心を癒す力によって争いを鎮めると旧くより民間に語られる壮麗を纏いし竜魚。
 最も美しいポケモンと呼ばれ、絵画や彫刻のモデルにも選ばれるいつくしみポケモンのミロカロスだ。

「前回は決着を待たずに退いたが……」
「此処まで至っては是非もない、心ゆくまで臨もうじゃないか」

 以前研究施設跡で繰り広げた戦いは共に満身創痍へ陥り交代したが、今回は既に両者著しく手駒を消耗している。明暗が分かれるまで退くことはないだろう。
 滄龍が耳を劈くけたたましい威嚇の怒号を響かせて、麗魚の体が僅かに竦み気圧されるが青年は意にも介さない。
 ギャラドスの特性“いかく”は対峙するポケモンを恐怖で竦ませて攻撃を下げる効果を持っているが……特殊攻撃の技を主軸とするミロカロス相手にはさしたる問題にならないからだ。

「ギャラドスなら……ぜったい負けません! がんばって、ください!」

 これまでツルギのギャラドスはどれ程のポケモンを前にしても引けを取らなかった。確かにミロカロスは難敵だが……それでも彼ならばどんな逆境でさえ跳ね返せると、サヤはそう信じている。
 自らに声援を送ってくる少女を視界の端に映した滄龍は小さく頷いて、それから厳粛たる佇まいで臨む麗魚を睨み問い掛けるが……ミロカロスは投げ掛けられた声など一喝の下に捻じ伏せた。
 もう戻れない、今更止まれる筈がない、言われずとも気が遠くなる程の自問自答を繰り返した。そして導かれたのがこの結論だ──断腸の思いで進み続けよう、忠義を尽くした果てに心が壊れてしまうとしても。

「如何なる堅牢さを誇ろうと……正面から打ち倒してやろう! ギャラドス、アクアテール!」
「破壊の神と謳われる凶龍か──相手に取って不足はない! ハイドロポンプだミロカロス!」

 暫時互いの僅かな隙を窺うように用心深く感覚を研ぎ澄ませて睨み合い、しかしこのままでは埒が明かないと判断するや否やどちらともなく動き始める。
 天井さえも覆い尽くす程に夥しく逆巻く蒼き大渦を噴き上げて、破壊を齎す滄龍の尾が渾身の力で振り下ろされた。対する麗魚が翳した砲口からはあらゆるものを呑み込み押し流す洪水の如き凄烈たる怒濤が奔り抜けていく。
 他のポケモンを凌駕する脅威を秘めし二匹が内に宿りし波濤を解き放てば、堰を切り溢れた激流が猛威を以て迸り──共に悉くを喰らい尽くして彼方へ攫う二つの技が一切の容赦なく真正面から激突した。

「やるな……!」
「ほう、我がミロカロスを相手によく食い下がるよ!」

 双方押し寄せる激流の穂先は途轍もない衝撃で鬩ぎ合い、抑え切れずに零れ出していく余波だけでさえ辺りの大地が深く抉られ吹き飛ばさる。
 それでも──お互い譲らない。その趨勢に決着が付かずにどちらともなく炸裂すると、駆け抜ける驟雨のように暫時水の飛沫が降り注いだ。

「だったらこいつはどうだ、ぼうふう!」
「正面から受けて立とう。ミロカロス、ふぶき!」

 滄龍の咆哮へ呼応するように長髭が瞬けば、体を裂き何もかもを吹き飛ばす烈風が唸りを響かせ暴れ出す。
 麗魚が透き通る声で天を仰いで唄えばたちまち大気が凍り付いて、照明を映し煌めく雪花を伴い極低温の冷気が駆け抜けていき──。

「ふたりとも……すごいパワー、です……!」

 一陣の暴風と吹雪によって織り成される相剋は凄まじく、フィールドの中央を境界としてかたや凍土が築かれて、かたや地に深く爪跡が刻まれていく。
 視界に映る悉くを巻き込み吹き荒れる二つの技が繰り広げる凄絶なる拮抗に終ぞ決着は訪れず、やがて嵐と豪雪が降り止めば僅かな凪が戦場を包み込んだ。

「……っ、やはり容易くは崩せないか」
「大したものだよ、真っ向からミロカロスを相手取ってなお伯仲するなんて」
「当然だ、これから貴様を討つのだからな」

 昨日に繰り広げられた研究施設で交わした勝負でも対面で衝突した二匹は拮抗していた。カビゴンを討ち、ミロカロスとも互角のバトルを織り成す──それは決して偶然と幸運の連続では為し得ない。
 叛逆を掲げて少年が翳した雌伏の刃はそれ程までに剛く、鋭く研鑽されたのだ。心から溢れる素直な賞賛を贈れば固く拳を握り締めたツルギが声高く叫ぶ。

「最後に征するのはこの俺だ! 灼き払えギャラドス、かみなり!」
「此度は確実に龍を討つ、ハイドロポンプ!」
 
 滄龍の髭が輝けば眩い火花が弾け散り、音さえ抜き去る夥しい稲妻の束が撃ち放たれるとエドガーは懐かしむように目を細めた。
 その眼前では麗魚が天を仰いで虹色の鱗を輝かせて、膨大な怒濤を以て受けて立つ。
 迸る奔流と夥しい雷熱が鬩ぎ合えばその猛々しい衝撃によって水蒸気爆発が巻き起こり、しかし白煙の中をなおも駆け抜ける霹靂を喰らい尽くした激流は、そのまま滄龍さえも呑み込んでいき──。

「だろうな。肉を切らせて骨を断つぞ、ストーンエッジ!」

 だがみずタイプを有するギャラドスを相手にハイドロポンプは効果がいまひとつだ。確かに脅威的な威力ではあるものの、彼を削るには然程の手傷になどなりやしない。
 怯むことなく雄々しき咆哮を轟かせれば列を成す石柱が幾重に地面から衝き出して、胴を貫かれた麗魚はそのまま宙へと撥ね上げられた。

「──成る程。ならば我らも返させてもらうよ、れいとうビームだミロカロス!」

 当然エドガーは即座に応えた。美声を響かせたミロカロスの口元には白く冷たい息が踊り、直後に絶凍の光線が空を穿てば数多の氷柱が形成されていく。
 未だ視界は白煙に覆われていて、その総てまでは把握出来ない。風切り音を頼りに身を捩らせて可能な限りに避けようとするが……躱し続けるにも限界があり、降り注ぐ紡錘形の巨氷塊が次々にギャラドスを貫いてしまう。

「私も同じさ、ツルギ。この対面に備えていたんだ」

 ようやく晴れ行く視界の中で後ろ手に組んだエドガーが、笑みを浮かべながら滄龍を一瞥して半ばひとりごちるように呟いた。

「君は我がミロカロスを討たんとギャラドスを投じてくる、構成も変えてくるだろう。だから私も調整しておいたのさ、その龍と相見えることを想定してね」

 元々少年は此方を警戒していたのだ。既にミロカロスの奥の手まで見せてしまっている故に変わり映えのない策など通用する筈がない。
 だから持ち物も、技も互いに改めている──確実に勝利を掴み取る為に。微笑みながら語る青年の眼前で突然麗魚の体が炎上し、怪訝そうにツルギが眉を顰める。

「貴様のミロカロス、持ち物は『かえんだま』か」
「ツルギ……今の、ミロカロスは……」
「ああ、竜の鱗鎧を纏っているも同然だな」

 ミロカロスに備わる特性は三つある。相手の技や特性で能力が下がれば特攻が倍増する『かちき』と、直接攻撃を受けた際に確率で相手をメロメロ状態にする『メロメロボディ』。
 そして何よりも厄介なのが状態異常に罹ってしまった際に防御が上昇する『ふしぎなうろこ』だ。

「実に正鵠を得ているね。そして被弾した際のリアクションの薄さ……君のギャラドスの持ち物は『とつげきチョッキ』だろう、違うかい?」
「……ハ、こうも易々と見透かされれば鬱陶しいな」

 流石に最高幹部を相手に隠し通せる筈がない。彼の推測通りギャラドスが装備しているのは『とつげきチョッキ』、変化技が使用不可となる代償と引き換えに特防を上昇させる効果を備えている。
 当然ミロカロスとの対峙に特化した構成だ、元々の耐久も合わさって生半可なことでは沈まない。故にこそ……険しい闘いになることは避けられないだろう。

「だが俺も貴様のミロカロスの技構成は見当がついているさ──臆するつもりはない、立ち塞がるものは捩じ伏せる! ぼうふう!」
「ああ、私達もとうに腹は括っているよ。れいとうビームで防ごうか!」

 滄龍の髭が輝くと吹き荒ぶ暴風が砂塵を巻き込んで、何もかもを喰らい尽くして消し飛ばす乱渦が肌を裂く程の猛威を以て暴れ回る。
 対して麗魚は吐き出した冷気によって豪壮なる氷の障壁を形成すると猛り狂う風害を凌ぎ、空気が凪いだ瞬間に跳躍して強靭な尾の薙ぎ払いで氷塊を砕けば幾多の破片となって飛散した。

「鬱陶しい……数を揃えても無駄だ、アクアテールで蹴散らせ!」
「そう容易くあしらえるかな? ミロカロス、ふぶき!」
「侮られたものだな、無駄だと言っただろう!」

 意趣返しと言わんばかりに解き放たれた吹雪は戦場全土を凍て付かせる程の冷気で奔り、舞い踊る白雪が幾多の破片を補強すれば巨大な氷塊となって雹を引き連れ襲い来る。
 それでもギャラドスを崩すには至らない。高層ビルでさえ容易く倒壊させる怒濤の激流で易々と打ち砕き──だが、氷礫に紛れてミロカロスが懐に潜り込んでいた。

「しかし此の距離ならば避けられまいさ。覚悟すると良い、ふぶき!」
「それがどうした、この程度で尻尾を巻いて逃げる程臆病ではない。ストーンエッジだギャラドス!」

 吹き荒ぶ白銀の嵐に凍て付きながらも岩柱を突き立て、けれど麗魚は吹き飛ばされる直前に軽やかに跳躍することでダメージを殺してみせる。

「ダメっ、ぜんぜん効いてません!」
「分かっている。ならば二の太刀だ、アクアテール!」

 ならばと勢い良く振り下ろした奔流が麗魚を呑み込むが、相性の不利故に深く傷を刻むには至らない。地面に叩き付けられなお逆巻く波濤に押し流されたものの、身を捩り鱗を虹色に輝かせれば容易く海嘯を散らして声を響かせた。
 ……奴の命は継続的に体を焦がす“やけど”によって徐々に削られている。それでも鱗鎧を貫くまでには至れずに、相討つことさえこのままでは遠い。
 やはりふしぎなうろこが発動している今のミロカロスを崩すには、特殊技で弱点を狙う他に選択肢は望めないだろう。

「不可能さ、ただ暴威に委ねて我がミロカロスを崩すことなど。さあツルギ、君が選べる道は二つに一つ──どうするつもりだい?」
「ここに至って躊躇うとでも思っているのか? 良いだろう、望み通り虎穴に飛び込んでやる!」

 これまでの戦況から導かれし厳然たる事実を粛々と告げれば、不敵な微笑を湛えて眉間に皺寄せながらツルギが叫ぶ。
 今更リスクを恐れて勝機など掴めない、踏み込まなければ待つのは敗北だけだ。ならば必ず訪れる筈の好機を見極めて、無理矢理にでも勝利を奪い取る。

「攻め込むぞギャラドス、ぼうふうだ!」
「さあ、君が如何にして切り崩すつもりか確かめさせてもらうよ──ふぶき!」

 吹き荒ぶ暴風と荒れ狂う吹雪がフィールドの中央で衝突すればかたや巻き上げられた砂塵が目まぐるしく撒き散らされて、かたや白銀の嵐が視界に映る悉くを凍り付かせていく。

「譲らないか……ならばストーンエッジ、突き穿て!」
「ハイドロポンプで迎え撃つんだミロカロス!」

 譲ることなく織り成される鬩ぎ合いは、しかしこのままでは埒が明かない。両者が同時に新たな指示を飛ばせば堰を切り溢れ出した膨大な波濤が滄龍を呑み込み──しかし身を攫う逆流には慣れている。
 怒号を轟かせれば数多の岩槍がミロカロスの四方八方から隆起して、鱗に護られた堅牢なる体を貫いてみせた。

「あっ、ツルギ……今、ミロカロスが!」
「ああ、奴の急所を貫いた」

 それまで如何なる技に被弾しても大した反応を見せなかった麗魚がほんの僅かに顔を歪めた。
 ストーンエッジには『急所に当たりやすい』という追加効果がある。たとえ“ふしぎなうろこ”の発動により鉄壁の耐久を誇っていようと、あらゆる能力変化を無視したダメージを与えることが出来るのだ。

「確かに急所に当たればあらゆる防御を貫通するが──偶然は幾度と続かない。天に縋って倒せる程に柔ではないのだよ」
「承知しているさ。だが流れは着実に俺へと傾きつつある」
「幸運に救われた、の間違いじゃないかな?」

 エドガーの言う通りだ。あのミロカロスを前に運は膠着を崩す決め手になどなり得ない、そんなもので勝利を奪い取れるぬるい相手ではないことなど理解している。
 だが……厄介な麗魚を討つ為の遠く険しい道程が着実に縮まり始めているのもまた確かな事実だ。互いに命を削り合う熾烈な闘争が刻一刻と終着点へ近付きつつあり、鼓動が早鐘を打つように高鳴っていく。

「まだだ、手を休めるな! 再びストーンエッジ!」
「──確かに君の思っている通りさ、下手に攻めればあまりにも重い代償を払わされてしまう」

 岩嶄を高い跳躍で躱しそれでもなお避けられずに石刃の鋒が肌を刺すが、そんな浅い命中ではミロカロスの耐久を以てすれば擦り傷が精々だ。
 着地した麗魚が優雅に髪を靡かせながらとぐろを巻いて鎌首をもたげ、美しい歌声を響かせると口元に冷気が収束していき昇華した大気が細氷となって零れ落ちていく。

「だがあまり焦らすのも風情がない、君が踏み込めるように私が背を押してあげよう! ふぶきだミロカロス!」
「……っ、余計な計らいだ! 受け止めろギャラドス、ぼうふう!」

 ストーンエッジを発動した直後でほんの僅かにレスポンスが遅れた、迎撃するには後塵を拝する。
 激しく白く世界を染めていくブリザードに呑み込まれると忽ち体が凍り付き始め、今更生半可な技では止められない──あの時と同じだ、選択肢は既に限られていて。

「良いだろう、癪だが受けて立つ! 灼き尽くせギャラドス──かみなり!」
「此度こそ決着を付けようか、最後に立っていられるのは果たしてどちらか!」

 余りある凄まじい吹雪に蒼き龍鱗が次第に凍り付いていく、このままでは完全に氷に閉ざされてしまうのも時間の問題だ。
 ならばそうなる前に敵を討つ。龍の髭が光を纏えばめくるめく火花が迸り、膨大な電雷が轟く稲妻の穂先が未だ冷気を奔らせていた麗魚の体を貫いた。

「……感謝するよ、こんな役割を進んで担ってくれて」
「まさか……。ツルギ、ギャラドス、がんばって……ください!」

 ──効果は抜群だ。いくらミロカロスが優れた特防を備えていようとも、でんきタイプ屈指の威力を誇る霹靂に呑み込まれれば軽傷では済まない。
 しかしその主の瞳には僅かの動揺も映らない、当然だ、これは予定調和の展開なのだから。今から起こる事象を知らないサヤは、しかし予測しているのか固く瞼を引き結んで天へと祈り。

「……さあ、君の受けた痛みを解き放つんだ。ミラーコートだミロカロス!」

 ──そして溢れ出した夥しい耀きが地を深く抉り、宙を白銀に染め上げて……視界に映る悉くを砕き滅ぼし尽くす程の途方も無いエネルギーを束ねた光線が、滄龍の巨躯をも呑み込んだ。
 それは受けた痛みを、体内に蓄積された紫電を自らのエネルギーに変換・倍にして相手に返しどんな逆境さえも覆し得る程の技だ。
 “かみなり”のダメージは強烈で、たとえ堅牢なる鎧を身に纏うミロカロスと言えど手痛い傷を負っているだろう。そう、故にこそ受けてしまった代償は凄絶で。

「ギャラドス……だいじょうぶ、ですか!?」

 余りにも甚大な傷を刻まれたギャラドスが呼吸さえままならずに鎌首をもたげて、刹那の静寂が訪れる。
 とうとう限界を迎えてしまったか、狼狽を露わに少女が叫び──しかし次の瞬間には焼き切れそうになる意識を繋ぎ止めて、天地さえ揺らがす程の凶悪な怒号を轟かせて双眸で麗魚を睨み付けた。

「見事な不退転だが……そろそろ限界も近いだろうツルギ!」
「鬱陶しい、貴様のミロカロスを打破するまでは斃れん!」

 声高らかに叫ぶエドガーの瞳には、冷徹な意志と裏腹に闘争を悦ぶポケモントレーナーとしての性が僅かに差していて。止まることなく刻み続ける時の中で刹那の感情を噛み締めながら、彼岸に佇む少年達を一瞥する。
 ──そして対峙する滄龍を睨み付けた麗魚が、ふと懐かしいいつかを思い起こす。
 かつての自分は醜く惨めで、群れの中でさえ弱く居場所が無かった。誰にも見向きされず生息地を選ばない故の繁殖力だけが取り柄で……まさか、これ程までの境地に至れるなんて思いもしなかった。

「まだだ、奴を仕留めるぞギャラドス! 今度こそかみなりで焼き尽くせ!」
「君は攻め立てるフリをして此方の自滅まで凌ぐつもりだろうが……その前に制してあげるよ! ハイドロポンプ!」

 “かえんだま”によってやけどを負ってしまったミロカロスは徐々にその命が削られて、放っておけば手を下せずとも瀕死になるだろうが……そんな受け身で御される最高幹部ではない。
 雷霆を喰らわん程に迸る波濤、激しく鬩ぎ合う二つの技が水蒸気爆発を起こして白煙が舞い散り、遮られた視界の向こうから押し寄せる奔流に呑まれたギャラドスが此処で敗れまいと決死で抗う。

「ならば全霊を以て討ち倒すまでだ! ストーンエッジ!」
「為せるものなら試してみると良いさ、ふぶき!」

 絶凍の吹雪に自らの肌が凍り付いていくことさえ厭わず咆哮すれば、麗魚の周囲の地面が隆起して直後に迫り来る岩槍に次々と突き刺されていく。
 それでも両者は共に斃れない。既に満身創痍でありながら、底の底から這い上がり掴み取った圧倒的な気骨は容易く崩れ落ちやしないのだ。

「……っ、振り払えギャラドス! ぼうふう!」
「ならばれいとうビーム、先程のお返しをさせてもらうよ!」

 暴風に身を裂かれながら地面に向けて放った冷気の光線が天を衝く氷柱を形成し、眼下から滄龍を貫いてみせる。
 痛みを掻き消すように挙げた怒号が強引に闘志を呼び醒まし、その美しさを讃えられる軀がどれ程酷く傷付こうとも主人への想いを支えに刹那途絶えそうになった意識を繋ぎ止めて──残された力を、魂を振り絞った。

「そろそろ限界も近いか……決着を付けるぞギャラドス、アクアテール!」
「さあ、君達の遡航に幕を引く時だ! 終わらせようミロカロス、ハイドロポンプ!」

 絶対にして洪大なる破壊を齎す龍の剛尾にあらゆるものを呑み込む激渦が逆巻いて、横一文字に薙ぎ払われる。
 鱗を虹色に輝かせた麗魚が透き通る歌声を響かせて、残された全てを賭して堰を切り迸る奔流を撃ち放つ。
 相反する二つの大技が地を深く抉りながら焦土の中央で衝突すれば凄絶なる怒濤が烈しく鬩ぎ合い、互いを喰らい呑み込み、抑えられずに零れ出した余波が雨となって降り注いで行く。
 全霊を懸けて鬩ぎ合う二つの相剋には終ぞ優劣が決することなく炸裂して──目が開かない程の嵐となってフィールドを呑み込んだ。

「ひゃあっ!? サーナイト……ありがとう、ございます!」

 少女が咄嗟に腕で顔を覆えば、サヤの相棒サーナイトが主人を脅威から守らんとモンスターボールの中から思念で障壁を展開。一陣の暴風が砂塵を攫い、降り注ぐ豪雨が鋭く体を突き刺していく。
 フィールドの中央を起点として双方向へと駆け抜ける目まぐるしい嵐が吹き荒れて──それでも二人のポケモントレーナーは、衝撃を堪えながら目を逸らすことなく戦場を見据えていた。

「……やはり、こうなったか」

 ツルギとエドガーは共に身を攫う嵐に臆することなく身構えて、鋭い眼差しで睥睨するとどちらともなくぽつりと呟く。
 ──やがて嵐が過ぎ去れば、宙に静寂が舞い戻る。そして晴れ行く景色の中に浮かんでいたのは……意識を失い倒れ伏す滄龍と、今にもくずおれてしまいそうな程に傷付きながらも鎌首をもたげて息荒くそれを見下ろす麗魚の姿だった。

「そんな……ミロカロスは、まだ……!」
「逸るな、鬱陶しい」

 少女が唇を噛んで絶句する横で少年が呆れたように吐き捨てたその瞬間に、ミロカロスの体が突如として炎に包まれる。
 そう、状態異常“やけど”の効果だ。ほんの微かに残されていたミロカロスの命が燃え盛る焔にとうとう焼き尽くされた、凄烈なる強さを以て立ち塞がった麗魚もようやく崩れ落ちていき──。

「……相討ちか。ああ、良い結末だよ」

 ミロカロスは特性“ふしぎなうろこ”による圧倒的な耐久を能動的に得る為に持ち物『かえんだま』を装備していた。
 自らを“やけど”にする効果を持ち、命と引き換えに防御を底上げしていたのだ。その代償が此処に至って限界へと達したらしい。
 二匹の強大なポケモンは共に戦闘不能となり……ツルギとエドガーが徐にモンスターボールを翳せば、迸る赤光が斃れ臥した巨躯を柔く穏やかに呑み込んでいく。

「……ああ、君は良く闘い抜いてくれたね」

 カプセルの中に戻って意識を取り戻したミロカロスが、主人の微笑を見つめて己が役割を果たせた安堵に瞼を伏せて頷いてみせた。
 ──今でも脳裏に焼き付いているのは濁り澱んだ川の底。生息数が多く一か所に集まるというヒンバスの習性故に、群れでさえ疎まれていたかつての自分は食事を得ることすらも苦労していて。
 だから自ら群れを離れて新たな生息域を求めたが、台風に呑まれて打ち上げられてしまった。もう駄目だ……呼吸が遠退き意識が薄れ、諦めてしまったその時に偶然ある少年と巡り逢う。

「君は……初めて私が捕まえたポケモンなんだ。今でも出逢いはよく覚えているよ」

 どうやら彼も、自分と通ずる境遇に置かれていたらしい。生きる為に望まぬ居場所と決別して、己を救ってくれた恩師と旅をしている道中だったようだ。
 そのポケモントレーナーと相棒は──エドガーとダンバルは語りかけてきた、共に旅をしないかと。故郷を捨てて当てもなく彷徨っていた自分にとってその誘いはまさに僥倖だった。
 そして彼と過ごす日々は幸せだった。対等な友として扱われ、丁寧に鱗やヒレを洗ってもらい、少しずつ醜くみすぼらしい己を受け入れられたその時に……とうとう進化の瞬間が訪れる。

「君と邂逅した時から、私と通ずるものを感じていた。同じものを見て、触れて……此処まで共に居られて本当に嬉しかった」

 進化によって争いを鎮める力を手に入れて、エドガーに連れられて世界を廻り多くの諍いを収めて来た。それでも終わらない憎悪の泥濘も、避けられぬ災禍の勃発も、磨き鍛え抜かれた強さによって鎮静化させていた。
 だからこそ……幾多の争いを直に目にしてきたからこそ、嫌でも理解せざるを得なかった。心は誰にも止められず、最早どうすることもできないのだと。

「勿論さ、私は終局の刻まで戦い続ける。総てを懸けて……永きに渡る因果を断つ」

 ならば、進み続けるしか道はない。どんな結末が待っていたとしても……もし死力を振るわなければ、必ず心にしこりが残るから。
 あらん限りを尽くした先にしか見えない景色がある。このバトルが如何なる未来に辿り着いたとしても──きっと、其処に悔いは残らないだろう。

「お疲れ様、ミロカロス。君のおかげで……万全を期して最後の闘いに臨めるよ」

 これで、エドガーに残されたポケモンは比類無き強さを誇りし鋼鉄の巨兵だけだ。だが倒れていったポケモン達も皆が信じている、彼が居る限り主人の勝利は揺らがないのだと。
 果たして、新しい明日にはどんな世界が開かれていくのか……考えるのも億劫で、重く圧し掛かる疲労に身を委ねると深い眠りへと落ちていった。

「ああ、役割としては十分だ」

 ツルギがモンスターボールを翳せば鮮やかな閃光が迸り、紅い粒子に抱かれた滄龍が安息の地へと還っていく。
 ──カプセルの中で意識を取り戻したギャラドスが目を覚ませば、真っ直ぐに主人の瞳を見据えて懐かしむように頷いた。

「そうだな……思えばここまで、随分と長かった」

 十三年前に湖の底に沈められて、憤怒のままに暴れ回っていたところをツルギによって救われた。星の如く瞳に点る少年の灯に誓ったのだ、彼の剣と付き従っていつか必ずオルビス団を討ち滅ぼしてみせると。
 ……残されたのは、既に風前の灯火のフーディンと未だに万全ながらも幾度と敗北を喫したフライゴンだ。
 対してエドガーの殿に待ち構えるのはメタグロス──これまで総力を挙げてなお擦り傷さえ負わせられなかった程に、他とはかけ離れた絶対なる領域に鎮座する宿敵。

「……ああ、それでも俺は奴らを越える。後は任せるがいい」

 けれどツルギ達はあらゆる修羅場を潜り抜けてきた。故にこそ信じられる、彼なら必ずエドガーからさえ勝利を奪い取れると。
 確信めいた安堵に微笑を浮かべて……もう、意識を保つのも限界だった。主人の勝利を願い瞼を伏せたギャラドスは、深く息を吐き出して微睡みの淵に沈んでいった。

「素直に賞賛させてくれ、ツルギ。此処まで追い詰められたのはいつ以来だろう」

 握り締めたカプセルを腰に装着して、次なる球を掴み取れば彼岸に立つ青年から賞賛の拍手が贈られる。
 オルビス団の最高幹部として君臨してからはただの一度の敗北も無く、己と対等に渡り合えるポケモントレーナーなど片手指で数えられる程度しか存在しなかった。
 それが……まさか此処まで追い詰められてしまうなんて、成長した彼と初めて邂逅した時には思ってもみなかった。

「君達の進化は驚嘆に値する。素晴らしい、とうとうメタグロスまで引き摺り出されてしまうとはね」
「言った筈だ、貴様を討つとな」
「そうです! ツルギは……たくさん、強くなりました!」

 彼を信じてくれる仲間達が、同じ志を寄る辺とする同胞達が、そして何より決して諦めない不撓不屈の精神が彼をあそこまで鋭く鍛え上げたのだろう。
 ……過酷な世界を行く当ても無く彷徨い続けて、よく此処まで辿り着けた。感嘆を抱くと同時に──胸の中で、いつしか忘れていた筈の想いが渦を巻く。

「なんだか不思議な気分だよ。決着が近付くにつれ、名残惜しさを覚え始めている自分が居るのだから」
「……鬱陶しい、貴様は俺にとって通過点に過ぎない」

 これまでポケモンバトルは手段に過ぎなかった筈なのに、心の隅に本領を揮いぶつかり合える今この瞬間に喜びを抱いている自分が居た。
 ついに残されたのはメタグロスだけになってしまい、時が過ぎるのを惜しむようにエドガーが微笑めば少年は眉間に皺寄せながら不敵に嗤って吐き捨てる。

「それは我が相棒を倒せれば、の話だがね」
「勝つさ、俺は。未来無き者になど道を譲らん!」

 そう、ツルギの言う通り──たとえ勝敗が決した先に立つのが誰であろうと、如何なる明日が紡がれようと、エドガーにとって大した差では無いのだろう。
 最終的に勝つのは自分達オルビス団だと──総帥が敗北を喫してしまうことなどありえないのだと確信しているのだから。

「我らも勝利は譲らないさ。万に一つの可能性であろうと、君や仲間達が運命を変え得るのであれば此処で討たなければならない」

 それでも──この世に絶対など存在しない。ツルギのことを脅威として認識しているからこそ、余燼さえ残さずに過去の残像ごと葬り去る。
 その忠節は此の終局に至ってほんの僅かも翳らずに。何処までも揺らがなく求めるのはたったひとつの変わらぬ願いだ。

「我が主人の追い続けた冀望は、夢は、遠き理想は──この命を擲ってでも叶えてみせる!」

 もう一度だけで良い、恩師に心から笑って欲しい。たとえ世界が滅びても、たとえ自分が総帥にとって都合の良い駒のひとつに過ぎないとしても、ただ彼の笑顔を取り戻せればそれで良かったから。

「貴様の願いは届かない……俺が届かせない! 奴らの望みを打ち砕く、現れろフーディン!」

 勢い良く投げ放たれた紅白球は宙を裂いて焦土へ飛び込み、色の境界線から二つに割れると眩い赤光が溢れていく。
 宙に浮かんだ二本のスプーンを伸ばした両手で掴み取り、赤き粒子が舞い散る中に再びそのポケモンが姿を見せた。
 朽葉色の胴体、山吹色の短毛に覆われた四肢。猫背気味に佇む痩躯にはややそぐわぬ程に頭部が発達していて、自在にサイコパワーを操る無尾の妖狐フーディンだ。

「嬉しいよ、彼女の忘れ形見であるケーシィが……君のフーディンが道半ばで斃れないでいてくれて」

 投擲と共に現れた妖狐は、不毀の決意を掲げて因縁の仇敵を睨み付ける。冷厳に臨む瞳の奥に抑え切れない憎悪の炎を燃やして。
 対する最高幹部は真っ向から突き付けられる憤怒に微笑みを返した。
 待ち侘びていた、この瞬間を。かつて悉くを滅ぼさんとしながら、どうしても非情に徹し切れなかった……己の弱さと迷いを象徴する過去の遺物なのだから。

「あの日葬れなかった残骸を──燻る余燼を彼の力を以て撃ち墜とすことで、ようやく総ての未練を捨て去れる」
「過去は消えないさ、どれだけ痕跡を潰しても心の中に燻り続ける。だからこれ以上の犠牲は生み出させない……俺がこの手で未来へ繋げる!」

 高く翳されたハイパーボールの内より迸る凄まじい威容、圧倒的な存在感へ抱いてしまいそうになる僅かな怖気を地を踏み締めて振り払い。
 手に掛けた命は取り戻せない、犯した罪は無かったことになど出来ない。背後で見つめる少女を軽く見遣ったツルギがすぐさま正面へ向き直り、瞳に惑わぬ光を宿して勇壮なる決意を叫んだ。

「徒労だよ、最終兵器が起動すれば過去も未来も等しく塵へと還るさ。そして新しい世界が開かれていく」
「ふざけたことを。そんな結末は俺が認めない、最期まで抗い続けてみせる!」

 これまで数え切れない無辜の民達が傷付けられてきた。かけがえのない希望を奪われて、星さえ見えない昏き絶望が齎されてきた。
 だから……必ず勝利を掴み取り、今にも崩れ落ちてしまいそうな明日を取り戻す。約束の地で繰り広げられる決戦の果てに世界の命運が決まってしまうのだから。

「ああ、とうとう君が拳を揮う時が訪れた」
「……ハ、随分焦らされたな。漸く奴を引き摺り出せる」

 青年が微笑みながら翳したのは金の紋様が施された黒白のカプセル、その内で厳かに時を待ち続けていた最後の一匹はエドガーが最も信を置くポケモンだ。
 ついに幾度と打ちのめされてきた奴の相棒が現れる、ある意味此処からが本当の戦いとも言えるだろう──頬を雫が伝い落ち、過去から這い寄る焦燥を心中で握り潰して睨め付ける。

「さあ、共に往こうメタグロス。見果てぬ願いを叶える為に!」

 憧憬も、感傷も、忠義も、闘志も──総ての想いを込めてハイパーボールを投擲すれば黒き軌跡は宙を裂き、舞い降りた焦土で黒白の境界から二つに割れると溢れ出した眩い赤光が巨大な影を象っていく。
 重々しくフィールドを踏み締める鉄鎚の如き四脚、真紅の眼を見開けば纏わりつく粒子が自ら散って。あらゆる干渉を受け付けない鋼鉄の肉体、交差する白銀の金属を顔に飾った藍色の巨兵が、とうとう無機質にして冷厳たるその姿を露わにした。 

「ようやく現れたか、メタグロス……!」

 金属音にも似た重低音の咆哮が轟けばあまりの圧覚に天地が鳴動して──いよいよ以て解き放たれた絶対強者の纏いしその威容には、世界さえも畏れ慄き震撼する。
 二匹のメタングが合体した姿であり、複雑な神経ネットワークで結ばれた四つの脳味噌によってスーパーコンピュータよりも優れた頭脳を持つ“てつあしポケモン”メタグロスだ。

「あのポケモンに……わたしの、故郷も……家族達もっ……!」

 震える声で呟くサヤの瞼の裏に蘇るのは、かつてメタグロスの揮う暴威によって成す術もなく蹂躙された始まりの景色。
 ポケモン達が暮らす村──幼い彼女を育んだ故郷はある日悪の組織の襲撃を受け、かけがえのない家族がひとりひとり奪われていくその時に何も為せずに逃げるしかなかった。

「サヤ……恐ろしいか、奴の姿が」
「……はいっ、ツルギ……ごめん、なさい!」
「だったら──」

 血の気が急速に引いていき、体が芯まで凍り付いていく。深く刻まれたトラウマが心を黒き恐怖に塗り潰して、ただ立つだけでさえままならない程に脚が竦んで震えてしまう。
 青褪めた顔で俯いた少女は純白のワンピースの裾を握り締めながら、搾り出すように吐き出すが……眉間に皺寄せて尋ねたツルギは、振り返ることなく薄い唇を持ち上げた。

「臆するな、その目でしかと見届けろ。お前が戦い続けた最果てを!」
「……ツルギ……!」

 ──そうだ、忘れるはずがない。かつてかけがえのない平穏を奪われて……それから己を救ってくれたツルギの為に、同じような犠牲者を生み出さない為に険しい戦いの日々へと身を投じてきた。

「はい、そう……ですね! ツルギ達が、勝つのを……ちゃんと、見つめてますっ!」
「──ああ、それで良い」

 そして試練を越えたその先に、二度と届かないと思っていた同胞達がきっと今も助けを求めている。ならばいつまでも目を逸らし怯えているわけにはいかない。
 揺らがなき覚悟で臨むツルギの背を見つめ、固唾を呑んで瞬くと……己を奮い立たせて、しかと双眸を見開いた。

「貴様らに奪われた総てを取り戻す! 覚悟しろエドガー、メタグロス!」
「来るがいいツルギ、君達の命を懸けてこの私と相棒に抗ってみせてくれ!」

 ──まだ自分がケーシィだった頃に過ごした日々は、鮮烈に脳裏へ灼き付いている。
 ただの職員とその手持ちとして研究施設でエドガーと共に働いていたメタグロスは、四つの脳による人域では届かぬ類い稀な処理能力によって優秀な技術者として働いていて。
 優しく人との触れ合いを好んでいた彼は、多くの仲間達と心を通わせていた。同じく職員として働いていたまだ未熟なケーシィにとって、その姿は「こうなりたい」という憧れだったのだ。

「フーディン、メタグロス……そっか、あなた達は……」

 少女がぽつりと呟いた。伝わってくるのだ、二人がどんな精神状態で今この場に臨んでいるのか。
 そしてフーディンは問い掛ける、彼がどんな想いを秘めて立っているのか……かつて敬意を抱いていたポケモンの心を知る為に。
 彼岸に対峙するメタグロスは徐に答える。それがエドガーの願いなら──最後の瞬間まで戦い続けることでしか、彼を救う道へは辿り着けないのだと。
 だから譲れない。だから負けられない。全霊を揮い楯突く敵を討ち倒す。

「積年の本懐を遂げる時だ! フーディン、サイコカッター!」

 妖狐は先のスターミーとの交戦で既に満身創痍へ追い込まれていて、相手はあのメタグロスだ、先制を許せば瞬く間に制圧されてしまうだろう。
 どのみちもうすぐで限界に達して倒れてしまうのだ、出し惜しみなど必要無い。残されたサイコパワーの総てを振り絞ってあらん限りに念刃を形成して一斉に薙ぎ払われた。

「フ──思い知らせてあげるよ、届かぬ差というものを」

 その鋒は数十を越え、ひとつひとつがあらゆるものを断ち切る利剣へと研ぎ澄まされている。
 いくら効果はいまひとつとはいえ、並のポケモンならば多少の手傷は避けられないだろう。だがめくるめく“サイコカッター”を仰いだ青年は不敵に微笑む、そんな刃など届かないとでも告げるかのように。

「全天を蓋え、サイコショック!」

 満を持して降臨した最高幹部の相棒が、メタグロスがとうとうその瞳に光を宿して。指を鳴らして指示を送れば、百をも越える夥しい数の念弾が虚空に閃き眩く瞬いた。

「……っ、切り捨てろ!」

 そして全霊を懸けて撃ち放ったサイコカッターは悉くが相殺さえ叶わずに容易く砕かれてしまい、めくるめく衛星が降り注いでいく。
 ならば「躱せ!」と念動力で体を動かし天を駆る。トップスピードまで加速して次々に“サイコショック”の間隙を縫い、旋回や昇降、緩急を付けることで辛うじて寸前で躱していくが……当然、そう長くは保たなかった。

「さあ、これでチェックメイトだフーディン!」
「いやですフーディン……ダメぇっ!?」

 四方八方から迫り何処までも追跡する念弾を避け続けられる筈がない、視界の端を掠めた光に気付いた時にはもう遅い。体側を輝く砲弾が深く鋭く貫いて──幾多の思念塊が炸裂すれば一陣の爆風が吹き抜けていく。
 舞い上がる砂塵に世界が覆われて、宙を暫時の静寂が包み込んでいく。未だ視界は閉ざされているが……少女にも容易く理解が及んだ、既にフーディンは倒れてしまっているのだと。

「そんな……」

 ──少しずつ空が晴れて行き、ようやく景色が開かれた時には案の定妖狐は意識を失い地に伏していた。
 あれ程希ったにも関わらず、刃先さえも届くことなく擦り傷すら付けられなかった……あまりにも掛け離れた差を見せつけられた少女は、瞳に惑いを浮かべながら絶句してしまい。

「……戻れ、フーディン」

 だが非情なる結果を見せ付けられて、それでも淡々とモンスターボールを振り翳すツルギの瞳に揺らぎはない。
 紅白球から迸る眩い赤光が倒れ伏す妖狐を包み込んでいき、疲れ果てた戦士はその身を休ませる為に安息の地へと還っていく。

「問題ない。奴の技とその規模をひとつ把握したんだ、無駄な敗北にはならないさ」

 ──意識を失い倒れていたフーディンは、モンスターボールの中で目を覚ますと疲労困憊の体を辛うじて持ち上げた。
 カプセル越しに見つめてくる眼には屈辱、悔恨、苦悶、悲痛──様々な感情がないまぜになっていて、如何とも形容し難い色に彩られており。

「俺を信じろ、必ず勝利を奪い取る」

 だからこそ、自分自身を奮い立たせる為のその言葉を敢えて冷淡に言い放つ。眼差しには揺らがぬ決意の灯を点し、不安も焦燥も心の奥底へと封じ込めて。

「とくと思い知っただろう? これが君達を幾度と絶望へ陥れた我が相棒──メタグロスの本領なのだよ」
「侮られたものだな。想定内だ、そいつには散々辛酸を舐めさせられた」

 相手は他でもないメタグロスだ、幾度と惨敗を喫してしまった宿敵に希望的観測など抱く筈が無い。
 鼻で嗤って吐き捨てると眼前に掴んだままのカプセルを翳して、その内で己が限界を嘆くように固く瞼を引き結んで眉間に皺寄せていた妖狐へと呼び掛ける。

「ああ、もうすぐだフーディン。やっと……奴の懐まで切り込めた」

 此処まで、長く険しい道程だった。ポケモン達にも随分と負担を強いてきたが──ようやく、積年の願いが結実する。
 体中に刻まれた傷は灼け付くように熱く疼いて、今にも意識が飛んでしまいそうだ。それでも……このバトルの果てに導かれる結末を見届けるまでは耐え切ってみせよう。
 瞳の奥に微かな憂いを映して見下ろしてくる主人へ『心配は要らない』とそう伝える為に確かに頷いてから、妖狐はフィールドを隔てた彼岸に立つ青年達を双眸を見開いて睨み付けた。

「俺とフライゴンで奴を討つ、お前達はそこで俺の勝利を見ているがいい!」

 固く拳を握り締めたツルギが残された最後の希望──相棒が眠りしモンスターボールを力強く掴み取ると、眼前に掲げて勇ましく叫ぶ。
 それは背後に佇み必死に心を奮い立たせて臨む少女への鼓舞であり、カプセルの中で趨勢を見守る倒れていったポケモン達へと告げる旅路の集大成。
 これまで歩み続けた時の果てに、しがらみを越えて未来へ辿り着く。遠き過去に紡がれし約束を必ず果たす。
 紅白球の内で徐に瞼を伏せて、これまでに標してきた星跡を振り返り──利剣の眼差しに決意を映した翡翠の精霊竜が、主人と視線を交わして頷いてみせた。

■筆者メッセージ
サヤ「とうとう、お互い残り一匹…!だけどツルギは、負けませんっ!」
ツルギ「……ああ、ようやくここまで来た。だが忘れるな、たとえエドガーを倒したとて終わりではない」
サヤ「そっか…まだ、ヴィクトルさんが…ラスボスが、残ってます…!」
ツルギ「そういうことだ。出し惜しみをするつもりは無いが…まだ先は長い」
サヤ「…でも。もうすぐで、家族に会える…ですね…!」
ツルギ「さあな。俺が勝てるかも分からない、捕らえたポケモンの多さを考えれば見つけ出すだけでも骨だろう」
サヤ「だいじょうぶ、です。ツルギなら、ぜーったい、勝てますから!」
ツルギ「…鬱陶しい」
サヤ「それに…分からなかったら、エドガーさんに…」
ツルギ「…急に黙ってどうした」
サヤ「いえ…なんでもない、です。ただ…」
ツルギ「…言いたいことがあるなら早くしろ」
サヤ「わたしも、最後まで…ツルギといっしょ、です!」
ツルギ「迷惑だ」
サヤ「はうっ…!?」
せろん ( 2023/02/28(火) 19:51 )