ポケットモンスターインフィニティ



















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第十五章 闇を裂く星辰
第135話 真実が辿る行先
 因果を越えて辿り着いた約束の地で交わされる二人の決戦も、ついに後半へと差し掛かる。
 総てはかつて自分から何もかもを奪った巨悪をその根元から断ち切る為に──極限まで研ぎ澄まされた力を以て全霊を尽くし、最高幹部の手持ちをようやく半分までも削ぎ落とした。
 そして彼岸に佇む少年を本気を揮うに足る脅威と認めた青年は菫色の瞳に確かな熱を宿し、皮膚を裂く程に烈しく敵愾心が溢れ出していく。

「……っ、すごい圧、です。まるで、肌が焼けちゃうみたいな……!」

 濡羽烏の長髪、漆黒の瞳で白いワンピースを纏う小柄な少女サヤが己の体を抱き締め微かに震えながら呟くが、すぐ傍に在る少年は意にも介していないかのように平然と立ち尽くしていた。
 惑わぬ願いを抱えて臨むのは、極星の如き蒼を瞳に湛えるポケモントレーナーのツルギ。外跳ねの黒髪、利剣の眼差しで彼岸を睥睨して臙脂の上着が飜る。
 彼のポケモンである無尾の妖狐──二本のスプーンを両手に構え、山吹色の短毛に覆われており痩躯に不釣り合いな発達した頭部を備えた“ねんりきポケモン”のフーディンも用心深く佇んでいて。

「ここからが本当の勝負だ。隙を見せれば瞬く間に制される」

 そう、対峙する敵の手持ちを半分削るまでに倒れてしまったツルギのポケモンはただ一匹。
 数の上では優位に立っているが……易々と御し切れる相手ではないことは誰よりも彼自身が理解している。
 フーディンは勿論自らの腰に装着されたモンスターボールへと呼び掛ければ、敵の強大さはこれまで幾度と刃を交わして肌で確かめている──深い眠りに落ちているローブシンを除いた五匹が各々頷いてみせた。

「ああ、彼らは進化したよ、或いは運命さえ変えられるかもしれない。だからこそ……このしがらみを断ち切らなければね」

 相対するのは菫色の長髪を棚引かせ、菖蒲のトレンチコートを羽織ったオルビス団最高幹部にして因縁の宿敵たる青年エドガーだ。
 これまで何度とツルギを完膚なきまでにねじ伏せてきた。それでも少年は決して諦めずにいつか望んだ遠き星を求め、ついにこの極致に至るまでの飛躍的な成長を遂げてみせて。
 故にこそ確信する、彼が自分達を脅かし得る存在へ昇華したのだと。その瞳に宿る惑わぬ輝きを見ていると──奇跡さえ起こしてしまうのではないか、と錯覚してしまいそうになるから。

「……さて、此れで手筈は整った。後は我らの全霊を揮い過去の残滓を葬ろうじゃないか」
 
 腰に装着された黒地に金の紋様が刻まれたハイパーボールへと手を伸ばし、その中で出番を待ち侘びるポケモン達に告げて残された三つの内から後続を掴み取る。
 そして刹那に戦場を見遣ると、対峙する少年へ微笑みかけた。その瞳にはいつか自らの手で亡ぼした友と交わした語らいを──未来を願う、誰よりも強く優しい女性の影を映して。

「ミツバさんのケーシィが其処まで鍛え上げられているとはね。ああ、喜ばしいよ……君達は確かに彼女の遺志を受け継いでいるらしい」
「──あの日交わした約束は、俺を支えてくれていた。だから今まで歩み続けることが出来た」

 今際に母から子へと託された願い、それは『自分達が出来なかったことを果たして欲しい』という切なる望みだ。
 惑わぬ標は星亡き闇の中でも心を照らしてくれた、進むべき道を見失わずに歩き続けられた。どんなに暗い闇の中に在っても……いつでもずっと輝いていた。
 だが、十三年前の惨劇は彼岸に聳える最高幹部の振るいし凄絶なる力によって齎されたものだ。舞台の裏で誰が糸を引いていようとその事実は変わらない。
 それなのに、それにも関わらず。

「──何故そうして笑っていられる。貴様はいつから“オルビス団”だった?」

 エドガーを峻厳たる眼差しで睨み付けて、薄い唇を持ち上げると苛立ちを露わに吐き捨てた。
 自ら滅ぼした研究施設の痕跡たる廃墟群に姿を現し、己が意思で手に掛けた同胞との追憶に憧憬を抱き望郷の念に瞳を揺らして。
 ──いったい、いつからだったのか。胸に刺さって切っ先を鈍らせる小さな欠片を抜く為に、苛立ち混じりで少年が答えを求める。

「かつて仲間達に見せていた表情は、俺に見せていたあの笑顔は……初めから偽りだったのか?」
「君らしくもない。理解しているだろう、その問いに意味がないことを」
「意味ならあるさ。答えろ、貴様の真実は何処に在る!」

 十三年前、主人から命じられるままに愛する同胞達を悉く殺し尽くした。けれど心を冷徹なる刃と為しても、たった一人の幼子だけは殺めることが出来なかった。
 巨悪の最高幹部として機械的に数え切れない絶望を齎す彼も、人との触れ合いや何気なく流れる時間に喜びを抱く研究者としての姿も……どちらも嘘とは思えない。
 だからこそ問い掛ける。蒼黒の入り混じった曖昧な心に境界線を引く為に。

「ツルギ……もしかして、あなたは」

 ちら、とサヤが友の背を仰ぐ。これまで交わらざる平行線上に在る仇敵と何度も言葉を重ねて来た、その行為に何の意味があったというのか。
 それでもツルギはいつか交差する未来を願っているのか。それとも、僅かな余燼さえ残さない為に形を定めて過去を断ち切る為なのか。
 その真意は今も分からない。けれど彼が辿って来た旅の果てに選び取った答えであれば……きっと、そこに間違いはないだろう。

「……生憎、何もかもが真実さ。彼女達と過ごした穏やかな時間も、ヴィクトル様やスタンと駆け抜けた修練の日々も、総帥やレイと共に踏み締めた闇への暗路にも──嘘偽りなどひとつもなかった」
「……エドガーさん」

 その吐露に虚飾はないだろう。粛々と告げる声色の奥に秘められた、今にも消えてしまいそうな温もりは確かにサヤにも伝わって来て。

「だが、敢えて答えを出すのであれば……私があのお方に出会い忠誠を誓った時からさ。言ったろう、我が意はいつだって其処に在ると」
「……鬱陶しい。だが、それだけ訊ければ十分だ」

 少女がおずおずと見上げたツルギの瞳は微かに伏せられ刹那に揺れて、徐に瞬けば曇りなく閃く惑わぬ蒼が映し出された。
 これで──何の呵責もなく刃を振るえる。それでも過ぎ去りし追憶が真実だというのなら、僅かな兆しは未だに潰えていない。
 黒地に金色の紋様が刻まれたハイパーボールを構えて再び肌を刺す敵意を纏いし最高幹部に少年と妖狐が緊張を奔らせて、息が詰まり呼吸さえ忘れてしまう暫時の静寂が張り詰めていく。

「受けて立つよツルギ、総ての星は此処で撃ち墜とす。彼女が遺した願い諸共──君達の縋り付く希望を断ち切ってみせよう!」
「貴様の望みはこの手で砕く。過去を越えて、その先へ……俺は未来へ辿り着く!」

 交錯する視線の先でエドガーの眉間が冷厳に皺寄せられて、研ぎ澄まされた利剣の眼差しでフィールドを見遣ると握り締めた黒白の球が投擲された。
 空を鮮烈な軌跡が切り裂き色の境界から二つに割れれば、眩い紅光が溢れ出して鈍重なる巨影を象っていく。

「随分待たせてしまったね。さあ来るんだカビゴン、存分にその力を揮うと良い!」

 呼吸さえままならない緊張になど似つかわしくない気の抜けるような呑気な声と共に、まとわりつく粒子を腕の横薙ぎで振り払い二度目の出陣となる巨漢が顕現した。
 体を黒い短毛に覆われていて、分厚い脂肪の鎧を纏ったカビゴンは対敵を睨み付けながら勇ましく大地を踏み締めている。

「……ようやく引きずり出せたか」

 エドガーの先鋒として現れ圧倒的な暴威を以て蹂躙を為した強大な敵が、とうとう再び姿を現した。
 此処からはエドガーの手持ちの中でも屈指の性能を誇るポケモン達との連戦となる。まずはその第一陣であるカビゴンを討たなければ勝利など到底掴めない。
 無論そんなことでツルギが臆する筈などない。現れた巨漢へ苛立たしげに吐き捨てながらも、口元には不敵な笑みを湛えてみせる。

「あのカビゴンを、倒す……! ツルギ、みんな、がんばってください!」

 険峻たる剣峰の如き脅威を知ってなお不屈の闘志を掲げて挑むその背には確かな意思が宿っていて、この闘いに臨む想いの強さが見て取れた。
 二人と二匹は用心深く戦場を睥睨して──暫時の静寂を経て意を決した少年達がついに動き始める。

「お前に奴の鎧は貫けない、後続に繋げるぞ。やれフーディン、みらいよち!」

 先んじたのはツルギとフーディン。放たれるのは未来に思いを馳せて精神を高めることで、数瞬間の時を刻んだ後に炸裂する思念の時限爆弾を宙へと仕掛けるその名の通りの“みらいよち”。
 特殊技を中心に立ち回るフーディンで極めて高い特防を誇るカビゴンに敵う筈がない。ならば想いは後続に託すのだと、そういうことなのだろう。

「そうだろうね、君達に出来ることなどたかが知れている。僅かな灯では耐えられまい、じしん!」

 当然彼らが無償で発動を許してくれる筈がない。既に巨漢はその逞しい腕を振り上げていて、剛拳を以て足元を殴り付ければ水面に広がる波紋のように地を這う衝撃が拡がっていく。
 カビゴンを始点として放たれた震動がフィールド中を駆け抜けて、妖狐を呑まんと瞬きの刹那に眼前へ迫り……これをまともに喰らえば瀕死は免れないが、ツルギの瞳に動揺はない。

「耐える必要などない。貴様ならフーディンの持ち物も読めているだろう」
「故にこそ、これ以上思うがままに振る舞われるわけにはいかないだろう?」

 押し寄せる波濤に喰らわれるその寸前──フーディンの手に握り締められていた匙の片方が、気が付けばボタンが取り付けられた小箱に切り替わっていた。

「そこだフーディン、発動しろ!」

 そしてスイッチを押した瞬間に妖狐が影も残さず掻き消えた。
 それはバトルから離脱する効果を持つ道具である“だっしゅつボタン”だ。その瞬間にフーディンは主人の腰に装着された紅白球へと還っていく。
 繰り出された“じしん”は終ぞ誰に届くこともなく空虚に潰えて、束の間の凪が訪れた。

「フ、これで敵前逃亡は何度目かな。言葉の割りに随分臆病じゃないか」
「好きに貶せばいい、下らない意地で本懐を不意にする程愚かじゃないさ」

 鼻で嗤いながらモンスターボールを突き出せば、先程まで空だったそのカプセルの内では妖狐が肩で呼吸をしている。
 ……彼はスターミーとの闘いで相当消耗してしまっている。まだやり残したことがある以上、暫くは休ませておくのが得策だ。

「次はお前だ。残された体力も僅かだろう、存分に無念を晴らすがいい!」

 腰に装着して次なるモンスターボールを選び取ったツルギが眼前に翳して、その中で時を待つポケモンと視線を交わすと鋭い軌跡が宙を裂いた。
 投擲された紅白球は色の境界から二つに割れて、内より迸る紅き閃光と共に勇壮なる影が象られていく。

「全霊を揮え、閉ざされた扉をこじ開ける! 出て来いケンタロス!」

 天を衝く湾曲した双角、鞭のように体を打ち付け闘争本能を昂らせる三本の尾。首元を剛毛に覆われていて、同種と比べてなお大きな身躯を備えている。
 三度の出陣となる猛き暴れ牛が現れれば鼻息を荒く地を踏み締めて、満身創痍にも関わらず気炎に僅かな衰えさえない。今度こそ、と闘争心を剥き出しに前掻きしながら佇む巨漢を睨み付けた。

「力尽くで攻め込むぞ、かみなり!」

 少年が指示を飛ばせば猛牛が豪然と大地を踏み締めて、双角の狭間に束ねられた膨大な電気は勇ましい咆哮が響き渡ると共に稲妻となって解き放たれる。

「言った筈だよ、その程度──カビゴンを貫くには至らないさ。のしかかり!」
「理解しているさ、そんなこと。だが雨垂れはやがて石を穿つ」
「健気だね、蟻の一穴に崩される程脆くはないのだよ」

 既に雷霆の穂先が通らぬことをツルギは目の当たりにしている、それでも彼が指示を飛ばすのは道を開かんとする不毀なる意志の現れだ。
 エドガーが怪訝そうに眉を顰めれば少年は鋭く対峙する宿敵を睨み付け、めくるめく霹靂が降り注いだ。
 無論カビゴンの体を覆う分厚い脂肪の鎧はその程度の電流で貫ける程に柔ではない。短毛を焦がす轟雷などものともせずに駆け抜けた巨躯は、体型に見合わぬ軽やかな跳躍で隕石の如く猛牛へと隕落する。

「……っ、受け止めろケンタロス! すてみタックル!」

 総重量を乗せて繰り出される“のしかかり”の前に生半可では返り討ちに遭うだけだ。ならば此方も大技を以て受けて立つ、散りゆく間際の命など今更惜しくはない。
 三叉の尾で自らの体を何度と打ち付けた雄牛は勇ましく闘志を奮い立たせて、あらゆる筋肉を肥大させると渾身の力で双角を突き出した。
 双方共に全身全霊を賭けた一撃は凄絶なる威力を誇り、空で衝突すれば抑え切れない余波によって砂塵が巻き上げられて押しも押されもせずに激しく鬩ぎ合う。

「このまま意地を張るのは得策ではないか。退くんだカビゴン!」
「奴を逃すな、ストーンエッジ!」
「そう急くことはないさ。そんな鈍い鉾先など届きはしない、じしん!」

 二匹の鍔迫り合いは著しく拮抗していてこのままでは埒が明かない。“すてみタックル”を利用して限りなく勢いを殺しながら後方に跳躍したカビゴンを逃さんと猛牛が咆哮を響かせて、無数の岩槍が突き上げていく。
 対するカビゴンが震脚すれば再び衝撃波が大地に走り、列を成す石刃を容易く打ち砕かれてしまい。

「だったらどうした。跳べケンタロス、かみなりだ!」

 地を這う“じしん”が眼前へと迫り跳躍で躱しながら雷鳴を轟かせるが、双角の狭間から激しく迸る紫電などカビゴンは意にも介さない。
 その巨躯に似合わぬ速度で地を蹴り付けて勇猛に戦場を駆け抜けていき、瞬く間に距離が縮まっていく。

「君のケンタロスは満身創痍だ、その選択しかないだろうね。だが逃すつもりはないさ、ほのおのパンチ!」

 “じしん”を躱す為に高く跳躍していた猛牛が着地する寸前にカビゴンが至近距離へと躍り出て、緋色に燃え盛る煌火を纏った拳が襲い来る。
 回避も防御も間に合わない、どう足掻いても避けられないだろう。それでもケンタロスは臆することなく最後まで視線を逸らさずに……巨漢が咆哮を響かせると、壮烈なる拳が振り放たれた。

「ケンタロス……お願い、ですっ!」
「……まだだ!」

 そして拳が頬を殴り穿つ──その直前に眩い紫閃が煌めいて、空間を裂く膨大な思念の激流がカビゴンの背を貫いた。

「フ、やるじゃないかツルギ。此の局面へと届かせるとはね」
「……フーディンが願った、未来への思い! ちゃんと今に、繋がってます!」

 予期せぬ位置から不意を打たれて巨漢が思わず姿勢を崩した、この瞬間を逃すわけにはいかない。 
 勇ましく大地を踏み締めたケンタロスが三本の尻尾で激しく自らの体を打ち鳴らし、闘争心を最大限まで昂らせる。

「ようやく手繰り寄せた好機を逃すな! ケンタロス、ギガインパクト!」

 そして腹の底から絞り出した怒号を轟かせれば何もかもを喰らい尽くす闇翳の粒子が禍々しく宙に逆巻いて、猛牛の双角へと収束していく。
 あらゆる技の中でも最大級の威力を誇る紫黒の奔流をその身に纏い、烈々と迸る絶対なる破滅の現出に天地が鳴動し大気が叫喚を響かせて──悉くを滅ぼす凄絶たる大技がとうとう解き放たれた。

「だが……その技を喰らうわけにはいかないな、受け止めるんだカビゴン!」

 いくら重厚な肉鎧に覆われたカビゴンといえど、“ギガインパクト”を喰らってしまえば軽傷では済まないだろう。
 すかさず体勢を立て直して腰を低く落とさんとしたが、瞬発力の低さが仇となった。猛牛が勇壮なる雄叫びを上げて懐に踏み込み、防御を構えるには間に合わない。
 逆巻く激渦を纏いし破壊の衝撃が深く、鋭く巨漢の腹部を貫いて──堰を切る紫黒の粒子が洪水の如く溢れ出せば、視界に映る総てを消し去る爆轟が鳴り渡った。

「……っ、カビゴン!」
「やりましたっ、これなら……!」

 エドガーが呼び掛け、カビゴンはその巨躯を持ってしてもなお抑え切れずに派手に吹き飛ばされてしまう。
 舞い上がった砂塵が視界を覆い隠して、歓喜に叫ぶ少女がフィールドに臨む友の険しい表情に口を噤めば暫時の静謐が降り注いでいく。
 ──深く穿たれた傷痕が、氾濫する奔流に呑まれた体が灼け付くように熱く疼いて……ふと、脳裏に独りだった過去が蘇った。
 生きていくだけでその力を恐れられ、止まらない空腹に堪えながら蹲っていてもただ在るだけで敵と見做された。世界を敵に回して生きていける勇気などなかった、だから痛みにも飢餓にも堪えて謂れなき迫害を耐え続けていた。

「これが……君達の信じる未来か」
「そうですっ! ツルギならきっと、どんなに苦しくても……道を、切り開いてくれますっ!」

 静寂の中で確かめるように呟いた最高幹部にサヤが嬉々として答えたが……擦硝子の瞳は無感動に瞬いて、視界を遮る砂煙の奥に巨影が浮かぶと微かに揺れる。

「ならば改めて告げよう。君の切っ先は私達には届かないと」
「っ、カビゴン……そんな……!」

 ギガインパクトはとてつもなく絶大な威力と引き換えに身動きさえ取れなくなる程の重い反動に襲われてしまう。
 対敵を一瞥した青年が厳粛たる語気で以て断言し、巨漢を倒し切れなければケンタロスの敗北は避けられなかった──少女が悔しそうに唇を噛んだ。

「ダメ……っ、よけて、ください! ケンタロス……!」
「無駄だよ、最早誰の声も届かない。引導を渡してあげようカビゴン、じしん!」

 舞い上がる砂塵を吹き飛ばしながら迫る波濤は少女の悲痛な叫びなど気にも留めずにケンタロスを容赦なく呑み込んで、なお尽きぬ闘争本能とは裏腹にほんの僅かに点されるだけの灯火をいとも容易く掻き消した。
 ……勢い良く撥ねられてツルギの足元に転がった猛牛は、限界を越えてなお激しく三叉の尾で体を叩き両前脚で地を踏み締めたが……やはり、もう立ち上がれる筈がない。
 疲労困憊の身躯を支える脚は小枝のように軽くくずおれて、最後に天を睨め付けると意識を失い瞼が伏せられた。

「戻れ、ケンタロス」

 足元に倒れ臥す猛牛へと翳したモンスターボールが色の境界から二つに割れると、溢れ出す紅光が疲れ果てた勇士を抱き包み安楽の地へと誘っていく。
 戦闘不能だ。何度と急所を鋭く切り裂かれ、自ら捨て身の突進で命を削っていたケンタロスに“じしん”を耐え切れる筈がない。
 カプセルの中で意識を取り戻した猛牛は慌てて跳ね起きるが痛みに前脚さえも動かせず、自らの敗退を悟って悔しそうに俯いた。

「……よく、がんばってくれましたね、ケンタロス。だいじょうぶ、です……ツルギなら、ぜったい負けません」
「問題ない、数的有利に変わりはないからな」

 握り締めた紅白球を背伸びをして覗き込んでいる少女にツルギも淡々と事実を告げる。
 残された手持ちはこれで四匹。フーディンは既に満身創痍だが、それ以外のポケモンは未だに無傷だ。
 厄介なアブソルを正面から捻じ伏せてカビゴンに浅くはない手傷を負わせている、十分な役割を成したと言えよう。

「理解しただろう。君達が束ねた希望とやらも所詮は其処が限界さ」
「だが貴様のカビゴンも無傷ではあるまい」

 あのカビゴンが肩で息をして、痛みを堪えているかの如く顔を顰めながら先刻穿たれた腹部を右手で押さえている。
 如何に高い耐久を誇っていようと、その様子を見る限り“ギガインパクト”はかなり効いている筈だ。

「フ、君達を征するには十分だよ」
「……侮られたものだな」

 それでも最高幹部は不敵に微笑む。その胸に掲げた勝利への確信が揺らぐことはなく、擦硝子の双眸が徐に瞬いて。
 腰に手を伸ばして次に繰り出すべきポケモンを選び──数瞬間逡巡してからひとつのモンスターボールを掴み取る。

「ああ、此処はお前が最も適している」

 眼前に翳したカプセル越しに見つめ窺ってくる瞳に少年はそう答えた。
 カビゴンはまだ技を三つしか見せていない、そして十分に消耗させられながらなお不敵に笑って見せている。
 恐らく体力を回復する技を覚えているのだろう、ギャラドスの“ちょうはつ”ならば未然に防げたろうが此度は……いや、それはそれで容易く読まれて退かれてしまっていた筈だ。
 ならば真正面から押し切るだけだ、無理にでも道を切り開く。

「次はお前に任せよう。出て来いギルガルド!」

 新たに掴み取った紅白球を投擲すれば、フィールドに眩い光が解き放たれた。
 影を斬り捨てて現れたのは鍔の両端から紫の帯を靡かせて、金の柄から伸びる白銀の刃を妖しく輝かせる一振りの霊剣。金工象嵌の施された円盾を構えて、鍔に嵌められた宝玉の瞳で討つべき敵を睥睨する。
 時に鋼の重さと強度を活かして相手を叩き割り、時に鋼の体と霊力のバリアであらゆる技を弱める攻防二つのフォルムを併せ持つ“おうけんポケモン”ギルガルド。

「主を自ら選ぶ剣、か──ある意味君にはお似合いだね」
「何が言いたい?」

 一人納得したとばかりに頷く最高幹部に少年が眉を顰めれば、微笑みながら言葉が続けられていく。

「君はこれまで何度と自らの手で道を選び取って来た。他者を傷付け、己を守り、ただひとつの古寂びた願いを目指して」
「それは……それでも、わたしはツルギに……!」

 ツルギにはそれしか選択肢がなかった、進んで誰かを傷付けたいわけではなかった筈だ。
 だからサヤが必死に庇い「救われた」と続けようとした声は少年自身に制される。何故、と見遣ればその瞳は冷淡に瞬いており──事実は事実だと、擁護を拒まんばかりに真っ直ぐエドガーを見据えていて。

「ギルガルドだけじゃあないさ。やはり君とポケモン達はよく似ている、改めてそう思ったよ」

 その発言にサヤも内心で共感を示した。長く一緒に過ごす時間の中で似てきたのだろうか、それとも共通項があるからこそ仲間で在り続けられたのだろうか。
 いずれにせよ、彼とそのポケモン達は何処かに類似点を見い出せる。
 だが……この状況で語るのは、ただ雑談に興じたかったわけではないだろう。口元に微笑を湛える青年の瞳には昏き決意が宿り、凍える双眸でツルギを睨み付けていて。

「戯言を。だとしたらなんだ、言いたいことはそれだけか」
「だからこそ、君もそのポケモン達も完膚なきまでに叩きのめさなければならない。もう二度と……彼方の星など望めぬようにね」
「無駄だ、俺は貴様を倒してその先へ行く。オルビス団を根本から断ち切り──この手に願った未来を掴むさ」

 暫時の静寂の中で二人の視線が交錯し、巨漢と王剣が剥き出しの闘争本能を迸らせて──互いの隙を窺わんと用心深く睨み合っていた両者だったが、このままでは埒が明かない、と意を決したツルギが叫ぶ。

「攻め込むぞギルガルド、せいなるつるぎ!」
「受け止めるんだカビゴン、ほのおのパンチ!」

 自らの体を刃と為して。天へと掲げられた王剣から放たれる眩い蒼白の奔流は澄み渡る星刃を象って、超高速で宙を裂くと腰を低く構えるカビゴンへと渾身の力で振り下ろされた。
 対する巨漢が燦々と揺らめく焔を双腕に宿して臆することなく突き出せば、星剣と火拳が真正面から衝突して激しく光と炎が撒き散らされる中で両者共に譲ることなく鬩ぎ合う。

「カビゴン、ぜんぜん押し切れません……!」

 幾重に振るわれる刃はその度に“ほのおのパンチ”に受け止められて、「シャドークロー!」ならばと影を纏いし両掌を振り翳して迎え撃つが威力は拮抗してしまう。
 否──確かに地を踏み締めるカビゴンは自らの総重量を支える強靭な足腰を支点にして更に押し返して来た。

「やるな……っ、キングシールド!」
「君の狙いは理解しているよ。カビゴン、のしかかり!」

 このままでは押し切られてしまう、咄嗟に指示を切り替えるが当然最高幹部はそれを読んでいた。
 ほとんど同時に声が響けば高く跳躍したカビゴンがその巨躯を以て隕石の如く降り注ぎ、対するギルガルドは盾を掲げて待ち構える。
 だが──はがねタイプとゴーストタイプを併せ持つギルガルドにノーマルタイプの“のしかかり”は効果がない。翳された盾もギルガルドの体もすり抜けて地面に墜落してしまった。

「来るぞギルガルド、離脱しろ!」
「そうは行かないさ。まだ間に合う、捕まえるんだカビゴン!」

 “キングシールド”はあらゆる技をその盾で防ぎ、触れたものの攻撃を下げてしまう優秀な追加効果を備えている。だが触れられなければ意味を成さない、それを見越して敢えてノーマルタイプの技を使ったのだろう。
 更にその巨躯が激突したことで砂塵が巻き上げられて視界が砂煙に閉ざされてしまう。すかさず飛翔しようとしたギルガルドだが、カビゴンは己が痛みなど厭わず刃先を掴んで握り締めた。

「そろそろ虎穴に踏み入らなければね。じしんだ!」

 頭から地面に叩き付けられ、すぐさま離脱せんと王剣が盾ごと体を持ち上げた瞬間に地を揺らがす波紋が拡がり呑まれてしまった。
 効果は抜群だ。数度地面を転がるとすぐさま飛翔して姿勢を立て直し、翳した盾を誇るように振り上げ降り注ぐ照明を照り返す。
 そしてその裏に忍ばせていた薄緑の紙『じゃくてんほけん』が発動すれば王剣を緋色の光で包み込み、攻撃と特攻がぐーんと上昇した。

「いくら攻守共に著しく秀でたギルガルドであれど、技の威力故に決定打に欠ける。今のも君の狙い通りかな?」
「まさか、その為だけに手痛い代償など払わないさ」

 それは“効果抜群の技を受けた場合”という限られた状況でのみ使用出来るハイリスクハイリターンな道具だ。厳しい条件故に得られる対価も大きく、発動さえ叶えば使用者の攻撃と特攻がおよそ倍にまで跳ね上がる。
 もっとも──この状況を想定していなかったと答えれば勿論嘘になる。たとえ防御に特化したシールドフォルムであれどカビゴン程のポケモンから望んで弱点を突かれるなど御免被るが。

「だがこれで勝機は見えた、攻め入るぞギルガルド! せいなるつるぎ!」
「さあ、君に切り崩せるか試してみるが良いさ。ほのおのパンチだカビゴン!」

 再びギルガルドが切っ先を空高くへと翳せば夥しい膨大な星の眩耀が流れ出して、長大なる蒼刃を形成すると横一文字に薙ぎ払われた。
 咄嗟にカビゴンも火拳を突き出して応えるが、攻撃が跳ね上がっている今剣閃を片腕で止められる筈がない。脇腹を深く斬り裂かれて吹き飛ばされると壁面に叩き付けられてしまう。

「やった、これで……!」
「いや、奴らがこの程度で終わる筈がない」

 ぱらぱらと零れ落ちる瓦礫と共に巨漢も呆気なく地に落ちて、うつ伏せになって倒れ伏す。
 ついに難敵を打破出来たのだろうか、ぬか喜びする少女の隣で少年が険しい表情を返した。

「カビゴン、寝ちゃってます……まさか!」
「ああ、君達の推測する通りさ」

 ツルギとサヤの推測は正しい、カビゴンはまだ斃れてなどいない。寝返りを打って仰向けになりけたたましいイビキを響かせて、余り有る食欲から懐に隠していた木の実を眠りながら頬張り始める。
 彼が取り出したのは『カゴのみ』、紡錘形をしていて上部を青い皮に覆われた薄橙色の果実だ。とてつもなく固く渋いその木の実には、ポケモンをあらゆる眠りから醒まさせる効能がある。

「カビゴン……やっぱり、ダメージなんてない、みたいに……」
「ああ、君達が懸命に積み重ねた痛みなどなかったことにさせてもらったよ」
「やはり“ねむる”か」

 我が目を疑い掌を握り締めるサヤの絶句に少年は眉間を皺寄せながらも淡々と吐き出した。
 まだ余力が残されているにも関わらずカビゴンは不自然に倒れ込んだ、その時には既に技を発動していたのだろう。

「だが危なかったよ、もしケンタロスのギガインパクトにノーマルジュエルが乗せられていれば……先刻の聖剣に耐え切れず倒れていたかもしれない」
「犠牲の上に君臨する、今のお前と同じだな」
「ああ、そして最後に君を主が望む世界への贄と捧げよう」

 “ねむる”──それは少しの間眠りに就いて無防備な姿を晒してしまうが、その代わりにどれだけ深刻な傷を負っていようと如何な状態異常に身を侵されようと悉くを回復する厄介な技だ。
 当然最高幹部がそんな隙だらけの状態を許容する筈がない。すかさずねむり状態を回復する木の実カゴのみを食して本来であれば晒す筈だった隙を潰したのだ。

「……ならば倒れるまで刻むだけだ! ギルガルド、再びせいなるつるぎ!」
「素晴らしい、見上げた闘志だよ。受け止めるんだカビゴン!」

 すかさずツルギが指示を飛ばせば再び耀きを束ねた聖なる王剣が振り下ろされて、しかし目を覚ましたカビゴンはすぐさま起き上がり眼前に迫る刃に両手を翳すと見事に白刃取りを決めてみせる。
 両側面から刃を掴まれてしまい逃げられない。だったら押し切るのみだと全霊を振り絞るが、カビゴンは不意に体を傾けて王剣を左方へと投げ飛ばして。

「流石に少々厄介だ、そろそろご退場願おうか。カビゴン、じしん!」
「その言葉そのまま返してやろう。備えろギルガルド、キングシールド!」

 すぐさま放たれた追い打ちは咄嗟に盾を構えて防ぎ切り、このまま近距離で鎬を削るのは得策ではない、ギルガルドとアイコンタクトを交わして退がらせた。

「いくら肉の鎧に守られていようと多少は堪える筈だ。ラスターカノン!」

 そう、先刻発動した“じゃくてんほけん”の効果で上昇したのは攻撃だけではない。特攻も倍増している今なら圧倒的な特防を誇るカビゴンに傷を負わせることさえ可能だろう。
 王剣の瞳へと逆巻く粒子が束ねられ、眩い白銀の輝きが湛えられると──瞬きの直後に、めくるめく絶大な耀きで極太の光線が解き放たれた。

「確かに、これ程の技を無償では受けられまい。だがその程度で傷付けられる程柔ではないのだよ、ほのおのパンチ!」

 激しく迸って戦場を深く抉り、宙を裂き襲い来る膨大な奔流にカビゴンは炎を纏いし双拳を突き出して応える。
 正面から凄まじい衝撃を受け止めた巨漢は力強く大地を踏み締めてもなお勢いを抑え切れずに数メートルほど後退してしまうが、それでも押し寄せる怒濤を無理矢理踏み留めてみせて。
 撒き散らされた白銀の余波が地を貫いて壁面を穿ち、それでもなお両者は一歩も譲らない。やがて王剣が限界を迎えたのか“ラスターカノン”は降り止んで、カビゴンは悠然とフィールドに立ち尽くす。
 やはり──決着を決付けるには接近戦に臨むしかないらしい。

「……斬り崩せギルガルド、せいなるつるぎ!」
「ああ、君はそうするしかないだろうね。ほのおのパンチで受け止めるんだ!」

 膨大な蒼輝を纏い振り下ろされた聖剣に、巨漢は臆することなく受けて立つ。
 熱く滾る猛火を纏い突き出された双拳は真正面から聖剣を受け止めて、両者譲らぬ鬩ぎ合いは徐々にギルガルドへ趨勢が傾くが決して崩れることなく堪え切ってみせた。

「ならばシャドークロー、押し切るぞ!」

 剣閃で押し切れないのなら、此方も両腕を以て制すればいい。
 紫帯を翳せばその先端から黒く逆巻く暗影が噴き出して、一切を引き裂く巨大な鉤爪が形成された。
 漆黒の影爪は燃え盛る焔など容易く掻き消して、双腕を振り上げれば巨漢の防御姿勢を容易く打ち崩すが……ノーマルタイプのカビゴンには効果がない。

「……っ、退けギルガルド!」
「おや、せっかく訪れた好機を不意にしてしまうとは」
「これ見よがしな隙に飛び入るつもりはない」

 脳裏で警鐘が鳴らされた、このまま切り込めば恐らく返り討ちに遭う。すかさず飛び退ればカビゴンが腕を振り上げて、王剣が盾を突き出した。

「ならば此方から行かせてもらおう、じしん!」
「正面から受けて立つ、キングシールド!」

 そして駆け抜ける波紋は絶対の防御を以て防ぎ切り……既に足下に影が落ちていた。見上げれば高く跳躍した巨漢が頭上に迫っていて、ここで読みを外せば途端に劣勢へと陥るだろう。
 だが──不敵に笑う最高幹部を睨み付ける少年の瞳に惑いはない。主人と視線を交わせば理解出来る、彼には既に答えが見えているのだと。

「迎え撃て、せいなるつるぎ!」
「正解だよツルギ。いや……安定択を取った、と言った方が正しいかな?」

 “じしん”を打つには跳躍は不要だ、のしかかりで透かされるのであれば防御する必要はない。
 もしカビゴンが繰り出すのが“ほのおのパンチ”であれば少なくとも一度は耐えられる。この択であれば優位には立てないが不利に陥ることもない。
 どう転んでも構わない無難な択をすかさず選び取ったのだ、当然魂胆など見透かされている。それでもこの決断に間違いはないだろう。

「その堅実さは素直に評価しよう。だが此方も易々と受けるつもりはないさ、半身を切って躱すんだ!」

 やはり巨漢を一筋縄では斬り崩せない。威勢良く薙ぎ払われた蒼光を纏いし剣閃は体を翻して寸前で躱されて、着地と同時に地を蹴ったカビゴンはすかさず懐へと潜り込んで来た。

「さあ放つんだカビゴン、じしん!」
「……受け止めろ、キングシールド!」

 激甚たる震脚が地を穿ち、瞬く間に拡がる波紋が防御を構えた王剣へと牙を剥く。その盾によって為される絶対の守りは如何なる技も通すことはなく──しかし、既に左腕が振り上げられていた。
 間もなく再び“じしん”が繰り出される、防壁を展開したところでその場凌ぎにしかなり得ない。ならば此処は攻め入る他に道はない。

「退路がなければ進むだけだ。抜刀しろギルガルド、せいなるつるぎ!」
「その意気や良し、ならば此方も応えよう! じしんで打ち砕いてあげるよ!」

 せめて骨を断たれようとも肉を切る。膨大な蒼輝を束ねて振り抜かれた一閃はカビゴンの腹部を深く裂きその巨躯をも吹き飛ばすが、同時に放たれた地震の衝撃波が無防備な王剣を呑み込んだ。
 幾度か戦場を転がると体を地面に突き立てて盾を片手にギルガルドが起き上がり、対する巨漢はエドガーの眼前まで後退しながらも勇ましく足を踏み締めて身構える。

「やるな……ラスターカノン!」
「何度やっても結果は同じさ、ほのおのパンチ!」

 再び放たれた膨大な白銀の輝きが空を貫き悉くを砕いて迸る。対して固く掌を握り締めた巨漢は再び拳から烈火を噴き出して、押し寄せる怒濤の光線を真正面から受け止めた。
 ──このままでは確実に倒される。膠着状態を崩す術はひとつしかない、たとえ読まれているとしてもただ無為に散り逝くよりは余程良い。

「勝負に出る、決めるぞギルガルド! せいなるつるぎ!」

 最後に残された全身全霊を振り絞り、天井をも照らし尽くす程の膨大な星の輝きが解き放たれて蒼き耀きを刃と纏う。
 夜さえも焼き焦がす奔流を束ねた極大なる剣が高く翳されて──最高幹部が不敵に笑った。

「そのギルガルドの性能、実に素晴らしいよ。あらゆるステータスを高水準で兼ね備えている」

 対するカビゴンが双拳に燃え盛る燦火を噴き出すと、雄健とフィールドを踏み締めて空の煌めきを仰ぎ見る。最高幹部の瞳は揺らがなく、此処で決めるのだと確信を秘めている。

「だが……それでもカビゴンは倒せないさ、来ると分かっている技など対処は容易い。受け止めるんだカビゴン、ほのおのパンチ!」

 縦一文字に振り下ろされた星の聖剣が宙を切り裂き蒼き軌跡を描き出す。対するカビゴンの振り上げた燃え盛る右拳が勢い良くギルガルドの側面を殴り付ければ軌道がほんの僅かに逸れて。
 その瞬間翳した左腕の側面を這わせて渾身の剣閃を凌ぐとすぐ真横の地面が深く抉れ、続けて突き出された烈火の右拳が刀身たる体を貫き……ギルガルドが派手に吹き飛ばされてしまった。

「そんな……ギルガルド!? まだ、たおれないで……」
「見苦しく叫ぶな、鬱陶しい」

 幾度か地面を転がってようやく静止した彼は最後に動かない体を持ち上げようとしたが……その思いは終ぞ届かない。ついには意識が尽き果てて、からん、と剣と盾が投げ出されれば虚しく地面に転がった。
 それでも、此処で敗れたら状況が厳しくなってしまう。何とか起き上がって欲しいと必死に鼓舞するサヤだったが、ツルギに制止されて焦燥を浮かべながらも口を噤む。

「……戻れギルガルド」

 少年が軽くモンスターボールを翳せば、溢れ出した紅光が倒れ伏す王の剣とその横に転がる円盾を優しく包んで安息の地へと誘っていく。
 そしてカプセルの中でようやく意識を取り戻したギルガルドは──自らの弱さを嘆くように瞼を伏せた。
 彼に落ち度などはなかった、ただ相手が悪かっただけなのだ。けれど気に病むのも当然だ……此処までの闘いで一匹も討てずに瀕死になってしまったのが自分だけなのだから。

「あれだけ削れれば構わないさ。後は十分に御し切れる」

 ──だが主人に淡々と投げかけられた言葉で心は安堵に彩られ、徐に瞼を閉じると深い眠りへ身を委ねる。彼の瞳に映っていたのは虚勢でも慢心でもない、必ず仕留めるのだという確信めいた決意だったから。
 これまで幾度と地を這い回り、数え切れない修羅場を踏み越えてとうとう極致へ至ったのだ。だから信じている……自分が王になり得ると信じた男が、道半ばで斃れてしまうはずがないのだと。

「さて、これで数は互角だね」
「……鬱陶しい」

 確かにエドガーの語る通り、両者共に数の上では残り三匹となる。
 しかしこちらは既にフーディンが満身創痍になっていて、対するカビゴンは並大抵の技ならばあと一度は耐えられるだろう──其処には明確な差が存在する。
 ギルガルドが眠るモンスターボールを腰に装着して、新たな紅白球を掴み取ると真っ直ぐに突き出したツルギが険しい眼差しで仇敵を睨み付けた。

「ならば再び引き離すまでだ、速攻でカタを付けてやろう!」

 これ以上手持ちを消耗してしまえば、ようやく見えて来た勝機が再び彼方へ遠ざかってしまう。何としてでも無傷で越えなければならない、この窮地を脱するには頼れるポケモンは彼しか居ない。
 モンスターボールが投擲されれば紅き軌跡が空を裂き、その内より溢れ出す眩い紅光が天上に勇壮なる影を象っていく。

「出て来いフライゴン!」

 菱形の双翼が威勢良く羽ばたけば纏わりつく粒子が露と散り、翡翠の竜が軽やかに宙へ舞い上がる。
 しなやかに伸びる腕の先には研ぎ澄まされし鋭爪が閃いて、目を覆う赤いレンズの奥で切れ長の眼差しが戦場を睥睨して徐に瞬いた。

「フライゴン……! これなら、あのカビゴンだって……きっと、越えられます!」
「当然だ、奴の暴威はここで終わらせる」

 決意に満ちた雄々しき咆哮を響かせてついに荒廃した焦土へと降り立ったのは、幼い頃からツルギと共に標を望み続けた最強の相棒。
 歌声に似た羽音から砂漠の精霊と呼ばれ、常に砂嵐の中に在ると伝えられるせいれいポケモンのフライゴンだ。

「フ、ついに切り札に縋らざるを得なくなったようだね」
「案ずるな、すぐに貴様の相棒も引き摺り出してやるさ」

 静寂に包まれたフィールドへフライゴンの羽音によって奏でられる美しい旋律が響き渡って、その羽ばたきで砂塵が吹き荒れていく。
 対する巨漢は両脚で大地を踏み締めて山のように確かに聳え立ち、劣勢に窮しながらなお臆することなく泰然自若に構えていた。

「一気に斬り崩せ、ドラゴンクロー!」
「君達が何処まで研ぎ澄まされたのか、その切れ味を計らせてもらうよ。ほのおのパンチ!」

 ──降り注ぐ静寂の中で先んじて動き出したのはツルギ達だ。舞い上がる砂嵐を周囲に纏いし精霊竜が低空飛行で猛然と宙を駆り、翳した双腕の先には蒼く煌めく粒子が噴き出して眩耀たる竜爪を形成する。
 対するカビゴンが両拳を突き出せば緋色に燃え盛る焔を纏い、渾身の力で突き出されて戦場の中心で衝突した。

「……やはり彼が相手では分が悪いか」
「消耗したカビゴンで受けられると思うな、このまま押し切るぞ!」

 正面からぶつかり合う二匹の技は激しく鎬を削り合い、蒼光と緋炎が互いを喰らわんとめくるめく耀きを散らして迸る。抑え切れない技の余波に大地が裂かれ宙は灼け──しかし、その趨勢は明らかだった。
 体重を乗せて地を踏み締めてなお炎拳は竜爪を抑えるまでには至れずに、燃え盛る猛火さえ喰らい尽くす程に激しく竜気が逆巻いていく。
 ならば切っ先を逸らそうと巨漢は腕を傾け、手の甲で受け止め、軌道を逸らし、織り成される剣戟の中で辛うじて被弾を避けるが何度も凌ぎ切れる筈がない。
 振り翳した剛腕ごと竜爪に貫かれたカビゴンは、とうとう宙に投げ出されてしまう。

「決着を付ける! 翔べフライゴン、ドラゴンダイブ!」
「……迎え撃つんだカビゴン、ほのおのパンチ!」

 精霊竜が咆哮を轟かせて高く天へと舞い上がれば総身から噴き上げる星芒の奔流を鎧と纏い、巨漢が残された全身全霊を振り絞って双拳に猛る炎を纏う。
 蒼き軌跡が空を切り裂き、流星の如く駆け抜ける。光の尾を棚引かせて鋭く突き出された鋒は双拳によって受け止められるが、凄烈なる威力を抑え切ることは叶わない。
 降り注ぐ膨大な蒼耀に呑まれたカビゴンはそれでも最後まで竜を睨み付けていて──意識が薄れゆくのを感じながら、逆巻く怒濤に吹き飛ばされた。

「ありがとう、よく闘い抜いてくれたねカビゴン」

 ……壁面に激突した巨漢は壁に背を預けながらしばらく虚ろな眼差しで項垂れていたが、とうとう限界が訪れたようだ。
 徐に地面へ倒れ込むとうつ伏せの状態で眠りに落ちて、ごろんと寝返りを打ち仰向けになれば呑気ないびきが繰り返される。
 最高幹部が微笑みながら労いの言葉を贈ってハイパーボールを振り翳し、圧倒的な暴虐を揮った巨漢が暖かな紅光に抱かれて──ようやく力尽きてくれたらしい、安息の箱庭へと還っていった。

「なに、君は十分な戦果を残してくれたよ。後は我々に任せてくれれば問題ないさ」

 カプセルの中で目を覚ましたカビゴンが寝転がり朦朧としながらも憂いげに主人を見つめれば、エドガーは穏やかな微笑みで応えてみせる。
 フライゴンに手傷を与えられず敗れた不甲斐なさを悔いているらしいが、連戦によって消耗していた上に相性も悪かったのだからしかたがない。
 むしろあのツルギを相手に二匹を破る快挙を遂げたのだ、十分過ぎる働きと言えるだろう。

「ああ、あの頃から……随分遠くへ来たものだね」

 主人の言葉に巨漢も徐に頷いて、遠き追憶を振り返る。
 ──カビゴンはその巨躯故に、体重に等しい莫大な量の摂食を必要とする。かつては橋の上に陣取って日がな怠惰に過ごしていたが……不作から食糧難に陥ったある年に、人と問わずポケモンと問わず害悪だと見做されて住処を追いやられた。
 その後人間達の間でカビゴンを捕獲して保護してくれる人を探すべきか、それとも仕方のない犠牲として排除するべきかで論争が起きたが……議論に決着が付く前に反対派から強襲を受けた。

「君の居場所は此処に在る。総てが終わったその後は、思うがままに過ごすと良いさ」

 それでも手を出せば己が悪だと認定されて、ただ生きることさえ叶わなくなるだろう。
 だから内で渦を巻く衝動に耐え、絶えず訴え続ける食欲を抑え、理不尽な被虐を受けても抵抗せず必死に堪えていたが……その苦境をある青年が救ってくれた。
 菖蒲のジャケットを羽織り菫色の長髪を三つ編みに束ねた少年──まだ若かりし頃のエドガーだ。
 彼は自分に居場所と食糧を提供してくれた。人と共に在る喜びを教えてくれた。たとえ如何な悪逆を働こうと、かけがえのない恩人であることに変わりはない。
 だから彼の為ならなんだって出来る、だから世界とだって闘える。だから蒼く溢れ出す星の輝きに……微かな希望を見出してしまった。

「さあカビゴン、ゆっくり休んでくれ。我らなら必ず勝利へ辿り着けるさ」

 世界がどんな形に姿を変えようと、正直自分には興味がない。ただこの決戦の先に答えが見つかって、ずっと己が心を殺して巨悪の幹部として君臨し続けて来た主人が骨を休められるのならそれで良かった。
 ……もう、意識を保つのも限界だった。半身を起こしてエドガーを見つめていたカビゴンだったが、糸が切れたように崩れ落ちて深い眠りへと誘われていった。

「やっと、カビゴンを倒せました! すごいです、みんなで掴んだ、勝利です……!」

 少女の言葉に翠竜も優しく頷いて、相変わらず眉間に皺寄せるツルギは厳しい表情を浮かべながら左手にモンスターボールを握り締める。
 フーディンとケンタロス、ギルガルドと後へ繋げることでようやく一勝を手繰り寄せられた。これで状況は再び互角へと揺り戻されてサヤが安堵に胸を撫で下ろし──それから、固唾を呑んでフィールドを見つめた。

「ああ、まだ奴には二匹が控えている。お前も今は羽を伸ばしておけフライゴン」

 翳した球から奔る紅閃に包まれれば相棒が束の間の休息へと招かれて、その時を待ち望みながら暫しの憩いに身を委ねる。
 次に繰り出されるであろうミロカロスは最低でもカビゴンと並び立つ優れた性能を誇り、彼の相棒であるメタグロスに至ってはその二匹でさえ及ばない絶対的な力を以って君臨していた。
 ──最高幹部を斬り崩す度に心の何処かに焦燥が募る。必ず勝利を奪い取るのだと心に誓い研ぎ澄まされた決意を掲げて、なおも此の体に刻まれた敗北の痕が仄かに疼く。
 もう間もなくでエドガーの相棒が姿を現し、永きに渡る因縁に終止符が打たれる。果たして、最後に立っているのは……。

「だいじょうぶ、です」

 次に繰り出すべきポケモンは既に決まっている。険しく眉を顰めながら新たなモンスターボールを掴み取ったその瞬間、珍しく強い語気で少女が呟いた。

「ここまで、たどり着いたんです。ツルギとポケモンたちなら……きっと、負けません!」
「……ああ、その為に俺はここに在る」

 小さな手でクローバーのネックレスを握りながら見上げてくる漆黒の瞳は一切の翳りなく確信に彩られていて、ツルギとポケモン達が勝利を掴み取ることをほんの僅かも疑っていない。
 ……そうだ、こんなところで悠長に足踏みしていられる程暇ではない。矢のように疾く駆けていく時に置き去られない為には前に進み続けるしかないのだ。
 蒼き瞳が徐に瞬けば未来を見据えて力強く見開かれ、惑わぬ決意を心に掲げると固く紅白球が握り締められた。

■筆者メッセージ
サヤ「カビゴンも、ついに倒しましたっ!これで、エドガーさんの手持ちも…あと二匹です!」
ツルギ「だが俺も残りは満身創痍のフーディンを含めて三匹だ。奴を討つには心許ない」
サヤ「もしかしてツルギ、怖…いです、顔が怖い、です!」
ツルギ「…鬱陶しい、戯言は大概にしておけ」
サヤ「…ふふっ」
ツルギ「今度は何だ…」
サヤ「いえ…うれしい、です。ツルギがそんな風に、心を見せてくれるのが」
ツルギ「何を言い出すかと思えば」
サヤ「あなたは…ポケモンにだって、本音は言わないから。だから、そんな風に言ってくれるのが…うれしい、です」
ツルギ「…そうか」
サヤ「あれ、でもツルギって…ジュンヤさんとか、エドガーさんには…結構はっきり、言ってます…?」
ツルギ「奴らは鬱陶しいからな」
サヤ「なんだか…少し、悔しいですっ。フライゴンも、分かります…よね!?」
フライゴン「(無言の首肯)」
ツルギ「知らん、鬱陶しい!」
せろん ( 2023/01/11(水) 23:53 )