ポケットモンスターインフィニティ - 第十五章 闇を裂く星辰
第134話 暗夜へ標す星跡
 十三年前から続く因縁──その果てに諸悪の根元たるオルビス団の居城にて対峙するのは、かつて全てを滅ぼした張本人である最高幹部のエドガーだ。
 “不動”と称されるその実力は圧倒的で、これまで幾度と突き付けた鉾先はその悉くが容易くあしらわれてきて。
 此処に到るまで遠く、険しい道程だったが……ついに、城塞の如く聳え立つ確たる威容に蟻の一穴が穿たれた。

「やった、とうとう……一匹撃破、ですっ!」

 濡羽色の長髪、純白のワンピースに身を包んだ小柄の少女サヤが歓喜に叫ぶ。
 ローブシンとカイリキーが全身全霊を懸けて繰り広げた激戦は、目まぐるしく織り成される死闘の末に両者の共倒れで幕を下ろした。犠牲を払ったとはいえ、あれ程までに遠かった仇敵が繰る手持ちの一角がついに陥落したのだ。
 遥かな頂に一条の勝機がようやく霞み──未だ微かな兆しに過ぎないが、此れまでの敗北を思えば万に一つの可能性でもあれば十分だ、とツルギが徐に拳を握る。

「フ、まさか相討ちにまで持ち込まれてしまうとは驚いたよ。君もポケモン達も……本当に強くなったようだね」

 菫色の長髪がたおやかに靡いて、菖蒲のトレンチコートが飜る。瞼を伏せた最高幹部エドガーは確かな実感を抱いて微笑を浮かべた。
 ……対岸に立つ少年は、物心が付いたばかりの幼い頃に過酷な環境へと投げ出された。見えない明日を手探りで漁り、一歩を踏み出すごとに傷が刻まれていく茨の道を血に塗れてでも進み続けて。
 きっと何処かで斃れていた方が余程幸せだっただろう、それでも彼はついに到った。立ち塞がる一切を薙ぎ倒し、降り注ぐ幾多の艱難辛苦を乗り越えてこの場所に。

「悉くを切り捨ててまで力を求め、約束の地へと辿り着く。その揺らがなき信念には心底感嘆するばかりさ」

 全てを擲つ覚悟など、誰にだって出来るものじゃあない。だがそれだけで強くなれる程に現実が優しく出来てなどいないのも事実だ。
 彼らが極致に至れた理由など眼を見れば容易に理解出来る。揺らがなき信念を湛えるその眼差しは旅人を導く極星のように、雌伏の中で研ぎ澄まされた意志は闇に惑うことなく輝いていたから。

「約束したからな。此の手に未来を掴み取ると」

 翳した左掌を力強く握り締めたツルギが、瞳の奥に遠き日の惨劇を映しながら揺らがぬ決意で最高幹部を睨め付ける。
 ──今の少年達の姿からは確かに伝わって来る。かつて復讐に身をやつした血染めの剣鬼は既に亡く、譲れぬ願いを掲げて吹き荒ぶ嵐へ抗っているのだと。

「貴様こそよくやる。馬鹿げた大願の為に願った世界さえ葬り、それを引き摺り続けているのだからな」
「全く以って君の言う通りだ、私はヴィクトル様の目指す理想など求めてはいない。だが何度でも言おう……決断はとうに済ませたんだ、今更退路など無いさ」

 瞼を伏せれば、まだ幼かった遠い日々の記憶は否応にも鮮明に脳裏へ蘇る。あのお方は血塗られた地の獄で戦い続ける弱く惨めな少年を救ってくれた。
 かつて手を差し伸べてくれたから、失くしたくないと思えた暖かな居場所を自らの手で滅ぼした。赦されぬ悪逆に手を染めて此の終局にまで至った。
 今もその心を動かして、エドガーを最高幹部たらしめているのは大恩に報いたいという主への忠義だ。たとえ世界が滅ぶとも、選んだ道の先に待つのが絶望だとしても……共に堕ち続けると誓ったから。

「……わたしも、気持ちは分かります。あの日ツルギに救われました、ツルギが言うなら……きっと、なんでもしたと思うから」

 青年は今でも引き摺り続けているのだ、自ら切り捨て踏み付けて来た数え切れない花弁を。
 そうまでして忠義に尽くす気持ちはサヤにも痛い程に理解出来た。いくら赦されぬ大逆だとしても、いくら悪辣に手を染めたとしても、大切な人がそれを望むのであれば──全てを捧げてでも叶えてあげたい。
 それが孤独に苛まれて失意に沈み、心からの喜びを失った恩師の笑顔を見る為だと言うのなら尚更だ。

「そうだな、次はお前に任せるのが適している。思うがままに暴れ回るがいい」

 既に奴の手持ちは殆ど割れた。未判明の一匹はこれまでの攻防に姿を現さなかった時点でカビゴンやミロカロス以上の脅威ではないだろう。
 ならばこの状況で繰り出すべきポケモンは奴しか居ない。ツルギが迷う事なく新たなモンスターボールを掴み取ると眼前に翳して、カプセル越しにそう告げた。

「貴様が退けぬというのなら、この手で進路を断ってやろう。最後に勝つのはこの俺だ!」
「君の鋒先を届かせやしない、新しい明日はすぐそこだ。全ての負債は清算していく……君の叛逆も此処で終わりさ!」

 互いの握り締めた次なる球は揺らがなき想いを込めてバトルフィールドに臨み、爛々と降り注ぐ照明を浴びて内に身構えし獣が吠え猛る。
 利剣の如く研ぎ澄まされた双眸と、鋭く睥睨する擦硝子の瞳──冷厳を湛えた眼の奥に確かな熱を帯びた両者の視線が交錯して、宙を鋭い二筋が切り裂いた。

「今度こそ存分に力を揮わせてやる、出て来いケンタロス!」

 投げ放たれたモンスターボールが色の境界から二つに割れると鮮烈な光が溢れ出し、鋭く迸る軌跡の先に二つの影が象られていく。
 身体に纏わりつく紅き粒子を振り払い、威勢良く咆哮を響かせて出陣するのは天を衝く双角。首周りを刃さえ容易く通さぬ剛毛に覆われた巨躯の猛牛。
 先刻は圧倒的な力の巨漢が立ち塞がって思うように暴れられずに欲求不満で一層荒ぶっている。三本の尾で激しく自らの身体を打ち付け荒々しい闘志を迸らせるのはあばれうしポケモンのケンタロスだ。

「すまないね、もう一仕事お願いするよアブソル。露払いは君に任せよう!」

 一方軽やかに降り立つのは三日月の如く湾曲した鋭利な黒角。溢れ出す力の余波で全身を覆う柔らかな白毛が逆立っていて、同種よりも一回り大きな体躯を誇る壮麗たる霊獣。
 双眸炯々の眼差しでツルギ達を一瞥したわざわいポケモンのアブソルは、鍛え上げられたしなやかで逞しい四肢を以て焦土を踏み締める。

「この組み合わせなら……がんばれば、きっと!」

 最高幹部が繰り出したのは湾曲する三日月の角を掲げて佇む霊獣、相手取るは天を衝く双角を携え昂る愉悦に前掻きする猛牛。
 再びの出陣となる両者を見比べたサヤが期待に胸を膨らませ、小さな手の平を握りながら頷いた。

「一気に切り崩すぞケンタロス、かみなり!」
「そう易々と踏み込ませやしないさ。つじぎりだアブソル!」

 力強く大地を踏み締めたケンタロスが雄壮なる咆哮を響かせて、双角の狭間で迸る紫電が稲光の束となり白き霊獣へと降り注ぐ。
 対するアブソルが低く唸りを上げて掲げた三日月の如く反り返った黒角からは、逆巻く悪意の奔流が堰を切るように溢れ出していく。
 昏き月影を帯びた一閃は目眩く膨大な雷霆を真正面から受け止めて、瞬きの刹那遅れて天さえ震撼する盛大な破裂音が鳴り響いた。

「やるな、威力は互角か……!」
「流石のパワーだよ、極限まで鍛えられている!」

 余波さえ周囲を容易く焼け焦がす凄まじい衝突に臆することなく月角を翳した霊獣が、天翔ける稲妻の穂先を切り裂き強く大地を踏み締めた。
 鬩ぎ合う雷電と闇影。溢れ出す膨大な威力は苛烈な鬩ぎ合いを繰り広げるが、終ぞ均衡が崩れることなく相殺し合いどちらともなく爆ぜてしまう。

「奴を逃すな、ストーンエッジ!」
「躱してだいもんじ!」

 舞い上がる黒煙が視界を閉ざし、なおも時は刻み続ける。砂塵の隙間に微かに浮かぶ霊獣の影を捉えたその瞬間にケンタロスが震脚すれば、地面から鋭利な岩槍が次々と迫り上がっていく。
 無論此方から影を視認出来たということはその逆も然りだ。迫り来る岩刃を眼下へ置き去りにアブソルは高く跳躍し、咄嗟に横跳びした猛牛はストーンエッジの影に隠れて襲い来る熱線を辛うじて凌いでみせた。

「攻め込むぞケンタロス、すてみタックル!」
「正面から受けて立とう、君達の力を計らせてもらう。つじぎりで迎え撃つんだアブソル!」

 少しずつ視界が晴れて来た、この好機を逃すつもりはない。猛牛の勇壮な咆哮が響き渡って勇ましく蹄を鳴らせば、焦土と化した戦場を駆け抜ける。
 身構えたアブソルが腰を低く落として地を踏み締めると氾濫する悪意を月角に宿し、黒き大刃が振り下ろされた。

「やはり君のケンタロスと真っ向から競うのは分が悪いようだね、ならば……」

 交錯する双眸、重なり合う衝撃は共に強大な威力を誇るが、文字通り命を削る捨て身の大技はそう容易く止められる程に柔ではない。
 技の威力で上回るケンタロスが徐々に刃を押し返し──このままでは貫かれるのも時間の問題だろう。咄嗟に身を翻したアブソルが側方に転がり、急停止が出来ずに通り過ぎていく猛牛の無防備な体側を深く切り裂いた。

「“ふいうち”さ。どれ程君のケンタロスがタフだろうと、急所を切り裂かれては多少堪えるだろう?」
「……っ、やはり急所を狙われたか。ストーンエッジで吹き飛ばせ!」
「君達の攻め手は見えている、アブソル!」

 既にケンタロスの技構成は全て割れている、次手を読まれていたのだろう。ツルギが指示を飛ばすのとほとんど同時にアブソルは高く跳躍し、岩鉾の先端を置き去りにして宙から眼下を凝望する。

「ならば撃ち落とすまでだ! ケンタロス、かみなり!」
「そう来ると思っていたよ、だいもんじ!」

 激しく迸る紫電と緋色に燃える五条の熱線、鬩ぎ合う大技の威力は拮抗。爆風が吹き荒び視界を閉ざすがこの好機を逃すわけには行くまい、猛牛は自らの尾で身体を叩き闘志を奮い立たせると黒煙を越えて突き進む。

「だろうな、ならば無理矢理にでも捻じ伏せる! すてみタックル!」
「随分思い切りが良いじゃないか。つじぎりで受け止めるんだアブソル!」

 着地までの僅かな隙を狩らんと双角を翳して猛然と駆けるケンタロスに対して、霊獣は黒角を翳して防御を構えた。
 無論未だ宙に在るアブソルでは渾身の大技を抑え切れない。それでも可能な限りに受ける筈の威力を殺して、派手に吹き飛ばされるが角を地面に突き刺して無理矢理制動してみせる。

「今度は此方から行かせてもらう。アブソル、だいもんじ!」
「勝手にしろ、その悉くを踏み潰して貴様を討つ! 構わず接近しろケンタロス、かみなり!」

 すかさずアブソルが業火を噴き上げれば、即座に猛牛も次手へと移った。
 双角から放たれた稲妻が瞬く間に眼前へ迫る業火の穂先を次々に相殺していき、煙る黒煙の只中を掻き分けて駆け抜けていく。
 地を踏み締めた霊獣は猛然と迫り来るケンタロスを確かに見据えて、冷然と湾曲角を振り翳した。

「相手にとって不足はないさ。つじぎり、目障りな光など掻き消すんだアブソル!」
「ならば正面から突き破れ!」

 迸る霹靂が枝分かれしながら空を切り裂き、神話に謳われる槍の如くその穂先の全てが霊獣を焼き尽くさんと迫り来る。
 だがアブソルが掲げし剣は一筋縄では崩せない。降り注ぐ稲妻の悉くを時に躱し、あるいは地を蹴り上げて巻き上げた砂の障壁で遮り、悪意の奔流を纏いし一閃で切り裂くことで凌いでいく。
 無論エドガーは守勢に甘んじてくれる程優しくなどない。霊獣が力強い怒号を響かせれば悪意の奔流はなお留まることを知らずに溢れ出し、膨大な漆黒を束ねた大刃が振り下ろされた。

「……っ、やっぱりすごいパワー、ですっ!」

 猛牛が三本の尾で己を叩き闘志を奮い立たせれば、剛角を振り上げて激しく迸る霹靂を解き放つが──やはり威力では“つじぎり”に及ばない。
 薙ぎ払われた昏き刃はめくるめく雷霆と数瞬間宙を鬩ぎ合い、容赦なく閃光の束を切り裂き振り下ろされた太刀に猛牛が咄嗟に身を躱せば二匹の距離は目と鼻の先。

「この機を逃すな、ノーマルジュエルを発動しろ! ケンタロス、すてみタックル!」
「此処で仕掛けてくるか、君が勝負を急くとは思えないが……はたきおとすだ!」

 ついに訪れた絶好の機会。ケンタロスが命を懸けて渾身の力を搾り出して、たてがみに隠していた白き宝石『ノーマルジュエル』が閃くその寸前──懐に潜り込んだアブソルが、遮るように湾曲角を振り抜いた。
 既に攻勢に移っていて回避も防御も間に合わない。切っ先が分厚いたてがみを越え首ごと宝石を切り裂けば技の名の通りに『ノーマルジュエル』は地面へ叩き落とされ、発動中だったこともあり力を失い粉々に砕け散ってしまう。

「……もどかしいね、思惑を理解していても攻め込まざるを得ないとは」
「だろうな、貴様に選択肢など与えない!」

 またしても急所を貫かれた、恐らくあのアブソルの特性は『きょううん』、持ち物は『ピントレンズ』──急所率を高める効果を重ねて最大限まで研ぎ澄まされているのだろう。
 痛みに顔を歪める猛牛だが鍛え抜かれた鋼の肉体はなおも倒れはしない。容赦無く蹄を踏み出したケンタロスは全体重を乗せて激突し、アブソルは真正面から直撃を喰らって凄まじい勢いで吹き飛ばされた。

「ありがとう、よく耐えてくれたねアブソル」
「まだ立てるなんて、さすがに強い、ですね……!」

 何度と転がってから主人の眼前ですかさず身を翻して体勢を立て直したアブソルは双眸で彼岸を睨み付けるが……息も絶え絶えに肩呼吸を繰り返している、もう長くは保たないだろう。

「敵ながら天晴れだ、持ち物を囮に使うとは思い切ったね。カビゴンへの有効打になり得た重要なファクターだったろうに」
「貴様ら相手に出し惜しみすれば、容易く制されるのは目に見えている」

 技構成と戦闘の様子から、ケンタロスの持ち物が“ノーマルジュエル”であると予測は出来ていた。使い切りであるが故に状況を覆し得るその力を出し惜しみすれば勝負が長引き、結果として大きな損失を生み出す。
 ツルギとしては当然の選択だったのだろうが、何の躊躇いもなく陽動に用いる判断力には期待以上の成長を実感させられる。迷いなく断言した少年に最高幹部が微笑を浮かべた。

「そろそろ決着を付けるぞ」
「あの目、彼らは仕掛けてくる。分かっているねアブソル」

 荒れ果てた地で睨み合う二匹が主人の呼び掛けに闘志滾る意気で相槌を打ち、対敵を見据えて吠え猛る。
 互いに出方を伺うように構え交錯するツルギとエドガーの視線が鎬を削り、静まり返った戦場に暫時息が詰まる程に重苦しく空気が張り詰めていて。
 ──もう間も無くで、激しく繰り広げられた攻防に幕が下ろされる。既に必要な役割を全うした以上は後続への負担を避けたいだろう、恐らく奴らも退かない筈だ。

「これで終わらせる! ケンタロス、ギガインパクト!」

 静寂を破りツルギが指示したのは悉くに破滅を齎す大技だ。鼻息を荒げたケンタロスが三本の尻尾で激しく身体を打ち叩けば、禍々しく逆巻く漆黒の粒子が煌々と迸り全身が覆い尽くされる。
 あらゆる色を喰らう昏き光を束ねし猛牛が駆け抜ければ抑え切れない力の胎動に天が震え、踏み締めた大地がひび割れて、大気が慟哭の如き響きで鳴動した。
 絶大なる破滅の奔流をその身に纏い、天を衝く双角を振り翳した猛牛が広大なフィールドを駆け抜ければ瞬く間にアブソルとの距離が縮まっていき──。

「……ああ、我らの為すべきは変わらないさ。如何な苦境に在ろうと足掻いて見せよう」

 霊獣の脳裏に、これまでに抗って来た天災が蘇った。
 何もかもを破砕する地震、空をも焦がす雷轟、あらゆる生命を焼き尽くす劫火、容赦なく悉くを吹き飛ばす大嵐──その全てに自ら臨んだ。
 誰かに恐れられながら、多くの人やポケモン
に罵られながら、それでもほんの少しでも被害を抑える為に。誰に言われた訳ではない、ただ災害を感知する能力を持って生まれた自分の成すべき使命として。
 けれど所詮己は一個のポケモンだ、思い上がっていたわけではないが限界があった。山火事の中で燃え盛る炎に包まれ力尽きそうになったが……朦朧とする意識に我が目を疑った、瞬きの刹那にあらゆる災禍が鎮められたのだから。
 そして辛うじて残された意識で最後に見上げた時には、柔和に微笑む青年の姿が瞳に映った。それが今共に在る主人にして、唯一理解し合える友──エドガーとの出会いだった。

「持てる一切を振り絞ってくれアブソル!」

 分かっている、残された全てを出し切ろう。身体中が刻まれた傷に軋んで鼓動は早鐘を打ち鳴らし、口唇が固く引き結ばれる。
 天へ翳した三日月の角には全霊を込めた膨大な漆黒の奔流が逆巻いて、確かに大地を踏み締めると……眼前に迫る破壊の化身を双眸に捉えた。

「無駄だ、一切を滅ぼす力に抗えると思うな!」
「そこまで思い上がってはいないさ、だから……アブソル、ふいうちだ!」

 直後に降り注ぐ痛みを理解している。それでも怯むことなく角を振り抜けばケンタロスの側頭部が切り裂かれ、悉くを滅ぼす奔流が霊獣を容赦なく喰らい尽くした。
 戦場全土を包み込む凄絶なる爆轟、目眩く紫黒の余波がでたらめに撒き散らされて辺りを容赦無く灼き尽くす。視界は舞い上がる砂塵と黒煙に覆い尽くされて──暫時の静寂が降り注ぐ。

「お願いです、ケンタロス……まだ、倒れないでっ!」

 厳然と張り詰めて重く圧し掛かる緊張に、サヤが固唾を呑んで見守る中で時が流れていく。最高幹部にはまだ強力なポケモンが控えているのだ、もし此処で斃れてしまえばせっかく近付いたと思えた勝利が再び遠のいてしまう。
 やがて視界を遮る爆煙が少しずつ晴れていけば……果たしてそこには、全身に生々しい疵痕を刻みながらなお悠然とケンタロスが立ち尽くしていた。

「やったあ! これでツルギがリード、ですっ!」
「浮かれるな、露払いで優位に立ってなどいない。いや……依然劣勢と言ってもいい」

 猛牛は雄々しき勝鬨を響かせながら蹄を踏み鳴らし、少女が諸手を挙げて歓喜に叫ぶ一方ツルギが呆れ交じりに淡々と呟く。
 そう、判明しているだけでもメタグロス、ミロカロス、カビゴンという強大な三匹の駒が控えている。その一角すら落とせない間はたとえ数で優位に立っていたとて劣勢であることに変わりはない。
 加えて此方の手持ちは既に五匹が割れており、六匹目であるフーディンの存在も当然見透かされているだろう。

「……ああ、ありがとう。よく頑張ってくれたねアブソル」

 眼下に横たわるアブソルへ屈んで視線を合わせたエドガーは、微笑みながら労るように優しく頭を撫でる。
 ──数多の災禍を共に越えた。多くの命を救って来た。その度にあらゆる生命に災害の根源として畏れられ、憎まれ、疎まれたが……隣に理解者が居てくれたから、不思議と心が満たされていった。
 だからもっと強くなるのだと願った、自分に居場所をくれた主人に報いたいと。けれど……故にこそ、心の何処かでツルギに敗れることを願ってしまう自分も居ることを否めない。

「あとは我々に任せてゆっくり休んでくれ」

 エドガーは大勢の人々の命を奪った、ヒトの法に則るのであれば決して許されない咎人だろう。しかし人知れず多くのヒトやポケモン達の命を救って来たのも事実なのだ、最高幹部に君臨してからもひとつでも消え去る命を減らそうと尽力していた。
 本人は救いなんて求めていない、虐殺者に安寧などあってはならないと嗤うだろう。だが自分はポケモンだ、ヒトの法や倫理など知ったことではない。
 だから、たとえ主人が世界に弓引く叛逆の徒であっても──願わくば一筋でも光があって欲しいと、そう思っている。

「君の……君達の想いは分かっているさ。きっと、答えは戦いの果てに導かれる」

 ……どうしてそこまで強くなれたのか、アブソルから尋ねられたことがあったが──エドガーはこう答えた、『それが私の価値を証明する唯一の術だったからね』と。
 彼方を見遣りそう呟く横顔は哀悼の色に彩られていた、握り締めた掌には拭えぬ感触が染み付いているのが手に取るように理解出来た。きっと多くの血に塗れたのだろう、多くの命を望まぬ形で踏み躙ってきたのだろう。
 此処で勝利を掴み取り総帥の描く理想へ共に歩めば救われるのか。それとも、敗北してツルギとの永きに渡る因縁に幕が下ろされることが救いなのか……主人の本当の心は、自分にも分からない。
 アブソルが微笑み掛ければ主人は曖昧に微笑んだ。青年の虹彩には憂いが映されていて──けれど、きっとこの決戦を越えた先に答えが見つかると信じて霊獣はしばしの眠りについた。

「……エドガーさん、アブソル……」

 広大な空間を隔てた先に立つ最高幹部とそのポケモンの間に交わされる心を感じ取ったサヤが、視線を逡巡させてからツルギを見遣る。
 彼は人やポケモンの心の機微を見抜く能力に長けている。けれどサヤからの視線に応えることなくただ討つべき敵を見据えていて、少女もぶんぶんと首を振って焦土へ視線を傾けた。

「私からも問わせてもらうよ。君達こそ、世界を滅ぼす力に抗えると思っているのかい?」
「……どういうこと、ですか?」

 二千年もの遥かな昔。一切を焼き滅ぼして長きに渡る戦争へ終止符を打ち、時を越えた現在でオルビス団の総帥ヴィクトルが翳したのは最終兵器『終焉の枝』だ。
 もし無限のエネルギーを極限まで蓄えた破壊兵器によって何もかもを灰燼へ還す莫大な力が解き放たれれば、その名が表す通りエイヘイ地方は瞬く間に崩壊してしまう。

「既に最終兵器はエネルギーの充填が完了している。あのお方がその気になれば、いつでも一切を滅ぼせるということさ」
「だろうな。止められなければ発射前に兵器を壊せば良い、もしそれさえ叶わないとして──最期の刻まで諦めるつもりはない、為せることを為すだけだ」

 嘆息を吐き出したエドガーの昏き瞳には、総帥によって間も無く描き出されるであろう未来の姿が映されている。
 もし仮に先へ進めたとして、オルビス団を……玉座に在って君臨する総帥を止められなければ意味が無い。その凶行を許せば強くなければ生きられない、力のみが支配する誰も知らない新しい明日が齎されるのだ。

「そんなことが出来ると思っているのかい? この私のポケモン達を倒し、最強の男を越えられると」
「さあな、だが試すだけの価値はあるさ。可能性に終わりはない──そう願っているのは誰よりも貴様らの首領だろう」
「フ、それを言われては私も弱い。あのお方は……それでも、進化を諦めてはいないからね」

 たとえ永き停滞に微睡んでいたとしても、人々がきっと……もっと強くなれると信じて。自らが巨悪と君臨することで、己を打破せんと皆がもっと強くなっていくことを希って。
 そしてこの星の命運を賭けた戦いに勝利して一切を崩壊へ導いたとしても、全てが滅びた世界の中で生きていける者達だって居る筈だと。
 だから最高幹部には、ツルギが叛逆を遂げる可能性を否定することなど出来ない。そう、人とポケモンの強さを──終わりなき無限の可能性を誰よりも信じているのは、オルビス団の総帥ヴィクトルに他ならないのだから。

「だが……そうだね、尚更君達を通すわけにはいくまい。次は君にお願いしよう、来るんだスターミー!」

 新たに投擲された黒金の球が一筋の軌跡を描いたその先で、黒白の境界から二つに割れた。迸る眩い赤光は放射状の影を象り、纏わりつく粒子を高速回転で振り払うとエドガーの四匹目となるポケモンが現れる。
 電子音にも似た高い声を響かせて降り立ったのは、藤色の五芒星を互い違いに重ね合わせた身体の中心に黄殻で縁取られた紅玉が煌めく海星。
 左右対称の幾何学的な姿から宇宙生物ではないかと疑う者もおり、真ん中のコアと呼ばれる部分が七色に輝く“なぞのポケモン”スターミーだ。

「戻れケンタロス」

 いくら強靭な体力を持ち誰にも勝る闘争心を誇るケンタロスといえど、何度も急所を切り裂かれたことで満身創痍に陥っている。
 闘志は燻ることなくなお盛んだが、続投したところで不必要に手駒を失ってしまうだけだ。モンスターボールを翳せば渋々ながらも猛牛は頷き、眩い閃光に包まれて暫時の休息に誘われた。
 『次の出番を楽しみにしている』。そう言いたげにカプセル越しから覗き込んできたケンタロスの眼差しにツルギは冷淡な相槌を返して、握り締めた紅白球をベルトへ装着する。

「……ああ、奴を相手取るにはお前が適している」

 相性有利のギルガルドを繰り出せばすぐさま交代されてしまう上に、後続として現れるのはカビゴンやミロカロス、あるいはメタグロスだ。
 もしこの局面でスターミーを討ち損なえば後に響くのは目に見えている、ならば今仕留めておくに越したことはない。
 次に繰り出すべきポケモンを即座に選び、新たなモンスターボールを掴み取った少年は眉間に皺寄せながら勢い良く悲願の戦場へと投擲した。

「此処まで随分と掛かったが……喜べ、待ち侘びた再会の時だ! 現れろフーディン!」

 投げ放たれた紅白球は宙を切り裂いてフィールドへ飛び込み、中心を走る境界線から二つに割れると眩い紅光が溢れ出していく。
 宙に二本のスプーンが浮かんで、伸ばされた諸手が力強く掴み取り一閃すれば粒子を払い新たなポケモンが姿を現した。
 胴体は朽葉色、五体を山吹色の短毛に覆われていて、猫背気味に佇む痩躯には不釣り合いな程に発達した頭部を備えた無尾の妖狐。
 力技をあまり好まず超能力を自在に操って相手を倒し、スーパーコンピュータより素早く計算する頭脳を持つ。あらゆる事象を脳内に記憶しており知能指数はおよそ五千とまで言われる“ねんりきポケモン”のフーディンだ。

「そのフーディン……心待ちにしていたよ。ああ、君の御両親達と過ごした日々は今でも昨日のことのように蘇る」
「……鬱陶しい」

 冷静に佇むその心中に沸々と闘志を湧き立たせる妖狐に、エドガーは遠くを見遣るように瞼を細めて微笑を浮かべた。
 その表情に……過ぎ去った過去を辿る穏やかな声色に嫌でもあの日の惨劇が思い起こされて、常に心を乱されることなく平静を保ち続けていたフーディンの眉間がほんの僅かに皺寄せられる。
 無論その反応は至極当然だ。対岸に佇む最高幹部エドガーこそが、本来フーディンの相棒であった女性──ツルギの母ミツバを眼前で葬った張本人なのだから。

「あの人は率先して皆の輪を取り持っていた、君の御父様と共に皆の中心に居たんだ。本当に……尊敬出来る立派な夫妻だった」

 普段のミツバはおっとりとしていて心優しく、時折りドジこそしていたものの誰にでも分け隔てなく接して皆を癒していて。
 そして何か諍いが発生した際には芯が強く争いを厭う彼女は夫と共に真っ先に仲裁に走り、仲間達の絆を繋いでいた。
 そう語るエドガー自身も……そんな夫妻の人柄に惹かれていた者の一人だった。

「……君の御両親や同胞達と過ごした日々は本当に幸せだった。まさか、この手で全てを滅ぼすことになるとはね」
「──下らん追憶になどは興味ない、壁にでも吐き捨てておけ」

 そして共に働く研究員達も、その誰もがエイヘイ地方の未来を信じていた。助け合い励ましながら真摯に目の前の現実に向き合う、人間として敬意の念を抱ける素晴らしい人物ばかりだった。
 感慨に耽る最高幹部を一瞥したツルギが瞼を伏せて軽く俯き、再び顔を上げると嘲笑うように鼻を鳴らして吐き捨てる。

「……っ、ツルギ……がんばって、ください!」

 眼前に立つ少年を見上げたサヤが思わず不安を抱いて見上げると、相変わらず彼は言葉を返してくれないが利剣の瞳は存外冷静に睥睨していた。
 容赦なく無視をする主人に代わってフーディンが肩越しに振り返り、幼い少女にサムズアップで応えてみせる。

「あの日に自ら退路を断ったんだ、後は堕ち続けるだけさ。まずはお手並み拝見と行こうか、サイコショックだスターミー!」

 スターミーの身体の中心で輝く紅きコアが七色に瞬けば、悠然と佇むその周囲に思念が収束していき無数の塊が実体化していく。
 対峙する敵を睨み付けた海星が甲高い声を響かせれば、ひとつひとつが砲火の如き威力を誇る念弾が一斉に降り注いだ。
 同時にその身体を稲妻のような衝撃が走り、表情こそ読めないが痛みを堪えるように俯いていた。恐らくその持ち物は技の威力を上昇させる代償として命を削る持ち物『いのちのたま』だ。

「良いだろう、進化したフーディンの力をその身にとくと刻むが良い! サイコカッター!」

 かたや瞼を伏せてサイコパワーを高めたフーディンがスプーンを翳せば溢れ出す念波が研ぎ澄まされた刃を象り、数多の剣が形成されて瞼を伏せると抜き放たれる。
 広大なフィールドを飛び交う薄桃色の弾丸と刃が、宙に目まぐるしく舞い踊り一歩も譲らず鬩ぎ合う。激しく鎬を削る両者の威力はほとんど互角で、まるで粒子と反粒子のように衝突した技が暫時の拮抗の後に対消滅していく。

「やはり容易くは押し切れないか……ならばくさむすび!」

 息吐く暇など与えない。眼下から躍り出た幾重もの蔦が、海星の身体を掴み取らんと四方八方から攻め立てる。
 咄嗟に身を翻したスターミーは這い寄る緑鞭を次々に回避していくが、容易く逃すつもりはない。戦場を駆けて躱し続けるスターミーを“くさむすび”は執拗に追跡し、ついにはその姿を捉え五芒星へと絡み付いた。

「届きました……!」
「果たしてそうかな?」

 だが──懸命な追跡によって掴んだ像は容易く切り裂かれ、技名の通りに影と消えてしまい瞬く間に背後へと回り込まれた。

「我らとて譲れぬものの為に臨んでいる、そう容易く捉えられるつもりはないさ。かげぶんしん、君が掴んだのは過ぎ去りし残像だ」
「……鬱陶しい」

 “かげぶんしん”は素早い動きで分身を生み出して相手を惑わせる技だ。背を取られたフーディンが咄嗟に振り返り銀匙を翳すが、影は一箇所に留まることなく妖狐を取り囲んでいて。

「ハイドロポンプで押し流そう!」
「くさむすびで受け止めろ!」

 たとえ先手を取ろうと、描き出された何体もの残像が四方八方に散らばっていては的を絞れない。ならばと蔦を束ねて障壁を形成するが堰を切って溢れ出し“いのちのたま”で強化された波濤の勢いは凄まじく、押し留めようにも流石に限界があった。

「すごい威力、です……っ、ツルギ!」
「分かっている。攻撃に転じろフーディン!」

 これ以上防御に徹したところで意味はないだろう。激流に呑まれながらも超能力でその場に踏み止まったフーディンが、再び緑鞭を意のままに操作していく。
 ──押し寄せる蒼波の先にこそ敵は在る。瞼を伏せて神経を研ぎ澄ませれば身を裂く痛みから奔流の源を辿り、ついに影に紛れた本体の位置を捉えた。
 自在に躍り蠢く蔓で海星の身体全体を掴んで持ち上げ、大きく振りかぶって勢い良く地面へ叩き付けた。

「息吐く隙を与えるな、続けてサイコカッター!」
「躱してじこさいせいだスターミー。この程度、かすり傷にさえならないさ」

 背中から地面に打ち付けられたスターミー目掛けて次々と刃を降らせるが、すぐさま体勢を立て直して高速回転すると軽やかな身のこなしで立て続けに回避してみせる。
 なお避け切れない幾つもの刃に身体を切り裂かれるものの、流石は棘皮生物によく似た姿をしているだけあり高い再生能力らしい。忽ち“いのちのたま”による反動ごと傷跡が癒え、痛みなどないかのように身構えていて。

「すごい生命力、です……!」
「ならば斃れるまで攻め立てればいい。フーディン、もう一度くさむすび!」
「その技は少々厄介だね。サイコショック、残らず駆除するんだ!」

 傷を負わせたところで回復されてしまうのなら、再生が追い付かない連撃で討てばいい。
 焦土を突き破り眼下から飛び出した蔦の束が海星を絡め取らんと蠢くが、中心の紅核が瞬けばその全てが思念の散弾に穿たれて消滅した。

「それではこちらも……再びハイドロポンプだスターミー!」
「──フーディン、みらいよち!」

 続けてコアが七色に輝くと一切を呑み込む激流が迸り、瞼を伏せてスプーンを翳したフーディンが逆巻く怒濤に呑まれ押し流されてしまう。

「ツルギ、だいじょうぶ……ですか!?」

 あまりの威力にサヤが叫ぶが──これでいい、これで未来へ想いを繋げられたから。
 “みらいよち”は精神力を高めて数瞬間の時を刻んだ後に炸裂する思念を虚空へ設置する、時限爆弾のような性質を持つ技だ。扱い辛さと引き換えにエスパータイプの技の中でも屈指の威力を誇り、あらゆる防御を貫通する稀有な特性を備えている。

「……面白い技を使うね。だが影を掴むことなど出来まいさ、サイコショック!」

 激流が止むと同時に体勢を立て直す妖狐だが、見上げた時には既に周囲を念弾に覆われていた。この全てを躱し切るのは至難を極める、ならば──悉くを切り捨てればいい。

「その程度でフーディンを御せると思うな、サイコカッター!」

 あらゆるポケモンの中でも極めて頭脳の発達したフーディンのサイコパワーが、たとえ命を削り強化されていようと謎の海星などに劣る筈が無い。
 自身の周囲に幾振りもの念刃を形成・射出すると迫り来る一切の弾丸を切り裂き、貫き、撃ち落としていく。
 空中で爆ぜる無数の衝撃、思念の余波が絶えず炸裂すればフィールド全体を爆風が覆い尽くして吹き荒び視界が黒煙に包まれてしまった。

「君が正直にスターミーの元居た座標に予知を置くはずがない。自ら其処へ誘導するか、能動的に押し込むか──或いは、場所を入れ替えるかだ」
「随分お喋りだな。生憎口を滑らす程迂闊じゃあない」

 読まれているのか、或いは考え得る可能性を挙げ墓穴を掘ることを狙っているのか──何にせよ、それでもツルギは表情を崩さない。
 閉ざされた視界の中に最高幹部が口を開く。懐かしむように、細めた眼差しに寂寥を宿して。

「……見事だよ。君の御母様──ミツバさんの連れていたケーシィが、其処まで強くなるとはね」
「貴様らの馬鹿げた望みを砕く為にな! くさむすび!」
「君は相変わらず健気だね、ツルギ。かげぶんしんで躱すんだ!」

 徐々に晴れてゆく視界の中に微かに海星の核が煌めいて、最高幹部が満足そうに微笑み広大な焦土をスターミーが駆け抜けた。
 だが空狐と少年が視界に捉えたのは残像だった。地面を這い上がり敵を捕らえんと伸ばされた緑鞭は虚空を捉え、無数の影に周囲を取り囲まれてしまう。

「だからこそ、此処で斃さなければならないことが残念だよ。ハイドロポンプ!」
「──視えている。7時方向だ、サイドチェンジ!」

 背後から激流が押し寄せるが、振り返ることなく銀匙を翳せば瞬きの間に二匹の座標が入れ替わった。
 その刹那に空間を裂くように目眩く光が迸り、思念塊が盛大に炸裂する。先刻フーディンが託した未来への想いがついに溢れ出したのだ、膨大なサイコパワーは海星を包みその身体を焼き焦がしていく。

「やはりその技で来たか、用心深い君らしい。お願いするよスターミー、じこさいせい!」

 凄まじい威力の奔流に呑まれたスターミーは宙に打ち上げられてしまうが、すぐさま体勢を立て直してエドガーの眼前に着地すると核が七色に輝きを放っていた。
 海星の身体に刻まれた火傷のような傷痕と技を放つ際の反動が、全てとまではいかないまでもほとんどが忽ち癒えていく。
 何らかの手段で仕掛けてくる、そう確信していたからこそ此方が互いの位置を転移させる寸前には回復の手筈を整えていたのだろう。

「成る程ね、“みらいよち”が君の奥の手のようだ。大したものじゃないか、スターミーの再生力を上回る程の威力なんてね」
「ツルギ、だいじょうぶ、ですか……?」
「決まり切ったことを聞くな、鬱陶しい」

 確かに“サイドチェンジ”を見切られた上にダメージを与えた傍から回復されるのは厄介だが、“みらいよち”は炸裂するまでに時間を要する代わりに極めて高い威力を誇る。
 そして一度の“じこさいせい”による回復量には限りがある。最悪の場合千日手に陥ってしまうが……機さえ逃さなければ、決して倒し切れない相手ではない筈だ。

「攻め立てるぞフーディン、接近しろ!」
「懐に潜れば迂闊にサイコショックを放てないと踏んでいるのだろうが、容易く接近を許すつもりはないよ。ハイドロポンプ!」
「サイコカッター、受け止めろ!」

 前傾姿勢になったフーディンが自らの身体を念動力で操り高速で戦場を翔け抜けるが、エドガー達が黙って見過ごす筈がない。次第に縮まる二匹の距離を広げるように膨大な激流が迸り、匙を翳せば薄紫の刃が顕現する。
 妖狐は波濤を掻き分けながら着実に漸進を続けていき、次第に距離が縮まっていくが──不要な消耗を避けるべくスターミーが跳躍してその場を離脱されてしまった。

「ならばこれはどうかな。スターミー、サイコショック!」
「迎え撃てフーディン!」

 宙から眼下を見下ろすスターミーと、着地してそれを見上げるフーディン。二匹の視線が交錯すると共に譲れぬ決意がぶつかり合って、闘志が更なる昂りを見せる。
 思念を束ねた刃と弾丸。両者の技が描く軌跡は重なることなく間隙をすり抜けて、妖狐の身体を鋭く貫き海星の五体を容赦なく切り裂いた。

「そうだねスターミー、相手は消耗を見せている。一気に畳み掛けよう、かげぶんしん!」
「良いだろう、正面から受けて立つ。みらいよち!」
「続けてハイドロポンプだ!」

 回復の手段を持たないフーディンには当然ダメージが蓄積していく。サイコパワーで支えられた身体には目に見えて傷が残っていて、苦痛に眉を顰めている。
 高速移動と超能力を合わせて次々に分身を生み出して包囲を行う海星に対して、すかさず瞼を伏せて数瞬間先の未来へと想いを馳せた。
 あらゆる方向から押し寄せる激流に呑み込まれながら超能力で自らをその場に縛りつけたフーディンは、なお揺らぐことなく身動き一つせず匙を翳して時が来るのを座して待っている。

「……幾ら残像を描こうと本体は一匹だ。後方仰角45度──やれフーディン、サイコカッター!」

 主人の指示が耳に届いた瞬間目を見開いた妖狐が左腕を薙いで匙を翳せば、鋭く抜き放たれた薄紫の一閃が背後でコアから怒濤を吐き出すスターミーの左腕を切り裂いた。
 海星の体勢が崩れた、ついに訪れた最大の好機をツルギ達が見逃す筈がない。右腕に握り締めた匙を翳せば思念を帯びて眩く煌めき──。

「じこさいせいだスターミー!」
「遅い、サイドチェンジ!」

 再生中の肉体が瞬時に掻き消えて、二匹の位置が入れ替わった。
 当然間も無く自らの身に降り掛かる事象を理解している海星はすかさず地を蹴り跳躍したが……「逃すと思うか、くさむすび!」焦土を突き破り飛び出した蔦に身体を絡め取られて、地面に叩き付けられてしまう。

「みらいよち、炸裂しろ!」

 そして、一瞬の閃光と共に膨大な思念の塊が爆ぜた。
 立て続けに浴びせられた攻撃でさえ響いていたのだ、目眩く夥しいエネルギーの奔流に呑み込まれ残された体力の殆どを灼き尽くされたスターミーは──それでもなお斃れんと再生を試みたのか、或いは一矢報いようとしたのか、七色にコアが輝いて。

「貴様らの足掻きもそこまでだ。終わらせろフーディン、サイコカッター!」

 しかし瞬発力ではフーディンが勝る。彼が行動を起こすより速く振り抜かれた無数の刃が、傷だらけの身体を幾度と切り裂いた。
 ──再生の隙すら与えない息も吐かせぬ連続攻撃に、とうとうスターミーが崩れ落ちた。遥か遠くの星々を焦がれるように仰向けに倒れると、その中心に飾られたコアに宿っていた輝きは灯が潰えるように暗く失われてしまう。

「……お疲れ様スターミー、あのフーディンを相手によく頑張ってくれたね」

 その奮闘に心からの感謝を述べたエドガーがハイパーボールを翳せば、溢れ出した紅光は疲労困憊で倒れているスターミーを柔らかな輝きで包み込んで安息の場所へと迎え入れた。
 カプセルの中でようやく意識を取り戻した海星は……慈しむように見下ろしてくる菫色の虹彩に、主人と巡り逢えた遠き日を想う。

「ああ、忘れる筈がない。とても懐かしいね、スターミー」

 ──初めてエドガーに出逢ったのは、星明かりに波が煌めくいつかの海岸線だった。天敵に身体を貪られ息も絶え絶えだった自分に歩み寄って来た青年は、憐れむような眼差しで瀕死の身体を抱きかかえた。
 その後ポケモンセンターに運び込まれて適切な処置を施されてからも、エドガーは多忙にも関わらず完治するまで懸命に尽くしてくれた。その親身な介護のおかげで失った四肢も再生し、身体中に刻まれた凄惨な傷痕も完全に塞がった。
 その後初めて出逢った場所へ連れ出されて「自然に帰ろう」と告げられて、それまでに積み重ねて来た時間など無かったみたいに突き放されたが……青年と共に生きたいと、そう願ってしまって。
 たとえ彼からしたら治療など当然の行いだったとしても、本来の生息域へ還るのが生物として正しい姿だとしても。それでも共に過ごした日々はかけがえのないもので、他者のぬくもりを知ってしまえば水底は暗く冷たかったから。

「なに、心配は要らないさ。君も十分働いてくれたよ」

 だからこそ、主人の役に立ちたかった。不安そうにコアを徐に明滅させれば柔和な微笑みが返ってくる。
 ……彼がそう言うのなら、きっと本当に大丈夫なのだろう。安堵に大きく息を吐き出したスターミーの身体に一気に疲労がのしかかって来て、限界間近だった意識はとうとう途絶え失われた。

「……ああ、此処までは予想の範疇にある。気に病む必要はないさ、ゆっくりおやすみ」

 再び身体の中心に煌めくコアが消灯したのを確認したエドガーは黒金の球を腰に装着して、彼岸に立つ少年と妖狐を一瞥すると思わず嘆息が吐き出される。
 ──自然と口元には笑みが湛えられ、苛立たしげにツルギが眉を顰めた。

「この状況でなお笑えるとはな、相変わらず鬱陶しい」
「これで私に残されたポケモンは残り三体だ。よもや此れ程までとは、君達の進化には恐れ入るばかりだ」

 腰に飾られたハイパーボールに軽く手を添えながら感慨深そうに瞼を細める。
 まさか赤子の頃から知っていた少年に三体も先取されてしまうとは……世界の存亡を賭けているにも関わらず、言い得ぬ喜びが湧き上がってしまう。

「侮られたものだ、俺が見過ごすとでも思っていたか?」
「ツルギ、それは……やっぱり……」
「ああ、恐らく此処までの運びは全て奴の想定の範囲内だ」

 苛立たしげに吐き捨てられたツルギの言葉に、サヤが一抹の不安を瞳に浮かべ眼前に立つツルギの背を見上げた。
 先鋒のカビゴンにより脅威を見せ付けて圧を掛け、アブソルやカイリキー、スターミーで後続を確認して厄介そうなポケモンを処理しつつ体力を削ぐ。
 そして手持ちの数の上では優位に立たせることで相手に希望を与えながら、残された三匹の手持ちの圧倒的な能力によって追い詰める──大方、そんなところだろう。

「浮かない顔だね。因縁の仇を着実に追い詰めているんだ、もう少し喜んでも構わないんじゃあないかな?」
「白々しい……貴様にはこれまで随分と辛酸を舐めさせられた、掌の上で思い上がれる程愚かではないさ」

 いつか激情のままに最高幹部に挑んで、圧倒的な力の差を以て己が無力を思い知らされた──克明に刻み込まれた大敗の記憶は今でも瞼の裏に鮮烈に焼き付いている。
 決死の覚悟で挑んでなお歯牙にも掛けられずあしらわれ、憐憫さえ抱かれた屈辱を今でも忘れやしない。

「いつかに言ったな、エドガー。俺を苦しみから解き放つと」

 オルビス団がビクティニを奪わんとゴルドナシティを襲撃した際だ。
 身も心も憎悪に囚われて、他者を信じることが出来ず孤独を抱え昏き絶望の中を這い続けて来た少年に──友の遺した忘れ形見に憐憫を抱き、だからこそ自らの手で葬って己が生み出した憎しみの連鎖を断ち切るのだと、エドガーはそう語った。

「確かに俺は、何度と戦いを投げ出そうとした。だが結局声無き声に引き戻されて、託された約束と向き合わざるを得なかったよ」

 当たり前のように繰り返される平穏の裏で世界は着実に崩壊の一途を辿り、偽りの安寧は絶えず焦燥を掻き立てる。
 瞼を閉じれば網膜に焼き付けられた惨劇が飽きる程に繰り返されて、耳を塞いでも止まない犠牲者の哀叫がかつてのツルギを闘争へと誘っていて。

「だが……俺は貴様とは違う、自らの選択に後悔などない。貴様のように未来を諦めて、運命だと受け入れる程弱くはない!」

 だから強さを求め続けて来た。いつかに交わした約束を心に掲げて、背負った運命との決着を果たす為に。
 誰かを信じる度に裏切られ、数え切れない挫折と敗北を繰り返して、救えなかった命に己が無力を思い知らされ多くの犠牲を踏み締めて来た。
 それでも──どんな星無き夜に在ろうと、
どんな闇の中にあろうと決して星の光を見失うことなく、後悔さえ残さず己が足跡を標し続けて来た。

「……そうだね、此の手で悉くの星を撃ち落とした。もう決して取り戻せない輝きだ」

 エドガーの心に掲げられた不毀の忠義は決して揺らぎやしない。かつて自身を救い上げてくれた主人の為ならば、幾らでもこの手を血に染めよう。
 けれど──心の片隅に残る在りし日々の残照は、未だ錆びることを知らずに煌めき続けている。

「それ程、過去に苛まれるのなら……!」

 唇を噛み締めて血が滲む程に固く拳を握り、胸中に滾る憤怒が溢れるのを敢えて抑えずに宿敵を睨み付けたツルギが絞り出すような声で言葉を紡ぐ。

「──過ぎ去った記憶に想いを馳せるのなら、何故俺の両親や同胞達を切り捨てた!? 貴様だけは……あの男の暴走を止められた筈だ!!」

 背後に佇むサヤからは、ツルギがどんな表情をしていたのかまでは読み取れない。だがどうして彼が心底からエドガーを憎んでいるのか──その本当の理由が、ようやく理解出来た気がした。
 真実を知っていた青年だけは、或いはヴィクトルの暴走を止められたかもしれなかった……それなのに、何も行動せず今も引き摺り続ける程に思っている仲間を裏切ってまで恭順したからだろう。
 もしヴィクトルを止められていれば、数千数万という莫大な犠牲が生まれることはなかった。大切なものを奪われて絶望に打ちひしがれる人達も生まれなかったから。

「──ヴィクトル様は絶対的な最強としてこのエイヘイ地方に君臨し続けて来た。だが、彼が至ったのは虚ろな玉座だった」

 頂点に立つということは、同時に並ぶ者無き孤独へ陥るということでもある。かつて焦がれた夢は空虚なる幻想であり、世界の狭さを身を持って思い知らされた。

「あらゆる手を尽くしても変えられぬ停滞への失意に沈み、枯れていく姿は見るに堪えなかった」

 そして安寧に微睡むエイヘイ地方を変革することは終ぞ叶わなかった。真綿で首を絞められるように緩やかに失意の底へと堕ちていき、笑顔を失った主人の姿は見るに堪えなかった。

「私は愛する二つを天秤に掛けた、同じ未来を夢見た同胞と……己を救ってくれた恩師を。そしてこの道を選んだんだ、せめてもう一度、とその笑顔を願うのはそう可笑しなことでもあるまい」
「その道の先に待つのが世界の終わりだとしてもか!」
「未練なんてものはとうに断ち切った。ヴィクトル様やレイ、メタグロス達さえ生きていれば……私自身が滅びようと構わないさ!」
「ならば何故俺を幾度と見逃した! ただの憐憫だけか、違うだろう!」

 瞳に昏き影を落として俯いたエドガーが力強く言い放った言葉に、ツルギが問い掛ける。
 青年には殺意を露わに凶刃を突き付けてなお二度見逃された。三度目の対峙でも、もし初めから殺意を以て臨まれていれば逃げることなど叶わなかったろう。
 それはかつて虐殺を働いた罪悪感やたった一人で過酷な現実へ投げ出された過去への憐憫だけでは無かった筈だ。物言わず趨勢を見届けていたサヤが、口を閉ざしたままに確信めいた相槌を打つ。
 きっと、ツルギの言うことは間違っていない。そうでなければ彼が最高幹部として揺らがなき決意を湛える擦硝子の瞳の深奥に……未だに尽きることなき微かな残光が、身を縮め震えている筈が無いから。

「フ、君にしては随分回りくどい」
「貴様も心の底では望んでいた筈だ! 暗き闇の底に在ろうと、引き返せない深淵へ堕ちようと……彼方に灯る微かな光を!」
「……つくづく、君らしくもない」

 ──同胞を蹂躙し、虐殺するあの感覚は今でも昨日のように鮮明に瞼の裏に焼き付いている。大切な人達の命を、未来を願うかけがえのない兆しを自らの手で摘み取ったのだ。
 引き返す道など無いと己に言い聞かせて鉄の忠義を貫いてみせると誓った。それでも……心の奥底に潜む疑念は、絶えることなく付き纏い続けていた。

「……たとえ私が如何な心を抱いていようと、この身は最期の刻まであのお方の為にある。それが私の捧げし忠節さ」
「そうだろうな、故に貴様は此処に在る。それでこそ──この手で引導を渡すに相応しい!」
「面白くなって来たよ、そろそろ叛旗を翻す時だ。見せてもらおうじゃあないか、君達が我らの力を前に何処まで抗えるのかを!」
「覚悟しておけ。貴様の心に風穴を穿ち、閉ざされた深層に光を届かせてやろう!」

 ──此れまで泰然自若と構えていたエドガーが伸ばした掌を強く握り締めれば、瞳を彩る闘志は対峙する少年の脅威を認め明確な敵意となって迸る。付けられた鋒を払うのではなく、己が主人に刃向かう者を全霊を懸けて叩き潰す為に。
 不敵な笑みを浮かべながら固く拳を握り締めたツルギの頬を一筋の雫が伝い、焦土と化したフィールドを睥睨する瞳には揺らがぬ決意が灯っていた。世界を背負いしこの決戦──必ずや最高幹部に勝利して、奪われたものを取り戻すのだとそう誓って。

■筆者メッセージ
サヤ「ついに、3体先取…!ツルギはまだ、ポケモンが5匹、残ってますっ!もしかしたら、このまま…!」
ツルギ「忘れたか、メタグロスは勿論まだカビゴンとミロカロスが控えている。その全てを突破するには手負いの5匹では心許ない」
サヤ「だいじょうぶ、です…ツルギのことを、信じてます!」
ツルギ「信頼で何とかなるような相手なら、既に奴らは倒れている」
サヤ「それでも、ツルギは…これまで、どんな壁だって越えてきました。不可能なんてないって、教えて、くれました!」
ツルギ「…まったく、相変わらず鬱陶しい奴だ」
サヤ「とは言え確かに、大変ですね…カビゴンも、すごく強かった、です」
ツルギ「ああ、何より厄介なのは耐久力だ。スターミーがじこさいせいを覚えていた以上、カビゴンかミロカロス、或いはどちらも……再生技を覚えている可能性は十分にある」
サヤ「そう、ですね…がんばって、ください!ツルギも、フライゴン達も!」
せろん ( 2022/11/12(土) 15:30 )