第132話 不落の城塞
──遂に、この刻が訪れた。世界の存亡が決する審判の日に、幾度と安寧を脅かして来た巨悪の本拠地にて少年は追い続けて来た宿敵と真正面から相対する。
視界を傾ければ右側には蒼き紋様が脈打つ無機質な漆黒の壁。そこから向かい合い一面を覆う分厚い硝子の先には、千をも越える膨大な数のモンスターボールが眠る一室が広がっていた。
全て彼らオルビス団が来たる終末に備えて捕らえ続けて来た集大成だ、此処で勝たなければ未来は無い。燕脂のチェスターコートを羽織った黒髪の少年は強く拳を握り締めて、腰に装着された己が“力”へと手を伸ばす。
「一気に押し潰す、出て来いケンタロス」
十三年の時を経て絶望から這い上がったツルギが惑わぬ決意で掴み取り、投げ放ったのは紅白双色に輝くカプセル。モンスターボールが中心を走る境界から二つに割れて、眩い閃光が迸っていく。
雄々しい咆哮が戦地に響けば身に纏わりつく紅き粒子が振り払われて──現れたのは無数の傷跡が刻まれた天を衝く双角を携え、三本の尾で自らを叩き戦意を昂らせる巨躯の猛牛。
常に群れの中で争い己の強さを確かめて、如何なる時も暴れなければ気が済まないと言われる獰猛な気質。仲間を守る為なら傷だらけになろうと戦う“あばれうしポケモン”のケンタロスが、己が闘志の赴くままに鼻息を荒く大地を踏み締めた。
「来るが良いさ、何者であろうと我が不動を打ち崩せやしない。先鋒は君に任せるよカビゴン」
迎え撃つのは菫色の長髪を靡かせる菖蒲のトレンチコートを羽織った青年、数え切れない犠牲を踏み越え君臨する最高幹部エドガー。
揺らがぬ信念で投擲したのは黒地に金色の紋様が刻まれたハイパーボール、広大な戦場を切り裂く軌跡の果てに迸る紅き閃光が影を象った。
気の抜けるような呑気な声、鈍重なる身体が落下の衝撃で砂煙を巻き上げる。顕現したのは猫のような形の尖った耳と下顎から伸びる犬歯、全身に黒い体毛が生え分厚い脂肪に覆われた巨体。
カビの生えたものや腐ったものを食べても壊れることはない頑丈な胃袋を持ち、一日に四百キロの食べ物を食べなければ気が済まない“いねむりポケモン”のカビゴンが肥大した腹部を掻きながら欠伸を零した。
「……奴は確実に出鼻を挫くつもりだな」
「どういう、ことですか?」
対する強敵を睥睨したツルギは眉を顰めてそう呟く。
最高幹部が初手に繰り出したのはカビゴン、ノーマルタイプであり相性に有利も不利もほとんどない。ただ力強く、ただ堅く、持って生まれた圧倒的な身体能力のみで容易く敵を押し潰す強力なポケモンだ。
唯一効果抜群を取れるかくとうタイプの技で弱点を突かれそうなら退けば良い、それ以外の敵は他の追随を許さぬ凄まじいフィジカルで圧し潰せる。挑発的にすら思える選出だが……どの道奴を越えなければ勝利は程遠い、真正面から挑む他に道はない。
「望むところだ。まずは小手調べだケンタロス、かみなり!」
荒々しい猛牛の怒号が戦地に響き、天を衝く双角の狭間に雷霆が迸る。宙を切り裂き猛る稲妻の束が瞬きの刹那に対峙するカビゴンへ至れば、めくるめく膨大な電撃を以て灼き焦がし──遅れて耳をつんざく雷鳴が轟いた。
大地は黒く焼け爛れ、舞い上がる爆煙に視界が覆い尽くされていく。ケンタロスが鼻息を荒く前掻きをして……鼓動の音だけが嫌に響く戦地に、静寂の先で宿敵が徐に薄い唇を持ち上げる。
「大した威力だよ。並大抵のポケモンなら一撃で倒されていた」
「……やはりか、鬱陶しい」
それは此処まで辿り着くに足る研ぎ澄まされた一撃へ送る忌憚なき賞賛だ。故に少年が苛立たしげに舌を鳴らす、その言葉こそが絶対的な確信の表れなのだと。
やがて爆煙が晴れていき、果たしてそこには案の定何事も無かったかのように巨漢が悠然と立ち尽くしていて。
「そんな、効いていないです……!?」
機動力という代償を払い脂肪の鎧を身に付けたカビゴンはあらゆる攻撃を寄せ付けない圧倒的な耐久力を有する。ケンタロスの特性“ちからずく”により威力が上乗せされた雷撃を浴びてなお一切動じることのない佇まいから嫌でも伝わってくる、何者にも崩せぬ絶対なる防御の前には羽虫が止まった程度に過ぎないのだろう。
「ならば物理で切り崩す、ストーンエッジ!」
「言ったろ、君の鋒が届きはしないと。じしんで悉くを打ち砕いてくれ」
しかし特防が著しく高いのであれば物理技で攻め込むだけだ。勇壮なる咆哮を響かせ大地を強く蹴り付ければ、地面から隆起する無数の岩槍が戦場に次々と突き上げる。
特殊攻撃に対しては不沈の耐久を誇るカビゴンを以てしても物理攻撃に対しては動かざるを得ないらしい。拳で力強く足元を殴ると大地を揺るがす波状の衝撃波が地面を這うように拡がっていき、列を成す無数の岩槍が忽ち砕かれてしまった。
「攻め込むぞ、すてみタックル!」
このまま安全圏から攻め込んでいても埒が開かない、その懐から勝利を奪い取る。三叉の尾で身体を叩き付け闘志を昂らせた雄牛が猛然と戦場を駆け抜けていく。
それは強大な威力と引き換えに命を削る大技、全体重を乗せた渾身の一撃が迫るが──軽やかに一歩を踏み出したカビゴンが凄まじい衝撃すら厭わず両腕を伸ばし、迫り来る雄牛の角を受け止め握り締めると数メートル程後退りながらも完全に勢いを殺してみせた。
「もう一度ストーンエッジ!」
「何度繰り返しても徒労に過ぎないさ。カビゴン、躱してのしかかりだ」
けれどこの距離であれば先刻のように防げまい。再び力強く震脚すれば頑強なる岩槍が眼下から隆起するが、なんと大地を蹴り付けた巨漢は切っ先が届かない程に高く跳躍してしまう。
「あんなに重そうなのに、速いです……!?」
流石、最高幹部に君臨するだけあり付け入る隙など存在しないらしい。“物理への耐久”と“瞬発力”という弱点が明確だからこそ、起き得る展開を想定してあらゆる状況に対応出来るのだ。
ほんの一瞬だけ意表を突かれたがすぐさま意識を眼前に転換させる。見上げれば巨大な影が降り注ぎ、一度空へと飛び出した以上もうカビゴンは止まれない──誘うかのような好機であろうと退路など不要、全身全霊を捧げて応えるまでだ。
「来るぞケンタロス、望み通りギガインパクトで迎え撃つ!」
言われずともこの絶好の機を逃すつもりはない。雄牛が興奮を露わに三本の尻尾で激しく身体を打ち叩けば、その全身に禍々しくも美しき漆黒の粒子が煌々と逆巻き収束していく。
“ギガインパクト”はあらゆる技の中でも最大級の威力にして一切を滅ぼす破壊の力だ。嵐のように烈々と迸る未曾有の胎動に大気は耐え切れず絶叫し、雄牛を中心として砂塵が高く舞い上がる。
観る者すらも恐怖に身が竦む絶大なる破滅の奔流をその身に纏い、双角を突き出したケンタロスは力強く大地を蹴り付け立ち塞がる敵を討ち滅ぼす為に猛然と宙へ飛び出した。
「っ……すごい、威力です! この攻撃なら、きっと!」
これ程までに強大な一撃であれば、或いは。固唾を呑んで見守っていたサヤの瞳を確信が彩り、冷徹に見据えるツルギは腰を低く身構える。
重力に身を委ね全体重を乗せて降り注ぐカビゴンが両腕を盾と為して襲い掛かり、勝利を求め荒ぶる雄牛が咆哮と共に渾身の力で天を衝く。
閉ざされた空と限りある地の狭間で二匹がついに激突し、その迫力は隕石が地を穿つが如く。凄絶な衝撃の余波に巻き起こった目眩く爆轟が戦場全土を覆い尽くして──視界一切が吹き荒れる砂塵と爆煙、乱れ咲く紫黒の残滓に閉ざされてしまった。
「なんて、衝撃っ……!」
一寸先すら捉えることが出来ない。嘆息を漏らすことさえ赦されぬ静謐の中で趨勢を見守る二人はかたや苛立たしげに眉間に皺寄せ、かたや己が友への揺らがなき信頼に悠然と佇む。
傍観するしか出来ない少女は吹き飛ばされてしまわないよう必死に地に足ついて踏み留まって、やがて戦場に蔓延る暗雲を裂く照明が射し込んでいき。
「──それでも我らに届きはしないさ」
次第に戦場を覆っていた粉塵が薄れ……静黙の向こうに影が揺れる。やがて晴れて行く景色の中でカビゴンは手傷などないかのように平然と構えていて、欠伸を零して平然と煙の中から姿を現した。
いくら優れた耐久を誇っていようとあれ程の衝撃を浴びれば本来ならばただでは済まない。全体重と落下速度が加わったことで勢いが上乗せされた“のしかかり”によって大幅に威力が減衰されてしまい、更に分厚い肉壁に阻まれたことで軽傷に抑えられてしまったのだ。
「蝶の羽ばたきで嵐は起こらない。さて、次は如何な手練を見せてくれるのかな?」
あの巨漢は間の抜けた外見とは裏腹にあらゆる攻撃を通さぬ怪獣──否、エドガーが鍛え上げたことによって比肩なき怪物へと仕上がっている。
それは期待か嘲りか、青年は微笑みを浮かべて問い掛ける。“ギガインパクト”は絶大に過ぎる威力の代償として反動で動けなくなってしまう、いずれにせよ此処で突っ張る程愚かではない。
「戻れケンタロス」
「『では此方も一度退こう。しばらく休んでいてくれ、カビゴン』──と言うところまで、君なら予測出来ているのだろうけれどね」
幸いカビゴンの速度では追撃が達するまでに交代が間に合う。突き出した左腕の先には赤き半球が照明を照り返していて、翳したモンスターボールから迸る紅芒が自身の無力に荒ぶる猛牛を一時の休息へと誘う。
対する最高幹部も圧倒的な力を振るった巨漢を労い暫時の暇を与えた。全霊を懸けて臨む少年の出鼻を挫くには十分な役割を果たした、此処で不用意に居座るのは得策ではないと。
「今は抑えろ、お前にはまだ役割が残っている」
まだ戦い足りないとばかりにカプセル越しに荒ぶる猛牛へ告げたツルギは、それ以上視線を傾けることもなく戦場を徐に睥睨した。
──城を攻め落とすには適材適所が要される、力と耐久を武器に速度で切り込むケンタロスでは圧倒的な耐久に対して相性が悪い。それにあのカビゴンは相当手強い、恐らく以前相対したミロカロスと並んで奴の手持ちにおいて双璧を成す実力だ。
故にここは一度退く、彼が暴れられる機会は必ず訪れる筈なのだと。
「問題ないフライゴン、この程度は想定内だ」
さながら児戯を嘲るように、鍛え抜かれた選りすぐりの“力”で臨んでなお圧倒的な差を見せ付けられた。此れ程までの差に直面して彼の戦意が折れてはいまいか、自身の収まる球を震わせて尋ねるがやはり杞憂だったようだ。
冷淡に応えるその声色には揺らがなき決意が宿り、皆が図らずも主人に奮起させられる。ツルギは決して虚勢でそんなことを言う男ではない、その瞳に宿る決意が変わらず輝いているのであれば……きっと勝機はあるのだと信じられるから。
「君は変わったね、ツルギ。旅の中で本当に強くなったようだ」
瞼を伏せれば蘇る、此れまで何度と交わした刃が。ただ憎悪に委ね戦禍に身を投じる憐れな復讐鬼、以前は戦うに値しない矮星に過ぎなかった。
けれど審判を待つ猶予の中、降り頻る雨に打たれながら交戦した際にも感じた──こうして互いに全霊を賭して臨めばはっきりと理解出来る。
かつて運命に囚われていた孤独な少年はもう居ない。今此処に立ちこうして向かい合っているのは、未来を掴み取る為に挑むポケモントレーナーなのだと。
「貴様から称賛されたところで鬱陶しいだけだ」
「はい、ツルギは……すっごく強いです! あなた達にだって、勝ってみせますからっ!」
否定はせず眉間に皺寄せ苛立たしげに吐き捨てるツルギに代わって最高幹部を睨み付けたサヤが、彼と共に道程を歩んだ者として力強く断言した。
エドガーは菫色の髪を掻き分けて、満足げに微笑を浮かべながら腰へ手を伸ばして新たな球を選び取る。
「──そういう貴様は変わらない」
恐らく傍目には表情の変化が感ぜられない程僅かに、しかし確かに感情が込められた声で忌々しげに眉を顰めた少年は半ば独りごちるように呟いて溜息を吐き出した。
「それ程の力を持ちながら何も成せないとはな。憐れにさえ感じるよ」
「なに、気にすることはない。此の世は儘ならないものだからね」
現実は力さえあれば解決出来る容易い問題ばかりではないのだと、対峙する最高幹部はそう付け加えるとわざとらしく肩を竦めて苦笑する。
彼に何があったかなど知ったことではないが、その瞳を彩る忠義の深層でほんの微かに身を潜めるのは塗り潰せぬ諦観だ。
何も成せない無力への嘆き、覆せない運命への失意、心底に揺れる絶望には嫌という程に見覚えがある。
「こんな組織の最高位に座しておいてよく言う。もっとも俺も同意だがな、貴様を見ているとよく理解出来る」
此のエイヘイ地方の中心に堂々と聳え立つ居城、まさに絶対的な“力”を翳す組織の最高幹部が言うなど冗句にしても笑えない。
しかし──経験者は語る、という奴か。何を為すにも不自由ない才色兼備に恵まれていたにも関わらず後悔に苛まれ続けた男が吐き出せば、その言葉には有無を言わせず説得力というものが圧し掛かる。
「失った時は戻らない。刻まれた疵痕は決して癒えやしない。命じられるがままに贖えぬ罪に手を染め今に至っているのだからな」
「履き違えているね……赦しなど求めていないさ、全てを受け入れて私は選んだ。故に君の光は此処で燃え尽きるのだよ」
「俺は死なん、過去に縋り付く亡霊に譲る道など無い」
射竦められた者を芯まで凍て付かせる冷たく昏い眼差しに、広大な戦場の対岸から臆することなく見据えたツルギが紅く煌めく球を掴み取った。
そして、激戦に喘ぐ焦土の戦場へほとんど同時に次なる手先を投擲。戦場を裂く二筋の軌跡が中心を走る境界から半分に割れて、鮮烈に迸る真紅の先に戦士の影が顕現していく。
「次はお前だ。活路を開く、現れろギルガルド!」
次鋒として見参したのは紫の帯を靡かせて、金の柄を妖しく輝かせる一振りの霊剣。白銀の刃に金工象嵌の施された円盾を握り、鍔に嵌め込まれた宝玉の瞳で討つべき敵を睥睨する。
霊力で人やポケモンの心を操り従わせる能力を有し、王の素質を持つ人間を見抜いて自ら主人を選定すると謳われる“おうけんポケモン”ギルガルド。
「如何な災禍も捻じ伏せる。アブソル、次は君に頼んだよ」
最高幹部が続けて繰り出したのは天に反り返る無数の傷跡が刻まれた三日月の角、全身を柔らかな白毛に覆われ人面に似た黒き貌。逞しい四肢で大地を踏み締める争いを厭う温厚な霊獣。
天変地異を感知する能力を備え、険しい山岳地帯に生息しており災害の予兆を察知すると危険を知らせる為に人前に姿を現す”わざわいポケモン”アブソル。
「なんだか、エドガーさんのアブソル……すごく、強そうです」
「ああ、あの幹部が繰り出したものとは文字通りレベルが違う」
先のバトルでは幹部のクリスもアブソルを繰り出していたが……眼前に立ち塞がる霊獣は、先刻サヤが打ち倒した個体とは比べ物にならない程鋭く研ぎ澄まされた孤高を宿す。
いや──それだけではない。永く生きた個体なのか一回り大きな体躯で悠然と佇み、溢れ出す力の余波で体毛が逆立っている。ある種の神々しさすら孕む荘厳をその身に纏い刺すような敵意で少年達を一瞥した。
「安心したよ、多少は歯応えが無ければ遣る瀬無いからな」
「ならばその身へ存分に刻んであげよう、最高幹部の力をね」
先鋒同士の交戦では劣勢のままに幕を下ろしてしまったが、これ以上エドガーの掌の上で踊るつもりは毛頭ない。焦土と化した戦場を睥睨したツルギは双眸を瞬かせて惑うことなく身構える。
静寂の中に対峙する二匹は共に相手の出方に応じて対処する後の先を得意としている。不用意に仕掛ければ押し切られると分かっている、故に用心深く慎重に睨み合って。
「余裕の割りには臆病じゃないか。切り裂けギルガルド、せいなるつるぎ!」
その手に握り締めた絶対防御の盾により如何な攻撃であっても返せるという自信の表れか、敢えて先んじて動き出したのはツルギとギルガルドだ。
文字通り自らを刃と為す王剣がその切っ先を天へと掲げれば刀身を包むように眩い蒼の奔流が迸り、戦場の何処までも届く光の刃を天へと翳して瞬きと共に見上げたアブソルが腰を低く身構えた。
「君程に気が短くないだけさ。つじぎり、迎え撃つんだ!」
対する霊獣が獰猛な唸り声と共に三日月の角を空へ突き出すと、噴き出した漆黒の怒濤が影を為して逆巻く悪意を纏わせていく。
永きに渡り生き続けてきたことでアブソルの能力は種が至る限界にまで引き上げられている。夜さえ照らし出す膨大な耀きで縦一閃に振り下ろされた一撃でさえも、“せいなるつるぎ”に勝るとも劣らぬ威力を以て受け止められてしまった。
「もう一度だ、薙ぎ払え!」
「闇雲に振るうだけでは届かない、君とて理解していないわけではないだろう」
激しく火花を散らして溢れ出す蒼白と紫黒の余波に大地が穿たれ、焦土を踏み締め堪える霊獣をなお押し切るには達しない。
ならばと長大な蒼撃を横一文字に閃かせるが、身を翻して掬い上げるように振り上げた湾角に受け止められてまたしても剣戟が鬩ぎ合う。
夥しい光陰の余波を撒き散らしながら押しも押されもせず鍔迫り合い、ついに均衡が崩れ趨勢が傾き始めて“せいなるつるぎ”は渾身の力を振り絞った三日月の角に打ち上げられてしまった。
「貴様に言われるまでもない。一気に切り崩す、攻め込めギルガルド!」
「多少は手応えがなければ君を待ち望んだ甲斐がない、それを聞いて安心したよ。迎え撃つんだアブソル、つじぎり!」
横一文字の斬撃と地に脚を付けて掬い上げるのではベクトルが違う、弾かれるのも必然だ。開けた戦場を猛然とギルガルドが弾き出されて、霊獣もすぐさま駆け出し戦場の中心で二振りの刃が衝突する。
蒼き星影と紫黒の悪意、単純な筋力ではギルガルドが勝るが威力ではアブソルも引けを取らない。目眩い剣閃が残滓を零しながら幾度と重なる中で霊獣が湾角の刀身を傾け鋒を逸らし、無防備に空いた体側を狙うが握り締めた盾で弾き返して王剣は自らの身体を突き上げた。
「素早さでは此方が勝る、瞬発力の低さこそギルガルド最大の武器にして唯一の弱点なのだからね。この技なら鋼鉄の身体といえど堪えるだろう、だいもんじ」
天に翳した切っ先から美しき蒼芒が迸り、星の奔流を纏いし聖剣が放たれるその直前に霊獣が業火を吐き出した。
ギルガルドの特性は“バトルスイッチ”。特定の技の発動を引き金として攻撃に特化した形態と防御に特化した形態、二つのフォルムを使い分けることで攻守共に隙の無い戦闘が繰り広げられる。
だが、一見すると完璧に見えるギルガルドにも弱点が存在する。それは攻撃の瞬間“ブレードフォルム”へ移行する為にどうしても防御が手薄になってしまうことだ。
「当たればの話だがな。飛べギルガルド!」
「フ、威勢の割には臆病じゃあないか。逃すつもりはないけれどね」
当然ツルギが誰よりもその弱点を熟知していて、故にこそ想定し得る窮地を脱する手筈は常に整えている。
──未だ手傷を負うわけにはいかない。すぐさま粒子を掻き捨て空高くへと飛翔すると、幾重にも枝分かれした熱線が容赦なく苛烈に追尾して来る。
ギルガルドは速度を上げて縦横無尽に飛び回るが、目まぐるしく炎の間隙を縫いなおも置き去るまでには届かない。しかし王剣とて最初から躱し切れるとは思っておらず、突如として振り返り、迫る猛火を仰ぎ見たその瞳には眩い白銀が湛えられていて。
「ふざけろ、退路など端から必要ない。迎え撃てギルガルド、ラスターカノン!」
狙いを定めて放たれた光線が五芒の業火を相殺し、なお撃ち落とせぬものは盾を構えて防ぎ切る。
すかさず爆風に飛び込み吹き荒ぶ黒煙を突き抜けたアブソルが眼前へ迫り来る。「せいなるつるぎ!」全霊で薙ぎ払った斬撃は身体を屈めて躱されて、加速した霊獣がギルガルドの真横をすり抜け視界の外へと潜り込んだ。
「だが此の技ならどうかな。アブソル、ふいうちだ」
「貴様にしては見え透いている、それとも俺を測っているか。キングシールド!」
完全な死角からの一撃、しかしそれ故に防ぐことなど容易い。円盾を薙ぎ払い振り抜かれた三日月の湾角を受け止めて弾き飛ばせばアブソルは軽やかに着地して、対するギルガルドも用心深く睨み付けどちらともなく飛び退った。
そして訪れる束の間の沈黙。何度と繰り返された攻防は終ぞ決着が付かず、これ以上刃を交わすのは得策ではないとばかりに交差する視線の中で最高幹部が口を開いた。
「先程私が“だいもんじ”を指示した際──ギルガルドの耐久であれば、あえて弱点の一撃を受けて『じゃくてんほけん』を発動しアブソルを倒せた筈だ」
ギルガルドの攻撃力は凄まじい、他のポケモンを優に凌駕し伝説のポケモンにすら比肩すると語られることさえある。
先刻の場面でもし迎え撃つのではなく守備を固め、“じゃくてんほけん”で火力を二段階上昇させてから技を放っていれば確実にアブソルを仕留められた筈だ。いや、その状態まで強化されたギルガルドに倒せないポケモンなどほとんど存在しない。
「あの場面でわざわざ躱して追撃を相殺したのは持ち物が違ったか、温存しておきたかったか、或いはその両方か……さて、どうなのかな」
「さあな。勝負は始まったばかりだ、その内分かるさ」
「伝わってくるよ。君が相当慎重に振る舞っているのが」
決して判断ミスによって好機を不意にしたわけではない。互いに六匹ずつの死力を尽くす総力戦だからこそ、如何に戦力を温存するか、どんな局面で持ち物を発動するか、ひとつひとつの選択に振り回されて結末は水面のように容易く形を変える。
たとえ彼の語る通りの展開になったとして、その後相性が不利なポケモンを繰り出されては交代せざるを得ないのだ。最高幹部が問い掛ければ少年は不敵な笑みで返して、腰に装着した空のカプセルを掴み取った。
「……これ以上は徒労だ。戻れギルガルド」
恐らくこのまま押し切ることは不可能ではないが、決戦は開幕を迎えたばかりだ。敵の手を探ると言う役割を果たした以上無闇な消耗は命取りとなる。
次の出番まで彼の体力を温存しておかなければならない。突き出したモンスターボールから溢れ出す光がギルガルドを束の間の憩いへと誘った。
「それでは君も退がりたまえ。一度身体を休めよう、アブソル」
対する最高幹部も次鋒としての役割を十分に果たした霊獣をカプセルへ呼び戻して微笑みかける。強大な力を誇る敵を相手に必要以上の手を晒さずに退かせられたのなら上出来だ。
ハイパーボールを腰に装着したエドガーが次に繰り出すポケモンは、と指で探ればそのうちの一つが軽く揺れて、相棒から思念が送られて来る。
「──そうだねメタグロス。あれこそが、闇に彷徨う中でツルギが見つけ出した“強さ”なのだ」
ツルギの父親の主導で進められた生体エネルギー研究開発計画『Project:Orbis』は悪意によって歪められ、オルビス団の介入で最悪の事態へ誘われた。慟哭の如く吹き荒ぶ嵐の中で夢の跡地は夥しい血と怨嗟に染まり、数多くの犠牲者を生み出して今なお遺族の方達に禍根を残している。
恐らく彼はその犠牲を全て引き摺り生きて来た。ただ一人虐殺から生き残った者としての責務を果たす為に、触れた者悉くを傷付ける諸刃となって孤独を貫き続けてまで。
けれど──かつてこの手で故郷を奪った幼い少女の首に提げられたクローバーのネックレスは、ツルギの母君が過酷な運命へ旅立つ息子へ約束と共に託したものだ。それをあの少女が身に付けているということは、きっと、彼は力だけではない己の“強さ”を掴み取ったのだろう。
人もポケモンも独りでは越えられない限界がある。復讐に囚われ光尽きて流れ堕ちていくだけだった少年が自身を見失わずに在り続けられたのは、或いは淡く煌めく星が寄り添ってくれていたからなのかもしれない。
「当然だ、最後には俺が勝つ」
眼前に翳したカプセルの向こうから語りかけてくるギルガルドへ、ツルギが徐に瞬き頷いた。
確かに最高幹部の力は極限にまで研ぎ澄まされている、あれ程の境地に“至らなければならない”となれば如何な艱難辛苦を辿って来たか想像も付かない。だが……どれ程過酷な道程を歩んでいようと何もかもを失った主人の境遇を思えば同情はない。
自分やツルギ達とて数え切れない逆境を越えて此処に在るのだ、積み重ねて来た全てを賭けて敵を討つ。己が仕えるべきと認めた男とならば最後には勝利さえ掴み取れると信じている。
「だいじょうぶ、勝負はまだ始まったばかりです」
濡羽色の髪の幼い少女が、共に旅を続けて来た少年の大きな背を真っ直ぐに見つめて呟いた。
──対するは“不動”の名を戴く最高幹部、臨むのは悉くの星が沈みたったひとつ残された希望。幾度にも渡る交戦を経て因縁に終止符を打たんとついに幕を開けた最終決戦はどちらも譲らぬ一進一退、先鋒で圧倒的な力を振るったことでエドガーが多少優勢に立ち回っている。
しかしこの戦いは互いの持てる総てを懸けて行われる六対六のフルバトルだ、織り成される相克の果てに訪れる結末は決着が付く最後の瞬間まで何処へ導かれるか分からない。
向かい合う二人は壮絶な戦闘の余波で焦土と化してしまった戦場を睥睨すると次に繰り出すべきモンスターボールを選び出し、譲れない願いを心に掲げて決意を胸に握り締めた。