ポケットモンスターインフィニティ - 第十五章 闇を裂く星辰
第130話 忠義が導く行方
 カプセル越しに眠るトモダチを見遣って心からの感謝に微笑みかけてから、腰に装着し直したサヤは最後に残された相棒のモンスターボールを力強く掴み取る。
 その内ではずっと共に闘ってきた相棒が力強く拳を握り締めていて。故郷を失ってからずっと──ツルギと共に果てが見えない旅を続けて来た。けれどもうすぐ戦いは終わる、必ず勝って帰るのだと決意を胸に少女の瞳が眩く瞬いた。

「あなたは、言いましたね。居場所を失くしてさまよい続けた、エドガーさんのおかげで……ようやく居場所ができた、って」

 居場所の無かったクリス達は孤独に彷徨い続けて、オルビス団に巡り逢うことで初めて居場所を手に入れた。やっと受け入れてくれる者達が現れた、だから戦うのだと──そう語った。
 その気持ちは痛い程に理解が出来る。居場所が無いというのは心が凍えてしまう程に寂しい、こんなにも広い星の中で情景だけが膨らんでいくのだから。
 けれど、だからこそ……。

「私達は……オルビス団は、そんな者達の集まりよ。誰もが居場所を失くして此の組織へと辿り着いた」

 半ば独りごちるように呟くクリスの言葉には確かな実感を感じられた。確かに、誰もが自らの意思で最終決戦に望んでいるのだから団員達は相当の恩義や感謝があるのだろう。
 自分もそうだった、初めはただツルギへの感謝から己の命も顧みずオルビス団と戦い続けていたのだから。

「……その気持ち、よく分かります。わたしもずっと、そうだったから」

 ──こんな時に、己の未熟さが酷く恨めしい。彼女達にも譲れない理由がある、きっと最高幹部にだって戦う意味があるのだろう……だからこそ、どうしても赦せないことがあって。

「だから……せめてあなた達が、血も涙もない人達なら……!」

 薄い唇を血が滲む程に強く噛み締める。『何故彼女達はそうなのだ』と何度も何度も脳内で反芻してしまう。
 ただ己が私欲の為に他者の権利を侵すような外道であったならどれだけ良かったろう。オルビス団員達が己を悪だと理解しながら戦う意味を自分のことのように共感出来るからこそ、心にぽっかりと空いた穴が痛みに疼くのだ。

「どうしてですか!? どうして、わたし達は……居場所を奪われなくちゃ、いけなかったんですか!?」

 この旅は決して辛いことばかりでは無かった。ツルギが居て、ジュンヤさんやノドカさん達が居て、一緒に歩めるポケモン達が居て……それでも、もしもを願わずには居られない。
 もし、家族同然に自分を育ててくれたポケモン達が生きていたとしても……穏やかな日々を取り戻せるかは分からない。あの子達はこれからずっと故郷が燃え尽きた悪夢に苛まれるかもしれない、居場所が無くなる辛さを知っているのにどうして人から奪うことが出来るのか、と……その瞳は涙に潤んでいて。

「なんで、身内には優しくできて……仲間じゃないものには、あんなにひどくなれるんですか!?」

 その言葉に、悲痛な表情に、何か言いかけたクリスの口が噤まれる。対して彼女の背で腕を組んで壁に背を預けていたツルギは苛立たしげに眉を顰めて。

「エドガーさんは、すごく悲しい目をしていました。でも……泣きたいのはわたしたちです!」
「……そうね、貴女の訴えは最もだわ」
「だったら、答えて……こたえて、ください……!」

 ──まだ幼いサヤとて最高幹部が為した所業の背景など頭では理解している、なによりも重要なのか動力源になるということだ。あるいは彼らの首領はこの世界を焼き尽くさんとしているのだ、来たる終焉に備えて神話の方舟の如く一匹でも多くを匿う為か。
 けれど心は違う、何故自分達が理不尽な被害に遭わなければならないのか……納得が出来ないから、いつまでも己の中で整理し切れないのだ。

「……騒ぐな、鬱陶しい」

 だが沈黙を貫いていたツルギが徐に瞬いて吐き捨てた。抑え続けていた感情が溢れかけていたサヤはそのひと言で不意に零れそうになった涙も止まり、唇を噛み締めながら振り返る。

「忘れたのか。お前はただ俺の道具で在ればいい、感傷など必要無い」
「……でも、ツルギ……」
「答えは分かり切っている、奴らも俺達とそう変わりはない」

 まるで自らを戒めるかのように、己が未熟を噛み締めんばかりに掌に力が込められながらも少年は淡々と吐き捨てる。

「どういうこと、ですか……?」
「無駄口は終わりだ、戦いに集中しろ」

 どういうことだろう、と数瞬間「ああ」やら「ええと」やらもごもごと吃っていた少女だったが──考えるまでもなく理解出来ることだった。
 ツルギはいつでも冷静だ。そして露悪的に振る舞いながらも誰よりも客観的に自他を認識して、罪をこそ憎みながらも同じ咎を背負う者として、あるいは背負ったかもしれない者として必要以上に他者を糾弾することはせず。

「やっぱりツルギは、厳しいです」

 きっと、彼はこう言いたいのだろう。『もし彼女の立場でも同じことをしないと言えるのか』、『聞くまでもなく答えを理解しているのなら、今は目の前の現実に向き合え』と。

「……そうね、貴女の言う通り、エドガー様の罪は決して赦されない。それでも私は彼の為に戦うわ、私達を救ってくれたのは他の誰でもないあのお方だけだから」

 ──ああ、やっぱり自分はバカなんだ、こんなこと最初から理解していたではないか。今はツルギの道具として臨んでいるのだ、ただこの先に待つ家族やポケモンのことだけを考えていれば良い。
 首に提げたクローバーのネックレスを力強く握り締める。全てが終わった後なら涙が枯れ果てるまで泣いたり、お腹が痛くなるくらい笑ったりしてもきっと彼は許してくれるだろう。
 けれど今はその時ではない、此処を越えなければそんな未来など訪れやしない。

「わたしもです、わたしもポケモン達も戦います。絶対にあなたに勝って、最高幹部だって最強だってみんなで越えて、みんなの明日を取り戻すんです!」

 だからもう少しだけの辛抱だ、喜怒哀楽は心の隅にしまっておいて立ち塞がる現実に集中しよう。きっとツルギなら未来を取り戻してくれる、どんな絶望だって切り払ってくれるから。

「……相変わらず面倒な奴だ」

 ツルギが溜息と共に吐き出して、ふんすと鼻息を荒く闘志を取り戻したサヤが力強く腰に装着されたモンスターボールを掴み取り、対峙する幹部へと突き付ける。

「行きましょうサーナイト、仲間達の想いを絶対にムダになんてしません! わたしとあなたの力なら……きっと、絶対に勝てますっ!」

 そして渾身の力で投擲した紅白球は色の境界から二つに割れて、溢れ出す眩い赤光が相棒の影を象っていく。
 眩い閃光を振り払い、現れたのは華奢で女性的な丸みを帯びて純白のドレスを纏う白き騎士。胸には紅い突起が突き出し緑髪のボブ、同じく緑のイブニング・グローブを身に付けている。
 未来を予知する能力でトレーナーの 危険を 察知した時、最大パワーのサイコエネルギーを使うと言われている。

「貴女達に紡いで来た絆があるように、私達も固い絆で結ばれて来た。そうよね、シャンデラ」

 対して幹部クリスの呼び掛けに頷くのは クリスが何よりも信頼を寄せる相棒だ。硝子の身体の内には魂をも灼く紫炎が揺らめき、両腕の先には妖しく灯火が火の粉を散らす霊燈シャンデラ。
 霊燈の金の双眸と白騎士の紅き双瞳が向かい合い、戦場には張り詰めた弦の如き緊張が迸る。
 お互いもう後の無い背水の陣。シャンデラは“どくどく”を浴びて猛毒状態だが、複合タイプのひとつであるゴーストタイプの攻撃はサーナイトに対して効果が抜群。戦いはそう長引くことはないだろう。

「さあシャンデラ、まずは手始めにシャドーボール!」
「迎え撃ってサーナイト、サイコショック!」

 霊燈が灯る紫炎を熱く煌々と滾らせて金の双眸で対するサーナイトを睥睨し、突き出した両腕の先に漆黒の粒子を収束させ影の砲弾と撃ち放つ。
 迎撃するは少女を守る白き騎士。彼女は両掌の先に思念で無数の光弾を形成して紅き双瞳でシャンデラを睨み付け、負けじと力を解き放った。
 二つの技は戦場の中心でぶつかり合う。空を裂く強烈な砲弾と宙を駆る幾重もの念弾は数瞬間余波を散らして鬩ぎ合うが、光は影に呑まれ白騎士の眼前まで躍り出た。

「テレポート、です!」

 だがそう易々と貫かれるサーナイトではない。瞼を伏せると影も残さずその場から掻き消えて、次に瞬いた時にはシャンデラは四方八方を思念の光弾に囲まれていた。

「残念だけれど貴女の攻撃は届かないわ。何処へ逃げようと焼き尽くすまで、ねっぷう!」

 見上げれば念動力で空中に静止した騎士が掌を広げて構えていた、それでも幹部の指示に揺らぎはない。
 猛毒に冒されて内から灼かれる痛みを堪えながら身体中の炎を燃え上がらせたシャンデラが文字通りの熱風を噴き出して、“サイコショック”ごと空間一切を焼き尽くさんとする。

「それならめいそう、ダメージを抑えます!」

 たとえテレポートを使ったとて広すぎる攻撃範囲から逃れることは出来ないだろう、ならばせめて手傷を抑える。白騎士はその身を焦がされながらも瞼を伏せて静かに精神を統一することで“とくこう”と“とくぼう”を上昇させて、ダメージを極力抑えて着地した。

「そんな技を覚えているなんて面倒ね、クリアスモッグで掻き消して!」
「そんな……っ、サイコショックです!」

 これ以上めいそうを積まれてしまえば手が付けられなくなる、ならばその前に上昇した能力をリセットしてしまえばいい。
 シャンデラが特殊な泥を吐き出して、この技は回避不可能の必中技だ──腹を括った白騎士が瞼を伏せて念弾を撃ち放った。
 サーナイトの腹部に直撃した泥塊が炸裂すれば白煙が彼女の集中を乱し上昇した能力を全て元に戻し、立て続けに放たれた思念の弾丸が霊燈の硝子質の身体を次々に穿つ。

「良いわ、貴女が視えてていようが関係ない! 一気に焼き尽くして、オーバーヒートよ!」
「来ますサーナイト、みがわりですっ!」

 叫んだのはほとんど同時だった。霊燈の体内に灯る燐火が、双腕から揺らめく鬼火が、その身体に宿る全ての炎が一斉に噴き上げて業火が爆ぜた。
 無論超能力を持つサヤならばこの攻撃も躱すだろうことは理解していた、体力を削り生み出した質量を持つ分身によって凌がれたが……それでも幹部の瞳に惑いは無い。
 ──悉くを焼き尽くす極大の熱線がその凄まじい熱を以て戦場を薙ぎ払い、何もかもが灰燼へと還る。数瞬間を経て徐々に威力が弱まりついに燐火が止んだ刹那、宙に無数の光が灯りその全てがシャンデラを貫かんと動き出す。

「手を休めないでシャンデラ、シャドーボール!」

 やはり、ロズレイドとの交戦によって“どくどく”を食らってしまったことが尾を引いている。加速度的に蝕みゆく猛毒に歯を食い縛りながら──懐に隠していた“しろいハーブ”を頬張り、最大火力を放った代償に下がってしまった能力を元に戻す。
 そしてみがわり人形によって業火を躱し、上空へと浮遊して避難した白騎士を仰いだシャンデラは無数の念弾に貫かれるのも厭わず影を束ねて砲撃を放った。

「……っ、そっか、あなた達は……! これを受けたら終わりですサーナイト、みがわり!」

 まさか、いや、恐らく間違いない──彼女達の狙いを察したサヤは瞳に焦燥を浮かべながら高く叫んだ。
 猛毒に身体を蝕まれ命の灯火が消えつつあるシャンデラに残された時間はそう長くない。此方は如何に凌ぐかになるが──エスパータイプを持つサーナイトにはゴースト技は効果抜群、体力を削ってでもみがわりで防がざるを得ない。

「捉えるまで何度だって、シャドーボールを放ちなさい!」
「避けてサーナイト、テレポート!」
「ふふ、でしょうね。逃しはしないわ、ねっぷう!」

 勢い良く頭上に撃ち放たれて、炸裂した影の砲弾は礫となって雨の如くに降り注ぐ。咄嗟に瞬間移動で霊燈の背後へと回り込むがクリスはそんなこと百も承知だ、間髪を入れずに指示を飛ばして灼熱の息吹が戦場全てを呑み込んでいく。

「それでもっ……なるべくダメージを抑えます! サーナイト、めいそう!」
「そう来ると想っていたわ! 行きなさいシャンデラ!」
「何度も同じ手は、食らいません! みがわりでっ!」
「でしょうね、けれどこれで貴女の最後のみがわりはおしまい。粉砕するのよシャンデラ、シャドーボール!」

 シャンデラの持つ圧倒的な特攻によって繰り出され高い威力に加え回避が至難な大技“ねっぷう”。それは優れた特防を誇り更に“めいそう”によって能力を上昇させたサーナイトであろうと決して浅い傷ではない。
 能力上昇も迎え撃つ冥燈ならば先刻同様それを“クリアスモッグ”によって打ち消してしまうだろう。だからみがわりを展開したが──他に打つ手が無かったとはいえ、当然読まれてしまっていた。
 放たれた暗影の砲撃は体力を削って生み出した分身を容易く掻き消し、本体が露わになってしまう。

「──っ、サイコショックですサーナイト!?」
「これで、貴女に触れられるわね。さあ終わらせてあげる、シャンデラ……オーバーヒート!

 人形は身代わりとなって砕け散り。咄嗟に瞬間移動で背後に回り込んで思念の砲弾を形成するサーナイトだが、同時に振り返ったシャンデラの双眸は真っ直ぐに騎士を捉え、猛毒の痛みに悶えながらもその身体に灯る焔が凄まじい熱気を以て昂っていく。
 この攻撃は避けられない、火力勝負でも敗色濃厚だ──けれど、まだ可能性は残っている。自分と相棒ならば言葉を交わさずとも通じ合える、だから最後の勝負に出る。

「……さようなら。貴女達はよく戦ったわ、ゆっくり眠りなさい」
「まだです、わたし達は──絶対に勝つって誓いました!」

 そして解き放たれた昏き劫火は何もかもを灼き尽くしていく。視界に映る一切を、ポケモン達が縦横無尽に飛び回れる程の宙を、魂をも喰らう焔が圧倒的な火力を以て呵責無く。
 ──全身全霊を懸けて解き放たれた炎もやがて鎮まり、未だ戦場に揺らめく蒼き残火の中心に僅かな命の灯火を燃やして霊燈は聳え爆煙に染まる上空を睨み付ける。

「成る程、それが此処まで温存していた持ち物なのね。貴女達がこんなに食い下がるなんて思わなかった、賞賛に値するわ」
「まだ……っ、あなたのシャンデラも戦えるんですね」

 大抵の生物ならば容易く崩れ落ちてしまう即効性の猛毒を浴びて更にサーナイトの攻撃を喰らいながらも未だ斃れぬ霊燈に、少女が眉間に皺寄せながら絞り出すように呟いた。
 だが未だ白騎士の闘志も尽きてはいない、ほんの僅かな体力を繋ぐことが出来た。劫火が放たれる寸前に彼女は懐から湾曲した桃色の甘い果実マゴのみを頬張り体力を回復、すぐさま“みがわり”を発動して“オーバーヒート”を凌ぎ切ったのだ。

「けれど今度こそお終いよ、もう一度……オーバーヒート!」
「サイコショック、迎撃してくださいっ!!」

 ──もう間も無くで、長い戦いに決着が付く。
 恐らくサヤとて理解しているだろう。今から攻撃に転じたとして間に合っても良くて相討ち、特防を上げたところでこの体力では容易く削り切られてしまうのだと。彼女に残された道はどちらを選んでも勝利には至らない、だから。

「さ、サーナイト!? あなたは、なにを……?」
「そう、サーナイト……貴女はそこまで主人を想っているのね」

 だから、決死の想いで指示を飛ばしたサヤには悪いが独断で動かせてもらう。先刻より威力は著しく衰えながらもなおも激しく燃え盛る蒼き熱線は眼前にまで至り、その瞬間サーナイトが力強く翳した掌の先にあらゆる光を呑む漆黒の球体が生成された。

「あの、ツルギ……あれは!?」
「今は勝負に集中しろ、図鑑を見れば理解出来る」

 空間に出現した黒穴の威力は凄まじい。迸る蒼白の猛火を容易く呑み込み焦土と化した戦場が引き寄せられるように捲られる、それでもなお抑え切れない力の奔流に空間までもが振動していく。
 サーナイトには心から愛する主人の為ならば、内包するサイコパワー全てを擲ってでも守る深い忠誠心を持つと言われている。彼女はサヤを勝利へ導く為に、全身全霊を懸けてブラックホールとも形容される黒き極小の塊を生み出したのだ。

「此処からは我慢比べね! シャンデラ、もっともっと熱く燃えるのよ!!」
「クリスさん、あなたは……。頑張ってくださいサーナイト、あなたなら絶対に勝てますっ!!」

 何もかもを引き寄せる凄まじい引力を前に対峙する幹部の氷の瞳にほんの僅かな熱が灯り、ワンピースの裾を抑えながら必死に地を踏み締めて堪えるサヤが自身の為に踏ん張る相棒に腹の底から声援を叫ぶ。
 既に最大火力を奮い威力が著しく落ちてしまったシャンデラと、一段階能力を上昇させた上で渾身の力を揮い魂を振り絞るサーナイト──力の差は歴然だった。
 霊燈がその身に宿す絶大なる焔もついに風前の灯火となり燃え尽きる。全ての力を使い果たした騎士も徐に崩れ落ちるが、霞む視界に意志を標として片膝を立てて踏み止まり。
 熱戦の繰り広げられた戦場に、夜のように穏やかな静謐が降り注ぐ。ついに意識を保つことすら出来なくなったシャンデラが鈍い音と共に戦場に転がり、主人と掴み取った勝利を見届けたサーナイトも遅れて地面に倒れ臥した。

「勝っ、た……? あ、ありがとうございますサーナイト! あなたやみんなががんばってくれたおかげです!!」
「あーあ、負けちゃった。……限界まで力を奮ってくれてありがとう、お疲れ様シャンデラ」

 勝敗は決した、互いに持てる全てを以て臨んだ激闘を制したのはサヤとポケモン達だ。これで……最高幹部が待つ深奥への扉がようやく開いた。
 依然先の見えない暗闇、冷厳なる門扉を越えて蒼き紋様が脈打つ漆黒の通路を仰いだツルギは無感動に戦場を横切り敗北した幹部に一瞥をくれることもなく通り過ぎていく。

「貴方……サヤさんは自分の為に頑張ってくれたのに声ひとつかけないなんて、本当に冷血なのね」
「出来て当然のことを褒めるやつが何処にいる?」
「……それはそれで腹が立つのだけれど」

 クリスは責めるような語気で少年の背に声を掛けるが、彼はそれだけ吐き捨てると振り返ることなく歩みを進めた。
 残された女性は不服そうに唇を尖らせていたが、彼に気を揉んでももうしかたがないと正面に向き直る。戦場を挟んだ向かいに立つ幼い少女は首に提げたネックレスを握り締めながら、眼前にモンスターボールを翳していて。

「ほんとにありがとね、みんなはもちろん……サーナイトも。あなた達がたくさんがんばってくれたから、幹部に勝つことができました」

 迸る赤光と共に傷付いた騎士は束の間の休息に誘われ、掌に収まるカプセル、その内に瞼を伏せて身体を休める相棒に心からの感謝を述べる。
 オルビス団幹部クリスとの戦い、自分の策を通す為とはいえポケモン達にはかなりの無茶を強いてしまった。いや──経験で劣る自分では指示で遅れを取ってしまい、その差を彼女達に埋めてもらったと言っても過言では無い。
 死力を尽くして臨んだバトルで意識が朦朧となりながらも目を覚ましたサーナイトは微笑みながら頷くと瞼を伏せて眠りに誘われ、それを見届けたサヤは改めて感謝を述べてからモンスターボールを腰に装着した。

「……ごめんなさい、勝てなかった。まだまだ私は未熟だったわね」

 倒れ伏すシャンデラに歩み寄り、屈んでその顔を覗き込みながら呟いてから紅白球を翳して迸る赤い光が呑み込んで行く。せめて彼女には勝利して、勝てはせずとも少しでもツルギの戦力を削ぎたかった。
 ──此れで自分達の戦いは終わってしまった。胸元に握ったカプセルの中では疲れ果てた相棒が穏やかに寝息を立てていて、腰を上げたクリスはその姿を慈しむように眺める。

「……くす、本当に変わったわね私達」

 微笑みながら、自分達が生まれ育った故郷を脳裏に描き出す。
 自分達が生を授かった地は何処までも草木の茂らぬ荒涼とした景色──昼は苛烈な炎天に晒され命を攫う風が吹き、降り注ぐ穏やかな黄昏が去れば夜はあらゆる息吹が静まり返るエイヘイ地方北西端の砂漠地帯だった。
 かつて栄えた文明の痕跡、崩壊した墓所を盗人達や野生動物から守り、その世界での在り方に馴染めず同胞からすら疎まれながらも険しい環境で必死に明日を漁り生き続けて。

「ええ、そうね。此れまで色々なことがあったけれど……」

 シャンデラとはその頃からの長い付き合いだ。墓所にて体力を失い弱っていたヒトモシを放っておけず保護したら懐かれてしまい、ポケモンの居なかった彼女は相棒として可愛がるようになり。
 だが食糧の乏しい砂漠でヒトモシに食事の代わりに魂を与え続けたことで自分の肌と髪からは色がすっかり抜け落ちて、死体同然な自分の気味の悪い姿に同胞達はついに耐えかねて砂漠では非常に貴重な水や食糧すらも迫害故に絶たれてしまった。

「私達の踏み締めた道程には確かな意味があったり今なら胸を張ってそう言えるわ」

 それでもこのまま朽ち果てるよりは──在り得ざる希望に縋り故郷を捨てて旅に出て、辛うじて砂漠を越えられはしたが安息の地などあろう筈がない。
 繰り返される迫害と蔑視、何処へ向かおうと変わらぬ差別の中で自分達と似た境遇にあるポケモン達を仲間に加えて何処までも遠くへ歩き続けた。
 もう、駄目かもしれない。とっくに諦めていた筈の世界でいつか見た優しい黄昏を仰ぎ見て、餓えと渇きと蓄積し続けた疲労に倒れた時に運命を変える出逢いが訪れる。

「……エドガー様、あのお方は彷徨い続けた私達を救ってくれた。此の方舟で貴女達と過ごしたひと時は夢のような時間だった」

 暗黒を照らす灯火のように、どんな闇の中にさえ導はある。最早指先一つ動かすことすら叶わなかった自分とポケモン達へ一人の青年が手を伸ばした。
 彼の名はエドガー、オルビス団という組織の最高位に立つ幹部にしてある目的で各地を巡っているのだという。そしてクリスの噂を耳にして彼女に会う為に訪れた結果、此の場面に遭遇したらしい。
 彼の組織への誘いを二つ返事で承諾した。果たして彼が正しい行いをしているのか、その最終目的で多くの涙が流されるのか。考えたことがないでもないが──ようやく手に入れられた居場所、暖かな布団の中で目を覚まし平穏に過ごせるかけがえのない日々があればそれで良かった。

「強いわねサヤさん。貴女も、貴女のポケモン達も。家族や仲間を想う強い気持ちが伝わって来たわ」
「ありがとう、ございます……クリスさん」
「さあ行きなさい。彼に置いていかれるでしょう」
「そ、そうですね! 早く、ツルギを……追いかけますっ」

 ──いつまでも過去の記憶に縋り付いていても仕方がない。相棒が眠るモンスターボールを腰に装着した幹部は優しく穏やかな声色で先刻まで激闘を繰り広げた少女へと声を掛けて、サヤは深々と頭を下げた。
 それから慌てて幹部の真横を通り過ぎるとツルギが消えた深い闇を仰ぎ見て、大きく息を吸い込んで吐き出すと意を決して力強く一歩を踏み出……そうとしたが、立ち止まり最後に氷の瞳を振り返る。

「わたしたちがあなたに勝てたのは……多分それだけじゃない、って思います」

 確かに自分は持てる力全てを奮い戦いに臨んだ、ポケモン達は魂を振り絞り至らぬ己を支えてくれた。だけど、とサヤは思い至った。

「エドガーさんはいつも、悲しい目をしていました。でも、きっとツルギなら……なんとかしてくれますっ」

 ──もし、クリスが勝利してしまえばツルギのポケモン達も最高幹部との決戦に万全の状態では臨めなくなってしまう。単なる手傷ならば薬で治せるが疲労だけはどうしようもない。
 最後の決戦でツルギが破れてしまえば、誰が絶望の淵に在るエドガーの心へ光射すことができるだろう。そんな躊躇いが、或いは何処かで無意識のうちに幹部に歯止めを掛けていたのかもしれないのだと。

「何を言っているの、勝ったのは貴女達なのだからせめて胸を張るくらいはしなさい」
「あ、ええと、えっへん!」
「よし良く出来たわね、じゃあ早く彼のところへ向かいなさい」
「そう、ですね。ありがとう、ございます……さようならです!」

 ……所詮、そんなもの幼い少女の希望的な観測に過ぎない。よしんばその推測が事実だとして、例えたとえどんな理由があろうと敗北したことには変わりがないのだ。
 濡羽烏の長髪がふわりと舞って、その小さな背中が淡い蒼光の紋様に照らされた闇の中へと溶けていった。
 此の道を越えれば、その先に最高幹部がかつてその手で撃ち落とした星々の残滓が訪れるのを待ち受けている。
 たとえ何があろうと勝利するのだと誓った。かたや多くの同胞を手に掛けそれでも鋼の心で忠義を貫き、尽くすべき主人の大願を完遂する為に。かたや絶望の中でただ一条世界に流れ落ちた流星は、利剣の如き冷徹なる心で立ち塞がる闇を切り裂き全ての運命に決着を付ける為に。
 ──十三年前から続く因縁が、この地にてついに最後の邂逅を果たす。決戦の時はもう近い。

■筆者メッセージ
サヤ「ほんとに、勝てて良かったです。あなた達のおかげですね」
クリス「…負けたわ。貴女達も強い絆で結ばれているのね」
サヤ「はい、トモダチも仲間達も居てくれて…とっても、うれしいです」
クリス「かけがえのないものだものね。大切にしなさい」
サヤ「あなたは、トモダチとかっているんですか?」
クリス「…」
サヤ「え、あ…」
クリス「やめなさいその反応。いいのよ、そんなもの期待してないから」
サヤ「ええと…わたしのトモダチ、紹介しましょうか?」
クリス「こんな死体みたいな女は怖がられるに決まってる。遠慮しておくわ」
サヤ「ジュンヤさんは、そんなこと…気にしないと思います」
クリス「レイ様からもしばしば話は聞くけれど、本当にどんな人なの…?」
サヤ「優しくて、強くて、幼なじみといつもいっしょで…あ、あと影が薄いですっ」
クリス「…まあ、良い人なのは伝わったわ」
サヤ「はい、仲良くなれると思いますっ」
せろん ( 2022/05/05(木) 13:16 )