第129話 かすかな光
オルビス団の本拠地『剣の城』にて始まった決戦、最高幹部がエドガーが待ち構える深奥への道を閉ざすは幹部のクリス。対して挑むはかつて彼の組織に故郷を滅ぼされツルギやポケモン達と共に戦い続けて来た幼い少女サヤ。
激戦の趨勢はサヤのトドゼルガが起死回生の一手でアブソルを撃破したことで有利に傾いた。だが相手は修羅場を潜り抜けて来た猛者だ、ラッキーパンチも二度目は無い。
「けれど此処からはわたしも本気、二度と同じ轍を踏んだりしない。覚悟することね」
「そんなの、とっくの昔に出来てます。ツルギと出会った……あの日から」
冷たく言い放つ幹部に臆することなく答えるサヤは答える。この命は元々ツルギに拾ってもらったものだ、彼が約束を果たす為ならば喜んでこの身を投げ出そう。
「そうね、ごめんなさい。覚悟が無ければ貴女達もこんなところに来ていない」
今日此の『剣の城』にて織り成される決戦が世界の命運を握っている。これまで何度と最高幹部の脅威を目の当たりにして、此処に至るまで千を越える義勇兵を越えた上で未来を変えようと立っているのだ──生半可な意志である筈がない。
「けれど、貴女は本当に彼らが最高幹部を越えて最強の男を倒せると思っているの?」
「分かりません! でも……ツルギやみんなとなら、なんとかなる気がしています」
「楽観的ね、大人しく降伏すれば無駄な労力を使わないのに」
「ムダじゃあ、ありません。わたしは信じていますからっ」
サヤもサーナイトもよく知っている、ツルギやジュンヤ、多くの仲間達が何度と不可能と思える壁を打ち破ってきたことを。確かに最高幹部の絶大な力は幾度と絶望を齎して来た、それでも皆で力を合わせて幾度と脅威を乗り越えて来たのだから諦める理由になどなりやしない。
「そう、ならその希望ごと打ち砕いてあげる。もう一度お願いガラガラ!」
再び現れたのは小柄な怪獣ガラガラだ。握り締めた骨の棍棒を軽快に振り回し、相対する海獣の巨躯を仰いでなお大胆不敵に笑みを浮かべる。
たとえ相性有利であろうと油断は出来ない、相手はその凄まじい攻撃力によって逆境など容易く跳ね返してしまうのだから。用心深く戦場を睥睨したサヤは決意を胸に声高く叫んだ。
「わたし達の希望は崩れません! 一気に攻め立てますトドゼルガ、なみのり!」
迎え撃つのは重厚な脂肪の鎧に包まれ氷塊を容易く破砕する双牙を構えた青き海獣トドゼルガ。単純な攻撃力では勝負が見えている、ならば此方は規模という武器を持って攻め込もう。
トドゼルガが怒号を轟かせるとたちまち水流が吹き上がり、膨大な波濤となってガラガラへと襲い掛かった。
「真正面から突っ切ってあげる、行きましょうガラガラ! ホネブーメラン!」
だが迎え撃つ怪獣に恐れは無い。高波を仰げば力強く骨棍棒を握り締め、高い跳躍と共に自ら飛び込み投擲した骨棍で波を切り裂き突き抜けた。
勢いを失った高波は水風船のように宙で弾けて、降り続く滴は虚しく驟雨と過ぎ去った。
「やっぱり、この程度じゃあ倒せませんよね……!」
ガラガラの火力の高さは身に染みて理解している、思わず歯噛みするが容易く突破されることなど当然理解していた。だからすぐさま次手に移る。
「れいとうビームで防御です!」
猛然と迫る骨棍棒を睨み付けて砲口に冷気を収束させたトドゼルガは、主人の指示と共に解き放つ。
冷凍光線が即席で生成した氷壁はひび割れ砕けるが、そこまで行けば運動エネルギーも著しく低下している。
遠心力を乗せた尾の一振りで弾き飛ばして徒手となったガラガラを見遣りもう一度声高く叫んだ。
「ムリヤリにでも……倒してみせます! お願いトドゼルガ、なみのりです!」
「これで終わりよ! ガラガラ、ストーンエッジ!」
同時に叫べば膨大な波動が地の底より溢れ出し一切を飲み込まんと襲い掛かるが、無数に列を成して突き上げる岩槍が天を衝き敵を討たんと突き進む。
二つの大技が届いたのは──ほとんど同刻だった。剛強の巨岩が疲労困憊の海獣の巨体を深く貫いてその威力を以て吹き飛ばし、荒々しい蒼波が一切の呵責無く怪獣を呑み込み容易く押し流す。
かたや背中から地面に落下して仰向けに転がり、かたや潮が引いてうつ伏せになって倒れ伏した。暫時の静寂──しかし、まだ終わってなどいなかった。
「……まだ、動けるんですか!?」
「ガラガラ、貴方……」
未だ、この胸に宿る灯は燃え尽きていない。最期に残された微かな力で無理やり上体を起こしたガラガラが目の前に転がる骨棍棒を掴み取り、けれど……その瞬間とうとう力が尽きて、今度こそ意識を失い斃れてしまった。
固唾を呑んで見守る戦場の中で、どちらも動く気配は見えやしない──両者共に戦闘不能だ。
「……ありがとうございますトドゼルガ、よく頑張ってくれましたね。あとは、ゆっくり休んでください」
トドゼルガとガラガラは共に瀕死、だがこれでクリスに残されたのは相棒ただ一匹。対してサヤの手持ちは片方が消耗しているとはいえ、未だに二匹残っている。数の上ではこれでサヤが一歩リードとなる。
「……お疲れ様ガラガラ、よく頑張ったわね。さ、あとはゆっくり休んで」
穏やかな赤光が迸り、優しく包み込まれた怪獣は安息の地へと還っていく。握り締めたモンスターボールのカプセル越しに瞼を伏せるガラガラを見遣れば、彼は心からの安堵に深く眠りに付いている。
クリスは深く胸を撫で下ろした、彼がこうして気兼ねなく眠れる現在に。
母親を失った悲しみに最初は食事もままならず、皆で旅に出てからも世界への疎外感から眠れない夜が繰り返された。きっとガラガラも、そんな環境だからこそ──母を失った瞬間を何も度も何度も夢に見たのだろう。
オルビス団に所属してから自分達は変われた。こうして毎日を過ごせるのは最高幹部が彷徨い続ける己を救い上げてくれたからだ、だからたとえどんな悪逆を働いていようと自分にとっては感謝しかない。
「……これで私は残り一匹。けれど負けない、負けられないから」
「わたしも、負けるつもりはありません。いえ……あなた達にだけはぜったいに勝ちます」
居場所をくれた者達への感謝を胸に向かい合う戦場の彼方に立つ少女を力強く睨み付けるクリスに対して、サヤは此処まで自分を導いてくれた仲間達への誓いで臆することなく幹部を見つめる。
握り締めた紅白球を突き出してみせるが、緊張と不安に鼓動が早鐘を打って止まらない。対峙する幹部のことを知る度に納得出来ない理不尽に胸が張り裂けそうになってしまう、歴然たる実力の差に今にも叫び出したくなる。
それでも──ツルギなら『下らん感傷など必要無い』と吐き捨てるだろう。まだ勝機は残っているのだ、なんとしてでも立ち塞がる彼女の懐から勝利を奪い取ってみせよう。
「この子を残せて良かった……です。これでなんとか、勝ち目はあります」
もし、最初に引き際を弁えず相性が有利だというだけでロズレイドで突っ張っていたらほんの僅かな勝ち目すら無くなってしまっていた。
辛うじて可能性は残されている、あの時の自分の判断には心の底から感謝しよう。偉いですわたし!
「この子が私の相棒よ、出て来なさい!」
「あともうひとがんばり、お願いします……!」
二人がモンスターボールを投擲したのはほとんど同時だった。照明を浴びて煌めく紅き軌跡が閃いて、眩い光が溢れ出すと一つの影を象っていく。
「さあ、全て焼き尽くしましょうシャンデラ!」
かたや煌々と燃え盛る紫炎を揺らめかせ、腕の先に灯る炎を妖しげに棚引かせる豪奢なシャンデリア。内より燐火に照らされて、硝子の身体を煌めかせ金の瞳を瞬かせるのはいざないポケモンのシャンデラだ。
クリスが最も信頼を置く相棒にして、他者の魂を吸い取り炎を燃やすと言われている。古びた洋館に多く棲息していてシャンデラを灯りの代わりにしていた屋敷では葬式が絶えることが無かったという。
「お願いします、行ってくださいロズレイド!」
対してサヤが呼び寄せたのは右手には鮮やかに燃える真紅の薔薇が、左手には奇跡を表す青の薔薇が咲き誇る深緑のマントを羽織った麗人ロズレイド。
ガラガラとの戦いで手傷を負ってしまったものの、引き際を弁えたおかげで十分に体力は残っている。無理矢理にでも彼女と共に僅かな勝ち筋を掴み取る、視線を交わして迎え撃つ強敵を確かに睨み付けた。
「……私達は勝つ。でないとエドガー様に合わせる顔が無い」
「わたしも……おんなじです。居場所をうばわれちゃいました、から」
「──そうね、ごめんなさい」
ずっと彷徨い続けて来た自分達を受け入れてくれたのは、最高幹部たる彼が初めてだった。オルビス団でなら周囲の目に怯えることなく過ごすことが出来た……そんな組織へ迎え入れてくれたあのお方の為に戦いたい、少しでもお役に立ちたい。
だから、たとえ信じるものがいくら血に塗れていようと道を譲れない。彼が犯した永劫赦されぬ大罪の象徴たるツルギを決して此の先に通しはしない。
「行きましょうシャンデラ、シャドーボール!」
シャンデラは伝説のポケモンにすら匹敵すると言われる程の特攻の高さが最大の武器だ、相性の不利もあってロズレイドではそう長く保たないだろう。
昏き影の如き粒子が口元へ収束していくと空を黒く塗り潰すかの如き巨大な砲弾が形成されて、金属音にも似た甲高い咆哮と共に光ごと喰らわんと撃ち放たれた。
「躱してエナジーボールです!」
「ま、そうなるわよね。だったらこれはどう?」
軽やかに舞い上がった薔薇の麗人が影砲を眼下に仰ぎ突き出した花束から深緑の光弾を撃ち放つが、幹部が目配せすれば“シャドーボール”は針を刺された水風船の如く弾けてでたらめに散弾が撒き散らされる。
「ロズレイド、まだ戦えますか!?」
分かっていても避けられなかった。直撃よりは手傷を抑えられたとはいえ、咄嗟に身を翻してそれでも一粒一粒がかなりの威力を誇る弾丸が肩や背中を鋭く貫き忽ち体力が削られてしまう。
「逃がさないわ、続けてねっぷう!」
「……ロズレイド、みがわりです!」
ねっぷう──それは広範囲を捉えるほのおタイプの技の一つだ。体内の炎を昂らせ吐き出した灼熱の吐息が風となって吹き付ける、避けようにも範囲が広く身動きの取れない空中では回避は至難だ。
灼熱の一陣が吹き抜けて、体力を削り生み出した身代わりのぬいぐるみが灰燼へ還ればロズレイドは構わず前へと歩み出る。既にこちらの手も性能もその大部分が割れているのだ、これ以上長引かせれば一矢報いることも出来ずに終わってしまうから。
「さて、もうみがわりは使えないでしょう? もう一度シャドーボールよ!」
「エナジーボール、迎え撃ってください!」
既に最初のガラガラ戦で負った手傷と今の“みがわり”、そして先程の“シャドーボール”でロズレイドは風前の灯火にまで体力が削られてしまっている。
クリスとシャンデラは此処が好機と攻め込むが、たとえ凄まじい威力だとしてもそう易々と引けは取らない。両腕から渾身の力で撃ち放った巨大な光弾で迎え撃ち、なお押し負けてしまうが光と影の鬩ぎ合う刹那に真横をすり抜け疾く駆けた。
「それならもう一度ねっぷうよ!」
「……わたしたちは逃げません、このまま突っ込みましょうロズレイド!」
再び吹き付ける灼熱の吐息、それは確かに一見回避不能にも見える全体技だが──“ねっぷう”は周囲全てを巻き込む広大な射程の代償として僅かな間隙が存在する。
小柄な体躯が幸いした。両眼を凝らしたロズレイドは熱に焼かれる寸前、辛うじて見つけ出したほんの微かな目の隙間へと勢い良く滑って潜り込んだ。
「ロズレイド、お願いします……がんばってください!」
ファイアローのように疾風の如き速度とそれに慣れ親しんでいるが故の動体視力があれば、実力でこの風を切り抜けられたろうが。
司令塔として見つめるサヤがどの方向から熱波が迫っているかと念話を送るが、あくまで幼い少女に過ぎないサヤ自身の経験の無さとくさタイプの中では速い程度のロズレイド……二人の実力だけで躱し切るには限度がある。
「……何かあるわね。シャンデラ、威力を多少落としても良いから範囲を広げて!」
頬に熱風が掠った瞬間身を屈め、足元に熱気を感じた瞬間跳躍。眼前に迫る灼熱に右手から伸ばした蔦を地面に突き刺して、身体を引き寄せることで無理矢理回避し無我夢中のままに突き進む。
無論幹部と呼ばれるだけありその目は節穴では無い、自ら退路を断つ無謀にサヤとロズレイドが“何か”を狙っていると気が付いたのだろう。僅かに威力が落ちる代わりに“ねっぷう”の範囲は更に拡大されて隙間すらほとんどが埋められてしまい。
「だったら……ここに賭けます!」
──残された猶予はもう僅か、こうなったらいちかばちかだ。思い切り高く跳躍して、当然照準は頭上へ向けられるがサヤは揺らがぬ決意で声高く叫んだ。
「ロズレイド、みがわりです!」
「無駄よ、既に貴方のロズレイドは体力も限界でしょう!」
「その通りです、だから……オボンのみを使ってください!」
クリスの言う通りだ、既に体力の限界が近くみがわりを発動するには至らない。だからその瞬間今まで懐に隠していた“オボンのみ”で体力を少しだけ回復する。
ほんの少し、僅かな足しにしかならないが……それだけの量を回復出来れば十分だ。
「そう、貴方達がずっと内緒にしていた持ち物は……それだったのね」
これで、あと一度だけみがわりを使える。正真正銘最後のチャンス。
微かに身を焼かれながらもすぐさま残された体力の全てを振り絞って“みがわり”を発動した。魂を削り造り出した人形は忽ち焼き焦げて灰と化して、すぐにその先の仮面の麗人の姿が露わになるが──。
「……今ですロズレイド! きっと勝利へ繋ぎます、どくどく!」
分かってる、瞬きの間に意識までもが掻き消されてしまうことは。だから刹那に両腕を突き出して、全身全霊を賭して猛毒の液体を噴き出した。
そして凄まじい熱量を以って吹き付ける暴風に、麗人の華奢な身体は忽ち焼き尽くされてしまう。力を使い果たしたロズレイドは頭から地上に激突して仰向けに寝転がり、対するシャンデラが勝利にふんすと鼻を鳴らした瞬間──硝子質の身体が傾いて。
「……ありがとうございます、ロズレイド。あなたの想い、たしかに届きました」
紅い閃光が迸り、倒れ伏す薔薇の麗人を包み込んだ暖かな輝きは優しく戦士を休息へと誘う。
魂を燃やして対峙するシャンデラを見遣れば、彼女は内から焼かれるような苦痛に眉間を皺寄せている。最期の力を振り絞って放った渾身の“どくどく”は確かに対敵へと届いていたのだ。
「お疲れさま、ほんとにありがとね。あとはわたしとサーナイトに、任せてください」
カプセル越しに眠るトモダチを見遣って心からの感謝に微笑みかけてから、腰に装着し直したサヤは最後に残された相棒のモンスターボールを力強く掴み取る。
その内ではずっと共に闘ってきた相棒が力強く拳を握り締めている。故郷を失ってからずっと──ツルギと共に果てが見えない旅を続けて来た。けれどもうすぐ戦いは終わる、必ず勝って帰るのだと決意を胸に少女の瞳が眩く瞬いた。