ポケットモンスターインフィニティ



















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第十五章 闇を裂く星辰
第127話 想い、静謐を裂く
 剣の城も最深部に近付いているらしい。肌が粟立つ凄まじい力の奔流と時が凍り付いてしまったのかと錯覚する緊張感に、息すら忘れてしまいそうになりながらなんとか意識を保って少女サヤは真っ直ぐに歩き続ける。
 壁も床に天井すらも光すら呑み込んでしまいそうな程に昏き回廊には蒼白く輝く光が脈打つように明滅していて。
 何処までも闇が続くかのように伸びる黒曜の回廊を迷い無く見据えるのは、黒髪に朱殷の上着を羽織った青年ツルギ。瞳に惑わぬ決意を湛えて利剣の眼差しはこの先に待つ決戦を見据えて臆することなく進んでいた。

「あの、ツルギ……怖くないんですか?」
「下らん戯言を吐く暇があれば心構えしておけ」
「え……あいたっ!」

 歩き続けて体感三十分、実際は数分。隣を歩きふと立ち止まった友を見上げておずおずと呼び掛けたのは濡羽烏の美しい長髪、純白のワンピースに身を包んだ小柄の少女サヤだ。
 心構えとは……その言葉に小首を傾げて真正面へと向き直った直後に壁面に額をぶつけてしまう。まさか行き止まりだろうか、頭をさすりながら立ち上がって壁を探ってみると、ドアノブらしき金属に小さな指が触れる。

「もしかして……この先に」
「奴はまだ先だ、居ても幹部程度だろうな」

 円環の描かれた簡素な門の隙間から溢れ出てくる、肌が凍るような空気に躊躇うように手を伸ばして。固唾を飲んで手のひらに力を込め……それでも恐怖に迷っていると、腰に装着したモンスターボールの中から相棒のサーナイトが『大丈夫だよ』と思念で励ましてくれた。

「はい、ありがとうございます……もうだいじょうぶ、です」

 この先を越えたその先にきっと、親の顔も知らない自分を幼い頃から育ててくれた大切な家族のポケモン達が居る。数え切れないポケモン達がトレーナーとの絆を引き裂かれ、今も助けを求めて泣いている。
 ならば怖くても先に進まなければならない。ツルギやサーナイト、ポケモン達が居るから自分は強くなれた。もう何も出来ず一人で泣いている自分はいない……今度は、彼らに恩を返す番だ。

「……おい」
「ツルギも、ありがとうございます。でもきっと、今のわたし達ならちゃんとやれます」

 相棒を奪われたから、怖くて勇気が出ないから、強くなれなかったから、心を折られたから──人によって様々な戦えない理由があるが、幸いにも自分は周りや環境に恵まれ最終決戦にまで臨むことが出来た。
 自分はまだ闘志が尽きていない、だから戦えない全ての人達の為にも自分が戦う。顔を上げて、前を向いて、ここまで自分を導いてくれた大切な友達の為にも絶対に勝ちたい……勝たなければならない。
 首から提げたクローバーのネックレスを強く握り締めて徐に瞬いた少女は大きく深呼吸をすると、相変わらず壁のような顔で呼び掛けてきたツルギへ確かに頷き決意を胸に扉を開いた。
 果たしてその先に待ち構えていたのは一寸先すらも見えない光無き暗闇だ。なるほど、だから先程は何処までも果てなく闇が続くと錯覚していたのだろう。

「待っていたわ、貴方達なら此処まで来ると思っていた」

 冷たく響く女性の声に呼応するように次々と壁面の燭台に蒼き燐火が灯り、最後に天井に飾られた豪奢なシャンデリアが光を放てば部屋一面がたちまち眩い光源に照らされた。

「鬱陶しい、随分暇を持て余していたらしいな」
「慣れた環境の方がポケモンも戦いやすいでしょう?」

 砂利が敷き詰められた長方形の広大なバトルフィールド、その先に立つのは漆黒の外套に身を包み真紅の円が描かれた制服を纏うフードで顔を隠した女性。
 憂いげな溜息と共に顔を晒せば、透き通るような白髪のボブ、冷徹に瞬く氷の瞳に研ぎ澄まされた刃のように洗練された佇まい。
 『剣の城』の柄に当たるこの区画に立ち入りを許されているということは彼女もオルビス団の幹部に位置しているのだろう。確かめるようにツルギを見上げればその通りだと言わんばかりに頷いて、より一層に気を引き締めて。

「貴女が件のサヤね、噂には聞いているわ」
「あの、あなたは……それに噂って?」
「ごめんなさい、自己紹介が遅れたわね。私はクリス、オルビス団幹部にしてエドガー様直属の部下」

 ツルギは以前に一度エイヘイ地方最北端の地にて彼女と対峙したことがある。いくら幹部といってもツルギの敵ではない、容易く勝利してみせたが──そう、彼女はオルビス団最高幹部にして仇敵エドガーが信を置く程の部下だ。その実力は生半可ではない。
 ただでさえ最高幹部はチャンピオンにすら匹敵する強大な力の持ち主だ、僅かでも消耗した状態では決して勝ち目が無い。ここに来るまでにノドカが交戦した幹部ファウスとの戦い同様、今はサヤが戦い勝利するしかないのだ。

「貴女はポケモンと真に心を通わせられる超能力者、あのツルギがただ一人信頼する人間だそうね」
「それは、ちがいます……超能力なんてなくても、みんなちゃんと心を通わせてます。それに、ツルギはみんなのことを信じてる」
「あら意外ね、人の心を持ち合わせない名前の通りの鉄面皮だと思っていたわ」
「ツルギは……すごく、優しいです。だっていたたたた!!」

 まだ幼い少女を前にしているからか敵同士にも関わらず穏やかに話しかけるクリスに対して、サヤも敵意の薄さを理解して胸を張り己の認識を自慢げに答える。
 彼女は思わず目を見開いて嘆息を吐き、少女が我がことのように嬉々と口を開いた瞬間隣に立つ青年に力強く頭を掴まれてしまった。

「無駄口が過ぎる、今は一秒が惜しい」
「……はい、その通りです」

 ──意外にも友好的に接してもらえたことで緊張感がつい緩みかけたが、その一言で少女は再び気を引き締めて対峙する敵を睨め付けた。
 そうだ、この先へ進まなければ失ったものは帰って来ない。かつて奪われた大切なものを……皆のポケモン達を必ず取り戻さなければならない。

「知っての通り此の先にエドガー様は居られるわ」
「だけど通してくれない、ですよね」
「そう。特に貴方はね、ツルギ」
「無為な足止めだな」

 オルビス団最高幹部エドガー。かつてエイヘイ地方北部の研究施設で働いていた研究員の一人であり、『プロジェクト:オルビス』と呼ばれる計画に関わった同胞達を事故に見せかけて殺戮し街ごと証拠と痕跡の全てを滅ぼした男の名。
 街も命も何もかもを壊し、物心ついたばかりのツルギがナックラーとたった二人で生きていかなければならない境遇を生み出したその元凶なのだ。
 だからこそ彼らは辿り着かなければならない、故にクリスは立ち塞がる。全ての星が墜ち果てた地に唯一残された同志の忘れ形見すらも、自らの手で摘まなければならない最高幹部の心境を想って。

「既に承知でしょうけれどルールは三対三、先に全てのポケモンが倒れた方の負け。私に勝てたら大人しく此処を通してあげる」

 それはこの城に突入した際に先へ進む為に繰り広げられたノドカ対ファウスと同じ条件。簡単なことだ、勝てばこの先へ進み最高幹部エドガーの待つ決戦の場へと臨むことが出来る。
 誰が戦うかなど決まり切っている。濡羽髪の少女が「わたしたちが、行きます」と確かな足取りで一歩を踏み出し、首に提げたクローバーのネックレス──ツルギから預かり受けた大事なお守りを強く握り締めた。

「そうでしょうね、貴方はエドガー様しか見ていない」
「奴は俺がこの手で打ち倒す。雑兵などこいつにやらせれば良い」
「言ってくれるわね……まあ良いわ、その子を倒したら次は貴方よ」
「サヤに勝てたらの話だがな」

 ツルギの戦力は最高幹部との戦いまで万全の状態で温存しておかねばならない、ならば彼女とポケモン達が挑むしかない。
 ──燭台に灯る燐火はゆらゆらと妖しく揺らめいて、豪奢なシャンデリアが眩く戦場を照らし出す。ことポケモンバトルにおいては性別も年齢も関係無い。氷の双瞳と黒曜の双眸が確かに敵を捉え、広い戦場に向かい合うのは譲れない願いを掲げて臨む二人の戦士だ。

「先に謝っておきます、クリスさん。ごめんなさい……わたし、ひきょうでもゼンリョクで勝ちに行きます」
「超能力少女の真髄ってことね。良いわ、そのくらいでないと張り合いが無いもの。それに……私も幼子だろうと容赦はしないから」

 腰に装着されたモンスターボールを掴み取り、険しい面持ちで突き出したサヤが力強く宣言する。今まではポケモンバトルの最中に超能力を使うという卑怯な手段は……まあ使っていたが、此度は手段を選んでいられる状況ではない。
 それでも幹部の座に立つ強敵を相手にしては己では役者不足の自覚はあるけれど、不思議と負けてしまう気はしなかった。ツルギが自分とポケモン達を信じてくれている、こんなに心強いことそうはないから。

「それで良い、そうでもしなければ微かな勝ち筋を掴めない」

 青年が徐に呟いて、腰に装着した紅白球の中でフライゴンも同意に頷く。彼女はツルギと共に歩んだ旅路で相当鍛えられた、異例の若さでジムバッジを八個集め此処まで辿り着けたのだ。
 それでも、若さ故の経験不足はハンデとしてはあまりに大きい。その差を僅かでも埋める為に自分の超能力を最大限まで活かすつもりなのだろう、双瞳が月華の如き淡金の光を帯びているのが何よりの証。
 対する幹部クリスもモンスターボールを握り締め、氷の瞳を瞬かせれば胸の前に一度翳してから突き出した。淡く全方位に灯る燐火の中に立つ二人が揺らがぬ願いを掲げて睨み合い、必ず敵を討つのだと胸に確かな闘志を燃やして。

「まずは貴方に任せるわ」
「きっと、繰り出してくるのは……ここはあなたにお願いします!」

 光源を照り返し輝くモンスターボールがほとんど同時に広い戦場へと投擲されて、空を切り裂く軌跡の先で色の境界から二つに割れると眩い赤光が溢れ出していく。
 互いに繰り出したポケモンの影が赤く迸る閃光に象られ、力強く戦場を踏み締めた二匹が咆哮を響かせ纏わりつく粒子を振り払った。

「先鋒は頼むわね、いってらっしゃいガラガラ」

 現れたのは両手に骨棍棒を握り締め、亡き母の頭蓋骨を被り鍛えられた不屈の心を持つ骨兜の怪獣。
 かつて体が小さく弱かったカラカラが母親に会えない悲しみを乗り越えて逞しく進化し、骨を巧みに操り戦う凶暴な性格になったほねずきポケモンのガラガラだ。

「行きましょうロズレイド、きっとわたし達なら出来るはずです!」

 対してサヤが呼んだのは右手には即効性の毒を備えた赤、左手には遅効性の毒が蓄えられた青の薔薇が咲き誇り、深緑のマントを羽織る貴公子然とした佇まいの麗人。
 現れたのは甘く芳しい魅惑の香りで獲物を誘き寄せ、両腕の花束の中に隠した茨棘の鞭で仕留めるブーケポケモンのロズレイド。
 息を忘れてしまう程の緊張感だが、ツルギと共に数え切れない修羅場をくぐり抜けてきた少女の心に揺らぎは無い。己の頬を叩いて喝を入れれば確かな足取りで戦場を踏み締め、ポケモン達と心を一つに声高く叫んだ。

「わたし達は……絶対に勝ちます! 大切なものを取り戻したいから、この先に待つ答えを知りたいからっ!」

 故郷を見捨ててラルトスと二人で逃げ延び、以後は宛ても無く彷徨い続けてツルギとの出会いによってようやく居場所を手に入れられた。共に過ごした家族はみんな力尽きて斃れてしまって、もう二度と会えないと思っていた。
 けれどツルギは言った、同胞達は決して死んだわけではないと。
 ──自分の故郷を奪ったのはオルビス団最高幹部エドガーだ、今もあの時の光景は瞼の裏に焼き付いている。怯え逃げ惑うポケモン達、圧倒的な力に蹂躙され音を立てて崩れ落ちていく楽園、……瞳に深い悲しみを湛えた侵略者。
 泣きたいのはこっちの筈なのに、彼が何故いつもそんな表情をしていたのかが知りたい。そうすればたとえ彼を赦せなくても……自分の中で何かが変わる気がするから。

「ロズレイド、エナジーボールです!」

 じりじりと腰を低く構え相手の出方を伺う中で、均衡を破り動き出したのはサヤとロズレイドだ。力強く叫べば麗人が突き出した両腕のブーケの先に眩く輝く深緑の粒子が集中し、砲弾となり解き放たれる。
 じめんタイプを持ち特防の低いガラガラには効果抜群の一撃だ、しかし幹部の瞳に一切の動揺は無い。当然不利タイプを相手にすることも想定しているのだろう。

「無駄よ、そんな攻撃は届かない。ストーンエッジで迎え撃って」

 ガラガラへ冷淡に指示を飛ばせば彼は握り締めた双骨を大地へ叩き付け、突き上げた無数の岩槍に阻まれた光弾は花火のように弾けて虚空へ潰えてしまう。
 息つく暇など与えやしない、怪獣は力強く地を蹴り付けると麗人目掛けて迷うことなく弾き出された。戦場を駆け抜けるガラガラに対して優雅に佇み待ち構えるロズレイド。
 次第に縮まっていく二匹の距離に緊張が弦の如く張り詰める。ガラガラの攻撃力と防御力は脅威的だが、引き換えに瞬発力に欠けて特攻と特防も著しく低い……ならば攻め込む隙は十分にあるはずだ。
 ロズレイドがブーケの先に自然のエネルギーを凝縮させた光弾を構え、機関銃の如く次々に連発していく。だが骨兜は意にも介さず両手に携えた骨棍棒で光弾を次々に撃ち落とし、瞬く間に間隙をすり抜け対敵の眼前にまで躍り出て。

「それなら次は……ギガドレインはどうですか!」
「無駄だと言っているでしょう。ほのおのパンチで焼き尽くしてガラガラ!」

 後退しながら触手の如く自在に蠢く翠緑のムチが両腕のブーケから飛び出して、ガラガラの生命力を奪わんと猛然と伸びるが炎を纏う棍棒の一振りに忽ち焼き払われた。
 やはり彼の攻撃力は凄まじい。振り抜かれた一撃により舞い上がる火炎はその余波ですら麗人の肌が灼け付いて、サヤが緊張に冷や汗を零す。
 これ程の威力を出すなど持ち物の効果以外にあり得ない。左手に握り締めた『ふといホネ』、ガラガラが手にすることで自身の攻撃力を倍へと跳ね上げる専用道具の効果は絶大だ。

「わたし達は諦めません、もう一度……届くまで何度だって、エナジーボールです!」
「此処に来るだけあって大した覚悟ね。その決意ごと打ち砕いてあげる、ほのおのパンチ!」

 火の粉を払い吠え猛る怪獣が勢い良く一歩を踏み出して、ついに互いの距離は目と鼻の先。両腕を突き出して撃ち放った光砲をガラガラは真正面から力で打ち砕き、燃え盛る烈火を纏った骨棍棒が渾身の力で薙ぎ払われる。
 この攻撃が直撃すればひとたまりもない。少女が思わず息を呑めば噴き上げる炎と共に強力な一撃が容赦無く麗人へと叩き付けられた。

「……今ですロズレイド!」

 ──だが、直撃したにも関わらず余りにも手応えが無い。ぼふ、とぬいぐるみを殴ったような音が響いた瞬間視界の端を光が掠め……まさか、そう思って見上げた時にはもう遅い。
 眩い翠緑の輝きが戦場を照らし、空中で放たれた眩い光砲に怪獣が咄嗟に身構えた瞬間激しく迸る光の砲弾は対する敵を深く貫いた。
 溢れ出す命の力に吹き飛ばされたガラガラは数度地面を転がってから受け身を取って立ち上がり、左掌で大地に手を突き骨棍棒を身構える。

「そう、声も無くみがわりを使っていたなんて……侮れないわね。大丈夫ガラガラ?」

 視線を合わせるように屈んで声を掛ければガラガラは肩越しに振り返り『まだまだ余裕だ』と言わんばかりに不敵な笑みを浮かべ、クリスも微笑を湛えて戦場を睥睨して。

「よぉし、これで……っ、ロズレイド!?」

 一歩リード、そう言おうとした瞬間に彼女達はようやく気が付いた、叛旗は既に翻されていたのだということに。
 空を切り裂き弧を描いて背後から迫る一筋の軌跡、咄嗟に跳躍し躱さんとしたが既に二の太刀までもが放たれていた。間髪入れず眼下から猛然と迫る骨棍棒が額に直撃し、撃ち落とされたロズレイドは地上至近距離でようやく体勢を立て直すと受身を取って着地した。
 恐らく“エナジーボール”が直撃する寸前、回避も防御も間に合わないと悟り手傷を覚悟でガラガラの専用技である“ホネブーメランを”放っていたのだろう。

「確かに貴女の超能力は脅威だけれど……見たところ読めて一手先まで。たとえ先が視えても対処出来なければ意味が無い、でしょう?」

 幹部の澄んだ声が冷たく響いて、何も言えなかったが顔に出てしまっていたらしい。思わず歯噛みすれば彼女は満足そうに息を吐き、透き通る白髪を軽く掻き分ける。

「良かったわ、それならいくらでもやりようがあるから」

 ガラガラはその言葉に頷きながら返って来た骨棍棒を掴み取り、再び二刀を翳すと腰を低く落として身構えた。その鋭い眼差しに一切の迷いなど無く、主人と共に迎えるどんな明日をも強く信じて。
 ──凄まじい攻撃力による一撃は確かに効いたが、こちらとてこの程度で倒れてしまう程柔ではない。悠然と佇むロズレイドは仮面の奥に確かな闘志を燃やして向かい合う強敵を睨み付けた。

「……ロズレイド、今はひきましょう」

 自分はまだやれる、そう言いたげに目を見開いた麗人だが少女は意を決して彼女に告げる。相性は有利で勝負は優勢、だが暫時の逡巡に視線を泳がせそれから一拍置いて麗人はコクリと頷いた。
 クリスは卓越した実力を誇るポケモントレーナーだ、それでもタイプの相性とポケモン自身の能力の得手不得手を考えれば恐らく勝てるだろう。けれど、ここで仮にガラガラを倒せたとしてたちまちロズレイドを失いかねない。
 だからこの場は一度退く。この戦いには自分の未来だけではなくツルギの命運まで懸かっている、冷静さを欠いて彼の足を引っ張るわけにはいかないから。

「ありがとう、ございます。今は戻って休んでくださいね、ロズレイド。きっと……次に繋げますから」

 少女が腰に手を伸ばして掴み取り、掲げたモンスターボールは色の境界から二つに割れて内から暖かな光が溢れ出していく。赤光に優しく包み込まれた薔薇の麗人は安息の地へと還り暫しの休息に瞼を伏せて、それを見届けて腰に装着したサヤが徐に顔を上げた。

「貴方も戻って。ひとまず体勢を立て直しましょう、ガラガラ」

 対してオルビス団幹部のクリスも静かにモンスターボールを翳して、迸る赤光が傷付いた戦士を覆い尽くすと暫しの暇へ優しく誘う。カプセル越しに不安そうに見つめてくるガラガラへ優しく微笑みかければ彼は安堵したように頷いて、瞼を伏せて再び出番が訪れるまで束の間の眠りへと落ちていく。

「……伝わってきますね、サーナイト。あの人達も強い絆で結ばれていて」

 ──此処に至るまで長い道程だった。かつて故郷を失ってから彷徨い続けてツルギに出会い、共に切磋琢磨し合えるかけがえのない友や自分を応援してくれる仲間達にも巡り合い、少しずつ強くなってようやく此処まで辿り着けた。
 だが、それは敵対する彼女達も同様らしい。言葉の端々にポケモンへの優しさと愛情が伝わって来る、きっと数え切れない困難と障害を共に乗り越えて来たのだろう。
 幹部が道を譲れないのも痛い程に共感出来た。少し前までの自分の戦う理由も『世界平和』や『正義感』みたいな立派な志などでは決してなく、『ツルギに恩を返したい』ただそれだけだったのだから。

「だけど、それでも負けません。わたし達のことをあの日失ったみんなが待ってくれているから……絶対に!」

 ついに始まったサヤ対オルビス団幹部クリスのポケモンバトル、互いに手痛い負傷にひとまず退いたがまだまだ勝負は始まったばかりだ。たとえ相手が誰であろうと負けるわけにはいかない。
 この先に二度と会えないと思っていたかけがえのない家族達がいる。このエイヘイ地方最強の男だったスタンの兄弟子にして、ツルギやサヤの因縁の宿敵──最高幹部に君臨してその圧倒的な力を振るい、幾度と人々を絶望の底に叩き落として来た絶対強者エドガーが最後の砦として待ち構えている。
 だから、勝ってツルギへと繋げてみせる。何度と絶望の淵を彷徨い、覆せない力の差に幾度もの惨敗を喫し、それでも毀れること無き不屈の闘志で逆境を越え這い上がって来た。
 きっとツルギなら──最高幹部にだって負けやしない。必ず最後には約束を果たしてくれるのだと強く信じて。

■筆者メッセージ
サヤ「いえい、ここからはわたしが主人公…です!」
ツルギ「(無視)」
サヤ「見ていますかツルギ!本日の主人公がここにいますよ〜」
ツルギ「(無視)」
サヤ「あ、もしかして聞こえてないとか…」
ツルギ「鬱陶しい、大声を出そうとするな」
サヤ「聞こえてた、ですね。良かったですっ」
ツルギ「…」
サヤ「せっかくですし、なにかお話しませんか?」
ツルギ「興味ない、勝手に喋っていろ」
サヤ「そうします!サーナイト、ここだけの話ツルギってすごい味音痴なんですよ!」
ツルギ「…(こいつ黙らせた方が良いな)」
サヤ「だから、いつもいっしょにご飯を食べてくれなくて寂しいんですけどね」
ツルギ「(鬱陶しい)」
サヤ「でも代わりに稽古を付けてくれたり、危ない時は助けてくれたり、ホントはすごく優しいんです」
ツルギ「おだてても話すつもりはない」
サヤ「やっぱりダメでしたか…!」
クリス「楽しそうね…ある意味尊敬するわ」
せろん ( 2022/02/01(火) 20:22 )