ポケットモンスターインフィニティ - 第十四章 星を撃つ灼焔
第126話 再燃
 あれから遥かな時が流れて、尚も鮮烈に瞼に灼き付くのは幼い時を過ごしたジャンクヤードだ。
 ──物心付いた時には既に一人だった。庇護してくれる者など居らず、名も無き幼子が初めて抱いた感情の名は『絶望』だった。
 晴れることの無い灰色の空を見上げた少年は宛てど無く大量の廃棄物の中を必死に彷徨い、ただ一つの原動力を以て歩き続けて──その果てにようやく“命”に出逢う。
 身体中に傷痕が絶えず、一寸先も見えずそれでも懸命に生き続けていたそのポケモンは空腹で倒れそうになっていた自分に優れた嗅覚で探し当てた貴重な食糧を分け与えてくれた。
 だから『生きたい』と強く願った。名前を持たないふたつの灯火は未だ殆ど言葉も知らず、それでも一緒に強くなっていつかこの吐き捨て場を出ようと固く誓った。同じ心を掲げて進む二人にもう迷いは無い、閉ざされた空の先に確かに光る一筋の星を見つけて。
 ──そうして二人で鍛えながら時に奪い時に襲い掛かって来た同類を返り討ちにして、数え切れない夜を越えた変わらず月の見えない晩に運命を変える出会いを果たす。

『──君は、良い目をしているな』

 隣には見たことの無い竜を従え、無数のジャンクが積み重なった山の上に腰を下ろしていた壮年が凍えそうな程にか細い声で呼び掛けて来た。
 言葉の意味が分からず敵意を露わに構えていると彼は軽やかに眼前に降り立ち、獰猛に襲い掛かった相棒を返り討ちにして笑ってみせる。

『ついて来い、私が君達を鍛えてあげよう』

 本能が告げた、岐路に立たされているのだと。手段を選んではいられない、少年の決断までにものの数瞬も掛からなかった。
 そして、男に名前を付けてもらったことで初めて自分は『アイク』という一人の人間になれた、相棒は『モノズ』という一匹のポケモンになれた。
 それから言葉を教えてもらった、様々な技を教えてもらった、外の世界を教えてもらった、生きていく術を教えてもらった。彼が居なければ今の自分達は存在し得なかったかもしれない。

『私が何者かって? ハハッ、君は変なことを気にするんだな』

 ──男は、かつては名の知れたポケモントレーナーだったと言う。一時期は四天王と呼ばれる強者の一人の候補に上がったが完全敗北をきっかけにスランプに陥り、挫折の果てに此の吐き捨て場に流れ着いたのだと。
 それから数年の時が流れた頃には、これ以上迷惑は掛けられないと自分とモノズは再び二人で生きるようになっていた。時折顔を見せに行っては勝負を挑んで返り討ちに遭い、次は勝つのだと啖呵を切って修行を続けて。
 だが、そんな変わらない日々を送り続けたある時恩師に戦いを挑み──あまりにも呆気なく勝利を掴んだ。弱かった、その時の男と相棒はあまりにも弱すぎた。
 彼もポケモンも、限られた資源を奪い合う敵も、街の誰もが衰弱していた。……後になって知ったことだが、科学技術の発展に伴う大気汚染や不法投棄による水質汚染を始めとした公害が皆の衰弱の原因だったらしい。

『これで勝ったとは認めねえ、おれもジヘッドも納得出来るかよ。だから……』

 気が付けば、雨が降り出していた。
 もう手遅れだった。彼らだけではない、気が付けば同じ街で暮らす誰もが苦しんでいた。自分とジヘッドだけは平気だったのだ、相棒の優れた嗅覚のおかげで危険を避けていられたから。
 その男はぽつりと呟いた、終わらせてくれ、と切なる望みを。決断など出来る筈が無い、『……ふざけんな』そう吐き捨てて拠点にしていた廃墟への帰路を辿る間に、何度も苦しんでいる人達が視界の端に映り込んだ。
 時に殺して欲しいと必死に懇願されて、誰もが絶望の淵に沈んで死の救済を希い、いつもより静謐の降る夜は苦悶や怨嗟がよく響き──寝床に帰り着いても数え切れない悲鳴と苦痛が反響し続けた。
 ……此の街にはもう、自分より強い者など居ない。少年は冷え切った身体でようやく決意を固めると、相棒と頷き合ってまだ夜明けの遠い黎明の空にジャンクヤードを後にする。

『……相棒、その姿は』

 最後に、振り返って“街”を一望した瞬間相棒の姿が眩い蒼光に包まれた。進化の光だ、現れたのは獰猛に牙を鳴らす三つ首に三対六翼を羽ばたかせる黒竜……恐らくこれが、かつてあの男が言っていた『サザンドラ』の姿だろう。
 これから為す行動への覚悟は出来ている。誰のものかも分からない慟哭が冷たい雨の中に鳴り響き、黒竜の怒号が凄烈に天をも震わせ轟いた。
 空を覆い尽くす分厚い雲を突き破り、燃え盛る眩い星々が降り注ぐ。一つ一つが絶大な威力の竜星群は忽ち地上を穿ち、其処に在る悉くを滅ぼし尽くし、総てが瞬く間に灰塵へ還っていく。
 ──その日、街一つが消滅した……とうに尽きかけている数多の灯火諸共に。振り返ることなく歩き出した少年とその相棒は、初めて彼方に澄み渡る空の蒼を見上げた。


****


 魂を削り合う死闘の果てに跡形も無く崩壊した戦場には、二匹のポケモンが倒れ伏している。
 かたや力強く逞しい剛腕に熱く燃える眉毛が特徴のえんじょうポケモンと呼ばれる炎狒々、魂を燃やし尽くして戦い抜いた相棒ヒヒダルマ。
 もう一匹は三つ首で黒き剛毛に覆われ群青の竜鱗を身に纏う竜、最高幹部アイクの相棒にして凄まじい暴威を以って暴れ回ったきょうぼうポケモンのサザンドラ。
 この世界で唯一希望の残された街にして、オルビス団の暴威により行き場を失くした人々が集いし最後の希望『アゲトシティ』を守る為に始まった決戦にようやく決着の時が訪れた。
 最後はヒヒダルマの全身全霊を懸けた『フレアドライブ』でサザンドラを深く貫いたのだが、両者共に限界を迎え戦闘不能で終わってしまって。

「あー、くそおっ、本っ当悔しいなあ!! 絶対……絶対に勝てるって思ってたのに!」

 もしもこれが公式戦ならば先に倒れた方の敗北となり、恐らく勝者はソウスケとポケモン達だったろうが……此処では正確に判定する術が無い。今何を言ったところで全て根拠の無い妄言に過ぎないのだ。
 両者共に倒れてしまい心底から悔しそうに、しかし晴れやかな顔で相棒に歩み寄るのは穂村ソウスケ。相棒に目線を合わせて屈めば意識を取り戻したヒヒダルマが疲労困憊ながらやり遂げた表情で見上げて来る。

「ああ、ありがとうヒヒダルマ、君はよくやってくれたよ。星を墜として竜を倒したんだ、無論ものすごく悔しいけれど……あの最高幹部を相手に此処まで辿り着ければ上出来だろう」

 刹那の逡巡の後に相棒は歯を剥き出してにかっと笑い、力強いサムズアップを送るととうとう限界が訪れたらしい。
 糸が切れたように倒れ伏したヒヒダルマへモンスターボールを翳せば眩い暖かな赤光が迸り……疲れ果てた戦士は安息の地へと誘われ、しばしの深い眠りに落ちていった──。

「……ああ、僕らの役目は終わったんだ。だから、あとは友に任せよう」

 吹き抜ける萌黄色の風はやがて冷めやらぬ熱を引き連れて何処へ流れ、羽織った上着の裾を弄ばれながらこの世界の中心に聳え立つ巨塔『剣の城』を仰ぎ見る。
 全ての運命に決着を付ける、そう決意して決戦の地へと赴いた同胞達は……ジュンヤとノドカにツルギ、サヤとルークは今頃どうしているのだろうか。
 今もあそこで激しく火花を散らして戦っているのだろうか、それともお腹が空いたと呑気に食事でもしているのか……何にせよ、最高幹部の一角を倒して自分の役目は此処でお終いだ。
 ──ほんの少しだけ、胸に燻る憧憬は残るが。

「はあ……何とか終わっ、て……あれ?」

 大きく息を吸い込んで、吐き出せば緊張の糸が切れると同時に忘却の彼方へ置き去りにしていた疲労が一気に押し寄せて来た。
 不意に大地を踏み締める足から力が抜けて、「あ、まずい」どこか他人事のように呟いた時にはもう遅い。モンスターボールだけは固く握り締めたままに膝から崩れ落ち倒れ込んだソウスケは……。

「大丈夫ですかソウスケさん!?」
「何やってんだこのバカ、疲れてんのにも気付いてなかったのかよ!」

 顔から地面にぶつかったら痛そうだな、どうしようか、なんて疲労困憊の頭で呆然と考えていると二人の友が慌てて肩を支えてくれた。

「はは……助かったよ、ありがとう」
「ったく、こっちも疲れてんだから手かけさせんなよ」
「お礼を言うのはあたし達ですよ。助けてくれてありがとうございますソウスケさん」

 二人とも自分達だって相当疲れているだろうに、助けるのが当然みたいに笑ってくれる。その気持ちが何よりも嬉しくて、最高幹部の進撃を止められて良かったと改めて心の底から感じる。

「礼なんて要らないさ、僕らは僕らのやるべきことを果たしただけなんだから。それとレンジ、君にだけは言われたくないぞ!」
「はいはい言ってろ、どうなっても知らねえけどな」
「ちょっ、バカやめてくれ!?」

 呆れたように口を尖らせたレンジが言いながら肩を支える腕を離せば、すっかり油断していたソウスケは体勢を崩してエクレアを道連れに今度こそ倒れ込んで彼女の下敷きになってしまう。

「わ、す、すす、すみませんソウスケさん!」
「僕こそすまない……それよりレンジ、君って奴は大人げないな! 確かに僕が悪かったがもう少し気を遣ってくれても良いだろう!?」
「バーカ、だったら気遣いたくなるような態度取りやがれ」
「こ、この野郎、覚えておけぇっ!」

 余程の疲労困憊に頭が回らないのかやけに三下臭い台詞を吐きながら先に立ち上がったエクレアに手を引かれ何とか起き上がり、二人の友と笑い合いながらモンスターボールの中で眠る相棒を見下ろす。
 ──本当によくやってくれた。ヒヒダルマだけではない、皆が振り切った限界をまた越えて、最後の一瞬まで全力全霊で戦い抜いてくれたからこそ掴めた結末なのだ。
 だから、改めて心からの感謝を送る。言葉では伝え切れない想いをただ一言の礼に込めて。

「みんな、本当にありがとう」

 突き抜ける青い空を見上げて、誰に届くこともないその言葉は風に拐われて何処か遠くへと流れていく。もう立ち上がることすら億劫だけれど、とても心地の良い疲労感だ。

「あー……ったく、うるせえなあ。つまんねぇこと思い出しただけだあ」

 ──戦いを終えて束の間和んでいる彼らを、アイクは遠い目をして眺めていた。腰を下ろして地に伏す黒竜と視線を交錯させれば相棒は唯一意識を保つ中心の首で見上げて来る。その瞳にはとうに忘れていた懐かしい色を映して、気が付けば辛気臭い面をしていた己を笑うように。

「……はっは、分かるぜえ、ああいう馬鹿は幸せだあ。世界を『広い』と感じられるんだからよお」

 ──長い、永い旅路だった。誰よりも強くなり飛び出した外の世界は想像よりも遥かに狭く。
 手始めに世界中を巡り数え切れない戦いを繰り返した。時に戦地に赴き、時に幾つもの悪の組織を相手取り、ありとあらゆる修羅場へ飛び込んで……ふと立ち止まって見上げた宙に広がっていたのは、荒涼とした砂漠のように果てなく広がる空虚だった。
 終ぞ自分と相棒を満足させるに足る好敵手には出会えなかった。かつて期待で胸を躍らせ夢見ていた憧憬はあまりにも狭く、その力故に恐れられ容赦無く排斥されて、世界の何処に居ても窮屈で退屈極まりなかった。

「ああ、此処まで随分億劫だったがあ……最後の最後に随分と愉しめた。それだけで確かな価値があった」

 ──望めば何でも手に入る。望み続けた歓びはただの一度も得られない。
 いつかに抱いた希望は堪え難い現実を前に燃え尽きて灰と崩れ落ち、諦観からやがて怠惰へ沈み、世界の全てに失望して生きる術を見失った星の残骸は……次第に光も尽きて空虚に流れ落ちていく。
 何一つ変わることなく廻り続ける世界の中で天性の野獣は燃え滓となり、半ば自棄で絶大な暴威を以て世界中を渡り悪を相手に暴れていたが……いつかに見た星を願って閉ざされた空を眺め続けていたある日、瞼を溶かす光の中に二度目の運命を変える出逢いが訪れる。

「ヴィクトル達には感謝しねえとなあ……奴らにゃあ随分世話になったぜえ。こんな舞台まで用意してくれたんだからよお」

 自らを“最強”だと語るその男は圧倒的な力を振るい瞬く間にアイクとサザンドラを地へと捩じ伏せ、その心に再び煌々と滾る焔を灯した。
 たったひとつの出会いが『世界』を変えた、進化を求め手を差し伸べる男の理想にアイクは強く共感を示した。紛うことなき最強の男との出会いに希望を見出した彼は、かつて見た憧憬へ辿り着く為に再び立ち上がる決意をしたのだ。
 なんてことはない。彷徨い続けた男が旅の果てにようやく在るべき居場所に辿り着き、其処がたまたま巨悪の組織だったというだけの──そんな、何処にでもある下らない話だ。

「ま、退屈凌ぎとしちゃあ十分だった。だったらおれ達の旅も……そう悪かあねえ」

 彼らを見ているとあまりにも眩しくて、無邪気で居られるその強さが羨ましかった。自分とアイクも彼らのように弱ければ、いつまでも上を見上げられる程に世界を広く感じられたらと。
 ──けれど。振り返った主人が相変わらず怠惰そうに眺めているその表情とは裏腹に、口元にはかすかな微笑が湛えられていて。
 ようやく……居場所の無い者達に手を差し伸べ続けて、自ら孤独へ堕ち続けていく主人が報われた気がした。それだけでも彼にとっては十分すぎる喜びだったのだから。

「んじゃ、サザンドラァ……もう少しだけ働いてもらうぜえ。文句は無えよなあ?」

 最初から意味など無い、そんな下らないものを求める気もない人生だったが……ヴィクトルと出逢い、エドガーやレイと並び立ち、漸く心からの喜びを味わえた。だから、この先にどんな運命が待っていようと決して後悔など無い。
 相棒の肩を軽く叩いて立ち上がったアイクは視界の端で穏やかに微睡む三人を鬱陶しげに一瞥し、すっかり燃え尽きた様子で呆然と座り込んでいたソウスケの胸ぐらを掴んで力づくで持ち上げた。

「テメェ、ソウスケに何しやがる!?」
「この人に酷いことをするようならあたし達が許しません!」
「外野は黙ってろお、おれはこの馬鹿に話があんだよお」
「ということらしい。すまないレンジ、エクレア、気持ちは嬉しいが落ち着いてくれないかな。それと、とりあえず下ろしてくれると嬉しいな」

 もしこれ以上の横暴を振るうようなら、たとえ満身創痍であろうと容赦はしない。モンスターボールを翳して用心深く身構える二人をアイクは苛立たしげに一蹴し、眼前で瞬くその瞳に敵意は無いのだと察したソウスケは微笑みながら友を軽く宥める。あとまだ離してくれない、割りと苦しい。

「それで、何かな。僕もポケモン達ももう限界なんだがね」
「ったく阿呆があ。このおれを倒してテメェは終わりかあ、なあにくたばってやがんだあ?」

 すっかり燃え尽きた──否、燃え尽きたことにして自分を納得させているその姿に対して吐き捨てたのは失望にも似た憤りだ。
 だがそう言われても、手持ちは皆もう瀕死の状態で己も集中力が切れている。彼は既に満身創痍の死に体に何を求めているというのだ、流石のソウスケも面食らったように目を見開いて苦笑を零してしまう。

「そんなこと言われたってこれ以上僕にどうしろって言うんだよ」
「らしくもねえなあ、テメェを誤魔化すとはよおう。決まってんだろお、最強になるにはまだ倒すべき敵が居るだろうがあ!」

 突然のことに全く理解が及んでいなかったが、高らかに響くその言葉を聞いた瞬間抑えていた闘志が息を吹き返し、微かだった灯火が一気に燃え猛った。
 最強になる為に戦わなければいけない相手、最高幹部をも越えて挑む敵──そんなもの、このエイヘイ地方においてただ一人しか存在しない。これ以上ポケモン達に無茶を強いるのは本意では無いが……本音を言えば、戦いたくてしかたがなかった。

「おいテメェそろそろソウスケを離しやがれ!」
「そうです、どうしてもやめないんならあたし達が」
「良いんだ二人とも……彼の言う通りだよ。君の言う通りだアイク、僕は何をやり遂げた気になっていたんだ!」

 ……そうだ、此処まで愚痴の一つも吐かず僕に付き合ってくれたポケモン達が今更無茶や無謀を厭う筈がない。後になってしこりを残すよりは燃え尽きるとしても前に進む方が良い。
 悪の組織の中枢に赴きこの世界の頂点に挑むのだ。無事に帰って来れる保証など何処にも無いが、いずれにせよ勝てなければ全てが灰塵へ還ってしまう。
 胸で騒々しく鳴り響く警鐘を自覚しながら熱く速く早鐘を打つ鼓動を握り締め、未だに胸倉を掴んでいたアイクの腕を無理矢理振り払って地に足をつくと、溢れ出す興奮に笑いそうになるのを必死に堪えながら踵を返して大切な仲間へ振り返る。

「ごめん二人とも……先にアゲトシティへ戻って休んでいてくれ。僕はポケモン達と一緒に行ってくるよ」
「ハッハ、決まりだなあ。だったら油を売ってる暇は無え、最後の晩餐へ乗り込もうぜえ」

 この世界の中心に聳え立つ『剣の城』、エイヘイ地方を脅かして来たオルビス団の拠点を仰ぎ見て口元に不敵な笑みを浮かべた。
 其処には長く王座を守り続けて来たかつてのチャンピオンが居る。何者をも寄せ付けず頂点に君臨し続けたエイヘイ史上最強のポケモントレーナーが、己と戦うに足る挑戦者が現れ決戦の刻が訪れるのを待ち望んでいるのだ。

「お、おい、行くってどこに……まさか!?」
「決まってるだろ、僕らの夢はいつだって変わらない。最強を玉座から引き摺り下ろしにいくのさ」

 既に飛行する分には問題無い程度にまで体力が回復しているサザンドラが鎌首をもたげて起き上がり、六翼を羽ばたかせて力強く咆哮を轟かせる。
 流石は災害をも越える脅威にしてただ在るだけで人々を絶望させる、絶対的な力の凶暴竜だ。あれだけの激戦だったにも関わらず復活するのが早すぎる、正直改めてその強さを見せ付けられて卒倒しかけたぞ!

「……っ、この馬鹿が! そいつは散々街を破壊して来た最悪の敵だ、信用出来るわけねえだろ!?」
「おいおい、敵も味方も自分自身も裏切ったテメェがよおく言えたもんだあ」
「黙ってろ、おれは今ソウスケと話してんだよ!」
「だったらさっさと済ませやがれえ、おれの気が変わらねえうちになあ」

 エクレアならまだしもレンジに水を差されたことが不快だったのか鬱陶しげに彼を睥睨して肩を竦め、それも束の間頭を掻いたアイクは面倒そうに眉を顰めて大きなあくびを零す。

「たとえ信用出来なかったとして、千載一遇の機会を逃したくないんだ。どうせ行くなら一秒でも速い方が良い」
「だったらそいつを縛り上げて、ウォーグルにげんきのかけらを使えば」
「この場で一番飛行速度が速く、嵐の中でも飛び続けられるのはサザンドラだけだ。だったら僕らは手段を選ばないさ!」

 ──今日このエイヘイ地方の中心で世界の命運が決まってしまう、ならば無理をしてでも敵の助けを借りようとも向かわない理由が無いだろう。
 力強く握り締めたモンスターボールのカプセル越しに目醒めた相棒が歯をむき出しに笑っている。危うい程に真っ直ぐな瞳を瞬かせて、肩で息をしながら主人も同じ笑顔で笑ってみせる。
 もう揃って体力も気力もほとんど残っていないだろう、今にもくずおれてしまいそうな身体をそれでも譲れない想いを支えに大地を踏み締め立ち続けて。

「レンジさん。あたしは信じます……ソウスケさんとヒヒダルマ達のことを」
「ありがとうエクレア、嬉しいよ。君は相変わらず僕やジュンヤ達の背を押してくれるね」
「え、そ、そんな! あたしは別に何も……」
「そうやって純粋に信じてもらえるのは、君が思っている以上に嬉しいものさ」

 言いづらそうに暫時唇を尖らせもごもごと言葉を呑み込んでいたエクレアが、意を決して信頼を吐き出した。
 己の愉悦の為だけに現れ多くの街を壊滅させた男を信じられる筈がない、けれどソウスケさんは何度も自分達のことを救ってくれたから。
 己の無謀な選択をそれでも受け入れてくれた友人に心からの感謝を短く告げて、その頭を軽く撫でてからもう一人の友へ向き直る。

「分かってる、君がアイクを信じられる筈が無い。だが……僕とヒヒダルマのことは信じてくれレンジ」

 レンジはまだ納得していないとばかりに顔を顰めているが、それも当然だ。これまでの彼らの所業を差し引いて考えてもレンジにとってアイクとサザンドラはその強さに絶望し悪の道へ足を踏み入れるきっかけであり、力を得る為に自ら望んだとはいえ数え切れない程痛め付けられたのだから。
 
「真面目に言ってしまえば……ヴィクトルを倒せなければ世界は終わってしまう、利用出来るものは何でも利用した方が良い」
「……ああ、くそ、おれがもっと強けりゃあ安心してテメェを送り出せたのに! 自分の弱さに腹が立つぜ……!!」

 自分が最初から街を守り切れるくらい強ければ、既に限界を迎えていなければ、考えてもキリの無い『もしも』に少しの間髪を掻きむしり唸ってから……肺の中の空気を全て吐き出す程に力強く叫んで、思い切り晴々を装った顔を上げる。
 分かってる、ソウスケ達は一度こうと決めたら暴れケンタロスのごとく誰にも止められる筈が無い。それに、彼らを信じて間違いだったことは今まで無かった……不可能と思える壁を突き破りどんな絶望だって貫いて、必ず道を切り開いてくれた。

「行ってこいソウスケ! その代わり約束しろよ、絶対勝って戻って来るってな!」
「……はは。仕方ないな、全力を尽くすよ」
「それともう一つ、これでアイクを取り逃がしちまったら何が起きるか分からねえ。奴が何かしでかしたら絶対に責任を取れよ!」
「当然さ、その時はもう一度戦って今度こそ完全に勝利してやる!」

 たとえ無事にヴィクトルをぶっ倒して世界の平和を取り戻せたとしても、最高幹部を野放しにしていては人々が安心して日々を過ごすことなど出来る筈がない。
 だから必ず責任を取ってもらう、その為にはなんとしてでも絶対に帰って来てもらわなければならない。視線を交わして頷き合うと、もうこれ以上引き留められるつもりもない、退屈そうに空を眺めていたアイクへ目線で合図を送った。

「遅えんだよ愚図があ。話は終わりだなあ、だったらとっとと行くぞお」
「どわっ、もう少し優しく扱ってくれ! すまないサザンドラ、背中を借りるよ」

 瞬間襟首を掴まれたソウスケは黒竜の背へ向けて放り投げられ、何とかサザンドラの背中にしがみ付いて恐る恐る声を掛けると彼は快く頷いてくれた。
 良かった、これなら取って食われてしまうことはなさそうだ。訂正、三つ首の両端が獰猛に牙を光らせ肩越しにこちらを睨んでいた。彼らは動くもの全てを貪る性質なのだ、全幅の信頼を寄せるのは流石に危険かもしれない。

「ソウスケさん、あたし達は応援してますから! きっとあなたに届くように、大きな大きな声を響かせて!」
「ったく、お前らは本当に大バカ野郎だよ、こんなに純粋にバトルが大好きな奴は見たことがねえ。頑張れよソウスケ、ここまで来たならてっぺん取って帰ってこい!」
「……じゃあ、行ってくるよ。大切なものを守る為に」

 これが今生の別れだなんて思わない、彼らならば絶対に世界を守り抜いてきっとまた一緒に笑い合える。だから二人は泣きそうになるのを必死に堪えて満開の笑顔を咲かせ、かけがえのない友を送り出す。
 決意を胸に黒竜の背に跨ったソウスケは渾身のサムズアップで返して、肩越しに穏やかな表情で笑い掛けると再び前を向き直り徐に瞳を瞬かせた。

「……おいサザンドラァ! テメェが瀕死だろうがあ知ったこっちゃあねえ、城まで一気にかっ飛ばせえ!」

 そしてサザンドラの主人であるアイクも同様にその背に飛び乗って──ついに、彼らは最後の決戦の地へと旅立った。

「ソウスケさん、あなたとヒヒダルマ達は最強のポケモントレーナーです!! だから、絶対勝って下さーい!!」
「約束したからな、絶対忘れんじゃねえぞ! 帰って来たらまたバトルしようぜ、だから……負けんじゃねえぞおーっ!!」

 ──離れていく。数瞬間で友の背中が遠ざかり、どんどんどんどん青空に飲み込まれ小さくかすかになっていく。
 けれどソウスケとヒヒダルマ達なら絶対に大丈夫だ。どんなに遠く離れたって、どんなに深い闇の中に在ったって、あれ程熱く燃え盛る者を見失ってしまう筈がない。
 だから、残された者達は彼らを信じて待ち続ける。友が世界を脅かす巨悪を退け、皆で共に笑い合える平穏な日々が訪れるその時を。希望を越えて君臨する絶対王者を打ち倒し、新しい未来を掴み取るその瞬間を。


****


 アゲトシティ周辺はレンジのボスゴドラが黒雲を吹き飛ばし突き抜けるような青空から眩い太陽が覗いていたが、ひとたび快晴を抜ければ吹き荒ぶ暴風と横殴りに打ち付ける雨が襲い掛かってくる。
 声すら掻き消す激しい嵐の中を、それでもサザンドラは臆することなく飛び続けていた。背には大切な主人と彼を打ち倒した少年を乗せて、オルビス団の総帥へその鋒を突き立てる為に。

「……『強さ』に本物も偽物も無え。あるのは純粋な力だけだ」

 誰に届くこともない経験談を、つまらなそうな顔でアイクが呟く。
 『強さ』というのは才能や環境、努力、様々な要因で培われていく、善悪などという胡乱な基準で変わる筈が無い。『本当の強さ』なんてものがあるとすれば、きっとそれは──。
 だが……それでも一つ確かなことがある。『敗北』を知れることは幸せだ、『勝利』し続けるなど呪いにも等しいのだと。

「野郎が勝者だあ? ハ、笑わせるぜえ。もし本当にただの一度も敗北が無えならよお……奴程の敗者もそうは居ねえ」

 ──珍しく感情の込もった声色で自分達を導いた総帥を嗤う。その言葉の意味は己と同じ最高幹部の座に就く友ならば理解出来る、他を凌駕する絶対的な力が齎したのは悲劇だけだったから。

「ハ……我ながら柄にも無え、この馬鹿に当てられちまったなあ」

 たとえ自分が敗れたしたとしてもレイとエドガーが敗北を喫する筈が無い、そう思っているくせに彼らが負けることを期待してしまっている自分が居る。
 理解出来てしまうのだ。愉しめればそれで良い己とは訳が違う、二人が勝利した果てにあるのは──引き返せない絶望だけだと。とうに境界線は越えている、それでも最後の最後でどうにか踏み止まれている彼らの壊れた心が……二度と戻らなくなってしまうだろう。

「テメェは言ったよなあソウスケ、誰よりも強くなるってよお。見せてもらうぜえ、真の『最強』を前に何処まで抗えんのかをなあ」

 厚かましく『げんきのかたまり』を要求して来てヒヒダルマを体力満タンまで回復し、更に自分自身も黒竜の背に固く括り付けられ何の気兼ねも無く爆睡している少年に語り掛ける。
 敵は長くこの世界の頂点に立ち続けて来た最強の男だ、勝利を奪い取れる筈が無い。それでも彼を愉しませられるならば御の字だ。

「……ヴィクトル、どうせテメェは運命がどう転がろうが負けやしねえ。だったらせめて……最高の形で『勝利』させてやるよ」

 この計画が動き出した時から勝利は既に定まっている、たとえ運命がどう転がったとして彼が敗北するなど万に一つも有り得ない。
 だが──まだ勝利のカタチは定まっていない。ならばこれが自分に出来る唯一の報いだ、独りだったおれ達を救い上げてくれた恩を返してやる。
 奴が最も望む形で最終決戦の幕を引く。自分には決して出来やしない、しかし……もし、奴らがこの穂村ソウスケの言う通り最高幹部を打倒し得る者だったのならば、或いは。
 吹き荒ぶ嵐の中を、サザンドラは迷い無く進み続ける。目指すはこのエイヘイ地方の中心に聳え立つ巨塔『剣の城』、終焉の刻は──もうすぐそこだ。

■筆者メッセージ
ソウスケ「あー本当に疲れた、流石にもう戦えない……そう思っていた時期が僕にもありました」
エクレア「あはは、お疲れ様です。まさかこれから敵の本拠地に乗り込むなんて思いませんでした」
レンジ「しかも相手はヴィクトルだからな
な。ったくアイクの奴、ソウスケに何かあったらただじゃおかねえ」
ソウスケ「僕とヒヒダルマならきっと大丈夫さ。二人とも、心配してくれてありがとう」
レンジ「…急に畏まってなんだよ縁起の悪い、あと気持ち悪い」
ソウスケ「あれ!?僕いつも素直だけれど!?あと一言多くないかい!?」
エクレア「ふふ、仲良しですね二人とも」
レンジ「そんなことより相手は最強だ、思い切り楽しんで思い切り笑って、勝って必ず戻って来い!」
エクレア「確かに、喜ぶソウスケさんの姿が目に浮かぶようです。信じてます、だって約束しましたから!」
ソウスケ「はは、本当に嬉しいよ。よおし頑張るぞヒヒダルマ、燃え上がるこの想いで貫いてみせる!」
せろん ( 2021/11/04(木) 19:27 )