ポケットモンスターインフィニティ



















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第十四章 星を撃つ灼焔
第124話 焔、尽きることなく
 間も無く終わるこの世界の縮図とばかりに荒れ果てた焦土に燦々と灼熱の陽が降り注ぎ、譲れない闘志と闘志が激しく鬩ぎ合い鎬を削る。
 皆と過ごせる未来を望んで、かけがえのない新しい明日を願って、何度折れても立ち上がって強くなった穂村ソウスケとヒヒダルマ達。
 いつか焦がれた未来に望みを失くし、空虚に繰り返される日々で諦観に沈み、誰よりも強く敗北を知らないままに在り続けたアイクとサザンドラ達。

「よくやってくれたねオノノクス、とんでもない大金星だよ! お陰で……希望は繋がった!」

 圧倒的な力を以て振るわれる最高幹部の暴威はかつて相対したどんな敵よりも凄まじい。逆境に立たされ続けたソウスケ達だったが、そう易々と現実を受け入れ敗北を迎えられる程賢い人間ではない。
 たとえ誰から愚かと笑われようと無理を貫いて押し通す。決死の覚悟で叛旗の逆鱗を解き放ち、オノノクスが奇跡に近い昇竜の二体抜きを果たしたことで一気に逆転してみせた。

「そうだね、皆がここまで頑張ってくれたんだ。なにがあっても負けられないもんな」

 友の奮闘により荒れ狂う嵐が吹き飛ばされて、晴れ渡る青い空の下で襟を正して少年は笑い竜が頷く。モンスターボールの中から決死で足掻いて想いを繋ぐ仲間達の奮闘を眺めていた、彼らの決意が勇気をくれたからどんなに苦しくても頑張れた。
 対する敵はそれ程までに凄絶にして災害の如き威容で君臨する。絶大な暴威を前に残された希望は今にも切れてしまいそうな蜘蛛の糸程しかない。
 それでも……彼方に一筋の勝機が残されていると言うならば、なんとしてでもこの手で掴み取ってみせる。友と呼吸を合わせて命を振り絞り、決死の覚悟で立ち向かって。

「やったあ流石ソウスケさん達! 本当どうなるかと思いましたよー!」
「ったく、あんなバトルお前らしくもねえ! ヒヤヒヤさせんじゃねえぞバカ!」
「はは、ああでもしないと勝てなかったからさ。まあなんとかなったんだから良いじゃないか」
「だからって良いわけねえけどな! 人の気も知らねえで本当腹立つなお前!」

 それでも誇らしげに胸を張り「これが僕らの絆の力さ」とおどけて笑ってみせるが、正直に言うとこの戦いで何度自分を信じて戦ってくれるポケモン達に、天運に救われたか分からない。あの逆境をひっくり返すなんて己の実力だけでは決して成し得なかったろう。
 かつてレンジに『運否天賦に任せやしない』なんて啖呵を切りながら天に縋らなければ食い下がれないなんて恥ずかしいが──まあ良いだろう! 危険を冒さなければ到底勝ち目は無かったし、あの時はあの時、今は今だ!

「はっは……良い性格してんねえ恥知らず、そうい奴程生き残るってなあ」
「ああもうみんなして、なんとでも言え! 恥なんてとうに投げ捨てたよ、これが僕というポケモントレーナーさ!」

 果たしてそれは運に任せたかポケモン頼りか、なんにせよ見苦しい他力本願にも関わらず胸を張って誇ってみせる対敵にアイクは嬉々と失笑を零す。
 実際あの状況ならば相当な無茶をしなければ自分達には決して勝てなかったろうが、開き直った厚顔無恥も此処まで来るといっそ清々しい。だからこそ彼は強いのだろう、躊躇いなく手段を選ばないという選択が出来るのだから。

「気を付けろソウスケ、残された奴は……今までのポケモンよりもうんとつえーぞ!」
「ホントです、あたし達はこの目で確かに見ましたから!」
「……ええ!? ごほ、げほっえふっ!!」

 どうやら彼らは未知の一匹を知っているらしい。だからって自ら聞いて楽しみを減らす無粋はしないが、投げ掛けられた助言に思わず気管に唾が詰まってしまった。
 咳き込みながらも咄嗟に友を振り返ればレンジは深刻そうに眉間に皺寄せ、エクレアですら「きっと行けます」とサムズアップしながらも瞳に抑え切れない微かな不安が映っていて。

「……は、はは。いやーマジかあ聞いてないぞう、そんなの……嫌でも燃えるじゃないか!」

 気が付けば少年の口から苦笑が零れていた。今まで出て来たアイクのポケモンですらでたらめに強かった、全霊を賭して戦ってようやく劣勢を巻き返せたのに……サザンドラだけでなく残された未知の一匹までもこれ以上?
 気が遠くなるような錯覚を感じてふと身体の力が抜けそうになったソウスケだが、オノノクスが慌てて呼び掛けるとすぐさま現実へ呼び戻され再びその眼に闘志を燃やす。
 どんなポケモンが出て来るかは分からないが、此処を越えなければ最強になんてなれるわけがない。──面白い、これまでよりも強いってんならこれまで以上の力でぶつかるだけだ!

「さあて待たせちまったなあ。喜びやがれえ、こいつは強えぞお、サザンドラに次ぐ強さ……おれですら手を焼く程だからよおう」

 アイクですら手を焼く、その言葉だけで相当の強者だということが窺える。最高幹部が哄笑を上げながらハイパーボールを構えると突如一陣の風が吹き抜けて、軽く投擲すれば色の境界から二つに割れ膨大な紅光が溢れ出した。

「加減は要らねえ、思い切り吹き荒れろよお! 一切を押し流してやれえキングドラァ!」

 角を振り翳して赤光を払い、姿を現したのは全身を蒼い竜鱗に覆われた巨躯のタツノオトシゴ。珊瑚に似た一対の特徴的な角を持ち細長い砲台のような口吻、白い背鰭を持つ“汪竜”の紅瞳は鋭く対峙するオノノクスを見据えている。
 流石は極限地帯に棲息し、欠伸ですら渦潮を起こす桁外れの力の持ち主だ。キングドラの咆哮と共に溢れ出す衝撃は嵐の如く身体を裂き、それでもオノノクスは臆することなく大地を踏み締め果敢に立ち向かってみせる。

「は、はは……まだこんなに手強いポケモンを残していたなんてね」

 あのソウスケでさえ迸る絶大な力の顕現に表情を強張らせながら固唾を呑んで身構えて、なお尽きることなき双眸の灯は煌々と滾り不敵な笑みでアイク達を睨む。
 キングドラは全ての能力を高水準に備えた強力なポケモンだ。遠い地方では竜使いの聖地を守るジムリーダーの切り札とも呼ばれていて、どんな生き物も降りることが出来ない光届かぬ深海で過ごしているドラゴンポケモン。

「本当にすごいよ君達は、これだから堪らない! いつだって圧倒的な力でワクワクさせてくれる!」
「てめえこそなあ、こうまで命懸けで食らい付いてくるたあ見上げたもんだあ!」

 ソウスケの瞳は強敵を前に爛然と燃え、アイクの眼光が鋭く閃く。向かい合うは“りゅうのまい”によりただでさえ他を凌駕する力を増幅させた顎斧竜オノノクスと、嵐をも起こす程の絶大な力を秘めた汪竜キングドラ。
 一瞬の判断が勝負を分ける。暫時重苦しい静寂が支配して塵一つに気を払う程慎重に機を窺い、だがこのままでは埒が開かないと振り返ったオノノクスは顎斧を翳して鼓舞するように雄々しき咆哮を轟かせる。

「そうだなオノノクス。もう体力も限界に近い、あとは真っ直ぐに突き進めばいい! 一気に押し切るぞ、げきりんだ!」

 最早此処に至って退路などは必要無い、ありったけの思いの全てをぶつけるだけだ。いざ出陣と踏み込んだ瞬間溢れ出した紅黒き膨大な粒子の渦を──逆巻く竜気を身に纏い、影を置き去りに超高速で動き出した。

「悪いがよおう、もうテメェらの動きじゃあ届かんぜえ。迎え撃てえキングドラァ、ハイドロポンプだあ!」

 此方は既に“りゅうのまい”を発動しているのだ、火力速度共にキングドラを上回っている。対する敵の眼前に躍り出た顎斧竜が力強く振り上げた赫き巨爪は深々と竜気を湛えて空を切り、汪竜は水底の蒼を湛え輝く波濤を迸らせて真正面から激突する。
 無論単純な威力ならば押し負ける筈が無い、アイクの狙いはそこではない。噴き出した奔流の反動でキングドラが一気に後退すると紙一重で爪撃を躱してみせる。
 続けてオノノクスが強大な竜爪を翳して間髪入れずに連続で攻め立てるが、その悉くが竜鱗の隙間から噴き出した水流によるアクアジェットさながら翔る急加速で次々に流され届かない。

「強くなったオノノクスはこんなものじゃあない! 逃しはしないさ、今度こそ切り崩してやれ!」
「良いぜえ来てみろよお、何度やろうと結果は見えてるがなあ。ふぶきだあ!」 

 それでも速度ならば決して負けやしない、背後へ回り込み爪を翳すが咄嗟に振り返ったキングドラは一気後退。一撃の射程から外れたのを目で追うより早く肌で認識、咆哮を響かせ急激な冷気が空を凍て付かせる。
 そして吹き付けるのは猛吹雪。暴風に乗せられた氷雪結晶が鋭く肌を切り裂いて、それでも竜気を鎧と纏うことで無理矢理振り払い乱吹を越えてその先へ迫るが……銀雪を突き抜け竜爪を翳した時には、既にキングドラの姿は掻き消えていて。

「しまっ……上か!? 聞こえてるか、頭上に気を付けてくれ!」
「言ったろうがあ見えてるってえよお、りゅうのはどう!」

 見上げれば砲台の吻の先端に深蒼の粒子が逆巻いていて、溢れ出した光が龍を象り降り注ぐ。だが此処まで必死に繋いで来たのだ、そう易々と終わりやしない。
 「迎え撃てオノノクス!」解き放たれた灼紅の極大光線を前に数瞬間で力負けして霧散するが、既に汪竜は水流の噴射により遠ざかっていた。追い掛けるように光線を薙ぎ払うが水流噴射による加速と旋回で悉くをやり過ごされた。

「っ、本当に隙のない。だがまだだ、この程度で引き下がるわけ無いだろう!」
「はっは、無駄な足掻きってえのは嫌いじゃあねえぜえ。ふぶきだあ!」

 それでも臆さず竜爪を突き出して追い掛けるように跳躍、膨大な冷気を切り裂き舞い上がるが、時が止まったように顎斧竜が不意に空中で静止してしまう。
 思わずソウスケが声を詰まらせた。一閃に切り伏せて背後へと零れ落ちた吹雪はその冷気を以て地面を宙を凍て付かせ、形成された巨大な氷柱に足が巻き込まれていたのだ。

「っ、それでもオノノクスは倒れない! こんなもので止められるか!」

 一瞬の隙でキングドラは既に地上へと舞い降り、眼下から狙いを定めていて。だがそんなものは足枷になどなりやしない、力技で無理矢理氷を砕いて放たれた波動を切り裂いたオノノクスは翳した竜爪ごと地上へと急降下するが、すかさず噴射により後退されて爪撃は虚しく大地を穿った。

「おい冗談だろ……りゅうのまいまで使ってこっちは“げきりん”を発動してるんだぞ!?」
「は、へばるにゃあちと速いんじゃあねえかあ!」

 そして、最後に解き放った極大光線も滝を昇るがごとき急上昇により虚空を貫き収束していく。
 いくら満身創痍といえど、能力では此方が上回っている。それでもなおキングドラを切り崩すまでには至らず、流石はアイクが『サザンドラに次ぐ』と評する程の高い実力を備えたポケモンだ、付け入る隙が見つからない……!

「それでも僕らは進み続ける、最後まで膝を折るものか! もう一度げきりんで、今度こそ!」
「おいおいそいつぁ欲張り過ぎだぜえ? 潔く舞台から降りちまいなあ、りゅうのはどう!」

 ──刹那、オノノクスが脚を止めて徐によろけた。そう、“げきりん”はその絶大な威力と引き換えに暴れ回った後に混乱してしまうという大きな反動がある。
 それでも主人の声は届いている、無理矢理混乱を払おうと朦朧とした頭で首を振るうが。瀧の如く降り注ぐ蒼の奔流は、そんなこと興味無いとばかりに無慈悲な輝きでオノノクスの纏う装甲ごと荒々しく呑み込んだ。

「しま……っ、オノノクス!?」
「惜しかったあ、相手が悪かったなーあ。あれ以上の横暴許してやるかよお」
「……残念だな、彼もまだ暴れ足りなかったろうに」

 吹き荒ぶ爆風と舞い踊る眩い光の渦に視界が閉ざされてしまい、暫時の静寂を経て晴れ渡る景色には果たして地に倒れ伏すオノノクスと悠然と空に座すキングドラの姿があった。
 哄笑を響かせ彼なりの賞賛を送るアイクに苦笑しながらソウスケは口を尖らせて、肩をすくめてから大きく息を吐き出して倒れ伏すオノノクスへとモンスターボールをかざした。

「ありがとうオノノクス、君は本当によく頑張ってくれたよ。お陰で勝機を繋ぎ止められた……僕らを信じて、ゆっくり休んでくれ」

 暖かい穏やかな紅光は包み込むように優しく顎斧竜を覆い、疲れ果てた戦士は粒子となって安息の地へと還っていく。ようやく意識を取り戻したオノノクスはカプセル越しにこちらを覗き込んで来たが、その眼には不安の色が浮かんでいて。

「ああ、きっと──ここからの逆転は至難を極めるだろうね」
「んなこと言いながら得意そうじゃねえか。何か策でもあんのかよソウスケ?」

 遠い彼方を眺めるように目を細めて笑うソウスケの声色には言葉と裏腹に怖気付くような色は無く、澄んだ眼差しはどこか確信めいたものさえ感じさせる。
 そんな余裕そうにして勝算でもあるのか。期待を込めてレンジが尋ねると「はは、まさか」何の躊躇いもなくあっけらかんと笑い、しかし口元に微笑を湛えながら半ばひとりごちるようにだが、と呟いた。

「こんなところで終わったりしない、必ず一筋の可能性を掴み取ってみせるよ。だから安心してくれオノノクス、僕らは負けやしないから!」

 アイク達と自分達とでは文字通りレベルが違う、きっと百回やっても彼らに勝てやしないだろう。けれどそんな理由で止まれるわけない、まだ可能性が残されているのなら……この胸に灯る焔は尽きていない、最後の最後まで足掻いてみせる!
 ──ソウスケの瞳に点る闘志を見つめてようやく安堵したオノノクスは最後に溜まりに溜まった疲労ごと大きく息を吐き出して、この戦いの向こうに勝利を願い瞼を伏せて眠りについた。

「……ふう、これでお互い残り二匹か。随分険しい道のりになりそうだが、なんとしてもやるしかないんだよな」

 見上げた空は雲一つない突き抜けるような蒼に澄み渡り、しかし遠くの方では未だ止むことのない永い嵐に降られ続けている。そうだ、此処でアイクを止められたとしてそれだけで世界を救えやしない。
 エイヘイ地方を脅かす最終兵器『終焉の枝』、あれを何とかしない限り我々に未来は無い。その為には最高幹部達を越え、頂点に立つ最強の男を倒さなければならないのだ。

「それでも決して負けやしない、最後に笑うのはこの僕達さ!」

 だとしても信じている、彼らにならばきっと不可能はないのだと。だから僕は今出来る全力で此処に居る人達を守ってみせる。
 徐に瞬くと少し乱れた襟を正し、腰に手を伸ばして残されたモンスターボールを迷い無く掴み取ってみせたところで最高幹部アイクが心底から愉快そうに口を開いた。

「はっはは……良ーい闘志だあ。聞かせてもらうぜえソウスケェ、なあにがてめえをそうまで突き動かすぅ?」

 吹き抜ける一陣が上着の裾を弄び、新しい風を感じながら向かい合う少年へと問い掛ける。
 路端に転がっている石など誰も興味を持ちやしない、今まではどうせすぐに視界から消える有象無象だったが……彼らは決定的に本質が違う。
 だからどうしても知りたくなった、此処にただ一人自分と同じ地平まで這い上がり食い下がる男のことを。戦いを通して伝わって来る、尽きること無きその熱の在り処を。

「言わずとも分かっているだろうに。きっと君達とそう変わらない、呆れるくらい下らない理由さ」

 あまりにも答えの見え透いた愚問にソウスケは困ったように首を傾げながら苦笑して、少しの間を置きからからと笑う。
 一言で表せば“ポケモントレーナー”だから、とそれだけで済む話だろう。それでも彼が尋ねてくるということは、その本質を問うているのだ。

「恥ずかしい話だけれど、僕の戦いに大義なんて無くてね。未来を背負う気はないし、きっと背負えるわけがない」

 握り締めた紅白球を軽く放って弄びながら吹き抜ける萌黄の風に苦笑を零し、瞼を伏せて穏やかに笑う。
 世界の命運なんて自分には──人が担うにはあまりにも重く大きすぎる。そんなもの無理に背負ったっていずれ耐え切れず押し潰されてしまうだろう。

「自分の居場所を失くしたくない、いつかの約束を果たしたい、まだまだまだまだ強くなりたい。命を賭ける理由なんてそれだけで十分さ」

 僕らの戦う理由なんて、本当にただそれだけだった。子どもの頃から此処に至るまで数え切れない戦いを経たがあの頃から何一つ変わりやしない。
 幼い時に見上げた遥かな夢を叶える為に旅に出て、かけがえのない友と過ごせる大切な時間を失いたくなくて、自分の手の届く範囲で出来ることを積み重ねながら変わらない夢を追い続けて来ただけで。
 けれど戦う理由なんてそれだけで良い、その為なら命を擲つ価値がある。立ち塞がる絶望がどんな影だろうと打ち倒し、皆と居られる変わらない明日を取り戻すのだ。

「は、そりゃあそうだよなあ、テメェも大概ろくでもねえ獣だあ。でなきゃあこうまで愚かになれやしねえ、まったく嬉しい限りだぜえ」
「そんなことありません! ソウスケさんはあなたなんかと違って……」
「良いさ、自覚はあるからね。ただ立っているところが違うだけで……僕も彼も大して変わりやしないんだ」

 きっと僕らの本質にそう違いはない、自分の“世界”さえ良ければそれで良い。どんな過程を経ていようと、何処から戦いが始まろうと、今ここに向かい合うのは闘争の愉悦に生を見出す渇望の獣なのだから。

「僕らは自分達の為に戦うただの“ポケモントレーナー”さ。──ああ、それで良い!」
「……ったく、本当バカだぜお前はよ」
「でも、ソウスケさんらしいです」

 呆れたように肩をすくめるレンジの横でエクレアが納得したように微笑んで、カプセル越しにヒヒダルマも力強く頷いて同意を示す。
 結局それが一番肌に合っている、立場も何も関係無い。自分達が辿り着ける場所はどこまで行っても戦場であり、此処には二人のポケモントレーナーが居て、戦う理由なんてそれだけで十分だろう。
 ──絶対に負けやしない。この終焉を越えた先に待つ夢の舞台で、いつかに友と交わした約束を果たしてみせる。

「良かったよ、今まで君を温存していて。こんな絶望的な状況でも何とか出来るかもって思える」

 対するは強大な力を誇る汪竜キングドラだ、そう易々と突破など出来るわけがない。既に此処で繰り出すべきポケモンは決めている、この状況においては彼だけが頼みの綱だ。
 ……相手は万全の状態で臨むキングドラだ。無論友を信じていないわけではないが、能力差を考えれば勝ち筋は無いに等しいと言って良いだろう。それでもこの局面を越えなければ勝利は掴めない、もしこの窮地に微かな光があるとすれば──。

「共に活路を切り開こう、君に任せたよムーランド!」

 青く晴れ渡る空を見上げて、心地の良い風を感じながら強く握り締めたモンスターボールへ意気を込めて勢い良く投擲。赤き軌跡は鋭く戦場を切り裂いて、溢れ出した紅光は一条の先に獣の影を象っていく。
 現れたのは外套を思わせる群青の分厚い長毛に身体を覆われた巨犬。貫禄のある立派な髭をを蓄えて、海も山も難無く駆け回る力強い四肢で荒れ果てた戦場を踏み締めた。
 
「こいつは僕が初めて捕まえたポケモン、ずっと共に戦って来た仲間の一人でね。いつだって僕らの為に頑張ってくれた頼れる友さ!」

 身体の芯まで響くけたたましい咆哮が蒼天を衝き、汪竜ですらあまりの威圧に萎縮してしまう。それは対戦相手の攻撃力を下げるムーランドの特性『いかく』だが、特殊技を主軸に据えることが多いキングドラに対しては然程影響しないだろう。

「ハ、何か狙ってやがんなあ……勝つ為じゃあなく捨て石によお。良いぜえ来おい、見せてみやがれえてめえらの足掻きをなあ!」
「勿論本気の本気で行かせてもらうよ! 僕らの熱い想いでぶちかましてやる!」

 尊大な威厳に満ちたキングドラの紅眼と強い決意に瞬くムーランドの黒瞳、迸る闘志を映す双眸が火花を散らしてぶつかり合って暫時戦場に張り詰めた糸のような破裂寸前の静寂が降り注ぐ。
 対峙する敵を計るように待ち構えるキングドラに対して、力の差は歴然だ、巨犬は下手に動くことも出来ない。慎重に身を屈めて様子を伺うムーランド達へ呆れたように汪竜が欠伸を一つ、アイクが退屈とばかりに凍れる瞳で吐き捨てた。

「腑抜けがあ、来ねえなら行かせてもらうぜえ。ハイドロポンプだキングドラァ!」
「好きに言え、君達を倒す為なら無様にでもなるさ! 迎え撃てムーランド、おんがえし!」

 それはさながら天に轟く龍のよう、緊張を打ち破りけたたましい飛沫を撒き散らしながら瀧の如き膨大な激流が降り注ぐ。対するムーランドは必死になって叫び主人に応える為に渾身の力を奮い迎え撃つが、その威力はあまりに苛烈で荒々しい。
 大地に爪を突き立て押し流されんと懸命に歯を食い縛って踏み止まるが、荒れ狂う激浪の威力は凄まじく。無理矢理に身を屈めて辛うじて軌道から逸れ難を逃れるものの、このままでは到底耐え切れないだろう。

「随分な醜態じゃあねえかあ。さあてそんな調子でいつまで保つかなーあ?」
「そんなの決まってる、勝機を奪い取るまでさ! まだまだ行くぞ、あなをほる!」
「そんなに近付きてえかよお、ハイドロポンプだキングドラァ!」

 このままではキングドラの御前へ拝謁することすら叶わない、それにあの高い機動力を以ってすれば下手に接近したところですぐに突き放されるに決まっている。
 ならば視界の外からではどうだ。勢い良く穴を掘り地中へと潜るが間髪入れずに放たれた怒濤にたちまち地面が深く抉れ、掬い上げるように激流を振り上げれば地中に潜んでいた巨犬を巻き込み蒼く彼方へ突き抜けた。

「流石の威力だな、まさかこうまで容易く破られるなんてね……!」
「どうだあ為す術もなく押し流される気分はあ。りゅうのはどうで撃ち落とせえ!」

 空中では思うように身動きが取れない、重力に任せて無抵抗に自由落下するムーランドを逃すわけがない。だがこちらとて負けられない理由があるのだ、そう易々と撃ち落とされるわけにはいかない。

「ここから巻き返すんだと思えばむしろ上がるさ! こおりのキバで防御してくれ!」

 迸る蒼竜を力強く睨み付け咄嗟に態勢を立て直し、宙へと氷結の牙を突き立てれば瞬く間に空が凍り付いて光を遮る結晶壁となる。
 無論その威力を防ぎ切れる筈がない。容易く蒼光に焼かれ砕け散りその先で構える巨犬の牙と衝突し、容易く押し切られるが辛うじて威力は抑えられた。
 舞い上がる爆風の中から飛び出したムーランドは力強い四肢で大地を掴み、肩で息をしながらまだまだ戦えると雄々しく吼える。

「はは、本当にすごいな……けれど僕らも負けやしない! 分かってるなムーランド、無理矢理にでも接近する!」
「テメェから向かって来るたあ余程の自信か無謀だなあ! 近寄らせるかよお、ハイドロポンプゥ!」
「そんなの決まり切ってるさ、やるからには意地でも食らい付く! もう一度受け止めるんだ、こおりのキバ!」

 勝負はまだ始まったばかりだ、決意に対峙する強敵を見据え地を蹴り焦土を駆け抜ける。一転して不敵な攻勢に警戒したアイクが指示を飛ばし迸る激流が狙い撃つが、大地に突き立てられた流線形の氷壁が衝撃を最低限に波浪を押し留めて。
 それでも所詮保って数秒だ。忽ちひび割れていく防壁に歯を食いしばって身構えて、「おんがえしだ!」決壊した氷塊の先から押し寄せる激瀧を決死の覚悟で迎え撃つ。

「良ーいねえその判断力ゥ、弱者の底力ってえ奴かあ! りゅうのはどう!」

 膨大な怒濤が迸るその軌道から僅かに逸れて何とか流されないように押し留め、しかしこのまま続けても徒らに消耗するだけだと判断したのだろう。大波を越え次に降り注ぐのは龍を象る深蒼の輝き、眩く焼き尽くす光の波動。

「生憎こいつは能力以上に強いぞ、君のキノガッサと同じでね! あなをほるで避けるんだ!」

 この技を真正面から受け止めるのは難しい、咄嗟に穴を掘り地中へ逃れんと潜り込んだ瞬間蒼龍の顎が大地を抉り吹き上がる爆風に視界は閉ざされてしまう。
 それでも時間は止まらない。舞い上がる砂塵から飛び出した汪竜を追い掛けるようにムーランドがそのすぐ真下へと追従し、王の威圧を放つ紅眸と勇敢に立ち向かう黒瞳がぶつかり合った。

「僕らの切り札を見せてやる! ぶちかませムーランド、これが“とっておき”の一撃さ!!」
「おいおい良いもん持ってんじゃあねえかあ! 迎え撃てえキングドラ、ハイドロポンプだあ!」

 “とっておき”、それは他の技を全て使用した場合にのみ撃てるノーマルタイプ屈指の大技だ。全身に漲る力を一点に集中し、全霊を込めて解き放つ。
 対する汪竜は砲台を突き出して逆巻く怒濤を解き放ち、瀧の如き鉄砲水が眼下に迫る不躾者を裁かんと堰を切るように迸る。
 宙に衝突した二つの大技は眩い閃光と飛沫を散らして鬩ぎ合い、推しも押されもせずに互いを喰らわんと鎬を削り──しかしその拮抗が崩れる前に限界に達してどちらともなく盛大に爆ぜた。

「やあっと骨が出て来たかあ。息つく暇なんざあ要らねえよなあ、りゅうのはどう!」
「君達と一緒にしないでほしいが……待ってくれる程優しくないよな!」

 空へと地へと両者抑え切れずに吹き飛ばされてしまい、だがそれで手を緩める程柔な敵ではない。すぐさま体勢を立て直して口吻を構え、全身から溢れ出す蒼光が象りし龍が地に足着いたムーランドへと容赦無く降り注ぎ炸裂した。

「ムーランド、まだ戦えるかい!?」

 大地を穿ち舞い上がる砂塵に景色は閉ざされ姿の見えなくなった友へ無事を祈って呼び掛けるが、少年の声は虚しく響いて返事は未だに帰って来ない。
 ようやく晴れゆく景色に終始警戒し構えていたアイクが眉を顰めて「ハイドロポンプだあ!」と指示を飛ばし、汪竜が眼下を仰いで砲台を翳した瞬間足元の地面が隆起し次の瞬間獣の前脚が突き出した。

「そうか、あの時……はは、やるなあ! よおし今度こそ届かせてやろう!」

 どうやらムーランドは迫り来る“りゅうのはどう”を前に咄嗟の判断で穴を掘り地中に退避していたらしい。これで互いの距離は目と鼻の先、猛る闘志の限りを乗せてこの一撃に全てを賭けて。

「さあ逃しはしないぞ、僕らの“とっておき”の大技を喰らうが良いさ! 行けえムーランドォっ!!」

 砲口に迸る水流が放たれるよりなお速く、全身全霊を込めた大技が初めて咄嗟に身を引く深蒼の強者を──キングドラを深く捉えた。
 腹部に突き立てた渾身の力がその意気諸共耳をつんざく轟音を伴い盛大に炸裂し、耐え切れず吹き飛ばされてしまった“汪竜”を見据え佇むムーランドに星の残滓が淡く降り注ぐ。
 分かっている、奴は決してこの程度で倒せる敵ではない。すぐに身構え動き出そうと力を込めた瞬間、全身から噴き出した水流で空中制御したキングドラが勢いを殺してその眼光に闘志が灯り。

「……っ、まずいぞムーランド! 躱してくれ!?」
「こいつぁ侮られたもんだあ、ハイドロポンプで吹っ飛ばせえ!」

 今度こそ醜態は晒さない、砲台から溢れ出す怒濤の奔流が寸分の狂い無く狙いを定め瞬く間に眼前へ押し寄せて来る。
 今から穴を掘るのでは間に合わない。咄嗟に跳躍しようと地を蹴ったムーランドを無慈悲な波濤が忽ち呑み込み、遥か空の彼方へと撃ち上げられてしまった。

「ムーランド、おい大丈夫か!? 返事をしてくれ!」
「奴らはまぁた立ち上がって来る。此処で仕留めろお、りゅうのはどう!」

 必死に呼び掛けるソウスケの声は虚しく響いて、巨犬は自由落下に任せて無抵抗に落下していく。焦燥を露に何度も何度も繰り返し友の名を叫び、それでも声が帰ってくることはなく容赦の無い龍光が瞬く間に迫る。

「……っ、頼むムーランド!! とっておきだあっ!!」

 この一撃を喰らうわけにはいかない、何とか目を覚ましてくれと祈りながら突き抜けるような空に声高く叫んだ。
 ──そして舞い踊る龍の閃きがついに眼前へと迫ったその瞬間、灯の失われていたムーランドの双眸が力強く開眼。全霊を込めたとっておきの大技が暫しの拮抗の後に“りゅうのはどう”を掻き消して、残滓が舞い散る中に力強く四肢を構えると主人へ一瞥目くばせを送る。

「良かったよ無事でいてくれて……ありがとう。頼んだぞ、今が潮時だ!」

 対するキングドラは普段深海で力を蓄えているだけあってあまりに強く、既にムーランドは満身創痍だ。けれどピンチはチャンスと言う、こんな時だからこそ使える道具がある。
 分厚い毛皮の中からムーランドが取り出したのは、空の力が宿ると言われ緑のゴツゴツとした固い皮に覆われた果実“カムラのみ”。とてつもなく甘酸っぱい果肉を勢い良く頬張ればその素早さが上昇し、まだ戦えると意気軒昂に雄々しく吠えた。

「──よおし、まだだっ! 絶対に諦めやしない、僕らの炎は燃え尽きちゃいないぞっ!!」

 ソウスケが闘志を燃やして力強く拳を握り締め、気炎万丈に猛る友と呼吸を合わせて対峙する強敵を爛然の瞳で睨み付ける。此処からが本当の戦いだ、その懐から勝利を奪い取ってみせる!

「ここから上げていこうムーランド、一気に懐まで切り込むぞ! とっておき!」
「良いぜえ来いよお、受けて立ってやるぜえ! ハイドロポンプゥ!」

 砲口に逆巻く渦動は夥しい奔流となって飛沫を散らして溢れ出し、対するムーランドは全霊を懸けて真っ向からぶつかり合う。互いに持てる最大限は一歩も譲らず威力が拮抗、どちらともなく炸裂するが巨犬の脚は止まらない。
 吹き荒ぶ爆風を突き抜け、その先に“ふぶき”により突き立てられた氷壁が聳え立つが渾身の一撃を放って真正面から粉砕。

「だったらぼうふう、近付く前に吹っ飛ばしゃあいい!」
「あなをほる、地下に潜って躱してくれ!」

 続けて放たれたのは吹き荒ぶ暴風だ、氷の破片を巻き上げながら荒れ狂う中に飛び込むのは危険が過ぎる。すぐさま穴を掘って地中に退避し、“汪竜”の背後に回り込むと大地を突き破り巨犬が猛然と飛び出した。

「っ、テメェらの魂胆なんざあ見えてんだよ! りゅうのはどうだあ!」
「だったら尚更通してもらう、とっておきで突き破れ!」

 無論二度目の不意打ちをそう易々と許してくれるわけがない、紺碧の輝きが龍を象り迫り来る敵へと放たれる。だがこちらとてそんなの承知の上だ、すかさず今持てる最強の大技を解き放ち、暫時の拮抗の先に波動を越えてついにその眼前へ猛然と迫った。

「これが僕らの最後の希望──君達にだけは負けられない! こおりのキバだムーランドォっ!!」
「この状況でどうしてソウスケさんは……まさか!?」
「だろうな、奴は何としても自分の戦法を押し通そうとしてやがる! だから……頑張れよムーランド!」

 寒冷を纏う凍える氷牙を振り翳し、全身から水流を噴き出して離脱を計るキングドラを決して逃しはしない。地を蹴り一度引き離された距離をすぐさま縮め、その尾に決死の大牙を突き立てた。

「はっは、案の定かよお、余計にお引き取り願わねえとなあ! さーあキングドラァ、最大威力でハイドロポンプだあ!」

 この状況で威力が最も高い“とっておき”ではなくわざわざ“こおりのキバ”を選んだのだ。誰もがすぐさま狙いを察して観ていた二人が歓喜に沸き立つ。
 ようやく突き出した穂先が届いたのだ、もう決して離したりやしない。キングドラは身体を振り回し突き立てられた牙を剥がそうとするがそれでも解けず、ならばと口吻を砲門と翳して。
 瞬間海の色を湛えたように蒼く透き通る宝石が空に煌めいて、先程までのそれより遥かに苛烈に逆巻く凄絶な奔流が解き放たれた。キングドラが発動したのは“みずのジュエル”、一度の戦闘でただ一度だけ使えるみずタイプの技の威力を底上げする持ち物だ。確実に仕留めるということなのだろう。

「……っ、なんて桁外れの威力なんだ!? 頼むムーランド、それでもなんとか耐えてくれ!!」

 全身を切り裂き押し潰すような途轍も無い暴威に呑み込まれ、凄まじい激痛に何度と飛びそうになる意識を友の呼ぶ声で一筋瀬戸際に繋ぎ止めて。
 ──最高幹部との決戦は、皆が限界以上の力を振り絞りようやく圧倒的な強者へ一矢を報いて此処に至った。だから、全ては自分達の信じる最強の切り札へと繋げる為に……ここで終われば我々の敗北は必至なのだから。

「まだだムーランド、無茶を言っているのは理解しているが……まだ離すわけにはいかないんだ!!」

 ……当然だ。死んでも、決して、この牙を離しやしない。
 今にも消えてしまいそうな魂を支えるのは旅の中で培ってきた友との絆だ。同じ未来を目指して数え切れない苦難を乗り越え、互いに励まし合ってどんな逆境の中でも変わらぬ心を貫いて来た。
 瞼の裏に今も自分を呼び続ける友の姿を思い浮かべて、最早本能だけで身を裂く瀑布に耐え喰らい付き続ける。たとえ砕けても負けるわけにはいかない、なおも暴れる“汪竜”に決死で牙を突き立て続けて──ついに、キングドラの全身を覆う竜鱗に霜が降りた。

「まさか……良いぞムーランド、もう少しだ!! あとほんの少しだけで良いから堪えてくれ、そしたら、きっと……!」

 恐らくその声はムーランドまで届いていない、それでも想いは伝わっているから。さながら蟻の一穴の如く僅かな綻びを皮切りに次第に竜の身体が氷に覆われ、より冽々と迸る凍気が尾から下腹部と徐に這い上がっていく。
 そしてなお巨犬の闘志は熱く滾り、荒れ狂う波濤へ食い縛る。胴、背鰭、胸と昇っていく蒼氷が首を通って口吻の先までをも凍り付かせて──嵐の如く暴れ回った汪竜は完全に凍り、氷の檻へと閉ざされた。

「……ありがとうムーランド。本当に、よく頑張ってくれたね」

 そして同時に、とっくに限界を迎えていたムーランドの灯がとうとう燃え尽きた。深く突き刺さっていた大牙は外れて自由落下に任せて崩れ落ち、焦土に身体を預けるように深くうつ伏せに倒れ込んで。

「お疲れ様、戻って休んでくれ」

 指先一つ動かすことなく瀕死になって昏睡するムーランドへ翳したモンスターボールから、眩い赤光が迸り。輝きは陽の光のように暖かく満身創痍の戦士に降り注いで、穏やかな楽園は束の間の休息へと柔く巨犬を迎え入れる。
 紅白球の中で少しずつ瞼を持ち上げ目覚めたムーランドがはっと目を見開いてカプセル越しに見上げて来たから、「改めてありがとう、君は本当に良くやってくれたよ」とサムズアップしながら凍り付いたキングドラを一瞥し頷き合った。

「君はいつでもそうだね、どんな逆境でも必ず道を切り開いてくれる。本当に助かったよ、辛うじて可能性は残ってる」

 あれだけの激闘を繰り広げてなお決戦のゆく末を案じる強く優しい友に飾り気ない信頼を吐き出して、穏やかな表情で笑い掛ける。これは決して他の誰でも出来やしなかった、ムーランドだからこそ成せた偉業だ。
 言葉では表し切れない感謝を贈ればその瞳にはようやく安堵の色が次第に宿り、動かすことも出来ない満身創痍の身体で主人へとただ一つの願いを吐き出す。

「──勿論さムーランド、僕らは必ず成し遂げてみせる!」

 友を勇気付けるように力強く頷けばとうとう限界が訪れたムーランドは崩れ落ち、泥のように深い深い眠りへと沈んでいった。最後にもう一度感謝を送ってから紅白球を腰に装着し……これで五匹が戦闘不能、自分達に残されたのはついにたったの一匹だ。
 だが──勝機は繋がった。相手はこの世界に幾度と絶望を齎してきた最高幹部、自分達を遥かに上回る強敵ではあるが……決着が付く最後の最後までその結末は誰にも分からない、それがポケモンバトルというものだ!

「君は言ったな、この世界に“明日”なんて来やしないと!」

 乱れた襟を正したソウスケは最後に残された彼らの切り札──今か今かと待ち侘びた相棒が構えるモンスターボールを一切の惑い無く掴み取り、握り締めた球は燦然と空に輝く太陽を照り返し紅く勇ましく突き出される。
 オルビス団は超古代の兵器を起動して、エイヘイ地方に滅びを告げた。もし『終焉の枝』を止められなければ今日この世界は最期を迎えて、あるいは二千年前に起きたと語り継がれる最終戦争の伝説のように跡形も無く滅びてしまうかもしれない。
 それでも、降り注ぐ陽射しの下に少年は笑う。惑いなく戦場を臨む瞳には熱く爛然と決意が燃えて、どんな逆境に立たされても変わることなくいつか願った未来を見据え続けて。

「ああ、あり得ねえがあ……もしレイやエドガーが負けてもよお、最強の男──ヴィクトルにはだぁれも勝てやしねえ」

 ヴィクトル・ローレンス。オルビス団の首領はかつてエイヘイ地方において史上最強と謳われたポケモントレーナーだ。生涯完全無欠で頂点の座に君臨し、数十年という長い時間の中でただの一度の敗北も無い絶対強者。
 きっと、アイクの言うことに間違いは無い。過去の戦歴は言わずもがな、これまで絶望的なまでの力を以って暴れ回って来た最高幹部ですら従える男などどう考えても最強に決まっている。たとえ僕やジュンヤ、ツルギ達が皆で力を合わせたとしても届かない──そんなの諦める理由になんてなりやしない。

「さあどうだかな。案外もう幹部のどっちかは負けてるかもしれないぞ?」
「は、そいつぁ無えな。だとしたらテメェに負けたんだろうよ」
「どんな形であれ勝ちは勝ちさ。ま、実際どうなってるかなんて知らないけれどね!」

 決して有り得ないが万が一にも最高幹部に負ける可能性があるのだとすれば、それは自分自身に負けたのだと……そう断言するアイクの瞳には僅かの揺らぎも無く、余程彼らを信頼しているのだろう。
 だがそれも当然と言えば当然なのかもしれない。ずっと独りで他を凌駕し勝ち続けて来た彼とポケモン達の生涯においてただ二人の、同じ地平に並び立つ強者なのだから。

「明日は来るさ、絶対に。たとえどれ程の強者が相手だろうと……僕の友ならばやってくれる!」

 けれど仲間を信じているのはこちらも同じだ。彼らならばどんな不可能と思える壁さえも打ち破り、必ず成し遂げてくれるのだと。
 『大切なものを守る』と誓って一人では到底背負い切れないような理想を胸に強さを求めて。何度折られてもその度に立ち上がり、どんな暗い夜でさえ歩き続けて乗り越えて来た幼馴染のジュンヤ。
 ただ独りで生き誰よりも強く険しい道を戦い続けて。光無き闇に在ろうと惑うことなく流れる星の如く、爛然と輝きありとあらゆる修羅場をくぐり抜けて来た戦友のツルギ。
 この胸には揺らがなき燃える確信がある。彼らならば何があってもきっと永い夜さえ切り開き、その彼方にある筈の遠き黎明を導いてくれると信じている。

「は……はははは! こいつぁ愉快だぜえ、まったくもってテメェはよーお……清々しい程の大馬鹿野郎だあ!」
「当然さ、余程のバカで無ければここには居ない! だからバカはバカらしく信じているよ、最後に笑うのは僕達だとね!」

 そう断言出来るだけの“希望”がこの胸に熱く焔と燃える、尽きることなく輝き続ける。
 僕が見て来たポケモントレーナーの中でもジュンヤとツルギは屈指の強さを誇る実力者だ。無論単純な力でもいずれ最強になるこの僕達の肩を並べる程だが、それ以上にただ一つの誓いを掲げて揺らがなき信念でいつだって挑み続けていた。
 いいや、彼らだけではない。今まで旅の中で出逢い別れた誰もが何かを守ろうと必死だった、譲れないものの為に戦って来た。
 そんな皆が今は心を一つに束ねて、大切な“現在”を守り抜く為に約束された世界の終焉に立ち向かっているのだ。だからきっとなんとかなる、信じた未来だって掴み取れる。

「そんなお優しい世界ならよーお……おれ達ぁ此処で戦っちゃあいねえ。頑張った、駄目でした、何の意味も無え犬死にがテメェらの信じた“最強”の末路だあ!」
「無駄なんかじゃあないさ、スタンさんの願いは僕らが果たす! 彼の信じた『未来への可能性』──この僕達が全てを壊して!」

 僕らの信じる“最強”の象徴──エイヘイ地方の頂点に立つチャンピオンであるスタン・レナードはオルビス団の首領を前に敗れ去ってしまった。
 誰もが懸命に現実と向き合って、必ずしも努力が報われるような優しい世界ならこの終局に至っていない。そんな下らない絵空事なんて容易く踏み潰す強者が居るから誰もオルビス団を止めることが出来なかった。
 それでも……根拠のない確信に少年は笑う。数え切れない想いを背負い僕らはこの戦いに望んでいる、だから此処まで戦い抜くことが出来た。長く険しい決戦は刻一刻と終わりが近付いている、最後の最後まで決して諦めやしない。

「まだ僕らには最強の相棒が残っている、この瞬間の為に皆で繋いで来たんだ。最後まで想いを貫いて──ここで君達をぶっ倒す!!」
「はっはは……そうだよなーあ、テメェらは吹けば飛ぶ屑共とは訳が違え! 本当の勝負は此処からってなあ!」
「そうさ、僕らはこんなところで終われない! 此処からは本気の本気で燃やし尽くす、どんな暗闇だって照らしてやるさ!」

 萌黄色の風に騒がしく裾は弄ばれて、見上げた空を映した瞳は窮地においてなお煌々と不屈に赤く輝く。力強く右脚を踏み出して大きく腕を振りかぶり、皆の奮闘を無駄にはしない──倒れていった仲間達の想いを込めて、全身全霊でモンスターボールを投げ放った。
 激戦の末に荒廃した焦土に投擲された紅白球は色の境界から二つに割れて、解き放たれた眩い赤光が焔の如く宙に瞬き一つの影を象っていく。

「待たせてしまってすまないねヒヒダルマ、ようやく舞台を整えられた!」

 瞬間溢れ出した膨大な灼熱が高く空をも焼き焦がし、陽炎揺れるその先に立つのは紅く噴き上げる炎の眉毛、大槌の如き力強く逞しい剛腕で大地を踏み締め歯を剥き出しに勇ましく笑い血沸き肉踊る興奮に雄々しく吼えた。
 えんじょうポケモンのヒヒダルマ。幼い頃からソウスケと同じ時間を過ごし、最強という遥かな夢を望み共に歩んで来た最高の相棒。

「やあっとテメェのお出ましかあ。勿体ぶりやがってよおう、此処まで随分待ち侘びたぜえ!」
「ヒーローは遅れて現れるのさ。ここまで来たらあとは真っ直ぐに突き進むだけだ、行くぞ相棒──絶対に勝つ!」

 プテラの“ふきとばし”により一度現れはしたものの、その際は交代により引っ込んだ為実質これが決戦においての初陣となる。ようやく戦場に降り立ったソウスケの持ち得る最強の槍を睥睨したアイクは声高らかに哄笑を響かせ、向かい合う少年は不敵に微笑む。
 対するは光届かぬ暗き深淵より浮上する王と謳われし水竜。ほのおタイプのヒヒダルマでは相性が最悪だが、ムーランドが命懸けで凍り付かせたおかげで今は身動き一つ出来ぬ氷像と化している。
 無論いつあの氷が砕け散るかなんて分からない、もし間に合わなければ大きな隙を晒してしまうが……やるかやらないかではなく『やるしかない』、此処を逃せば敗北は必至だ!

「この状況でソウスケさん達が選ぶのは勿論……!」
「おう、ぶちかましてやれヒヒダルマァ!」
「良いぜえ来いよお、そうじゃあなけりゃあ張り合いがねえ!」

 この場に居る誰もが同じことを考えている、未だ窮地に立たされている中で取れる選択など一つしかない。応援する二人は勿論対するアイクですらも脳裏にかつての交戦を浮かべて歓喜に沸き立ち、その中心に立つソウスケは皆の期待に応えるように呼吸を合わせて声高らかに指示を飛ばした。

「皆の応援を受けているんだ、負けられないな。さあ反撃の狼煙を上げるぞヒヒダルマ、はらだいこだ!!」

 自身の腹を突き出して太鼓と掲げたヒヒダルマは広げた両掌で軽快に打ち鳴らして、静まり返った戦場の緊迫には不釣り合いな聴く者を高揚させる勇ましい闘いの旋律が奏でられていく。
 それは音色により戦意を向上させて、攻撃を一気に最大限まで上昇させる大技“はらだいこ”。代償に体力を大幅に削ってしまうが、今更そんなこと関係無い。

「そうだキングドラァ、そのまま内側から砕いちまいなあ!」

 対してキングドラもただ見ているだけの筈がない。彼を閉ざす氷壁はみしみしと不気味な音を立てて軋み初めて、ほんの僅かな亀裂が生まれるとそこから雫程の細かな飛沫が溢れ出す。

「そうか、この音は……奴は身体から水流を噴き出して無理矢理氷を壊そうとしているのか!? 頼む、もう少しだけ保ってくれ!」

 なおも奏でられる勇壮な旋律は多くの願いを受けて出陣したヒヒダルマの闘志を際限無く昂らせ、背水に笑うソウスケをなお熱く掻き立てていく。
 だが氷牢は僅かな一穴から次第に割れ始めていき、最早解き放たれるのも時間の問題だ。拡がっていく亀裂に目に見えて限界が近づいて来て、駆け抜けるひびがついに全面まで達し──。

「さあーて存分に待ってやったんだあ、もうこれ以上は効かんぜえ。ハイドロポンプだあキングドラァ!」
「──来た! 行けえヒヒダルマァッ!!」

 キングドラを捕らえ封じる氷の檻が、溢れ出す水流によってとうとう粉々に砕け散った。陽射しを浴びて煌めく氷片の中心で解き放たれた汪竜の怒号は天を衝く激情に響き渡って、なおも腹太鼓を奏でる炎狒々を捉え膨大な狂瀾が解き放たれる。
 鮮烈に飛沫き大地を巻き上げその眼前まで荒浪が押し寄せた瞬間──ようやく演奏を終えたヒヒダルマの全身から不撓不屈の闘志を顕すように膨大な炎が激しく煌々と溢れ出して、幾重にも噴き上がる火柱の底で天を衝く咆哮が轟いた。

「良かった、間に合ったんですね! これなら……!」
「ああ、鉄砲水だろうとどんな大波だろうが奴らに燃やせないものはねえ!」

 それはさながら見上げた空に灼焔と燃え盛る太陽の如く、ただ在るだけで迸るあまりの熱量に光が歪み陽炎揺れる向こうで炎狒々が歓喜に吼え猛る。
 迸る波濤は烈火に焼かれ届くことなく、地を蹴る音を聴いた瞬間には姿が掻き消え既に背後に回り込まれていた。咄嗟に振り返れば掲げられた鉄槌の影が瞬く間に眼前へと落ちて来て。

「一気に畳み掛けるぞヒヒダルマ、アームハンマー!」
「良ーいねえこいつぁ愉しめそうだあ。躱せぇキングドラァ!」

 それは瞬く間すら与えない超高速。音をも追い越す程の速度にそれでも動揺することなく構えるキングドラはすぐさま身体から水流を噴き出し、放たれた拳は頬を掠めるものの間一髪直撃を逃れる。

「てめえから身を削ったんだあ、その体力じゃあ耐えられねえよなーあ。ハイドロポンプ!」
「いいや、ここまで散々良いようにやられたんだ! そう易々と逃しはしないぞ、フレアドライブ!」

 だが一度躱された程度で逃しはしない、ここまで散々弄ばれた分を倍以上にして返してやる!
 炎狒々の咆哮に呼応するように燦然と燃え上がる焔は迎え撃つ激流すら容易く蒸発させて、水蒸気爆発などものともせずに突き進むと竜の眼前で炎の鎧を振り払い両の拳を持ち上げた。

「その高慢な鼻っ柱をへし折ってやる! アームハンマーだっ!!」

 突き出された鉄鎚は腹部を穿ち、並大抵のポケモンならば一撃で瀕死になってしまう凄烈な衝撃で吹き飛ばされるが、流石はアイクですら手を焼くと言われるだけのことはある。それでも意識を手放すことなく力強く眼を見開いたキングドラは水流の噴射で空中制動し、眼前に躍り出た敵を臆することなく睨み付ける。

「はっはは、やるじゃあねえかあ! だがまぁだ貫けねえぜえ、ハイドロポンプ!」
「キングドラ程のポケモンともなると相当にタフだな、だけど僕らはここからさ! 行くぞヒヒダルマ、アームハンマー!」
「面白ぇ、テメェも飛びやがれえキングドラァ! ぼうふう!」

 目と鼻の先で放たれた鉄砲水も今のヒヒダルマにとっては取るに足りない。鉄槌の一薙で容易く振り払いそのまま殴り掛かろうとするが、キングドラの角が輝くと突如吹き荒れる技名通りの暴風が二匹の間を隔ててそのまま気流に乗って舞い上がっていく。

「逃げられるなんて思わないことさ、上だヒヒダルマ!」
「おいおい調子に乗ってんねーえ、形成逆転した途端随分な強気だあ。もう一度ハイドロポンプだあ!」
「弱気じゃあ君達には勝てないからな。どんな技だろうと届かせやしない!」

 真正面からぶつかったところで一切を灼き滅ぼす火力を前には意味を為さない。ならばと激流を噴き出しながらなお角は輝いて、吹き荒れる烈風が逆波を乗せてヒヒダルマを覆い尽くすように縦横無尽に荒れ狂う。
 いくら音をも抜き去る速度であろうと激瀧の檻に阻まれ全方位から絶え間無く驟雨が降り注げば完全に打つ手がない、他のポケモンならば決して逃れられなかったろう。
 だが災渦に閉ざされているのは他の誰でもない力を最大開放したヒヒダルマだ。絶叫が響いて爆炎を噴き出せば盛大な爆発が巻き起こり、白く覆われた宙から一筋の輝きが飛び出した。

「流石の火力ってえとこだなあ……ぼうふうで飛翔しろお!」

 なおも双角は眩く輝いて逆巻く暴風を意のままに操り、更に身体から水流を噴射することで大空を自在に飛び回るが炎狒々の速度を前にはなお遅い。何度方向転換し逃れようと忽ち追い付かれ軌道の先へ回り込たれてしまい。
 ──あの爆発的な力にもようやく慣れ始めて来たが、破竹の猛進撃を押し留めるのも限界が近い。ならば此処で力の限りを解き放つ。天を衝く号咆を轟かせれば洪水の如く膨大な水量が溢れ出し、氾濫する全てがキングドラの操る暴風に乗せられ狂濤の嵐渦が戦場を襲う。

「っ、これが奴の本気……なんつー馬鹿な規模だよ!? あいつ一匹でダムになれんじゃねえか!?」
「何言ってるんですか!? ってぶわっ、あわわわこっちまで余波が!」
「はは、極限地帯で鍛えられただけのことはあるな! 流石にちょっとやばいかもだが、まあ
──この程度なら問題無い!」

 一切を呑み込み天まで届く程苛烈に舞い上がる嵐は何の呵責も無く悉くを滅ぼし、だが対峙するソウスケとヒヒダルマの瞳はほんの僅かな恐れも無く澄んでいる。
 すぐさま空高くへと舞い上がった炎狒々の全身から溢れ出す抑え切れない炎が幾重もの火柱で空を灼き、烈々と燃え盛る尽滅の劫火がただ一点に収束して。

「これ以上長引かせるのはまずい、この一撃で決めてやる! ヒヒダルマ、フレアドライブッ!!」
「さーあ出し惜しみなんざ必要ねえ、ことごとくを滅ぼしちまいなあ! キングドラ、ハイドロポンプだあ!」

 絶大な力に臆することなく砲台を突き出したキングドラは逆巻く嵐ごと強大な龍を象った激瀧を撃ち放ち、しかし恒星と見紛う膨大な熱を以って降り注ぐ炎の槍を止めることは出来ない。
 惑いなく振り翳された切っ先は一度、二度、三度、形無き水災が造り出す龍の首を蘇る度に切り落とし、幾重にも阻む渦流の障壁を無理矢理の力任せにこじ開けて。
 純然たる力と力の衝突になお惑うこと無き焔は絶え間無く繰り返される爆轟をものともせずに踏み越えていく。凄絶な鬩ぎ合いの果てに立ち塞ぐ悉くを焼き尽くし、深い水底で構えていたキングドラまでようやく届いて……白日の下に晒け出されたその身体を、烈火の穂先が深く鋭く貫いた──。

「やったあーっ! 流石にこれで倒せますよねえっ!?」
「じゃなきゃ化け物すぎんだろ、ってまあ敵が他の誰でも無いアイクだもんな……!」
「大丈夫さ、これで終わりだ。なんていうか、そんな感触だったから」

 外野で盛り上がる二人を尻目にソウスケはやり切ったように大きく息を吐き出して、張っていた肩の力を抜くと微笑みながら振り返る。
 最後に一際盛大な爆轟が起これば吹き荒ぶ黒煙に視界は覆われ、その衝撃を一身に受けたキングドラは破裂するにも似た衝突音と大地の炸裂を響かせて勢い良く焦土へ叩きつけられた。
 少しずつ晴れていく視界に映ったのは、余りある威力で深く穿たれた陥没穴の底に沈む竜の姿。もう何かを紡ぐだけの力も残っておらず、最後に空を仰いで見上げた太陽にいつか見上げた彼方の光をふと思い出して……とうとう意識を失った汪竜は、徐に瞼を伏せて力尽きた。

「良かったです本当……!」
「ふぃー良かった、流石にサザンドラ並みに強かあねえかビビらせやがってこの野郎!」

 四肢から炎を噴射して安全に着地したヒヒダルマも同様に安堵を零してサムズアップしながら歯をむき出しに笑い、揃って対する強大な敵に向き直る。激戦に次ぐ激戦によって荒廃した景色、その先に倒れる竜と聳え立つ最高幹部の姿を。

「……おーいおいマジかよ、てめえまでやられちまうとはなあキングドラ。此処まで火力が跳ね上がるたあたまげたぜぇ」
「鍛えたからな、君達巨悪を討つ為に!」

 焦土の果てに在る最高幹部は口元を歪ませながら虚飾無き素直な感嘆を吐き出した。
 まさか彼までもがやられるなんて思っていなかった、キングドラはアイクの手持ちの中でも随一の実力を誇るポケモンだ。今まで敵と戦って倒されたことなど片手指で数えられる程しかない。
 そう、それ程までのポケモンを彼らは見事に打ち破ってみせたのだ。紆余曲折あったにせよ最後にはヒヒダルマに完敗を喫した、あの猛る焔は全霊を以ってしても掻き消せなかった。
 ──そんな単純な事実が、汪竜にとって何よりも嬉しかった。深い水底に射す光のように、暗闇を照らす灯りのように、否が応でも届くその輝きに……独りで過ごすことしか出来なかった深海での時間が、なんだか報われたような気がして。

「あーあそうかい、そいつぁ何よりだ。そらさっさと戻れえキングドラァ」

 満足げに瞼を伏せて笑う竜に溜息を吐きながらアイクが徐にハイパーボールを翳せば、溢れ出す温かな紅光は宙を裂き倒れ伏すキングドラを優しく包む。
 疲れ果てたその身体を労るような眩い輝きに戦士は穏やかに溶け合って、在るべき場所へと還っていった。

「は、んなことでおれらの勝ちが揺らぐかってんだあ」

 黒白球に帰還を果たしたキングドラが自分の不甲斐無さを悔いるようにカプセル越しに主人を見上げれば、彼はそれでも揺らがなき確信を以って一笑に伏した。
 キングドラが“こおり”状態にされてしまったのは力が足りないからではなく奴らが想定を上回る奮闘を果たしたからだ。はらだいこを積まれたところで最強の相棒が残っている。高らかな哄笑を響かせれば竜は安堵に瞼を伏せて、その脳裏には追憶がふと過ぎる。

「ったくよおう、どいつもこいつも揃って物好き共だぜえ」

 ──アイクとの出会いは今もはっきりと瞼に焼き付いている。暗き深海から浮上し襲い来る全てを薙ぎ払っていた、吹き荒ぶ嵐のただ中に在って誰も届かない力で暴れていた自分を前に、その男と相棒はなんてことはないみたいに暴風雨を踏み越え現れたのだから。
 自分がこの世に生を受けてからその時に至るまで、彼ら程強い生物を見たことが無かった。全霊を賭して討ち倒すと臨んだ戦いは身が竦むような災禍の凶星に敗れてしまい、自ら彼の仲間へと志願した。
 今まで……誰とも相入れることは無かった。他者と隔絶された場所で日々を過ごし、もう独りの時間には飽き飽きしたと遠く降り注ぐ光を目指せばただ在るだけで誰かを傷付け、共存を諦めかけてそれでもと一層荒れ狂う嵐の中で願っていた時にアイク達は現れたのだから。
 彼ら程の絶大な力を持つ者ならば己を従えるに足る主人と認められた。共に生きていけるのだと希望が見えた。

「そんだけ暴れりゃあ十分だあ。あとはおれとサザンドラに任せろお」

 最早光すら見えない、記憶の中の遠き彼方を見渡し徐々に溶けゆく意識の中で主人の優しい声が心に響いた。
 ──嗚呼、アイク達と過ごせて本当に良かった。同じ絶望を分け合った皆と居られる日々はかけがえのないものだった、彼とのおかげで自分達は皆救われた……だから、後は。
 穂村ソウスケと、その相棒のヒヒダルマ。どんな暗闇さえも焼き尽くす程に爛々と輝く彼らならば、きっと。
 この戦いの行く先を見届けられないことだけがほんの少し悔しくて、どんな結末だろうと想像を巡らせながら、とうとう限界を迎えたキングドラは深い眠りについた。

「はっははは……まさかよーお、此処まで追い詰められるたあ思わなかったぜえ!」

 彼の爆発力を評価してはいたが、正直良くてキングドラと相討つまでが精一杯だと思っていた。それがまさか此処まで強くなり、真正面から打ち破って本当に最後の一匹を引きずり出されるなんて思っても見なかった。

「これが僕らの“絆の力”って奴さ! あと一押し、もう少し、そんな積み重ねで此処まで来れた!」

 ソウスケは声高らかに朗らか笑う。所詮“絆の力”なんて見えないものはただの気休めに過ぎないかもしれない、けれどそんな些細なもののおかげでもう駄目だって時も立ち上がれた。背を押してくれる皆が居るから頑張れた。だから僕らは此処まで強くなれた。

「ったぁく、よくもこれ程強くなれたぜえてめえらはあ。最期に暴れに来て正解だったなーあ」

 此処まで食い下がって来るなんて嬉しい誤算に頭を掻きながらアイクが嗤う。全てのジムリーダーを討ち倒し、四天王など大将が敗北した時点でとうに底が知れていて、一部を除いて出涸らしばかりの地で何処まで愉しめるのかと思っていたがとんだ杞憂だった。
 初めて邂逅した時から伸び代があるとは思っていたが、それでもソウスケ達の成長は想像以上だ。単純な“力”の話では無く、きっと広い世界を見回しても彼程に“強い”男などそう居ないだろう。

「喜べえ、おれ達を此処まで追い詰めた敵はテメェとルークくらいだぜえ」
「──フ、君程のポケモントレーナーからお墨付きをもらえるなんて光栄だね!」

 どんな窮地でも愉悦に笑い無理矢理に勝利を奪い取ろうとするその意気や良し。激突に次ぐ激闘により地獄の様相を呈する戦場にただ一人立つヒヒダルマは収まることなく溢れ出す闘争心に胸を打ち鳴らし、抑え切れない炎はなおも世界を紅く焼き焦がす。
 ──もう間も無くで長い決戦に終止符が打たれる。瞬間瞬間細胞が熱く煮え滾り、終わって欲しくない闘争の愉悦に時間よ止まれと願うが否が応にも決着が付く。
 オルビス団最高幹部アイクに残された最後の一匹はサザンドラ、たったの一撃で都市一つすら容易く滅ぼす絶対的な力を秘めし黒龍だ。
 それでも最後の瞬間まで挑み続けて、『星を墜として龍を討つ』。空へ伸ばした手のひらで力強く太陽を握り締め、心に輝く決意を燃やし譲れない誓いに声高く叫んだ。

■筆者メッセージ
ソウスケ「来たぞ!ついに!はらだいこを使ったぞ!」
レンジ「中毒かよ」
エクレア「疲れておかしくなりました?」
レンジ「元々おかしいんじゃね?」
ソウスケ「随分言ってくれるなあ!ちやでもたまらないね、散々暴れ回った奴を圧倒的な力で蹂躙するってのはさあ!」
レンジ「悪役みたいなこと言ってんじゃねえこのバトルジャンキー!」
ソウスケ「悪役は君だろう?僕は忘れていないからな、君がオルビス団として僕らを苦しめたことを」
レンジ「いきなり素に戻んなっての。まずいちいち過去の引っ張り出すな女々しいな」
ソウスケ「レンジに女々しいって言われた!?あのレンジに女々しいって言われたよエクレア…!」
レンジ「ざまあみろってんだバカ野郎、これに懲りたら反省しやがれ」
エクレア「あはは、どっちもどっちですね!ドンマイです!」
ソウスケ「まあ冗談はこのくらいにして、お互い残り一匹だ。僕らは絶対に負けやしない!」
レンジ「おう、頑張れよ!」
せろん ( 2021/08/10(火) 19:08 )