ポケットモンスターインフィニティ



















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第十四章 星を撃つ灼焔
第121話 僕らを繋ぐもの
 ──瞼を伏せれば今でも追憶は鮮明に脳裏を過ぎる。最大の好敵手であり幼い頃から競い合ってきた親友は学業面ならば得意不得意で張り合えた、運動面ならば言わずもがな勝利して来たが……ポケモンバトルだけは、昔から彼に勝てなかった。
 ずっと先を走り続けるその背中には本当に励まされた。何度理不尽に降り掛かる絶望に押し潰されそうになっても最後には前を向いて立ち上がる姿に勇気を貰った。
 ジュンヤは僕の憧れだった、今の自己の形成にかなりの影響をもたらしている。けれど……もしジュンヤと出逢うことがなければ、とそんな“もしも”を考えたことがある。
 無論彼の両親と自分の両親は仲が良く近所付き合いでしばしば交流をしていた為に物心ついた時には一緒だったから、出逢わなかった未来などきっと有り得なかったろうが。それでも、相棒や二人の幼馴染みに貰ったものは数え切れないのだと、なんとなく。
 こんなにも闘争に悦びを抱く者はそう居らず、学校でも表面上に付き合う友人は多かったもののやはりそう馴染めているわけでは無かった。ここまで心を通わせ合える者は相棒達や彼とノドカを除いてそう居らず、今程諦めが悪くもなかった筈だ。
 だから──彼が居なければ、きっと此処まで強くはなれなかった。今も僕とダルマッカは、二人ぼっちだったろう。


****


 青く澄み渡る空の下、激しく繰り広げられる戦闘の余波で焦土と化した戦場に二人の男が向かい合う。かたや雄々しく勇猛な翼を広げる紅き鷲を連れた緑衣の少年。
 明るい茶髪が風に揺れ、力強く瞬く赤褐色の瞳で世界を見据えて口元に闘争の愉悦を強く刻みながら襟を正すと、対峙する嵐の如き暴威を睨め付けた。

「はは、本当に凄いよ……気を抜けばたちまち押し潰される。こんなに愉しい闘いそうはない!」
「良いこと言うじゃあねえかーあ、加減の要らねえ戦いなんてそうは味わえねえからなあ。心ゆくまで壊してやるよお」

 その視線の先に聳え立つのは絶対的な蒼き暴威。群青の髪を逆立て気怠げな瞳を飢えた獣のようにぎらつかせ、筋骨隆々の身体に羽織った蒼き外套の裾が吹き抜ける風に愉快そうに棚引いている。
 オルビス団最高幹部アイク、この世界を脅かして来た巨悪にして今まさに終焉を齎そうとしている組織の最高位に属するその男は闘争の愉悦に高らか嗤う。右手には金色に文字が刻まれた黒と白のカプセル、ハイパーボールを割れそうな程に強く握り締めて内から溢れ出す歓喜に打ち震え突き出した。

「だったら次は……てめえに任せたぜえ。さあーてマンムー、思う存分踏み潰せえ!」

 カプセルの中から覗き込んで来る双眸は期待と興奮に瞬いて、軽く投擲すると溢れ出した紅光は膨大な巨影を象っていく。特徴的な天を衝くように反り返った二本の氷牙を振り払えば纏わり付く粒子がたちまち晴れて、かつて絶えたと思われたその姿が時を越えて現在に顕れる。
 全身を分厚い剛毛に覆われ猪のように突き出した鼻、山のように聳え立つ巨象は丸太のように太く力強い四肢で確かに大地を踏み鳴らす。一万年前の遥か古代に生きていたと言われるにほんきばポケモンのマンムーだ。

「マンムーか、まさか本物をお目に掛かれるなんてね……!」

 巨躯は焦土を踏み締めると冷たい瞳を瞬かせて対する敵を睥睨し、白く躍る冷気を吐き出すと大気を震わせる咆哮を轟かせ苛烈な闘争心を顕にする。
 思わずソウスケが息を呑んだ。それはかつて絶滅したと言われていたが、遠い神奥の地にて再発見されたポケモン。一切を薙ぎ倒す強靭な力、あらゆる攻撃を遮る剛毛に本来弱点の筈のほのおをも寄せ付けぬあついしぼうを備えた相当の強者だ。
 ジュンヤとノドカと共に訪れた博物館で展示されていた復元模型や、現代に生き残る個体が発見されたというニュースはかつて目にしていたが本物となるととても希少だ。実際に連れている人は遠い地方のバトルなどでしか見たことが無い、それが、今目の前に立っている。

「はは、興奮してる場合じゃないな、気を引き締めないと一瞬で終わる。とはいえ……」

 その視線はただ見つめられるだけで芯まで凍ると錯覚する程に深く冷たい孤独を湛え、立ち向かう少年達を一瞥する。それは時代に取り残された寂寞からか、或いは並び立つ者無き強さ故か……なんにせよ、きっと彼を倒すのは相当に骨が折れる。
 マンムーは火力、耐久、速度共に高水準で兼ね備えたポケモンだ。易々と突破出来ないステータスを持つ上に“じめん”と“こおり”という攻撃に優れた複合タイプから有利に相手取れるポケモンは限られて、立ち向かうだけでも骨が折れる。

「君では相性が不利だからね、名残惜しいがここは一旦退がって……」

 下手な後続を繰り出せば忽ち氷河に押し潰されてしまうが……このまま相性が不利のウォーグルを突っ張らせるのも、彼に負担が掛かってしまう。
 だが振り返った猛禽は紅蓮の翼を羽ばたかせ、熱く闘志の迸る瞳を燃やし叫ぶと凍えるような視線に真正面から啖呵を切った。自分はまだまだ戦える、この先にある勝利を掴み取る為ならば如何な強敵であろうと臆せず立ち向かうのだと。

「そうか、ありがとう……君にはいつも苦労を掛けるね」

 それがウォーグルというポケモンだ、ゆうもうの名は伊達ではない。仲間の為ならどれだけ 傷つこうとも戦いを止めず、死すらも恐れぬ誇り高き勇敢な大空の戦士なのだから。

「分かったよ、最後まで暴れてやろうじゃないか!」

 此処で引いても奴を倒すのは至難の業だ、ならば少しでも削らなければいけない。誰かがやるしかない、自分は強いから自分ならそれが出来る。
 確信めいたウォーグルの瞳にソウスケは力強く頷いた、君がそう言ってくれるのならば信じるだけだ。たとえ万に一つの勝ち目だとしても決して諦めない、微かな可能性があるのならば必ず掴み取ってみせる!

「ソウスケさん、相性が不利なのに続投を……それ程の強敵なのですね」
「多分な、マンムーは奴の手持ちの中でも有数の強さの筈だ。そうでもしなきゃ勝てる相手じゃねえってことだろ」

 マンムー程のポケモンを相手に対面から勝てる者は限られる。ヒヒダルマですらはらだいこが無ければ相性不利で勝負は分からない上に、最後の切り札である彼を出すには時期尚早だ。確実に一匹は持っていかれてしまう。
 加えてあの剛毛の装甲は並大抵の攻撃では貫けない、だからきっと彼が適任なのだろう。

「行くぞウォーグル、まずは接近するんだ!」
「はは……景気が良いじゃあねえかあ。撃ち落としてやれえ、つららおとしだあ!」
「僕らはまだまだ飛び続ける! 迎え撃つんだ、シャドークロー!」

 見上げれば蒼穹を背に無数の氷塊が凝結していき、形成された無数の氷柱は重く鋭利な氷槍の如く聳えて忽ち対敵を貫かんと降り注いだ。
 対する猛禽は迷い無く飛び込んでいく。相性の不利も劣勢も慣れている、変わらず全力を振るうだけだと。天を仰いで羽ばたいたウォーグルの鉤爪が迸る漆黒の影を纏いぎらついていて、身を捩り旋回してなお止まぬ凍て付く攻勢に迎え撃つ。

「っ、まさか……」

 だが、……生み出された氷塊を見上げたソウスケが違和感に思わず舌を鳴らす。
 振り下ろされた無数の氷柱を紙一重で次々に躱していき、しかし空を仰いだ瞬間眼前には白銀の氷槍が鋒を突き立てていた。咄嗟に影爪を突き出して軌道を逸らすがウォーグルですらそれが限界だった、“あまりにも威力が高過ぎる”。
 それでも蹴撃で必死に凌いで眼前に躍り出るが、悠然と構えていた巨象が氷牙を翳して紙一重で影爪の踵落としを躱すとそのまま思い切り振り抜かれた。

「しまっ……ウォーグル!?」

 渾身の力で氷牙に胴を撃たれた猛禽は抵抗も出来ず吹き飛ばされてしまい、焦土に背中から激突しそうになり必死に体勢を立て直し大地に爪を突き立てるが、それでも勢いを殺し切れずに後退してしまう。
 技も使っていないのにあの威力とは全く以って恐れ入る、それに加えて的確に攻撃を見切り躱し切る瞬発力……相性の不利も考えると、やはり此処で一気に攻め込むしか勝機は無さそうだ。

「けれどその程度でやられる僕らではない、まだまだ戦えるだろウォーグル!」

 当たり前だ、そう言わんばかりに即座に頷き力強く真紅の翼を羽ばたかせた猛禽は蒼き大空を背に声高く叫ぶ。この程度窮地でも何でもない、如何な怪力であろうと真正面から乗り越えるのだと。

「……とはいえあの威力は強すぎるな、一撃でももらってしまえばお終いだ」
「ま、てめえならなんとかなんだろ」
「当然さ、当たらなければ問題ない。恐らく持ち物はこだわりハチマキ、ならばつららおとしだけを警戒していれば良い」

 思わず感嘆を吐き出すが、レンジもそれを理解しているのだろう、全幅の信頼を向けて来て彼も易々と応えてみせる。多少のプレッシャーを感じながらも高らか笑い戦場を一望した。
 元来マンムーは相当の力を持つポケモンだが、それでもあのウォーグルをして凌ぐのが精一杯な程では無い筈だ。それに先程からマンムーは“つららおとし”しか技を使用しない、眼前まで接近した時ですら何の技も使わずに自身の肉体で迎え撃ち。
 きっと彼が持っているのは“こだわりハチマキ”、一つの技しか出せなくなる代わりにその威力を底上げする持ち物だ。ならば攻略の糸口もあるだろう。

「……ん、どうしたエクレア」
「あ、いえ、大したことではないのですが。せっかくこだわるのに“こおりのつぶて”ではなく“つららおとし”なんだなと思って」
「ああ、分かるぜ、確実に警戒してやがるな」

 “こおりのつぶて”、それはこおりタイプの中でも威力が低いが、その代わりにかなりの速度で放つ技だ。仮に推測が正しければ相手が手負いのウォーグルを倒すにはそれでも事足りるはずだ、エクレアが言いたいのはそういうことだろう。
 無論アイクがその先を見据えているのは彼女も承知している。威力の低い技で縛ってしまえば後続に対しての圧力が少なくなる、何よりあの男が警戒しているのはソウスケの相棒ヒヒダルマだろう。仮に繰り出され“はらだいこ”を発動する猶予を与えれば一気に戦局が傾いてしまう、だから威力の高い技を選ぶことによりそれを牽制しているのだ。

「行くぞウォーグル、攻めて攻めて攻め込むだけさ!」
「はは……どっからでも受けて立つぜえ! つららおとしだあ!」

 いずれにせよ自分達に退路はない、嵐だろうが氷河だろうがどんな逆境にだって真正面から飛び込むだけだ。無数に放たれた巨大な氷槍を前にしても臆することなく躍り出て、絶え間無い攻勢の渦中に身を躱し身体を捩りほんの微かに生まれる間隙を掻い潜り、一歩ずつ着実に前進して行く。
 対して悠然と聳え立つ巨躯は僅かも動ずることなく、吐き出した白い息は戦場の熱など知らず軽やかに踊る。たとえ優勢であろうと慢心は無い、青空を駆る紅き軌跡を睨め付け重く冷静に身構えていた。

「そんな無茶苦茶な! って普通なら言いたいですが…….」
「ああ、あいつはただの馬鹿じゃねえ……大馬鹿だ。待ってやがんだ、奴が勝負に出るその瞬間を」

 他でも無い自分がそうやって足を掬われて来た、彼は劣勢だろうと敢えて攻めることで相手の隙を誘発するのだとレンジは笑う。奴は厚かましく目障りな程に強く己を貫き、自身の狙った一撃を通す為ならどこまでも耐え続けどでかい反撃をぶちかましてくる。
 だから、あの確信に満ちた瞳を見れば嫌でも理解出来る。今は劣勢の中で必死に勝機を探して足掻いているように見えても、その先に確かな糸口を見据えているのだと。

「奴はずっとそれを狙ってやがる、たった一瞬の勝機に全てを懸けて。あの怪物には……そうでもしねえと届かせられねえからな」
「ウォーグルもすごいです、どんな状況だってソウスケさんを信じていて……昔はあんなにきかんぼうだったのに」
「はは、まあ気持ちは分かるけどな」

 そういえば、とウォーグルはふと思い出す。ソウスケとは何度と険しい修羅場を越えて来たが、自分が進化した時の試合も相手は不利なこおりタイプだった。それも大トリを任される程の実力を持ち二匹を立て続けに倒した実力者であり、対して当時の自分は未だに進化しておらず──それでも、彼を信じたからこそ勝利を手に出来た。
 今回の敵は桁違いの強敵だ、あの時のように上手くは行かないかもしれない……けれど想いは何も変わっちゃいない。負けてしまうのは堪らなく悔しい、自分を信じてくれる皆の想いに応えたい、何より一緒に戦って来た皆で勝利を掴み取りたい。
 だからどんな苦境に立たされようと絶対に諦めたりやしない、ソウスケを信じて最後まで戦い抜いてみせる!

「おーいおい、バテるにはまだ早いんじゃあねえかあ?」
「案じずとも僕らもここからさ! 来るぞウォーグル、飛び込めえっ!」

 なおも氷槍は突き出され、時に翼を掠め胴を貫く寸前で辛うじて躱しなおも避けられないものは強靭な脚に纏った影爪で逸らし、絶え間無い攻勢と凄まじい冷気の中を必死に掻い潜っていく。
 だが、今度はそれだけでは終わらない。マンムーが咆哮を轟かせると周囲を取り囲むように円状に氷錐が連なって、猛禽を貫かんと一斉に解き放たれた。
 四方八方を塞がれなお不屈に燃える眼を瞬かせたウォーグルは振り返り様に力強く主人を呼び掛け、その瞳から伝わる固い意志にソウスケも頷くと大きく息を吸い込んで、突き抜ける空に声高く叫ぶ。

「だったら僕らも全力だ、本気で迎え撃ってやる! 解き放てウォーグル、ブレイブバードォッ!!」

 彼らの攻勢を掻い潜るには最早出し惜しみなどしていられない、それにたとえ此処を乗り越えたとして苛烈な攻勢は止む筈が無い──だったら無理にでも乗り越える。翼を折り畳み弾丸の如く弾き出された大鷲は降り注ぐ氷塊を厭わず空を駆り、自らを貫かんと迸る氷槍に臆することなく飛び込んだ。

「ソウスケさんっ、大丈夫なんですか……!?」
「さあな、すぐに分かるさ!」

 自身の身体よりも大きい氷柱の鋒とウォーグルの硬く雄々しき嘴が衝突、しかしその威力は余り有る強さだ。最初は拮抗していた二つの技が次第に均衡を崩して行き、巨象が確信を抱きながらも用心深く睥睨し吐息を吐き出した瞬間に猛禽の懐から宝石が零れ落ちた。
 それはひこうタイプの技の威力を底上げする“ひこうのジュエル”、劣勢に追い詰められ間も無く押し切られんとしていた猛禽が主人と共に咆哮を響かせ瞬間鬩ぎ合っていた氷柱がひび割れ忽ち亀裂が走っていく。

「はっは、そのくらいはあるよなあ! だがよおう……まあだ足りねえぜーえ!」
「だろうね、だから届くまで……何度だって!」

 そしてついに炸裂すると氷片を突き抜けてマンムーの眉間目掛けて飛び込むが、巨象は咄嗟に横飛びし紙一重でそれを回避する。だが相手は瞬発力にも優れている、そのくらいは無論想定済みだ。

「まだだ! 言ったろ届かせるって、僕らの底意地を見せてやろう!」
「食らい付けるかあ! 良いねえ、しつけえ野郎だあ……!」

 巨象が真横をすり抜ける弾丸を一瞥すると、やはり彼らはまだまだ諦めていないらしい。強靭な脚を伸ばしてその鉤爪を焦土に突き刺して力業で無理矢理方向を転換し、咄嗟に距離を取らんと後退するマンムーの前についに躍り出た。
 振り下ろされる幾重の氷柱を越え、聳え立つ氷塊をも越え、その先へようやく想いが届いたとソウスケが叫べば応えるようにアイクが悦びに哄笑をあげる。

「つららおとし、終わらせてやるよお!」
「そうは行くか、自慢の脚力を見せ付けてやるぞウォーグル! フリーフォールだ!」

 無数の氷槍が翼を貫かんと無慈悲に突き立てられ、雄大な二本の氷牙が雄々しく冷ややかに振り翳される。だがとうに退路なんて絶っている、攻め込むなら今しかない──お互いに!

「随分嬉しそうじゃあねえかーあ……ははっ、てめえの本気を見せてみろお!」
「生憎既に全力だが……そう言われたら応えないわけにはいかないね。本気の本気で切り込むぞ! 今だウォーグル、解き放て!」

 勇猛な翼で大空を駆り絶え間無く襲い来る氷柱の鋒を躱し逸らして必死に間隙を切り抜ける。迎え撃つ湾曲した巨大な氷牙が喉元を掠めるが咄嗟に半身を切って紙一重で躱し、すかさず真横をすり抜ける双牙を両の鉤爪で鷲掴み。あついしぼうに覆われた巨躯すらをも易々と持ち上げてみせ、渾身を奮い羽ばたいた。

「よっしついに届いたな! やれえソウスケ、ウォーグル、ぶちかましてやれえ!」
「流石です二人とも! これで、今度こそ……!」

 レンジとエクレアが歓喜に叫ぶ。
 見上げれば焦がれ続けた蒼い空、足元では巨躯が振り剥がさんと足掻き氷柱を形成するが一度掴んだら意地でも離してやるつもりはない。
 氷柱が翼を掠め、胸を切り裂き、それでもなお直撃だけは避けてただ空へと舞い上がる。燦々と照り輝く眩い太陽を目指して強く、強く飛翔して──眼下に広がる焦土に深く息を吸い込んだ。

「は、その程度ぉ……じゃあねえよなあ」

 意識が朦朧とし始めたことで興奮がやや鎮まり始め、こんな時になって彼方に置き去りにした痛みが蘇ってきた。息をするだけで身体が軋み、刻まれた無数の創傷が酷く響く──それでも大鷲は自身に喝を入れ咆哮を上げて。
 残された力を振り絞り、鷲掴みにしたその巨躯を軽々と振り回して最大限まで速度を上げて急降下する。猛然と迫る地面に巨象は臆することはない、眼を見開き身体を捩ると辛うじて体勢を立て直し、極力衝撃を軽減させて背中から地面に衝突。
 すぐさま体勢を立て直し見上げた視界には、眼前に落ちる大空の勇者の巨影。

「そうさ、これが僕らの本命だ……こいつはどうだ! 行けえウォーグル、ばかぢからっ!!」

 刹那零度に瞬く冷たい瞳と闘志に熱く燃える瞳が交錯する、一つの問いを投げ掛けて。
 何故そうまでして戦うのか、聳え立つ巨象が追憶を脳裏にぽつと零す。ただ一人凍土に閉ざされ時間に取り残された自分を主人が見つけ出してくれた、仲間達と心を通わせ共に臨む戦いが楽しいからだ。友さえ居てくれれば世界がどうなろうがどうだって良い、そんな喜びの赴くままに進んでいるだけだと。
 大空を駆る勇者が答える、仲間達を守る為だと。どれだけ傷付こうが仲間を失ってしまう悲しみに比べればなんてことはない、一人で勇無き力を求めていた過去の自分に馬鹿な主人が本当の強さを教えてくれた。だから彼らの為なら死んだって良い、それで活路を拓けるのならば構わない。

「……ハ、効かねえなあ。つららおとしだあ」

 そして、疲労困憊の身体に鞭を打ち残された全てを振り絞る。強靭な脚に全身全霊を込めて、渾身の力を以って解き放った一撃が対峙する巨象の眉間を貫いた。
 流石のマンムーといえども効果抜群の一撃を受けた衝撃は生半可なものでは無い。その勢いを殺し切れずに数メートル程も後退し、しかしすかさず咆哮を轟かせると空中に一際巨大な氷塊が凝縮していく。
 「まずい、避けろ!?」そう必死に叫ぶソウスケの思いは届かない。ここまで積み重ねて来た数々の無理が一気に押し寄せて、耐え切れずに地に堕ちてしまったウォーグルへの手向けとばかりに降り注いだ。

「っ……ウォーグル!?」

 それはさながら氷で出来た棺のよう。深く突き刺さった零度の槍が忽ちひび割れ瓦解して、落下した無数の破片に埋もれたウォーグルの翼が微かに瓦礫の底からはみ出している。
 いくら正念場とはいえ流石に無理をさせすぎてしまったのだろう、その欠片を持ち上げて動き出す気配など見えやしない。──戦闘不能だ。

「お疲れ様ウォーグル、よく頑張ってくれたね、ありがとう。後は仲間達に全てを託して……今は、ゆっくり休んでくれ」

 モンスターボールを翳せば迸る光が疲れ果てた戦士を呑み込んで、がらがらと音を立ててのしかかっていた氷が崩れ落ちていく。カプセルの中から覗き込んでくる瞳は負けてしまった屈辱とやり切ったような充足感、何より後に控える仲間達への強い信頼に満ちていて、ソウスケが微笑みながら労うように頷くと……彼は安堵に胸を撫で下ろして、深い眠りに落ちていった。
 本当に変わったな、心の中で徐に呟く。かつては自分を第一に戦いに臨んでいたワシボンが、仲間達の為に全てを賭けて道を切り開くウォーグルへと進化したのだ。そんな彼の主人で居られることに改めて感謝を告げながら紅白球をベルトに装着した。

「……ふう、これで残りは四匹か」

 だがそんな呑気なことばかり言ってはいられない、不利なタイプだったとはいえまたも先んじて倒されてしまい未だ劣勢には変わりないのだ。大きく息を吸い込んで、吐き出して頭を冷やすと広げた掌で吹き抜ける清涼な風を感じて戦場を睥睨する。

「……まさか、効果抜群の一撃を食らってあれ程までに速く立て直すなんてね」
「ハ、まあ悪かぁ無かったがあ、所詮は不一致ってこったなあ」

 眼前に聳えるのは恐らく“こだわりハチマキ”を持ち高い水準で能力がまとまった強力なポケモンのマンムーだ、それを従えるは何度とこの地方を脅かして来た巨悪の幹部アイク。
 今まで戦った中で最凶の敵は易々と付け入る隙など与えてくれない。持てる全てを振り絞ってなおも食い下がるのが精一杯で、ブレザーの襟を正して苦笑を零しながら空を見上げた。

「確かに大した傷を負っている素振りは見せないが、確実にダメージは蓄積している」

 瞼を伏せれば、今もその裏に焼き付いている。ウォーグルは自身の傷も厭わず決死の覚悟で最期まで戦い抜いてくれた、その勇壮なる激闘は確かに希望を繋いで。蟻の穴から堤も崩れる、たとえ今は目に見える影響が無くとも必ず切り崩せる筈だ。

「だから、次こそ氷河を打ち壊してやるさ」

 既に次に繰り出すべきポケモンは決断していた。空を仰げば、自分は多くの仲間の協力によって今も最凶の敵と鎬を削り合えるのだと実感する。
 あの凶暴龍が帰還するまで耐え続けてくれたコジョンド、決死の覚悟で“でんじほう”をぶち当て後に繋いでくれたジバコイル、逆境に果敢に立ち向かい活路を開いてくれたウォーグル。いや、この蒼くどこまでも広がる大空すらも友が決死の覚悟で整えてくれた舞台だ。
 だから、そんな仲間達の想いを無駄にしない為にも此処で必ず勝利する。まずは山嶺の如く聳え立つ巨象からだ!

「さあ準備は出来てるな、もう一度君に任せたぞ! 来いコジョンド!」

 力強く掴み取ったモンスターボールを翳せば鮮やかに赤が照り返し、カプセルの向こうで鼬が確信に拳を握り締めて頷いてみせる。自分達の想いはただ一つ、勝ってその先に突き進む──臆することなど何も無い。
 勢い良く投擲した紅白球は空を切り裂き戦場に飛び込んで、色の境界から二つに割れると夥しい紅光が眩く溢れ出していく。
 焦土に象られるのは突き出た鼻にしなやかな四肢、腕の先から鞭のように伸びる特徴的な毛束を払えば纏わり付く粒子も弾け散り、ぶじゅつポケモンのコジョンドが敵を討たんと再び姿を現した。

「おーいおい、案の定くたばり損ないじゃあねえかあ。ちったあ愉しませてくれんだろうなあ?」
「なあに、手負いの獣は恐ろしいぞ。鼬の最後っ屁を見せてやるさ!」
「だってよおマンムー、良い度胸じゃあねえかあ。その威勢がいつまで保つか楽しみだぜえ」
「最期まで! 一気に攻め込むぞコジョンド!」

 刹那両者の視線が交錯。軽く跳躍し感触を確かめてから両脚に溜めた力を一気に解き放つち、地を蹴り弾き出された鼬の体躯が刹那に流れ風を切り裂いた。
 対する巨象は強靭な四肢で大地を踏み締め「つららおとしだあ!」忽ち零度を越える冷気を凝縮させて、形成した無数の氷槍が冷酷無慈悲に狙いを絞り次々と焦土を貫いていく。

「その程度! どうせなら利用してやろう!」

 だが超高速で大地を駆るコジョンドを貫くまでには至らない。緩急を駆使して一つ一つを的確に躱しことごとく間隙をすり抜けて、更に頭上目掛けて落下した氷柱を加速して追い越すと舞うように軽やかに跳躍。背後に突き立てられた氷壁を蹴り付け空中へと高く飛び跳ねる。
 続けて頭上で形成されたばかりの氷柱を追い越してその側面に着地すると再び強く蹴り付け視界の端を掠めた氷槍に飛び移り、次から次に空の足場を伝い瞬く間に山の如く聳える巨象の頭上へと躍り出た。

「これならどうだ、僕らの全力! とびひざげり!」
「ハ、んなもんかあ……迎え撃てえマンムー!」

 眼下に構える強敵の威圧を前になお恐れなど上回る闘争心で鼓動が高鳴り、全体重を乗せて突き出した渾身の膝蹴りを眉間目掛けて突き出すがやはりマンムーの防御は容易く突き崩せる程ヤワではない。
 振り翳された氷牙に側面から殴り付けられ一撃を届かせるより速く弾き返されてしまい、追撃とばかりに頭上に氷槍が顕現するがコジョンドとてそう易々と捉えられやしない。咄嗟に体勢を立て直して鞭で地面を叩き付けると反動で無理矢理自身の軌道を逸らして、間一髪のところで躱し切ってみせた。

「だったらこいつはどうだ、きあいだま!」

 一度防がれた程度で諦めやしない。再び地を蹴りすぐさまマンムー目掛けて跳躍したコジョンドは的確に狙いを定め迫り来る氷柱の側面をサマーソルトで蹴り付けて、その勢いで改めて巨象の頭上に躍り出ると力強く両掌を広げて渾身の闘気弾を立て続けに発射。
 なおもマンムーは動じずに容易く牙で連弾を弾いてその先に舞う敵を貫かんと風を切るが、此処まで来たら突き進むだけだ。鼬はそのしなやかな体躯を生かして決死で身を捩り頬を掠める刃をすり抜けて、ようやくその懐に潜り込むと目と鼻の先で互いの双眸がぶつかり合って。

「今度こそっ、届けぇ! とびひざげりだぁっ!!」
「ハ、残念だったなーあ……此処まで読み通りだあ」

 互いに勝たなければならない理由がある、その瞳から伝わって来る闘志は何も言わずともそれを物語る。だが勝つのは自分だ、そう吼えるコジョンドの意気を認めるようにマンムーも挑発的に鼻を鳴らして迎え撃つ。
 もう一度、今度こそ、深く身を屈めて限界まで力を込めて、全体重を膝蹴りに乗せて解き放たれる──それでも牙城は崩せない。すかさずマンムーは身を引きながら仰け反って、渾身の一撃すらも鼻先を掠めて飛び越えてしまった……そうだ、これで良い。

「だろうな、そうでもなければ君達がそう易々と接近を許すわけがない! だが僕らの狙いはここからさ!」

 頭上で氷柱が形成されていき、身を翻す鼬の脇腹に狙いを定めたその鋒を最早避け切れないだろう。けれど相手がどれ程の強敵であろうと瞬発力ならばコジョンドが上回る、刹那主人と視線を交錯させると両腕を振り上げ鞭を翳した。

「これでやっと……僕らの二の太刀を受けるが良い! はたきおとすだ!」

 ようやく届いた、勝利へ繋がる自分達の想い。振り下ろされた鞭毛がしなるとその速度は音速をも越えて、分厚い剛毛という鎧に覆われた巨象を切り裂くには十分な威力に達したその先端が身を躱さんとする側頭部を疾く鋭く切り裂いた。
 ──傷は浅い、それでもこの状況を切り抜けるには十分だ。衝撃でマンムーが僅かに揺らいでしまうと今にも貫かんと突き立てられた氷柱が鋒からひび割れ瓦解していき、一陣の風が吹き抜けて彼が装備していた“持ち物”が流されていく。
 それは予想の通りの赤い丸が描かれた白布“こだわりハチマキ”、体毛の下に隠されていたそれを決死の一撃でついにはたき落としてみせたのだ。
 これで厄介にも程がある馬鹿火力をようやく奪えた、けれど安心するのはまだ速い。巨象の背後に着地したコジョンドはすり足で咄嗟に距離を取り、すぐさま振り返ったマンムーが大きく息を吸い込むと耳をつんざくけたたましい咆哮が轟いた。

「助かるぜえ、これで漸く……邪魔な枷が消えたからなーあ」
「なん、だって……!?」

 それでもなおアイクは不敵に哄笑をあげて、その瞬間凄まじい威圧に全身が総毛立ち大気が震える。咄嗟に見上げれば大空を背に受け膨大な雪塊が収束していき、その言葉の意味が即座に理解出来た。
 ──“こだわりハチマキ”は確かに強力な効果を持った道具だ、放つ技の威力を跳ね上げる。けれど代償として一つの技しか繰り出せなくなってしまう……その拘束からついにマンムーは解き放たれたのだ。

「だぁから言ったろお、読み通りだあってなーあ! マンムー、ゆきなだれだあ!」
「頼む、間に合ってくれ……コジョンド!!」

 対峙する敵の制圧と後続への圧力を掛けるという役割を十分に果たした今その道具が不要になったのだろう、だから巨象は身を逸らしてダメージを最低限に抑えながら敢えてハチマキを断ち切らせたのだ。
 いや、今はそんなことよりも。マンムーが怒号を響かせると宙に積もり積もった膨大な雪塊が解き放たれて、堰を切るように溢れ出す大技は必死に叫ぶソウスケの声など容易く掻き消し降り注いでいく。
 まさしく雪崩の如く押し寄せる大雪を到底避け切ることが出来ず、それでもコジョンドは目を逸らすことなく見据えたままに白き大河に飲み込まれてしまった。

「おい、大丈夫かコジョンド!? 聞こえているなら返事をしてくれ……コジョンド!!」

 “ゆきなだれ”は相手から遅れて放つことで威力を倍増させる特性を持つ大技だ。こおりタイプの中でも最大級の威力と範囲を伴い襲い来る雪崩は一切の容赦が無く、それでも……信じている、彼ならばきっと無事な筈だと。
 けれどソウスケが何度とその名を呼び掛けえみても白く降り積もる雪塊が、その底に埋もれている筈の身体が動くことは無い。数瞬を経ても鼬の声は未だ返って来ず、対するマンムーとアイクの瞼はなお警戒を以て訝しげに細められた。
 爛然と燃える闘志が迸る青年の瞳とは裏腹に冷たい静謐が無慈悲に戦場を包み込み、未だ続く激戦の中で呼吸も忘れてしまう暫時の緊張が過ぎていく──。

■筆者メッセージ
エクレア「そういえばソウスケさんの学生時代ってどんな感じだったんですか?」
レンジ「へ、よくぞ聞いてくれたな。そう、おれは小学生の頃には神童と呼ばれ、中学生でも」
ソウスケ「うるさい。そうだね、僕は帰宅部でずっとバトルの練習や勉強、鍛錬にゲームばかりしていたよ」
レンジ「へえ、お前勉強とかするんだな。戦うことしか考えてねえみたいな顔しといて」
ソウスケ「失礼じゃないか?まあ色んなことでジュンヤと張り合ってきたからね、必然的に勉強もってわけさ」
エクレア「じゃあゲームはどうだったんですか?やっぱり三人でやってたとか」
ソウスケ「ああ、うん……強かったよ、ノドカ」
レンジ「あいつ上手いの!?」
ソウスケ「いや、決して上手くはない……むしろ下手なんだ。だがだからこそ予想が出来ずおまけにここぞという時の運が良いから、勝ったり負けたりだったね彼女とは……」
レンジ「まあなんだ、下手なのに負けると悔しいよな……」
せろん ( 2021/04/21(水) 12:59 )