第120話 闘争の愉悦
迸る力と力は譲れぬ想いを乗せて鬩ぎ合い、膨大な稲妻と迎え撃つ影は激しく辺りを焼き焦がしながらなお押しも押されもせず鎬を削り合い続ける。
けれどジバコイルが放った技は“でんじほう”、触れた者をその威力で痺れさせ問答無用でマヒにしてしまう大技だ。ほんの一瞬身体が痺れてしまったことでヨノワールの力が僅かに緩み、途端に形勢が傾くと突き出された影ごと焼き払われてしまった。
──突き抜けるような青空を背に舞い上がる黒煙が世界を閉ざし、暫時の静寂はなお胸を掻き乱してその先に在る筈の強敵を用心深く睨み付ける。
「……はは、やはりか」
「やったあ! って諸手をあげて喜びたいですが……」
「おう、アイクのポケモンがこんなことで倒れるわけがねえ」
騒がしく高鳴る鼓動を握り締める緊張に否が応でも心が騒ぐ。分かっている、相手はこの世界の頂点に並ぶ程の強敵だ、これだけ必死で食い下がってなお倒せるような敵ではない。
それでも必ず勝利してみせる。ブレザーの裾が風に舞い、襟を握りながら凝視していると次第に晴れ行く景色の中で煙に紛れ対するヨノワールの大きな口が開くのが見えた。
「はっは、良い夢見れたかあ?」
「おかげで今も夢心地さ、まだまだ僕らも終わらない!」
彼は大きな手のひらで握り締めた黄色い果実を丸ごと放り込んで腹部の口で何度と咀嚼し、徐に味わうとそのまま芯まで飲み込んでしまう。
それは傷付いたポケモンの体力を忽ち回復する果実オボンのみ。ようやく瀬戸際まで削ったにも関わらずすぐさまその巨躯が再び力を漲らせ、影も残さぬ勢いで弾かれるように動き出した。
「振り絞ってくれ、かみなり!」
「なぁるほどなあ……それがてめえらの。だがお陰で肩が軽くなったぜえ、シャドーパンチィ!」
言うが早いか動き出したジバコイルは両ユニットを高速回転させて瞬時に膨大な電気を収束させていき、ここまで傷付いてなお意気衰えぬ激しい雷を解き放って迎え撃つ。
だが此処は遅い者程速さを得る摩訶不思議な空間だ、加えてでんじほうの直撃を受けマヒ状態になってしまったヨノワールはただでさえ低い素早さが下がってしまっていて。ヨノワールは先程までよりもなお疾く、風を抜き去る程の速度で駆け抜けた。
「ったく、しかたねえとはいえ速くなんのはめんどくせえな……!」
「とはいえ勝機は十分に繋がりました、頑張れ頑張れジバコイルーっ!」
影の巨躯が膨大な稲妻を掻き分けながらなお迫って来るが、流石に悉くを躱し切ることは出来ず無傷では済まない。腕や下半身、ところどころを焼かれながらそれでもジバコイルの背後へと回り込み、全体重を乗せて振り返り様の金属塊を渾身の力で殴り付ける。
鈍く重たい衝突音が響いて、既に疲労困憊で余力の無いジバコイルにその一撃を受け止め切れない。精一杯の抵抗も虚しく吹き飛ばされると背中から地上へ激突してしまった。
「……ありがとうジバコイル、君はこの劣勢の中でよく頑張ってくれたよ。おかげで追い詰めることが出来た」
ごとん、と重たい音を立てて眼前に墜落したジバコイルは流石に意識を失ったのか瞼を伏せて動かない。体力を奪われあれだけの苛烈な攻勢に呑まれてはいくら防御に秀でた彼といえど耐えていられる筈がない、戦闘不能だろう。
最後まで勇猛に闘い抜いてくれた戦友へと感謝の意を込めた微笑みを送り、腰に装着されたモンスターボールを握り締め瀕死の身体に振り翳したが──その瞬間ジバコイルの両の眼が見開いて、ユニットが高速回転しめくるめく火花が迸っていく。
「そうか、君の闘志はまだ……!」
最早痛みに意識を保つことすら難しい、それでも……まだ、出来ることがあるというのなら。大切な主人と生きていくこの世界を何としても守り抜きたい、あの大舞台でライバル達との決着を付けたい、仲間達との平穏を守りたい。まだまだまだまだやりたいことがある、だから──。
「僕らは何度倒れても立ち上がる、倒れた仲間達の意思を継いで……目障りな敵を討ち倒すまで! 行くぞジバコイル、かみなりぃっ!!」
半ば無意識で動かない身体に鞭を打つ。ついに解き放たれた今際の雷は瞬く間に大気を切り裂いて空を焼き焦がしながら突き進み……しかしヨノワールが目を見開いて咄嗟に半身を躱すと、その電撃は巨躯を掠めて晴天の彼方へと突き抜けていく。
「まーあ所詮は最後っ屁、気概は結構だがぁ……んなもん届きゃあ苦労はねえ」
もう鋼鉄の身体には僅かも力が残されてはいない。どれだけ必死に叫んでも身体は言うことを聞いてくれず、今度こそ……力尽き戦闘不能になってしまったジバコイルは、身動き一つ出来ずに意識が深く沈んでしまった。
「──感謝するよ、ありがとうジバコイル。君は本当に頑張ってくれたね……あの劣勢からよく戦ってくれた」
流石にはがねの耐久を誇るジバコイルといえど体力は限界らしい。当然だ、あれだけの苛烈な攻勢に晒されたのだからむしろよく耐えてくれた。
深く息を吸い込んで、吐き出したソウスケは風を感じながらモンスターボールを翳すと、迸る紅光に呑まれた戦士は瀕死の傷を癒す為に安息の地へと誘われていく。
「お疲れ様です、よく頑張りましたねジバコイル! あなたの勇姿は確かに見届けましたから!」
「そう悲しむことはない、まだまだ勝負は始まったばかりさ。あの劣勢からここまで巻き返せたのなら御の字だろう」
握り締めたカプセルの中から見上げて来るジバコイルの両眼は罪悪感や無念を映したように伏せられているが、ソウスケはなんてことはないみたいに首を振って笑って見せる。
なにせサザンドラと一度だけ目にしたプテラ以外相手の出方も戦法も分からない難敵だ、そんな敵から初見殺しを喰らってこの程度の被害で済ませられたのは彼の奮闘あってこそなのだから。
「お互いに最善を尽くして戦い抜いたんだ、だから後は仲間達に任せれば良い。そうだろ、僕らは二人ぼっちじゃないんだ」
後から結果を見るならば幾らでも言える、けれど自分達は瞬間瞬間に全霊を込めて必死に闘い抜いたのだ。それを誰より自分が理解している、だから己を恥じる必要は無い。
少年の眼差しはそうジバコイルに語り掛け、彼は納得してくれたのか呆れたように瞼を伏せると、もう体力は限界だと後を託して眠りについた。
「ふーっ……いやあ、ははっ、やられたなあ!」
カプセルの先で眠りについた友を見届けたソウスケが腰に装着しながら大きく息を吸い込んで、感嘆と共に緊張を吐き出すと思わず腹の底から喜びが零れる。
「本当に厳しいな、流石は最高幹部だよ。ジバコイルが頑張ってくれなきゃどうなってたか!」
「の割りには嬉しそうだけどな。ま、どうせお前のことだし呑気に楽しんでんだろソウスケ」
……正直なところ、終始相手に流れを持っていかれて滑り出しとしてはこれ以上無いくらいに最悪だった。
ほんの刹那でも緊張を緩めれば一気に圧倒的な暴威に押し潰されてしまう、それでもなお闘志が毀れず胸に確信を抱けるのはそんな逆境を跳ね返すジバコイルの奮闘のおかげだ。
「勿論さレンジ、こんなかけがえない時間楽しまなきゃあ勿体無いだろ!?」
「くす、流石にソウスケさんくらいだと思いますよ」
呆れ混じりに溜息を吐く友を背にソウスケはなお溢れ出す悦びに満面の笑みを浮かべ眼を見開き、興奮を露わに言葉を返して少女が思わず苦笑を浮かべ、対峙するアイクも感心したように無言で頷く。
──僕らはまだまだ戦える、ほんの一筋でも勝機はある。最後まで諦めずに勝利をもぎ取ろうとするジバコイルの勇姿と闘志は、カプセル越しに眺めていた皆と自分にも確かな勇気を与えてくれた。
「流石僕らは気が合うね。君以上の適任は居ない、ちょうどそう思っていたところさ」
だからこそ、それを無駄になんて出来ない。次に繰り出すべきポケモンを決めあぐね右手を泳がせていると、紅白球の一つがカタカタと揺れる。
自ら名乗りを上げたのは紅き大鷲、その勇ましさは音に聴くもうきんポケモン。黒竜の攻撃を必死に凌ぐコジョンド、闇霊の猛威に屈することなく食い下がり一矢報いたジバコイル、仲間達の奮闘に居ても立ってもいられなくなったのだろう。
「ああ──世界は本当に広いんだな。こんなに強いトレーナーが何人も居るなんて、流石に面白すぎるだろ」
迷いを払い腰に装着されたモンスターボールを掴み取ったソウスケは徐に襟を正して瞬いて、騒がしく早鐘を打ち鳴らし続ける鼓動を握り締めながら爛然と瞳を燃やし顔を上げた。
青く突き抜ける空はどこまでも広く、吹き流れていく柔らかな風は分け隔てなく頬を撫でてさわと茶髪を揺らし過ぎていく。
迎え撃つ最高幹部はあまりにも強すぎる力で終末へ臨む皆を絶望の淵へと堕として来た、だからこそ……ふとたわいもない疑問が口をついてしまう。
「なあ、何故なんだアイク。君はそんなに強いのに……どうして、最高幹部に属しているんだ?」
ずっと、心のどこかで引っ掛かっていた。彼は他の追随を許さぬ強き力で蹂躙を為すが、戦う意思の無いものには然程の興味を示さない。何より立ち向かう勇気のある者を捩じ伏せる時に闘争の愉悦に嗤っていた。
だが、ただ強い相手と戦いたいのならこの世界には『チャンピオン』が居る。揺るがなき頂点が在るのだからその座に就く必要などなかったはずだ。
「ちと違えぜーえ、おれぁ“強いから”此処に居るってなあ」
「……そうか、じゃあやはり」
暴君の眼が刹那揺れて、爛然と迸る渇望の赴くままに嗤う。悉くを踏み躙り続けて来た彼だからこその答えを口を尖らせながら吐き捨てて。
──きっと、その答えを僕は知っている。僕にとっては到底縁の無い悩みではあるが……だからこそ彼のあまりにも強すぎることを、『強いから』という言葉の意味を考えれば想像はそう難しく無かった。
「たぁく、だからよおう……息もままならなかったぜえ」
「やれやれ、僕がジュンヤなら『そんなことはない』なんて言えたのだろうがね」
「所詮は同じ穴の狢ってこったあ、じゃなきゃあ手前から死地は踏まねえ」
友は自分とは違って何よりも世界を愛している、きっとジュンヤならば彼の言葉を真正面から斬り捨てられたのだろう。けれど、己にはその言葉を否定は出来ない。
無論自分とて世界を愛してはいるものの……それ以上に、魂を削るような闘志のぶつかり合い、灼け付く程に激しく迸る戦いの熱に何よりの愉悦を抱いてしまうのだから。
「多少なりとも自覚はあるさ、恥ずかしいばかりだけれどね」
己には切磋琢磨し合える友が居た、本気でぶつかり合える好敵手が居た、到底届かないような大きな壁が居た、自分より強いライバルが何人も居た。自分も相棒も決して強くは無かったが、だからこそこんな遠くまで走って来られた。
──自分は彼らのように強くはない、一人ではきっと現在には至れなかったろう。……ただ独りで相棒と歩み強く在り続けたその孤独は、きっと己には到底計り知れない。
「あるいは僕が君の立場なら、同じ道を選んだかもしれない。止まらないのは当然か」
“もしも”なんてものに意味は無い、実際そうなったとしてその選択をするかなんて分からない。けれどあえて空想するのであれば……巡りによっては、立っている場所が違ったかもしれない。
この旅を通して少しずつ理解出来てきた。強く在るということは難しく、今に思えば誰よりも強い人達はそれだけ多くの傷痕を刻んでいた。だから、きっと、その果てに選んだ道は本人にとって間違っている筈が無い。
「だが僕らとて譲れない道がある! たとえ君達がどれ程遥か強大であろうと……必ず越えてみせる、全力で行くぞ!」
「はっはは、まさに獣道だあ、堪んねえなあ。総てを懸けて掛かって来おい!」
選んだ未来の彼方に何が待っているのかなんて分からない、強さを極めた先に何があるのかなんて今の僕らには到底想像出来やしない。けれど、巡り巡った旅路を越えて尚その夢は変わることなく輝き続ける。
彼らの過去に何があろうと、どれ程の想いを賭けていようと、僕らの道を妨げるのならば全力で越えてみせる。魂を燃やし声を響かせ、共に懐から勝利を奪い取るのだ!
「君に任せたぞウォーグル、此処で逆境をぶち壊す!」
勢い良く頭上へ向けてモンスターボールを投擲すると、大空を背に解き放たれた眩い赤光が巨躯の影を象っていく。
力強い羽ばたきと共に現れたのは雄々しく羽撃たく紅き猛禽の勇。青空を背に映える紅き大翼、掌状に開く白き鶏冠、逞しく引き締まる脚の先には硬く獰猛に伸びる鉤爪。
大空を駆り仲間の為なら如何な傷も厭わず戦い、死さえ恐れぬ勇猛な気質から空の勇者と呼ばれるゆうもうポケモンのウォーグルだ。
「どいつが出て来ようがあ変わらねえ、骨の髄まで喰らい尽くす。てめえもよーお、分かってんだろお?」
「黙って餌にされるつもりはないさ、だから彼に任せたんだ。君こそ鼠に噛まれないよう気を付けたまえ」
「はっ、上見ぬ鷲は嫌いじゃないぜえ」
主人の掛け声に徐に頷いたヨノワールは、青空を仰ぐと瞼を細めて……最早何十年前かも思い出せない、遠き彼方に想いを馳せる。
──今に思えば、随分遠くまで来たものだ。真昼でも暗く鬱蒼と生い茂る忘れ去られた墓所にて過ごしていた自分は、ある日突然現れた男と相棒から迸る圧倒的な力に魅せられた。
ただ気まぐれに強いポケモンを探していただけだった。ふらりと現れた彼らはそれだけで墓所に潜む誰をも怯えさせ、気が付けば自分から飛び出していた。
「おーう、覚えてんぞお、あんな馬鹿そう居ねえかんなあ」
その言葉だけで、アイクに付いて来て良かったと思える。
もっともっと強くなりたい。この狭い世界を飛び出して、誰も見たことのない景色を見て見たい……彼らと共に歩めばそれが見られる気がした。時が止まったような静謐を何の気も無しに打ち破ったこの男達とならば、どこまでだって強くなれる気がした。
──そんな、とうに過ぎ去ったいつかがふと鮮明に脳裏を掠める。見渡せば世界には深く抉れ穿たれた傷が、凄まじい悪意の奔流に焼き払われた焦土が、夥しい創痕を刻む戦場が広がっていて。
「さぁーて、んじゃあ望み通り喰らってやれえ。行くぞおヨノワール、いたみわけだあ」
「やはりそう来るよな……だが! 僕らとてただで譲ってやるつもりはない、シャドークローだウォーグル!」
先手を取り動き出したのはヨノワールだ。巨躯が傾くと音も無く駆り影も残さず掻き消えて、超高速で背後へ回り込まれると翼を掴まれ腹部に裂けた大口から容赦無く生命力を喰らわれてしまう。
咀嚼を終えた影霊は悦びに眼を歪め満足そうに牙を鳴らすが、ウォーグルは転んでも決してタダでは起きない。逞しく強靭な脚に影を纏わせその鋭爪を振り上げて、無理矢理翼の拘束を解いて離脱せんと身を引くヨノワールの胸部を深く切り裂いた。
「今度こそお返しを受け取ってくれたね、僕らからの贈り物はお気に召したかな?」
「つれねえなあ、仲良く痛みを分け合おうぜえ。おれが気持ち良くなれねえなんて愉しくねえだろお?」
「おかげで僕らは気分が良い、魂を狩られるなんて二度と勘弁だけれどね」
「は、言うじゃあねえかあ」
主人の眼前へ舞い戻ったヨノワールが振り返り申し訳なさそうに視線を向けるが、彼は既に十分な役割を果たしている、ならば咎める意味も理由もない。
こんな些細な傷になど興味無いと言わんばかりに鼻を鳴らしてアイクは戦場を睥睨すると、わざとらしく残念ぶって肩を竦めてみせた。
「まーあ良いぜえ、そろそろ店仕舞いだあ。ここらで散財しねえとなあ」
「ようやくか、こいつには随分と苦戦させられたからな……再度発動される前に勝負を決める!」
本当にバトル開始早々随分と苦戦を強いられてしまったが、見上げれば周囲を囲む摩訶不思議な空間は徐に霞み始めて薄らと明滅を繰り返している。
もう間も無くでこの空間は終わりを迎える、だから奴らは確実に勝負を仕掛けてくる……此処からが一つの正念場だ!
「さあて派手に行くぜえ。魂を振り絞れえヨノワール、かみなりパンチだあ!」
腰を低く下ろして構え風の如く吹き抜けた巨躯は超高速を以って縦横無尽に飛び回り、必死になって目で追い続けるが一切を振り切る速度をどうしても捉え切れない。
頭上で雷鳴が轟いたと思えば背後に回り込まれ振り返った瞬間に眼下から迫り、拳を振り上げた途端迎撃に合わせすかさず身を引いて、浮かんでは消える泡沫の影は神出鬼没に宙を踊り変幻自在に惑わせてくる。
それでも、必ず勝機はある。微かな可能性をなんとしてでも掴み取ってみせる。
「っ、来るぞウォーグル! 真正面から受けて立ってやるさ、シャドークローで迎え撃て!」
背筋に悪寒が走り、影爪を振り翳しながら振り返ると背後から現れたヨノワールの雷拳と衝突。辛うじて一撃を凌いだものの容赦無く二の太刀が振り抜かれ、咄嗟に迎撃するが息を吐く暇無く怒涛の連撃が降り注ぐ。
雷拳と影爪が空中で幾度とぶつかり合うがなお双方譲ることない。緩急も合わせ更に背後へ回り込まれてなお一歩も譲ることなく激しく火花を散らしながら鎬を削るが、ふとまた影が掻き消えると虚空に行方を眩ませてしまった。
だが、もう間も無くでこの宙は崩れ落ちる──ならば必ず機は訪れる!
「僕を信じるんだ、視界なんてノイズは振り払え! 絶対に勝利を掴み取る……君は心を研ぎ澄ませ!」
「あーあー……そろそろ潮時ってこったなあ」
どちらにせよこのままでは確実に押し込まれる、相棒の言葉に希望を託したウォーグルは徐に黎き瞼を伏せて視界を閉ざし、神経を研ぎ澄ますと意識の全てを荒ぶる本能へと傾けた。
遠くで響く猛き勝鬨、柔く吹き抜ける萌黄色の風、その中に時折混じる鋭い違和感。影すら絶える超高速の風切り音は広大な戦場を縦横無尽に飛び回り、フェイントを折り混ぜ隙をこじ開けんとするヨノワールの姿をようやく捉えて。
決して嘘偽りに惑わされやしない、響き渡る雷鳴が眼前に迫り尚揺らぐことなく刹那へ身構え、「右だ!」とうとうその瞬間が訪れた。
「もう見過ごしはしない、ついに──影を捉えたり!」
風切り音が一際大きく迸ると本能を頼りに位置を探り、言うが早いか開眼し半身を返しながら振り返る。
荒々しく迸る雷を纏い突き出された拳を大鷲は紙一重に凌ぎ、剛腕が眼前を通り抜ける。刻限は間も無くだ、ならばと電撃を湛えた左腕を構えたが此処に来て身体が痺れて動かせず、ついに大鷲の剛爪が影霊の左腕を力強く鷲掴みにした。
「『絆の力』ってやつかよお、面白え……!」
「さあもう離しはしない、僕らの想いを受け取りたまえ!」
散々好き放題に暴れ回ってくれたのだ、これ以上の横暴など許さない。続けて右腕をも捉え自由を奪ったウォーグルは遥か大空を仰ぎ見て、ヨノワールを掴んで離さないまま雄々しき翼を羽ばたかせ天高くへと勇ましく飛翔していく。
爛然と燃える太陽を目指して遥か上空へと舞い上がり──劣勢を強いられた逆境に、けれどようやく受け取った想いが繋げられた。これからも自分達は未来へ進み続ける、もっともっと強くなって遠き彼方へと飛翔してみせる、だから……まずは目障りな敵を討ち倒す!
「この一撃で決めてやる! フリーフォールだ、ぶち込めえっ!!」
遥かな大空を背に大翼を広げ眼下に広がる地上を俯瞰した猛禽が甲高い咆哮を上げて、必死に足掻く影霊など意にも介さず天駆ける流星の如く猛然と地上へ急降下していく。
加速度的に迫る大地に瞬きなおもヨノワールは抗い続けたが、幾ら空間を支配しようと身動きが取れなければ意味は無い。爆発にも似た派手な衝突音が響き渡って砂塵の舞い上がるその中心に、勇猛なる一つの影が立ち尽くしていた。
「……よし、これで」
「おーおー、ようやっと……派手にやられちまったなーあ」
大鷲は翼を広げ勝鬨と吠え、その足元には踏み付けられた影霊が指一つ動かせずに瞼を伏せて横たわっている。激戦の中で無数の傷が蓄積し、ジバコイルが残してくれた勝機のおかげで大技を決め……そこまでしてやっと厄介な牙城を崩せたらしい。
そしてようやく、明滅を繰り返していた結界に限界が訪れたようだ。宙を覆う摩訶不思議な空間が不意にひび割れ、たちまち亀裂が走り全体へと広がっていくと、無数の破片は花弁となって虚空の彼方へと舞い散った──。
「……よぉし、まずは一匹だぁっ!!」
「なぁるほど、こうやっててめえらは何度も死戦を越えてきたわけだあ。レイの野郎が言うところの『麗しい友情』ってやつだなあ」
「そう褒めないでくれ、僕とポケモン達は同じ夢を目指しているんだ。だったらこれくらいは当然だろ?」
諦めるにはまだまだ早い、このくらいの差ならば十分に巻き返しが効く。歓喜に強く拳を握り締めてウォーグルと共に思わず叫ぶが、対する最高幹部アイクは余裕綽々と高らか笑い握ったハイパーボールを突き出した。
──立ち塞がる強者に対して捨て身になって勝機を繋ぐ、妙に小慣れた試合運びからこういった経験は一度や二度では無いのだろう。彼らは各々が一人では決して強くないからこそ此の戦場にまで辿り着けた、その踏み締めて来たであろう道程に暴君は素直な感嘆を口にする。
「はっは……さぁすがだぜえ、てめえは期待を裏切らねえなーあ」
「それは申し訳ないね。まだまだ闘いは続くんだ、僕らもここから上げていくさ!」
自分のポケモンが倒されてしまったにも関わらずアイクは朗々と哄笑を上げて、渇望の瞳は未だ煌々とぎらつき貪欲に戦場を睥睨する。
期待を裏切らない、つまり裏を返せば期待通りでしかないということだ。いくら獅子奮迅で立ち向かってもこの程度の足掻きではまだ勝てないのだと、未だ悠然と構える強者の余裕が物語っている。
「んじゃあ戻れえヨノワール」
翳した球から溢れ出した紅光は空を切り裂き、焦土に倒れ伏していたヨノワールは暖かく迸る閃きに包まれ安息の地へと誘われていく。
カプセル越しに覗き込んで来る単眼の瞳には負けた屈辱と罪悪感が映されていたが、アイクは意にも介さず切り捨てて「なんだあその顔はあ……笑えよお」と吐き捨てた。
「てめえ、負けたからって……!」
その一見非道な言動に思わず食って掛かろうとしたレンジだったが、ソウスケが腕を薙いでそれを制する。かつて自分が酷い扱いをしていたからこそ赦せない、けれど彼は納得したように頷いて構わず言葉を続けていく。
「彼の言う通りさ、全力を賭して敗れたんなら誰かが責める必要など無い。無論彼自身にもね」
ヨノワールが何よりも戦いに快楽を抱き力を求めて来たのは分かっている、数え切れないポケモンを屠り数え切れない修羅場を踏み越え続けて来て……だからこそ、皆と同様に退屈を抱いていたことも。
そんな彼が持てる総てを出し切った上で力尽きたのだ、これを喜ばずして何を喜ぼうか。最後に勝利するのは自分達だ、最強の相棒が殿に控えているのだから敗北などは有り得ない。
だから戦況を憂う必要など無い、最後に相応しい闘争の愉悦に今は思い切り笑えば良い。ヨノワールの紅き単眼を睨め付け確信に嗤い、その瞳が無念の奥に秘められた満足を映すと「それで良い」と一言腰に装着して次を構えた。
「信じているよジュンヤ、君なら必ず成し遂げられると。だから……行くぞみんな、絶対に勝って僕らの未来を掴み取るんだっ!!」
大切なものを守りたいという使命感、背を押してくれる仲間達の想い、幼き頃に交わした友との約束……そして何より自身の胸に熱く爛然と迸る灼熱の闘志が確かな勇気となって翳した闘志の穂先に宿る。
細胞一つ一つが煮え立つように闘争の愉悦が身体の底から湧き上がり、逆境を跳ね返す度に歓喜に胸が打ち震える。此処で敗北してしまえば全てが絶望に踏み潰されてしまう、だから絶対に負けるわけにはいかない。
もっともっと熱く燃え盛ってみせる、必ず勝って夢の舞台へ辿り着いてみせる。吹き抜ける萌黄色の風を全身で感じて上着の裾が風に舞い、蒼くどこまでも広がる無限の空に心躍らせながら友へ届けと声高く叫んだ。