ポケットモンスターインフィニティ - 第十四章 星を撃つ灼焔
第119話 渇望の獣
 あれ程までに激しく暴々と吹き荒んでいた嵐は一人の男とその相棒の活躍によりついに掻き消され、切り開かれた快晴の下で吹き抜ける柔らかな萌黄色の風が穏やかに頬を撫でさする。
 瞼を溶かす眩い空を徐に見上げれば彼方まで突き抜ける青を背に虹色の橋が架かっていて、燦々と降り注ぐ陽光が暖かく世界を照らしていた。

「ねえ、ソウスケさん」

 風に舞い踊る草原を掻き分け駆け抜ける炎のたてがみを携えし獅子カエンジシ。その背に跨るのは緑のブレザーを着た柔らかな茶髪の少年ソウスケ、彼を背中から抱き締めながら後ろに乗っているのは眼鏡を掛けた金髪の二つ結びに黄色を基調としたキャミソールの少女エクレア。
 これより向かうは災害の如き暴威を振るう最高幹部の聳え立つ決戦の地。一歩、一歩、炎獅子が駆け抜けるごとに風を切り裂き鼓動が高鳴る。遠く離れていても肌が粟立つ最高幹部の鮮烈な存在感、凶暴竜から溢れ出す圧倒的な力の奔流に呼吸もままならない程の緊張が降り掛かり決戦に近付いていくのだと全身で感じる。

「相変わらず落ち着いてますけど……やっぱり、こう見えて昂ってるんですか?」
「おや、急にどうしたかと思えば。君にはそう見えているかい?」
「きっと、ソウスケさんならそうなんだろうなって。あたしは……あはは、怖くてしかたがないんですけどね……!」

 言いながら苦笑するエクレアの声はかすかに震えており、腰に回された両手はそれ以上に恐怖でがたがたと震えて少し覚束無い。
 けれど誰だって怖くて当然だ、束になっても敵わない強大な力を前に臆さぬ者などそうは居ない。穏やかに微笑みながら彼女の手に己の震える掌を重ねながら応えれば、同じなのだと分かったからかエクレアはほんの少しだけ安心したように息を吐いた。

「僕もだよ、君とそう変わらないさ。もし負けたらどうなるんだろう、本当に勝てるのかって思うと怖くてしかたがなくってね」
「くす、それなのに楽しみだなんて本当あなたらしいです」
「当然さ、相手はチャンピオンにも匹敵する程の強さだぜ! ワクワクするに決まってる!」

 恐怖に凍り付く身体に息を吹き込み火を点すように深呼吸をして、刹那の逡巡に清涼な風を感じながらないまぜになった昂る感情を辛うじて絞り出していく。
 当たり前だった景色も平穏な日常も足元から崩れ落ちていき、一寸先すら見えなくなって明日を迎えられるかすら分からない日々の中で、それでも。

「僕だって本当に怖いのに、刃を交えるのが心から愉しみでさ。何て言えば良いんだろうね……とにかく、最高の気分だよ」
「流石、それでこそソウスケさんです、最強を目指している人は違いますね!」
「それを言うなら君もだろ?」
「そりゃあまあそうですけどね、同じ最強を目指す者として道は譲れません。ポケモンリーグではあなた達にだって勝ってみせます!」

 唯一明瞭な闘志を頼りに揺れる心火ごと拳を力の限りに握り締めて、ほどいた掌に残された確かな痛みを見つめながら頷いて少し乱れていた襟を正した。
 彼女は信じている、永い夜の果てに迎える新しい明日への凱旋を。混沌と降り掛かる黎き絶望を越え、微かに煌めく一筋の勝利を皆で掴み取ってみせるのだと。

「……でも、きっと大丈夫です、あなた達の強さは保証します。いつだって真っ直ぐなソウスケさんにあたしも皆も救われて来ました、だから──絶対勝てます!」
「ああ、僕らはいつだってどんな相手にだって勝つつもりだよ。だけど、そうだね……ありがとう」

 最高幹部アイク、その相棒サザンドラ──何度と彼らには圧倒的な力の差を見せ付けられた。全力以上を絞り出してもなお届かずこの身を焦がす最凶への恐怖、それを上回り熱く燃え盛る闘争への高揚。
 自分の中でないまぜになって抑え切れない感情に今にも叫び出してしまいそうになるのを必死に堪え、信じてくれる友人の手を握り肩越しに振り返り礼を伝える。
 世界の命運が懸かっていようと関係ない、僕とヒヒダルマ達はいつも通りの自分で良いのだ。腰に手を伸ばして掴み取った紅白球の中では相棒が眉を噴き上げ闘争心を燃やしていて、結局為すべきは今までと変わらない、ただ立ち塞がる敵をぶっ倒せば良い。

「大丈夫かいカエンジシ」

 レンジが僕への迎えに寄越してくれたそのポケモンはずっと草原を走り続けている、心配になって声を掛けるが彼は確信めいて頷くと休むことなく駆け抜けて。
 それは強い信頼の証だろう。僕とポケモン達ならきっと彼らに勝てるのだと、誰より信じる主人がそう信じているからこそ一寸の迷いも無く進み続けられる。
 いや、カエンジシとレンジだけではない。エクレアも師匠もジュンヤ達も皆……僕らならきっと成し遂げられると信じているからこそこのアゲトシティを預けてくれたのだ。

「待っていてくれジュンヤ。僕はこの戦いを乗り越えて、君との約束を果たしてみせる」

 瞼を伏せて、遠きいつかに想いを馳せる。皆で過ごしたあの頃の日々は本当に楽しかった、まだ絶望も恐怖も不安も知らず、純粋に目の前のことに夢中になれて。
 そんな、無邪気で幼かった夢みたいな日々に結んだ契りが今もこの胸を熱く揺さぶる。だから絶対に勝つのだとただでさえ熱く迸る闘志がなお爛然と燃え盛る。

「いつかポケモンリーグで、最高に楽しいバトルをする──いつかに交わした約束を」

 君は覚えていないかもしれないけれどね、なんて苦笑しながら見上げた空はどこまでも遥か彼方まで青く澄み渡り、何の気も無しに襟を正せば萌黄色の風が柔らかに頬をくすぐって吹き抜けた。
 ──ああ、なんて心地が良いのだろう。肌で感じるこの世界は今にも溶けてしまいそうな程に暖かく、けれど心地良いひとときもう間も無くで終わりを迎える。
 拳を握り締めて強く願う、こんなところで終わりになんてさせやしないと。この旅で出会った多くの友と、何よりも共に歩み続けて来たかけがえのない親友達とこれからも世界を感じたい。もっと、もっともっと強くなって誰も見たことの無い景色へと辿り着きたい。
 絶対に勝つ、薄茶の髪を揺らす少年は緊張と興奮にうるさいくらいに鼓動を高鳴らせ、陽光は何も知らないように変わらず燦然と降り注いでいた。



****



 激しい攻防に大地は幾度と抉れ、凄まじい力が迸る余波に果てまで焦土と化していて。幾つもの巨大な陥没穴に穿たれた凄惨な様相を呈する戦場に炎の鬣を靡かせる獅子が降り立った。
 見渡す一面地獄のように荒れ果てたその中心に佇むのは一人の大男、彼に従い隣で羽撃くは剛毛に覆われた三つ首の黒竜。数え切れない人々を絶望に陥し間も無く世界を壊さんとする悪の組織オルビス団の最高幹部、圧倒的な力で聳え立つ絶対の暴君。
 ソウスケが自分達を戦いへと連れ出した炎獅子の背から飛び降りて威勢良く大地を踏み締め、遅れて背後で戦場に立ったエクレアを庇いながら震える脚で一歩を踏み出した。

「やあ、やっと会えたねアイク、この日を待ち焦がれていたよ」
「てめえはあ……ソウスケってえ言ったよなーあ。はは、来ると思ったぜえ」
「当然さ、せっかく交わしたデートの約束なんだから」

 その声は地の底から響くかのように低く鼓膜を震わせ、気怠げな口調とは裏腹に溢れ出す凄まじい闘気に呑まれそうになる。それでも眼前に聳える力の奔流に鼓動が早鐘を打つのを必死に抑え、出来得る限り毅然に構えて暴威の唸りに凛と応えた。

「すまねえソウスケ、おれがもっと強ければ……。あいつを、アイクを足止めし切れなかった……!」
「犠牲が出ていないならそれで十分さ。君達は本当に良くやってくれたよ、ありがとうレンジ」
「だが奴のポケモンは六匹とも全回復しちまった、もう少しだけでも時間が稼げてりゃあ」
「ふ、それを聞いて安心した。万全の相手でなければ勝っても嬉しくないからね」

 少しは楽に戦えたかもしれない、眉間に懺悔と無念を刻みそう言い掛けたレンジが歩み寄って来るが彼は何てことはないみたいに言葉を遮りながら微笑むと、肩を軽く叩いて通り過ぎて。

「おま、お前……やっぱとんでもねえバカだな!」
「褒め言葉として受け取っておくよ、ただのバカよりは余程良い」
「ほんっとバカだこの野郎……!」

 レンジ以外のポケモントレーナーは既に撤退でもしているのだろうか、その姿が見当たらないが、何の気兼ねも無く力を振るえるのだからありがたい。思わず振り返って叫んだ友の罵倒をあっけらかんと笑い飛ばして、待ち焦がれた倒すべき強敵と真正面から向かい合う。
 かたや恰幅が広く筋骨隆々の裸体に裾が破れた青いジャケットを羽織り、無造作に逆撫でた群青髪を靡かせる大男アイク。その隣に侍るは硬き黒剛毛を纏う三対六翼を悠然と羽ばたかせ、強靭な深蒼の鱗に覆われた三つ首の竜──動く一切を貪り尽くを滅ぼすきょうぼうポケモンのサザンドラ。
 果たして命を懸けてもどこまで喰らい付けるかすら分からない程強大な敵だ、相手にとって不足は無い。

「というわけで僕らも準備は万全さ。星を墜として龍を撃つ、最後に勝つのは僕達だ」
「へーえ言うじゃあねえかあ、てめえは懲りねえなあソウスケェ。このおれに勝てるとお思ってんのかーあ?」

 最早瞳には彼らしか映っていない、その視界には対敵しか見えない。荒れ果てた大地も今にも殻を破り産声を上げんとする終焉も、間も無く彼の世界から消えて行くだろう──最後に残るのは、魂をぶつけ合う闘争だけなのだから。

「そうさ、だから僕らは此処に居る。目指す未来を捕まえる為なら誰であろうとぶっ倒す!」
「よおくやるぜえ、そおんな惨めに震えてよお」

 紅白球を突き出して勇壮ぶって笑うソウスケに最高幹部は歴然たる実力の差を以って傲岸不遜に嘲り、彼は当然のように頷いてみせるが言われて初めて気が付いた。
 指先も脚も小刻みに震えていて……きっと、どうしようもなく怖いのだろう。かつてない程昂っているのだろう、背水の緊張に身体が危険を訴えているのだろう、鼓動は激しく胸を打ち鳴らし脂汗が頬を伝い流れ落ちて行く。
 ──嗚呼、なんてことだ、本当に愉しみでしかたがないらしい。紅白球は陽光を照り眩く煌めき、「なあに、興奮が抑え切れなくてね」なんて言いながら満面の笑みを浮かべて一歩を踏み出さんと身構えた。

「生憎僕は、世界の運命だとか因縁だとかそんなことには興味が無くてね」
「ああん?」

 吹き抜けていく穏やかな風を広げた左掌で確かに感じ、その手で胸元を掴み闘志も恐怖もしっかりと握り締めながら己の言葉を紡いでいく。

「ただポケモンバトルが好きで、強敵と戦うのが愉しくて、強くなる為に戦い続けてこんなところまで来てしまった」

 旅に出たばかりの頃は、自分がいずれ多くの人々の運命を背負い戦うことになるだなんて思ってもみなかった。ましてや命を懸けるだなんて以ての外だ、死んでしまっては元も子もない。
 けれど、あるいは、心のどこかでは望んでいたのかもしれない。命を削って魂をぶつけ合い、文字通りの全身全霊を賭して戦うそんな瞬間を。

「僕らは君達を倒し、この終焉の先に待つ夢の舞台で立ち塞がる全てを打ち倒し、世界最強のポケモントレーナーになる! だから──こんなところで止まってる暇は無いのさ!」
「はっはっはっはあ……要は自分の為ってかあ、面白え。分かりやすくて助かるぜえ、愉快な奴だあてめえはよーお!」

 最初は焦らされて気怠げに話を聞いていたアイクも対峙するソウスケの戦う理由を知るや一層闘志を昂らせ、黒竜が有り余る膨大な力を解放すれば凄まじい威圧が重く降り掛かってくる。
 ただその場に居るだけで肌が灼け付く圧倒的な存在感、総てを喰らい尽くすと言われるに足る絶対の暴威──この世界に何度と絶望を齎したオルビス団最高幹部アイクとその相棒サザンドラが、愉悦と共に哄笑を響かせついに獰猛な牙を剥いた。

「どんな相手だろうがやはり先鋒は君しか居ない。任せたぞコジョンド、未来への道を切り開くんだ!」

 最後に紅白球を覗き込めば彼は力強く頷いてくれて、信頼と共に勢い良く振りかぶり全力でモンスターボールを解き放つ。
 溢れ出した眩い赤光は青く澄み渡る空を切り裂いて一つの影を形成していき、戦場に降り立ったそのポケモンは鬱陶しげに腕を薙いで纏わり付く光を振り払う。
 現れたのは薄紫の体毛に覆われ細くしなやかで強靭な四肢を備えた鼬、腕の先からは鞭のように長くしなる体毛を携えたぶじゅつポケモンと呼ばれる拳法家コジョンド。
 その瞳には一寸の迷いも無くただ対峙する暴威を見定めて、腰を低く下ろすと用心深く身構えた。

「一気に攻め立てる、はたきおとすだコジョンド!」
「さあーて行くぜえ、全開だあ。サザンドラァ、りゅうせいぐんでぶっ飛ばせえ!」

 戦場に向かい合うのは三つ首の黒竜サザンドラと拳法家コジョンド、その主人である最高幹部アイクと少年ソウスケ。空を切り裂きほとんど同時に響いた指示を受けて両者はどちらともなく動き出し、長く険しい決戦の火蓋が切られた。
 荒廃した戦場を猛然と駆け出した拳法家が瞬く間に眼前へ躍り出て音速を越える速度で鞭を振り下ろすが、そう易々と一撃は届かない。
 黒竜が紙一重をすり抜け大空へ舞い上がり空間を震わす咆哮を上げれば、忽ち宙に無数の光が瞬き大気圏を突き抜けた星々が天地鳴動と共に降り注いでいく。

「いきなり……っ、大技か! みがわりだコジョンド!」

 それは悉くを滅ぼす破壊の凶星、その余波だけで周囲一帯を更地へと変えてしまう程の威力を誇るドラゴンタイプの最強技だ。無論直撃すればただでは済まないが……奴の対策を調整して来た、やれることはやったのだからあとは全力を奮うだけだ。
 無論その技は最大限警戒していた、解き放たれた場合の対処までなら想定している。相変わらずの凄絶な威力に息を呑みながらも動揺することなく声高く叫んで。

「流石ソウスケさん、対策はバッチリですね!」
「おう、これなら世界を滅ぼす一撃だって届きやしねえ!」

 歓喜に声を上げる友の声援を浴びながらコジョンドが頷けばその姿がたちまち掻き消えて、体力を削り生み出した質量を持つ分身が文字通りの身代わりとなって現れた。
 そして眩く天駆けて降り注ぐ星々が次々に大地を穿ち、幾度と吹き荒ぶ爆轟の果てに一切を砕き滅ぼしていく。あまりの衝撃に吹き飛ばされてしまいそうになるのを大地を踏み締め必死に堪え、世界の終わりと錯覚してしまう凄惨な光景を越えた果てで砂塵と黒煙が舞い踊り。

「行くぞコジョンド、きあいだま!」
「んなもん届かねえよお、ばかぢからだあ」

 ついに群れ成す星の雨が降り止んで、瞬間駆け出した拳法家は爆煙に飛び込み右掌に渾身の力を込めた。
 解き放たれた気弾は砂嵐を突き破りその先に羽ばたく黒竜へ迫るが、右首が反射で突き立てた牙が容易く噛み砕きそのまま閉ざされた視界の中へと躍り出る。
 だが今度こそ、振り下ろされた拳を身を躱し紙一重ですり抜けたコジョンドが左掌に力を収束させるが、真正面の顎が牙を鳴らしながら迫りこのままでは間に合わない。

「……っ、もう一度みがわり!」

 咄嗟に指示を切り替え、再び命を削り分身を生み出すが当然容易く砕かれてしまう。みがわりの炸裂と共に頭上から現れ必死になって気弾を放つがなお黒竜には届かない。
 三叉の首の一つが獰猛に“きあいだま”を捉え容易く噛み千切り、そのまま真正面で目を見開いている鼬を喰らわんとするが辛うじて半身を躱し牙を逃れて荒廃した戦場へと着地した。

「さあて潮時だあ、戻れえ」

 凄まじい暴威に晒された緊張感と戦いの疲労に肩で呼吸をするコジョンドに対して、攻撃の反動こそあれど傷一つなく悠然と息を吐く黒竜は哄笑と共にハイパーボールから迸る赤光に飲み込まれていく。
 ──ひとまずは、嵐が吹き止んだと言うことで良いだろう。その力はあまりに凄まじく刻み込まれて膝が笑ってしまいそうになるが、勝負はまだまだ始まったばかりだ。両頬を叩いて「よし!」と気合を入れ直すと深呼吸をして最高幹部を睨め付ける。

「んじゃ次はあ、はは、てめえだあ」

 続けて放り投げるように軽く投擲された黒と金の球ハイパーボールが空を切り裂き、解き放たれた眩い紅光が巨大な影を象っていく。
 脚の無い不気味な塊が力強く伸びる剛腕を薙げば忽ち纏わり付く粒子が振り払われて、現れたのは弾力のある黒き巨体だ。
 頭には大きなアンテナを備え紅くぎらつく大きな一つ目、腹部には魂を喰らう口がその奥の深淵を覗かせている。
 てづかみポケモンのヨノワール、弾力のある 体の中に行き場の無い魂を取りこんで、あの世に連れていくと言われるゴーストポケモンだ。

「……っ、厄介なポケモンが出て来たな。一度戻ってくれコジョンド!」

 思わずソウスケが舌を鳴らして、振り返ったコジョンドと頷き合って歯噛みしながら撤退を選ぶ。ヨノワールは素早さこそ高くないものの高い攻撃力と耐久力を誇り、かつては耐久のメッカとも呼ばれていた程だ。
 生半可な攻撃では押し切ることが出来ずに敗れてしまう、相性不利なポケモンで無理に突っ張って勝てる相手ではない。
 流石に此処は退かざるを得ない。翳した紅白球から迸る光は構えを解いた鼬を柔らかな光で包み込み、束の間の休息へと誘っていく。

「よし、それじゃあ次鋒は君にお願いしようかな」

 腰に装着された六つのモンスターボールへ視線を落として刹那に逡巡を浮かべるが、残りの手持ちを考えれば自ずと後続は絞られる。

「ありがとう、君の信頼に応えられるように僕も頑張るよ。ライバルの前なんだ、カッコ悪いところなんて見せられないからな!」

 あのポケモンに張り合うには同じく高い火力と手持ちの中で最も高い防御を誇る彼が適任だろう。カプセル越しに視線を送れば彼は力強く頷いてみせて、ソウスケが勢い良く振りかぶって投擲してみせた。

「さあ来るんだジバコイル!」

 焦土と化した戦場を切り裂くモンスターボールが色の境界から二つに割れて、眩く迸る赤い光がたちまち巨大な影を象っていく。
 現れたのは未確認飛行物体を想起させる楕円形をした金属の身体。頭頂部からは黄色いアンテナが伸び、大きな一つ目模様の円盤の両端には眼球が瞬く金属の球。左右と後方にU字磁石によく似たユニットを携えた、じばポケモンのジバコイル。

「やったあ待ってました、早速あなたの出番ですね! 頑張ってくださいジバコイル、きっと勝てますよ!」

 エクレアが拳を振り上げ声高らかに応援し、その相棒ライボルトも疲労困憊ながら腰に装着されたカプセル越しに戦場を覗き見て好敵手と認めた相手を固唾を飲んで見守っている。
 彼は振り返ると右肩の目で揺れる金髪の一つ結びと雷狗を一瞥し、嬉しいやら恥ずかしいやらの苦笑もほどほどに再び眼前へ意識を戻すと、対峙する巨躯を睨め付け両ユニットから火花を散らして身構えた。

「ああ、伝わってくるよジバコイル。無論僕らみんなも同じ気持ちだ、心火を燃やして突き進もう」

 ──ついに待ち焦がれていた最終決戦だ、悔いの無いように全力を振るおう。気が付けばソウスケと共に随分と遠くまで来て、長く険しい旅の中で景色も世界も状況も何もかもが一変してしまったが……この胸に宿る想いだけは今も昔も変わらない。
 目指すのは昔馴染みの好敵手エクレアとライボルトとの全てを賭けた大舞台での約束、そこから進み続けた果ての果てにある相棒と掴むいつかの夢。だから必ずこの決戦を越えてみせる、自分だけでは掴めない未来を頼れる仲間達と共に必ず掴み取る為に。

「先んずれば人を制す、一気に攻め立てるぞ! 出し惜しみ無しだジバコイル、かみなり!」

 吹き抜ける風に揺られながら彼らは暫時呼吸も忘れて睨み合い、しかし身体を這う心地良い緊張に痺れを切らし最初に動き出したのはソウスケだ。
 高らかに笑いながら叫んだ指示は青く澄み渡る空に響いて、左右の眼で睨み付けながら両ユニットを回転させると夥しい電気を生み出していく。
 そして『出し惜しみなど無い』その言葉の通りに懐から黄色い宝石を取り出して翳し、眩い閃光が解き放たれる。
 それはでんきタイプの技の威力を上げる“でんきのジュエル”。ただでさえ高い火力がなお底上げされて膨大な稲妻と化した大技を撃ち放てば、空を焼き焦がし切り裂きながら突き進む電撃が重く身構える幽霊を瞬く刹那に射貫いた。

「はっはあ、まーだそれじゃあ届かねえなあ」
「っ、まずい……まさか!?」

 それは並大抵のポケモンならば一撃で倒れてしまう凄まじい威力だ、耐久の高いヨノワールといえどタダでは済まない。焦土の上に浮遊する幽霊は痛みの余りか項垂れていて、追い討ちを掛けようと睨み付けた瞬間顔を上げたヨノワールの眼は弓形に歪んで細められていた。
 次に来る技を察したソウスケが思わず絶句してしまい、それでも時は待つことがない。

「トリックルームだあ、ヨノワール」

 大きな両掌を翳せば広大な焦土が瞬く間に方陣に覆われていき、淡く煌めく長方形の結界はついに戦場を包み込んでしまった。それは今までにも幾度と目撃した摩訶不思議な世界、遅いポケモン程速さを得る反転空間トリックルーム。

「さあてえ、まずは奪われたもんを返してもらわねえとなあ。仲良くしようぜえ、いたみわけだあ」

 瞬く刹那に巨躯が掻き消え、気付けば背後に躍り出ていたヨノワールが抵抗出来ないように背後から掴み歪に笑みを浮かべた。それは自分の体力と相手の体力を分け合う技だ、当然先程雷撃に焼かれたばかりのヨノワールが奪う形になる。
 咄嗟に両ユニットを突き出しその先端に火花を迸らせるが、それを放つより先に大きく開いた腹部の口にエネルギーが吸い取られ痛みに思わず技を中断してしまう。

「その意見には賛成さ、君となら気が合いそうだよ。とはいえ一方的にもらうだけじゃあ偲びないだろう!」

 そして振り返った時には、既に幽霊の姿は消えていた。眉間に皺寄せながら叫ぶソウスケに思わずエクレアとレンジがそこなのか、と目を丸くするが、当の本人は気にも留めずに戦いを続ける。
 体力を回復して超高速で動き回る巨躯を捉えるのは至難極める。ならば此処は──ジバコイルと目を見合わせた瞬間に再び影が掻き消えて、刹那眼前に躍り出て来た。
 けれど此方も潮時だ、既に両極に火花を散らし収束させていた白銀の光沢は今にも溢れんばかりに激しく迸っていて、触れ合える程の距離で二匹が吠える。

「というわけで僕らからも贈り物さ、ラスターカノン!」
「はっは、んなもんいらねえなあ、わりいが遠慮しとくぜえ。シャドーパンチだあ」
「あららフラれてしまったか、ジバコイル!」

 振り上げられた拳が届く寸前で解き放たれた光線が目と鼻の先の難敵を貫かんと迸るが、この空間内での機動力は敵ながら天晴れだ。影の如くに掻き消えて背後に回り込まれてしまう。

「……っ、受け止めろ!」

 咄嗟に背中にユニットを回して盾の如くに突き出すと、紙一重で拳を受け止めるがなお勢いを殺し切れない。そのまま吹き飛ばされたジバコイルは焦土に激突する寸前で辛うじて持ち堪え電撃を撃ち放つが、やはり奴らを捉え切れない。
 最初こそ調子が良かったものの、あっという間に劣勢へと追い込まれてしまった。拳を握りながら必死になって打開策を求める友を眺めながら、レンジは半ばひとりごちるように深い嘆息を零した。

「相変わらず厄介な奴だぜ……出方を伺いながら自分に有利な状況をつくりあげんだからよ」
「『相変わらず』ってことは、アイクの戦法を知ってるんですか?」
「たりめえだ、何度ボコられたと思ってんだ! あいつはあんな性格のクセしてかなり堅実だ、腹立つくらい的確に状況判断するからたちがわりい」

 それはオルビス団に所属していた体験談から来る評価だ。彼らには何度叩きのめされたかも覚えていないが、今でもその強さは恐怖と共に刻まれている。
 アイクとヨノワールの初動にはほんの少しの無駄も無かった。まずは敵の出方を伺いながら自分に有利な戦場へと世界を書き換え、次に自身の体力を回復しながら秀でた防御を無視して削る。
 確かに自分やソウスケ達とアイク率いるポケモン達では総合的なレベルにも隔たりがあるだろう。けれどそれ以上に厄介なのがアイク自身だ、ただでさえか細い勝機を見極め潰してくるから恐ろしい。

「そうなんですね、確かに意外です……けど、言われてみたら納得します。ところでレンジさん」
「おう」
「そこは誇るところじゃないと思いますよ」
「いや誇ってねえわ!」

 背後でこの緊張に似つかわしくない漫才を始める友人達に相変わらず楽しそうだな、なんて微笑を浮かべながらもソウスケは僅かも緊張を緩めずに劣勢に在る戦況を見据えた。
 案の定最高幹部達はそう易々と突破出来る相手ではない、たとえ捨て身で立ち向かっても相討ちに持ち込めるかすら分からない。ならば、此処は賭けるしかない。

「やるね、やはりタダで倒せる程安くはないか。だったら無理にでも勝機を手繰り寄せる!」
「なぁにかやろうとしてやがんなーあ、面倒だがあ……行けえヨノワール」

 下手に動かれて足を掬われては敵わない。忽ち距離を詰めて拳を振り下ろすが金属の身体は僅かも動じず、そのまま連続で殴り付けられ吹き飛ばされるがなおくずおれぬ闘志を宿した双眸は確かに対敵を見据えていて。

「僕らの想いを見せてやろう、逆境なんて吹き飛ばすんだ! ジバコイル、ロックオン!」
「良いねえ、わざわざ調整して来たってわけかよお。行けえヨノワール、シャドーパンチだあ」

 彼らは捨て身で撃てば捉えられる程優しくない、それでも必ず一撃を届かせて見せる。両ユニットを突き出し両の眼が徐に瞬くとジバコイルは確かに照準を捉え、その先端を高速回転一気に膨大な電流を収束させていく。
 何度も、何度も力強く強靭な拳で打たれた。いくら頑健な鋼鉄の身体であろうとただでさえ生命力を貪られた上に高い威力で何度と殴られればただでは済まない。
 それでも、鋼鉄の身体は揺るがない。膨大な電流を束ねた砲弾を形成して、立ち塞ぐ嵐の如き暴威を見据えたその瞳が力強く瞬いた。
 ──自分の主はあまりにも馬鹿だ。世界を賭けた戦いですら悦びに胸躍らせて臨み、どんな時でも愚直なまでに真っ直ぐに夢を見据えて、宿命も因縁も無いのに友の為に躊躇いなく命を賭けられる程の大馬鹿だ。
 だから、こんなところで終わりたくない。そんなポケモントレーナーとどんな未来へ辿り着くのかを確かめたいから。

「奴の懐から勝機を奪い取る、放てジバコイル! でんじほう!」

 痛みに軋む身体を必死に動かし、砲身を突き立てるとそれまで絶えず拳の雨を降らせていたヨノワールがこれ以上はまずいと悟り咄嗟に音を抜き去り飛び退った。
 だが今まで散々殴られたのだ、そう易々と逃しはしない。ついに超高圧電力を集中させた電撃弾が解き放たれると黒く禍々しく迸り、雷鳴を轟かせながら縦横無尽に飛び回る幽霊を逃げ場など無いと言わんばかりになお音すらも越え追跡し続ける。

「はっはは、見苦しいやつだぜえ。どうせ逃げらりゃあしねえんだあ、シャドーパンチ」

 このまま無理に足掻いたところでどうしようもない、そう言わんばかりに呆れ半分アイクが指示を飛ばすと彼も意を決したように頷いて拳を強く握り締め振り返った。
 束ねた稲妻に匹敵する電撃弾が烈しく破裂音を鳴らし、対するヨノワールは上空から全体重を乗せた渾身の力で影の両拳を突き出してそれを真正面から迎え撃つ。
 そして二つの技が衝突した瞬間膨大な雷光が解き放たれた。瞼を顰め力を振り絞りながら拮抗を続ける砲弾と双拳だが、それでは溢れ続ける紫電までをも抑え切れない。

「今だ、これなら行けるぞジバコイル! 奴の技ごと押し切れえ!!」
「頑張ってください、あなたなら絶対に勝てます!! あたし達のライバルですから!」

 ソウスケとジバコイルが想いを乗せて天を衝く咆哮を響かせて、応援に熱が入るエクレアも彼らに負けないくらいに声を張り上げ大きく叫んで想いを送る。
 “でんじほう”はただ威力の高い一撃ではない、触れた者はただでは済まない大技だ。あまりの威力に指先から徐々に麻痺していき、その効果がついに全身へと行き渡った瞬間瞬き程の刹那身体が痺れてしまう。
 ほんの一瞬、微かに力が緩んだその僅かの間隙で途端に形成が傾いた。溢れ出す激しい稲妻を束ねた砲弾が突き出されていた拳を呑み込み、忽ち霊体が青空を背に膨大な霹靂に焼き尽くされていった──。

■筆者メッセージ
ソウスケ「ついに始まったぞアイクとのバトル!いやしかし強いね」
エクレア「強いですねー……しかもあんな性格なのに慢心がありませんし」
ソウスケ「油断してくれる相手ならどれだけ良かったか。君もそう思うだろレンジ?」
レンジ「何でおれに聞くんだよイヤミか」
ソウスケ「そういえば他のみんなはどこに行ったんだい?」
レンジ「おう、バトルが終わった後にソウスケが来るからって帰ったぜ。本気を出すのに枷は不要だってな」
ソウスケ「なるほど、気を遣わせてしまったようだね。皆の優しさに報いる為にも必ず勝たなきゃだなそれは!」
エクレア「とか言いながら、本当はあの人達ともバトルしたいだけなんじゃないですか〜?」
ソウスケ「そうとも言うね!彼らはきっとかなり手練れのトレーナーだ、闘ったら最高に楽しいぞ!」
レンジ「変わらねえなあお前は……」
せろん ( 2021/02/03(水) 07:35 )