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第十三章 時を刻む極光
第112話 願った明日
 劫火の照らす“あの日”の中に向かい合う二人は今も止まない雨に降られ続けて、踏み締めた泥濘の先に立つ親友を見据えながら刻まれた暗影にどちらともなく苦笑が零れる。
 相変わらず余裕の態度ながらも貼り付けた笑みが欠け始め、その先にある何かがレイの柔らかな微笑を黒く掠めて。闘いの疲労に息を切らせながらも願いを掲げて立ち向かうジュンヤが、確信めいて徐に瞬き力強く頷いた。

「運命ってのは分からないものだね。キミ達とこうして此処で向かい合うなんて思ってもみなかった!」
「オレもさ、自分がこんな戦いに巻き込まれるなんて未だに実感が湧かないくらいだ……けど、今となっては良かったよ」

 ……旅立つ頃には思ってもみなかった。守る為に強くなりたいと、変わらぬ願いを胸に始まった自分の旅路が辿り着いたのがいつまでも深層に影とこびりつく絶望の空だなんて。
 だが数え切れない敗北と屈辱の旅路を歩み、幾度と刃を交える中で少しずつだが理解出来てきた。自分が全てを懸けて戦う理由も、この過酷な運命に流されることなく抗う意味も。

「……でも、二人はここにいる。お互いにまもりたいって気持ちは同じなのに、どうして戦わなきゃいけないんだろう」
「さあな、きっと考えたって分からない。だけどひとつだけ確かなことがあるよ」

 横切る雨に遮られる視界の先、一人で泥濘に立ち尽くすのはかつて少年がもう会えないと思っていた大切な親友レイ。ようやく再会出来て、同じ夢を掲げて居るのに何故かとノドカは寂しそうに瞼を伏せて俯くけれど、向かい風に吹かれ髪を乱すジュンヤは帽子のつばを握って笑ってみせて。

「オレとあいつは親友で、少しずつ……みんなで切り込み続けて、きっと。あともう少しで手が届くんだ、みんなで願ったその先に」

 伸ばした掌の先では親友が声を掻き消す強風を浴びて同じ雨に打たれていて、自分達が戦う意味がなんとなくだが理解出来てきた。
 だからこの胸に迷いはない、いつだって戦いの先に答えはあったから。この手で掴み取ってみせる、仲間達と願い続けた未来を。

「さあて、ボクはブーバーンなんだ、ここで出すポケモンなんて決まってるよね?」
「ああ、だからこいつで決めてやるさ」

 永く続いた決闘は終着へ向けて更に迸る熱気の中で加速していく。残されたポケモンはジュンヤが二匹、レイが三匹。
 暗く雨の降り続く戦場を睥睨すれば泥濘の先に立つのは巨躯に陽炎を纏いし爆炎の化身。いつかに初めて幹部としてのレイと邂逅の際にも対峙した……一切を焼き尽くす圧倒的な力の奔流に、宙が凍り付いたように強張っている。

「なあファイアロー、……うん、オレ達ならきっといけるよな」

 翳したモンスターボールに視線を落とせば紅隼は「今度こそ勝つ」と瞳が闘志に熱く滾り、この逆境の先にある勝利を見据えて雄々しく強く羽ばたいてみせた。
 彼が信じてくれているんだ、脳裏には幾度の対峙とその度に見せ付けられた力の差が過るが、不安など雨ごと切り裂くように渾身の力で投擲してみせた。

「よし、今度こそ……みんながここまで繋いでくれたんだ、一緒に勝とうファイアロー!」

 紅白球が向かい風を縫い雨粒を弾いて色の境界から二つに割れて、解き放たれた赤光は夥しく宙に集い力強い羽ばたきと共に残滓がきらきらと降り注ぐ。
 尾羽は扇状に黒く広がり、灰色の腹部には火の粉模様が浮かぶ。疾風の翼が空を撃つ度に美しい火の粉が舞い踊り、甲高い猛禽の声が響いて顕現したのは真紅の隼ファイアロー。

「フフ、残念だったねジュンヤ君、その子を出すしかないんだから」
「むしろ願ってもない良い機会さ、リベンジマッチと行かせてもらうぜ!」

 手も脚も出せずに敗北したばかりの対峙にからからと愉快そうに笑うレイだが、帽子のつばを下げ叫ぶジュンヤに追従するように紅隼も力強く頷いてみせた。先程の二の舞になどなってたまるか、と。

「へえ言うねえ。さあて出来るかな、力の差はさっき見せつけてあげたはずだけど?」
「だからこそさ。生憎こいつはいじっぱりで負けず嫌いなんだ、尚更燃えてるらしいぜ!」
「アハハ、随分張り切っちゃってんじゃんか、その闘志ごと焼き尽くすのが楽しみだよ!」

 向かい合う火男が纏う陽炎はいっそう熱く周囲を歪め、灼熱の息吹を吐き出し大筒の腕を掲げ歪に嗤う。
 文字通り熱気に昂っていく戦場に交差する双眸は、絶対に撃ち倒すのだという強い想いと必ず打ちのめすという惑い無き確信に熱く燃え、極度の緊張に包まれた戦場が──瞬間、少年の呼吸と共に打ち破られた。

「行くぞファイアロー、ブレイブバードで一気に畳み掛けるんだ!」
「がんせきふうじで迎え撃とうブーバーン!」

 紅隼が翼を折り畳めば超低空飛行で猛然と鏑矢が突き進み、翳された砲口から放たれる岩塊の着弾と共に突き上げる岩柱すら置き去りに瞬く刹那で躍り出た。
 紅く爛然と闘志が迸り巨躯の胸を的確に貫き、なお揺らがぬ火男は咄嗟に離脱せんと蹴り付け距離を取ったファイアローへと素早く砲口を向けると隆起した岩柱が鈍く翼を打ち付ける。

「続けてかみなりパンチをお見舞いしてあげるよ!」
「しまっ……避けてくれファイアロー!?」

 一息つく隙すら与えられない。更に泥濘を蹴り付け瞬く間に距離を詰めれば体勢を崩した彼は避けることが出来ず、雷鳴を轟かせる鉄槌が思い切り腹部を殴り付けた。
 勢いを殺せず宙に投げ出されてしまい、用心深く警戒して天を仰ぐ火男を睨み付けた紅隼がすぐさま体勢を立て直し羽ばたけば、不意に黒雲が蒼く煌めく。

「この光……なんとか間に合ったよ。お前なんだな、ありがとうシャワーズ」
「そっか、さっきのねがいごとの。あの子も応援してくれてるのね!」

 分厚く拡がる雲を貫いて、降り注ぐ虚影の雨が絶えず身体を突き刺す戦場に降り注ぐ淡く優しい星の瞬き。
 夜空を駆ける遠き星々に願ったシャワーズの想いが届いたのだ、優しく包み込んでくる蒼い光はたちまち傷を癒していき、込められた心が薪となり闘志は更に熱く胸に逆巻く。

「ちょっとめんどい置き土産だけど、ま、その分ぶん殴ってやれば良いだけさ! だいもんじ!」
「やる気十分だなファイアロー、分かってるさ、一気に攻め立てよう。まだまだ行くぜ、もう一度ブレイブバード!」

 翼を折り畳み流線型の弾丸となって撃ち放たれた一撃は鋭く空を切り裂いて、放たれた火球を真横にすり抜けると高らかな哄笑を響かせる火男が大筒を翳し山の如くに迎え撃つ。
 甲高い金属音が響けば矢尻は左腕に受け止められていて、一歩も譲らず大地を踏み締めるブーバーンが不敵に嗤って雷電の拳を身構えた。

「やるね、流石の疾風の翼だ。だったらかみなりパンチはどうかな!」
「そう簡単に食らってたまるか、はがねのつばさで受け止めろ!」

 突き出された右腕を避け切れない、咄嗟に盾と構えた翼を硬質化させ火花を散らし鬩ぎ合う二匹。
 だが拮抗など許さないとばかりに振り下ろされた左腕が雷鳴と共に視界の端を掠めて、流石にこのままではまずいと「離れてくれファイアロー!」言うが早いか巨躯を蹴り付けて、自慢の脚力で自分自身を突き飛ばした。
 虚しく空を裂く左腕から迸る稲妻を半身を切って寸前で躱し、押し潰されそうになる程の圧倒的な力の奔流になお紅隼は臆することはない。

「ここからは出し惜しみ無しだ、一気に攻め込むぞ! 切り込めファイアロー、オーバーヒートだ!」

 対峙する強敵を見据えた瞳は熱き闘志に焔と燃えて、忽ち全身の熱が滾り溢れ出さんばかりに昂っていく。
 そして甲高い咆哮と共に一点へ収束させた炎を解き放てば、全てを呑み込む極太の熱線が視界一切を焼き払い、あまりの熱量に紅く照らされる世界の中で何もかもが焼き尽くされて。
 ……激しく迸っていた炎は徐に収束を始めると再び闇の舞い戻る空に消えない劫火が立ち昇り、いやに二人の横顔を照らしていた。

「……驚いたね、もうそんな大技を使うなんてさ。出し惜しみが得意な君のことだ、ここぞって時まで温存すると思ってたよ!」
「大切に温め過ぎて結局見せられなかったら意味が無いからな、ブーバーンを相手にのんびりしてられないさ」

 荒くなる呼吸と反動で乱れた火炎袋を必死に整え、舞い踊る黒煙を見据え構えていると不意に背筋に悪寒が走り、咄嗟に身を捩り急上昇すればすぐ眼下を火球が通り過ぎて主と顔を見合わせた。

「やっぱり、まだ倒れてくれないか。流石お前のブーバーンだよ、よく鍛えられてるな……!」
「当然でしょ、この程度の炎じゃブーバーンの爆炎を焼き尽くせない。くす、でも今のは良い反応速度だったね」
「……そうだねファイアロー、あいつらが強いのは分かってる」

 そう、やはりまだブーバーンは倒れていない。溶け爛れた大地の中心から放たれた熱風が周囲一切を吹き飛ばし──悠然と立ち尽くす巨躯が陽炎の中で唇を悦びに吊り上げて、向かい合う擦硝子の瞳は紅隼への素直な感嘆に細められる。

「そんなこと、百も承知だ。だから倒れるまで何度だってぶつかってやる、全力で……オレ達の想いを届かせるさ!」
「ふふ、二人とも良い目をするじゃん、そう来なくっちゃ!」

 対峙する紅隼が一切の油断なく固唾を呑んで見据える眼差しはなお尽きぬ闘志に爛然と閃く。共に戦うジュンヤも赤い帽子のつばをかぶりなおして、皆から繋いで来た勝利への願いを信じて萌える瞳を瞬かせた。
 雄々しく真っ直ぐに浴びせられる啖呵にいっそう闘志が掻き立てられて、ブーバーンの纏う陽炎は呼応するように紅く煌々と燃え上がりレイも同調するように微笑で頷く。

「だいもんじ、打ち上げちゃおう!」

 激しく降り続ける雨になお溶けない心地良い声が見透かしてきて、燃え盛る劫火が照らす横顔に投げ掛けた言葉は相変わらずに届かない。
 相手は超高速の飛行速度だ、牽制するように左腕は眼前に突き出しながら空へ掲げた右腕の先に陽炎が唸り灼熱の火球が撃ち放たれた。
 高く天へと昇る焔は太陽の如く、僅かに膨張した次の瞬間花火のように眩く弾けて炎の弾幕と降り注いでいく。

「分かってるさファイアロー、後退なんて必要ない。ブレイブバード!」

 恐らく一撃一撃は大した威力では無いが、直撃すれば確実に隙を晒してしまう。だがこの戦局に最早好機を見定める程の猶予は無い、ならば……今まで通り前へ進むだけだ。
 疾風の翼を羽ばたき矢と射放たれた紅隼は夥しい火弾に目もくれず、ただ対峙する強敵を貫くことだけに集中して超低空で悉くを躱して飛翔する。

「やるねえ、躊躇いなく掻い潜ってくるなんて勇気があるじゃんか。だったらこんなのはどうかな、もう一度だいもんじ!」
「はは、今更退けるわけないだろ、ここまで来たら無理矢理にでも越えてやるさ。お前なら行けるよ、そうだよなファイアロー!」

 続けて両腕を翳して地面へ向けて急角度に放った火球が爆ぜると炎の波と呼ぶに相応しい紅き奔流が立ち塞がり、視界一面が噴き付ける熱風に覆われてしまい。
 だが既に退路など断っている、背水の決意で倒すと決めた。臆することなく一直線に飛び込んで、身を焼く焔よりなお激しく猛る闘志で灼熱の波濤すら突き抜けていく。

「流石だよジュンヤ君、すっかり迷いがないじゃんか。だけどブーバーン、分かってるね!」
「やっぱりそう簡単には届かないよな。だけど……そうだな、任せたぜファイアロー!」

 一転広がる泥濘には無数の石柱が二匹を遮るように林立していて、しかしファイアローの眼に迷いはほんの欠片も無い。幾重にも折り重なって聳え立つ分厚い岩壁を仰いだ紅隼は、なお速度を緩めることなく一条の矢となって飛び込んだ。

「あなたならきっと行けるよファイアロー、がんばって!」

 だが火男もそう簡単には近寄らせまいと迎え撃ち、両腕から放つ岩塊が着弾すると巨大な石柱が眼前で突き上げ更に無数の壁が隆起していく。
 あまりに夥しく聳える障害にファイアローは思わず固唾を呑みながらも、全神経を集中させて咄嗟に僅かな道を捉える。最低限の右左折で必死に間隙をすり抜けて、どうしても避けられない時は石柱を蹴り付け無理矢理軌道を修正し、分厚い壁のその向こうに立つ陽炎……ようやく、ブーバーンの眼前へと辿り着いた。

「……やるね、だけどこれならどうかな!」
「悪いけど決めたんだ、思い切り進むだけだって。はがねのつばさで打ち砕け!」

 最後とばかりに一際大きな石柱が彼を守る盾と突き立てられるが、既に覚悟は決まっている。疾風の翼を硬質化させて全霊を込めた一撃を振り抜けば、眼前に聳え立つ巨岩は見事に根元から破砕された。
 息を吐く暇も与えず地を蹴り付けて舞い踊る瓦礫の雨霰を掻い潜れば、其処には後退しながら稲妻を纏った拳を振り上げるブーバーンの姿。

「迷う必要なんてない、行けえファイアロー!」
「何度来ても同じことさ、返り討ちにしてあげるよ……かみなりパンチ!」

 振り下ろされた雷拳は、しかし紅隼を捉えることはない。迸る電撃ごと側方をすり抜け自慢の脚力で泥濘を踏み付けたファイアローはかなり無理矢理の方向転換で再び標的へ向き直り、翼を折り畳んで一条の矢となり無防備な背を貫かんと射放たれる。
 ならば、と咄嗟に振り返って放った裏拳も届く寸前で紅隼が脚力による無理矢理の急制止、稲光は虚しく空を裂き側頭部を掠めて振り抜かれて。

「もう一度……これならどうだ、オーバーヒートだ!」
「随分無茶ばっかりするね、だけどこの程度じゃあまだ足りない! ブーバーン、だいもんじで焼き尽くすんだ!」

 再び身体中の炎を一点集中させ渾身の力で撃ち放った灼熱の極太光線が、蔓延る泥濘と降り続く雨ごと陽炎を纏う巨躯を呑み込んだ。
 だが……先程よりも威力が落ちてしまっている、相手は相性の不利すら覆す強敵だ。苛烈に押し寄せ身を焼き続ける烈火に逆らい右腕を突き出したブーバーンが緋く逆巻く火球を撃ち放ち、火炎を吐き続けている今避けられない。
 熱線すら焼き尽くす業火を真正面から浴びたファイアローは耐え切れず押し流されてしまい、それでも収まること無く猛る炎の余波が紅隼を中心に大の字に拡散していく。

「そんな、だいじょうぶファイアロー!?」
「安心してくれ、こいつはこんなことじゃあ倒れないよ。だって負けず嫌いなんだから!」

 その言葉の通り猛火に呑まれた真紅の翼が纏わり付く炎を切り裂くように力強く羽ばたいて、荒々しく舞い踊る炎の柱も次第に鎮まり露と舞い落ちる残滓も、やがては雨に流され溶けていく。
 分厚く蔓延る積乱雲を背に羽ばたく紅蓮の翼は煌めく火の粉を撒き散らし、泥濘を踏み締め深く歪に嗤う巨躯は陽炎を纏い身構えて。

「……はは、もう何度目だろうな、こうして互いの技をぶつけ合うのは!」
「さあね、でもその度にボクらが勝ってきた。だからこれで最後にしてあげるよ!」

 互いに全身全霊を燃やし続けて、圧倒的な力を以て噴き出す爆炎に必死で迎え撃ち食い下がり続けてきた烈火の紅隼。夜天に眩く鬩ぎ合い続ける二つの焔はなお紅き灼熱に逆巻いて、満身創痍で喘ぎながらも吹き付ける雨を吹き飛ばす程の咆哮を轟かせた。
 最早互いに限界は近い。文字通りの熱戦は──もう間も無くで、終わりを告げる。

「次で決めるぞ、ファイアロー!」
「これで終わりさ、ブーバーン!」

 横殴りの雨に射られながら、吹き荒れる一陣の風を浴びながら。いつかの幻影が支配する遠き彼方の暗き空に、今なお克明に影を刻む二人の横顔が譲れない意思に高らか叫んだ。

「オーバーヒートで焼き尽くすんだ!」
「フレアドライブで迎え撃てえっ!!」

 ブーバーンが振り翳した両腕の砲口に収束した夥しい焔が眩く爆ぜれば、悉くを焼き滅ぼす膨大な劫火が極限の灼熱光線と放たれ空も大地も真紅の爆炎に溶かされていく。
 対峙するファイアローは今まで温存し続けていた切り札──真紅の宝石、ほのお技の威力を底上げするほのおのジュエルを発動させた。火炎袋をフル稼働させ燃え尽きても良いと全身全霊を振り絞り、宙を焦がして凄絶に燃え盛る焔を鎧と纏い勝利を信じて射放たれた。

「お願いファイアロー、がんばって……!」

 逆巻く波濤の如く溢れ出しこの戦い最大の火力を以って迸る爆炎と、何度も押し潰されて来たからこそ一層激しく燃え盛り負けじと噴き出し続ける紅蓮の烈火が戦場の中心で激突する。
 かたや陽炎の巨躯は此処まで追い詰められ沸々と湧き上がり細胞を震わす愉悦に抑え切れずに高らか咆哮し、ようやく見えてきた勝利への道と仲間達から受け継いできた想いを胸に絶対勝つのだと甲高く叫んだ。

「やっぱりパワーは、ブーバーンが上なの……!?」
「言ったら焼き尽くすって。無駄さ、多少威力を上げたところでキミ達とはレベルが違うんだ」
「だけどオレ達だって負けやしない、なによりここで勝たなきゃものすごく悔しいんだ! そうだろ……ファイアロー!」

 互いに一切譲ることなく放ち続ける莫大な炎が鬩ぎ合い世界は真紅に染め上げられていく。その熱量が全土を覆い、凄まじい余波に降り続く雨も広がる泥濘も何もかもが燃やし尽くされていく世界の中で……次第に、均衡が崩れ始める。
 押し寄せる光線は非情な熱を以て炎の鎧すらをも次第に焼き焦がし、それでも必死に叫んで自分の命を振り絞るが、容赦無く噴き付ける劫火にやがて呑まれ始めてしまい──抑え切れなくなり限界に達した力と力がどちらともなく盛大に爆ぜ、一瞬の閃光に眩む宙で凄まじい爆轟が響き渡って。

「……っ、何とか耐えたぜ!」
「あははは、そっか、なるほどね……まさかこの瞬間の為に温存していたなんてね!」

 鼓膜を貫く盛大な鳴動に蔓延る泥濘も暗く覆い尽くす空も天地が暫し震え続けて、吹き荒ぶ爆風が瞬く間に広がり世界を包むと荒々しく舞い踊り戦場を呑み込んでいく。
 咄嗟に身を挺してスワンナはノドカを背に庇い、ジュンヤは帽子のつばを深く抑え左腕で顔を覆いながらも吹き付ける黒煙を受け流し戦場を用心深く睨み続けて目を見開いた。

「……今だファイアロー、今度こそ決めてやる! ブレイブバードォッ!!」
「だけどまだ……ボクらは! 受け止めるんだブーバーン!」

 全身から絶えず炎を噴き出す巨躯が煙の中で緋く燃え、紅隼の羽根から零れる火の粉がほんの僅かに視界を過ぎった。まだファイアローは倒れていない、ならばこの最大の好機を逃すわけにはいかない。
 翼を折り畳み漆黒の世界を超高速で突き抜ける決死の一矢が黒煙を縫い、気流の乱れと舞い散る残滓から察したブーバーンが咄嗟に両腕を盾と構えるが……間隙をすり抜け、深く腹部へと突き刺さった。

「大丈夫かい、まさか……!?」

 爆風を浴びながら微動だにせず泥濘を睥睨し続けていたレイが揺れる灯火に全てを察し、黒く覆われた視界の中に立つブーバーンへ叫ぶが返事はいつまでも届かない。
 打ち付ける雨音だけが絶えず閉ざされた空に反響し、静謐と黒煙の支配する世界は次第に泥濘へ押し流されるとやがて視界が取り戻されて……果たして其処には、恐らく一撃を撃ち込むまでで力を使い果たしたのだろう、紅隼と火男の二匹がもつれるように倒れていた。
 
「まさか、相打ちなの……?」
「……ファイアロー」

 流石にこれ程の戦いを繰り広げて限界に達したのだろうか、だとしたら。ノドカが悲しそうに瞳を伏せるがジュンヤは何を言うでもなくその名を呼び掛け、瞬間……紅隼が閉じられていた瞼を強く瞬き、その翼へ力を込めて泥濘に沈んでいた身体を持ち上げた。

「ブーバーン……うん、ありがとう」

 対するブーバーンは纏っていた陽炎が既に鎮火し切れ長の眼は穏やかに伏し、全てを出し尽くした満足の微笑を湛えて戦場に倒れ伏している。
 今までそうなのだろうと察していながら認め切れずに半信半疑でいたレイも、その姿にようやく認めたらしい。刹那驚愕に擦硝子の瞳を見開いたものの、瞬きと共に平素の笑顔を貼り付けた。

「まさかまさかの敗北だよ。みくびってたわけじゃない、でも……キミが負けるなんて思ってなかった!」
「そうだな、お前は負けず嫌いだからなファイアロー。オレも嬉しいよ、ようやく……あのブーバーンを倒したんだ」

 少年がハンチングのつばを下げ優しく目を細めながら「お疲れ様ブーバーン、よく此処まで頑張ってくれたね」と労いを送りモンスターボールを軽く翳して、迸る赤光が燃え尽きた巨躯を呑み込み安息の地へと呼び戻した。

「懐かしいねブーバーン、覚えてるかい。キミと初めて出会った時はまさかこんなところまで来るなんて思ってなかったよ」

 今は色を失い霞んだいつか、遠き彼方の出会いの記憶。まだジュンヤ君と出会ってすらいなかった、少なくとも今よりは余程無邪気で居られた幼き頃に出会い初めて自らの手で捕まえたポケモン。
 ゾロアに次いで付き合いは長く共に過ごした分だけ数え切れない痛みや悲しみ、多くの戦いに付き合わせて来てしまった。強くなる為にと死の淵を彷徨い、罪も無い人々の希望を砕き、絶望せずに立ち向かって来た者達を圧倒的な力で捻じ伏せて。
 一緒になって何度地を這いつくばったろう、何度敗北を刻まれたろう、何度巨悪の幹として奪い続けて来ただろう。何度、何度……自分のせいで誰が傷付いて来たかも分からない。
 だが揺れる眼差しを見上げたブーバーンは首を横に振ると大筒の先から火の粉を散らし、闘争の悦びに嗤い力強く頷いてみせた。自分は望んでこの道を選び共に闘って来たのだ、何よりも此処まで燃え尽きる程熱き愉悦に身を焦がせたことへの感謝を贈りたい、と。

「……くす、キミってば相変わらずバトルが大好きだよね。そう言ってくれて良かったよ、ボクも一緒に闘えてホントに愉しかったから」

 その言葉にブーバーンは納得したように笑ってみせると瞼を伏せて眠りについて、少年は彼の優しさに微笑みながら紅白球を腰へ戻した。無論純粋に闘争を何よりの悦びとしているのは確かだろう、だがそれ以上に自分の罪悪感を理解して気を遣ってくれたに違いない。
 付き合いが長いのだから理解し合っている。感謝しなきゃいけないのは自分の方だ、なんて届かないのに思わず零しながらハンチングのつばを握りながら泥濘む戦場へと顔を上げた。

「ドサイドンが持ち物を消費させてシャワーズが敵の体力を削りつつ次へ繋いで、ファイアローで無理矢理勝利を掴み取る。悔しいけど見事にバトンを繋いだじゃんか!」
「そうさ、これがオレ達の絆の力だ、いつもそうやって前に進んで来たんだ。一人じゃ届かなくたって、独りで強くなれなくたって、みんなで心を繋いで……一緒に困難を乗り越えて」
「なるほどね、揃いも揃ってよく踏ん張るわけだ。いやあ素晴らしい友情だよ、随分見違えちゃったもん」

 帽子のつばを指で弾いたレイが呆れたようにからからと笑い、横切る雨に目を細めながら此処まで食い下がり続けた親友の進化に嘆息を吐き出す。
 彼らは出会ったばかりの頃に比べてどれだけ強くなったのだろう。どんな道程を歩み此処まで辿り着いたのだろうか。一つ確かなのは、その精悍で寂寞を孕んだ面持ちから数え切れない修羅場をくぐり抜けて来たのだろう……ということだけだ。

「……キミ達は大人しく旅だけしていれば良かったんだ。強くなんてならなくたって、ボクらが護ってあげたんだから」
「しかたないだろ、大切なものを守りたいんだから。覚えてるよなレイ、昔オレ達の記憶を書き換えようとしてたこと」
「ああ、あったよね懐かしい。ノドカちゃんに見つかって止められちゃったな……うん、あの子の言う通りだったよ」
「そうだな、だから悪いけど……今に思えば、きっとオレにはこの道しか無かったんだ。たとえどんなことがあったってさ」

 これまで歩んで来た旅路を振り返れば、数え切れない悲しみと到底許すことの出来ない悪辣に直面して来た。きっと記憶を奪われたとしても何度だって同じ道を選ぶだろう、あるいはいつか取り戻して戦う道へ戻るかもしれない。
 どちらにせよ……大切なものを守りたい、運命に向き合いたい、過程が違えど同じ場所へ辿り着いたであろうことだけは確かだ。ならば強くなる為に進み続けてきたこの道程に、きっと間違いは無い。

「そうだよね、分かってたさ。だけど……だからこそボクらは、このバトルに勝って絶対にキミ達を護ってみせるよ」
「悪いけど遠慮しておくよ、オレ達は勝ってこの先に進まないといけないからな」

 羽織った制服の襟を正して、広げた左掌を伸ばした少年は血が滲む程に強く握り締め擦硝子の瞳が微かに揺れるが……数呼吸程の間を置き自嘲気味に鼻を鳴らすと、腰に装着されたモンスターボールを掴み取る。

「それにしても随分頑張ってくれるね、またイーブンに持ち込まれちゃうなんて。やるねえジュンヤ君ってば、ホントに楽しませてくれるよ!」
「はは、これだけやってようやくだけどな……此処までみんなで必死に繋いで、なんとか状況を巻き返せてきたぜ」

 あれだけ必死に鍛錬を続けてようやく自分の道を見つけ出してもなお実力の差は埋められず、それでも互角に近い状況までは持ち込むことが出来た。
 残されたポケモンは互いに二匹だ、もうあと少しで……伸ばしたこの手が親友にまでついに届く。長丁場で次第に縺れかけて来た集中の糸を頬を叩いて引き締めて、ファイアローと共に頷き合う。

「それじゃあお次は……なんて勿体ぶらなくたって、もう此処で出せるのはキミしか居ないね。相手は超高速の隼だけど、行けるかい?」

 この局面で繰り出すべきポケモンは決めているのだ、迷う必要などどこにも無い。優しく声を掛ければ主が居てくれるのだからと頷いて、少年が微笑と共に球を構えた。
 擦硝子の瞳が刹那に揺れて、勢い良く投擲すれば雨を掻き分け飛び込んだ闇の中で二つに割れた紅白球から溢れ出す閃光が具現化していく。

「さあおいで、彼らには初のお目見えだね……ポリゴンZ!」

 顕現したのは青い楕円の両腕を徒に動かしながら、赤紫色をした卵型の身体。高く不安定な波長の鳴き声が宙に虚しく木霊して、泥濘を踏む事なく宙に舞い。
 突き出た嘴とアンテナが特徴的なそのポケモンは青く細長い尾を小刻みに揺らし、幾重の円に縁取られた瞳を揺らして幻影の雨が降り注ぐ空を徐に仰いだ。

「ええっと……あの子もポケモン、なんだよね……?」
『ポリゴンZ。バーチャルポケモン。
 より優れたポケモンにするためプログラムを 追加したが、何故かおかしな行動を始めた』

 その異様な雰囲気に違和感を覚えたノドカがポケモン図鑑を翳すと電子音声が抑揚無く解説を読み上げていき、……図鑑によれば、進化を追求したものの失敗してしまったのかこの姿になったとされている。

「自分たちの研究のためだからって、こんなことする人がどこかに居るなんて……」
「シンオウだったかどこだったか、ホント腕の悪いヤツは困るよね。別に気が触れたってわけじゃないけど、なんだか見てて寂しいし」
「レイ君、それはどういう……?」

 向かい合うポリゴンZの瞳はただ空虚を眺めて甲高い声を繰り返し、忙しなく腕を揺らして身構えている。本人は性格も心も進化前とは然程変わらないらしいが可笑しな挙動になるだけらしく、口を尖らせ肩を竦めるレイの言い方にノドカが何処か違和感を覚える。
 彼はポリゴンをこうなると知らずに進化させてしまったのか、あるいは何らかの理由で勝手に進化してしまったのか。いずれにせよ……その口振りでは、望んだ姿では無かったのだろうか、と。

「そうか、そのポケモン。やっぱりお前とポケモン達も……よく似ているよ」

 一つ確かなことは“変わってしまった”ということだけだ、かつて無邪気に微笑んでいた少年はあの頃と掛け離れた貼り付けた笑顔で歪に嗤い。きっと、共に戦うポケモン達と同じなのだろう。
 熱戦を浴びて闘争の愉悦に嗤うのも、圧倒的な力を以て歯向かう者達を屈服させるのも、いつしか後戻り出来なくなっていたのも……彼らは。

「……誰もが強くなりたいって望んでるわけじゃない。それでも、道を選べないやつだっているんだ」
「ジュンヤ……」

 得も言われぬ挙動を繰り返すポリゴンZの姿を寂しげに見つめたジュンヤが帽子のつばを下げて呟いて、それでも振り返り呼びかけて来る紅隼の声に戦場へ意識を呼び戻した。

「そうだなファイアロー……今はバトルに集中だ。行くぜレイ、勝負はまだまだここからだ!」
「フフ、そうでなくっちゃ。風前の灯火だろうと容赦はしない、全力で掻き消させてもらうよ!」

 満身創痍で火炎袋は限界に達し、なお高らかに叫ぶファイアローは最後まで残された闘争心を掻き集めその双眸が熱く燃え立つ。対するポリゴンZは不規則な動きを繰り返しながらもその瞳は確かに対峙する彼らを見据えて、暫時緊張に睨み合い──。

「一気に行くぜ、ブレイブバードだ!」
「あの速さには用心しなよ、躱してトライアタック!」

 暗闇の中に交錯する視線が剣戟の如く火花を散らし、雨を裂く叫びが響き渡ってどちらともなく弾き出された。
 先程のブーバーン戦でのダメージが尾を引き最高速には至れないものの、なお疾風と駆け抜ける真紅の隼ファイアロー。対するポリゴンZは超高速で空を切り進む隼を仰ぐと寸前で辛うじて半身を逸らし、身体を掠め突き抜けていく一陣の背へ両腕と嘴を突き出した。

「来るぞファイアロー、避けるんだ!」

 右腕の先で迸る雷、左腕には冷気が収束し嘴からは炎が渦を巻いて、巴の光線が三本の矢となり解き放たれる。
 だが疾風の翼をそう容易くは捉えられない。その背を貫かんと射放たれた三矢では追い付けぬ速度で軽々と躱し、「まだまだ、連続で放とう!」間髪を入れず幾重にも迫り来る矢の悉くを旋回と上昇下降で置き去りにして乱雲を背に甲高く吠えた。

「流石だよ、だけどいくら疾風の翼でもそういつまでも避け続けてはいられない。もう一度トライアタック!」
「勿論分かってるさ、このままってわけにはいかない。だから一気に攻め込むぜ、ブレイブバードだ!」

 なお近寄らせまいと貼られた弾幕すら風を掴むことは出来ない。無数の光線の僅かな間隙を縫い身を翻して電撃を躱し、力強い蹴撃で火炎を掻き消して鋭い嘴で冷気を砕くと瞬く間に目と鼻の先まで距離を詰めていく真紅の隼。
 刹那ファイアローとポリゴンZの視線が交差して鋭い瞳が「その道を選んで後悔は無いのか」と問い掛ける。だが焦点の合わない眼差しは一切の逡巡を見せること無く答えた、「自ら望んで掴んだ姿だ、そんなものは有り得ない」と。
 そして、疾風の一矢が鋭く対敵へ突き刺さると赤紫の身体が軽々と泥濘へ吹き飛ばされる。地面を幾度と転がりポリゴンZを見据えながら紅隼がいつでも動き出せるように身構えて、対峙する少年がハンチングのつばを指で弾くと瞬間世界が凍り付いた。

「フフ、残念だけどこれで終わり。次の一撃からは逃げられないよ、ボクらを取り巻くこの泥濘と同じで」
「どういうことだよ、それは……まさか!」
「察しの通り、こういうことさ。行くよポリゴンZ……全て壊しちゃおう、はかいこうせん!」
「なっ……! まずい、逃げてくれ、ファイアロー!?」

 帽子のつばを下げて用心深く睥睨するジュンヤが背筋を駆け抜ける緊張に心を研ぎ澄まし、思わず息を詰まらせる。
 纏わり付く泥濘を振り払い、起き上がったポリゴンZの嘴に先には漆黒の渦が大気を震わす圧倒的な力で逆巻いていて。誰もが驚愕に目を見開く中で夥しい奔流が周囲を吹き飛ばしながら一点へ収束していき──高らかな指示を浴びて、ついに破壊の光が怒涛となりて解き放たれた。

「お願いファイアロー、なんとか避けて……!」
「無駄だよ、一度放たれたらもう逃げられないのさ」

 瞬間一切を滅ぼす膨大な力が光線となって宙を砕いて、絶叫にも似た轟音が耳をつんざき絶望的な暴虐に一切が掻き消されていく。
 これに直撃するわけにはいかない、言うが早いか紅隼が超高速で羽ばたき急上昇するがその奔流は余りにも無慈悲で。忽ち全てを呑み込んでいく暴威を前に容易く掴めぬ風であろうと例外ではない、必死の飛翔も虚しく全ては漆黒の波濤に飲み込まれていった──。

「……終わったね」

 誰もが口を閉ざす静寂に甲高く吹き荒び響き続けていた悲鳴もやがて徐に収まり始めて……再び世界に、静謐な夜闇が舞い戻ってくる。降り続ける雨は幻の筈なのにいやに冷たく身体を打ち付けて、真紅の隼は燃え尽きた灰のように力無く泥濘に倒れ伏していた。

「……ありがとうファイアロー、よく頑張ってくれたな」

 肩で大きく息を吐いて、彼の健闘に感謝を告げるとやり切ったように微笑む隼へモンスターボールを翳し紅き閃光が解き放たれた。光は穏やかに倒れ伏すファイアローを労わるように優しく暖かく包み込んで、残滓を残し束の間の休息へと還っていく。
 ……降り続く雨は冷たく打ち付け、あれだけ灼熱が舞い踊り昂っていた戦場も徐に熱が何処へ消えていき。

「そうだな、お前達はあの強大な相手に本当によく頑張ってくれたよ。だから気にすることないさ、絶対に勝ってみせるから」

 掌に握り締めた紅白球から覗き込んでくる隼の瞳が最初は宿敵を倒した達成感に輝いていたが、慌てて後続まで倒し切れなかった己の不甲斐なさに揺れる。「負けたくない」と闘志を燃やして挑んだ強敵を皆の力で撃破出来たのは良いが……依然逆境に立たされているのは変わらないから。
 それでも、ジュンヤの瞳に萌える希望は揺らぎはしない。確信めいた決意を湛えて惑い無く瞬くその目はいつでも信頼に応えてくれた、だから安心して任せられる。
 ジュンヤとゴーゴートならばこの宙を越えて必ず勝利を掴み取るのだと信じて、今は翼を休めて……ひと時の微睡みへ身を委ねた。

「よくやったねポリゴンZ、これで残るは……ゴーゴートただ一匹だけだ」

 忙しなく可笑しな挙動を繰り返しながら諸手を上げて無邪気に喜ぶポリゴンZを微笑ましげに眺めていた擦硝子の瞳が、最後に残された親友の相棒へ何を思うか微笑を湛えて細められる。
 ……降り続く雨は未だに苛烈に打ち付けて、徐に頷いたジュンヤが躊躇いがちに最後に残された紅白球を掴み取り微笑と共に目の前に翳した。

「そうだなゴーゴート、やっぱり強いなあレイ達は。昔からずっと……そうだったよな」

 黒雲がいつまでも垂れ込む幻影の宙に少年は大きく息を吸い込んで、嘆息と共に吐き出した。彼らとは十年前の夏休みに初めて出会い、今まで何度刃を交えたか分からないが結局一度も勝つことが出来なかった。
 それは旅に出てからも相変わらずで……共に時間を過ごしたほんの少しの穏やかな日々も、倒すべき敵として向かい合った幾度もの決戦でも結局刃を突き立てることは叶わず。

「だけどオレ達はみんなで一緒に強くなったんだ。もっと前にって手を伸ばして、やっとここまで辿り着いた」

 いつだって彼らは遥か遠く、追い掛けても追い掛けても彼方に聳えて……けれど必死で走り続けてようやく、親友の背中が手を伸ばせば指先が届きそうな程にまで近付いて来た。
 握り締めた紅白球から覗き込んでくる草山羊の紅い瞳は絶対に勝つのだという決意を湛え、決して譲れない希望に萌えていて、同じ心で繋がる二人は力強く頷き合って蔓延る泥濘へと身構える。

「オレ達にもう後はない、泣いても笑ってもこれで最後だ。でも……オレ達ならきっと出来るさ、絶対に大切なものを取り戻そう」

 幾度と深呼吸を繰り返して緊張でうるさいくらいに早鐘を刻み続ける鼓動を必死になって抑え付けて、帽子を脱いで汗を拭い風雨に乱れた髪を多少整えて深く被り直した。
 今まで何度悲しみを押し潰して来ただろう。強くなる為にってみんなで手を伸ばし続けて、絆で繋いで来た……仲間達の想いを背負っているのだ、負けられない。
 絶えず身体を射るどしゃ降りの雨、蔓延る闇と楽園を焼き続ける煌々の劫火。消えることなく影と射し続ける“あの日”の再演を改めて仰ぎ、暫時瞳を揺らし眺めていたジュンヤだが瞬き一つ大きく息を吸い込んで、吐き出すと最後に残されたモンスターボールを身構えた。

「さあ行くぜ、一緒に大切なものを守り抜くんだ……来てくれ、ゴーゴート!」

 絶対に勝つのだという強い想い、必ず取り戻すのだという確かな決意、大切なものを守りたいという変わらぬ願い。
 この戦いに臨む惑いなき心全てを込めて紅白球を全力で投擲すれば、劫火を照り返す一筋の軌跡が無数の雨粒を弾いて夜闇を切り裂く。色の境界から二つに割れて、眩い赤光が夥しく溢れ出し始めた。
 真紅の閃光は泥濘に収束していき、次第に象られていくのは大柄な影。特徴的な額から二又に伸びる湾曲した角を一閃して纏わり付く光を振り払い、咆哮を響かせ現れたのは首から背、尾にかけて瑞々しい深緑の葉の生い茂る草山羊。
 木の幹を思わせる茶褐色の体毛に全身を覆われ、逞しい四肢の先に堅牢な橙色の蹄を備えた紅い瞳を持つライドポケモンのゴーゴート。幼い頃からどんな時も一緒で、共に多くの困難を乗り越えて来たジュンヤの最強の相棒。

「ハハ、ついに来たねゴーゴート! キミを倒せばぜーんぶおしまい、ボクらも本気で叩き潰させてもらうよ!」
「悪いけどオレ達は潰されない、終わらせないぜ! みんなの思いを背負ってるんだ……絶対に勝つ!」

 大雨の戦場に向かい合う二人と二匹が高らかに叫び、不規則な動きを繰り返しながらポリゴンZはもう一踏ん張りと腕を構えて、ゴーゴートも後少しだと身を低く屈めて黒角を構えた。

「さあ早速行くよ、トライアタック!」
「エナジーボールで迎え撃つんだ!」

 早速攻勢に出たポリゴンZが両腕と嘴の先に炎と氷と雷、巴の力を収束させると三連列なる光線が解き放たれる。
 対するゴーゴートも自然の力を凝縮させた翠緑の光球で迎え撃ち、迸る稲妻とぶつかり合って相殺。迫り来る炎は蹄で地面を踏み締め跳ね上げた泥濘で遮って、矢と駆ける凍気を高く跳躍で飛び越えた。

「だったらこんなのはどうかな、れいとうビームで凍らせてあげるよ!」
「悪いけどそんなことしてる暇は無いんだ、リーフブレードで受け流せ!」

 容易く凌がれると予測していたレイは息を吐く暇も与えず指示を飛ばし、楕円の両腕を銃身と突き出して凍て付く冷気が一直線に放たれる。
 空中で身動きの取れない草山羊に避ける術は無いが、元より躱すつもりもない。掲げた黒角に自然の力を束ね光の刃と振り翳し、眼前に迫る冷凍光線を剣身に沿わせ受け流して対敵の懐へと潜り込んだ。

「行くぞゴーゴート、切り裂け!」
「ジュンヤ君ってば昂ってるね、がんがん強気に攻めてくるじゃんか。トライアタック!」

 やはり誘われていたのだろう、振り翳された光剣に一切の動揺を浮かべることはない。三種の光線が息付く暇すら与えず立て続けに連続で草山羊を貫かんと撃ち放たれて、幾度もの衝撃で舞い上がる爆風に視界が煙に覆われてしまう。

「……そうだよな、今のは見えた罠だった。それでも飛び込まなきゃいけない時もあるんだ」

 徐に呟いたジュンヤの声に呼応するように晴れ行く視界の中では、確かに大地を踏み締めた草山羊を覆うように極光の結晶“まもる”の技が眩く煌めいている。
 すぐ眼前には一寸先に離脱せんと後退するポリゴンZの姿が踊るが、そう容易く逃しはしない。翳した翠緑の刃を渾身の力で振り抜いて、深く袈裟斬りに切り裂いた。

「やった、今のはちゃんと当たったよね!?」
「まずいゴーゴート、躱してくれ!」

 歓喜に声をあげるノドカだが二人は用心深く戦場を見据えていて、不意の悪寒に咄嗟に身を躱すと煙を突き抜け冷気の光線が頬を掠める。
 どちらともなく飛び退り、晴れた視界の先には一撃が直撃したとは思わせない立ち姿で悠然と構えるポリゴンZ。恐らく技を命中させる直前に何らかの手段で回避されたのだろう。

「そんな、どうして……!?」
「多分“みがわり”か何かで攻撃を透かされたんだ。仮に防がれても問題ない、だから懐まであえて潜り込ませたんだな」
「わおすごい、ずばり正解、流石の知識だよジュンヤ君。みがわり持ってて良かったあ、まさに間一髪だったもんね!」

 みがわり、それは自身の体力を削り名の通りの身代わりになってくれる分身を生み出す技だ。多くのポケモンが覚える強力な技だが体力が無ければ発動出来ない、ファイアローから受けたダメージもあり恐らく使えてあと一回だろう。

「まだまだ、攻め込むぞゴーゴート! エナジーボール!」
「そうはいかないさ、トライアタックで迎え撃とう!」

 だから一気に切り崩す、深緑を束ねた光弾を放てば余程近寄られたくないのか、炎と雷と氷三つ巴の光線が所狭しと解き放たれてエナジーボールが相殺されてしまう。

「だったらリーフブレードで切り開くんだ!」
「へえ、随分勇ましいね今のキミ達。だったらこんなのはどうかな、れいとうビーム!」

 だが彼らの瞳に迷いは無い、前に進むと決めたから。矢と降り掛かる光線の弾幕に自ら飛び込み剣戟で切り払いながら一気に距離を詰めた。
 このままではまずいと感じたのだろう。レイがすぐさま指示を切り替えて放たれた凍気が草山羊に届くより前に泥濘に着弾、二匹を遮る壁のように巨大な氷柱が突き立てられるが咆哮と共に光剣を渾身で横薙ぎすればそれも忽ち崩れ落ちていく。

「……っ、まもるだゴーゴート!」

 氷壁を越え、切り込まんと構えた瞬間駆ける緊張に大地を踏み締め極光の結晶を障壁と展開。視界の先に立つポリゴンZの腕がそこに無く、見上げれば本体を離れた両腕が頭上から冷凍光線を解き放っていた。
 降り注ぐ凍気は障壁があろうと構わず世界を凍て付かせてゆく、惑わず輝く極光の盾が徐々に氷に埋もれていくとついには氷山の如く覆い尽くしてしまった。

「なるほどな……だけど、こんなのじゃオレ達の思いは止められない! エナジーボールだゴーゴート!」

 障壁を解き円形に広がった空間の中で草山羊が力強く頷いてみせる。自然の力を束ねた光弾を放てば壁面から此方へ真っ直ぐに跳ね返り、戻って来ると続けて掲げた極光の刀身がその力を喰らい一層力強く煌いた。
 ゴーゴートの備える特性“そうしょく”、くさタイプの技を受けた際に自身に還元させる能力だ。そして威力を底上げした光剣の刃を長く伸ばして振り翳せば聳える氷山を内から貫き、積み上げた防壁を切り裂く縦一閃が振り下ろされる。

「このまま行くぞゴーゴート、リーフブレード!」
「迎え撃つんだポリゴンZ、トライアタック!」

 中心で分断された氷壁が次の瞬間にはたちまちひび割れ粉々に砕け散り、無数の氷片の舞い降る宙に雨を掻き分け距離を詰めると刹那に二匹の双眸が交錯。
 譲れぬ意思を確かめ合えば三種の力を束ね爛然と煌く極彩色の光線が放たれて、迎え撃たんと振り翳した翠緑の光剣が真正面から受け止めた。

「やるねジュンヤ君、まさかこの威力に張り合うなんて!」
「何とかだけどな、やっぱりポリゴンZの火力は流石だよ!」

 ぶつかり合う力と力は光条を撒き散らしながら鬩ぎ合い、めくるめく夜闇を照らす強い輝きで互いを呑まんと眩く迸り続けて譲れぬ意志で拮抗が続く。
 だが……想いだけでは届かない、ただでさえ高いポリゴンZの特攻が特性“てきおうりょく”により威力を底上げされているのだ。必死に歯を食い縛って堪え続けるゴーゴートだが次第に威力の差に押され始めて、泥濘に少しずつ蹄の跡が刻まれていた。

「きっとこのままじゃ押し切られる……だけどゴーゴート!」

 分かっている、このまま撃ち合うのは得策ではない。ほんの少しだが距離が離れたことで言うが早いか刀身を傾けると軌道が逸れて背後が穿たれ、向かい風と共に受け流してなお鎬を削る光芒に草山羊が瞳を瞬かせると口元に光が収束していく。

「そうかジュンヤ君、キミの狙いは……ポリゴンZ!」
「元から何の策も無しに真正面から勝てるなんて思っちゃいないさ。エナジーボール、地面に放て!」

 火力勝負ではあちらに分がある、だがゴーゴートにはまだこの状況でも発動出来る技がある。自然の力を凝縮させた光弾が二匹の狭間の泥濘に炸裂すれば撒き散らされた泥がポリゴンZに襲い掛かり、ほんの一瞬集中が途切れたその刹那を彼らは見逃さない。

「はは、やるねえ、ボクらも本気だってのにこんなに容易く切り込んで来るんだから!」
「だってオレ達は本気の本気だからな、お前達に無理矢理にでも届かせてみせるさ!」

 力を振り絞り更に眩く光剣を閃かせると一気に懐へと滑り込み、対敵の両腕を跳ね上げ無理矢理こじ開けた隙に袈裟斬りと思い切り胴を切り裂いた。

「よくやったねポリゴンZ、危なかったあ!」

 ……かに思えたが、吹き飛ばしたその姿を仰ぎ見れば精巧な分身の胴体が二つに割れて消滅してしまう。雨粒を背に相変わらず不規則に身体を動かしながら舞うポリゴンZだが、流石徹底的に鍛えられている。腕を弾かれ刃が届くまでのほんの刹那の間隙を逃さず“みがわり”を発動していたのだ。

「……分かったよ、キミが言うなら止めはしない。劣勢を覆すにはこれしかないしね」

 だが“みがわり”を造り出すには体力を削らなければならない、もう発動出来ない程に体力は限界が近付いている。
 勝負の行方は明らかだ。このまま押し切られるならば……広がる夜を背に焦点の合わない瞳が決意に強く見開かれ、視線を交わすとレイが微笑と共に頷いて両腕を迷い無く砲口と振り翳した。

「しまった、躱された!?」
「ああん、もう少しだったのにずるいよ!」

 あと一歩、これでも刃は届かない。寸前でみがわりに遮られ紙一重で届かない刃に歯噛みしながら、突き付けられた腕を用心深く睨み付ければ途端に世界が予兆に凍る。

「……この技は。まずいゴーゴート、身構えろ!?」
「これって、もしかして……!?」

 掲げられた砲口の先には禍々しい漆黒の渦が逆巻いて、宙をも震わす純然たる膨大な力の奔流が余波で周囲を呑み込みながら無秩序な破砕音を響かせ一点へと収束していく。

「さあ行くよポリゴンZ、……はかいこうせん!」

 そして懐に隠していた宝石“ノーマルジュエル”を発動。ただでさえ凄まじい威力が跳ね上げられて悉くを滅ぼす破壊の光線が爛然と漲り、天を切り裂く漆黒の怒涛が全てを呑み込まんと閃光が走り解き放たれた。
 慟哭の轟音を響かせ蔓延る泥濘も吹き荒ぶ嵐も何もかもを掻き消し降り注ぐ絶望の光。芯まで凍る圧倒的な威容に真正面から対峙する草山羊は、しかし怖気付くこと無く振り返ると相棒と頷き合って希望に萌える瞳で果敢に身構える。

「来るぞゴーゴート、まもるで受け止めるんだ!!」

 その心は迷いなく研ぎ澄まされて、草山羊が勇猛に咆哮すれば眩い光の結晶が防壁と展開されていく。
 それは絶対に守るのだという強い願いを顕現させた彼らの信じる決意の盾。ゴーゴート自身は勿論相棒とその幼馴染も皆を暖かな輝きで包み込むと、翠緑の天球が宙に聳えて瞬いた。
 悉くを砕く破壊の光線と全てを守る極光の盾は、凄まじい余波を撒き散らしながら泥濘の戦場にぶつかり合う。弾かれた漆黒の光は夥しく撒き散らされて、表層を抉り削られた障壁からは光の結晶が零れ落ち、なおひび割れることなく決意の盾は聳え立ち続ける。

「……そっか、そうなのねポリゴンZ」

 吹き荒ぶ漆黒の暴威は絶叫と響き渡る轟音、押し寄せる光条を防壁の内より仰いだノドカが寂しげに目を細めながら呟いた。
 ……余りにも重く凄まじい威力を受け止めながら、ゴーゴートも少女の呟きに徐に追従する。嫌でも伝わって来るのだ、逆巻く絶叫を轟かせる一撃に乗せられた想いが、この決戦に臨む彼の心が。

「伝わってくるよ、お前の思いが。本当にレイのことが好きなんだな」

 大切なものの為に強くなりたいという純粋な願い、その為ならどんな姿になろうが構わないという一途な決意、その裏に影と隠れた抗えない運命への絶望。
 掛ける言葉も見つからず、ただその健気さに目を細めるがそれでも勝利を譲るつもりはない。帽子のつばを下げたジュンヤが「ゴーゴート!」と力強く叫んで圧倒的な力になお泥濘を踏み締めて堪え続ける。

「やるね、最後に会った時とは大違いだ……だけどボクらだってまだまだやれる! 最大出力、行くんだポリゴンZ!」
「そうだろ、あれから頑張ってずーっと強くなったんだぜ! だからオレ達だって負けないさ、行こう!」

 だが此方も負けるつもりは無いとばかりに破壊の光線が更に威力を増大させて、漆黒に逆巻く絶望の光が泥濘む地上ごと極光の盾を飲み込んでしまう。
 激しく振り翳された二つの光は世界を焼き尽くしながら揺るがなき意思で互いを呑まんと迸り続けて、……やがて降り続く雨の中で、黒き嵐と吹き荒ぶ破壊の光線が次第に収束しはじめた。

「……耐え切った、ありがとうなゴーゴート」
「……へえ、まさかここまでとはね。やるじゃないか、悔しいけど想像以上だよ!」

 そしてようやく晴れ行く夜空になお輝く極光が光線の収束を見届けると役割を終えたとたちまち崩れ落ち、雪のように降り注いでいく光の結晶は煌々と燃え続ける劫火を照り返し皮肉な程に幻想的にきらきらと煌めいていて。

「彼の全力の一撃すら防いで見せるなんてね、最後に会った時からホントに成長したもんだ!」
「お前達と約束したからな、また会おうって……だからここまで強くなれたよ。これで決めるぞゴーゴート、リーフブレード!」

 壮絶に迸る光線を受け止め切って、肩で息を吐きながら翠緑の光剣を掲げた草山羊が迷い無く泥濘を駆け抜ける。
 迎え撃つのは全霊を絞り尽くして柔く泥濘に降り立つポリゴンZだが、身体が言うことを聞いてくれやしない。あれだけの力を解放したのだから当然だ、眼前に振り翳された極光の刃に何を思うか目が細められて……渾身の一閃が、今度こそポリゴンZな身体を切り裂いた──。

「……これで」

 悲痛に放たれた悲鳴は雨に容易く掻き消されて、吹き飛ばされた丸い身体は幾度か地面を転がった後に力無くうつ伏せになって泥濘に冷たく倒れ伏す。

「……ふう、やっとレイの五匹目も倒せた。本当によく頑張ってくれたなゴーゴート」
「ホントすごいよ、あんなでたらめに強い技耐えてくれるんだもん!」
「……ありがとうポリゴンZ、お疲れ様。ゆっくり休んでね」

 これで、ようやく戦闘不能だ。安堵に胸を撫で下ろし相棒に労いを贈る喜色に溢れた二人とは対照的に、見事全霊を懸けて戦い抜いてくれた友達をいたわりながら寂しげにモンスターボールを翳すレイ。
 溢れ出す穏やかな紅光は余力無く一人転がるポリゴンZの丸い身体を優しく包みこんでいき、疲れ果てた戦士を連れて憩いの場所へと還っていった。

「……そんなことないよ。キミは面倒なファイアローを倒してゴーゴートを削ってくれたんだ、良い働きをしてくれたさ」

 紅白球のカプセル越しに見つめてくる胡乱な瞳は己の力不足を嘆くばかりに伏せられていて、しかし少年はハンチングのつばを下げると微笑を浮かべて首を振る。
 片方は満身創痍とはいえ、彼が厚い信頼を置く二匹にそこまでやってくれたのだから仕事量としては十分すぎるくらいだ。

「そんなに気にしなくたって、キミはいつもボクを助けてくれてるってば。様々な場面に対応出来る適応力の高さをこれでも頼りにしてるんだぜ」

 苦笑を浮かべてそれでも、と俯く彼に声を掛ければ分かりやすく笑顔が浮かべられる。
 彼はいつでも自分が役に立てているのか、なんてことを気にしていて、きっと元来の臆病な性格と特殊な誕生経緯によるものだろう。
 ポリゴンZは……そのたねポケモンであるポリゴンという種族は、元々遠い極東の地方で開発された存在らしい。エイヘイ地方では二十年以上も前に当時の最先端技術の粋を結集させて誕生した人工のポケモンだが、時代の変遷についていけずに廃棄されていたところを偶然見つけて仲間にしたのだ。

「……きっと、もっと別の何でもない人についていってたら、穏やかに暮らせたろうに」

 分かっている、この世に生を受け、生まれ持った能力故に本人には選択の余地も無かったのだと。
 幸いオルビス団にはエドガー君という頼れる技術者が居る。彼に頼んでアップデートしてもらったおかげで無事にポリゴン2へと進化を果たして、共に戦う仲間として活躍してくれていたのだが……。
 ……ある日、いつも通りの戦闘訓練を終えて満身創痍で自室に帰るとポリゴン2がインターネットに潜り込んでしまった。彼はしばしば自己学習を行なっていたので大して気にも留めなかったのだが……彼が思い詰めていたことに気付いてあげられなかった。

「あの時には気付いてあげられなくて本当にごめんね。ボクも余裕が無かったみたいだ」

 ポリゴン2が電子の旅から帰ってきた時には、もっと強くなりたいからと自分で自分をアップデートしてしまったのだろう、既にポリゴンZへと進化を遂げていて。
 これは後から知った事実だが、その時に触れたのがあやしいパッチという遠方の地方で開発された製品だ。誰かがデータ収集を行う為に不正にインターネット上にばらまかれていたところに偶然発見してしまったらしい。

「それと、ありがとう。キミ達を悪の道に巻き込んだボクなんかの為に、そこまでしてくれて」

 なかばひとりごちるような徐な呟きに、ポリゴンZは勢い良く首を横に振って否定した。助けられたのは自分の方だ、時折生活に不便こそ生じているが……後悔は無い、そのおかげで進化する以前より格段に役に立てているから、と。
 全く、なんてお互いに頑固なのだろうと思わず苦笑をこぼすが不意に丸みを帯びたその表情が陰ってしまう。結局光壁を押し切る事も出来ずこの宙に勝負の行く末を案じているのだろうが……まだ相棒が控えているのだ、何も心配はいらないとばかりに笑顔で返す。

「大丈夫、後はボク達に任せて。まだゾロアークが残ってるんだ、絶対に勝って護ってみせるから」

 ゾロアークの強さは自分達が一番よく理解している、だからこそその言葉に心底安堵したのだろう。既に意識を保つのに限界が来ていたポリゴンZは安堵と共に落ちてゆくように意識を失い、最後にもう一度「ありがとう」と呟いてからベルトに装着し直した。
 ……暫時降り注ぐほんのひと時の冷たい静謐、ざあざあと鳴り続ける雨がこだまする中で「ジュンヤ君」と男にしては高い、女にしては低い心地の良い呼び声が高らかに響いた。

「キミは言ってたね、“これが絆の力”だって」
「……ああ、いつもオレ達を支えてくれたよ」

 脳裏に過るのは支えてくれたみんなの姿だ、彼らが居てくれなければ自分は今程強くなれなかったろう。
 真っ直ぐに此方を見据える少年の口元が微笑を湛え、擦硝子の瞳は徐に揺れる。鋭く睨め付ける眼差しが覗き込むように細められると、更に言葉が続けられた。

「でもね、キミ達が決して希望を失わずに皆で絆を紡いで来たように……ボクとポケモン達は、ボクらオルビス団は絶望の中固い絆で結ばれて来たんだ」

 ハンチング帽のつばを下げて瞼を伏せれば、脳裏には物心ついた時から繰り返され続けて来た絶望の日々が昨日のように鮮明に蘇っていく。
 何度圧倒的な力で叩き潰されて来ただろう、死の淵を彷徨うことなど日常茶飯事の出来事だった。何もかもが億劫になり立ち竦んでも、大切なものが自分のせいで失われても、己には選択の自由すら与えられずただ強くなるしか道は無く。
 同じ最高幹部である二人も、歩んで来た道こそ違えどそれぞれ瞳には暗く深い絶望を映していて──だからこそ、信頼し合える仲間だと思えた。皆で同じ最高幹部として歩き続けて来た。

「レイ、お前……本当にすごいよ。それでも希望を失わずに歩き続けて来たんだから」

 届かない声で呟いて、帽子のつばを握り締める。
 眩く燃え立つ爛然の劫火に照らされる少年の顔には一層深い影が刻み込まれていて……どしゃ降りの雨が霞める視界の先で無彩に瞬く擦硝子の瞳は、惑いなく此方を見据えている。

「だから……ボクにも背負っているものがあるんだ、絶対に負けられない。ボクを信じてくれたみんなを護り抜く、それが最高幹部であるボクの使命だから」
「そうだな、お前は言ってるもんな……一つでも多くのものを護るって。だけどオレにも守りたいものが数え切れない程あるんだ、悪いけど負けるわけにはいかないよ」

 見上げれば空は黒く分厚い積乱雲に覆われていて、いつ降り止むとも知れないあの日の雨が皆を鋭く射続けている。広げた掌からは受け止め切れない雫が冷たく零れ落ちていき、瞼を細めて天を仰いだジュンヤが複雑に入り混じった感情にゆっくりと嘆息を吐き出した。
 何もまもれずに全てを失った“あの日”は未だに影と付き纏い、向かい合う親友と始まった約束の決戦は熾烈な激闘の末にもう間も無くでこの宙と共に終わりが訪れるだろう。
 最後に残されたのは何度も圧倒的な力で立ち塞がって来たレイの最強の相棒ゾロアーク、けれどこの胸に宿る希望は決して消えることはない。
 大切なものを守ると自分自身に誓ったから、皆で乗り越えるのだと願ったから、絆を信じて全力で戦い続ける。そして……必ず伸ばしたこの手で掴み取ってみせる、この戦いの果てにある探し続けて来た“答え”を。
 対峙する少年はハンチングのつばを下げながら擦硝子の瞳を瞬かせ……ついに、雌雄を決する最後のモンスターボールが掴み取られた。

■筆者メッセージ
ジュンヤ「……本当に強いな、レイは。だけどまだだ、オレ達にはゴーゴートが残ってる」
ノドカ「ゴーゴートはいつだって私たちを助けてくれた、ジュンヤの最強の相棒だもんね。だから……きっといけるよ、あなたたちならぜったい勝てる!」
レイ「生憎ゾロアークだって、いつもボクらを支えて来た相棒だ。キミ達が逆境を乗り越えて来たように、ボクらも絶望の中で立ち向かい続けてきた」
ノドカ「だけど……あなたたちがそれを言うの?たくさんの人たちを絶望させてきたのに!」
レイ「それを言われたら弱いなあ、言い返す言葉が無いよ!だけどまあそういうことだから、ボクらはゾロアークを信じてる、勝たせてもらうよ」
ジュンヤ「ああ、全力で行くぜレイ!お前達には一度も勝ったことはなかったけど……今日ここで乗り越えてみせる!」
レイ「それは楽しみだな、ボクらも全力で行こうかゾロアーク!」
ゾロアーク「……」
レイ「あ、ごめん……まだボールから出してなかったね」
せろん ( 2020/08/08(土) 20:36 )