ポケットモンスターインフィニティ



















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第十三章 時を刻む極光
第111話 降り止まない悲しみ
 互いに譲れぬ想いを掲げて鬩ぎ合う夜闇に苛烈な剣戟が火花を散らし、呼応するように激しさを増す雨に泥濘を踏み締め立ち向かう少年が必死になって叫び続ける。
 暴威と押し寄せる苛烈な攻勢は瞬く間に押し潰さんと力を振るい、全霊を賭けて必死に食い下がり残されたポケモンは互いに四匹。だが恐らく此処から一気に戦局は加速していくだろう。

「それにしてもやるじゃんかゴーゴート。はらだいこを発動したマリルリを突破するなんて、流石はジュンヤ君の相棒だ!」
「だろ、いつもここぞという時に決めてくれるんだ。みんな本当に頼りになるやつだよ」
「だろうね、バトルを通して伝わってくるもん。キミとポケモン達の間にある“揺らがなき絆”ってやつがさ」

 苛烈な戦いに息を切らしながらも誇らしげに胸を張って相棒が頷けば、対峙する少年は茶化すようにおどけて笑う。けれど誰かと誰かを繋ぐ絆はそう簡単に揺らぐものではない、それはこの旅の中で幾度と目の当たりにして来た。

「当たり前さ、繋がりはそう簡単に切れないんだ。たとえ記憶を奪ったってな」
「良いこと言うね、全く以ってその通りだよ。じゃなきゃボクらはこうして向き合ってないもんね!」
「はは、本当だな……こんな戦いに自分から飛び込むことになるなんて思ってもなかったよ」

 見渡せば篠突く雨が轟々と降り注ぎ宙を閉ざして、荒れ果てた泥濘に立ち尽くす彼らはお互いの譲れぬ信念で対峙している。だが少し前まではこんなことになるなんて思ってもいなかった、未来は分からないものだと思わず苦笑を零してしまう。

「さあて、それじゃあ次は……ふふ、そういえばあの時も雨が降り出したんだっけ。ホントにボク達は雨に縁があるみたいだ」

 瞼を閉じれば鮮明に思い出せる、かつて楽園が失われたあの日と同じ……自ら大切な親友を傷付けてしまったことを。何の気なしに見つめた掌は嫌悪を抱く程に穢れていて、自嘲気味に鼻を鳴らしながら腰に装着された紅白球へと左手を伸ばした。

「次は誰が出てくるんだろう。とにかく勝てそうな子でありますように!」
「……オレには分かるよ、あいつが次に出すポケモンが。だって忘れられるわけないからな」
「ジュンヤ、……それって」

 相変わらず貼り付けた笑顔を崩さない親友は軽率に腰に装着されたモンスターボールを掴み取り、舐めるように親友を見据えながら握り締めた紅白球を軽く構える。 
 降り続く雨が煌々の劫火を照り返して。深く下げたハンチング帽の奥で溜息混じりに目を細めれば擦硝子の瞳が想い出に揺れて、躊躇うような徐の瞬き一つ、双眸は再び対峙する親友の姿を捉えた。

「そろそろ出番だね、次はキミに任せたよトゲキッス!」

 横薙ぎに投擲された紅白球が雨を切り裂き、色の境界から二つに割れると夥しい赤光が溢れ出していく。光が大きな影を象っていき、徐に光が晴れると現れたのは純白の身体。
 赤青白の三本の突起が頭から伸び見るものを幸福にする穏やかな顔付き、全翼機の如き大きな翼を備えた天使にも似た純白の鳥。
 この夜景とは不釣り合いな程に柔く白く降り注ぐ羽根の美しさに思わず息を呑み、優雅な天上の羽撃たきを見上げれば脳裏にはいつかの大敗が身を裂くように冷たく蘇っていく。

「わ、あの子かわいい〜! えーっとぉ……」
『トゲキッス。しゅくふくポケモン。
 揉め事の起こる場所には決して現れない。近頃姿を見かけなくなった』

 ノドカが翳した図鑑の電子音声が抑揚無く生態を読み上げて、今揉め事のまっさいチュウじゃないのかな、なんて思わず苦笑を零している横でジュンヤが帽子のつばを下げ慎重に見据えた。 

「ふふ、この子のことは覚えてるかいジュンヤ君。それともその後の衝撃で忘れちゃったかな?」
「勿論覚えてるさ、忘れられるわけがない。お前がビクティニを連れ去ったあの時だろ」
「あーらら人聞きが悪い、野生のポケモンを捕まえただけでそんなこと言われちゃうなんて世も末だねえ」
「あの時だけじゃない、もしオレがもっと強ければ……一つでも大切な何かを守れたはずなんだって。これまで何度も何度も、それこそ毎晩考え続けてきたよ」

 かつての友であるビクティニを捕らえる為にトゲキッスに跨り追い掛けた親友の背が。芯まで凍り付く圧倒的な存在感を以て“あの日”の先に立ち塞がるヴィクトルの強大さが。
 圧倒的な力を見せる彼らに一矢報いることすら出来ない、どうしようもない己の無力が瞼の裏へこびり付いて離れない……何も守れずに大敗を喫してしまった、人生で二度目の絶望を忘れられるわけがない。

「ジュンヤ、あなたは何も悪くなんてない。あなたが責任を感じたりする必要はどこにもないのに……」

 そんな、いつだって守りたいと願って自分を責めるジュンヤの姿は痛々しくてとてもじゃないが見ていられなかった。だから隣で支えたい、と願い続けて来た。
 二人の幼馴染みは自身の敗北のせいだと酷く自責の念に駆られて塞いでいた。彼らのせいなんかではない、全部悪いのは引き金を引いたオルビス団なのだから……二人が気にする必要なんてないはずなのに。

「アハハ……思い出すだけで嗤えるよ。ヴィクトルに叩き潰されて“また”逃げ出して、ホント苛つくくらいに惨めだったよねえ!」
「ねえ、なにが面白いの。なんであなたは友達が辛い目にあって笑ってられるのレイ君!?」
「なんでって……フフ、だって笑うしかないじゃんこんなのさ!」

 白銀の髪が嵐に靡いて渇いた哄笑が夜に響き、深く下げられた帽子のつばの奥には口調と裏腹な冷たい瞳が遠くを見据え彼方へ嘲る。
 大切な幼馴染への侮辱に思わず食って掛かるノドカだがレイの擦硝子の瞳は向き合うことなく何処へ揺れて、確信へと触れないままで半ば独りごちるように嗤い続けた。

「誤魔化さないでよ! ジュンヤはずっと、あなたたちの」
「良いんだノドカ、それ以上は」

 前へ歩み出て親友を睨むノドカを遮るように右腕で制して、納得出来ないと言わんばかりに「でも……」と口ごもる少女へジュンヤは穏やかに笑ってみせる。
 もうこれ以上優しい彼女が激昂する姿なんて見たくない、それに今更大敗を突かれたって何度も心中で反芻を繰り返した“ただの事実”だ。

「恥ずかしいけど言い返す言葉も無いよ、オレは二度も大切な友達を置き去りに逃げたんだから。それは事実だからな、認めるぜ」

 これまで数え切れない程自分の無力に歯噛みしてきた、どうして皆みたいに強くなれないのだろうと血が滲みそうな程に強く拳を握り、耐え難い己の無力に歯を噛み締めてきた……けれど。

「だけどあの時負けたからこそ強くなれたんだ。ビクティニを絶対に助け出して、今度こそ守り抜いてみせるさ」
「……へえ、すっかり消化し切ったって感じだね」
「助けてくれたみんなのおかげだよ」

 あの時あの場所でヴィクトルと対峙出来たことで、目を背けていた自分の弱さにようやく向き合えた。そのおかげでレイと少なくとも向き合えるくらいには強くなれたのだから笑われたって構わない。ただ、一つだけ。

「なあレイ、これだけは聞かせてくれ」
「さあてどうしよっかな。それでなにかな、ビクティニのことかい?」
「……ああ。どうしてなんだ、なんでビクティニを……だってあいつはオレ達の親友だったじゃないか!」

 どうしても本人の口から聞きたかったことが一つだけある。それは彼自身も理解しているようで、たおやかに微笑みながら小首を傾けて尋ねて来た。分かっているのなら話は早い、単刀直入に心を叫べばレイは可笑しいみたいに灰色の目を白黒させて。

「うん、そうだけど……だからどうしたの?」
「『だからどうしたの』って……お前は何にも思わないのかレイ、友達が今も苦しんでるんだぞ!?」
「もちろん残念でしかたがないよ。ビクティニも無限の力を持って生まれちゃったばかりに、ホント災難な目に遭ってるよね!」

 平然と、何でもないことかのように薄ら笑いを浮かべながら軽薄に語る親友に思わず歯軋りをして必死に叫ぶが、その声は未だ笑顔の先へは届かない。
 心底から投げ掛けた悲痛な声は未だ降り続く雨に掻き消されその切っ先は届かずに、顔色ひとつ変えることなくあまりにも無感動にあっけらかんと言い放った。

「まあまあ、そう激昂しないでよ。別に死ぬわけじゃないんだし、ビクティニ一匹が犠牲になれば多くのポケモン達が苦しまずに済むんだから……ね?」
「そんなのただの言い訳じゃないか、誰も苦しむ必要なんてない! 目を覚ませレイ、お前だってこんなこと望んでないんだろ!?」
「だから言ったろ、しかたないって。誰が望むとか望まないとかそんな話じゃないんだよ、ただなるべくしてなった、それだけの話さ」

 そしてこれ以上の対話を拒むかのように睨み合っていた双眸が宙を仰いで、「準備は良いかいトゲキッス」と呼び掛けてから指で軽く帽子のつばを弾くと険しく構えた自分達の瞳を悠々と覗き込んでくる。

「さあ質問タイムはもうおしまい、そろそろ始めちゃおうよジュンヤ君」
「……そうだな、まだまだバトルは続くんだ。一度戻って休んでくれゴーゴート」

 流石にこの不利対面で無理に突っ張るのは無謀を極める。翳したモンスターボールから紅い閃光が迸り、主人同様やや息を切らせて佇む草山羊が次の出番へ備えて束の間の休息へと帰還した。
 ……相手はかなりの高水準で攻防の能力を備えた、ブーバーンにも引けを取らないであろう強敵だ。下手な選出をすれば忽ち敗北へともつれ込んでしまう。
 脳裏でこの先の戦いへの展開を可能な限り予測していれば、不意に腰に装着された紅白球の一つが揺れた。

「ドサイドン、お前やれるんだな?」

 自らこの局面で立候補したのは強力な力を持つ鎧犀だ。確かに彼ならば有利な相性で立ち回れて、今回は特殊相手に強い持ち物を持たせている。
 もうマリルリに交替される恐れも無い、ならば此処で任せるにはドサイドンが適任かもしれない。カプセル越しに構える彼は両拳を打ち鳴らして既にその気になっており、迷う事なく掴み取った。

「よし、ここはお前に任せたぜ! 絶対に撃ち落とすんだドサイドン!」

 勢い良く投擲した紅白球が雨を切り裂き宙に開けば、夥しい赤光が巨大な影を象っていく。
 腕の一振りと共に纏わり付く光を払えば、現れたのは天を衝く雄々しいドリルの角に火山の噴火すら耐える全身を覆う強固な鎧。大砲の如き頑強な腕の先には岩弾を詰める穴があり、逞しい尾の先には砲丸の鉄槌が備えられている。
 ドリルポケモンのドサイドン、圧倒的な攻撃力と高い耐久力が特徴の褐色の鎧犀だ。
 強く吹き付ける虚影の雨は頬を掠めて宙を閉ざし、束の間の張り詰めた静謐に二人と二匹が睨み合う中で──不意に、高らかな掛け声が響き渡った。

「さあ、それじゃあ行かせてもらうよ。まずは手始めエアスラッシュ!」
「迎え撃つんだドサイドン、ストーンエッジ!」

 高らかな指示でトゲキッスが羽撃けば真空の刃が夜を切り裂き降り注ぎ、しかし迎え撃つ鎧犀の防御力は凄まじい、怖気付くことなく砲台の腕を突き出した。
 全身を襲う無数の空刃は鎧を切り裂くには至らない、すぐさま反撃に転じようと照準を合わせたドサイドンが瞬間苛立ちに眉間を皺寄せる。

「しまった、ひるんで動けない。だけどドサイドン、今だ発動しろ!」
「へえ、あの子の持ち物はタラプのみか。ボクのパーティをばっちり警戒してたみたいだね?」

 互いに戦況を仰いで怪訝に呟き、鎧犀が懐からタワシのように毛に覆われた甘い果実“タラプのみ”、特防が上昇するきのみを取り出し頬張った。
 ほんの刹那の間を置いて、鎧犀が筋肉に力を込めれば掌から鋭利な岩弾が次々に撃ち出されていく。だが一瞬の差が出てしまった、既に身構えていた標的は弾丸を背に悠々と羽撃き、何も知らないかのようにふわりと空へ舞い踊る。

「どうしてドサイドン、今少し動きが遅くなって……あっ!」
「ああ、怯んで動けなかったんだ、あのトゲキッスの特性は多分”てんのめぐみ”だろうな」

 そう、エアスラッシュにはおどろかすのように時折相手を怯ませてしまう効果があり、くわえて特性”てんのめぐみ”はその発動率を跳ね上げる。そしてレイの推測通りドサイドンの持ち物は“”
 ドサイドンと対面させられて本当に良かった、改めて安堵に胸を撫で下ろす。もし他のポケモンならば、でんじはを覚えていた場合は最悪何も出来ずに蹂躙されてしまったから。

「だったら次の攻撃はどうかな、マジカルシャインで攻め立てようトゲキッス!」
「この攻撃を待ってたよ。今だドサイドン、ロックカット!」
「へえやるね、良い指示を出すじゃんかジュンヤ君。ボクらも負けてられないね、わるだくみしちゃおうトゲキッス!」

 トゲキッスが羽を広げれば眩い幻想的な虹光が溢れ出し、一点に集束すれば幾重もの光弾となって解き放たれた。
 流星群にも似た夥しい光の棚引きが飛び込んで来てなお彼らは動じない。ドサイドンが逞しく発達した拳を鉄槌と地面を殴り付ければ舞い上がる砂塵の嵐が包み込み、頑丈な鎧が摩擦によって研磨されていく。

「そっか、これなら防御もいっしょにできるから!」
「ああ、だからやるなら今しかないと思ったんだ」

 そして降り注ぐ光弾は悉くが吹き荒れる砂嵐に巻き込まれ、かろうじて突き抜けた幾条が着弾と共に炸裂していくが威力は減衰してしまっていた。
 黒煙が立ち込めるその真ん中で鎧犀は傷など無い様に悠然と立ち尽くしていて、鎚腕を握り締めながら不敵な笑みで睨め付ける。

「だけどおかげでこっちもやる気満々準備オーケーさ、そうだよねトゲキッス!」

 しかしやはり彼らは一筋縄ではいかない。迎え撃つ天使はその顔に似合わぬ悪意に嗤い、悪事を企むことにより頭を活性化させ自身の特攻を跳ね上げている。

「一気に畳み掛けるよ、マジカルシャイン!」
「この威力……そうか、トゲキッスの持ち物は!」
「そうさ正解、せいれいプレートを持たせているんだ!」
「っ、かなり厄介だな。この技は避けられない、行けるかドサイドン!」

 “せいれいプレート”、それは持たせたポケモンの放つフェアリータイプの技の威力が上昇する力の結晶だ。更に苛烈さを増して宙を焼き焦がす虹光を仰いだ鎧犀は、しかし主からの呼び掛けに一切の逡巡無く頷いた。
 相手は幾度と立ち塞がり悉くを叩き伏せて来た強敵だ、下手に策を弄したところで届かない。ならば自分の為すべきことは一つだけだ、真正面から……押し切るまで!

「そうか、ありがとな無茶させて。行くぞドサイドン、アームハンマーだ!」

 柔らかな羽ばたきと共に溢れ出した虹光は夥しい熱量で大地を焦がし、幻想的な光の輝きは全身を覆う鎧ごと一切を貫かんと眩く灼く突き射してくる。
 幾条もの光芒の照射を浴びて容易くは堪え切れない痛みに思わず歯を食い縛り、なお雄々しい咆哮をあげて飛び込んでくる巨犀が鉄槌を振り翳せば、トゲキッスは思わず驚愕に目を見開いた。

「へえ、すごいじゃんかドサイドン。避けられるかいトゲキッス!」
「避けさせないさ、このまま殴り抜ける!」

 咄嗟に身体を傾け半身を翻したが既に遅い、振り下ろされた渾身の一撃が純白の身体を捉えた……誰もがそう思った次の瞬間、「なーんてね、しんそく」少年の澄んだ声が冷たく夜を切り裂いた。

「なっ、トゲキッスも覚えてるのか!?」

 勿論覚えること自体は分かっている、彼のバトルスタイルを鑑みれば可能性の高い技ではあったろう。それでも、心の何処かで抱いていた”はどうだんかかえんほうしゃ辺りであってほしい”、という淡い期待が砕かれたことに叫んでしまった。
 刹那、音すら抜き去る超高速で羽撃いたトゲキッスが嘲笑うように真横をすり抜けて、瞬く刹那に突き抜けた背後から相変わらずの無垢な笑顔でこちらを俯瞰している。

「だけど……まだだ、ストーンエッジ!」

 着地と共に泥濘を踏み砕けば背後に無数の岩柱が列を成してトゲキッスへと迫り上がり、更に追撃と振り返って掌から無数の岩弾を射出していくが彼女は流石の速度。
 「甘いよ、そんなんじゃ風は掴めない! もう一度しんそく!」その超高速で流れるように悉くを躱されてしまう。

「構えるんだドサイドン、反撃が来るぞ!」
「その通り、キミ達ばっかりずるいからね、今度はボクらから行かせてもらうよ! さあエアスラッシュだ!」
「今のお前の速度ならいけるはずだ、かわしてくれ!」

 彼女が夜天を背負い羽撃けば、無数の真空刃が宙を切り裂き鎧犀の巨躯目掛けて矢の雨とばかりに降り掛かった。

「アハ、流石速くなっただけあるねえ。でも所詮そこが限界さ、いつまで避けてられるかな!」

 それでも今の速度ならば、あるいは。力強く泥濘を踏み締め思い切り蹴り付ければ巨体に見合わぬ高速でドサイドンが動き出し、すり抜け半身を切って受け流して、と目まぐるしい風の空襲を必死になって凌いでいく。

「そんなの決まってるよ、ここまでさ!」
「へえ、なるほど、可能性に賭けるんだね?」

 槌尾の一薙で幾つを砕きながら視線を交差させたドサイドンと彼が頷き合って、このままでは躱し切れずに疲弊してしまうだけだ、埒があかないと意を決して勝負に出た。

「ああ、押し切られるよりはマシだからな! 行くぞドサイドン!」
「来るよトゲキッス、撃ち落としてあげよう! エアスラッシュ!」

 空刃を躱しながらも少しずつ縮めていた自身と対敵との距離に鎧犀が嗤う。両腕を構えた彼が渾身で大地を蹴り付けると退路など考えず猛然と飛び掛かって、嘲笑うように白く舞うトゲキッスが羽ばたけば無数の真空刃が放たれていき。

「なんて無理やりな攻撃だ、面白い動きをするじゃん相変わらず!」
「全然嬉しくないけどありがとう、アームハンマーで攻め立てろ!」
「礼なんていらないさ、ボクとキミの仲だもん!」

 それでもなお弾き出されたドサイドンは止まらない。幾重に切り込まれ頑強な鎧が裂けようと、吹き付ける向い風に阻まれようと勝利を信じて進み続けて──ついに、二匹の距離が目と鼻の先まで詰められた。
 鎧犀の険しい瞳が問い掛ける、人から幸せを奪い続けて今本当に幸せなのかと。困ったようにトゲキッスは笑う、それが大切な主の選んだ護る為の道なのだからと。

「もう逃がさないぜ、今度こそ決めてやる!」
「あらら残念、怯まないか。それならしんそく、避けてトゲキッス!」

 眼前に羽ばたいていた白影が残像を残して掻き消えて、遅れて翳された渾身の鉄槌は虚しく空を切って振り抜かれる。あと少しで届かない屈辱に歯軋りすれば真横を笑顔の天使が通り抜け、すぐさま振り返って次の指示へと身構えた。

「あーもう、ホントに速すぎてずるいよお!」
「ははっ……だけどこうなることは読めてたさ。まだまだ行くぞドサイドン、ストーンエッジ!」
「まだ分からないかいジュンヤ君、ボクのトゲキッスはそう簡単には捉えられないさ!」

 先程から悉くを透かされて一方的に攻め立ててくることに痺れを切らしたノドカが思わず叫び、対するジュンヤは苦笑を零しながらも冷静に指示を飛ばせば翳した右腕から無数の岩弾が撃ち放たれる。

「ほらね言ったでしょ、風は捕まえられないんだってば」
「オレ達の攻撃は終わっちゃいないさ、そんなのまだまだ分からないぜ!」
「面白いじゃん、だったら何が出来るか見せてもらいたいもんだね!」
「焦らなくてもすぐに見られるぜ、もう一度ストーンエッジだドサイドン!」

 案の定旋回や迎撃で凌がれ砲撃はその純白に傷を付けられない、凌ぎ切ったと安堵に息を吐くトゲキッスだがこれで攻勢は終わらない。
 左腕で射出した球塊が背後の泥濘へ着弾すると巨大な石柱が突き立てられて、渾身の力で振り抜いた槌尾で殴り付ければ反動で無理やり軌道を変えて弾き出された。

「今度こそ食らわせてやる、アームハンマー!」

 猛然と迫るドサイドンを仰いだトゲキッスが振り向けばレイと視線で言葉を交わし、力強く頷けば迎え撃つように悠然と羽ばたく。
 此処で勝負に出るようだ、緊張に息を呑む間もなく二匹の距離は目と鼻の先まで近付いて、懐まで潜り込んだ彼が渾身の鉄槌を振り下ろした。

「さあ今だトゲキッス、これで決めよう、マジカルシャイン!」

 瞬間トゲキッスが身体を傾け半身を切れば純白を掠めた拳は雨を弾いて虚しく空を裂く。一呼吸と共に溢れ出した眩い虹光は暗く覆う闇を溶かして、火傷塗れの鎧を貫かんと利剣の光芒が突き刺さっていく。

「だけどお前なら耐えられる、あと少しで届くんだ……信じてるからなドサイドン!」

 それでもなおドサイドンは怯まない。全身を灼く激しい痛みが薄れ掛けた意識を泥濘む戦場へと引き戻し、主人の呼び声が闘志を一層掻き立てる。
 勢いを殺されあまりの光量に吹き飛ばされながらもその目は確かに対敵を見据え、彼の意地っ張りを信じるジュンヤが帽子のつばを下げて高らか叫んだ。

「っ、釣られたよ、キミ達の狙いは。相変わらずムチャな戦術ばかりするね!」
「肉を切らせて骨を断つ、そうでもしないとお前達には勝てないさ。この瞬間を待ってたぜ、今だドサイドン!」
「これはヤバいな……避けるんだトゲキッス、しんそく!」
「行くぞ、がんせきほうで決めてくれぇっ!!」

 呼応するように怒号をあげた鎧犀が突き出した腕の先には巨大な岩塊が形成されて。勝負を賭けて撃ち放たれた全力全霊の一撃は、爛然とめくるめく降り注ぐ光条の雨を砕きながら迷わず一直線に突き進んでいく。
 驚愕に目を見開いたトゲキッス、相変わらずの無謀さに咄嗟に指示を飛ばすレイだが、“ぶっ倒す”という強い意志を込めて放たれた砲弾はあまりに速く技の発動が間に合わない。

「流石だね……無事かいトゲキッス!?」

 結局レイの呼び掛けは届くことなく、羽ばたきが空を切るより速く轟く巨大な岩石砲が純白の身体を貫いた。
 悲鳴と共に岩塊が砕け散り、翼をもがれ撃ち落とされたトゲキッスは雪のように舞い散る羽毛と瓦礫を縫って頭から泥濘へ墜落してしまった。

「……ふう、やられたよ。ごめんねトゲキッス、もう少し慎重に行けば良かったな」

 相性不利であまり長引かせるのも得策ではない、だからと少し勝負を急いでしまったことは否定出来ない。モンスターボールを翳せば眩い閃光が泥に塗れて横たわる純白を包み、まとわりつく紅い光ごと安息の地へと飲み込んでいった。

「やぁやられたな、思ったよりも耐えてくれちゃうんだから。あのダメージなら押し切れるって思ったのになー!」
「はは、本当に偉いんだドサイドンは、いつも無茶に応えてくれるから頼りにしているよ。おかげで数少ない勝ち筋を繋げられた」
「くす、なるほどね、キミ達の立ち回りってムダに無茶に慣れてるんだもん。ま、まず無謀じゃなきゃオルビス団に挑まないか!」

 左手で軽く紅白球を弄びながら、からころと転がるような笑顔でおどけた賞賛を送るレイへとつばを掴んで苦笑を返す。この旅は振り返れば無茶ばかりで、気付かぬ間に慣れてしまったのかもしれない。
 いつだって、そんな僅かな可能性に賭けて挑んで来た。何度も死ぬ気で強大な相手に立ち向かって、数え切れない窮地を無理やりくぐり抜けてこの決戦まで繋いできたから。

「確かにそうかもな、お前達には何度殺されそうになったかも分からないのに」
「だのにキミ達は楯突いてくる。ホントどうしようもないね、誰も“最強の男”に勝てるわけないってのに」
「そんなこと言われてもしかたないだろ、これ以上大切なものを諦めたくないんだからさ」

 なんて帽子のつばを下げながら呆れたようにはにかむ少年の背では幼馴染みが瞳を揺らしながら微笑んで、対峙する最高幹部の彼は何を思うか眼を細めた。

「おや、もう目を覚ましたんだ、お疲れ様だねトゲキッス。勿論、キミがタマゴから孵った日のことは今もはっきりと覚えているよ」

 視線を落とすと軽く握った紅白球の中から人を癒す可愛らしい笑顔が覗いてきて、懐かしむように瞼を閉じれば主人の少年も同調して遠きいつかに想いを馳せる。
 当時はまだ今よりも幼くて知識も乏しく、必死に資料に目を通しながらエドガー君に助言を仰いでタマゴから孵るまで見守り続けて。ようやく殻を破って新たな命が産まれてきた……あの感動は、暖かな鼓動は忘れることがないだろう。

「ホントにトゲキッスは優しいね。こんなボクなんかと一緒に居て、それでも幸せを感じてくれてるんだから」

 その言葉にトゲキッスは首を横に振り頷いて、満足そうに微笑みながら瞼を伏せて眠りについた。言葉は通じなくとも何を思っているかは伝わってくる、……『一緒だから幸せなんだ』と嬉しいことを言ってくれるよ。

「ふう、これで残るポケモンは三匹か。これはちょっとピンチかもなあ、頑張らないとね!」
「よく言うぜ、そんな『負ける気がしない』みたいな顔しておいて」

 なんて僅かの情報すらなく腰に紅白球を装着し、指で軽く帽子のつばを弾いて笑った。
 とはいえ彼の余裕も間違いではない。こちらは満身創痍が一匹に手負いが二匹、無傷なのはシャワーズだけだがレイの手持ちは全員傷一つない万全な上にあのブーバーンもまだ残されている。
 帽子のつばを下げてより慎重に身構えて見れば貼り付けた笑顔が愉しげに揺れ、大きく息を吸い込んで、吐き出したレイは次なるモンスターボールを掴み取った。

「よおし、それじゃあもう一度お願いしようかな。キミは彼らにとっても馴染みがあるだろうしね!」

 意気揚々と掲げられた左腕の先には紅白球が劫火を照り返し紅く煌いて。確かめるように徐に瞬けば擦硝子の瞳は研ぎ澄まされた利剣と閃き、刹那の微笑が冷たく浮かべば宙は零度に凍り付いた。

「さあおいでブーバーン、一切を灰燼へ還してあげよう。あの日失われたこの宙みたいにね」

 男にしては高い、女にしては低い澄んだ声が高く響いて、今にも張り裂けそうな極度の緊張が支配する泥濘の戦場で空いた右手を雨に泳がせ少年は嗤う。
 横一閃に投擲された球は凍れる宙を無感動に切り裂き、溢れ出した紅光が夥しく凝縮され立ち塞がる焔の影を象っていき。

「いいや、守り抜いてみせるさ。約束したからな、オレを支えてくれたみんなと」

 遠き彼方に楽園は燃え尽き、大切な全てがこの雨のように掌をすり抜け零れてしまった。だからこそもう二度と離さないように、と強さを求め続けて伸ばしたその手の先で纏わり付く影が腕の一薙で振り払われる。
 光の残滓が噴煙と共に撒き散らされて、顕現したのは陽炎を纏いし焔の巨躯。唇を弓形に歪めて大砲の両腕を振り翳し、逆立つ身体が風に吹かれて再びの闘争へ愉悦が灼熱と吐き出された。

「約束ねえ。そうやって必死で言い聞かせて、キミ達は今までホントによくやってきたよ」
「何が言いたいんだよ。まさかただ褒めてくれた──なんてわけないよな、そんな勿体ぶった言い方で」
「なあに大したことじゃない、キミ達の旅は此処で終わらせる……ただそれだけのことさ」

 揺らめく陽炎を仰いでジュンヤ達は張り詰めた緊張へ瞼を細めた。彼はこの旅の中で圧倒的に立ち塞がって来た、ブーバーンは強大な焔を以って力の差を見せつけてきて。
 彼らは本気だ。溢れ出す凄まじい力の奔流に、極限まで引き締められた緊張が今にも張り裂けんばかりに悲鳴をあげて震えている。

「悪いけどそう簡単にはいかないぜ、オレ達だって強くなったんだ」
「なんて言いながらさっきは手も足も出なかったじゃん、出来ないことは言わない方が良いんじゃない?」

 口調こそ相変わらずの軽快さだがその眼光は鋭く冷ややかに喉元へ突き立てられ、透き通る声にはほんの微かな感情が滲む。本気で叫び続けてようやく──少しは貼り付けた笑顔が剥がれて来たのかもしれない。

「少しは良い顔になってきたじゃないかレイ、少なくとも今までよりはよっぽど馴染みがあるよ」
「やだな、まるで今までが馴染み無いみたいな言い方だね。それにボクはいつだって良い顔してるじゃんか」
「お前はいつも笑顔だもんな、その先の表情を見せてやくれない。……気付きたくなかったよ、お前の幹部っていうもう一つの姿に」

 もし甚だしい不穏を孕んだ強烈な疑惑が思い過ごしなら、あの日の邂逅が真昼の夢幻ならどれだけ良かったことだろう。いくら願っても変わらない現実に“あの日”の先で袂は分かたれて。

「別に隠してもなかったんだけどね。薄々勘付いてはいたんだろうし、聞かれたら答えてあげても良かったんだよ?」
「聞けるわけないでしょそんなこと、ジュンヤの性格分かってるのにイジワルだよ……!」
「んふふ、それを言われたら弱いなあ、ジュンヤ君ってば優しいんだもん!」

 対峙する爆炎と岩鎧の雄々しき巨体、けたたましく咆哮を轟かせる二匹が譲れない戦いに睨み合う。傷の分だけ力強く叫び角を回転させる鎧犀にただ陽炎を纏う火男は不敵に嗤って身構えた。

「さあどこからでも掛かっておいで、愉しませてよねジュンヤ君。全力で叩き潰してあげるからさ」
「相変わらずすごい自信だ、足を掬われたって知らないぜ」
「お生憎様、これは確信さ。満身創痍じゃボクのブーバーンには傷一つすら付けられない」

 対峙する爆炎と鎧犀の双眸が幻影の雨を掻き分け衝突し、鍔迫り合うように抜身の敵意を翳して睨み合う。かたや嘲りを浮かべ、かたや苛立ちに眉を潜める。
 零度に凍る止まった宙に一陣の風が吹き抜けて、暫時の睨み合いは鞘走るが如き少年の一声に静謐を破り動き始めた。

「だったら遠慮なく行かせてもらうぜ、ストーンエッジで攻め立てろ!」
「フフ、ざーんねん、その程度の技じゃあ届かないよ。見せてあげるさボクらの情熱を、だいもんじ!」

 苛立ちに泥濘を殴り付け突き出した無数の岩槍が火男を打ち砕かんと真正面から振り翳されるが、掲げた砲腕から放たれた灼熱の緋炎が襲い来る石柱を忽ち溶かしてしまう。
 
「……流石の火力だな、相性の不利をものともしない」
「舐められたものだね、そんな消耗してて押し切れるわけないでしょ?」
「そうかもな、だったらやることは一つだけだ!」

 あるいは万全な状態であれば違ったかもしれないが、圧倒的火力を誇る彼を相手に易々とは押し切れない。ならば取るべき方法はただ一つ、無理やりにでも届かせる!

「一気に攻め込むぞ、距離を詰めてくれ!」
「やだなあせっかちなんだから。そんな簡単に通すわけないじゃん、がんせきふうじ!」

 泥濘を蹴り付け雄叫びを響かせながら猛然と駆け出す鎧犀を前に、ブーバーンは相変わらずの自信に満ちた眼差しを研ぎ澄ませ勝利への確信に嗤って構える。
 嘲笑うように翳された砲台が吐き出した無数の光塊が戦場の中心へ着弾すれば、二匹を隔てる石柱が突き立ち遮る壁と立ち塞がった。

「分かってるよドサイドン、罠だろうが飛び込むんだろ! アームハンマーで打ち砕け!」

 生憎自分はサイホーンの頃から頭が悪い、ならばこの状況で考えられる道はただ一つだけだ。振り返れば同じ気持ちに主人が頷き、振り下ろされた鉄槌はいとも容易く障壁を打ち砕きその先に立つ火男に砲台を構えて飛び掛かった。
 だが流石鍛え抜かれたブーバーンをそう簡単には捉えられない。横の鉄槌に合わせてのけ反り、両腕で突き出した一撃も後方回避で避けられてしまう。

「っ、相変わらずの速さだな、受け止めろ!」

 更に今度こそ、と腕を振り下ろした瞬間に跳躍した火男は泥濘を転がりながら砲台を構え、解き放たれた火球が一切を焼き尽くさんと眩く緋色に迸った。
 この炎に直撃するわけにはいかない。腕を突き出して辛うじて直撃は避けたが炸裂する緋炎は溶けそうな程に熱く、揺らめく陽炎の先の姿が消えて不意に頭上に影が落ちる。

「……しまっ、迎え撃てドサイドン! がんせきほう!」
「ようやっと使ってくれたね、これで確実にぶっ倒せるよ。それじゃあ行こうか、出し惜しみ無しだ……オーバーヒート!」

 見上げれば頭上で両腕の大筒が今にも火を噴かんと突き出されていて、迷っていては間に合わない。咄嗟に大技の指示を飛ばせばレイは高らかな哄笑をあげて高く叫んだ。

「やっぱり誘ってたんだな、だけどここで押し切れば!」
「しかたないさ、分かっていても選ぶしかない。諦めなよ、人は大きな流れに逆らえないのさ……オーバーヒート!」

 他の技では押し切られて倒されてしまう、ならば此処で勝負に出るしか道は無い。
 突き出した砲台へ全力全霊を込めて巨大な岩石が撃ち出され、迎え撃つブーバーンは周囲が歪む程の熱量を一点に収束させて悉くを焼き尽くす劫火の熱線を解き放った。

「良いぞドサイドン、このまま押し切れぇっ!」
「バカだなあ、正々堂々受け止めてあげるわけないじゃんか」

 巨岩の砲弾と灼熱光線が鬩ぎ合い、どちらも譲ることなく放射上に拡散する余波で辺りが焼け溶けていく。このまま行けば押し切れるかもしれない……そう思った次の瞬間、僅かに岩弾の軌道が外れた。

「ドサイドン……くっ、やっぱり素直に撃ち合ってはくれないか!?」
「アハハ当然じゃん、そんなバカ火力流石に相性不利じゃ怖いもん! 良いよブーバーン、もう使っちゃって」

 元から正面から比べ合うつもりは無かったのだろう。一度逸れた軌道が戻る事はなくそのまま火男の身体を掠め、同時に熱線を収束させると反動で軋む痛みにすら嗤いながらドサイドンの眼前へ悠長に着地。

「だから言ったろ、傷一つ付けられないってさ。これで終わりだよ……だいもんじ!」

 ブーバーンが懐から取り出した“しろいハーブ”を頬張り大技の反動を回復すると、今度は全身を覆う分厚い鎧装へ押し当てられた砲台が焔を収束させていき、凄まじい炎熱が零距離で解き放たれてしまう。

「ドサイドン、お前まさかまだやれるのか……!」
「が、がんばってドサイドン! あなたならきっと!」

 全力で砲弾を撃ち放った反動でいくら叫んでも身体が言うことを聞いてくれない、それでも。
 応援を受けて高まる闘志に必死に咆哮を轟かせ、ようやく拳を振り上げられたが……結局鉄槌が届く事なく、目を開けたまま糸が切れたように項垂れてしまった。

「そんな、ドサイドン……ドサイドン!?」
「……ジュンヤ」
「諦めなって、その子はもう戦闘不能なんだからさ」

 誰がどう見ても戦闘不能だ。それでも、まだ彼は力尽きてはいないのではないかと信じて必死に叫ぶ。何度も何度もその名を叫び……しかし、呼び掛ける声は虚しく響き雨音に消えて帰ってこない。
 雨に打たれた鎧犀の横顔には無力を嘆くばかりに暗く影が射している。諦めたくないとでも言いたげに数瞬間程立ち尽くしていたが、ついに力尽きたのかうつ伏せに倒れ込んでしまった。

「……お前もよく頑張ってくれたなドサイドン。ありがとう、ゆっくり休んでくれ」

 あれだけ力強く戦い抜いて難敵であるトゲキッスを倒してくれたのだ。その奮闘へ感謝を送ってモンスターボールを翳せば暖かな紅光が迸り、傷だらけの身体を優しく包み込んで共に安息の地へと還っていく。

「そんなことはないさ、厄介なトゲキッスを倒してくれて本当に助かったよ。それにブーバーンの持ち物だって消費させてくれたしな」

 結局タイプ相性が有利な相手を一匹倒しただけで、それ以上の働きが出来ず後続へ負担を強いてしまう己の不甲斐なさにドサイドンがカプセル越しから頭を下げてきた。
 けれど恥じる必要はどこにもない。特防が低い彼は大して有利なわけでもないのに倒さなければいけない敵を倒してくれて、後続を持ち物を使わなければいけない状況まで追い詰めてくれたのだから。

「さ、それじゃあ後はオレ達に任せてくれ、その為の仲間だろ。まだイーブンだ、勝負はここからなんだからさ」

 鬼門の一つを突破出来たのはかなり大きい、それだけでも傾いていた流れを少しは取り戻せた。だから大丈夫さ、と根拠の無い自信に笑えばドサイドンは迷い無き信頼に拳を打ち合わせる。

「ああ、勿論勝ってみせるよ。じゃなきゃ此処まで頑張ってくれたみんなに申し訳が立たないしな」

 その言葉に安心して瞼を伏せて、穏やかに眠りについたドサイドンを見届けると張り詰めていた肩を落として腰に装着。大きく息を吸い込んで蓄積した疲労と共にため息を深く吐き出した。

「ふう、やっぱり強いな。これでオレのポケモンも残り三匹……だけど」

 お互いに残された手持ちは残り三匹、ようやく折り返しまで辿り着いた。けれど相手は幾度と立ち塞がって来た強敵であり、既に消耗しているこちらに比べて三匹共に万全の状態だ。
 ここからは更に険しい戦いになるに違いない。帽子を脱いで深くかぶり直すと用心深く身構える。

「依然不利には変わりない、誰よりキミが分かってるだろ。ホントにここから巻き返せるとか思っちゃってるのかい?」
「もちろん、心配しなくてもジュンヤたちはここからだよ! 自分より強い相手だって、何度も越えてきたんだもん!」
「ああ、恥ずかしながら追い詰められるのはいつものことだからな。最後までどう転ぶか分からないのがポケモンバトル、だろ?」
「全く以ってその通りだね、だけど最後に笑うのはこのボク達さ」

 これまでに最高幹部として圧倒的な力で君臨し培われて来た少年の確信に、「言っとけ」なんて吐き捨てて次に繰り出さんとする球を掴み取った。
 握り締めたカプセル越しに、踏ん切りが付かずおずおずと見上げてくる大きな瞳を覗き込む。未だ拭い切れぬ恐怖と不安に視線を逡巡させながら、それでも必死に戦い抜いてくれた仲間の勇姿に彼は決意を固めて頷いた。

「本当は怖いんだよな、それなのに……勇気を出してくれてありがとう。次はお前に任せたぜ、一緒に越えるんだシャワーズ!」

 力強く投擲した紅白球から眩い閃光が溢れ出し、暗く降り続ける雨の中に象られる影が纏わり付く紅光を払い雨よりも蒼く現れた。
 長く広がるヒレの耳、首元に襟を巻いて長い尾びれが伸びる人魚を思わせる碧い水獣。澄んだ声色を凛々しく響かせ、心を奮い立たせて泥濘に降り立つ。

「ああ、懐かしいねその顔も。一度逃げ出したのにまた戻って来て、勇気を出して増援を呼んだんだから偉かったよね!」
「だけどもう逃げないさ、一緒に立ち向かうって決めたからな!」
「相変わらず言うことだけは一人前だ、傷だらけの影に今も怯えてるクセにさ」

 聞き覚えのある心地良い言葉が、かつて“ただ運が悪かった”それだけの理由で捕らえられ幾度と傷付き続けた記憶を呼び起こす。身も心も竦む程の威容に、しかしもう背を向けることはない。
 振り返ると主人へ掛け声と共に力強く頷いて、暫時の睨み合いにどちらともなく指示を飛ばした。

「さあ行くよ。相性なんて関係無い、この焔で全部焼き尽くしてあげるさ……だいもんじ!」
「だったらオレ達が炎を消すだけさ、これ以上奪わせてたまるものか! ハイドロポンプで迎え撃て!」

 出し惜しみなど必要無い、最初から全力で臨むのだと翳された砲台が撃ち放った陽炎の火球を前に夥しい激流が滝と噴き出す。
 一切を焼き尽くす凄まじい炎熱と全てを呑み込む逆巻く波濤。二つの大技は戦場の中心で辺りを焼き流しながら鬩ぎ合い、余波を撒き散らしなお譲らぬ力と力がどちらともなく盛大に爆ぜた。

「ひゃあっ、危ない!? あ、ありがと〜スワンナ……!」

 戦場に立つ誰をも呑み込むけたたましい爆風を浴びたノドカは思わず叫び、咄嗟に現れ庇ってくれた相棒に感謝を述べる。

「……まだだシャワーズ、あいつらがこの程度で手を止めるはずがない。れいとうビームで防御するんだ!」
「無駄さジュンヤ君、その程度じゃブーバーンは止められないよ。かみなりパンチで邪魔な氷ごとぶん殴っちゃおう!」

 それでも決戦へ臨み対峙する彼らの攻防は止まらない。翳した腕で顔を守りながら煙る視界に指示を出し、愉快そうに指を鳴らすレイが緩まぬ攻勢を以て高らか嗤う。
 眼前に躍る影を仰いで咄嗟に凍気を光線と放てば、瞬く間に詰められる二匹の距離を遮るように氷壁が形成される。雷鳴を轟かせ振り下ろされた拳が穿つと一呼吸で容易く粉砕されるが、僅かのラグを逃さず電撃を浴びるより速く地を蹴り後方へ飛び退った。

「ハイドロポンプで攻め込むぞ!」
「返り討ちにしてあげるよ、だいもんじ!」

 数メートル程離れた距離から周囲を押し流し放たれる激流、しかし継戦により火炎袋の温度が上がったのか右腕の砲台から迸る灼熱は波濤すらをも焼き尽くし、幾重もの水蒸気爆発すら越えて水獣の身体を包み込んでいく。

「どうだい、いくらみずタイプを持つシャワーズといえどこの炎は堪えるんじゃないかな?」
「『お前達から受けた痛みに比べたら、こんなの大したことない』ってさ! 今だシャワーズ、ねがいごと!」

 沸騰してしまいそうな程に熱く文字通り身を焦がす炎熱、時間も惜しむように飛ばした指示に分厚い雲の先にあるはずの蒼く輝く星を仰いだ。

「なるほどね、この隙をつくる為に炎を誘ったってわけか。星に願いを、こんな宙なのにロマンチックじゃないか!」
「用心に越したことはないからな、それにこの空だっていつかは晴れるさ!」
「だけど星に手は届かない、キミ達の旅は此処で終わらせる。かみなりパンチで攻め込むよ!」
「分かってるさ、願うだけじゃ駄目なんだって。だから歩き続けてここまで来たんだ、地面に向けてハイドロポンプ!」

 これ以上の隙は与えないとばかりに身体から溢れ出す熱風で視界を覆う煙を吹き飛ばし、紫電を纏った拳を振り翳すが波濤が狙ったのはブーバーンではなくその足元に拡がる泥濘だ。

「へえ、面倒なことしてくれるじゃんジュンヤ君ってば!」
「お互いそんなの言いっこなしだぜ、まずお前にだけは言われたくないけどな!」
「あはは確かに、全く人のこと言えなかったね。それじゃあ跳んでブーバーン!」

 足元で激流が逆巻いて、激しく噴き付ける泥濘に若干の苛立ちを吐き捨てながらレイが後退の指示を飛ばした。
 視界を遮り纏わり付く泥はいくら火力が高くとも厄介なのだろう。その隙を逃さず掬い上げるように激流を撃ち放ち捉えたと確信した瞬間、火炎の放射による反動で側方へ飛び紙一重で回避されてしまう。

「さあ、そろそろ叩き潰してあげるよ! もう一度かみなりパンチ!」
「望むところさ、流れる水は掴めないぜ! とけるで受け流してくれ!」

 結局ほのお技では致命打にならず攻めあぐねている、一気に距離を詰めて勝負を仕掛けてきたがむしろ好都合だ。
 紫電を纏った剛腕が振り翳されるが身体を流動体と化し突き出された拳はいとも容易く突き抜けて、流れる電流に身を焼かれこそすれダメージは最小限に抑えられた。

「想いは届いた、この距離なら防げないぜ……! 行くぞシャワーズ、ハイドロポンプだ!」

 そして全身を元の固体に戻せば宙の彼方から雲を突き抜けて星の光が降り注ぎ、たった今受けた傷がみるみる回復して目と鼻の先に聳える火男の巨体を睨め付ける。
 この千載一遇の好機を逃さない。身体中から力という力を掻き集めたシャワーズは大きく息を吸い込んで、過去の痛みに怯える自分ごと……一切を彼方へ押し流す怒涛の奔流を解き放った。

「肉を切らせて骨を断つ、いや……うまく時間を稼がれちゃったね。流石だよキミもシャワーズも」
「どうだレイ、これがオレの……オレ達の想いだ!」
「フフ、キミ達の激しい思いが伝わってくるね。だけどボクらも引かないよ、ブーバーン!」
「そんな、まさか!?」

 堰を切るように溢れ出す逆巻く波濤を浴びて、しかしブーバーンは泥濘を踏み締め後退することなく踏み止まっている。思わず少年が絶句する間にも水面に沈む影は揺れ、流れに逆らい踏み出した巨躯から砲台の拳を振り翳された。

「今退いても間に合わない、それなら……このまま押し切るんだシャワーズ!」
「言ったろ、叩き潰してあげるってさ。今度こそ逃さないよ、かみなりパンチ」

 激流を掻き分け振り下ろされた剛腕が轟く雷鳴と共に水の身体を殴り付け、泥濘へ押し倒して途絶えた波濤に口角を歪めて弓形に嗤うブーバーン。先程のお返しと言わんばかりに掌を押し付け電流を流し込み続ける。

「シャワーズ!? ……っ、急いでとけるで逃げてくれ!」
「アハハ、やっぱ抜けられちゃったか。だったらこっちの技はどうかな、撃ち落としてあげるよ……だいもんじ!」 

 流動体となれば拳は容易く突き抜け泥濘を穿ち、辛うじて身動きの取れない窮地を離脱。再び身体を固体に戻して飛び退るシャワーズに猛然と燃える火球が間髪入れずに襲い掛かった。

「ハイドロポンプで迎え撃て!?」

 狼狽を浮かべすぐさま叫ぶがやはり威力では敵わない。必死に放った水流ごと放射状に舞う爆炎に焼き払われて、膨張した水蒸気が白く視界を覆い隠してしまう中で頭から泥濘に墜落してしまう。

「これで終わりにしてあげるさ、かみなりパンチ!」
「だけどまだ……分かってるさ、後に繋ぐことなら出来る! シャワーズ、ねがいごとだ!」

 熱く煙るその先で激しく火花が迸り、シャワーズが主人へ届けと必死になって呼び掛けた。それは仲間へ託す勝利への願い、瞼を伏せて遠き宇宙へと輝く星に想いを馳せて……紫電の砲腕が彼の身体を鋭く穿った。

「どうなっちゃったの……!? シャワーズ、だいじょうぶ!?」

 状況を理解していない……いや、信じようとしない少女が必死に叫ぶが白煙の先から返事は来ない。
 鋭い幻影の雨が暗く荒れ果てた泥濘へと降り注ぎ続けて、気の遠くなるような静謐がただ不明瞭な世界を包み続ける。

「……お疲れ様、戻って休んでくれシャワーズ」

 やがて戦場が無感動に高ぶる熱を冷まし始めて、次第に閉ざされた視界も晴れていく。雨の中にはなお周囲を歪める程の熱を発して嗤うブーバーンが悠然と佇み、対峙していたシャワーズは祈るように穏やかな顔で力尽きて倒れ伏していた。
 帽子のつばを深く下げ、心からの感謝と労いを送れば翳したモンスターボールから赤い閃光が迸る。暖かな光に包まれて紅白球の中へと還ったシャワーズはカプセル越しに尋ねるように見上げて来て。

「ああ、あのブーバーンを相手に本当によく頑張ってくれたよ。だから……きっとお前の願いも届いてくれるさ」

 なんて声を掛ければ短く鳴いて諌められ、「悪い悪い、“オレ達の”願いだよな」と慌てて訂正するとそれで良いと言わんばかりに頷いた。
 ……そしてシャワーズは彼方の記憶を辿るように瞼を伏せて俯くが、共に歩んだ旅路に想いを馳せて瞳を覗き込んで来たその顔には光が灯り屈託のない笑顔を浮かべてみせる。

「そっか、すごいよシャワーズは。あーあ、先を越されちゃったな」

 迷いがちに揺れる嘆息を吐き出せば冷たい雨に溶けていく。未だ同じ泥濘に足を取られている自分と違って、きっともうシャワーズは歩き出しているのだろう。
 オレだけじゃない、共に戦い一緒に立ち向かってきた仲間達が居たから乗り越えられたのだ。からかうように首を傾げて覗き込んでる彼に「分かってるよ、オレもきっと」と笑い掛ければ、満足そうに瞳を閉じて穏やかな顔で眠りについた。

「オレも本当によかったよ、お前がこうして笑っていてくれて。だからあとはオレ達に任せて……今はゆっくり休んでくれ」

 初めて会った頃の傷だらけだったイーブイはもうどこにも居ない。オレや共に戦ってくれる仲間達が居て、暖かな笑顔で笑えるようになって……上手い言葉は出てこないが、なんていうかすごく嬉しい。
 共に歩み続けて過去を乗り越えた友達の勇姿に励まされ、握っていたモンスターボールをベルトへ嵌めると、呼吸を整えるように帽子をかぶり直して大きく息を吐き出した。

「……流石だなレイ、やっと巻き返したと思ったのにこんなに早く抜き返されるなんて」
「当然さ、ボクらは最高幹部なんだぜ。キミ達はよく頑張って食い下がったよ」
「まるでもう勝敗が決まったみたいな言い方だな。まだオレのポケモンは残ってるぜ」

 止まない雨の先に立つ擦硝子の瞳が誰に届く事もなく微かに揺れて、白銀の髪をはためかせながら微笑を浮かべる少年へ新たに掴み取ったモンスターボールを突き付ける。

「勝負はまだ終わっちゃいない、ならオレ達は最後まで諦めない。それがポケモントレーナー、だろ?」
「前にもそんなこと言ってたよね、自分達だけ逃げ延びるのはイヤだって。そういうムダな足掻きってボクは嫌いじゃないけどね!」
「無駄かどうかはもうすぐ分かるよ、きっとこのバトルの先に答えはあるから」

 握り締めた紅白球は劫火を照り返し爛然と輝き、揺るがぬ決意に萌えた瞳を瞬くジュンヤは後に退けない窮地に呼吸を整えて身構えた。
 残されたポケモンは残り二匹だ、けれど最後の最後まで諦めたりやしない。ようやく訪れた約束の決戦、幾度伸ばしても掴めなかった親友の影にあともう少しで届くのだから。

「さあ行くぜレイ、まだオレ達は燃え尽きちゃいないんだ。みんなで本気の想い、……今度こそお前達に届かせてみせるさ!」
「悪いけどボクらの気持ちは変わらないよ、キミ達もみんなもこの手で護るって決めたからね!」

 運命を賭けて向かい合う二人へ今も色濃く影と射し続ける“あの日”の中で。纏わり付く泥濘に踏み出した足を掬われても、叫びが嵐に掻き消されても、願った未来へ臨み続ける。
 それでも、慟哭の雨は未だ止むことなく降り続ける。必死の足掻きを知らないように、変わらないあの日の絶望を映す鏡のように宙は変わらぬ漆黒に聳え続けて──。

■筆者メッセージ
ジュンヤ「教えてくれレイ、どうしてビクティニを奪ったんだ!?」
ノドカ「やっぱりかわいいから!?」
ジュンヤ「…まあ確かにビクティニかわいいよな」
ノドカ「それにうさぎりんごみたいでおいしそうだよねえ…」
レイ「そこなの!?」
ジュンヤ「ノドカは今日も食いしんぼうさんだなあ」
ノドカ「い、今のはちがうんだから!ね!」
ジュンヤ「なにが?」
レイ「はは、まあでもかわいいよねビクティニ。懐かしいね、ボクらが小さい頃に沢山一緒に遊んだもん」
ジュンヤ「ああ、そうだったな…レイとビクティニがからかってきたり、ビクティニにからかわれたり、レイにからかわれたり…ん?」
レイ「あったあった、懐かしいねえ。ボクもビクティニにからかわれたし、ジュンヤ君をからかったりしたし」
ノドカ「ジュンヤからかわれすぎじゃない!?」
ジュンヤ「あれ、オレからかわれすぎだな…おいレイ!?」
レイ「アハハ、懐かしいねえあの頃が。多分気のせいだよきっと!」
せろん ( 2020/07/05(日) 15:16 )