ポケットモンスターインフィニティ



















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第十三章 時を刻む極光
第109話 運命の囚人
 未だ止まない雨は嫌と言うほどに反響を続ける。閉ざされた夜が激しく鳴り響く稲光に照らされて、真剣な眼差しと乾いた哄笑は冷たく暗い宙へと浮かび上がった。
 濡れて張り付いた髪を鬱陶しげに払い除け、降り頻る絶望の中で胸元に構えたモンスターボールが炎に照らされて何ともなしに橙に閃く。

「ここはお前の電撃に賭ける。行くぞ……ファイアローの分も頑張るんだ!」

 カプセル越しに呼び掛ければ電気鼠は頬から火花を弾けさせ頼もしくふんすと拳を握り締めていて、こんな状況でも己の調子を保っている彼に少年は「相変わらずだな、お前は」と思わず苦笑を浮かべる。
 しかしすぐさま気を引き締めた少年は対峙する最高幹部へ向けて決意を秘めた眼差しを瞬き、小首を傾げて微笑む“親友”との間を隔てる岩柱の林立を鬱陶しげに睥睨して頷いた。

「必ずこの壁を越えて届かせるんだ。強くなったオレ達の、本気の想いを」

 帽子を目深に被って構えたジュンヤは深呼吸して瞼を伏せると目蓋の裏に彼方を映し、煌々と絶望の広がる世界へ眼を見開き、全霊を込めて紅白球を放り投げた。

「次はお前に任せたぜ。さあ、来てくれライチュウ!」

 勢い良く投擲された球は降り注ぐ雫を弾いて雨を切り裂き、色の境界から二つに割れると眩い閃光が宙へと溢れ出していく。
 夥しい紅光の束が一つの影を象り形成されて、意気の放電と共に顕現したのは橙の短毛に覆われた大柄の電気鼠。溢れんばかりの闘志に頬の黄色い電気袋からは紫電が迸り、長い耳と稲妻の尾を立て直ぐ様臨戦態勢を身構えた。

「その子は確か……キミがおじさんに憧れて捕まえたんだっけ。はは、キミらしい健気な理由だよね!」
「ああ、今でも尊敬してるよ。父さんも母さんも立派で優しい人だった」
「確かに、ボクも随分優しくしてもらったからよーく覚えてるさ。くす、二人ともボクが殺しちゃったんだけど!」
「みたいだな。だからこそ、この戦いには負けられない」

 雨音だけが木霊する静謐、厳然と聳え立つ剣山の先に立つのは幾度も圧倒的なレベルの違いを見せ付けられた最高幹部。
 けれど自分達は強くなったのだ。溜めに溜め切った電力により逆立つ体毛が滴を弾き、平素以上の闘争心を迸らせて闘いに臨む。

「……ホントに、レイ君がおじさんたちを殺したのかな」

 ノドカが胸に抱き続けていた疑問を思わず呟く。ジュンヤは幼き日の記憶と彼への信頼を頼りに違うと信じているけれど、誰が殺したのか、なんて幻覚を使えばいくらでも誤魔化せる。
 ……分からない。皆の過去が自分が触れるにはあまりにも重たすぎて、伸ばした指先は竦んで届かせることが出来ない。何とか知りたいと意を決して覗き込んでも、レイ君のおどけた笑顔の仮面はあまりにも冷たく無表情だから。

「うん、その子なら高い機動力でこの戦場を利用出来る。さあて、今度は楽しませてくれるかな?」
「分からないけど、オレ達は全力で戦うだけさ。いつだってそれは変わらない」

 主の言葉に呼応するように電気鼠は不敵に笑い、溢れん闘志が放電と迸れば夜闇の湛える静謐が破られ、再び戦いが動き始めた。分厚い岩壁の先で泥濘が重く踏み締められて、唇が歪に歪められ身体に炎の紋様が走る火男の大筒が構えられる。

「早速行くぞライチュウ、かみなり!」
「火力が及ばないのは火を見るよりも明らか。だいもんじだよブーバーン!」

 言葉の裏に「狙いは他にあるのだろう」という読みを見せびらかして、なお己がポケモンへの絶対的な信頼で迎撃する。
 激しく迸る稲妻の束が眼前に聳える岩柱を立て続けに粉砕し、無数の礫を巻き上げながら迷う事無く突き抜けていく。対するは放射状の余波を放つ真紅の火球、圧倒的な火力を以て紫電を忽ち焼き尽くすと既に離脱し回避へ移った電気鼠の体毛を僅かに掠めて、しかし手傷には至らない。

「なるほどね、やっぱりこの岩で攻撃するのがキミ達の狙いか。動きの鈍いブーバーンには効果的だし視界も晴れる、うん、一石二鳥だしね!」
「ああそうさ、だからこのまま一気に攻め立てる! 続けてアイアンテール!」

 火球の過ぎ去るのを見送りながら高く跳躍し、硬質化させた尾で電撃に撃たれ舞い上がった無数の瓦礫を叩き付け岩刃の利剣を次々と弾き飛ばしていく。
 火男は腕を薙いで火球の放射により容易く打ち落としてみせるが、弾き出された電気鼠は止まらない。続けて聳え立つ岩を蹴り付け間隙を縫い、目にも留まらぬ超高速で戦場を駆け抜け始めた。

「全部読まれてる……だけど。それでもやるってことは、あなたには何か作戦があるんだよねジュンヤ」

 放電により周囲に突き上げる大地の牙を忽ち破砕すれば次々に鋼鉄化させた長い尻尾で叩き付け、更に跳躍して別方向から。持ち前の機動力を活かして飛び回り、僅かの時間差を以て無数の岩弾が火男の巨躯を包囲してみせる。

「へえ、面白い動きしてくれるじゃんジュンヤくん。だけどボクらには通用しないよ、地面に向けてだいもんじ!」

 帯電し威力を増した瓦礫が四方八方から押し寄せて、その中心に立つ火男が哄笑と共に地面へ腕を押し付ける。纏う陽炎は更に昂り、放射状の焔がめくるめく闇を切り裂き拡散すると果敢に迫る無数の岩群は熱線に撃ち落とされていく。
 帽子のつばを下げて思わず警戒に息を呑む。速度自慢の二匹でいくら攻め立てても対峙する火男の巨躯には傷一つ付けられない、だからといって下手に迎え撃てば圧倒的火力で忽ち焼き尽くされてしまうだろう。

「……流石だな、ここまで全部防がれるなんて」
「ハハ、ボクらを誰だと思ってるんだい。この地方に樹立する巨悪を支える幹部だよ?」

 最高幹部であるレイが信頼を置き、手持ちとして加えているポケモンだけはある。隙一つなく立ち塞がって、僅かでも気を抜けば忽ち戦闘不能まで追い詰められてしまう。
 だが……これで良い。雨の中に噴煙が舞い、彼らの視界にほんの僅かな隙が生まれる。ブーバーンの背後、聳え立つ岩柱と漂う黒煙に隠れた死角に躍り出た電気鼠はその身に紫電の鎧を纏い、電流で身体中の筋肉を活性化させるとバネと縮めた脚を全身全霊で解き放つ。

「だけどお前達ならそのくらい出来るって思ってたよ。だから……これならどうだ、行くぞライチュウ、ボルテッカーだ!」

 劫火の照らすどしゃ降りの宙一面を照らす程の眩い膨大な稲光が閃いて、悠然と立ち塞ぐ火男の背に雷轟を響かせ紫電の一閃が撃ち放たれた。
 そして聳え立つ巨躯を撃つ為に猛然と迫り、貫かんと達する刹那に砲台の腕が構えられる。

「……フフ、信じてたよ、キミ達なら必ず僅かな隙を突いてくるって」

 ライチュウとジュンヤが思わず愕然と目を見開いた。肩越しに振り返ったブーバーンが不敵に嗤い、全身から膨大な灼熱が溢れ出して腕の先へと集束していく。

「なんて反応速度だ……いや、違う!」
「此処まで挑める程の実力だ、キミ達なら何か仕掛けてくるはず。分かってれば迎え撃つのはそう難しくない、詰めが甘いねジュンヤくん!」

 読まれていた、唯一の死角だからこそ自分達が何処から攻勢を仕掛けるか。少年の笑顔が深く歪み、彼の眉間が皺寄せられる。
 燃え盛る灼熱の巨躯が一層激しく昂り陽炎に揺れ、放たれた弾丸に振り翳された砲台が眩く爆ぜた。

「オーバーヒート!」

 そして、悉くを焼き滅ぼす凄絶な劫火が闇夜を切り裂き宙をも燃やす。膨大な爆炎が生み出す熱線は視界一切を覆い尽くして迸り、紫電を纏い駆け抜けるライチュウを非情な熱を以て呑み込んでいった。
 余りの威力に思わず叫ぶ。必死になって全身から解き放つ雷光を煌々の劫火が忽ち燃やし尽くし、それでもなお食い下がらんと歯を噛み締めて全力全霊で放電し続ける。

「くっ、頼むライチュウ、持ち堪えてくれ……!」
「わあ、すごいすごい、ここまで食い下がれるなんて! フフ、でもそろそろ限界っぽいけどいつまで頑張るつもりかな?」
「……っ、ライチュウはまだ戦えるさ。だって伝わってくるんだ、こいつの負けたくないって強い想いが!」

 一切を灰塵へ還す熱線の放射はたゆむこと無く迸り、昂りと共に火男に深く笑みが刻まれていく。泥濘む大地へ脚を掬われず踏み締め続けるが、次第に身に纏う稲妻が剥がれ始めてしまっていた。
 絶叫をあげ渾身の力で放電し続けていてもそれを上回る速さで雷鎧が燃え尽きていってしまう。雷鳴の中で夜を焼き焦がす鬩ぎ合いはそう長くは保たず、電気鼠は逆巻く膨大な劫火の渦に呑み込まれてしまった。

「……っ、そんな、ライチュウ!?」

 毎秒纏う鎧をその度に焼き払われて、最早吹き荒ぶ熱線の暴威に抗い切れない。瞬く間に呑み込まれたライチュウはかなりの勢いで押し流されて、やがて細まりゆく炎の収縮と共に幾度も泥濘を転がり続けてようやく身体が静止した。
 余りの威力に電撃で防御していたにも関わらず身体中が焼け焦げて視界が滲み、抑え切れない痛みに叫び出してしまいそうになる。
 それでも──彼の闘志はまだ折れていない。弱気な己に喝を入れて追い払うように首を振り、対峙する強敵への芯から溢れ出す“勝つ”という思いは電撃となって夜闇を切り裂き迸った。

「へえ、やるじゃんかライチュウ、今の一撃で仕留めるつもりだったのにさ!」
「ああ、少しでも気を抜けば耐え切れずに倒れてたよ。だけど……こいつはまだ戦えるみたいだ、だからオレ達は折れないさ!」

 今のブーバーンはオーバーヒートの反動により火炎袋が疲弊している、全開を出し切れない今ならばなんとかあの砲台を押し切れるだろう。
 ──だがそう易々と勝たせてくれないのは理解している。慎重に戦場を睥睨してこの後の展開の予測を立てると、案の定彼は出し惜しみか温存の為か、余裕を露わに紅白球を振り翳した。

「さあて、そろそろボクも交替させてもらおうかな。残念だったねジュンヤ君、戻っておいでブーバーン」
「っ、やっぱり退いてきたか、厄介だな……!」

 なんて嫌みなやつだろう、あれだけ好き放題に暴れたクセに自分は大した手傷も無く帰還してしまうのだから最高幹部によく似ている。
 火男が名残惜しげに振り返ると渋々頷いて、迸る赤光に呑まれて露と消えると炎熱の残滓が宙に舞う中で酷く冷たい景色が深々と夜に降り続いていく。

「……やっぱり強いな、お前は。昔からずっとそうだった」

 戦局を俯瞰したレイがハンチング帽のつばを指で弾いて高らか嗤う。昔からそうだった、彼にはたったの一度も勝てたことがない。
 昔から……彼は誰よりも強かった。かつては深く背景を考えたことなど無かったが、今になってその理由がはっきりと理解出来る。

「分かるよレイ、手を抜いてたんだろ。初めて会った時も再会した時も、今までずっと」
「アハ、そりゃそうだよ。キミと再会するうんと前からボクは最高幹部だったんだから」
「だと思ったよ、ゾロアもあえて進化を止めて。いつからなんだ……お前達が、そんなに強いのは」

 あの時点で彼がブーバーンを手持ちに加えていたのに進化出来ないはずがない、おそらくかわらずのいしにより進化を止めていたのだろう。
 理由は分からない、けれど何となくなら理解出来る気がする。だって結局、自分と彼は同じなのだから。

「さあね、ボクもゾロア達もずっと強かったから!」
「そうだな、お前もツルギも本当にすごいよ。オレは……やっぱり、一人で強くなんてなれないや」

 レイははぐらかすように笑顔の仮面でおどけて笑い、深淵を湛える擦硝子の瞳は微かな光を灯して瞬いている。
 ……その眼に映る色はこの旅の中で数え切れない程向き合ってきた。何度も何度も、何度も何度も──数え切れない程押し潰されそうになってきた、オルビス団との戦いで幾度と見ることになったそれは深い絶望。
 いつから……彼らは、そんな過酷な運命に呑み込まれてしまったのだろうか。

「ねえ、スワンナ。ジュンヤたちは今でも……レイ君たちを親友だって思ってる」

 厳粛に戦いを見守っていたノドカが、翳したカプセルの中から見守る相棒に向けて悲痛を押し殺して問い掛けた。

「お互いに今でも大切な友だちなのに。……どうしてこんなところで、戦わないといけないのかな」

 誰が二人をこんな悲しい運命へ導いたのだろう。どうして同じ“まもる”という願いを掲げた二人が争わなければならないのだろう。
 呟きは冷たい雨に掻き消されて、誰に届くこともなく疑問は押し流されていく。こと此処に至って見守ることしか出来ない己の弱さを嘆き、それでも……どんな困難でも乗り越えて来た幼馴染の強さを信じて。

「懐かしいなレイ、一緒に旅をしてた時には色々なポケモンを見せてくれたっけか」
「ハハ、何年も掛けて必死になって掻き集めてたからね。それがボクの目指す“護る”ってことなのさ」
「そうだな……今に思えば、あの時からお前は責任感が強かったんだ」

 そう、彼が共に旅をしていた頃に語った夢──“一つでも多くを護ること”、その為に多くのポケモンを捕まえていたのは、全てこの方舟に乗せ終末から護る為だったのだろう。
 レイは腰に装着されたモンスターボールを指で弾いて掌へ乗せ、左手で軽く弄んでから雨を振り払うように投擲する。劫火を照り返す紅白球が雨を切り裂いて泥濘へ飛び込み、色の境界から二つに割れると眩い紅光が解き放たれた。

「それじゃあ次はキミに任せたよ。さあおいで、ルカリオ!」

 手の甲と胸に突き出た円錐が鈍くぎらつき、両掌に宿る焔が蒼く波打ち闇に揺れる。青い短毛に覆われた波動の勇士は黒く強靭な鋼の脚で泥濘を踏み締め、紅い双眸が煌々と夜に瞬いた。
 その姿は、この旅の中で一度だけ目にしたことがある。

「……今でも思い出せるよ。シトリンシティで一緒にオルビス団を撃退した時に、お前が出したのがルカリオだったよな」
「ああ、アイク君の部下でしょ。フフ、あの子達も運が無かったね、たまたま襲った施設にこの最高幹部が居たなんて!」

 レイや皆で共に旅した日々はとても楽しかった、今でも眩く鮮明に脳裏へ蘇る。共に道を踏み締め不良やオルビス団に立ち向かい、もしかしたら一緒に戦えるのかもしれない……そんな甘い考えを抱いていたのももう彼方。

「いやあ、あの時と比べるとキミ達はホントに強くなったね。自分の身を守るのが精一杯だったのに、今や世界を背負ってると来た!」
「本当だ、大切なものを守れれば良かったのにどうしてこうなったんだろうな」

 遠い目をしてあの日と同じ雨空を仰ぎ見る。自分に出来る一つ一つを積み重ねて、守る為にって必死になって走り続けて、気付けば随分遠くまで来たとはにかみながら頬を掻く。

「楽しかったなレイ、お前達と一緒に過ごした日々は」
「ハハ、相変わらず優しいねえキミは。ま、ボクらも楽しかったのは認めるけれどね」

 互いに零れるのは運命を賭けた決闘の緊張にはおよそ似つかわしくない懐かしげな苦笑。
 向かい合う電気鼠と波動使いは牽制し合うように低く構えながら平行線に泥濘を闊歩し、長雨に視線が刹那の交錯──稲光が空を切り裂き照らした瞬間、どちらともなく動き出した。

「行くぞライチュウ、かみなりだ!」

 電気鼠が頬の電気袋をフル稼働させ、改めて蓄えた膨大な電気を出し惜しみ無く解き放つ。耳をつんざく轟音を引き連れ追憶の雨を掻き分ければ、対峙する波動使いは稲妻の束に臆することなく瞼を伏せて精神を集中させる。

「流石の威力だ、シビれるね。だけどボクらには通用しない、はどうだんで迎え撃ってあげるよ!」

 掌に波打つ蒼い炎が収束し、頭部程まで圧縮された波濤が光弾となり解き放たれた。
 劫火の照らす戦場の中心で二つの技が衝突し、閃光と共にどちらともなく力が爆ぜ散れば蒼波と紫電が爆風に混ざり合い放射状に舞い躍っていく。

「っ、視界が。気を付けろライチュウ、あいつはどこにいても感知してくる!」

 視界が閉ざされていようと油断は出来ない、相手は波動を探知し位置を把握する能力がある。慎重に視覚と聴覚を研ぎ澄ませれば、不意に頭上で風が切られた。

「立て続けに攻めようルカリオ、アイアンテール!」
「流石の速さだ、だけど瞬発力ならライチュウが勝る。アイアンテールで迎え撃つんだ!」

 爆風を貫き遠心力を伴い鋼鉄の尾が振り下ろされるが、僅かに速度で上回った電気鼠が飛び退れば鉄鎚は虚しく空を斬り泥濘を撒き散らして。
 身体に泥を浴びながらも今が好機と刃を突き出したライチュウだが、思考を読み半身を逸らして躱したルカリオは穿刺をすり抜け右掌に波動の砲弾を翳していた。

「そう、瞬発力だけならね。だけどキミ達の動きは手に取るようにお見通しさ、はどうだん!」
「しまっ……距離を取ってくれライチュウ!?」
「無駄だよジュンヤ君、今更なにをしたって手遅れなのさ!」

 ルカリオの類まれな波動の力により動きや思考すらも読み取られてしまう、くわえてレイのずば抜けた洞察力と戦術眼も合わさり相当厄介な敵となっている。
 咄嗟に身を捩り地を蹴るが、後退るより速く突き出された砲弾が腹部で炸裂し蒼炎に焼かれながら吹き飛ばされてしまう。すぐさま受け身を取り歯軋りと共に見上げれば、彼らの攻勢は止まらない、両掌に灯した波動を収束させ既に次弾を身構えていて。

「ボクらの攻撃はまだまだここからさ、一休みなんてさせないよ。はどうだん、連続で放って!」
「まずいライチュウ、あの技はそう易々とは避けられない。石柱に当てて凌ぐんだ!」
「ハハ、せいぜい頑張りなよ……どう足掻いたって逃げられないけどね」

 息をつく暇すら与えられない、放たれた蒼き光弾は二手に分かれ襲いかかって来た。
 開けた戦場を囲うように林立する岩柱の群れに飛び込み間隙をすり抜け、振り切らんと駆け抜けてみせるが驚異の精度だ。障害をものともせず意思を持つかのように掻い潜り、いくら寸前で避け弾き飛ばしても戦場に着弾することなく追い掛けてくる。

「流石だな、よく鍛えられているよ……だったら跳躍してくれライチュウ!」
「そうそう、諦めは大切さジュンヤ君、理解してくれたようで何よりだよ。なんならこのバトルから降りてくれても良いんだよ?」

 一瞬驚愕に目を丸めたライチュウだが、すぐさま頷くと背後から迫っていた光弾を背に仰ぎながら跳躍し、前後から迫る波動の砲弾に眼を見開きながら得意げに頬を弾けさせた。

「悪いけど分からないさ、オレ達はもう諦めないって決めたからな! 行くぞライチュウ、かみなりだ!」

 双方から襲い掛かる波動弾の力に匹敵する膨大な稲妻が解き放たれ、僅かな拮抗の後眩い閃光と共に吹き荒ぶ爆風が一切を覆い尽くすが、「続けてしんそく!」躊躇うことなくルカリオの影が動き出す。
 圧倒的な速度と卓越した技術で攻め立てる、それが彼の戦法なのだろう。音すら追い越す超高速で無防備な背後へ躍り出た波動の勇者は、既に鋼鉄の尾を振り翳していた。

「分かってるさ、お前が仕掛けてくる攻撃は!」
「すごいねえ、でもこの劣勢を覆す名案でもあるのかな。対処出来なきゃ意味が無いよ、アイアンテール!」
「っ、アイアンテールで迎え撃て!」

 甲高い金属音が響き渡って、互いに突き出した鋼鉄が激突すると雨を背に受けめくるめく火花が撒き散らされ鬩ぎ合う。
 激しく鎬を削る中で、互いの視線が交錯しライチュウは「これで良いのか」と声高く叫ぶ。彼とは交流を深めたわけではない、それでもなんとなく……正義感の強いポケモンなんだろうと、そう思ったから。
 やはりパワーは互角か、鍔迫り合いは優劣が付かずどちらともなく飛び退ると、泥濘を軽やかに踏み締めたルカリオは何を言うでもなく苦笑を浮かべた。

「……やっぱり強いな、何よりしんそくが厄介だ」

 ライチュウでは切り崩すのは難しい、一度交代した方がいいかもしれない。腰に腕を伸ばし掛けたところで察した電気鼠が振り返って叫んだ。
 まだ戦える、そう言いたげに得意気に帯電して笑う。直感で理解しているのだろう、下手に交代しても更に交代されてしまえば結局劣勢は変わらないと。

「分かったよライチュウ、一緒に勝利を掴むんだ!」

 確かにここで交代したとして、状況を一転させられるポケモンは居ない。ならば押し切るのも一つの手だ。とはいえ長所である速度で劣り技術も上回られている、ここから巻き返すには生半可な攻め手では切り崩せない。
 それでも、全霊を賭けて落としてみせる。

「行くぞライチュウ、かみなり!」
「どろあそびと洒落込もうか、アイアンテール!」

 吹き荒ぶ嵐に乗せて雷鳴が轟き、稲妻が地を焦がしながら突き進み眼前へ迫る。だが鋼鉄の尾を叩き付けると飛沫と弾け散る泥濘が雷光を遮り、突風が吹いたと思えば蒼影が波動を棚引かせ眼前へ躍り出ている。
 ……ここが恐らく正念場、ならば出し惜しみなど必要無い。振り返った電気鼠が得意げに頷きジュンヤが帽子をかぶり直して高く叫んだ。

「ここで勝負に出る、一緒に活路を開くぞライチュウ! 全開で放て、かみなりだぁっ!」
「なるほど確かに厄介だ、でたらめで良い手じゃないかジュンヤ君! しんそくで躱してくれ!」

 見渡せば開けた戦場の中心を覆う岩は未だに厳然と突き立っていて、揃って不敵な笑みを浮かべると準備万端のライチュウが天を仰いで膨大な雷電を解き放つ。
 この攻撃ならばいくら思考や動作を読まれようが関係が無い。瞬間真昼と紛う程の爛然の輝きが宙を覆い尽くし、夥しい万雷が世界を呑み込むと遅れて鼓膜を突き破る程の轟音が響き渡った。

「まだこんなパワーが残ってたなんて、すごいよライチュウ! これならきっと……!」

 戦場の悉くを呑み込む雷光は突き立てる無数の岩柱をも粉砕して、幾百もの瓦礫が舞い上がり無数の稲妻が四方八方から襲い来る中でなお波動使いを捉えるにまでは至らない。
 音すら抜き去る神速が戦場を駆け抜け、迫り来る一切を躱し尽くすと肩で息を吐き頭上を仰いだ。

「そんな、これでも当たらないなんて!?」
「あいつらなら出来ると思ったよ、だけどまだオレ達の攻撃は終わっちゃいない。一気に行くぜライチュウ、ボルテッカーだっ!!」

 敵が雷光と瓦礫に紛れて迫っているのは見えていた。最早此処まで到れば小細工は通らない、痛みに軋む身体を必死に動かし……凄まじい雷霆を鎧と纏った電気鼠が、紫電一閃の弾丸と解き放たれた。

「……へえ、やっぱり気付かれちゃったか。良いよ、受けて立とうじゃないか、高く跳躍するんだルカリオ!」
「逃さないさ、追い掛けるんだライチュウ!」

 彼らの慎重すぎる程の試合運び、持ち物はおそらく”きあいのタスキ”、僅かの手傷が命取りになる。ならば瓦礫の飛び散るこの状況で下手に動くわけには行かない、回避の方向は限られているから。
 高く高く、飛ぶ鳥よりも速く、そして遠く──二つの影が泥濘を蹴り付けると天を衝く程の勢いで駆け抜けていく。先導するように棚引く蒼炎と追い掛けて迸る稲妻の眩い軌跡が空へと昇り、雨を掻き分けて走る二匹は次第に距離が縮まり始めた。

「行くぞライチュウ、オレ達のボルテッカー……届けえっ!!」
「……そうだね、分かってるねルカリオ。避けたところで二の太刀にやられる、なら!」

 そしてついに目と鼻の先まで届いて、全てを出し尽くすように黄色の宝石“でんきのジュエル”を発動。
 電気袋をフル稼働して、不敵な確信に笑いこの戦いで見せたどの電撃よりも強力な万雷を束ねれば、極太の霹靂の穂が夜空を焼き尽くす雷鳴を轟かせ突き刺さった。

「やった、届いたよ……これで流石のルカリオも!」

 膨大な稲妻の放出に闇夜が焦がれ、波動使いが電光に呑まれて吹き飛ばされるとついに刃が届いたとノドカが歓喜に声をあげる。
 しかし対照的にジュンヤは神妙に眉を潜めて空を仰いで、微かに紛れた金属音に気付いて目を見開いたライチュウが一転焦燥に歯軋りをした。

「まだだ、そうだろうとは思っていたんだ! あともう少しだけ……頑張ってくれライチュウ、かみなり!」
「お見事、察しの通りルカリオの持ち物はきあいのタスキさ! だけどそのライチュウの体力は風前の灯火、これで落としてあげるよ……しんそく!」

 体内器官を必死に動かし、辛うじて搾り出した電撃はしかし今度こそ届かない。全てを抜き去る地上程の速度は無いが、なお波動の噴射で自在に空を駆る勇者が稲光の真横をすり抜け超高速で弾き出される。
 鼓動より速く、雨粒を弾きながら眼前に躍り出たルカリオが蒼炎を纏った脚が振り翳されて、「っ、迎え撃ってくれライチュウ、アイアンテールだ!」咄嗟に突き出した鉄尾諸共強烈な蹴撃が叩き込まれた。

「……そんな、嘘だろライチュウ!?」
「なんで、さっきまであんな威力じゃなかったのに……!?」

 正中線を正確に貫き鈍い衝撃が骨まで響いて、時間が止まったかのような刹那の中でふと千切れた襷が視界の端でゆるやかに舞い──気が付けば泥濘に転がり大の字に宙を仰いでいた電気鼠は、薄れ行く意識の中で再び心に疑問を浮かべた。『本当にこれで良いのか』、と。

「頼むライチュウ、返事をしてくれ!?」

 必死の叫びは雨に掻き消されたのか電気鼠には届かない。これまでに蓄積したダメージはあまりに重く、くわえて既に満身創痍だったのだ……最早耐え切れるはずがない。
 冷たい雨が降り注ぎ、徐に閉じられた眼に最後に映ったルカリオの表情を、ライチュウはなんと言えば良いのか分からなかった。ただ時折ジュンヤが見せる顔にも似ていて、大変だったのだろう、辛かったのだろう、とそんな単純な感想ばかりが脳裏を過ぎって……意識は混濁の淵に沈んでいった。

「……お疲れ様、ありがとうライチュウ。お前の気持ちは分かったよ、後はオレ達に任せてゆっくり休んでくれ」

 赤い帽子を被り直したジュンヤが肩で大きく息を吐いて、モンスターボールを振り翳せば夜闇と裏腹な眩い閃光が宙を切り裂き疲労困憊の戦士が柔らかな輝きに包み込まれる。
 紅白球のカプセル越しに見上げてきたライチュウの顔は、滅多に見ない程に力強く決意に溢れていた。絶対に勝ちたい、だから頼むと半ば懇願するような眼差しで。

「あーらら、どうしたのルカリオ。分かってるでしょ、ボクらは勝たなきゃいけないんだってさ」

 もし波動が乱れたとすればそれはほんの僅かな水面の一滴、しかしそんな微かなさざなみが波及してしまうかもしれない。分かっているからこそすぐさま平静で振り返れば、ルカリオは承知しているとばかりに凪の波動で軽く頷いた。

「どうしてルカリオがあの一撃を耐えられ……」

 確実にボルテッカーの直撃により倒せる、そう確信していたノドカが予想外の逆転に狼狽を露わにするが、泥濘に塗れた赤い帯の切れ端を見てようやく理解した。

「そっ、か。あの子の持ち物は……」
「ああ、でもそれだけじゃない、あいつは多分一瞬の隙に“つるぎのまい”まで積んでいる。敢えてボルテッカーを食らったんだ……!」

 ルカリオが装備していたのは“きあいのタスキ“、傷付いていなければどんな強力な一撃でも確実に耐えられるようになる持ち物だ。だから彼らは舞い上がる瓦礫を掠めることすら避けて動いていたのだ、と。
 そして防御と突き出した“アイアンテール”、本来であれば神速の一撃は辛うじて凌ぎ切ることが出来たはずだ。考えられる理由は一つしかない、雷雨に掻き消され金属音が届かなかったが、“つるぎのまい“を舞うことで闘志を昂らせ攻撃力が高められていたのだ。

「またまた正解、やっぱりボクらの気持ちは通じ合ってるね。キミ達の決死の攻撃に紛れて”つるぎのまい“を発動していたのさ!」
「流石だよレイ、必死に食らいつくのがやっとだなんて。これが……お前達の本気なんだな」
「そういうキミ達は相変わらずだね。あんだけ意気込んでおいて、このままじゃまーた何も守れずに終わっちゃうんじゃない?」
「終わらせないさ、オレ達だって少しは強くなったんだぜ。だから……もうあんな悲劇は繰り返させない」

 からからと愉快な哄笑が響き渡って、素直な感嘆に溜息が溢れる。此処に至ってなお実力の差は歴然で、思わず苦笑を零しながら帽子を目深に被って腰に装着された紅白球を握り締めると、瞬きと共に掴み取った。

「あーあ、分からない人だねジュンヤ君ってば。いくら足掻いたところでヴィクトルはおろか、このボクにすら勝てはしない……何も守れやしないのさ」
「悔しいけどその通りだよ、確かにお前達はすごく強い。だけど言ったはずだぜ、諦めないって決めたって!」
「まるで物語のヒーローみたいだ、相変わらずかっこいいねえジュンヤ君は! でも抗ったって無駄なんだよ、勝負はいつだって非情なんだ」

 利剣の如く冷ややかに喉元へ突き付けられる確かな現実。いまだ決定打は彼らへ届かず、ようやく一太刀を入れられたばかりで……だけど、そんなのは今更だろう。
 この旅はいつだって自分より強い強敵との戦いばかりだった。けれど歯を食い縛って立ち向かって、何度折れても挑み続けて、ようやく此処まで辿り着いた。
 やっと向き合えた自分の弱さ、やっと見つけた自分だけの強さ、だから……ここまで来たら挑むだけだ。

「さあどうだろうな、やってみないと分からないぜ。だってお前は一つだけ見落としてるんだから」
「面白いね、何の話かな。ま、なんでもいいさ、どうせその口振りなら大局は変わらないんでしょ?」
「いいや、変えてみせるよ。この先にはビクティニが待ってる、お前達が友達って思ってくれてる……だから万に一つの勝機でも掴んでみせるさ!」

 その為に自分は此処まで来たのだ。大切なものを守る為に、失ったものを取り戻す為に。

「……ジュンヤ。ほんとう、いっつもムチャばっかりして」

 呆れたように、泣きそうに。よく分からなくてないまぜになった感情が思わず言葉となって溢れ出してしまう。
 こんな彼らの背中を今まで幾度見て来ただろう。今にも崩れ落ちそうな程に傷だらけで、それでもなお必死に強がって立ち続ける大切な幼馴染。
 彼は両親を失った“あの日”からずっと強くなるために鍛えて来た。守るためにって、いつも無茶ばかりして……ずっと隣で見て来たから分かっている、彼はそうしなければ生きられないのだと。

「……大丈夫さノドカ、お前が信じてくれてるんだから」
「えへへ、もちろん、いつだって信じてるよ。だってあなたは私のヒーローだもん」

 けれど見つめ続けて来たはずのその背中が、なんだかいつもとは違う気がした。ひどく懐かしい空気を覚えて、振り返ったジュンヤは帽子のつばを上げてくすぐったそうにはにかんでみせる。
 小首を傾げて、雨を弾いてほがらかに笑うノドカへ頷き返すと、一呼吸置いて振り返り大切な宿敵と向き合うように身構えた。

「……いつから、そうだったんだろうな」

 信じられなかった、信じたくなかった。かつて同じ時を過ごし共に“まもる”という夢を語り合った少年が悪の幹部ということを。
 けれど薄々……心のどこかで感付いていた、レイと交わす言葉の裏には暗く射し込む影があり、彼が計り知れない“何か”を背負っていることに。

「……待っていてくれ。オレ達みんなで絶対に助けるから」

 ──今でも、心の隅で考えてしまう。彼の足元で泥濘む深い影にどこかで気付いてさえいれば、あるいは闇に堕ちた親友を呼び戻すことが出来たのではないか……と。
 けれど、そんなもしもに意味は無い。あるのはただ“約束を果たす時が来た”という事だけだ。だから心は希望に萌えて、揺るがなき一筋の光は吹き荒ぶ嵐に力強く瞬いている。

「行くぞレイ、勝負はまだまだここからだ! ライチュウが繋いでくれた想い……無駄にはしない!」
「来なよジュンヤ君。ボクらは今度こそ護り抜くって誓ったんだ、キミ達の冒険ごっこは此処で終わりにしてあげるさ!」
「悪いけどオレ達もそう簡単には道は譲らないぜ。大切なものを守る為に、このバトル……絶対に勝つ!」

 鮮烈に脳裏へ蘇るのはかつて袂が別たれ対峙したいつか。握り締めた決意は紅く閃き、いつかと同じ雨は冷たく降り続けていた。
 オルビス団に奪われたかけがえの無い日々を取り返す為に、これ以上誰も悲しませない為に、もう一度親友と手を繋ぐ為に。……あの日の皆で、笑い合う為に。
 絶えること無き慟哭を唄い続ける空には、楽園を焼き更に煌々と燃え盛る焔が朱く眩く舞い踊る。何度も押し潰されて来た“あの日”の中で幕を開けた約束の決戦は、更に苛烈さを増していく──。

■筆者メッセージ
このご時世であまり執筆に時間が取れず、更新遅延気味で申し訳ございません。読んでくれている皆様にご迷惑をお掛けしていること心よりのお詫びと感謝を申し上げます。

レイ「ところでノドカちゃんがジュンヤ君をヒーローって言ってたけど、言うほど本編で守れてるかな?」
ノドカ「ま、守れてるよお!何回も助けられたもん!」
ジュンヤ「何が言いたいんだよ、レイ」
レイ「いや、なんていうのかなー…バトルの合間合間にいちゃつかれても、なんかちょっと腹立つっていうか」
ノドカ「いちゃついてなんか…!」
ジュンヤ「ないからな!?」
レイ「なんでそこまで息合わせるの。あーあボクかわいそう、良い迷惑だよホント!」
ノドカ「ね、ねえ、いちゃついてたかな私たち…?」
ジュンヤ「いや、ソウスケみたいに言ってくるだけのはず…」
レイ「ソウスケ君、苦労したろうね本当に…」
せろん ( 2020/05/09(土) 14:50 )