ポケットモンスターインフィニティ

















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第十三章 決戦
第107話 夢幻の方舟
 終焉を宣告された最後の日。ついに乗り込んだオルビス団の拠点“剣の城”、その構造は大きく二つに分かれている。
 大地に今も深々と刃先の突き刺さる剣身部は、多くのオルビス団員や降伏した者達がもう間も無く訪れる終末へ向けて各々思い思いの暇で過ぎていく。鍔より上に位置する柄部は最高幹部と首領、彼らの許可を得たものだけが立ち入りを許された世界。
 そして、その二つは神鳥と円環、大樹が刻まれた荘厳に聳える鉄扉によって隔絶されている。この扉を越えるには力を示す他道は無く──今、その戦いに決着が付けられた。

「行こうみんな。この戦いを終わらせる為に」
「……えへ、そっか。待たせてごめんねみんな、それじゃあ進もっか!」

 ようやく胸を締め付け続けるような不安と緊張から解き放たれて、気が抜けてしまっていたノドカは一瞬ぽかんと間を置いてから小首を傾げて苦笑を返す。
 この先で待ち受けるのは、勝てば道が開き負ければ全てを失ってしまう背水の決戦。迎え撃つのは幾度と刃を突き立てて、その度に到底届かぬ圧倒的な差を見せ付けて来た最高幹部に位置する二人。
 この旅の中で多くの出会いと別れに触れて、結局夢見たいつかの想いは変わらない。同じ願いのままで──だが、ずっとずっと強くなった。見上げる星はいつも眩く、手を伸ばし続けた先にようやく進化を果たすことが出来た。

「……此所で全て終わらせる」

 開かれた扉は身が竦む威容の暗闇を拡げ、深部から溢れ出す圧倒的な力の奔流は凄烈に肌を突き刺して来る。それでも、彼らは目を背けること無く立ち向かう。

「はい、そうですね、ツルギ。わたしたちの大切なもの、……きっと取り返す、です!」

 聳え立つ闇にもツルギは僅かも怯んだ様子を見せずに足を踏み出し、力強く相槌を打った可憐な少女は恐怖に射竦められてしまう前にと慌てて後を追い掛けた。
 自分達も進まなければならない。激しく打ち鳴らす鼓動を押さえて深呼吸し、幼馴染みの少女の手を引いて遅れて歩き出そうとした瞬間に「あの、すみません」と呼び止められる。

「ジュンヤさん、一つだけ……良いでしょうか」

 振り返れば幹部の青年ファウスは己の立場を省みて、それでも……と祈るような眼差しを揺らし見つめてくる。

「……レイ様のことを、お願いします。あの方は……」
「大丈夫さ、分かってる」

 悲痛に唇を噛み締め言い淀んだ言葉を、なかば一人ごちるように遮るジュンヤ。帽子の鍔をくいと下げ、口元に笑みを貼り付けて深く闇を湛える扉の先を仰ぎ見た。

「あいつらはオレ達の親友なんだ、選んだ道が違っても。だから……後は任せてくれ」
「……そうですね。貴方ならば、たとえ勝てずともあるいは」
「そ、そこは勝てるかもとか言ってよぉ!」
「失礼な、勝つのはレイ様です!」
「ええ〜っ!?」

 ……さながら光届かぬ深淵のよう。天蓋の如く包む暗闇の奥に、親友が磨り硝子の瞳を瞬かせ決戦の刻を待ち佇んでいる。
 彼は『一つでも多くのものを護る為に』と圧倒的な力を以て奪い続けた。記憶を書き換え、絆を引き裂き、希望を影で覆い尽くしてなお人々を護る希望を謳い。
 選んだ道は別たれて、互いに譲れない信念で向き合うことで初めて前へ進める。だから会って話がしたい、決着をつけなければならない。

「オレ達は誓ったんだ、大切なものを守り抜くって。だから……待っていてくれ、レイ」

 ──立ち塞ぐ闇へ、荘厳に聳える扉を越えて一歩を踏み出す。
 その全身は圧倒的な力を以て君臨し続けて来た逆巻く威容に晒されて、それでも右手に伝わる少女の柔らかな温もりを頼りに懸命に立ち向かい前へと歩む。
 必ず取り戻してみせる。あの日へ置き去りにしてしまった全てを守り抜いて、絶対に。その為に先へ進まなければならない。

「ねえ、ジュンヤ。きっとだいじょうぶ、あなたとゴーゴートたちなら」
「……やっぱり敵わないな。ありがとう、ノドカ」

 少年の手を握り締めて共に進む幼馴染みが、戦慄と恐怖を堪えて優しく語りかける。険しく引き結ばれたその横顔に穏やかな微笑みを投げ掛ければ、彼は内心を見透かされたことに嘆息を吐いて頭を撫でた。
 帽子をかぶり直して、眼前に広がる長い漆黒の通路をただひたすらに進み続け、果たして其処に広がっていたのは広大な空間。

「や、やっぱり広ーい……けど」

 景色やポケモンの描かれた絵画がいくつも飾られた壁面に沿って上階へ続く半円の階段が左右に伸びて、白い大理石の床には落ち着いた群青の絨毯が敷かれている。
 天上を見上げれば星座のように蒼い紋様が繋ぐ宙に飾られたシャンデラの照明が穏やかに大広間へと降り注ぎ、中心には杖をつきビクティニと共に腰掛けるかつての英雄の銅像、その背後に扉を備えた巨大な柱が聳え立っていた。
 構造自体はこの城で最初に目にしたものとそう変わりはない。だが……あまりの雰囲気の違いに、ノドカはふと首を傾げて感想をこぼした。

「なんていうんだろ……こう、落ちついてるね」
「当然だ、此処は立ち入るものが限られている」
「ごうかにする必要がない、ですね」
「そっか、私も自分の部屋は好きにつくってるもん」

 豪奢で見るものを圧倒する造りだった最初の大広間とは風情が違い、緩やかな静謐に包まれ心の落ち着く光景が広がっていて。
 即答するツルギに二人が納得するように頷いた。此処は最高幹部達に取って心の落ち着く拠り所、唯一の帰るべき場所……だから星月夜の静穏を湛え佇んでいるのかもしれない。

「あのエレベーターに乗れば、最高幹部のところに辿り着けるらしい」
「だろうな、行くぞ」

 先程ファウスと言葉を交わした際に聞き出した、最高幹部の待ち構える展望台へと辿り着く為の唯一の道を。
 徐に口を開く密室に四人で足を踏み出し乗り込めば、この先に待つ死闘へ誘うように自ら動き始めた。嫌でも纏わりつく緊張と心臓を握り締める威圧感に待ち受ける宿敵の苛烈さを意識させられながら、永遠に思える刹那を言葉一つ無く駆け抜けていく。
 徐々に勢いを失って、躊躇いがちにゆっくりと静止する渡し守の舟。何の感慨も無く無機質に開いた扉の先は全ての星が墜ちたかのような漆黒に染まり、視界に飛び込んできたのは淡い蒼光に照らされた宵闇のホール。

「分かっている、フーディン」

 左右に広がる大幅の通路を睥睨して、腰に装着したカプセルが進むべき方向を示さんと軽く揺れる。少年は幾度と浴びた嵐の如き逆巻く力の奔流を浴びながら、溜め息混じりに一瞥をくれた。

「……分かるよ、レイ。お前達はこの先に居るんだな」

 最後の邂逅で見せたあの凍り付く程の底知れぬ悪寒が、星無き道の先から波濤の如く溢れ出す。もうすぐ約束が果たされる、震える指先を握り締めると帽子を深く被り直して冥闇を見つめる。

「奴らはこの先だ、サヤ」
「行こうノドカ、あいつらが待ってる」

 ようやく此処まで辿り着いた。永い永い戦いの果てに、泥濘を掻き分けるような重く圧し掛かり一呼吸すら苦しい日々の果てに、ようやく願い続けた運命の瞬間へ手が届く。
 彼らは己が彼方に降り掛かった遠き惨劇に想いを馳せて、それぞれに待つ決戦を確かに見据え……しかし、ふと踵を返したジュンヤが振り返ると確かめるように口を開いた。

「ツルギ、……頑張れよ」
「……ああ、お前もな」

 呼び掛けられたツルギは振り返ること無く肩越しに短く答えて、力強く研ぎ澄まされた双眸を瞬かせ歩き始めた。かつて全てを奪った円環の樹を断ち切って、闇夜に閉ざされた未来を切り開く為に。
 次いで、ジュンヤも進むべき道を見据えた。その眼は永く宵影の中を彷徨い続けて、雲間に遠き黎明が霞む。“あの日の惨劇”を映す瞳は一筋の変わらぬ希望に萌えて、大切な幼馴染みと共に決戦に臨む少年は約束を辿る一歩を踏み出した。


****


 剣の城も、いよいよ最深部が近いようだ。肌が総毛立つ程明瞭に感じる、未だ苦しんでいるビクティニの叫びとこの先に佇むレイの威圧を。
 親友が助けを求めている。一本の道となり続く戦慄を孕んだ漆黒の通路を進む彼らに迷いはなく、影の誘いに導かれ歩み続けたその先には一つの門が佇んでいた。
 円環の描かれた簡素な門の隙間から溢れ出てくる禍々しい威圧に躊躇うように手を伸ばせば、腰に装着された紅白球がひとりでに開き紅い閃光が迸った。

「……そうだなゴーゴート。この先にレイ達が待ってるんだ、怖じ気づいてちゃダメだよな」

 現れたのは湾曲した黒角、首から尾まで瑞々しく深緑を繁らせた茶褐色の草山羊。逞しい四肢の先の堅牢な蹄を踏み鳴らし、低い嘶きと共に相棒が背を押すように現れた。
 『キミの両親を殺したのはボクだ』約束の決戦を前に、かつてレイに言われた言葉が脳裏に延々と廻り続ける。
 この目で確かにヴィクトルが両親を殺すのを見た。なのに何故彼はあんなことを言ったのか、もしそれが本当なら……彼は、あの頃からオルビス団に身を置いていたということになる。一緒に下らないことで笑い合った、あの頃から──。

「ねえ、ジュンヤ」
「はは、オレ達なら大丈夫だよ。行こうノドカ、ゴーゴート」

 この先に幾度と刃を交えた親友レイが居る。脳裏に鮮やかに蘇る思い出が誓った決意を一層固め、深呼吸と共に不安を吐き出し踏み出した。
 角を握り締めれば、同じ心で繋がる相棒も力強く頷いてみせる。「絶対に勝つ」、掌と角を掲げて鉄扉へ触れて、金属の擦れる音を鳴らして重く聳える扉を開いた。

「……なんだよ、これ」

 ──果たして扉を越えた先に在ったのは、積乱雲に覆われ閉ざされた空と、草一つ無く何処までも枯れた大地の広がる果て無き荒野。
 其処には何も無い。ただ荒涼と茫漠が広がり、死と渇きを運ぶ黄昏の風が髪を無造作に撫で付ける。
 振り返れば既に退路は失われ、かつて街だった凹凸の鉄林は錆びて風化し退廃に沈む止まない霖雨に佇んでいる。

「ねえジュンヤ、これ……」
「ああ、間違いない」

 ……オレ達は摩天楼の城塞を進んでいる。今目の前に広がるのは幻影で、創り出された虚構の砂漠だろう。
 降り頻る雨音だけが冷たく延々と反響し、荒涼の風が吹き抜ける空虚な世界。変わらず重圧が心臓を締め付けるこの空間に、少年が此方に背を向け立ち尽くしていた。

「アハ、とうとうここまで来たんだね……」

 男にしては高く、女にしては低い渇いた哄笑がこの荒廃と不釣り合いに躍り、黄昏の風は鈍く輝く白銀の髪を弄ぶ。羽織った漆黒の制服の裾が風に吹かれて舞い、さながら恋人との待ち合わせのように軽やかな足取りで踵を返した。

「キミなら来ると思ってたよ。久しぶりだねジュンヤくん、ゴーゴート」
「約束、したからな。そうだろ……レイ、ゾロアーク」

 振り返って見せたのは、柔和で親しげな人懐こい微笑。冀望を湛えた曇り硝子の瞳が目深にかぶったハンチング帽の奥で瞬いて、仮面の笑顔には深く暗い影が射し込んでいた。
 『また会おう』、『次はオルビス団幹部として本気で行く』。そう約束してから幾程の戦いがあったろう。帽子のつばを下げて睨み付ければ親友は随分愉しげに笑みを深めて、寂寞に広がる荒野を仰ぐ。

「フフ、すごいでしょこの景色。キミ達の為に用意したんだ、驚いてくれてたら嬉しいな!」

 九年前の篠突く雨の日、あの惨劇でジュンヤが両親を失う以前は何度と親交を温めた友達。絶望から立ち直り送った手紙はただの一度も届くことなく、旅の中でようやく再会を果たすとかつて紡いだ絆を再確認した。
 選んだ道は交わらず、未来を賭けて対峙した今でも結ばれた友情に変わりはない。たとえそれが──数え切れない人々の希望を奪った、決して赦されざる咎人だとしても。

「……流石に驚かされたよ。お前の力だね、ゾロアーク」

 レイの幼い頃からの相棒であるばけぎつねポケモン。彼は時に幻影の覇者と呼ばれて、幻の景色を見せ閉じ込める力を持つ。
 虚空から影を纏い現れたのは、朱殷の鬣を靡かせて、紅い隈取の蒼眼を細めた影の如き漆黒の妖狐。朱殷の爪が鈍く輝き、紅く縁取られた口角を悪戯っぽく吊り上げ頷くとすぐさま引き結んで黒く逆巻く空を仰いだ。
 頬を掠めるあの日と同じ雨の中、相棒と共に瞼を細めて見上げれば、遥か彼方に剣を模した摩天楼の巨城が浮かんでいる。

「うん、確かにこれはゾロアークの投影した幻だ。だけど……決して、ただの幻覚なんかじゃない」

 踊るように愉快そうにその場を回り、翳した掌は荒廃した世界を巡る。大地は赤く枯れ果てて、見渡す一面どこまでも荒野が続いていく。振り返っても廃墟群と化した街跡には人もポケモンの気配も無く、ただ無数の鉄塊が森と聳えているだけだ。
 そして最後に閉ざされた空へと手を伸ばし、遥か頭上に峻厳と浮かぶ剣の城を示すと広げた手のひらがぐしゃりと握り込まれる。

「この世界はエイヘイ地方の未来の姿さ。ヴィクトルが築き上げた混沌の果てには……戦火とその傷痕しか残らない」

 もし終焉の枝が地表に向けて放たれてしまえば全ては終わる。後には己とポケモンの為に相手を打ち倒し、力あるものだけが生き残る弱肉強食の世界が訪れてしまう。

「フフ、特別にキミにだけ見せてあげるよジュンヤくん。どうしてこのエイヘイ地方が荒廃しちゃったのかをね」
「いったい何を……うぐっ……!」
「ど、どうしたのジュンヤ、だいじょうぶ!?」

 レイが指を鳴らした瞬間に酷い頭痛を感じて片膝を付き、痛みを堪えんと瞼を引き結び頭を抑えるとその目に、鼓膜に走馬灯のように景色と狂騒が駆け抜けていく。
 かたや赤鎧を纏う軍勢、かたや赤兜を飾る大軍。数千匹の武装したポケモンとトレーナー達二つの勢力が必死な形相で荒野にぶつかり合い、見知らぬ街で怯える人々を無視して硝煙と戦火の舞う激しい抗争が繰り広げられる。
 名も知らぬ誰かが大事そうに抱えたパンを盗賊に盗まれてしまう、肉親や友人同士で傷だらけになりながら奪い合っている。荒廃した世界で貧困に喘ぐ人々が為す術も無く嘆き、言葉に出来ない凄惨な光景も幾度と瞼の裏を駆け鼓膜を振るわせた。
 それは何故この世界が荒廃してしまったのかの道程、あるいは訪れる未来の犠牲者達。

「フフ、どうかな。ボクのプレゼントはお気に召してくれたかい?」
「レイくん、ジュンヤになにしたの!?」
「なにした……だなんて人聞きが悪いなあ。なんてことはない、この悲劇に至るまでの過程を見せてあげただけさ」

 怒りに叫ぶノドカへ変わらず貼り付けた笑顔で答える少年。彼の言葉に思わず少女は息を詰まらせる、自分は見てはいないがそれでも、苦悶に喘ぐ幼馴染みの様子からその凄惨さが窺い知れたから。

「悲劇への過程……?」
「そ、何十匹ものポケモン達に終焉の枝発動後の未来を視てもらったのさ。過程に多少の差異こそあれど、結局導かれたのはことごとく“これ”だけどね」

 見せ付けるように世界を仰いで左手を流すと、呆れて微かな溜め息を吐き出す
 ネイティオやゴチルゼルを始めとした未来予知能力を持つポケモンや高度な演算能力を持つ者達の力を借りて、何度も何度も数え切れない程未来を導き出した。しかし、いくら繰り返しても結局荒廃へ辿り着いてしまったのだと彼は語る。
 レイが見せてきたのはその数ある未来への道筋の一つだ。あまりに生々しい悲愴感に吐き気と胃酸が込み上がって来るのを無理矢理抑えて徐に立ち上がれば、おずおずと幼馴染みが不安そうに顔を覗き込んできた。

「ジュンヤ、だいじょうぶ……?」
「……ああ、心配させてごめんノドカ。オレなら大丈夫だよ」

 未だ焼き付いた光景は瞼から離れず、それでも強がって微笑みを返せば彼女は安堵に小さく息を吐く。相棒も角を握る感覚からひとまずは大丈夫だと気持ちを察して、再び対峙する二人へ身構える。

「流石ジュンヤくん、これくらい耐えてくれないとね」
「よく言うよ、分かってて見せたんだろ」
「アハハ、それを言われたら弱いなあ!」

 確かに衝撃的で凄惨な光景だった、だがそれは所詮未だ起こり得ない悲観的な結末、今はそれより前を向く方が大切だ。
 隣でまだ心配そうに瞳が波打つノドカの優しさで脳裏に刻まれた悲劇を上書きし、ありがとう、と頭を撫でて対峙する“親友”へと視線を戻す。

「人々は互いに屠り生き残る為に更なる力を求め、争いはまた争いの種を残し際限無く悲しみの実を育てていく」
「だから誰もが強くなければ生きられない、弱い人々は淘汰される。……これが、ヴィクトルの創る混沌ってやつなんだな」

 かつてヴィクトルが世界へ向けて言い放った宣告。『強くなければ生きられない、力が全てを支配する素晴らしい世界』──それはきっと、あんな数え切れない悲しみに満ちた景色なのだろう。

「ご明察、今キミが見たものこそがあの男の望む未来さ。彼には誰も勝てない、総てを手に入れ……故に絶望に堕ちて、限界を超える希望を創らんとしているのだから」

 以前にノドカが博物館でヴィクトルの像を見て漏らした呟きが、不意に脳裏へ甦った。『ちょっと、窮屈そう』もし本当にそうだとしたら、恐らく頂点に君臨し続ける桎梏ではなく、強さ故に辿り着かざるを得なかった最果てに端を発するのだろう。
 確かに、彼はその圧倒的力で自ら退くまで頂点に君臨し続けた。伝説のポケモントレーナーとすら呼ばれた史上最強の男、勝てる者など居なかった。

「だからボクは誓ったのさ、一人でも多くの人を護り抜いてみせるって。剣の城という方舟に乗せてね」
「……やっぱり、そうだったんだな」

 何故彼が数え切れない人々を部下へ招き入れるのか……予想は出来ていた。彼の性格を、自分が彼の立場ならということを考えればそれしかなかったから。
 かつてお互いの夢を語り合った時にレイは言っていた、『ボクは自分の行動に間違いが無いって信じてる、じゃないと挫けてしまいそうだから』と。その上で“少しでも多くのものを護る”という夢を貫くことを嬉しそうに語っていた。

「そっか、だからレイくんはあんなに部下を増やしてたんだね……」

 敵として対峙した時にも、冗談めかしてはいたがこんなことはやりたくないと。
 恐らく彼は本気で救済しようとしているのだ。世界中に遍在する洪水神話のように、剣の城という方舟に乗せて終焉の枝が起こす破滅から護らんと……その言葉には悪意や裏は感じられない。

「……なあ、聞かせてくれレイ。オレの両親を殺したっていうのはどういう意味なんだ」
「言葉のままだよ、ボクが二人を殺したんだ」
「違う、オレは……今でも覚えてる! 炎の中で指示を出すヴィクトルの姿を、父さんと母さんの倒れるところを!」
「くす、懐かしいね、ボクも今でも覚えてるよ。だけど」

 今でも瞼の裏には鮮明に焼き付いている。決戦が近付くにつれ何度も思い返しては無力を嘆いた九年前の惨劇の日。
 忘れられるわけがない、橙色の光に照らされた影を、触れるもの全てを飲み込み高く舞い踊る眩い炎を。必死の抵抗も虚しく力尽き崩れ落ちていく両親の姿を。
 貼り付けた笑みは不意にほんのかすかに剥がれ落ち、深く弓形に笑みを深める口許とは裏腹にその目は一切嗤っておらず。

「事実は何も変わらない。あの日の惨劇はこのボクが引き起こしたんだ」

 広げた掌を翻すと強く握り締め、冷淡に吐き捨てられた言葉はあまりに鋭く深く胸に刺さり、隣で佇むゾロアークの眼は何を思うか刹那に揺れた。

「ねえ、レイくん。きっとあなたはウソは言ってないと思うよ、だけど……ホントのあなたを教えてほしいな」
「……ノドカの言うとおりだ、聞かせてくれレイ。何でオルビス団員になったのか、あの日何が起きたのか……じゃなきゃオレは納得出来ない」

 彼は嘘や冗談で人を殺した、だなんて口走るような人間ではない。恐らく彼の語る話は全て嘘ではなく、だからこそ自身の見た景色との齟齬と、彼がいつ悪と繋がり此処に居るのか疑念が深まる。

「戻ってくれ、ゴーゴート」
「それじゃあキミも一度おかえり、ゾロアーク」

 あの日見た影は決して幻影なんかではなかった。きっとレイは言葉の裏に重要な事実を隠しているのだろう……ハンチング帽に隠れた素顔のように。
 どちらともなく相棒を紅白球に戻して睨み合い、雨音だけが響く暫時の静寂を少年の中性的な声が破った。

「アハハッ……良いよ、ぜーんぶ教えてあげるよ。勿論ボクとポケモン達に勝てたなら、だけどね!」

 哄笑を響かせ帽子を目深にかぶったレイは、伸ばした左手で腰に装着されたモンスターボールを掴み取ると、指先でくるくる弄んでから真っ直ぐに銃と突き出した。

「……やっぱり、オレ達は戦うしか無いんだな」
「当然さ、ボクはオルビス団の最高幹部なんだから。勝たなきゃヴィクトルの玉座には辿り着けない、どの道ボクらは戦うしか無いのさ」
「そうだな。オレ達は全てを守る為にここに来たんだから」

 降り注ぐ霖雨に塗れた磨り硝子の瞳を真っ直ぐに見据えたジュンヤは、薄闇でなお眩く瞬く希望を萌えさせ腰に装着したモンスターボールへ手を伸ばすと、力強く握り締めて盾と見構える。
 出来ることならば、こんな形でポケモンバトルをしたくはなかった。だが掲げた“まもる”という夢は譲れない、冀望を湛える瞳と希望に萌える瞳が衝突すればどちらともなく苦笑が零れる。

「ホントに、最強の男と戦うつもりなんだね」
「ああ。悪いけどオレ達はお前の部下になるつもりも、ここで立ち止まるつもりも無いんだ」
「……そっか。それじゃあ案内するよ、ボクらの決戦に相応しい舞台へね」

 ハンチング帽のつばを深く下げて、弓形の笑顔で指を鳴らせば唐突に世界が崩壊を始める。見渡す荒野が地響きと共に球と拡がる影に呑まれて、未だ降り止まぬ雨の中で絶望に染まる漆黒の視界に不意に緋く色が灯った。

「これ、は……。この、景色は……」

 傷に汚れた靴が濁った泥濘を踏み締めて、絶えない雨の中新たな世界が拡がっていく。
 天が震えて憤怒の雷鳴が咆哮と轟き、身体を射貫く矢のような冷たい篠突く雨。冥く絶望に彩られた夜闇の中で、爛然の劫火が苛烈な太陽の如く側方で燃え盛り続けていた。
 広大な大園を備えた一軒家が灼熱に焼け崩れ落ちていき、それでもなお留まらない焔という破壊の象徴は触れるもの全てを飲み込み、自身の力に変えて、己を更なる高みへ昇華させていく。
 忘れない、忘れられるはずが無い……何度も繰り返したこの光景を。何度も何度も数え切れない程夜毎の夢に現れ続けた、深く胸に楔と穿たれた“あの日”の絶望。

「そんな、これ……ジュンヤの……」

 ノドカは直接見たわけではないが、それでもこの光景が何なのかを即座に理解して言葉を失った。いつかに彼が絶望へ堕ち苛まれ続けたその始まり、遠き夜に降り掛かった惨劇なのだと。

「こんなのって、ひどいよ……」

 世界を仰いだ幼馴染みの瞳に幾度と目にした色が映って、込み上げる悲しみが震える声で溢れ出た。隣でずっと見てきた、同じ気持ちで見上げてきた空は厚く逆巻く黒雲に覆われ光が閉ざされてしまい、不安に見やれば帽子を深くかぶって相棒と共に向かい合っている。

「フフ、ボクらの戦いにこれ程おあつらえ向きの場所は無いでしょ?」
「……そうだな。ここでオレ達は運命に出会ったんだ」

 ジュンヤとレイとビクティニ、ゾロアとメェークル──十年前の夏の日に、彼らはラピスタウンで出会って友達になった。かくれんぼやおにごっこ、探険隊にポケモンバトルなど夢中になって時間を忘れて、燦々と照る陽光の下で遊び倒した。
 連日止むことなく降り続く、あの霖雨の夜までは……。

「さあ、決着を付けようジュンヤくん。影と付き纏い続ける“あの日”の中で」
「ああ、始めようレイ。全てが終わったこの場所で」

 握り締めていた紅白球を構えて、弛まぬ意思を翳して身構える。
 “あの日”全てが絶望に潰えて、これで終わったと思っていた。だが……大切な幼馴染みの優しさと強さに励まされもう一度踏み出すことが出来た、相棒達に助けられ何度も戦いを乗り越えられた。この旅で出会った仲間達に支えられて、背中を押してもらってようやくここまで来れたのだ。
 もう、決して失いたくない。だから強くなって、仲間も世界もみんなで必ず守り抜いてみせる。

「オレ達は大切なものを守り抜くって誓ったんだ。だから絶対に勝つ、勝って取り戻してみせる!」
「本気で行かせてもらうよ、大切なものを護り抜くって誓ったから。ボクらとキミ達……未来を賭けて、かっこよく決闘と行こうじゃないか!」

 譲れぬ互いの希望と冀望、変わらぬ決意を天に叫んで、勢い良くモンスターボールが投擲された。降り続く雨粒を弾き散らしながら突き進む真紅と純白の球は、空を切り裂き色の境界から二つに割れた。

■筆者メッセージ
ジュンヤ「ついに、レイとバトルする時が来たな」
ノドカ「レイくんってすごい強いよね……それに、たしか」
ジュンヤ「ああ、オレ達は一度もレイに勝ったことがないよ」
ノドカ「それならいっぱいがんばらないとだね!あなたたちならきっと勝てるから!」
ジュンヤ「はは、ありがとう、お前がそう言ってくれるならなおさら勝たないとな。……もう一度取り戻す為に、絶対に」
せろん ( 2020/03/18(水) 09:16 )