ポケットモンスターインフィニティ - 第十三章 時を刻む極光
第102話 決戦、オルビス団
 月が雲に隠れ始めて、徐々に闇に覆われつつある崩れ落ちそうな宙の下。
 穏やかな風景が描かれた絵画やウツドンを象った花瓶が立ち並ぶ、赤い絨毯の敷かれた煉瓦造りの廊下に淡い星影が柔く射し込む。

「……ついに明日だな、ゴーゴート」

 儚い静謐を湛えた空気の中で、足音だけがいやに響き渡る廊下に少年がふと立ち止まると、絞り出すように徐に口を開いた。
 その声色は僅かに震えて、己の角を握る右手の力加減から自分のもののように心の波が伝わってくる。
 運命を越えたいという強い願い、皆で明日の先へ進むのだという強い決意、もし負けたらという恐怖、気丈に振る舞っても混濁とした感情は一人ではとて飲み込み切れず。
 それでも……大切な仲間達が居るから勇気を振り絞って戦える。不安と絶望に足が竦んだ時に、大切な人達が背中を押してくれる。

「オレ達で絶対に守るんだ、大切なみんなが生きているこの世界を」

 再び歩き出そうと躊躇いがちに顔を上げれば、廊下の先に一つの影が音一つなく揺れた。此方に向かってくる姿に目を澄ませば、白磁の肌が、利剣の如き鋭き眼が星の光に照らされる。

「ツルギ……お前も部屋に戻るところだったのか」
「鬱陶しい、お前達に鉢合わせるとはな」

 宙の煌めきを受け止めて、星月夜の射し込む窓に映るのは儚く霞んだ望月を背に仰ぎ、世界の中心に聳え立つ剣の城塞。
 射竦めるような威圧的な眼差しと抑揚の薄い声色に、栗髪を揺らす少年は怯えることなく真っ直ぐに向き合う。
 睨み合ったまま硬直し、息を呑む張り詰めた空気の中で不意にツルギが「おい」と口を開いた。

「お前達はかつて言っていたな。ポケモンリーグで俺に勝ち、信じる強さを証明する、と」
「……そうだったな、懐かしい。お前と初めてバトルをした日の夕方だったよ」

 今でも鮮明に覚えている、彼と交わした幾度ものバトルを。ツルギはポケモンを道具だと冷徹に扱い、自分の力として己の為だけに強さを求め……ポケモンにそんな扱いをするのが許せなかった。だから彼に勝つのだと、何度も。

「だけどもう負けないさ。オレもゴーゴート達も、前よりずっと強くなったから」

 忘れない、忘れられない、その度に喫した敗北を。けれど挑み続けて……ようやく理解出来た。自分に足りないものは何か、彼がどうして強いのか、彼と彼のポケモン達を繋ぐ強い信頼を。ツルギとは決して相容れない、けれど彼は誰よりも強い……それは悔しいけれど認めざるを得ない。

「……鬱陶しい。お前達は戦う度に強くなる」
「負けられないんだ。お前にも、レイにも……オレには勝たなきゃいけない奴が沢山居るから」

 この旅の中で出会った宿敵達は、皆オレ達よりもずっと強かった。どれだけ険しい道を踏み締めて来たのだろう、遠く遠くに在る背を必死になって追い続けて……ようやく、伸ばしたその手が近付いた。

「全くもって面倒だ。弱者の分際で……弱いからこそ、幾度と立ち上がり楯突いてくる」
「お陰でやっと、ここまで強くなれたよ。今ならきっと……お前やレイ達とだって戦える」
「相変わらず、言うことだけは立派だな」

 死んでも食らいつく、……以前に奴はそう言っていた。その言葉の通りにとまではいかないが、“彼ら”は幾ら追い詰めても、心底鬱陶しいことに限界以上の力を引き出して無理矢理に距離を詰めて来て。
 苛立たしい、奴らなどに食い下がられる自分自身が。無意識に目を逸らし続けていた己の“弱さ”を突き付けられた、彼らとのバトルは……全くもって、神経を逆撫でする。

「良いだろう、その言葉……今度こそ虚言では無いか確かめてやる」

 ツルギは平素よりも幾ばくか感情のこもった声色で、眉をしかめながら腰へ手を伸ばす。ジュンヤの警戒になど目も暮れず装着されたモンスターボールを掴み取ると、それは刃のごとく眼前に鋭く突き立てられた。

「ポケモンリーグで決着をつける」

 左手の先に紅白球は星影を浴びて淡く輝き、その言葉に触発されたジュンヤは深く息を吐いて、赤い帽子をかぶり直すと同様に腰に手を伸ばした。

「……ああ、分かったよツルギ」

 そして望み続けた決意を胸に紅白球を突き出して、鋭き利剣の双眸が、穏やかに熱く萌える双瞳が、互いの視線がぶつかり合って火花を散らして鬩ぎ合う。

「絶対に負けない、全力で行くぜ。オレとポケモン達の信じる絆の力で、強さでお前に勝ってみせる!」
「良いだろう。俺と戦う前に無様な敗北を晒さないよう、精々気を付けるんだな」

 そして、月が雲に覆い隠れると共にどちらともなく腕を下ろして視線を外し、それ以上言葉を交わすこと無く二人の少年と相棒の背がすれ違う
 何も知らないかのように柔く星の降り注ぐこの宙の下で、通り過ぎざまに刹那に視線が交錯するとそれ以上振り返ることはなく、ただ前だけを見つめて踏み出した。明日の先にある光を見つめて、夜の中に置いていかれぬように。


****


 ──終焉の日。


 重く、厚く重なり合い大空を覆い隠す漆黒の雲。吹き荒ぶ風は荒々しく視界を遮り頬を霞め、篠突く雨は矢の如く身体を撃つ。
 アゲトジムの正門前。来る混沌へ絶望するように慟哭を続ける空の下で、世界の中心に聳え立つ巨大な剣へ向かってポケモンとそのトレーナー達が並び立っていた。

「みんな、準備は良いよな」

 赤い帽子を被った栗髪の少年──ジュンヤが、振り返って共に最終決戦に臨む勇士達を見やる。果たしてそこには、この旅で出会い切磋琢磨し前に進み続けた仲間達の見違えた姿。

「ああ、無論さ。僕らはこの日の為に鍛えてきたんだ、どんな敵が現れようと勝利してみせるよ」
「もう道を間違えねえ。誰が来ようがぶっ倒してやるぜ、今度こそヒーローってやつになってやんよ」
「この天候ですから、むしろあたしとライボルト達は万全以上です!」

 四天王の面々やこの決戦に立ち向かわんとする名前も声も知らない有志達は、街の四方や避難所など要所でオルビス団の襲来に備え構えている。
 彼らの目的は恐らく残った人々を倒し全てを奪い尽くすこと。この街にはまだ戦う意思を持つ者達、逃げ出さなかった無辜の人達、多くの宝物や刻まれた歴史が在る。
 だから、そう易々とは通させない。ソウスケとエクレア、レンジに彼らの相棒達──アゲトシティの防衛を任された彼らは胸を張って答えを返した。

「準備ばんたん、いつでも行ける、です! みんなで大切なもの、取り返しちゃいましょう!」
「だいじょうぶ、私もスワンナ達も忘れものはありません! いつでもいけるよジュンヤ!」
「いや心の準備の話だろノドカちゃん。ぼくも勿論ばっちしだぜ、オルビス団との戦いに今日終止符を打ってやる」

 対して剣の城に乗り込む彼女らも待ってましたと意気込みを表し、相棒と共に決戦の地を仰ぐ。あの城には二人の幹部と最強の男が待ち構えている、如何に熾烈な戦いになるかは分からないが……それでも勝つしか無い。
 両手を強く握り締めて身を乗り出すサヤと静かに頷くサーナイト。ノドカは得意気に敬礼してスワンナはこの雨が嬉しいのか両翼を羽ばたかせていて、ルークは呆れた顔をしながらも冷静に佇むエルレイドの肩に手を置いて笑ってみせる。

「……別に、やるべきは変わらない。ただ勝つだけだ」

 皆が思い思いに言葉を紡ぐ中でただ一人無言を貫いていたツルギに視線が集まり、彼は鬱陶しげに溜め息を吐いた後、渋々と無感動にそう呟いた。
 目的はこれ以上無い程に明確だ。戦って勝つ、大切なものを守る、今までと何も変わらない。皆で同じ心を掲げて剣の城を仰ぎ、「ノドカ、ソウスケ、みんな。絶対に勝とう、勝って……みんなで明日を迎えよう!」ジュンヤの決意に同調するように、嵐を裂く程に声高く叫んだ。……無言で鼻を鳴らした約一名を除いて。

『ルーク、聞こえておるか』
「おお、どうしたグレンさん。ついに……」
『うむ、見張りを任せたトレーナーから連絡があった。遠方に奴等オルビス団の斥候が見えたとのことだ、間もなくであろう』
「承知したぜ、負けんなよ四天の大将さん」
『貴様もな、最強のジムリーダーよ』

 ルークが携帯電話を取り出して、耳に当てれば冷厳な老人の声が耳に届いた。オルビス団との決戦がもう眼前まで迫っている……分かっていたこととはいえ非情にも迫り来る現実を前に一斉に緊張が走り、冷たい汗が頬を伝う。

「鬱陶しい、余計なことなど考えず己の役割に集中しろ」
「ああ、オレ達は全力で戦えば良い。ここまでみんなで頑張ったんだ、ポケモン達だってきっと応えてくれるさ」

 ツルギの冷淡な言葉に、ジュンヤは赤い帽子をかぶり直して気取ったような笑みを浮かべる。皆も「えへへ、そうだね。ゼンリョクで行けばなんとかなるよね!」、「その通りさ。僕らはポケモントレーナー、ならばどのみち背を向けることなど出来ないのだから」と気合いたっぷりに追従して、よし、とルークが掛け声で割って入った。

「良いかみんな、一つだけ約束しろよ」

 相変わらずの軽快な口調、しかしその言葉の裏には深い悔恨と願いを掲げて、神妙な眼差しで一人一人を見つめて頷く。もうこれ以上大切なものを失いたくない、そんな悲しみを胸に秘めて。

「君達はぼくが見てきた中で最高のポケモントレーナーだ。だから信じてる、絶対に……絶対に、死んだりすんじゃねえぞ!」
「……はい!」

 その言葉を最後に、彼らはそれぞれの舞台に向けて歩き出す。ジュンヤ達は剣の城に向かう為にファイアロー、スワンナ……空飛ぶポケモンの背に股がって、ソウスケ達は四方の門に向かう為踵を返して。

「ジュンヤ、こんなところで負けるなんて許さないからな」
「勿論さソウスケ。お前達も……勝てよ、信じてるからな」
「ああ、当然さ。この決戦を越えて、君との約束を果たす為にもね」

 最後に、名残惜しげに振り返ったソウスケとヒヒダルマが力強く拳を突き出して、ジュンヤとゴーゴートが拳を付き合わせる。互いに交わした確かな激励、彼らは満足げな笑みと共に駆け出して、相棒もモンスターボールの中へと戻っていく。
 そして、世界を覆う絶望の底に身を潜めていた雌伏の勇士達は終焉を越えてみせるのだと雄々しき翼を翻し、決戦の舞台へと羽撃たいた。

「オレ達は必ず守ってみせる。待っていてくれ、レイ、ビクティニ」

 大切なものを守る為に。“あの日”を越えて、奪われた運命を掴み取り新しい明日を迎えてみせる。

「……ようやくだ。此処で全てを終わらせる」

 遠き約束を叶える為に。悲しみの連鎖は此処で断ち切り、託された願いを果たして未来を切り開く。

「心が踊るね。さあ行こう、戦いが僕らを待っている」

 誰よりも強くなる為に。この決戦に勝利して、いつかに誓った大舞台で最高のバトルをしてみせる。
 大切な人を助けたい。奪われたものを取り返したい。同じ悲しみを生みだしたくない、今度こそ道を間違えない……皆がそれぞれの誓いを胸に大切な相棒を握り締めている。
 今、エイヘイ地方を脅かし続け、世界に混沌を齎さんと動き始めた巨悪との最終決戦が幕を開ける。

■筆者メッセージ
ジュンヤ「ついに決戦の時だ…!緊張するな、みんな!」
ノドカ「えへへ、でもこの戦いを越えればやっといつもの毎日が帰ってくるんだね!がんばろうね!」
ソウスケ「ああ、心が躍るね、アイクとの決戦が待ち遠しいよ」
レンジ「つってもお前と戦うって決まったわけじゃあねえけどな。おれが先に倒しちまっても良いんだろ?」
ソウスケ「そ、それは困るぞ!そしたら君と戦わせてもらう!」
レンジ「めんどくせえこいつ!」
エクレア「ジュンヤさん、皆さん、頑張って下さいね。あたし達も自分のやるべきことを頑張るので!」
サヤ「任せて、ください。きっと、わたしたち……勝ちます」
ノドカ「ねえねえ、ツルギくんも何か言ってよ〜」
ツルギ「鬱陶しい」
ノドカ「そっか、うっとうしいか!って、ええ!?」
ジュンヤ「こういうやつだもん、しかたない。よおしみんな、頑張ろう!」
みんな「おーっ!」
ツルギ「……」
ジュンヤ「ですよねー!」
せろん ( 2020/02/05(水) 07:43 )