ポケットモンスターインフィニティ - 第十二章 残された七日
第100話 十三年前からの手紙
 何処までも拡がる無限の宙は、塗り潰された漆黒の闇だけが遠く、遠く、彼方へ広がる。夜を照らすように変わらぬ輝きで天上に煌めく星々も……いくら焦がれ手を伸ばしたところで、決して届くことはなく。
 かつて宿敵と激闘を繰り広げた、アゲトジムから程近い湖畔。外跳ねの黒髪、臙脂の上着を羽織った少年は、頬を逆撫でる蒼白の夜風を浴びて立ち尽くしていた。

「……ようやく、此処まで来た」

 誰に言うでも無く……ただ彼は、瞼を伏せて己が踏み締めてきた長く険しい道程を噛み締めるように徐に呟く。
 隣で立ち尽くす菱形の翼、翠緑の竜鱗に覆われた砂塵の精霊は遠い憧憬に宙を仰いで。フーディンやギャラドス達も、何を言うでも無くただただ眩い天上を見つめる。
 物心ついた頃に巨悪に暖かな日々も、帰る場所も、全てを奪われて……戦いと簒奪の渦中に身を擲ってから、幾つの星霜が廻り巡った。
 此処まで、ただ強さだけを求めて。己が生きる為に振り下ろした切っ先、憎悪に溺れ振り抜いた刃、使命を果たす為に振り翳した剣……数え切れない程多くを踏み躙り、それでも地を這い惨めに生き続けて来た。

「ああ、全く……ようやくだ」

 握り締めていた掌を宙へ透かせば、闇に溶けそうな手袋の下で、今も絶えずに己の罪が疼いている。忘れない、忘れられない……傷付く痛みも、傷付ける感触も、決して。
 瞼の裏に、時に煙る記憶を辿っても……最早声も顔すら思い出せない、いつかの温もりは朧に霞んで曖昧に微睡む。
 だが……ただ一つだけ遺された、今でもこの胸に刻まれている。彼女の祈るような儚い言葉は、死の淵に気丈に咲かせた笑顔だけは……嫌という程、鮮明に。

『私達の、あの人の出来なかったことを……。お願い、あなたが……!』

 今際に母が“俺”に託した、最初で最期の未来への願い。彼女は直後に崩れ落ち、“俺”はただ泣き叫ぶことしか出来ずにやがて意識を失っていた。
 今でも夜毎に夢中で繰り返され続ける、あの日あの時の惨劇が。全てを失い絶望の中泥濘に這いつくばったあの雨の夜の冷たさが。だからこそ……強く心に誓う、何を擲ってでも全てを終わらせる、悲しみの連鎖は断ち切るのだ、と。

「分かっているさ。もう……俺の心は鈍らないよ」

 隣で佇む相棒も同じだ。もう感傷に振り回され本懐を見失ったりはしない、主の指示に従い使命を果たす。彼の剣に徹すると誓ってから、揺るがなき心で……これからも。
 共に見上げた宙には、あの日から惑うこと無き星の輝き。とこしえに変わらぬ光を放つ極星が今も道標とこの宙に瞬き続けて……だから迷うことはない。明日、全ての因縁に決着を付ける。

「貴女が傍で俺を支えてくれた。支え続けてくれていたから」

 首に下げていたネックレス……クローバーを象った、翠玉の嵌め込まれた宝飾を手の平に乗せた彼は、口元に微笑みを湛えて穏やかに呟いた。その言葉はまるで、別れ際に送る挨拶のように躊躇いがちに唇を離れて。
 彼女の輝きが闇に彷徨う心を導いてくれた、だから星無き夜も乗り越えられた。もう復讐に囚われることはない、為すべきは掴んだ……だから。

「明日の決戦、必ず巨悪をその根本から断つ」

 いくら願ったところで時計の針は遡らない、蘇る記憶とは裏腹に心を待たず刻み続ける。前に進めるのは今を生きる者だけなのだ、だから……唯一遺された俺がこの手で未来を切り開く。
 水面は波一つ無く静謐を湛えて穏やかに凪ぎ、満天に瞬き降り注ぐ星々を浴びて鮮やかに煌めく。仰いだ宙はいつかに見上げた闇よりも眩しく、惑わぬ決意は爛然と夜天に輝いていた。

「……懐かしいな、お前達との出会いは今でも覚えているよ」

 暫時の静寂の後──幾度と見上げた遠い宙は奥底に閉じ込めた感傷を呼び起こし、思わずフライゴンが嘆息を漏らした。主が感傷に浸るなど驚く程に珍しい、と。
 ツルギは「ああ、全くだ」と自嘲気味に嗤い、小さな星が生まれるように変わり始めた世界の中で、誰にも見えない程の微かな笑みを口元に湛える。

「フーディン、お前は母さんが大切にしていたな。あの人が俺に全てを託してくれたこと、今でも覚えている」

 脳裏に浮かぶのは、朧に霞む記憶に佇む女性。彼女はケーシィを可愛がって育てていた、まだ旅をしていた頃からの相棒らしく、いつも一緒だったという。母から……未来への願いと共に、ケーシィの命も引き継いだ。
 フーディンは瞼を伏せて徐に頷く。今でも鮮明に刻まれている、彼の母と共に多くのものを見て、触れて、旅した日々を。今の主ツルギと共に潜り抜けた数多の修羅場を。
 ……彼はこの旅の中で本当に変わった。憎悪に塗れた刃を振り翳していたのが嘘のように穏やかで、時折僅かな笑みを浮かべる程度には優しくなって。本人は否定も肯定もしないが……多くの出会いと別れを経てようやく取り戻せたのだ、リュウザキ・ツルギという男を。

「ギャラドス、お前は酷く暴れていたな。オルビス団の暴虐を赦せず、始まりの地の湖で」

 オルビス団の引き起こした研究施設の虐殺から数年後……人を見るや襲い掛かる竜の噂を耳にして、施設の残骸に訪れたその時に出会った。
 跡地から程近い湖畔でギャラドスは痛みを堪えるように喘ぎ倒れ伏していたが……俺の、“人間”の姿を見るなり逆上して襲い掛かってきた。その身体に刻まれた傷は深く、憤怒に任せ暴走していて。
 そして戦いの中で理解した、理解せざるを得なかった……彼は己と同じだったから。かつて其の地で胎動を始めた悪の大樹……オルビス団に打ちのめされて、降り止まない憤怒のままに暴れていたのだ、と。

「お前は古代の城で選定し続けていたな、ギルガルド。訪れた者に戦いを挑み、己の持ち主を探し求めて……俺の手中に収まった」

 213番道路周辺で、時折行方不明者が出るという噂を調査をしていた最中のこと。かつて終戦の後に、最終兵器を囲むように建設された古代の城の大広間で奴は訪れた者と戦い支配し続けていた。
 高く枝を掲げた英雄の像を背に無数のポケモントレーナー達が挑んでは敗れ切り捨てられ、行方不明とされる何人もがその霊力により城跡に囚われていたらしい。
 奴との戦闘は腕試しも兼ねてギャラドスに任せ、熾烈な攻防の果てにねじ伏せると彼は自らを差し出した。
 永く己の仕えるに足る者の訪れを独り待ち続けていたらしい。捕らえていた人々を解放し、俺を主と見定め従う道を選んだのだ。

「ローブシン、お前も野生とは思えない程に強かったよ。数え切れない闘いを越えて来たのだろう……熱心な奴だ」

 彼とは旅の中で偶然出会った。強敵を求めてさすらうドテッコツの存在は耳にしていたが、実際に邂逅したのはオルビス団と戦っていた時で……ナックラーで経験値稼ぎを兼ねて相手をしていた時に、奴が全てを一掃し立ち塞がった。
 未進化で立ち回るのは骨が折れたが……結局、紙一重の差で俺の勝利に終わった。敗北を認めた彼は、俺と共に居ることで更に強くなれると自ら下り。
 ローブシンは闘いに全てを捧げ愚直に強さを求めていて、彼は誰をも切り伏せる絶対的な力を必要としていて。互いに目的が一致していて都合が良かった、だから信頼出来た、此処まで共に戦ってきた。

「お前は脱走した群れの長だったな。あの窮屈な檻で余程身体を持て余していたのだろう、ケンタロス」

 ケンタロスを捕まえたのはスギルシティだ。かつて捕まえたリングマが期待外れの能力だった為に代わりに枠を埋められるポケモンを探している時に出会った。
 その街のサファリパークでオルビス団との交戦により脆くなった柵を破り街へ溢れ出した三十匹のケンタロス、その長を務めており豊富な戦闘経験と高水準に纏まった能力を誇る。
 そして捕獲してからも大いに戦闘に貢献している、幅広い技範囲と高い火力・耐久力で並大抵のポケモンならば容易く薙ぎ倒し……何よりその闘争本能は如何な逆境であろうと跳ね返すポテンシャルを秘めている。

「お前は……よく、此処まで戦い抜いてくれたなフライゴン。心を抑え、ただ一振りの剣に徹し、今までずっと」

 あの日……声さえ掻き消される目が開かない嵐の中、降り止まない絶望に打たれ地を這う俺とナックラーは生きる為には手段を選ばず、時には略奪してでも生き延びて来た。
 戦う理由も意味も分からず一心不乱に立ち塞がる敵を屠り、身を裂く痛みを堪え必死に逃げ出し、……惨めだった、幾度戦いを降りようと思ったか分からない。だが……夜毎に瞼の裏に蘇る惨劇から、反響する声無き声から背を向けることなど出来る筈が無く。
 逃げ出す強さも無く運命に屈するだけの俺に、ナックラーはその度にただ短く告げた、 “自分も戦う”と。その度に共に宙を望んだ、闇に輝く惑わぬ光を。
 だから、俺は此処に居る。復讐に憑かれ血眼で戦い続けた日々も、消えること無く疼く傷も、無機質に淡々と悪を狩り続けた過去も決して忘れることが出来ない。
 それでも……いつかに交わした約束を果たす為に、闇に閉ざされた未来を切り開く為に、此処に。 

「それに、サヤも。……物好きな奴だ、俺の穢れた手にわざわざ縋り付いて来たのだから」

 奴はまだ幼いが、その共感能力と洞察力の高さならば見えていた筈だ。俺の抱えた赦されぬ罪と深い怨嗟の醜塊を。だのに俺に“優しい”などと世迷い言を吐き、奴は此処まで鬱陶しく付きまとってきた。
 だが……彼女のお陰で漸く思い出せた、母に託された未来への願い。俺の為すべきことは変わらない、下らない感傷に振り回されず、ただ強さを求めて進めば良いと。
 そして……やはり、サヤは俺とよく似ている。己の置かれた過酷な運命を忘れて生きられる程の強さは無く、向き合い戦うことでしか踏み出せない。

「……全く、この旅は鬱陶しいものばかりだったな。特に赤い帽子の……奴は、俺を心底苛立たせる」

 脳裏には、この旅で出会ったポケモントレーナー達との闘いが脳裏を過る。
 思えば、奴と初めて闘った時から何かが静かに動き始めた。心底鬱陶しい奴だった、俺が擲った“弱さ”を大事そうに抱えて挑んできて、俺が無意識に目を背けて来た“弱さ”を突き付けられた。
 本懐を忘却に沈め、復讐を刃と掲げて切り裂ける程オルビス団は容易い相手では無い。薄々気が付いていた、奴とのバトルで思い知らされた。奴にあって俺に無いもの、いつの間にか投げ捨てていた“大切なもの”。
 今にして思えば……俺がサヤの同行を許したのも、自分に限界を感じていたからだろう。その停滞を打破する為に、身に刻まれた限界を越える為に。

「奴だけじゃあない。その取り巻きもだ」

 ヒヒダルマを従えたあのバトルバカも鬱陶しい。心底愉しいと闘い、力の差を見せ付けてもなお嗤ってみせる。くわえて人並みの喜怒哀楽を持ち合わせながらも私情を挟まず目の前の闘いに集中する。
 純粋に闘いを愉しんでいるからこそ成せるのだろう。だが目の前のことに全力で、己を過大評価するでもなく必要以上に卑下するでもない、何処までも熱い馬鹿というのは嫌いではない。
 それに、奴のお仲間の少女……彼女は至らぬ弱さを理解していながら、自身の弱さを認めて出来ることを探している。誰にでも出来ることではなく、受け入れるのは難しいことだ。
 だから……彼女は強い。単純なバトルの腕はともかく、自分の目的と何をすれば良いのかを理解しており、選り好みをせず迷い無く実現に向けて動いている。弱い自分を憎み、渦中に飛び込むしか選べなかった俺やサヤとは違い。

「無論、幾度と苛まれてきた……オルビス団の幹部共もな」

 そしてオルビス団は、この地方を十三年以上もの前から暗躍し続けて来た。中でも幹部はポケモンを奪い、記憶を奪い、希望も平穏も全てを奪い……今この世界の中心に座している。
 俺は奴らを決して赦さない。人々から記憶とポケモンを奪い偽りの幸福を与えるレイも、その圧倒的な力で多くの街を滅ぼして来たアイクも、……俺の両親や仲間を裏切り、災禍の最後の引き金を引いたエドガーも。
 ……今でも、霞んだ記憶の中に微かに浮かぶ。まだ幼児だった俺に、両親と共に幸せそうに語りかけて来たエドガーを。だからこそ奴の裏切りが赦せない、奴だけは、ヴィクトルを止め得る可能性があったから。

「……一度しか言わないぞ」

 相変わらずの、無感動で抑揚の無い平坦な声で彼は吐き捨てる。そして、一度天上を仰いで目を細めると、眉間に皺寄せながら背後に侍るポケモン達を利剣の眼で一瞥し。

「礼を言う、此処まで剣に徹し振るわれ続けたお前達の働きに」

 ……最も付き合いの長いフライゴンですら、その言葉には虚を憑かれた。初めてだった、星のように優しく穏やかに紡がれる彼の声色は。

「俺は今まで、己が生きる為に戦い続けて来た。他者を踏み躙り、如何に惨めでも逃げ延び、誰よりも強くならんと……ひたすらに」

 今では自分の選択に後悔は無い、全てが繋がり漸く辿り着けた、だが……。
 戦いの数だけ力は確かな実感として掌に宿った。強くなればなる程、胸に穿たれた穴は空虚を湛えて拡がっていった。
 いつかに希い望んだ光は遠く、朧に霞み、それでも強くなるしか道は無かった。それだけが……永く降り続く闇に射した光だったから。

「孤独で、一人で戦うと誓った俺にとって……お前達は唯一信頼出来る“力”だった」

 絆という呪縛は必要ない。一切との繋がりを断ち、一人で巨悪の大樹に刃向かえば裏切りも、足枷も、誰かが傷付くことも無いから。
 だから誓った、一人で強くなるのだと。己の信頼出来る力だけを手元に置いて……誰にも心を許さず、信じず、ただ一人で。
 けれど、いつしかそんな心も忘れていた。

「お前達に出会い、共に踏み締めた道程が俺を此処まで強くしてくれた。大切なことを思い出させてくれた」

 憎悪に囚われ、惨めな己に憤り、運命を恨み……星無き宙を彷徨っていた自分を、ポケモン達と歩む旅路が光射す方へ導いてくれた。見失った極星を……永い戦いの果てに、再び見付けられた。

「絶対など無い、それはお前達が誰よりも理解しているだろう」

 今にも光が尽きて流れ落ちそうな、星が終わるにも似た強く儚い瞳を瞬かせ遠くを眺める……見たことの無い主人の姿に、フライゴンを始めとしたポケモン達は思わず首を横に振る。
 ……彼は既に覚悟している、あるいは有り得る未来の最期を。だから紡いでいるのだろう……遺言代わりの、優しい言葉を。

「お前もそろそろ出てきたらどうだ、サヤ、サーナイト」

 振り向くことはなく呟かれたその言葉に、木陰が跳ねるように大きく揺れた。少年はフライゴン以外のポケモン達を「戻れ」と紅白球へと帰し、暫時の静寂……風一つ無くただ静謐を湛える夜空の下で一人の少女が、諦めたようにひょこっと木陰から飛び出してきた。遅れて白衣を纏った騎士も追従する。

「ツルギ、気づいてた……ですね」

 慌てて隣に駆け寄ってきて、苦笑しながら見上げてくる少女に、しかし返事はない。濡羽烏の長髪が穏やかにふわりと舞って、白いワンピースの裾が揺れる……夜空に際立つ純白を湛えたサヤは、彼の相変わらずの対応に安堵して胸を撫で下ろした。

「……いつかにお前に言ったな。俺の過去を話してやる、と」
「覚えてて……くれた、ですね。良ければ、お願いします、です」

 暫し、互いに何を言うでも無く流れる静寂の中で不意に青年は口を開く。かつてエドガーとの対峙の後に交わした口約束を、思えば未だに果たして居なかった。潮時とでも言うように語気には隠し立てが無く、「ああ」と短く頷くと口を開いた。

「お前も聞いただろう、俺の両親はエイヘイ地方の未来を担うプロジェクトに参画していた。だが十三年前……俺が物心ついた頃に、オルビス団に全ての光を奪われた」

 砂塵の精霊竜が瞼を伏せて思いを馳せる。
 そのくだりは、サヤも皆との情報共有の際に把握した。それが彼ら巨悪の起こした最初の事件だと。そしてツルギの両親が殺されたことも、エドガーが先陣を切り虐殺したことも。
 サヤとサーナイトの脳裏に、己の故郷を襲撃した青年の悲しい瞳がふと過る。研究所では……大切な人を裏切り、自ら葬る時にはどんな表情で力を振るっていたのだろう。

「さあな。確かなのは、奴は主の為に仲間を裏切り悉くを滅ぼしたことだけだ」
「……そう、ですね」

 サヤの考え込むような様子に察したツルギが、眉一つ動かさず無感動に吐き捨てる。今となっては真偽は分からない、恐らく奴は……だが、そんな事は最早どうでもいい。ただ決戦に臨み、ただ勝利する、それだけだ。

「無様に泣き叫ぶだけだった俺を、母は未来への願いを託してケーシィの力で逃がしてくれた」
「なんだかフシギ、です。そんなツルギ、想像できなくて」
「だろうな」

 確かに、普通の人なら何も出来なくて当たり前だ。だがツルギはイメージでは物心ついた頃には顔が怖くて、威圧的で……そんな想像だったから、普通の子どもな彼はとても新鮮に映り思わず苦笑をこぼしてしまう。

「おい」
「……い、いえ! でも……フーディンも、その頃からのお友だち、なんですね」
「ああ、もう長い付き合いになる」

 再び目を覚ました時には、俺は湖畔でナックラーとケーシィと嵐の中泥濘に沈んでいた。雨に打たれて宛ど無く彷徨い、食い繋ぐ為に何でもして……ようやく一つの街に辿り着く。
 その街は流浪人やはぐれものが集まり、強くなければ今日すら生きれぬ「星屑の街」と呼ばれたスラム街。戦う他に生きる道は無かったが……今にして思えばある意味都合が良かった。バトルが、強さが何より重視される星屑の街では、絶え間ない戦いにより嫌でも自身とポケモン達が鍛えられるから。
 彼は語る、十三年前の悲劇の続きを。其処で過ごした日々や潜り抜けて来た修羅場、出会った人やポケモン達のことを。

「裏切り、裏切られ、生きる為には手段を選ばず戦い続け。何度己の弱さを嘆いたか分からない」
「やっぱりツルギは……やさしかった、ですね。それに強かった」
「俺は、ただ死ななかっただけだ」

 時に似た境遇の者へ手を伸ばしたこともあった、明日を生きる為に協力して立ち向かったことも。だが結局、最後に立っていたのは自分とポケモンだけだった。裏切り、あるいは弱さ故に……ただ一人で二匹と共に立ち続け。
 その目は寂しげに細められる。きっと……何度も折れずに何かを信じて、その度に裏切られ、数え切れない挫折と敗北を繰り返した末に犠牲を踏み締めここまで来たのだろう。
 冷徹な瞳の奥に隠れた温もりは刹那さざ波のように微かに揺れて、夜に紛れて隠れてしまう。
 そんな事はない、そう言いたくても彼の雰囲気が下手な慰めを拒んでいる。だからこそ彼は……力を求めてきたのだろうから。それでも。

「昔は、わかりません。でも今のツルギは……すごく、強いです」
「当然だ、力だけを求めたのだからな」
「そうじゃ、なくて。ツルギの……ツルギなとこ、というか、ええと……」

 ……こういう時、なんて言えば良いのだろう。
 己の語彙力の無さに思わず詰まる。頭にはそれらしい単語が浮かんでは消え、眉一つ動かさないツルギの表情に尚更焦って出てこなくなる。

「えっと。なにもかもが強い、です! たよりになりますし、はげまされますし、ええとええと……」
「……もう良い。お前の言わんとすること程度理解出来る」

 結局、気の効いた言葉は出てこない。上手いことを言うのは諦め、思ったままを口にした。
 頑張って捻り出した言葉は溜め息と共に、呆れたように吐き捨てられて……ただ、声色や態度から嫌がられていないことは理解出来た。自分の言いたいことがきちんと伝わったことも。ならばそれで良い、多分、きっと。
 安堵に深く息を吐き出して、……聞いたばかりの過去に思いを馳せていたら、危なかった。そういえばまだ話は途中だったのだと咄嗟に思い出す。

「あ、そ、そうだ。話の続き、おねがいします!」

 この機会を逃せば、次いつツルギが過去を話してくれるか分からない。あるいは一生聞けないかもしれない。だから、慌てて脱線しかけていた話題を戻した。
 少年は、特に咎めることはない。眉間を僅かに皺寄せ溜め息を零しながらも、何も言わずに口を開く。

「……俺は星屑の街で情報収集と鍛練に過ごし、数年後に街を出た。オルビス団、俺から全てを奪った奴らの全てをこの手で壊してやろうとな」

 怨嗟に取り憑かれた当時を再演するように、力強く、固く握り締めた拳は……しかし空を掴んではたちまち解かれる。強くなればなる程溢れる虚しさに、掲げた復讐の切っ先では何も貫けぬ現実に。
 ふと、一つの疑問が脳裏を過る。彼は人生の全てを戦いに捧げて来た、その強さと意思の鋭さから過去を聞かずとも想像に難くない。だが……だからこそ、どこかで引き返すことは出来なかったのかと。

「あの、ツルギは……思わなかった、ですか。戦いをやめよう、って」
「何度も考えたよ。だが幾ら“普通”の生活を送ろうとしても……俺には、どうしても出来なかった」

 声無き声は叫び続ける、死者達の苦悶や無念、悲鳴……数多の満たされぬ魂の嘆きは耳を塞いでも止むことはない。平穏は絶えず焦燥を掻き立て、瞼の裏で惨劇は廻り……運命は、俺に戦えと繰り返す。

「そっか、だから……わたしにも」

 彼は同じだったのだ、わたしと。
 過去を綺麗に忘れて生きられない、“逃げるだけの強さ”がないから戦うしかない。だから強くなろうと藻掻き続けて来た。
 自分にはサーナイトもツルギも居たから頑張って来れた、けれどツルギは……ずっと、一人で過酷な運命と戦い続けて。
 自ら周囲を遠ざけて、何度曲がっても折られても立ち向かって、それでも二度とたゆまぬ強さを掲げて。

「それからはエイヘイ中を巡り、オルビス団との戦いに明け暮れながら手掛かりを探し続けていた。奴らは徹底して証拠を隠滅する、大した成果は得られなかったがな」
「じゃあ、その旅の中で。ジュンヤさんや、わたしに、ポケモンたちにも」

 少年が短く頷けば、サヤは「ポケモンたちとの出会いも、聞きたい、です」と興味津々に両手を握り締めてずいと身を乗り出す。
 仕方がない、話すと言ったのは己なのだから。小さく息を吐いて、先程回想した……今の手持ち達との出会いのことを語り始めた。
 彼女は「いきなりギャラドス……!」やら「やがて王になる、ですね!」、「野生でそんなに、強い!?」と焦燥や感嘆、驚愕、分かりやすく感情を二転三転させながら、随分楽しげに耳を傾けていた。
 そう長くなるものでもない。人に聞かせるには十分な程度、己のポケモン達と旅をした日々を語り終えれば、少女は大層満足げに、納得したようにうんうん頷く。

「ツルギ、ポケモンたちとの出会い……どれもステキ、です」
「強い奴を探していただけだ」
「でも、いいなって。ロマンチック、です」
「……面倒だ、好きに言え」
「ふふっ。そうさせて、もらいます」

 ……決戦は間近に迫っている、もうこれ以上道程を振り返るつもりはない。今はただ峻厳と聳え続けていた巨悪の大樹へ臨めば良い、「過去に浸るのは終わりだ」と、未だ続きを心待ちに踊っている少女の期待の眼差しを無視して話を切り上げた。
 彼女は「ざんねんですけど、分かり、ました」と後ろ髪を引かれたような名残惜しげな声で頷いて……冷たい風が夜闇に躍り、妖しく輝く月影を照り返す翠の黒髪がふわりと舞うように軽やかに揺れる。

「ありがとう、ございます、ツルギ。あなたの今までが知れて、もっと仲良くなれた気がして……とっても楽しかった、です」
「……全く、鬱陶しい」

 ……少年は眉一つ動かさずに呟いて、何処までも拡がる宙を、夜に煌めく星々を遠い目をしてただ眺める。何か言いたげに口を尖らせ、もごもごと動かす少女の視線を背に浴びながら。

「……ツルギ」

 大切な恩人であり友人の彼は興味無さげに背を向けているが……きっと、耳は傾けてくれている。伝えなければならない、この気持ちを……大きく息を吸い込んで、勇気を出して言葉を紡いだ。

「わたしね、ツルギに会えて、良かった……です」

 彼と天上を見上げて、星を見つめて思い出す。あの日出会ったばかりの面影を。
 漆黒を湛えた孤高な瞳の奥に、微かな残光が寒そうに身を縮めて灯っていた。触れた悉くを傷付ける諸刃の気迫の裏に、今にも燃え尽きそうな光の尾が見えた。
 分かるのは彼が助けてくれたこと、とても強いことだけで、何があったかなんて知り得ない。けれど……きっと、仲良くなれると思った。
 だって赤の他人なのに二度も助けてくれて優しかったし、なんだか、不思議とどこかに親近感を抱いたから。
 
「あなたといっしょだから、いろんな人と友だちになれて、強くなれた、です」

 そんな彼との旅路は決して楽しいものでは無かった。身の危険に晒されることは日常茶飯事、毎度のごとく囮や陽動に使われ花畑が見えたのは一度や二度だけではない。
 それでも……日々はとても充実していた。普段一切助力してくれないツルギも本当に危ない時には助けてくれて、強くなる度に出来ることが増えて、人から感謝されることも多くなっていった。
 彼のおかげだ、彼が前に立って導いてくれたから前に進むことが出来た。きっと彼が居なかったら……今も、全てを奪われてなお何も出来ない無力に打ちひしがれていただろう。
 そんなことを、少女は拙い言葉で必死に伝える。言葉足らずで、語彙も無く……それでも想いが溢れるままに、必死に。

「そうか」
「はい。だから……ほんとうに、ありがとうございます!」
「道具扱いでそこまで喜べるとは、やはり奇特な奴だ」
「ツルギがほんとはやさしいの、分かってます、から!」

 ふんすと胸を張るサヤへ言葉は返さず、少年はただ面倒そうに軽く頷く。
 本人にとっては道具としてでも、本当に嬉しかった。初めて出来た友達であり共に戦う相棒、言葉も拙く戦いも弱かった自分をここまで見てくれて、鍛えてくれて。
 だから、彼が何と言おうと感謝しかない。闇の中に彷徨う自分を導いてくれたのは、誰でもないツルギなのだから──。

「あ、見てください、ツルギ。大きな……スワンナ、です。それに、サーナイト、も」
「……星座か」

 夜空に煌めく星々を線で繋げば、一羽の白鳥、一人の乙女となって星座が瞬く。少女は天を仰いで指差して、随分楽しそうに隣で佇むツルギへ呼び掛けた。
 少年は唐突な発言にも眉一つ動かすこと無く追従すると、星々が照らす見上げた宙へ眩しいみたいに目を細める。

「昔の人って、そうぞう力がゆたか、です。どうして、そんな風に考えた、でしょうか」
「星は……まだ夜が影に覆われていた昔、宙に瞬き人々を導いて来た。とこしえに変わらぬ光を放ち、闇に輝く道標として」
「そっか、道しるべ……。だから目印に良かった、ですね!」

 古来から星辰は暦の巡りに従い天球を廻り、農夫や旅人、王族……紀元前から、その世界に生きる多くの人々を導いていた。だから星座のように分かりやすい目印が必要とされた……一説ではそう言われている。
 なるほど、確かに闇の中では道標が無ければ己の立つ場所すらも分からなくなる……ツルギに会うまでの自分がそうだったように。合点が行ったと頻りに頷くサヤだったが、ふと思い付いたようにツルギとの距離を縮めて、彼が鬱陶しげに遠ざかるのも気にせず、まっすぐに見つめて満開の笑顔を夜に咲かせた。

「そしたらツルギは、わたしたちの星、ですね」

 その言葉に、不意を突かれたように少年の眉間はほんの少しだけ皺寄せられる。

「だって、わたしたちは……あなたに導かれてます、から」
「……何を言い出すかと思えば」

 その言葉に、曇り無き真っ直ぐな眼に嘘偽りは何処にも無い。
 だからこそ彼は少女の瞳に共感を抱いた、全てを奪われ彷徨う姿にかつての己を重ね合わせた。頭では理解しているからこそ……一滴の波紋を帯びながら、素知らぬ振りをして嗤う。
 蒼白の風が吹き抜けて、凪ぎの水面が緩やかに波立つ。零れ出る想いのさざ波が寄せては返し、もう訪れるかも分からぬ平穏、今にも崩れ落ちそうな空の下で……青年の口角が、微かに揺れた。

「ふわあ……」

 ふと、少女が大きく口を開いて間の伸びた声で深く息を吸い込んだ。思わず零れた欠伸に「す、すみません、思わず……!」と慌てて取り繕うが、彼は呆れたように溜め息をつくと背を向けたままに吐き捨てた。

「もう良い、戻れ、明日に響く」
「そう……ですね。そうさせて、もらいます」

 今まで蓄積した疲労や緊張感も相まって、流石に起きるのが辛くなってきたらしい。これ以上無為に更けていく夜を送るよりは明日に備える方が有意義だ、無駄に食い下がろうと眠気に抵抗する少女へ促すと、彼女は渋々ながらも小さく頷く。

「行きましょう、……サーナイト」

 名残惜しげにもう一度だけ、最後に星々の煌めく夜空を見上げて瞬き……踵を返して、徐に立ち去ろうとした少女の背中に「サヤ」と不意に呼び掛けられた。
 振り返ると同時に眼前に躍り出る緑色の何か。慌てて両の手のひらを伸ばして受け止めると、その手に握られていたのは……クローバーを模した翠玉の首飾り。

「……あの、ツルギ、これは?」
「お守りだ、持っていろ」

 訳も分からず問い掛ければ、少年はぶっきらぼうに吐き捨てて。しかしそれが何かは曖昧にだが知っている、たった一度だけ……ほんの少しだけ目を細めて、感慨に浸るように首飾りを眺めるツルギを見たことがあるから。きっと、彼がそれ程思い入れる物なのだから大切な人から貰ったものなのだろう。

「あの、でも。ツルギの大切なもの、ですよね……いい、ですか?」
「戦いの邪魔になる。それに、もう俺には必要無いものだ」

 ……相変わらずの壁の表情、興味無さげに吐き捨てる彼だが、少女はこれまでの長い付き合いからある程度は理解出来ている。それがツルギの思いやりであり、こちらに気を遣わせんとしてくれているのだということも。

「じゃあ、終わったら、返します! お守り、大切にあずかって、おきますね!」
「当然だ、ふざけた失態を晒すなよ」

 万が一にも無くさないように……しっかりと首から提げて、多少の動きで外れないか飛んだり跳ねたりしてみて確かめる。
 翠玉の首飾りは少女の跳躍に合わせて軽やかに躍り、これならどうだと強く引っ張ってみても千切れない。これなら大丈夫だ、多少の戦いでは無くさない。

「ありがとう、ございます。それでは、また明日!」

 最後に深々と頭を下げて、幸せそうな笑顔で大きく手を振る一人の少女と白き麗騎士。少年と精霊竜は身動ぎ一つせずにそれを見つめて、「……ああ」と小さく頷くと……ジムの灯りへ向けて遠くなる背中を眺め、確かに、最後まで見送った。

「……また明日、サヤ」

 朧に呟き、宙を見上げる。広げた掌を天へと掲げて、変わらぬ光で夜空に輝き続ける星々へ透かせば……黒い手袋の内に隠れた、確かな願いが蒼く煌めく。

「俺が星、か……」

 そして思わず、少女に言われた言葉を反芻する。
 全てを壊す為に振るい続けていたこの力、求め続けていた強さ。この血塗られた手でたった一人でも導けたのならば……闇の中を彷徨い続けて掴み取ったこの現在は、決して間違いじゃなかったのだと思える。

「待っていてくれ、母さん、約束するよ」

 永い時を掛けて漸く辿り着いた、十三年前母が託した優しい願いは……確かにこの胸に届いた。貴女達の出来なかったこと、エイヘイ地方の未来は……俺達の手で必ず守ってみせる。

「貴女の願い……俺達の手で、必ず叶えてみせる」

 何処までも拡がる無限の宙には漆黒の闇が遠く彼方へ広がり、変わらぬ輝きで煌めく星々に暗夜の天上は照らされている。いくら星に焦がれ手を伸ばしたところで決して届くことはなく、それでも……固く握り締めたこの掌には、己の為すべき使命が掴まれている。
 星が降る夜の下で少年と精霊竜は強く願う、明日の決戦を共に越えて……必ず未来を切り開くのだ、と。蒼い一筋の星が宙に流れて、二人は力強く頷き合った。

■筆者メッセージ
サヤ「ツルギのことを色々と知れて、うれしかった、です」
ノドカ「へえ、どんな話してたの?」
サヤ「ええと、ツルギが弱くて星で、わたしがツルギな話し、です」
ノドカ「ほんとにどんな話してたの!?」
サヤ「要約、しすぎました。ツルギの昔のこととか、どうしていっしょに連れてってくれたのか、とか…そんな話、です」
ノドカ「…え?だいぶちがくない?ま、まあいっか!でもそれは楽しそうね!」
エクレア「なるほど、それでサヤさんが実はツルギさんな話になるんですね!あたし分かります!」
サヤ「そう、なんですか?」
ソウスケ「流石にそろそろやめてたまえ!深刻なツッコミ不足で気になるぞ!」
ジュンヤ「人に過去を話すのは…それだけ勇気がいるし、オレなら信頼してなきゃしようと思えない。良かったじゃないか、サヤちゃん」
サヤ「…はいっ。ツルギ、ああ見えてやさしい、です」
エクレア「顔は怖いんですけどねえ…」
せろん ( 2020/01/13(月) 23:11 )