ポケットモンスターインフィニティ - 第十二章 残された七日
第99話 変わらぬ願い
 真昼の喧騒は何処へ眠り。闇に溺れるように街の活気は次第に沈み始めて、やがて霞み始めた穏やかな宙には星々が眩く夜を彩る。
 柔らかに吹き抜ける萌木の風が頬を撫で、少し肌寒い空気は晩餐で火照った身体を心地好く冷ましてくれて、栗色の髪、青いジャケットの少年は暖かな気持ちのままに芝生に寝転がると赤い帽子を傍らに預けて夜の帳が覆う空を仰いだ。

「本当に楽しかったなあ。みんなで羽目を外して、 一緒にはしゃいで」

 藍色に広がる天上の宙は様々に瞬く星々が満天に彩り、どこまでも静謐を湛えた夜空は自然に遠いいつかを想起させる。
 半ば一人ごちた少年の言葉に、ゴーゴートを初めとした手持ちのポケモン達が同意を示す。ジュンヤを囲むように寝転がる彼らは、今宵の晩餐に想いを馳せて胸に喜びを灯しながら徐に頷いた。
 頻発する悪党達の起こす事件、それを未然に防ぐ為の警戒、明日齎される終末への緊張に……皆で揃う機会というもの自体が、今まで殆ど無かったから。

「……まあ、ツルギは静かに立ってただけだけど」

 そして、四天王やツルギ達が揃って同じ時を過ごすのは何かの会議の時くらいで。だから……嬉しかった、皆で共に穏やかな一時を共有出来るということが。
 ゴーゴートは我先に食事に食い付いて食べ終わるとすり寄ってきて撫でることを強要してきて、ファイアローはウォーグルと火花を散らして早食い競争、シャワーズはスワンナと共にマイペースにゆっくり食べていて。
  早々に食べ終わると食堂を走り回って大はしゃぎだったライチュウや、ボスゴドラと腕相撲で力比べをしていたドサイドン、臆病な性格のゲンガーは隅の方でうずくまっていたがサーナイトに誘われ相伴していた。
 皆本当に自由に過ごしていて、程よく緊張がほぐれてくれたことだろう。自分も彼らの表情も、二週間前には不安や恐怖や緊張に固く引き結ばれていたが……今では、忙しない日々の中でこれだけ綻んでいるのだから。

「お、見てくれみんな、スワンナ座だ。ウォーグル座もあるぞ……ということは」

 不思議そうに首を傾げるゴーゴート以外のポケモン達に、「星と星を線で繋げるとポケモンみたいに見えるから、って昔の人がさ」と軽く説明をすると、彼らは頭に疑問符を浮かべたり、納得したように頷いたり、よく分からないままに良い顔をしたり、それぞれの反応を浮かべてくれた。
 夜天に鮮やかに降り注ぐ星々を繋げば、永く継がれ続けた星座が瞬く。少年は……仰いだ藍天に変わらず流れる悠久の河の煌めきに、いつかを重ね合わせて想いを馳せる。

「なあみんな。こうやって空を眺めてるとさ……なんだか、懐かしい気持ちにならないか」

 夜に隠れた横顔は、ただ穏やかな微笑みを湛える。喜びとも悲しみともつかないその表情、果たしてその目に何が映るのか。
 最初に頷いたのはゴーゴートだ。旅に出る以前からも幾度と見上げて、旅に出てからも何度も何度も焦がれ続けてきた宙。遠く、広く、闇だけが続く永い夜でもいつかは曙光が射して黎明が訪れると……そう、信じて。

「そうだね、ゴーゴート。悩みがあった時は……いつも一緒に夜空を眺めてた」

 熱も冷め遣る暗い静寂は、果てなく続く戦いと冒険に熱せられた体温を心地良く奪い浚ってくれる。抱えた闇も弱い自分も、この宙の下でなら少しくらいは晒け出せる……だから、いつも主は。

「それに、この旅の中でも何度も。ああそうだ、ツルギとの三度目のバトルも、星の綺麗な夜だったよな」

 あの時はそんなことを考えている余裕なんて一切無かった、立ち塞ぐ宿敵の圧倒的な力に抗うのに必死だったのに……喉元を過ぎたからだろうか、思い返すと湖面に照り返す星月夜の瞬きすらも瞼に映る。
 躓いて挫けそうな時にも、前を向いて歩き出す時にも、唇を噛み締め何かに立ち向かう時にもいつだって……見上げた空には星があった。
 遍く照すには朧で儚い、けれど優しく降り注ぎ見守ってくれる穏やかな光。永い時を掛けて辿り着いたその煌めきは……果たして何を思って、闇に包まれた夜を照らすのだろう。

「不思議だよなあ。星の光ってさ、オレ達に届く頃にはもう過去になってるんだぜ」

 ……今こうして側に居てくれるポケモン達も、皆で共に過ごした揺蕩う日々も、夢見ていた遠い明日すらいつかは過ぎ去り昨日になってしまう。伸ばした掌を見つめて笑った、ここまで来るのに……どれ程の砂粒が、指の隙間から零れ落ちてしまったのだろう。
 消えない記憶、消えてしまった記録……あの日の風景は堂々巡りの走馬灯と繰り返されて、蘇る記憶とは裏腹に無情にも秒針は進み続ける。

「……オレだけじゃあ、決してここまで来れなかった。みんなが支えてくれたから……本当に、感謝しないとな」

 今でも……君達との出会いはちゃんと覚えてる、忘れられる訳が無い、いつも共に戦ってくれる大切な仲間なのだから。

「懐かしいなあゴーゴート、いつもお前は誰よりも頼れるとして戦ってくれて、どんな時でも同じ心で立ち上がってきた」

 いつも隣で見守ってくれて、時には勇敢に角を掲げて背中を押してくれて、大切なものを守るっていう同じ心で繋がっている相棒は心の盾を翳して共に困難に立ち向かってきた。
 誰よりも頼れる最強の相棒、昔から共に大切なものを守る為に戦ってきた大切なポケモン。
 ゴーゴートは当然だ、と言わんばかりに得意気に胸を張り、それから穏やかに微笑むと強い決意を秘めた眼差しを瞬かせて深く頷いた。大切な友達を引き戻し、この世界を守り抜くのだ、と。

「“はやてのつばさ”をものに出来て本当に良かった。お前の速さはすごい頼りになるよ、ファイアロー、これからもよろしくな」

 今でもあの時の喜びは忘れない、彼はオレが旅に出て初めて捕まえたポケモンなのだから。旅の中でバトルに出陣する機会も度々あったが、いつも誰にも追い付けない超高速で戦局を巻き返してくれた。
 何より彼の速さは勿論、その諦めの悪い意地っ張りが時に何よりも助けになる。如何な逆境でもそれが励ましになるから。
 照れ臭そうに頬を背けて、しかし嬉しそうに徐に笑うと紅蓮の大翼を広げて甲高く叫んだ。誰にも追い付かせない、これからも最速の矢として空を駆け続けるのだ、とでも言うように。

「シャワーズ、……絶対勝とうな。一緒に勝って、オルビス団をやっつけて、一緒に前に踏み出そう」

 シャワーズはまだ進化していない頃、かつてオルビス団に追われていた。未進化ポケモンだからという理由だけで実験台として捕らえられ、逃げ出したところをオレ達が保護したようだ。
 今に思えば、かつて古代の城で終焉の枝に過剰な恐怖を示したのもそれが理由だったのだろう。だからこそ……必ず勝たなければいけない。
 シャワーズの心にはもう恐怖がない……そう言えば嘘になるが、大きな瞳を瞬かせて、力強く大地を踏み締め見つめてくる。彼も決意は済ませている、後は明日を待つだけだ。

「ライチュウ、お前の電気技はここぞという時に助かってる。ギャラドスにもバンギラスにも、痺れさせてなきゃきっと勝てなかった」

 彼は今は亡き父の手持ちで活躍していたポケモンだ、是非自分も捕まえたいと息巻いていて。とある洋館で紆余曲折の末に捕まえて、頑張って“ボルテッカー”を習得して、今では頼れるアタッカーだ。
 長い耳を伸ばして、尾を振りながら得意そうに胸を張るライチュウは懐に隠していた木の実を取り出して、英気を養うとばかりに拳を握り締めてから嬉しそうに頬張った。難しいことは分からない、それでも、明日も明後日もこれからもみんなで楽しく過ごしたいから頑張りたい……ただ、そんな気持ちで。

「ドサイドン、お前の攻撃力と防御力を信頼してるよ。物理に秀でたポケモンの相手はお前に任せたぜ」

 ドサイドンはただでさえ高い攻撃力を、“じゃくてんほけん”と“ロックカット”で更に伸ばして不利な戦局からも無理矢理勝利を奪い取る。状況に応じて戦法を切り替えられる彼は初見の相手には特に輝く。
 誰が来ても任せて欲しい、もっと強くなる為に、期待に応える為に進化した力で今まで以上に頑張ってみせる。興奮したドサイドンはドリルを回転させて高く拳を振り上げて、ジュンヤに優しく撫でられると落ち着いて再び寝転がった。

「ゲンガー、戦いが嫌いなのにいつも頑張ってくれて本当にありがとう。あの時会えて良かった、おかげで友達が増えたから」

 勿論バトルでも頼りにしているが……ゲンガーは臆病な性格で、一緒に過ごす内に彼が不安を抱えていることも何となく分かってきた。だから伝える、日頃の感謝を。望んで一緒に居ることを。その言葉に、彼は歯を剥き出しに諸手を上げて素直な笑顔を浮かべてくれた。
 戦いは今でも好きではないが……そう言ってくれるのならば頑張れる。友達と過ごす日々の為に、明日の決戦にも絶対に勝ちたい。

「みんな、これまで一緒に戦ってくれて本当にありがとう。明日は絶対に勝とう……大切なものを、守り抜く為に」

 ジュンヤを囲む皆が視線で息を揃えて、呼吸を合わせて力強く頷いた、勿論だ、と。負けるつもりなど最初から無い、この世界は壊させない、勝って絶対守り抜いてみせる……その為に今まで鍛えてきたのだから。
 人間の言葉は喋れないが、その気持ちは主であるジュンヤにも確かに伝わった。彼は大きく息を吸い込んで……吐き出すと、くすぐったそうにはにかんだ。

「はは、オレより余程勇敢だよなみんな。いつも助けられてるよ、お前達にも、ノドカ達にも……」

 そうだ、此処まで来れたのはポケモン達だけのおかげではない。大切な仲間達にも支えられてきたのだ。
 ……ノドカはいつもそばで見守ってくれて、どんな時でも寄り添ってくれる優しさと、背中を押してくれる笑顔に勇気と強さをもらってきた。絶望に沈み溺れた自分の手を取り救い上げてくれたのだってノドカだ、彼女には……いつだって暖かく照らされてきた。
 そして決して諦めずに苦難や強敵に立ち向かうソウスケの背中は大きく、どこまでも前向きに夢を追い続け挑み続ける彼らの言葉と姿勢にはいつも励まされている。それにオレが道に迷った時や挫けそうになった時には一緒に悩んでくれて、必ず立ち上がるって信じてくれて。
 二人とは毎日下らないことで笑い合い、一緒に過ごし、時には背中を押されて力を借りて、ノドカとソウスケにはいつも励まされてきた。 

「オレはこの旅で出会った色んな人に支えられて、やっとここまで来れた。やっぱり……オレは間違ってなかったんだ」

 サヤちゃん達は辛い思いをしてきたにも関わらず痛みを必死に堪えていて、自分から全てを奪った相手にすら寄り添い悲しむ健気さで、どんな暗闇の中でも希望を見失わずに星を望み続けて。
 相棒を奪われてレイのことを憎んでいるにも関わらず、それでも自分なりの折り合いを付けて一歩を踏み出し、相棒を利用した相手を赦して共に終末を越えようと励むエクレアちゃんの覚悟。
 この旅の中で己の願いも道標も失い、五里霧中を彷徨い続けていたレンジだって抱えた闇も弱い自分も壊して、進むべき未来を取り戻した。
 母さんと父さんが命を賭けて守り抜いた友達……ビクティニは、長い間オルビス団から逃げ続けてようやく再会出来た。だから本当に安心した、確かめられた。離れていてもオレ達の友情は変わらないのだと。

「……悔しいけど、腹立つけどツルギとかレイとかも」

 唇を尖らせて、わざとらしく不機嫌そうに呟けばゴーゴートが宥めるように蔓を伸ばして、冗談だよ、と苦笑しながら軽く撫でる。
 認めたくはないが……ツルギには最初から見抜かれていたのだろう、オレがずっと目を背けていた心底の憎悪や必死に隠していた弱さを。
 振り返れば、彼の言うことはいつも正鵠を射ていた。目を背けていた自身の弱さを的確に突いていたのだから。

「あいつは……ツルギは、本当に強いよ。オレはあいつみたいに強くなれない」

 彼は私情や感傷を排して徹底的に、勝つ為だけに戦いに向き合い、ポケモン達もツルギの指示に絶対の信頼を寄せて彼に応えようと振る舞っている。
 そんな在り方は自分には出来ない、ポケモン達にはさせられない。共に戦ってくれるポケモン達や周りのみんなに支えられてようやく此処まで来れたんだ、だけど……それで良いんだと思う。結局、何が正しいとかじゃなくて、“自分”は“自分”で、“あいつ”は“あいつ”ということなのだろう。

「それに、レイも物凄く強かった。昔から一度もあいつには勝ったことが無かったけど……あの頃より、相当強くなってた」

 レイは、元々とてもバトルが強く誰よりも優しい少年だった。ノドカを拐ってオレを焚き付けたのも、今に思えば戦いを恐れて尻込みしているオレを 立ち直らせる為だったのかもしれない。いや……思惑はどうあれ少なくとも、結果的にはあれがあったから再び踏み出せている。
 だからこそ聞き出さなければならない。どうして悪の組織として戦っているのか。『キミのご両親を殺したのはボクだ』というこの目で見た惨劇と矛盾する言葉はどういう意味なのか。本当に……もう、三人で昔みたいに戻れないのか。
 どうしても越えなきゃならない二人のおかげで、もっとずっと強くなれた。負けるわけにはいかない、とより一層意識させられた。

「信じて良かったよ、自分自身を、オレを信じてくれる人達を。みんなのおかげで……オレは」

 それに……彼らだけじゃない。スタンさんやルークさんに、ジムリーダーや四天王達……オレには見習わなければいけない人達が沢山居て、踏み締めた道程に数え切れない。
 この旅の全てが経験値となってオレとポケモン達を此処まで育て上げてくれた。だから……この命に代えても、きっと。
 藍天に降る星に掌を透かして、強い決意と共に固く握り締めんと瞼を細めたその時に、「あ、いたいたぁ。おーい、ジュンヤっ!」ところどころが跳ねた柔らかな茶髪、橙色のパーカーを羽織った少女がこちらへ手を振り……間の抜けた声が響き渡った。


 二人で並んでベンチに座り、街がすっかり寝静まった中に果てなく拡がる宙を見上げる。深い紺碧に溺れる夜天には思い思いに煌めく星々が瞬き、星明かりは彼らを見守るように淡く夜を照り降り注いでいる。
 隣で芝生に佇むゴーゴートは少し冷たい風を心地良さそうに肌で受け止め、身体に繁る深緑は微かに揺れる。スワンナは翼を畳んで悠然と立ち、しかしよく見ればうつらうつらと船を漕いでいるのが見て取れた。

「ふふ……あなたとポケモン達ってば、ほんとに仲良しよね。特にゴーゴート、ちょっと妬いちゃうくらい」
「はは、……まあ、相棒だからな。それを言うならノドカとスワンナだって仲良しじゃないか」
「えへへ、だってスワンナとはもうず〜っといっしょの大親友ですから」

 付き合いが長いから当然だとは思うのだけれど、面と向かって言われると少し照れ臭くて、思わずはにかんでしまう。だがノドカはそうでもないようだ、相棒と顔を見合わせ笑い合い、夜風と裏腹微笑ましい光景に心は暖かくなる。

「……まあ、もう随分付き合いが長いもんなあ」
「ふふ、ほんとだねえ……」

 それは相棒だけのことではなく……オレとノドカと、ソウスケも。思い返せば……共に過ごした時間はあまりに長く、一緒に居るのが当たり前になっていたのはいつからだ。

「懐かしいなあ……光る芝生にみんなでふざけて寝転んだり、一緒に森を探検して迷子になったこともあったよね」
「ふふ、なつかしいなあ。私とコアルヒーがわんわん泣いちゃって……ジュンヤかっこよかったな、『だいじょうぶ、ぼくに任せとけ』なんて」
「あの時はどうしたんだっけ……ああ、あなぬけのヒモを持ってってたんだ」
「用意周到だよねえ。あれはソウスケもさすがに反省してたっけ」

 確か八歳くらいの頃だったか。その頃見ていたアニメの、セレビィと時渡りの話に影響されてみんなで探しに行ったのだが……誰かさんが、我先にと強いポケモンを求めて進むせいでいつの間にか迷子になってしまい。空から帰り道を探そうにもコアルヒーは泣いてて頼れないから、あなぬけのヒモを使ったんだ。

「あと、近所の公園でよく遊んでたよね!」
「ああ、懐かしいな。ソウスケとバトルしたり、ノドカとブランコで遊んだり……そういえばソウスケ、鉄棒の上を歩くのが得意だったな」
「あー……よくダルマッカとやってたねえ、昔から運動神経良かったもんね。ふふ、ブランコではどっちが遠くに靴を飛ばせるか〜って競ってたね」

 もう十年以上も一緒なのだ、同じ時を過ごして隙間一つ見付からない程に重ねた月日と思い出はきりがなく、一度堰を切れば留まることなく溢れ出す。暫く時間も忘れて夢中になって……無邪気だった、幼かった日々をただ沸き上がるままに語り合った。
 みんなでクリスマスを祝ったこと、 お泊まり会を開いたこと、学校での様々な行事など……本当に、出会ってから共に歩んで来た色々なことを。

「……これまで、色々あったなあ」
「えへへ、……そうだねえ」

 どちらともなく口を閉じて、眩い星々に思いを重ねる。心地良い静謐と共に夜風は頬を撫でながら吹き抜けて……何を言うでもなく、ただ穏やかに揺蕩う時が流れていく。
 ……この旅の中で、何度同じことを思っただろう。有り得ないのは分かっている、それなのにどうしても願ってしまう。ずっと、このままで……と。

「……ねえ、ジュンヤ。そういえば、さ」

 永遠にも思える儚い刹那、淡く揺らめく一時の中で、少女が長髪を風に弄ばれながら、瞼を細めて不意に口を開いた。

「ずっと……あなたに聞きたいことがあったんだ」

 遠い彼方を見つめるように。目の前の光を眺めるように。とても優しく穏やかな表情で、僅かの逡巡の後に、躊躇うようにゆっくりと。

「ねえジュンヤ、覚えてる? あなたと私が……初めて会った時のこと」
「勿論だよ、忘れるはずがないじゃないか」
「えへへ、良かった」

 ……今でもはっきり覚えている、忘れられるわけがない。まだオレが五歳くらいの頃に……その日はソウスケが家族で遠くにポケモンバトルを観戦しに行っていて、時間をもて余していたからと公園に出向いた時のこと。

「私ってば昔からドジばかりで、なにをしてもダメで。コアルヒーもうまくバトルできなくて……私のせいで、いっしょに仲間はずれにされてて」

 オレがどの遊具で遊ぼうかと辺りを見回していた時に、メェークルが見付けてくれたのだ。
 一人の少女が、大勢の笑顔と笑い声の飛び交う真昼の公園で、コアルヒーと二人で砂場でお山をつくって、トンネルを掘って遊んでいた。その背中はとても寂しそうで……だけど、心底楽しいみたいに声をあげて。

「……私たち、小さい頃は友達が居なくて」

 だから、オレから声を掛けた。『ぼくも一緒につくっていい?』って。それからお互いのことを知って、友達になって……ソウスケが帰ってきたら今度は三人で一緒に遊んで、こうして今も友情が続いている。

「ねえ、ジュンヤ。なんであなたは……あの日、私たちに手を伸ばしてくれたの? いつもいっしょにいてくれるの? 私……なにをやってもダメなのに」
「なんで、って……」

 少年は頬を掻いて、困ったように苦笑を浮かべた。どう言っても気取ったみたいな言い回しになりそうで、恥ずかしくて。だから仕方なく覚悟して……あくまで平然を装って、なんでもないみたいに吐き出すことにして。

「君が……寂しそうに泣いてたから。だから放っておけなかった、それだけだよ」
「ジュンヤ……」
「それに、一緒に居るのに理由なんていらないだろ、オレ達は友達なんだからさ。まあ、いつもお前には助けられてるけどね」
「……そうなんだ。そっかあ……えへへっ」

 彼女は一瞬目を見開くとその言葉を繰り返し繰返し反芻して、それから頬に熱が昇るのを感じながら、自然に満面の笑顔を咲かせた。大切な友達が当たり前に一緒に居てくれる……それが、何より嬉しいから。側に居てくれるだけで頑張れるから。

「やっぱり、ノドカはそうやって笑ってるのが一番だ。見ていてこっちまで嬉しくなるよ」
「えへっ、えへへ……ありがとね、ジュンヤ」
「ううん、オレこそ」

 ふと相手の顔を振り向けば自然に視線が絡み合い、……なんだか気恥ずかしくなって二人して思わず苦笑が零れてしまう。
 二人の間を行き交う空気に、何を察したかゴーゴートは茶化すみたいにわざとらしく得意気に胸を張る。人と暮らし始めた最初のポケモンだけあってそういうことには敏感で、二人を先に見つけたのもメェークルだったから。
 つまり自分のおかげで出会えたのだ、感謝しろ、美味しいご飯を寄越せ……そう言いたげに、くつくつと笑いながら鼻につくしたり顔でジュンヤを小突いた。

「ちょ、うざいぞ、やめろゴーゴート!」

 左からぶつけられる黒角に振り返り思わず叫んでみせるが、ゴーゴートは素知らぬ顔でそっぽを向いて、今気付いたとばかりに伸ばした蔓で疑問符をつくる。

「お前なあ……」
「ふふっ……やっぱり本当に仲良しね、ジュンヤとゴーゴート」
「はは、こういうところは困るけどな」

 茶化されるのは普通に恥ずかしいが……ゴーゴートに感謝しているのは本当だ。角を握って「今度高いご飯を買うよ」と伝えると彼は満足したように寝転がる。
 ……本当に、しかたがないやつだ。肩を竦めて呆れて笑い、相棒のおかげでほぐれた空気の中で今度はジュンヤが……躊躇うように、だけど尋ねるか悩んでいた先程よりは余程楽になった心持ちで意を決した。

「あのさ、ノドカ。じゃあ……オレからも良いかな」

 大きく息を吸い込んで、吐き出す。ずっと心の奥底で……同じように悩み続けていた、一つの馬鹿みたいな下らない疑問を。ふと風が止み、静寂を湛える夜の下で。

「君こそ、なんでそんなに優しくしてくれるんだ。オレは……助けられてばかりだよ、何も出来てないし、一緒に居て楽しい人間じゃないのにさ」

 ノドカには……いや、ノドカだけではない、ソウスケやみんなに昔から支えられてばっかりだ。親も居ない、特に面白いことが言えるわけじゃなく、ポケモンの知識くらいしか取り柄がない。
 それに、自分はあの日皆を見捨てて逃げ出して、一人だけ生き残ってしまって。だから……一緒に居てもらえるだけの人間じゃないと、ずっと。

「ふふ、友達といっしょに居るのに理由なんていらない、でしょ? 私もあなたには、たくさん守ってもらってるし」
「そんなこと。……はは、だけどそうだな、友達だもんな」
「うん、えへへっ、ジュンヤが居てくれて良かった」

 この旅の中で、彼には何度助けられたか分からない。森でリングマに追われていたところを助けられ、レイ君に捕まったときにも助けられ、何気無い日々の中でだって彼には何回も何回も救われてきた。躓いた時にはいつも優しく支えてくれて……側に居てくれるだけで安心出来るのだから。

「……あの時ね、ジュンヤ、すっごくうれしかったんだぁ。あなたの手が、とっても暖かくって」

 今でも確かに覚えてる、この先きっと忘れることは無いだろう……あの日手を取ってくれた、一人の少年の優しい笑顔を。虚しく空へ伸ばされたこの手を、優しく包み込んでくれた彼の暖かさを。

「だからね、そんなに悲しい顔をしないで。あなたがどこにいたって、今度は私が手をつないであげるからっ」

 言いながら少女は、膝に置かれていた少年の手を取り、真っ直ぐに見つめて来て微笑んだ。なんだか慣れない距離感に思わず目を背けてしまいそうになるが、彼女は相変わらず気の抜ける笑顔を浮かべていて。

「それに……私は、あなたが居ないとダメだもん」
「オレこそ、お礼を言うのはこっちだよ。ノドカが居てくれたから、オレは……だから、ありがとう」
「……うん」

 真っ直ぐに見つめた少年の顔は……いつからだったろう、とても大人びていて、かっこよくて。この旅がそれほどに幼馴染みを成長させた、その事実は嬉しいやら寂しいやらの複雑な気持ちで。
 そして刹那の瞬き、再び遠い目をして……情想の廻る宙を仰いだ。

「ノドカ、オレはさ……分かったんだ。お前と一緒に居ることで」

 この旅は楽しいことだけではない、挫折、屈辱、憎悪、絶望……艱難辛苦に傷つけられた。だが振り返れば出会いも、残る後悔も、全てが夜空に瞬く星のように眩く鮮やかに煌めいて。何度も押し潰した悲しみにも、強さの欠片があったのだ。

「オレはやっぱり、みんなが居てくれるこの世界が好きなんだ。何が正しいとかじゃなくて……大切な人達が居て、人とポケモンが助け合って暮らしてて、仲間と一緒に笑い合える今の世界が」

 大切な幼馴染み達と過ごして、旅の中で多くの人々やポケモン達に出会って。色彩に満ちた自然や幸せに溢れた景色に触れて、霞んだ空も、くすんだ世界も、結局オレがそう見ていただけで……。人は心で世界を見てるのだ、世界はなんて美しいんだろう、と気付かされた。
 もう絶対に、穏やかで暖かい長閑な世界の温もりは失いたくない。もう涙が零れるのを見たくない。だから……。

「だからオレは……命に変えても」
「ねえ、ジュンヤ。私もね……大好きだよ、あなたが隣に居て、“みんな”で笑い合えるこの世界が」

 思わず目を見開いて、噛み締めるように瞼を伏せる。その言葉が、何故だか深く胸に突き刺さり……この旅で見てきた景色が、不意に目蓋の裏に目まぐるしく駆け抜けていった。
 皆で笑い合うなんてことは無い日々。一緒に見上げた何でもない日の星空、共に過ごした平穏な日常……その瞬間、本当の意味で気付かされた。大切なものを守る……それは、ただ負けないだけじゃ駄目なんだって。

「きっと私だけじゃなくて、ソウスケもゴーゴート達も、みんな私と同じ気持ちだと思う」
「そっか……そうだね、ありがとうノドカ」

 空に星が寄り添い合うように、二人の想いも重なり合う。
 自分の愛するかけがえのない日常は……彼女の言う通り、“みんな”が居たから続いていたのだ。だから……己も、明日で最期になんてしちゃいけない。
 笑い過ごしていたいつかも、泣いてた昨日も来る朝はいつも同じで……ただ一つだった。だから……止まったままの時計の針も、いつか、きっと──。

「……約束するよ、ノドカ。オレは……ぼくは絶対、みんなが居てくれるこの世界を、君を守り抜いてみせるって。だから……」

 未だ包み込んでくれていた少女の柔らかく、小さな手を強く握り締めて、真っ直ぐに瞳を見つめて言葉を続ける。彼女の手はこんなにも暖かかったのだ、と強く実感しながら。

「一緒に明日を越えて、新しい朝を迎えよう」
「ジュンヤ……うんっ! 約束、だからね!」

 繋いだ手と手はこれからも決してほどけない、ゴーゴートとスワンナも蔓で、翼で心を重ねて、皆で見上げた宙は果てしなく。満天に瞬く星々が彩る美しさに、思わず深い嘆息が零れてしまう。
 遠く、遠くへ想いを馳せて。絶対に勝つ、必ず全てを取り戻す……強い想いを握り締めて、曇りの無い願いが星空に照らされる。「大切なものを守り抜く」、変われる強さで掲げてきた、ずっと変わらないただ一つの願いが。

■筆者メッセージ
ジュンヤ「…思ったよりも話し込んだな」
ノドカ「あはは…ほんとだね。二人でこんなにたくさん話したの久しぶりだね」
ソウスケ「しかし二人が正式にお付き合いを始めるだなんて、今更感のすごい話だったね…」
ジュンヤ「そんな話してないからな!?」
ノドカ「…えへへ」
ソウスケ「逆にかい?」
ジュンヤ「何が逆なんだ…バカ。このバカ」
ソウスケ「弱い犬ほどよく吠える、好きに言いたまえ、はははは」
ジュンヤ「こいつ…ゴーゴートくらいうざいな…」
ゴーゴート「!!?」
ソウスケ「ゴーゴートがかわいそうじゃないか!ほら謝りたまえジュンヤ!」
ジュンヤ「お前はそれで良いのか…?」
ノドカ「…えへへ。お付き合い…ふふっ」
ソウスケ「どうしたんだいノドカ、急ににやけて。怖いぞ」
ノドカ「え!?な、なんでもない、なんでも!」
ジュンヤ「なんだ、またご飯のことか…」
ノドカ「って、それは違いますー!」
せろん ( 2019/12/18(水) 19:43 )